富士宗学要集第十巻

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寿量品談義

                        覚真日如(二十六代 日寛)講述
                        文啓日厳(三十代  日忠)丁聞
妙法蓮華経如来寿量品第十六
爾時仏告諸菩薩及一切大衆○無量無辺百千万億那由他劫他(已上)
一、談議興起云云。歩を運び説法を丁聞し玉ふべき事専なり。若し爾らずんば罪を得べきなり。珠林卅三(四に)云く、優婆塞戒経に曰く、若し優婆塞六重戒を受持し已って四十里の中に法を講ずる処有り、往いて聴くこと能はずんば失意罪を得ん(已上)。此の文得失意罪とは、●難二(卅一文)随四末(十一に)云く、得失意罪とは其の報不如意を受く故、報を以て罪と名づく故に失意と云ふ(已上)。此等の文の意は四十里中に説法有るに往いて之を聞かずんば、意に願ふ事一切叶ふべからざるなり。若し爾らば来りて丁聞する功徳如何。答ふ三国伝一四十九に云く、維摩長者と曰ふ人あり、歳八十有余にして始めて仏が説法の砌りへ参る。道間其の家より四十里歩なり。仏に申して曰く、法を聞くが為に四十里歩参る其の功徳何量ぞや。仏即ち答へ玉ふ、汝が歩む足の土を取りて塵となし其の塵の数に随って一塵に一劫づゝの罪を滅し、亦寿の長きこと此の塵の員と同じからん。又世々に仏に値ひ奉ること此の塵に同じく無量無辺ならん。又因縁経に云く、法を聞くが為に一歩すれば万億生死の罪を滅す(已上)。然れば歩を運びて聞くと聞かざると罪福既に雲泥なり。何ぞ最裏世路に抱って来って之を聞かざらんや。恨ては各道の近きことを云云。吾れは是れ田舎辺鄙の僧なり、恐らくは言語の訛り有らんことを云云。
名義三(十二に)云く、摩竭提此に善勝と云ふ、又無悩と云ふ。西域記に云く、摩竭陀旧に摩伽陀と曰ふ、又曰く摩竭提は皆訛なり(已上)。同十九丁に曰く阿耨達○西域記に云く、阿那婆答多池旧に阿耨達池は訛なり(已上)(取意)。此等皆音近きが故なり、然りと●も同じ仏の成道の国の中天笠なり、別国無きなり。又同じく是れ香山の南、雪山の北周り八百里の無熱池なり云云。弘一上(五十三に)本、天梯と名づく、謂く其の山高くして登らば天に昇るべし、後大い訛伝せり。故に天笠の已上声の訛り文字の訛り有りと●も、今且らく声の訛りの義に依る。謂く天テイ天ダイ声近き故なり。然りと●も異処に非ず。智者大師所栖の四万八千丈の山なり。少しく言語の訛り有りと●も其の体異なるべからざるなり。多分花洛は訛り無く、田舎は甚だ多し、然ると●も亦少分は互いに通ずるか。宗々の祖師多分は田舎の所生なり。釈書十六(六に)云く、日本紀に云く、神功皇后、肥前の国松浦県に到りて食を進む、玉嶋の里小河の側に於て釣竿を挙げて細鱗魚を得、曰く希見物なり。希見此に梅豆羅志と云ふ。故に時の人其の処を号けて梅豆羅国と曰ふ。今松浦と謂ふは訛なり、是れ和国の訛なり。風俗と云ふ事書註三(廿に)補註十四に云く、漢書に云く、凡人五常の性を含み剛柔緩急音声同じからず、水土に繋って風気と云ふ。謂云く風動静無常に随ひ君の上の情欲の故に之を俗と謂ふなり云云。
○伝教大師は近州滋賀郡なり、義真は相州の人なり、慈覚は下野都賀郡、智証は讃州那珂郡の人、弘法は讃岐多度の郡の人、釈書一(廿七にあり)。法然は美作国久米南条稲岡の庄人なり。書註一(廿一往)見、又は釈書に言語は国々の風俗なれば此等の祖師も其の国々の言なるべし。此等は且らく之を置く。
吾が祖師大聖人は安房国長狡郡の御生れなり。兼て誡めて云く。
御書卅一七に云く、惣じて日蓮が弟子京に登りぬれば始は忘れざる様にて天魔付いて物にくるう、定めて言つき音なんども京なめりに成りぬるらん。鼠が蝙蝠に成りたる様にあらん、鳥にもあらず鼠にもあらず、田舎法師にもあらず京法師にも似ず。セウ房がやうに成りぬと覚ゆ、言をば但田舎にてあるべし中々あしきやうにてあるなり(已上)。然れば世間の言田舎訛になまるも只成仏の言の訛りなきこそ真実の訛りなしと云ふものなり。縦令世間の言に訛りなしとも成仏の言訛らば三国無双の大訛りなるべし。其の訛り無き成仏の言とは如何。謂く本門寿量品の文底に秘して沈めたまふ処の南無妙法蓮華経是れなり。此れ則ち宗祖の教への如く唱ふるが故なり。
開目抄上七云く、一念三千の法門は唯法華経の本門寿量品の文の底に秘して沈めたまへり。観心本尊抄廿三に云く是好良薬は寿量品の肝心名体宗用教の南無妙法蓮華経なり。
撰時抄下(廿三に)云く、寿量肝心南無妙法蓮華経の末法に流布せんする故に此の菩薩を召し出せり。其の外之れ多しと●も之を畧す。宗師の教の如く本門寿量の事の一念三千の南無妙法蓮華経と唱へ奉る是れ則ち訛り無きなり。御書の中に尚神力品の南無妙法蓮華経と無しと云へり、況んや本迹一致の南無妙法蓮華経をや、何に況んや四十余年の未顕真実の念仏の大訛りをや。少く勧進云云。値ひ難きに値ふと云云。
次に当時の事は富士山白蓮阿闍梨日興上人の開基大石寺の末派なり。富士とは大日本国東海道十五ケ国の内駿河国富士郡の山なり。故に富士山と云ふ、根本の名をば大日蓮華山と云ふなり。是れ則ち山の頂き八葉の白蓮花に似たる故なり。三国伝十二(終往)見又陰長記下学集云云。又天照大神をば日の神とも云ふなり。教主釈尊をば日種とも恵日とも名づけ奉るなり。国をば大日本国、処は大日蓮花山。
宗祖は日蓮大聖人所弘の法体本門寿量の妙法と即ち日天子の如きなり。
薬王品に云く、又如日天子、能除諸闇、此経亦復如是(已上)。
玄一(廿三に)云く、日星月を映奪し現ぜざらしむ、故に法華迹を払って方便を除く故 (已上)。御書廿四(十一に)云く、日蓮が云く迹門を月に譬へ、本門を日に譬ふる歟 (已上)。然れば所弘の法体は本門寿量の妙法、如日天子の大法なり。能説の教主釈尊は日種なり能弘の人は日蓮大聖人守護の神明は日の神、国は大日本国、処は大日蓮華山なり。此の如く不思議に自然法爾と凾蓋相応すること意を以て推す可きなり。
次に日興上人の事具に御伝別紙の如し云云。六老の中の第三なり、二ケ相承云云。或ひは問ふて云て、何ぞ第三の弟子に附属し玉ふや。答ふ既に付属決定なり。其の器に堪へたる故なり。粗例証の一二を伺ふに、帝氓フ太子に丹朱と云ふあり、而るに位を譲らず瞽叟と云へる民の子に重華と云ひし者を尋ね出して位を譲り玉へり、即ち舜王是れなり。又舜の太子に商均と云へるあり、又位を譲らず、夏の文命に位を譲る、夏の禹王是れなり。書註三(十一、二三)国伝七(五丁十一丁、其)の外云云。
御書十九(五十七に)、但し不孝の者は父母のあとをつがず。汢、には丹朱と云ふ太子、舜王には商均と申す王子あり。二人とも不孝の者なれば父に捨てられ現身に民となる。重華と夏の禹とは共に民の子なり。孝養の意深くありしかば沛w二りの王召して位を譲り玉ひき(已上)。世間の賢王すら此の如く、其の賢を愛して王位に即か令む、何に況んや出世の法王何んぞ其の次第に拘らんや。故に興師の賢徳之れを推す可し。岩本能化其の外云云。
大石寺縁起の事亦別紙に云云。目師へ御付属の事云云。所詮教主釈尊は迹化地方の大菩薩等を押し止め、涌出品にして本化の菩薩を召し出して、寿量品に之を宣べ神力品に於て正しく之を附属するなり。
御書八(廿に)云く、所詮迹化他方の大菩薩等に我が内証の寿量品を以て授与すべからず。末法の始は謗法の国悪機なるが故に之を止めて地涌千界の大菩薩を召し、寿量品の肝心妙法蓮華経の五字を以て、閻浮の衆生に授与せしめ玉ふなり云云。祖師此に寿量品の肝心妙法蓮華経を弘め玉ふに、三箇の秘法之れ有り。
御書九(十一に)云く、問ふ如来の滅後二千余年に竜樹天親天台伝教の残し玉ふ所の秘法何物ぞや。答へて云く本門の本尊と戒壇と題目の五字となり(已上)。祖師より興師へ御付属亦是れ三大秘法なり。興師より目師へ御付属も亦是れなり。然れば興師御付属を受け玉ひて七ケ年の間身延に住持し玉へり、而るに彼の波木井の謗法によりて富士の上野に至りて大石寺を建立し此に住せり九ケ年。重須に隠居したまひ則ち日目上人に御付属之れ有り、御正筆今に在り。目師より代々今に於て、廿四代金口の相承と申して一器の水を一器に●すが如く三大秘法を付属なされて大石寺にのみ止まれり。
未だ時至らざる故に直ちに事の戒壇之れ無しと●も、既に本門の戒壇の御本尊存する上は其の住処は即戒壇なり。其の本尊に打ち向ひ戒壇の地に住して南無妙法蓮華経と唱ふる則は本門の題目なり。志有らん人は登山して拝したまへ。然れば祖師大聖人日興上人三大秘法を守護し御胸に隠し持ち玉ひ身延山に居住の時は更に彼の山は寂光土にも劣らず霊鷲山にもまさるべき道理なり。然るに彼の処謗法の地となれば波木井に還して立ちのき玉ふ已後は只是れ本の山中なり。
霊山にも非ず、寂光にもあらざるなり。其の三大秘法の住する処こそ何国にてもあれよ霊山会場寂光の浄刹なるべし。
古への奈良の都は名のみにして、公卿殿上人の朝勤なく鎌倉も亦大小名の参勤も之れ無きなり。法に依て人尊く、人に依て処尊きなり。
註朗詠六(廿一古)詩の緑草如今麋鹿の苑紅花華定めて昔の管絃の家ならん。同新古今春の歌に、いそのかみふるき都をきてみれば昔かざしゝ花咲きにけり。
奈良の都は元明天王より光仁天王まで七代の都なり。桓武天皇延暦年中に此の平安城にうつされたり云云往見。
御書廿二(廿八に)云く、教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にて相伝し日蓮が胸中の肉団に秘して隠し持てり、されば日蓮が胸の間は諸仏入定の処、舌の上は転法輪の処、喉は誕生の処、口中は正覚の砌なるべし。かゝる不思議なる法華経の行者の住処なれば争でか霊山浄土に劣るべき、法妙なるが故に人貴し、人貴き故に所貴しと申すは是れなり(已上)。若し強ひて爾らずと云はゞ宗祖居住已前の延山は如何。
  二日 昨日の大旨云云。
一、所詮畢竟する処は寿量文底の三大秘法の相を申し入るべきなり。然りと●も一概に之を宣べば其の義を成し難き故に段々日を重ね、度を重ねて之を談ずべきか。若し爾らざれば誰れか得心せんやと云ふ。法苑珠林大字五十三(廿六中)字六十六(十三百)喩経に云く、往昔に愚人癡にして知る所なし。余の富家に到りて、三重の楼閣高広厳荘なるを見て、即ち此の念を作さく我に財銭有り彼に減ず。云何んぞ造作せざらん。即ち木匠を呼んで問ふて云く、彼の舎を作ることを解するや否や。木匠答へて曰く是れ我が所作なり、即ち語って云く、今我が為に造らん、木匠即ち之を拝、地に塹を畳して楼を作る、愚人畳を見て木匠に語って曰く下の二重を欲せず。先づ最上の屋を作る事を為せよ。木匠答へて云く、是の事有ることなし、何んぞ最下を作らずして彼の第二を造ること有らん、第二を作らずして云何ぞ第三重の屋を造るを得ん。愚人固く言く我れ下の二を用ひず、必ず我が為に上を作らん。時の人聞き已って便ち怪笑を生ず(百喩経を引玉ふなり)。啓運四十(三七に)引く法門も亦是の如し、一重二重三重と段々と宣べざれば至極の重は宣べ難し。先づ当品の義は八万法蔵一代諸経に勝れたるのみに非ず。尚法華経の迹門十四品にも超過せり、先づ其の相を談ずべきなり。初めに能証の人に約して超過、次に所証の法に約して超過云云。文九(廿九に)云く、問ふ諸経各位行を説く或は多或は少なり。華厳には四十一位、瓔珞に五十二位、名義皆広し、此の経の始末に都て此の事無し云何ぞ、言異なりと(文)。
記九本五十三に先問の意は勝方に異と名づく、諸経に明す所の法相此経に尚少し、応に諸経に劣なるべし。何ぞ反って能く諸説に超異する事を得ん(文)。
文九(廿九に)云く、答ふ譬へば世人種々の業を修し、種々の宝を集め、種々の位を求む。若し寿命無くんば財位を用ひて何にかせんが如し。記に業と云ふは即能行の行なり。宝は則所行の法なり。位は即所階の果なり。方便教の中に因を行じて果を獲る・故に種々と云ふ。若し法身常住の寿無くば因果帰すること無し。故に知んぬ、諸経の諸行の不同皆今経の常住の命に入る。此の常住の命一体の三身遍く一切を収む(已上)。
華厳の四十一位とは天台大師四教儀の九に、華厳経の如き卅心と十地と仏地とを明すなり云云。故に只是れ十住、十行、十地、妙覚の四十一位なり、十信の位無きなり。
十梵行或は信を摂し、摂ぜざる等。標下の二(八九丁に)瓔珞の五十位とは、又四教儀九(四に)云く、瓔珞七種位を明す有り。
七位(乃至十)信十住十行十廻向十地等覚妙覚なり(已上)。既に諸経に是の如く位行を説く、而も今経に之れ無し、何ぞ他経に異なりと云ふやと問ふ。答ふ意は先づ百姓は農業耕作等の種々の業を修し、五穀等の種々の財を集めて妻子をはぐくみ身上増倍して易々と居住せんとするは種々の位を求むると云ふ者なり。若し商売の輩も種々の商をなし種々の財宝をたくはへ、亦身体大になし安々と住せんとするは位を求むると云ふ者なり。侍も其の如く家老、用人、番頭、物頭、種々の役目を勤むるは種々の業を修するなり。之に依りて其の品々に随って知行を取るは種々の宝を集るなり。奉公の功に依って加増に預かり・平ら侍は布衣になり、布衣は諸大夫に進み、或ひは四位三位までも進まんと思ふは種々の位を求むるなり。公卿、殿上人も亦是の如し、此くの如く種々の業をなし種々の宝を集むるとも、命なければ何の益之れ無きなり。一切の宝の中、人命第一と釈するも此の意なり。
三国伝十二(廿五に)、周の末十二ケ国の諸侯、天下の権を取って相争ひ合戦すること止まざりけり、是れを十二諸侯と云ふ。然るに小国皆滅びて魏、趙、韓、秦、斉、楚、燕、の七ケ国計り残って攻戦し、此の時を戦国の七雄と云ふなり。
後秦国強ふして六国を併せて呑む。(三国一四十一)に此の時秦始皇十六才の時なり。爰に博学の儒者ども、三公五帝の跡を追ひ、周公孔子の道を伝へて今の政ごと古に違ふと謗るを聞いて、世に書伝有る故なりと怒って三墳五典等凡そ三千七百六十余巻一部も天下に残さず焼き失なひ、同じく儒者をば穴に埋めり。又四夷八蛮の反逆も弓箭兵杖持ちたる故なり、今より已後宮門警護の武士より外、兵具を帯ぶべからずとて一天下の兵もの共が所持の劔戟干戈一も残らず集めて焼き捨てられし。又咸陽と云ふ処に回り三百七十里、高さ廿三万里の山を九重に築き上囲り六尺の銅の柱を立て、前殿四十八、後宮三十六、千門万戸連なり開き、麒麟、鸞鳳相対せり。虹●金の鐺り日月を散じて楼閣互ひに映徹せり。玉の砂銀の床意も言も及ばざりけり。居所を高くし歓楽極りなし、而れども有為の命限りある事を歎き玉ひて、鉄を以て大網を造り冥途の使を禦ぐべしとて、内裏の上に張りけり。尚蓬莱山に有る不老不死の薬を持ち千秋万歳の宝祚を保たんと思ひ玉ひ、平厚津と云ふ処より、徐福文成と云ふ道士二人来って、我不死の薬を求むる術を知る由を奏す。始皇大いに悦んで先づ官禄を授け、軈て彼等が云にまかせて、年ごろ十五に過ぎざる童男童女六千人を集めて、竜頭鷁首の船に乗り漫々たる海上に出でにけり。雲濤烟波最深にして蓬莱嶋に至らんとするに、只天水落々として求むるに処なし。徐福文成我が誑誕顕れんことを恐れて奏しけるは、竜神祟りを成して薬を惜むなり。若し海辺に出て退治せしめば、必ず薬を取り来るべしと申しければ、さらば竜神を退治せよとて数万艘の大船を浮べ、連弩と云って四五百人引いて同時に矢を放つ大弓を舟毎に構へて、竜蛇海上に現ぜば射殺せん為なり。始皇已に●津を渡り玉ふ、道通り三百万人の兵舷を叩いて大皷を打ち時を作る声止む時なし。竜神是にや驚きけん伏長五百丈計りなる鮫と云ふ大魚に変じて浪の上にぞ浮びたり。頭は獅子の如く背は竜蛇の如くにして万頂の浪に横はれり。数万艘の大船四方に漕分れて連弩を放つ、数万矢皆鮫の大魚の身に立ちければ、海上皆血となって紅蓮の奈落に異ならず。而る後始皇帝其の竜神と自ら戦ふと夢に見玉ひて翌日より重き病を受け五体暫くも安きことなく、御年五十にして崩じ玉へり(已上)(取意)。其の如く十二諸侯と攻めて戦ひ、或ひは七国と合戦し玉ふは種々の業を修するなり。思ひのまゝに打ち勝って一天四海を掌に把り玉ふは種々の宝を集めたるがごとし。位諸王に秀で始皇帝といわれ玉ふは種々の位を求むるなり。之に加へて寿命を延ぶるが為に、種々の事をなし玉ひしかども叶はずして、忽ちに命を失なひ玉へば、彼の金銀珠玉の財宝も六国の貢もさすがに玉の瓦を連ねたる咸陽宮も何んの詮無きがごとし。是を以て寿命の大切なる事を知るべきなり。
大経に云く譬へば長者一子を生育す、相師之を占ふに短寿の相有り、紹継に任えず、父母知り已って之を忽ちにして艸の如くするが如し(已上)。是は今疏二本(四十二に)出でたり、文意知るべし。法門亦爾なり。合譬下に種々の因を行じ、種々の果を獲、種々の通を現じ種々の衆を化し、種々の法を説き種々の人を度す。惣じて如来寿命海中に在り(已上)。玄七の意に准ずるに、種々の因等とは四教の因、四教の果、四教の神通、四種の説法四教の機を度する等なり云云。此等の種々の因果自他の相は、皆是れ楽於小法徳薄垢重の機に趣いて施し玉ふ所の垂迹示現の方便なれば、若し此の惣在如来寿命海中の寿量品を顕はさずば何の詮無き事なり。譬へば世人何程長者の子にても短寿の相有れば紹継に任えざるが如し。此くの如く寿量品の命なければ、彼の四十余年の種々の因、種々の果、種々の通力、種々の説法皆是れ無益の事なり。若し人寿命有れば其の処に自ら種々の業も、種々の財も、種々の位も備はりてありと云ふ事を惣在寿命海中等と云云。
寿量品は此の経の命でこそあれと云ふ事、妙楽大師記十に顕本遠寿を以て其の寿と為すと云云。若し此の命ちたる処の寿量品を持ち奉れば、其の寿命の処に一切皆悉く摂在して失なはざるなり。仍て妙楽大師記九本(五十三に)若し遠本を得れば則近迹失せずと釈せり。若し爾らば寿量品を持ち奉るべき輩は、迹門のみならず一代聖経までをも失なはざるなり。
此くの如く無量無辺の功徳を此の品に円備し玉ふこと譬へば身に影の従がひ玉に財の備はるが如し。
又天台正諸経超過下に釈して云く、海中之要法性智応喉襟目●非異是何(已上)。此の下に諸経に勝れたる義を釈し玉ふなり。海中の要とは寿量品の肝要と云ふ事なり。法性智応とは三身と云ふ事なり。然るに寿量品の肝要は三身と釈するなり。之れに付いて久成の三身、三身の久成と云ふ事有るなり。若し三身なれども久成に非ずんば要に非ず。縦ひ久成なれども三身に非ざれば要に非ざるなり。今は是れ久遠実成にして三身円満相即する故に是れ要なり。此の久遠実成の三身は譬へば人の身の中の喉の如く、衣の中の襟りの如く、六根の中の目の如く、履のをの如く肝要の法門なり。此くのごときの肝要の法門諸経と異に非ずんば是れ何とかいはんと問ふて甚だ詰め玉へり。疑ふて云く爾前の円教に三身を明す、亦迹門にも三身相即を明す、今此の品のみ諸経超過と云ふや。答ふ前の如し久遠の三身の故なり。記九本 (五十四に)云く、然るに諸経の中に豈三身無からんや。但だ兼帯し及び遠を明かさざるが為なり。是の故に此の経は永く諸経に異なり、若し爾らずんば請ふ諸経を験せよ。何れの経にか仏の久遠の本を明すこと此の経に同じきや(已上)。意云云経に所証の法に約すとは、記一本(四に)云く、本地惣別諸説に超過す(已上)。
竹一本(十六に)云く、釈名は是れ惣、体等は是れ別、故に知んぬ。惣別とは名体宗用教の五重玄なり、此の本門寿量の名体宗用教の五重玄は諸経に超過せり。
問ふ五重玄の姿如何、答ふ釈玄義一部に釈する故に卒爾に非ず。只一言之を宣ぶ、名玄義とは釈迦如来久遠五百塵点劫の往昔復倍上数之時より証得し玉ふ所の妙法蓮華経を名玄義と云ふは、久々遠々の当初に於て非実非虚非如非異の最初実得の実相を証得し玉ふ、此れは中道実相の体なり。之を実相と名づけ妙法蓮華経と云ふなり。然れば実相は体なり、妙法蓮華経は名なり。仍て実相を体玄義と云ふなり。さて此の実相妙法蓮華経は何に依て顕はるゝや、謂く因果修行に依るなり。故に本因本果の修行を宗玄義と名づくるなり。此の因果の修行に依りて、中道実相の妙法蓮華経を証得し給ひてあれば自行既に満ぜり。此の上に化他利益し玉ふ時無量の方便を以て衆生を利益し玉ふを用玄義と云ふなり。さて教玄義とは迹門の名体宗用は麁法なり、本門の名体宗用は妙法なりと判ずるを教玄義と云ふなり。是を本地惣別超過諸説と釈するなり。妙楽竹一に惣在於別と釈し玉ふ、故に本門寿量の南無妙法蓮華経と唱へ奉れば、則ち体等は収まるなり。経文に是好良薬今留在此とあるも此の意なり。
観心本尊抄廿三云く、是好良薬は寿量品の肝心、名体宗用教の南無妙法蓮華経なり云云。勧信云云。御書三(八に)一切経の中に此の寿量品ましまさずば、天に日月なく、国に大王なく、山河に珠なく、人に神のなからんがごとくにてあるべきなり(已上)。
前東春五(五十五に)云く、昔数人有り船に乗る、並びに溺死し唯一人物に馮て独り済る、夜夢みるに云く、汝偏へに得脱する所以んは曽て法花寿量品を聴く故なり云云(已上)。現に妙楽大師の上足の弟子寿量品を釈せんと欲して、先づ最初に此の因縁勝用を引き、先品諸経超過を顕すなり。現に昔寿量を聞く故に大海に溺れず死を脱れたり。面々今寿量品を聞いて南無妙法蓮華経と唱ふる故に生死海に溺れず、寿命長遠の悟りを開くこと決定なり。
  三 日
吾等が如き者の談義に今日も大勢の参詣満足せり。
弘四末(四十六御)書十八(五に)云く、昔し毘摩大国と申す国に狐あり、獅子に追はれて逃げるが、水も無き渇れ井に落ち入りぬ、獅子は井を飛び越えて行きぬ、彼の狐井より上らんとすれども深き井なれば上ること得ざりき、既に日数を経るほどに飢え死なんとす、其の時狐唱へて云く禍なる哉。今日苦しみに逼まる所、便ち当に命を丘井に没すべし、一切万物皆無常なり、身を以て獅子に飼はざることを恨む、南無帰命十方仏我が心浄くして己れ無きを承知し玉へ。文の意は禍なる哉、今日苦にせめられて即ち当に命をかれ井に没すべし、一切の万物皆是れ無常なり。恨らく身を獅子に飼はざりける事よ、南無帰命十方の仏我が心は浄きことを承知し玉へと喚ばはりき。爾の時天の帝釈狐の文を唱ふるを聞いて自ら下界に下り、井の狐を取り上げ玉ひて法を説き玉へとの玉ひければ、狐の云く逆なる哉弟子は上に師は下に居たることをと云ひければ諸天笑ひ玉へり。帝釈誠にと思し食して下に居玉ひて法を説き玉へとの玉ひければ、又狐の云く逆なる哉、師も弟子も同座なることをと云ひければ帝釈諸天の御衣をぬぎ重ね上げて高座として法を説き玉へと云って、狐説いて云く人有り生を楽しみ死を悪む人有り死を楽しみ、生を悪む云云。文の意は人有り生を楽しみて死なんことを悪み、又人有りて死なんことを願って生きんことをにくむと、此の文を狐に随って帝釈習ひ玉ひて狐を敬まひ玉ひけり。
止観四(五十九に)云く、雪山は鬼に随って偈を請ふ、帝釈は畜を拝して師と為す、袋臭きを以て其の金を捨つる勿れ(已上)云云。一代超過の寿量品の談議なれば、吾等は物も知らねども弥々参詣信心肝要なり云云。
訓読の経文は天台大師分科として云く、文九(卅に)広開近顕遠文二と為す、先づ誡信、次に正答(已上)。広開とは涌出品の略開に対するなり云云。此の寿量品を広開近顕遠と名づくるなり。亦或は迹顕本に名づくるは、之れに付いて近遠と云ふと、本迹と云ふとは名は異なれども義同じきなり。先づ真の本迹と云ふは譬へに従るなり。
一には玄七(初に)云く、人処に依りて則ち行跡有り、迹を尋ねて処を得るが如し(已上)。寿量所説の本地第一番は本人の如く、第二已後今日まで迹中の示現はあしあとの如くなり。故に迹と云ふなり、迹とはあしあととよむなり。若し本地第一の事を尋ね知らんと欲せば、迹中の示現利益の相を漸々と尋む行けば則本地の事を知るなり。譬へば雪降るに其の人を尋ねんと欲せば、其の跡を尋ねて行けば必らず其の人に尋ね逢ふが如くと云ふ意なり。
第二には本門は本月の如く、迹門は水中の影の如く、天の一月は本地第一番、水中の月の万水に影を浮べ玉ふは第二番已後、物機に応同し三世十方に垂迹示現して衆生を利益し玉ふなり、是れは水月の如くなり。文九(初に)一月万影孰れか能く思量せん。記九本(二に)一月は本なり、万影は迹なり(已上)。玄七(十二に)天月を識らず但池月を観ず。又従本垂迹は月の水に現ずるが如しとも釈し玉ひて本門は根本、迹は枝葉の事。又教乗法数三十(三に)本門は根本の如し。取意は玄七 (卅二に)云く三世乃ち殊なれども毘盧遮那一本異ならず百千の枝葉同じく一根に趣くが如しと。文句第三記一本に(二十三に)云く、彼の大通を指す猶信宿の如し。先づ密教に愚にして復迹身に迷ふ、此に至りて方に株を守り尚昧しと●(已上)。
信宿とは輔註四(九に)云く、客有り宿々客有り信々す。註に曰く、一宿を宿と曰ひ、再宿を信と曰ふ(已上)。然れば信宿とは一夜一夜と云ふ事なり。彼の三千塵点劫已前に出世成されてあるは、本門の久々遠々五百塵点劫の意より之を見れば只是れ一夜二夜どまりの旅宿の如くと云ふ意なり。若し此の時は本門は古郷の本城の如く、迹門は旅宿の如くぞとなり。文は只近きことを云へども自ら此の意あり云云。
先愚密教寿量品は如来の己証深秘微妙の法なる故に、秘密教と云ふなり。経に如来秘密神通之力と云ふ是れなり。故に本門寿量品を指して密教と云ふなり。爾前迹門には此の寿量を愚にするなり。愚とは知らざる義なり。若し知れば愚に非ざるなり。故に寿量を知らざるなり。此の寿量の久遠の本仏を知らざる故に、復迹身にも迷ふなり。西を知らざる者は東をも知らざる道理なり。此に至りて方に守株尚昧を●つ、至此とは先は第四の本迹釈の事、去れども記一本(四十五に)但だ寿量の一文正に本迹を明すと云ふ故に、此に至ると云ふは自ら寿量品に至りて始成正覚の執情を捨てよと云ふ事なり。守株とは輔註四(九に)韓子に曰く、宋に耕やす者有り、野に於て兎の株に触れて死する有り、因って兎を得たり。
後に乃し耕やさず、恒に此の株を守る。冀くは亦兎有らんことを、傍人之れを暁すに肯りて止まず。故に俗相伝て迷ひを執る者を以て、之れを守株と謂ふ(已上)。今寿量品を聞いても尚始成の迹門に執する者は、彼の愚人が株を守る如き程に本門寿量を聞いては則ち始成迹門の執情を●てよと云ふ事を、至此法●守株尚昧等と釈するなり。始成の迹説を捨て玉ふなり。始成正覚の垂迹の教理にとぢふさがれ久遠実成の一大事の重宝が顕れざるなり。此の品の時但以方便教化衆生と説いて、一往方便にこそ始成正覚と説きたれども、実には五百塵点劫已前に成道してこそあれと説き玉ひてあれば、彼の始成正覚の戸を開いて久遠寿量の宝蔵を顕はし玉ひてあれば、是れを迹を開して遠を顕はすに開近顕遠と云ふなり。尚復譬へば止一(五十八に)云く、譬へば貧人の家に宝蔵有るが如し、知る者無し、知識之れを示す、即ち知るを得るなり。草穢を耘除して之れを掘出し漸々に近きを得、近づき已って蔵を開き尽く取りて之れを用ゆ(已上)。是れは本涅槃経如来性品に出でたり。意は●に一人の貧人の家に財宝をつみ重ねたる蔵あり、然るに之れを知る者無し。或る知識之れを示す、之れに依りて彼の貧人之れを知り、草をかり不浄を除いて漸々に蔵の所に近付く、近付き已って蔵の戸を開いて見たれば大分の重宝蔵に備って之れ有り。故に尽く之れを用ひて大福長者となりしぞとなり。止観の意は今の意と六即に譬へて開閉を用ふるなり。然れば蔵を開かざる已前は貧窮孤露にして種々無量の苦労難行して世を渡りしが、蔵を開いて後彼の蔵の内の金銀重宝を思ふ儘に用ひれば大福長者と成って歓楽に住する事なり。此の開近顕遠の寿量品顕はれざる已前は、彼の貧人の如くなり。是れ則久遠実成の蔵を閉づる故なり。今此の品に蔵を開くは則如来所証の其の一念三千の宝を哢ぶ故に是れ大福長者なり。尚此の蔵を開きて後に大福長者となるも、蔵を開かざる前の貧人も同じ事なりと云ふべきや。
仍宗祖は迹門等を未得道教覆蔵教と名づく、其の機を論ずれば徳薄垢重の幼稚貧窮孤露にして、禽獣に同ずるなれども、極めたる程に爾前迹門の貧人の執情を捨て本門寿量の南無妙法蓮華経の重宝を唱へ奉るべき事専らなり。問ふ此の広開近顕遠の寿量品をば誰人の為に之れを説くや。答ふ若し経文順次に之れを拝せば、在世の為に似たりと雖も、若し逆次に之れを開せば、偏へに滅後の為なり。其の証如何、答ふ且らく一文を引かん。薬王品に云く、後五百才の中に広宣流布して閻浮提に於て断絶せしむることなし(已上)。文句一(七に)云く、後五百才にも遠く妙道に霑ほふ(已上)。妙楽大師記一本(卅九に)、末法の初め冥利無きにあらず(文)。後五百才とは則ち末法の初めに当るなり。之れに付いて五ケの五百才と云ふ事之れ有り、御書四四に、大集月蔵分を引いて云く、大集に大覚世尊月蔵菩薩に、門を……とは、只だ是れ迹門の始成の方便を説く故に劣り、本門寿量は久遠の真実なる故に勝れたりと知るべきなり。又一義御書廿四(十五に)云く、仏は長者の位、本仏法王の位か。開目抄に国に大王無し等云云。蒙卅一(廿六)。
第四に爾前をば星に譬へ、迹門をば月に譬ふ、本門を日に譬ふるなり。薬王品に云く、又日天子能く諸の闇を除くが如し、此の経亦復是くの如し(已上)。玄一(廿一に)云く、又日能く星月を映奪し、現ぜざらしむ故に、法華は迹を払って方便を除く故なり(已上)云云。迹を払ふとは月を映奪する故なり。方便を除くとは星を映奪する故なり。故に本門寿量に於ては、爾前迹門ともに打ち破るなり。御書卅三(十三に)云く、第四に日に譬ふ星の中に月出でぬれば、星の光は又月の光りに奪ひ失なはれる。爾前は星の如く、法華経の迹門は月の如し寿量品の時は迹門の月未だ及ばず。何況や爾前の星をや。夜は星の時、月の時、衆の務めを作さず。夜明けて必ず衆の務めを作す。爾前迹門にして猶生死離れがたし、本門寿量品に至りて必ず生死を離るべし(已上)。是れらの文を以て本門と云ふ事を知るべきなり。
さて此の本迹は、近遠と名異義同とは、玄九(六十二に)云く、若し文便を取らば応に開近顕遠と云ふべし。若し義便を取らば応に本迹と云ふべし。只だ近を呼んで迹となし、遠を呼んで本となす。名異に義同じ(已上)。文の意は寿量品の事を開近顕遠とも、開近顕本とも云ふなり。然れば経の面に説き玉ふは、迹の事を仏得道甚近と説き、本の事を甚大久遠と説きたまひてあれば、文の便に随っては開近顕遠等と云って近遠と云ふなり。其の義理を穿鑿して義の便に従って云ふ時は、近と云ふは迹なり、遠と云ふは本の事なり。然れば近遠と云ひ本迹と云ふは、文便義便の不同こそあれ、名は且らく異なれども義は同じぞと云ふなり。然れば開迹顕本と云ふも、開近顕遠と云ふも同じ事なりと得意べし云云。
さて正に広開近顕遠とは、広とは涌出の略に対し、開とは開出、開許、開拓の三義之れ有り。或ひは出すに用ふる事もあり、或ひはひらくとよみて用ふる事もあり、或ひはゆるすとよんで用ふる事もあり。今は則ち開拓の義なり。故に知りぬ、開と云ふに対して云ふなり。譬へば蔵の内に何程の宝を納めて置けども、戸を閉ぢて塞ぐ時に顕はれず。若し其の戸を開く時は内の宝が顕るゝなり。全く其の如く釈迦如来は、久遠塵点劫の当初此の妙法蓮華経を悟り顕はし玉ふ仏なれども、近成を楽ふ者の華厳より已来深く内証に秘し置いて、今日始めて成道し玉ふと云ふ事を対して未来の時と定め玉へり。所謂我滅度の後五百才の中には解脱堅固、次の五百年は禅定堅固(已上千年)、次の五百年には読誦多聞堅固、次の五百年に多造塔寺堅固 (已上二千年)。後の五百年は於我法中闘諍言訟白法隠没等云云。此れ等の文意は都合二千五百年なり。後五百の後とは最後の義なり。故に最後の五百年は正像二千年を打ち過ぎて末法の初めの五百年に当るなり。故に大師は後五百才遠霑妙道と釈し、妙楽大師は末法の初め冥利不無と判ずるなり。則ち経文の後五百才中広宣流布とは此の意なり。然れば此の本迹を傍の流 通分の中より、此の広開近顕遠の寿量を見るに、正しく是れ滅後末法の衆生の為に説き玉ふ処の御品なり。然れば面々仏祖の本懐に契当して、本門寿量の事の一念三千の南無妙法蓮華経と唱へれば即身成仏必定なり。御書九(八に)云く、問ふて云く誰人の為に広開近顕遠の寿量を演説するや。答へて云く寿量の一品二半は始めより終りに至るまで、正しく、滅後衆生の為、滅後の中には末法今時の日蓮等がためなり(已上)。        
     四  日
昨日開近顕遠の寿量品は偏へに滅後末法の衆生の為説き玉ふ事を談ぜり。
寔に教主釈尊此の寿量品を演説して、上行菩薩に付属して、。かに滅後末法の各々方々に与へ玉ふに依つて、宗祖大聖人は仏勅を重んじて、大難小難、無量の大難を凌いで、日本国に此の本門寿量の妙法蓮華経を御弘め成らされてあるなり、仍て易々と丁聞して之れを唱へ行ずれば、即身成仏する事決定なり。是れ偏へに仏祖の大慈悲、妙法蓮華経の功力に依るなり。若し爾らば寿量品の妙法を弘通せば、何様の事ありとも万端を抛げ捨て参詣して、丁聞し本門寿量の南無妙法蓮華経を唱へ奉り報恩謝徳に擬し玉はん事専らなり。弘八末に云く大論に云く楽法梵志十二年に於て閻浮提に遍じて聖法を知らんことを求めて得ること能はず、時の世に仏法亦尽きたり、婆羅門有りて云く、我れに聖法の一偈有り、若し実に法を楽はゞ当に以て汝に与ふべし、答へて云く実に楽ふ婆羅門の言く、若し実に法を楽はゞ当に皮を以て紙と為し、骨を以て筆と為し、髄を以て水と為し、血を以て墨と為よ。即ち其の言の如く書して仏偈を得たり。偈に云く法の如く応に修行すべし。法に非ざるをば応に行ずべからず。今世若し後世法を行ずる者安穏ならん。又有る説に云く、魔来りて楽法を誑かし皮を剥が令むと等とは、楽法の意を退せんと欲す。楽法意堅くして即便ち皮を剥ぐ等魔便ち隠れ去る。下方の仏其れが為に偈を説くを感ず巳上。意に云く御書九五十三に少なく候なり、又薬王菩薩日月浄明徳仏の所にして一切衆生喜見菩薩と申せし時彼の仏及び法華経の為の故に七万二千歳の間百福荘厳し譬を焼きて供養し玉ふなり。又雪山童子は半偈の為に身を捨て玉へり。此れ等は皆是れ正法を求むる故に皆身命を捨て給へり。今幸に本門寿量品を弘宣するに何ぞ参詣せざらんや何ぞ夢中の世事に拘つて信心を励まざらんや云云。
誡信下文九に広開近顕遠文に二、先は誡信、次は正答巳上。広開近顕遠は向の如し、先は誡信、次は正答とは、爾時仏告と云ふより汝等諦鞠聴と云ふまでは誡信なり、如来秘密神通之力と云ふより速成就仏身までは、久遠実成真実己証の法門たる三身常住三世益物の相を宣べて弥勒疑問を答へ玉ひてあれば正答と云ふなり。さて誡信とは本疏に仏旨誡を論ず衆受けて信をなす巳上。仏旨と云ふを輔記九十七旨は意旨なりと指南し玉ふ故に仏の御意と云ふ事なり。誡の字はいましむると云ふ字なり。句会廿初に説文に勅なり、広句に言く譬なり、増句に警勅の辞に誡と曰ふ巳上。然れば仏の御勅言宣旨あつて一会の大衆を誡しめ玉ふを誡と云ふなり。此の事を仏旨論誡と云ふなり。汝等当信解、如来誡諦之語云云。此の文は只今久遠寿量の誠諦之語を説くべし、汝等も疑をなさず解了せよといましめ仰せ付らるゝ宣旨なるに依つて是れを誡と云ふ事を仏旨論誡と云云。次ぎに衆受けて信をなすとは、仏既に丁寧に誡し玉ひて有るに依つて弥勒菩薩等の一切の大衆が申し上げるは、唯願説之我等当信受仏語と云云。唯願はくば之れを説きたまへ、少しも疑ひを作さず信受し奉るべしと仏へ四度まで申し上げられたるを、信と云ふぞと云ふ事を衆受為信と云云。誡信の二字粗聞えたり、此の誡信に付いて、三誡、三請、重請、重誡、之れ有り、所詮意を取りて之れを宣べば、如来四度誡しめ玉ふを誡と云ふひ、大衆四度請するを信と云ふなり、如来誡しめ玉ふ中にも自ら勧信の義あり、仍つて経には汝等当信解とあるなり、誡門勧門とは相離れざる者なり。記五末卅四に云く、勧誡有りと雖も、只是れ便に因つて誡しむとのみ云へり、然れば誡とは疑ふ事なかれと誡しめ信じ奉ると勧むるなり。謂く今誠諦真実の久遠実成の法門を説かん程に少しも疑ひなく信じ奉れと云ふ事なり。又大衆の請ずるを信とのみ云へども自請あるなり。故に次下には重請と云へり、故に知んぬ、信じ奉る程に願くば之れを説き玉へと請するなり。さて始めの疑ひを誡しめ、信を勧め玉ふに付き、世出倶に此の誡勧の二に過ぎざるなり。故に仏法の大要にてあるなり。世間にも誡と勧と二力無くては叶はざるなり。譬へば親が子に教ふるに悪事をなすべからず、悪人のまねすべからず、悪き友に交はるなと云ふは誡なり。善人のまねをせよ、善い友に交はれと云ふは勧と云ふ者なり。外典の中にも其の趣之れ有りと見へたり、中庸に云く、道は須●も離るべからず、離るべきは道に非ざるなり巳上。註に曰く、道とは日用の事物当に行ふべくの理巳上。事物当行の道とは、五倫の道には過ぐべからず。孟子に云く、君臣義有り、父子親有り、夫婦別有り、長幼序有り、朋友信有り巳上。君は仁政を行ひ札を以つて使ひ、臣は忠を以つて君につかふ。此の義あれば君臣の道立つ、此の義を失はば君臣の道立たぬなり。父子親有りとは子を恵み資け、子は父を愛し敬ふ、此の親有るは則道なり、此の親なければ則道に非るなり。夫婦別有りとは夫婦とは男女なり。天地の始男女なけれは人倫亡き故に、男女を以て人倫の根本とす。然れども男と女とは各差別あり乱すべからず、或は同じ座敷に居ぬ同処に衣服を着けず、閨門の間内外のへだてあるべし。此くの如く別あるが夫婦の道にして後々まで偕老の契りを結ぶなり。此れ則ち別あるが則夫婦の道なり。長幼に序有るなり。長幼は兄弟の事なり。先に生るるを長とし兄とし、後に生るるを幼とし弟とするなり。人の生るる前後あれば兄弟となるなり序ありと云ふは、譬へば道を行くには兄さきに行き弟はあとより行く、座に着くにも兄は上座に居は弟は下座に居る等なり。是れ長幼序有りと云ふなり。此の序有るが則道なり。朋友信有りとは朋友の間は互ひに信を以つて交ふれば其の道末とげてよきなり偽あればやがて中終する者なり。此の朋友には信あるが則道なり。然れば此くの如く君臣、父子、夫婦、長幼、朋友、各其の道あり、此の道は須●も離るべからざるなり。離るべきは道に非ずと云ふは是れ勧めたるものなり。若し君として仁政を行はず不礼にして臣として忠節を作さず、父として子を恵まず、子として父を敬まはず、朋友に交はるに信あらざる等は此れは是れ無道なり。今の文の裏で此の無道をば永く離るべしと云ふ意あれば則誡なり。然れば何程の言句ありとも、聖人賢人の教と云ふは悪を誡しめ善を勧むるには過ぎざるなり。浅深不同こそあれ仏法も此の誡勧の二門に過ぐべからざるなり。弘四末五十一に云く、覆器とは信無き故に器の覆るが如し。大論に云く羅云自小にして多く妄語を喜ぶを妄語を以ての故に無量の人をして仏を見ること得ざらしむ、仏之れを調せんと欲し遠行して還り水を汲ましむ、仏脚生るを澡盤覆へる、其れをして水を注がしむ。答へて云く器覆つて水入らず、仏云く汝覆器の如し、法水入らず種々呵責したまふ、今譬疑を借る巳上。文意に云く此中にも仏羅云ふに妄語を誡しめ玉ふは誡門なり。自ら重ねて実語を以てせよとあるは勧門なり。今亦此くの如し。今久遠実成真実己証の法門を説く程に少しも疑ひ無く信じ奉れ、若し少しも疑はば彼の器の覆へりたるに水の入らざる如く本地難思の境智の妙法の法水が汝等が己心中に入るべからざる程に少しも疑ひ無く信じ奉れと誡勧し玉ふぞと云ふ分科の意なり。然れば在世滅後時は異なれどもいつにても信心無き者は覆器の如し。仍つて妙楽大師は覆器とは信無き故に器の覆へるが如しと釈し玉ひて尤も信心肝要なり。
問ふ吾等は如何様に疑ひ無く如何やうに信じ候べきや。
答ふ信とは疑ひ無きを信と曰ふなり。之れに付いて止四五十六に云く、疑に三種あり、一には自らを疑ひ、二には師疑ひ、三には法を疑ふ巳上。弘四末四十四に云く、疑に過ち有りと雖も然かも須らく思択すべし、自身に於ては決して疑がふべからず。師法の二疑須らく暁らむべし、若し疑はずんば或ひは当に復邪師邪法に雑はるべし、故に応に熱して疑ふべからず、善く思ひ之れを択べ、疑を解の津と為すは此の謂れなり。師法巳に正ならば法に依つて修行せよ、爾の時に三疑永く須く棄つべし巳上。自身に於て決して疑ふべしとは、不変真如の眼の前には十界悉く法性、妙法蓮華経の当体の水なり。而るに我等は寒気して悪縁に値ひて九界の衆生の氷となれり。然りと雖も此れ又如日天子たる本門寿量品の肝心、妙法蓮華経の浄縁の光に値ひ奉れば、其の儘我等が悪業煩悩の氷解けて根本の妙法蓮華経の水となり即身成仏すること決定として疑ひ無き義なれば、少しも疑ふべからずと云ふ事を自身に於て決して疑ふべからずと釈せり。尚亦現証を伺ふに、今日の教主釈尊は直ちに凡身より仏果を感じ玉へり。南岳天台は六根五品の位に叶ひ、和国の性空上人は法ケ読誦の功力に依りて現身に六根清浄を得玉へり。何んぞ我身底下の凡夫にして道の器に非ずと疑ふべしや。然れば正法正師に依つて修行せば即身成仏せんこと掌中の視菓の如し云云。師法の二疑は須く暁むべし等とは、若し大途を取りて之れを言はば釈尊五十年の説法を尋ぬるに無量無辺なりと云へども権実迹本を出でざるなり。文九五十六に云く、諸仏五濁に出る、必ず前三後一、先近後遠なり巳上。先づ権実とは約教約部の判あり。約教の時は爾前の蔵通別の三教は権実麁法なり、円は妙なり実なりと明すなり。重々の義有りと雖も且らく之れを略す。約部の時には華厳、阿含、方等、般若の前四時を以て権教麁法と定め、第五時法華を以つて実教妙法と定むるなり。是れ天台一家の大判なり。竹一本五十一先づ四教に約して以て麁妙を判ずる則は、前三を麁となし、後一を妙となす。次に五味の為に以て麁妙を判ずる則は、前四時を麁となし、醍醐を妙となす巳上。竹三十六に云く、先に四教に約して判じ、次に五味に約して判ず、若し教を明さざる則は教妙を知らず。若し味に約せざる則は部妙を知らず。下に云く一切の判麁妙の文悉く皆此に例せよ巳上。無量義経の四十余年末顕真実とは是れなり。亦約教約部の中に約部正意なること。
中  正
然れば権実相対の時爾前は権法麁法なりと云ふ事分明なり。次に本迹相対の時爾前迹門十四品を惣じて麁法権法と定め、本門を以て妙法実教と定むるなり。問ふ其の証文如何。答ふ玄第七に本門十妙を釈す。十妙の一云云一に近きの故に、二に浅深不同の故、三に払らはるる故の三義を以て爾前迹門の迹因迹果。迹因とは迹の感応、迹の神通、迹の説法等を皆悉く方便なりと打ち破つて本因、本果、本国土乃至本説法是れを真実と定め畢つて次下に至りて更に判麁妙、判権実二科を立てて丁寧に迹門、麁法、権法、本門、妙法、実教ぞと釈し玉へり。玄七卅七に云く、始得を麁となし先得を妙となす巳上取意。始成正覚と説くは但為以方便教化衆生の故に麁なり、先得為妙とは我実成仏の故に真実妙なり。
玄七卅八に云く若は権、若は実悉く皆是れ迹、迹の故に権と称す巳上、又卅の六に云く、通じて本迹を論ずる只是れ権実と云云。是れ迹門を以て権と名づけ本門を実とするなり。然れば迹門は麁法権教、本門は実教妙法なること必然なり。問ふ若し爾らば爾前は定めて麁法なり権法なり、能弘の師亦権師なり。迹門は或は実と云ひ権と云ふ、或は妙と云ひ麁と云ふ故に其の能弘の師亦或は権師或は正師なるべし、本門には一向正法正師と見へたり、何れを信ずべきや。答へて云く汝が疑は則ち妙楽大師の二疑須暁の義に当たれり。今暁して云く、先爾前四十余年は権教麁法なり其の師は権利師なり。剰へ権教を以て実教を打つ故に邪法邪師となるなり。若し迹門を以て面として弘通したまふは、天台伝教の如く正法なり正師なり。是れ則ち像法の弘通にして今末法に入れば去年の暦の如し。末法の今時は爾前の邪法邪師を打ち捨て、迹門の師法の二をも打ち除き、只本門寿量品の妙法並びに本門寿量の妙法を弘通する師を信ずべきなり。問ふ其の証如何。答へて云く一に能弘の師の本地を論ずるに既に本化の菩薩なり、所属の法体を論ずるに本門寿量の妙伝なり、所破の機を論ずるに本門の直機なり。亦今の時は寿量品の肝要妙法蓮華経流布すべき時なり、観心本尊抄廿一に云く、所詮迹化他方の大菩薩等に、我が内証の寿量品を以て授与すべからず、末法の始は謗法の国悪機なるが故に之れを止めて地涌千界の大菩薩を召し、寿量品の肝心妙法蓮華経の五字を以て閻浮提の衆生に授与せしむるなり。
此の文の中に師も法も機も時もあり。見るべし中ん就く能弘の師と所属の法と分明なり。御書卅八六に云く、立正観抄に云く、本化弘通の所化の機は本門の直機なり巳上。撰時抄五廿三に寿量品の肝要南無妙法蓮華経末法に流布すべきなり巳上。権教権門の族は且らく之れを置く、大聖人の流れと云ふ学者此等の文を看て、末法今時に本門寿量の妙法を信ずべしと云ふ事分明なるに非ずや。録外十五卅の三大秘法抄に云く、末法の初の五百年は法華経の本門前後十三品を閣いて只寿量の一品を弘通すべき時なり巳上。若し爾らば権教等の邪法邪師の邪義を打ち捨て、本門寿量の妙法並びに此の法門を弘むる師を信ずべしと云ふ事分明なり。是くの如く聴聞する上に於て師をも法をも少しも疑はず信じ奉れと云ふ事を師法巳に正しく法に依つて修行せよ、爾時三疑永く須く棄つべし巳上。然れば面々も釈尊天台妙楽、祖師大聖人の本懐、相叶ひ本門寿量の妙法を信じたてまつる故に即身成仏必せり。
御書廿三廿四に云く、然るに日蓮が一門は正直に権教の邪法邪師の邪義を捨てゝ正直に正法正師の正義を信ずる故に、当体の蓮華を証得し常寂光の当体の妙理を顕すことは本門寿量の教主の金言を信じて南無妙法蓮華経を唱ふる故なり巳上。
  五  日
註朗詠六廿五に云く、壺中の天地は乾坤の外、夢裏身名、旦暮の間と巳上。仙家の中の幽栖の詩なり。註に云く此の詩の心は世上の無常を作るなり。上句の壺中とは、昔し唐の長安の市に常に薬うる老翁あり。其のかたちいとあやしく、薬をうるにふたたびと直を論ぜず、是れ何なる人と云ふことを知らず。其の時汝南の費長房と云ふもの市櫞とて市の奉行なりしが、楼の上にて。かに見れば、此の翁の一壺をおひて日暮る時人に知られずして壺の中にをどり入りけり。長房たびたび是れを見て、ただ人には非ずと知つて尋ね行いて逢つて然も敬い食物などすすめけるに、翁悦ぶ事限り無し、かくして年も経ぬれば翁長房に告げて云く、君に金骨の相あり、仙道を学ぶに堪へたり、日暮れて人なからん時来るべしと。教への如く日暮れて行きければ、我れに随つて壺の中にをどり入れと行つて翁先にをどり入る。長房つづきてをどり入りたれば壺の中に天地日月あり。宮殿楼閣めでたし、侍者数十人老翁をたすけ敬ふ、長房楽にあきみちながら猶故郷を忘れがたく思へるさまなり。老翁その気色を見て君帰らんと思はゞ、是れに乗つて行くべしとて一の竹の竿を与へければ、長房此の竹の杖に乗つて長安に帰りけり。此の竹を葛陂と云ふ所の水の中になげ捨てければ杖急に青き竜となり天に登つて去りにけり巳上。神仙伝に見へたり乾坤とは天地なり。乾は天の性、坤は地の性なり。是れにて上の句は聞へたり、下の句は此の世を夢にたとへて、あした夕部をもしりがたしと云へり、夢の裏の身も名もあしたにや死なん、夕にや去りなん、無常なる事なりと云へり。惣じて二句の意は幽栖の詩なれば、此の山居の深き住居を彼の壺の中の天地に比して是れ世上乾坤の外と観ずるなり。此の境界から見る時は憂世の身名は只夢の間、はかなきよと云へる意なり取意。誠に爾なり。昨日ある人今日はなき、きのふも今日も鳥○野船岡山幾くかの人をかをくりけん。其の人数にものがれて今日参詣すれば悦び勇んで南無妙法蓮華経と唱へ奉るべきなり云云。
昨日までは分科に因んで之れを談ぜり。今日より経文の面を談ずべきなり。
経に汝等当信解等と云云。天台大師文九七十七に疑無きを信と曰ひ、明了なるを解と曰ふ巳上。
是れは一念信解の信解の二字の釈なれども、義通ずる故に之れを引くなり、若し是れを今の信解の二字に合せて之れを釈せば、先づ弥勒菩薩等、涌出品に於て未見今見の大菩薩を仏爾乃教化之令初発道心等と御説きなされて、幼稚の物どもなりしを我れ教化して弟子になしてこそあれと御説き成られてあるに付いて、仏は僅か四十余年巳来の新仏にて在すに、かかる老々白々たる高貴の大菩薩を弟子と仰せあるは、縦ひ仏説たりとも信じがたし。譬へば年廿四五ばかりなる者が、百歳の翁を我が子なりと云はんに、人信ずべからざるが如くでこそ在せ。たとひ我等は信ずるとも滅後末代の者は破法不信の故に、却って三悪道に堕すべき程に子細を説き玉へと疑って請じ玉ふ。此の故に今如来今其の子細を説き玉はん程に、其の父少きにして、子老ゆの疑なり。明了に信解すべして云ふ事を、汝等当信解如来誠諦之語と云云。具には下まで至るを、さて解とは智恵を以て闇昧なく、明了に了達する事なり。仍て明了日解と云ふなり。弥勒菩薩は信も解も並にあるべし。末法今時の衆、本門寿量の妙法を聴聞するに、信心と智恵とが並に無くては叶はざるや。
答ふ、廿一七に云く、下根下機は只信心肝要なりと云へり。之れに付いて宗祖大聖人自ら四句の分別あり。一には有解無信、二には無解有信、三には有解有信、四には無解無信なり。第一有解無信とは、御書十一二に云く善星比丘は二百五十戒を持ち四禅定を得、十二部経を暗んぜし者なり。提婆達多は六万八万の法蔵を覚り、十八変を現ぜし。此等は有解無信の者なり。今に阿鼻大城に在りと聞く云云。意は御書註十二八に云く、経律異相は第廿一巻出曜経の第十四巻を挙ぐ。昔此丘有り名づけて調達と曰ふ、聡明広学にして十二年の中、座禅入定して心移易せず、十二の頭陀初めより缺滅せず、乃至誦する所の仏経六万の象に載するに勝へず、後意転じて退して漸く悪念を生じ、人の供養を望み世の利用に着し世尊の所に至り、頭面に足を礼し、仏に白して言く、唯然世尊願くば神足の道を説け、我れ此れを聞き巳つて、当に善く修行すべし、又衆生を教化すべし、世尊告て曰く汝今且らく神足を置け、何ぞ四非常の義、苦の義、空の義、無我の義を学ばざる。此の説き調達便ち此の念を生ず。如来我に神足の義を説かざる所以は、恐らくは己れに勝るる耻有らんことを。即ち如来を捨て舎利弗の所に往いて神足の道を求む、舎利弗も亦如来の如く答ふ、調達思惟すらく、此の舎利弗は智恵第一なれども何んぞ我智に及ばん。即ち去って目連に神足の道を問ふ、目連の答へも亦仏の如し、何んぞ四非常を学ばざる云云。調達憤怒す、我に与へざる所以は、其の我に如かざるを恐る。若し得巳ければ名誉無けん、去って吾が弟の阿難の所に往いて之れを問ふ。此の時、阿難為に之れを説く、調達聞き巳つて閑静の処に在り。心を専にして意を一にし、麁を以て微に入り、復微従り起りて還つて麁に至り、心を以て身を挙げ、身を以て心を挙げ、身心合し、漸々に地を離れ胡麻の如く転ずる。胡麻の如く漸く地を離れ、地従り床に至り、●従り屋に至り、屋従り空似至り、虚空の中に在りて十変を作し、涌没自由なり巳上畧抄。十八変とは輔註四に云く、一に右脇より水を出し、二に左脇より火を出す、三に左より水を出し、四に右より火を出す。身の上下より水火を出す。四と為り前に並べて八と成る。九に水を履む事地の如く、十に地を履む事水の如し、十一には空中従り沒して亦地に現じ、十二には地に没して空中に現ず、空中に行往坐臥するを四となす。十七に或は大身を現じて空に満ち、十八に大復小に現ず巳上。
 前善星比丘の事
書註十七廿七に云く経三十三に云く、爾の時城中に一尼乾有り、名を苦得と曰ふ。常に是の言を作す、衆生の煩悩因無く縁無し。衆生の解脱亦因縁無し。善星比丘復是の言を作く、世尊世間に阿羅漢有らば苦得を上と為す、我れ言く癡人、苦得尼乾は実に羅漢に非ず、阿羅漢道を了解する能はず。善星復言く何の因縁の故に羅漢、阿羅漢に於て嫉妬を生ずる我れ言く癡人なり。我れ羅漢に於て嫉妬を生ぜず、而るに汝自ら悪邪見を生ずるのみ。若し苦得是れ羅漢と云はば却って後七日当に宿食を患ふべし、腹痛して死なん。死し巳つて食吐鬼の中に生ぜん。其の同学の輩当に其の屍を舁き寒林の中に置くべし。爾の時善星即ち苦得尼乾子の所に往いて語って云く長老汝今知るや否や。沙門瞿曇記す汝七日まで当に宿食を患ひ腹痛して死なん、死し巳つて食吐鬼の中に生ずべし、同学同師当に汝が屍を舁き寒林の中に置くべし。長老好善を思惟し諸の方便を作して、当に瞿曇をして妄語の中に堕せしむべし。爾の時苦得此の言を聞き巳つて、即便ち食を断ち初一日従り乃至六日七日を満ち巳つて、便ち黒蜜を食す。黒蜜を食し巳つて復冷水を飲む、冷水を飲み巳つて腹痛して終る。終り巳つて同学其の屍を舁き寒林の中に喪置す。即ち食吐鬼の形を受け其の屍の辺に在り。善星比丘此の事を聞き巳つて、寒林の中に至りて苦得が身受食吐鬼の形を見るに其の屍辺に在り、背を●め地に蹲る。善星語って言く大徳死せるや。苦得答へて云く、我巳に死す云何ぞ死せるや。答へて云く腹痛に因つて死す、誰が汝の屍を出す。答へて云く、同学出す何れの処に置く。答へて云く癡人あり、汝今是れ寒林なるを識らざるや、何等の身を得る。答へて云く、吾れ食吐鬼の身を得る。善星諦に聴け、如来は善語し、真語し、時語し、義語し、法語す。善星に如来は口づから是くの如き実語を出す。汝爾のときに於て如何んぞ信ぜざる。若し衆生有りて、如来真実の語を信ぜずんば、彼れ亦当に我が此の身の如きを受くべし。爾の時善星即ち我が所に還り、是くの如きの言を作す。世尊苦得尼乾は命終の後、三十三天に生れんと、我れ言く癡人なり。阿羅漢は生処有ること無し、云何ぞ苦得三十三天に生ると云はん。世尊実に言ふ所の如く苦得尼乾は実に三十三天に生ぜず、今食吐鬼の身を受く、我れ言く癡人なり。仏如来は誠言にして二無しと説く、若し如来に二言有りと言はば、是の処に有ること無し。善星即ち言ふ、如来爾の時に是の説を作すと雖も、我れ是の事に於て都て信を生ぜず、善男子我れ亦善星比丘が為に真実の法を説く、而れども彼れ絶へて信受の心無し。善男子善星比丘は十二部経を読誦し四禅を獲得すと雖も乃至一偈一句一字の義を解せず、悪友に親近し、四禅を退失す。四禅を退し巳つて悪邪見を生じ、是くの如きの説を作す。仏無く、法無く、涅槃沙門有ること無し。瞿曇は善く相法を知る、是の故に能く他人の心を知る。我れ爾の時に於て善星に告げて言く、我が所説の法初中後善にして其の言巧妙なり、字義真正なり。説く所無雑にして具足し、清浄梵行を成就す。善星比丘復是の言を作く、如来復我が為に法を説くと雖も、而も我れ真実に因果無しと請ふ。善男子汝若し此くの如き事を信ぜずんば、善星比丘今は近く尼連禅河に在り共に往いて問ふべし。爾の時に如来即ち迦葉と善星の所に往き玉ふ、善星比丘。かに我が来るを見れば、見巳つて即ち悪邪の心を生ず、悪心を以ての故に生身に阿鼻地獄に陥入す巳上。既に提婆は誦する所の御経六万の象に載するに勝へず、十八変を現ず。善星比丘は十二部経を暗んじ四禅定を得、是の故に解有りと云はるるなり。然りと雖も信心無き故に、善星も提婆も生身に無間地獄に堕在せり。此の事を善星比丘乃至今阿鼻大城に在りと聞くと書し玉へり。
第二に無解有信とは、御書の次下に云く、又鈍根第一の須梨盤特は智恵もなく悟りもなし。只一念の信ありて普明如来と成り玉ふと。弘二末八十一に云く、盤特とは法句経第一に云く、仏舎衛に有り、比丘有り、盤特と名づけ新出家と作る。
禀性頑塞にして仏五百羅漢をして日々之れを教へむしむ、三年に始めて一偈を獲たり。今文阿含大論に依る故に九十日と云ふ、仏知りて愍傷し即ち呼んで前に著き一偈を授与す。偈に云く、口を守り意を摂して、身に犯す莫れ、是くの如き行者世を度するを得と。盤特仏恩の深きことを感じ、上口に誦得す。仏盤特に告ぐ、汝今年老ゆ唯頌一偈人皆之れを知る奇と為すに足らず、須く其の儀を解すべし。所謂身三口四意三、其の起る所を観じ、其の滅する所を察せよ。之れに由つて天に生じ、之れに由つて淵に堕し、之れに由つて道を得て泥恒自然に分別せん。乃至無量の妙法心開け、意解け阿羅漢を得ん。無遮に由るが故に、其の根鈍なりと雖も道果を得る事易し。巳つて五百の比丘尼、教誡説法を請ふ。次に盤特に当れば、彼に至りし食し巳りて諸尼皆笑ふ。座に昇り巳りて自ら慚鄙して云く、自幸薄徳にして沙門たるを得、究めて頑鈍と為す。学ぶ所の一偈粗其の儀を識る、為に敷説すべし。諸少年の尼、先より其の偈を知る。預め前に誦せんと欲するに口開く能はず、驚怖して過を悔ゆ。盤特是に於て仏説の次第に依り敷演するに、諸尼皆阿羅漢果を得たり。巳上。三国八卅類雑二九に、僅かに二句十四字を三年に覚えたる程の人なれば、尤も解智才覚無し。然りと雖も如来比の儀を粗説き聞かしめ玉へば、信心を以ての故に得意し、羅漢果を証し、終に法華に至りて普明如来と成り玉ふなりと言ふ事を、又鈍根第一乃至普明如来に成り玉ふと書し玉へり。
第三に有解有信とは則ち迦葉舎利弗なり。
御書に云く、迦葉舎利弗等は有解有信の者なり。仏の授記を蒙り、華光如来光明如来と云はれし云云。是れは常々の如く、解有り信の有る人々なり。
第四に無解無信とは、有解無信すら尚堕獄せり、況んや無解無信の者をや云云。然れば智解無く、信心無き者は堕獄すべし。又解智有りとも、信心有らん者は成仏必定なり、迦葉、舎利弗の如きなり。是れは在世の時は信心も智恵解もあり、今末法の代なれば解智は一分もなし只々信心大切なり。信心さへ強盛に本門寿量の南無妙法蓮華経と唱へ奉らば、かの無解有信の盤特の法華に来りて普明如来となりしが如く、本門当体の蓮花仏とならんこと疑ひ無し云云。若し爾らば解智無くとも、信心強盛に唱題肝要なり。問ふ何なる子細を以て、信心は智恵より勝れたるや。答ふ之れに付て重々の道理、文証、現証あるべし。委細は明日之れを談ずべし。今日は文証の一二を引き略して之れを宣ぶべし、一には涅槃経第三十五巻に云く、是の菩提の因無量有りと若し信心を説けば則ち巳に摂尽す巳上。文の菩提の因は或は世間の財宝を抛て仏法僧の三宝を供養し、或ひは堂塔伽藍を建立し、或ひは一品二品を読誦し、或ひは一四句偈を受持し、或ひは観行をなし、或ひは妙名を唱ふる等、種々無量の因之れ有りと雖も、若し信心を説けば則ち皆巳に摂し収るぞと云ふ意なり。譬へば或は花咲き或は菓なる、草木は無量無辺之れ有るなり。所謂桜梅、桃李、紫蘭、黄菊等なり、此くの如く種々の草木無量なれども、若し大地の所生と云はば摂尽し収まるが如くなり。何程三宝を供養し、塔堂を建立し、一偈一句を誦すとも、若し信心無くんば、彼の桜梅、桃李、紫蘭、黄菊を掘り出して置きたるが如くなるべし。皆乾し失せぬべき事決定なり。若し信心の大地に植え置けば皆悉く菓なり、或は花咲き菩提の因となるべきなり。所詮信心は大地の如く、菩提の因は草木の如しと得意べきなり。若し信心の大地を語すれば余の草木は収まるなり、或は経をよみ観行をなすは智恵の行なれども皆信心の台地に収まるなり。是れを以て智恵より信心の勝る事を知るべきなり二は本業瓔珞経下巻大衆受学品に云く、若し一切衆生初に三宝海に入り信を以て本と為す巳上。大海に塵を択ばずとも本より無差平等の徳を備へて一切江河、若しは塵垢の種々の不浄の者流れ入るとも少しも隔て之れ無きなり。其の如く仏法僧の三宝も何なる悪人女人なりとも隔て玉ふ事なく無差平等に皈入せしめんと思し召す故に、初に三宝海に入ると云へり。此の平等の三宝海に入るには何物が根本となるぞと云う事を、信を以て本と為すと説き玉へり。現に信心を根本と説き玉ふ故に恵解等は尚枝葉なり。其の根本を挙ぐるは枝葉を摂むる道理なれば信心是れ勝れたり。仍宗祖は十一に双林最後の涅槃経には、是の菩提の因無量有りと雖も、若し信心を説けば則ち巳に摂尽す等云云。夫れ仏道に入る根本は信を以て本と為すなりと書し玉へり。然れば面々はさせる解は無けれども、教主釈尊の金言祖師大聖人の本懐に相叶ひ信心強盛に本門寿量の南無妙法蓮華経と信行あれば、三悪四趣に恐れなく即身成仏必せり。御書十一に、而るに今の代の世間の学者には、只信心計りにて解り無く南無妙法蓮華経は唱ふる計りにて、争でか悪趣を脱るべき等云云。此の人人は経文の如くんば阿鼻大城を脱れ難し。然れば指したる解無くとも、南無妙法蓮華経と唱ふるならば悪道を免るべきなり巳上。
  六  日
昨日の大旨は、経文の信解の二字について弥勒等の大衆は信解並びに之れ有るべし。滅後末代の者は指せる解は無くとも、信心強盛に本門寿量の南無妙法蓮華経を唱ふべし。若し爾らば悪趣に生ぜず、開悟得脱決定なりと宣べたり。
問ふ、文証を聞くと雖も、現証を尚疑つて云く、火々と云へども手に取らざれば焼けず、水々と云へども口に飲まざれば水のほしさも止まず。南無妙法蓮華経と計り唱ふとも、義趣を解らずんば悪趣を免れんこと如何有る可きや。御書十一初に答ふ、縦ひ義趣を解せずとも、信心に住して題目を唱ふれば、成仏すべきこと疑ひなし。此の義を了せんと欲せば、先づ信の一字を詳に之れを解釈すべきなり。初め字義、内外典に云云。句会廿八に愨実疑はず、差爽せざるなり。伊川●氏云く、実を以て之れを信と請ふ巳上。五薀論に云く、信は謂ふ符順の義なり私志二八十三。天台文句九七十七に疑ひ無きを信と曰ふ巳上。外典の意は先づまことと云ふ義面なるか、而も疑はず差へず云云。内典の意は符順の義も、無疑曰信の義も往いて門義なり、疑無きの義面なり。やがてそれはまことの義なり云云先づ外典に於ても、信を以て肝要とすると見へたり。弘四末五十に云く、孔丘の言すら尚信を首となす、況んや仏法の深理、信無くして寧ろ入らんや。故に丘の云く、食をば尚去べし、信をば去べからず巳上。随つて論語為政篇第一十八に、子曰く、人として信無くんば其の可なることを知らざるなり。管蠡三卅七に臣範を引いて云く、君臣信あらざる則は国政安ならず、父子信あらざる則んば家道睦からず、兄弟信あらざる則んば其の情親からず、明友信あらざる則んば交り絶え易し巳上。
信は其の実にして偽をまじへず、いつまでも違はざるを云ふなり。若し爾らずして、うはべ計りにては不可なり。又曰く准南子に曰く、信を先にして而して後に能を求む巳上。能は芸能なり、万能一信と云云。又仁義礼智信の五常の中にも尤も信を肝要とすと見へたり。何程仁あり義あり礼あり智恵ありとも、信無くんば無益の仁義なり。仍つて仁義礼智は必ず信を本として行ふと見たり。五常を以て木火土金水の五行に取る時は信は土に当たるなり。わる時は信は四季に土用に取るなり。管三卅六の意なり。類雑六廿五には、信を以て火に配す異説ありと見へたり。今は管蠡の意に准じて土用の四季に亘るが如く、仁義礼智に押し亘つて之れ有るなり。
又土を地盤として木火水金之れ有る如く、信を以て根本として仁義礼智は之れ有るなり。且らく或儒者の物語を記するなり。仍つて妙楽大師は孔丘の言尚信を以て首と為すと釈せり。孔丘とは魯の国の昌平郷鄒邑に淑梁訖と曰ふ人あり、其の婦人、尼丘山の頂きを見て懐妊せり。周の霊王廿四年辛亥十二月四日誕生せれ、其の像尼丘山に似たり、頂窪して水一枡二合を受くべき程なり。仍て名けて孔子と云ひ、名は丘と云ふも之れを以て汁べし三国一五丁に云く、仍て今孔丘と云ふなり。外典信を以て肝要と為ること粗聞へたり。
次に内典に信を以て肝要となすとは。
弘四末五十に云く、華厳経に云く、信を道の元功徳の母となす巳上。一切の善法信に依つて生ずる故なり。大論一十九に云く、仏法海の如し唯信のみ能く入る巳上。信無くんば仏法の大海に入ることを得べからざるなり。天台大師止観四五十九に云く、仏法海の如し、唯信のみ能く入る巳上。妙楽云く、仏法の深理信無くして寧入らん云云。御書十六六十五に、信を以て恵に代ふ、信の一字を詮と為す巳上。又廿一七に唯信心肝要なり云云。其の外云云。然れば釈尊、竜樹、天台、妙楽、宗祖一同に信心肝要と釈説し玉へり。故に必ず成仏することは寔に信心の功力に依るなり。有解有信の舎利弗等も解の智の力に依つて成仏するに非ず、信心の力に依つて成仏し玉へり。
問ふ其の証如何。答へて云く、今経第二巻譬喩品に云く、汝舎利弗尚此の経に於ては信を以て入ることを得たり、況んや余の声聞をや。其の余の声聞仏語を信ずるが故に此の経に随順す、己れの智分に非ず巳上。今の文の意は諸の声聞の中に勝れたる所の智恵第一の舎利弗尚信を以て得道することを得たるを以て、余の劣れる声聞は尚信力にあらざれば得道なりがたし。仏語を信ずる故に、此の経に随順して得道せり。是れ己れが智分に非ずと説き玉へり。問ふ、何んぞ舎利弗を一切の声聞に勝れたりと云ふや。答ふ仏弟子の中に、諸声聞に於て、舎利弗、目連尤も勝れたり。是れ則ち舎利弗は智恵第一の故に貴まる、目連は神通第一の故に貴まる。是の故に大論四十廿六に、舎利弗は右面の弟子、目連は左面の弟子と云へり。目連神通の事文二の初に云く、外道の師徒五百あり、咒を用ひて山を移す、一月日を経、簸峨として巳に動く。目連念言すらく、此の山若し移らば損害する所多からん、山の頂虚空の中にして結跏せり。山還つて動かず、外道相謂ふらく、我が法は山動く、日を計るに怒らず写りなん。云何ぞ安固にして還つて初めの如くなる、必ず是れ沙門の爾らしむるならん。自ら力弱と知りて、心を仏道に帰す、無量人をして正法に出家せしむ巳上。又云く阿難陀、難陀の兄弟須弥の辺海に居、仏常に空を飛びて、●利宮に上り玉ふ。是の竜嗔恨して曰く、何んぞ禿人我上より過ぐると、後時に仏、天に上らんと欲す。是の竜、黒雲周霧を吐き三光を隠翳す、諸の比丘咸く之れを降せんと欲す。仏聴き玉はず、目連の云く、我れ能く是の竜を降さん。竜身を以て須弥を遶ること七匝なり、尾海水に跳り、頭山頂を枕せり。目連傍に其の身を現じ、山を遶ること十四匝、尾海外に出で、頭梵宮を枕とす。是の竜嗔盛にして金剛の砂を雨らす、砂を変じて宝華と為す、怪●愛すべし。猶嗔つて巳まず、目連化して細身と為り竜身の内に入り、眼より入りて耳に出で、耳より入りて鼻に出て、其の身を鑚齧す。即ち苦痛を受け、其の心乃伏しぬ。目連巨細の身を摂して沙門の像を示す。此の二竜を怪して、仏所に来至す巳上。此くの如き等の神通第一の目連なれども、尚舎利弗の智恵第一より立て振舞ふ処の神力には及ばざるなり。
問ふ其の証如何。答ふ大論四十五十に云く、仏五百大羅漢を将いて、阿那婆達多竜池に至り、遠離楽を受け、自身及び弟子の本業因縁を説かんと欲す。舎利弗在らず、仏目連をして之れを命ぜしむ。時に目連神通力を以て、祗●に至る時舎利弗衣を縫ふ。目連に語りて云く、少しく住せよ、衣を縫ひ訖るを待て、当に去るべし、目連を催促して疾く去る。時に目連手を以て衣を摩るに、衣即ち成竟る。舎利弗目連其の神通を貴ぶを見て、即腰帯を以て地に擲て語つて云く、汝此の帯を挙げ去れと、目連両手を以て帯を挙るに地を離るる能はず、即ち諸善定に入り、之れを挙ぐるに地為に大いに動けども、帯猶地に着す。時に橋陳如、仏に問ふ、何の因縁を以ての故に地大いに震動するや。仏言く目連甚深い禅定に入り大神力を作し、舎利弗の帯を挙げて、挙げること能はず。仏○諸比丘に告ぐ、舎利弗入出する所の禅定は目連乃至其の名をも識らず巳上。実に神通第一の目連も智恵第一の舎利弗の所入の禅定をば目連尚其の名をも識らずと云云。豈貴きに非ずや。
問ふ身子智恵第一の相如何。
答ふ且らく一毛を示さば、文二六十四に云く、難陀、跋難陀の二竜王舎城を護り、雨沢侍するを以て国に飢年無し。王及び臣民歳々大会を儲け、三の高座を置き、王と大子と論師となり。身子八才の身を以て会処に到りぬ。人に三の座を問ふ。人其れに之れを答ふ、即ち衆に越えて論の●に登る。群儒皆耻て肯て論議せず。此の小児に勝ちて誉れを顕すに足る無し、脱し其れ如ずんば屈辱大ならん。皆侍者を遣はし、語を伝へて之れに問ふ、答ふること問の表に過ぎたり。尽く法の鐘を堕す、敢て当る者無し。王及び臣民称度無極なり。国正に太平ならんと智人世に出づと、年十六に及んで閻浮提の典籍を究尽し、事閑あらざるは無し。古に博く、今を覧る演暢幽奥なり。十六大国に論義双ぶもの無し、五天竺の地最為第一なり。沙然梵志に師とし事ふ、梵志の道術身子皆得たり。師に二百五十の弟子有り、悉く弟子に付す、而うして之れを成就す。沙念死に臨み听然として笑ふ。息子故を問ふ。答へて云く、世俗は眼無し、恩愛の為に親しまる、我れ見る金地国王の死するに、夫人火聚に投じて同じく一処に生れんと願ふと言ひ巳つて命絶へぬ。後金地の商人を見る、之れを問ふ果して爾なり。身子追て悔ゆ、我れ未だ師の術を尽さず。此の法を授けざること、我れ其の人に非る為に師の秘する自ら末達を知り更に勝法を求む。而るに師として事ふべきもの無し。此の一法に達せずと雖も余皆通達し、外道の中に於て最為第一なり。道に於て●●の威儀痒序なるを見る。因つて師に法を問ふ、●●答へて云く、説法縁より生ず。是の故に因縁是れ法縁尽に及ぶを説く、我が師是くの如く説く。一たび聞きて即須陀恒果を得、仏所に来至す。七日に遍く仏法の淵海に達す。又云く十五日後阿羅漢を得と巳上。現に八歳の時十六の大国五天竺に第一の論義者なれば其の智は測り難し。況んや十六才一閻浮提の典籍究尽し、仏家に帰入して七日に仏法の淵底を究め、十五日に阿羅漢を証すると云ふことは、凡の測る所に非なり。大智恵に非るよりか、是れ何とか言はん。斯の大智恵の舎利弗なれどもすら、尚此の経に於ては信心を以て入ることを得。況んや舎利弗に劣る処の声聞をや。余の声聞も仏語を信じ、此の経を信ずる故に得記を得るなり。全く自己の智分に非ず、信心の力に依るぞと云ふことを、汝舎利弗尚此の経に於て信を以て入ることを得。乃至己れが智分に非ずと説きたまへり。天台大師止観四五十九に云く、法華の故に諸声聞等己れが智分に非ず信を以ての故に入ると巳上。妙楽大師弘四末五十に言く、信を以て入るを得とは、方等に於て弾せられ而も信心を生ぜずんば、安んぞ能く法華に至り、受記●を得ん巳上。是れ則ち方等に於て弾呵を被り、小を恥じて大乗法華を慕ひ、信心を生ずる故に今記別を得て成仏するなりと釈し玉へり。宗祖大聖人十一二丁正直捨方便の法華経には以信得入と云ふなりと書し玉へるは是なり。此れは是れ信心を以て成仏すると云ふ明証なり。
 次に事を引いて例となす。
弘四末五十に云く、和伽梨とは第一本に云く、老年の者有り、初始出家いまだ識る所有らず僧伽藍に在り、ために少沙弥戯れて曰く、汝に初果を与へん。其れをして坐せしめて巳つて即ち毛毬を以て其の頭上に著く、語つて曰く此れは是れ初果なりと、信心を以ての故に即ち初果を獲、沙弥復これを弄んで曰く、是の如く前に依つて四度これをなし。第四果に至る巳上、文の意云云、又付法蔵伝に曰く、南天竺に俗姓の子有り、出家して道を学るに、自身に愛着し洗俗塗香好美飲食体肥壮得道するあたはず、毬多の所に往いて勝法を受けんことを求む。学者着身を以ての故に誦を尽すを得ずと観知す。語つて云く、若し能く受ける者まさに汝に法を授くべし、答へて言く、教を受けん即ち大樹を化作し、其れをこれに上げらしむ。四辺変じて深坑となる。千匁にして右手を放さしむ。言の如く即ち放つ是くの如く次第に乃至都て放つ分に身命を捨て地に至る深坑及び大樹を見ざる法要を説くがために第四果を得巳上。此等の文は皆是れ一念の信心を以て第四果を得。或は少沙弥の言を信じ或は小乗の師の言を信ずるすら尚羅漢を証す。況んや大乗の菩薩の言を信ぜんをや。何に況んや仏の御言を信ぜんや。何に況んや正直に権教の邪法邪師の邪義を捨てて、正法正師の正義たる本門寿量教主の金言を信じて南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は即身成仏せざらんや。此の如き信心は至極肝要の義法なる故に釈尊丁寧に四度まで、をしかえし在世の大衆を誡め信心を勧め玉ひてあれば況滅後の末代の者は尚この信心を励まし玉ふべき事専らなり。誠に哀れなるかな一切衆生其の根本を尋ぬれば我身即ち空仮中の三諦の妙法、法身般若解脱の三徳法報応の三身の本覚の如来にてありと云へども妄心に由つて、煩悩業苦の三道となつて、無始より巳来生々世々に流転するなり。是れ則ち本門寿量の妙法蓮華経を信じ奉らざるが故なり。彼の煩悩業苦の三道が則ち法身、般若解脱の三徳四徳常住の本覚の如来と顕はるることは疑ひ無きものなり。止一七に云く、聞生死即法身煩悩般若法身業即解脱巳上伝教大師牛頭決十一に云く、凡蕨の妄心に由るの時これを三道流転と名づく、本心に帰る時これを呼んで四徳の勝用と称す。此の心性の本根は凡聖一如にして二如なし。これを本覚と名づく、巳に此れを知るを聖と名づく、此の理に迷ふを凡夫と号す巳上。意は凡夫は三道流転の三道とは、煩悩業苦の三道なり。煩悩とは見思塵沙無明等を云ふなり。業とは則ち造作の義にして口に云い身に行ずる処の妄語綺語悪口両舌殺生愉盗邪淫等の五逆十悪等なり。此の煩悩と業とに依つて三悪道四悪趣人間の四苦八苦天人の五衰退没等の苦惣じて六道生死の果趣を受くるを苦道と名くるなり。然れば三道流転と云ふも源三諦不思議の妙法に迷ふ処の迷妄の一念より起るぞと云ふ事を凡蕨妄心に由る時これを呼び三道の流転と名づくと釈し玉へり。寔に有り難き義なるは、若し本門寿量の妙法蓮華経を信じ奉れば、煩悩業苦の三道の其の体を改めず煩悩が則ち般若智恵となり。報身如来と転じ、業縛の不自在は解脱自在万徳応身如来となり。苦道は自ら不生滅の妙理と変じ即ち法身如来の正体と顕し、此の三身三徳に常楽我浄の四徳を備へて遷流生滅にも移されず、四苦にも値はず、煩悩にも染まらず、業のきつなにもつなかれず、自由自在の徳用を施す故に、是れを本心に帰す時はこれを呼んで四徳の勝用と称すと釈し玉へり。然れば仏と衆生と迷悟の不同こそあれ三諦の妙理に於ては少しも替る事なきに依つて心性の本源凡聖一如にして二如なし。是れを伝教大師本覚の如来と名け此の理を知るを聖人と名け。此の理に迷ふを凡夫と号すと釈し玉へり。然れば面々我れ等が当体所具の煩悩業苦の三道即法身般若解脱の三徳、法報応の三身如来なれども無始より巳来妄心に由つて己心所具の妙理に迷ひてこれを知らず。然りば此の度法華経に値ひ奉り、殊更教主釈尊祖師大聖人の本懐に叶ひ本門寿量品を信じ奉り、朝夕本門事行の南無妙法蓮華経と修行する信者なれば即身成仏決定たり。御書廿三十三正直に方便を捨てて但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱ふる人は煩悩業苦の三道法身般若解脱の三徳と転じ、三観三諦即一心に顕れ、其の人の所住の処は常寂光土なり。能居所居身土色心倶体倶用無作三身本門寿量の当体の蓮華仏とは日蓮が弟子旦那等の事なり。是れ即ち法華の当体自在神力の顕はす所の功能なり。敢えて疑ふべからず云云巳上。
  七  日
一日二日と過ぐるに、今日既に第七日に至れり。談議のみ七日を過ぎると思ふは不可なり。寿命亦七日促れり。豈思はざらんや。大論廿廿二類雑一十三弘四本四十五に云く、如阿輸柯王とは、大論廿に云く、阿育王宮に常に六万の羅漢を供す。王阿輸柯は是育王の弟なり。毎に衆僧の王の供養を受くるを見て、便ち云く、何ある徳あるか。而も常に供を受る王云く、受くると雖も常に無常を観ず、何の暇あつて貧染せん弟常に信ぜす。王これを調んと欲し、密に人を遣し教えて●まに。王位に登らしむ。王便ち候ひ得て而してこれに問ふて言く、国に二の主あらん耶。即ち誅罰せんと欲す。且七日閻浮提を受け主ならしめん。是を過ぎなばまさに殺すべし、七日の内意の五欲を恣にせよ。一日過ぎ巳つて即ち旃陀羅をして鈴を振り告げて云はしむ。一日過ぎ巳つて余り六日在つて当に死すべし。是の如く、七日を満ち巳つて鈴を振って云く、七日巳に過ぎ又今日まさに死す。王便ち問ふて云く、閻浮提の主なり。楽暢を受るやいなや。答へて云く、我都べて見ず、聞かず、覚えず、何を以ての故に旃陀羅日々に鈴を振り高声に唱へて言く、七日の中に巳に爾許す。日過ぎぬ。爾許日在まさに死す。我れ是の声を聞き、閻浮提の主と作り妙の五欲を得と雖ども、憂深を以ての故に聞かず、見ず、是の故にまさに知るべし、多くの楽力弱し、若し人偏身に楽を受け、一処針を以て刺に衆の楽都て息みぬ。但刺すの痛みを覚ゆ。王言く、日丘も亦爾なり。但無常苦空無我を観ず。何の暇あつて、貧着して供養を受けんと念ぜん巳上。今亦此の如し、談義一日一日と過ぐるを以て何んぞ吾が寿命の促まることを計らざらんや。無常を解し何んして聞いてこれを信ぜざらん。あら無常かな。誰れか未来の重苦を救ふや。只本門寿量の南無妙法蓮華経是れなり。信解の二字略前に巳んぬ、まさに誠諦の二字を談ずべし。
文九卅に云く、誠に是れ忠誠に諦是れ審実物を欺かず。言則ち真に詣る巳上。随問九四十四に云く、文物を欺かずとは是れ忠誠を釈す。言則ち実に詣るとは審美を釈するなり云云。今は忠の字を以て誠の字を釈す故に誠は是れ忠誠と云ふなり。先誠の字の地盤の意は、中庸廿五誠は天之道なり巳上。註に曰く、誠とは真実無妄の謂なり。巳上、忠の字の意は、●会一十二に云く、内に其の心を尽して欺かざるなり。伊川●氏曰く、中心を忠となす巳上中庸十一註に曰く、己の心を尽すを忠となす巳上。東春五五十七仏心実なるを誠となす故に忠誠と云ふ巳上。
内心実なるを以つて言を発す故に誠語と云ふなり。此れ等の文の意に准ずるに、忠誠とは内心を覆蔵せざる義なり、然れば誠とは仏の内心を覆蔵せず物を欺かず故に誠と云ふなり。譬ば我内心は悪と思へども、他の意の背かんことを恐れて善なりと云ふ等の類は中心の実を尽さず、物を欺く相なり。今は則ちしからざる故に誠語と云ふなり。爾前迹門に於いて始成正覚と説くは、近成願ふ機に従つて説くなり。仏の心中は実に久遠実成の仏なれども而も始成正覚と説くは、豈物を欺くに非ずや。今は仏の内心を尽して実に久遠実成と説く故に、是れ則ち楚の萬王の時下和といふ者あり。これに付いて王代を列するに種々異説有り。和語式二廿九。○註十十八並に和語萬王を改めて●冒に作る可きなり故に●冒武王文王の次第なり。
一には三体詩の李昌註には萬王武王共王と列ねたり。二には文選二十四李善か註武王成王文王と列ねたり。三には祖庭事苑には萬王武王文王と次第せり。蒙求にも萬王武王文王のの次第和語式の意取意。三国伝二七祖庭事苑および蒙求に准ずるか。是れ亦萬王武王文王と次第せり。説多しと見へたり。今は且く多分に随ひ萬王武王文王の次第に准じてこれを談ずべし。三国伝に云く下和と云ふ者荊山に遊んで璞玉とていまだ琢かず玉の石大きさ尺余なるを求め得て世に比べ無き玉なるべし。琢かせて御覧あれとて是れを楚の萬王に献す、王則ち玉造りを召して店しむるに玉人是れは石なり。玉に非ずと奏す故に詐る事其の科浅からずして彼れが足を斬る。武王即位あり和亦此の璞を献ず・玉悦んで玉人に琢かしむに光りなし。是れ石なりと申す。武王我を欺けりとて右の足を斬り荊山の中にすてらる。角て廿四年過ぎるまで猶命存じて此の璞を抱へて帝泣す。其の後文王即位あつて彼の山に入り狩りし玉ふこと三日三夜下和両足を斬られて泣き悲しむを御覧有りて、天下に足を斬らる者多し。何んぞ強いて泣く。和か云く、我れ全く此の刑にあふ事を歎かず。天下に玉を知る者無くして、真玉を以つて瓦石となし。忠事を以つて慢事となすこれを以つて哭するなり。文王此の事を聞いて玉を召して玉人に琢かせ玉ふ。其の光天地に映徹つせり。是れを行路にかければ車十七輌を照しければ車照の玉と名づけたり。是れを宮殿に撥れば夜十二街を耀かす故に夜光の玉とも云へり。此の玉代々天子の御宝となりて趙王の代に伝はる。趙王これを重して趙壁と名づけ。更に身を放ち玉はず。かの趙の隣国に秦と云ふ威勢の王あり。此の玉を競望し、何んして此の玉を乞ひ取らんと、或る時盟会の次に趙壁を拝見し秦の十五城に相替ふべき由云はれける。趙王存の外に思ひけれども秦王は猛勢なり。今爰にして惜しむとも叶ひ難し。其の一城は一万三百六十六里なり。其れを十五並べたらんし莫大の所領なりと思ふて、十五城に替え玉ふべき由にて玉を与へて帰りけり。秦王これを得て十五城に替えたる玉なれば、片連城の玉とぞ名づけける。其の後趙王度々使を立て、十五城を乞ひけれども、秦王忽に約を変じて一城をも出たさず、まして玉も返ささけり。爰に趙王の臣下に藺相如と云ふ者あり、我れ秦王の都に入りてかの玉を取り返し君の憤ふりを休むべしとて趙王に此の由を申して兵一人も召し具せず。劔戟をも帯せず。衣冠正しくして車に乗り専ら使の威儀を調へて秦王の都に行き、宮門に入りて礼義をなし。趙王の使に藺相如直ちに奏すべき有つて参りたる由を申ければ秦王南殿に出て面謁す。相如畏つて申しけるは、先年君王に献ぜし夜光の玉に隠れたる瑕の少し候。知らせ奉まつらで進じ置かん事越度の至りに候。凡そ玉の瑕を知らで置かれたれば主のために難有る事にて侍る故に告げ申さんための使なりと奏す。喜んで彼の玉を取り出す。玉盤の上に居えて藺相如が前に置きたり。相如此の玉を取つて楼閣の柱に押し当つて懐中より氷の如くなる劔を抜き出して申しけるは、君子は戯言なし約束の堅きことは金石の如くとこれ承れ仰も此の玉は秦の十五城に替えながら其の城をも出さず。玉をも返さず盗跖か悪にも同じく文成が偽りにも越えたり。此の玉全く瑕あるに非ず。臣が命と玉と共に砕けて君王の座に血を淋かんと思ふ故に参りたりと忿りて玉と劔柄とを砕けよと拳り。秦王と玉とを睨み付けて、近付く人あらば忽に玉体を侵し、玉を切り破り誠に死なんと思ひ切りたる眼さし。敢いて遮り止むべきようにも無りけんは、秦王も惘て群臣恐れて進まず。藺相如遂に連城の玉を奪ひ得て趙の国へ帰りけり巳上全く其の如く意には玉を奪ひ取らんと思へども而も謀つて玉に瑕あり知らせ奉つらんがために参りたりと申すは内心の実に非らざるなり。故に是れ秦王を欺きたる者なり。さて玉を取り得て瑕ありとは方便なり。実には此の玉を取り返す。しからずんば、命を捨て玉を切破り、玉体を侵さんと云いしは是れ心中の実を尽して云ひける故に是れ忠誠の意なり。如来も亦しかなり。且く方便を以つて始成正覚と説き内心の実を尽さざる故、是れ秦王を欺きたるものなり、今は中心の実を尽して久遠実成と説く。故に是れ物を欺かず。真実至極の御語を誠と云ふぞと云ふことを、誠は是れ忠誠物を欺かず釈し玉へり。次に諦とは、疏に云く。諦は是れ審美なり。言は則ち真に詣る云云。文の意は是れは直に法体の真実なるを諦と云ふなり。
譬へば天上の月は真の月、水中の月は虚偽なり。天月を説く言は諦語なり。水月を説く言は不諦語なり。全く其の如く爾前迹門に於て、本無今有の当分当分の理を信得せる始成正覚の仏なりと説くは、従本垂迹月の水に現するが如しとも天月を識らず、但池月を観るとも釈して迦耶始成の仏は水月なれば、此の水月の始成正覚を説くは不諦語なり。今は則ちしからずして久遠五百塵点の往昔を説き。本地惣別超過所説の妙法を証得してある真実久成の仏なりと説き顕はし玉ふに依つて、是れは天上の月を真月なりと説くが如くなれば則ち諦語にてこれありと云ふことを諦是れ審美。真言は則ち真に詣ると釈し玉へり。正しく其の誠諦とは則ち次下の然善男子我実成仏巳来無量無辺百千万億那由多劫なりと説き玉へるは。則ち誠諦の言こそあれと云ふ事を天台大師次下に然善男子我実成仏巳来とは上の文の誠諦の誠は則ち此れなりと釈し玉へり。仍て誠諦の語とは、然善男子我実成仏の文是れなり。しかれば初にまことの誠語を信解せよとある。裏には爾前迹門はまことならざる言ぞと云ふ義自ら分明なり。亦次に我実成仏してより巳来無量無辺等と説き玉へば、裏にて爾前迹門の所説はいまだ真実ならずと云ふ事明らかなり。しかれば爾前迹門は他の意に随ひ、且く設け玉ふ所の方便。今此の寿量品は如来随自意真実至極の説でこそあれと云ふこと、自ら顕れてあり、仍つて天台大師は昔は七方便随他意の語なれば誠実を告るに非ず。今は随自意語なればこれを示めすに要を以てす。故に誠諦と云ふ巳上。此の疏の意は蔵通別の三教を随他意とし寿量品を随自意と釈し玉へりしかりと雖も、爾前迹門の円教に何れの処か久遠実成を明せる。即ち故に実は迹門爾前倶に随他意の方便但此の本門寿量品のみ随自意真実の己証の法門でこそあれと云ふことは分明なり。而も疏に爾前円と迹門とを随他意の内に且くこれを除き玉ふは子細これ有るなり。記九本五十六に云く、円人の中には亦無生忍の者有るを以て遠を聞き易し故に置いて論ぜず巳上。意は爾前迹門の円人の中には、中道無生を証したる者ある故に、此れ等は寿量品を聞くに易きが故に且く置いて論ぜざるなり。しかりと雖も実に爾前迹門は惣じて随他意方便でこそあれと云ふことを昔七方便より誠諦に至るまで七方便権と言ふとは、且く権に寄す。若し果門に対すれば、権実倶に是れ随他意なり巳上。文の意は本疏に七方便を随他意と云ふ事は、且く昔の権に寄せたるなり。若し本門に対する時は爾前の権も、迹門の実も倶に是随他意方便ぞと云ふ事を若対果門権実倶是れ随他意と釈するなり。輔記九十七に云く、本実を以つて自意となす。今は迹門を以つて随他となす巳上。しかれば爾前迹門倶に随他意なり。此の寿量品の如来真実の随自意と云ふ事は文義分明なり。
問ふ随他意とは其の相如何。答ふ涅槃経第十八卅二嬰児行品に云く彼の嬰児啼哭の時、父母即ち樹の黄葉を以つてこれに語つて言く、啼くこと莫れ、我れ汝に金を与へん。嬰児見巳つて真金の相を生じて、便ち止めて啼かざるが如し。しかるに此の黄葉実に金に非ずなり。木牛木馬木男木女嬰児見巳つて亦復男女等の想を生ず。即ち止めて啼かず。実に男女に非ず巳上。文意に云く只是れ彼れが啼哭を止めんがために其の好む所に随つて、或は金子を以つて止むべきには黄なる楊等をあたへ、或は木馬木牛を与ふるなり。只是れ嬰児の意に随つて一往の方便なり。全く其の如く爾前迹門の間は他の意に随つて其の所好に趣いて一往啼哭を止まる方便なり。故に真実得道之れ無きなり。故に経に但以方便教化衆生とも説き玉へり。妙楽大師は権実倶に是れ随他意と釈し。宗祖大聖人は第十八十九又迹門並びに前四味無量義経等は、三説の内悉く随他意易信易解なり。本門は三説の外の難信難解随自意なり巳上。然れば釈迦如来、天台、妙楽祖師大聖人は一同に迹門爾前は皆悉く随他意の易信易解方便なりとの玉へり。何んぞ末代に於て異解を生ぜんや。亦此の随自随他に付ては重々之れ有り。所謂三教随他意、円教随自意。又爾前は惣じて随他意、法華は随自意、又迹門は随他意、本門は随自意なり。其の外之れを略す。問ふ迹門は随他意、本門は随自意なる義分明なり、此の義を知つて何の詮有るや。答ふ私に之れを宣ぶ詮無し。宗祖云く十七卅五に云く、問ふ其の義を知つて何の詮有らんや。答ふ生死の長夜を照らす大燈明、元品の無明を切る大利剣、此の法門に過ぎざるか巳上。
私に云く、是の問答は重々の難信難解易信易解を知つて何の詮有るやと問ふなり。此を答ふる時爾に云ふ、何んぞ随自意随他の問答と云ふや。答ふ従義転用なりとも不可無し況んや次上卅四に云く、易信得易解随他意の故に難信難解随自意の故に巳上。故に知んぬ難易有り。所以に随自随他に由る故に引き答ふなり。亦上に引く観心本尊抄に三説の外の難信難解随自意等とこれを思へ。既に分明に爾前は随他意方便なり。法花は随自意真実なり。迹門は随他意方便本門は随自意真実なりと権実浅深本迹の勝劣を判ずる宗祖の妙判の如くんば、生死の長夜を照す大燈明、元品の無明を切る大利劔は此の法門に過ぎずとのたまへり。亦明かに知んぬ。権実の起尽に迷ひ本迹の優劣を窮めざる者は生死の長夜に迷ひ元品の無明を改めず。生死に沈淪せんこと必定なり。現に此の法門に過ぎずとあれば本迹勝劣の法門の外は生死の闇に迷ひ、無明の酒に耽ける法門なることを知るべきなり。然るに面々は大聖人の流を汲む中にも別して宗祖の御本懐に相ひ叶ふ。当流の法見ずを嘗め寔に生死の長夜を照らす大燈明元品の無明を切る大利劔此の本門寿量の南無妙法蓮華経を唱へ奉れば成仏決定せり。春の後に夏は来らずとも塩の満干は無くとも成仏疑ひ無し。御書卅四卅七、我実成仏とは、寿量品巳前を未顕真実と云ふに非ずや。是の故に記九に云く、昔七方便より誠諦に至るまでは七方便権と言ふとは且く昔の権に寄す。若し果門に対すれば権実倶に是れ随他意なり巳上。此の釈明に知んぬ。迹門尚随他意と云ふ。寿量品は皆実不虚と巳上  巳上七座畢ぬ
 元禄十二己卯六月十二日新文句砌云云
               覚真日如 これを篇す。
  大願成就 弘通広大 文啓日厳
                                     如来寿量品爾時仏告乃至那由他劫巳上。誡信前の如し大旨云云。問ふて云く、輔 記九十九大論を引いて云く、法を尊重せんための故に慇懃三に至る巳上。諸仏の常儀三度に至るを以て軌則となす。何んぞ今越して四請四誡に至るや、亦迹門には三請一誡前後合すれば、五誡七請なり。何が故に是の如く煩重なるや。答ふ疏に云く、迹門は三請一誡、此の中は四請四誡前後合して五誡七請なり。奇特の大事慇懃鄭重なり巳上。輔記に云く、今仏誡有り、請七に至る。若し奇特の事に非ずんば、豈能く慇重に頻に常儀を越えんや巳上。文意に云く頻とは三を越え五に至り七に至る故なり。奇特とは====奇字●会二三に云く、説文に奇は異なり。大に並び可に並ぶ、徐曰く大可是れ異なり巳上。本字は大可なり云云。異とは記九本五十三勝方異と名く巳上。特の字●廿九十九但なり。独なり巳上。故に知んぬ但独り勝れたる意なり。謂く一代勝異の法門但独り此の経に明かす故なり。大事とは経に云く、唯以一大事因縁故出現於世巳上。記一本卅に云く、大事因縁唯迹門に在り。理に拠るにまさにすべからく雙じて本迹を指すべし巳上。文九七十四に云く、迹門菩薩、亦悟して大事畢らず巳上。記九末五十一所以に迹門に二乗作仏を記すとも雖もいまだ周らず巳上。此等の文の意は爾前に対するに法華本迹二門を以つて一大事となるなり。而も迹門には大事の功いまだ畢らず、仏出世の本意いまだ周らざるなり。此の寿量の妙法を顕し巳んぬれば普く出世の本懐一大事因縁を宣べて周十方の群類をして、真実の仏智見を開かしむるなり云云。慇懃とは●会五二に云く、慇懃は委曲の貌なり巳上。然ればねんごろに委細にくわしくと云ふことなり。鄭重とは私志十一廿八に云く、鄭亦重なり。乃至故に再重の義なり。記三下七十二に云く、鄭重とは、漢書に云く、皇の大に鄭重なる所以んは頻に命を降すなり巳上。文意は幾度も重ね重ね勅命を降すなり。然れば慇懃鄭重とはねんごろにくわしくかさねがさね頻に勅命あつて今一切の衆、重ねて真実の断惑を究める所の一大事因縁久遠五百塵点の往昔、本因実修の行功に依つて、本地難思の境智の妙法を証得し、本果実証の悟りを開いてそれより巳来世々番々に衆生を利益し、如我等無異の悟を開かしめたる真実至極奇特大事の妙法を説くべき程に、汝等少も疑ひ無く信じ奉れと前後合すれば五度、今は四度までねんごろにくわしく重々に誡め玉ひてあれば、偏に一代超過の妙法諸経最勝の法門釈尊出世の本懐一切衆生真実の仏知見を開く処の奇特の大事の法門なる故に諸仏の常儀を越へて五度七度に至ってこそあれとの御釈の言なり。惣じて法華を以つて爾前に対するに、五誡七請なることは奇特の大事なる故なり。若し本迹相対せば、迹門には只三請一誡なり。本門は四請四誡なり。豈本門則奇特の大事なるに非ずや。能く思ひ見るべし。此の間多日重に誡信の儀を経釈の便に因つてこれを宣べたり。或は恐くは、くりこと似たり。然りと雖も仏既に四請に至り、何んぞ此の謗有らん。只是れ信心を勧めて、且又本迹の優劣を釈談せんためなり。面々これを聞く度毎に広大無辺の功徳有り。大論七十一八に云く、問ふて云く、乃至何を以つて復重説するや。答へて云く、乃至譬へば大国王いまだ嫡子有らず求めて神祗を祷る積年応ずること無し。時に王出行す夫人男子を産む、遺信して王に告げて大夫人男を産むと、王聞いて喜んで答へず。乃ち十返に至る。使者白す王に向つて白す所の者をば、王聞かざるや。云く我れ即ちこれを聞く、久来願満する故に喜び心内悦び楽んで聞いて巳らざるのみ、即ち有司に勅して此人に百万両金を賜ふ、一語するに十万両なり。王使者の言を聞き、言語の中に利益有り重説に非ず。知らざる者謂つて重となす如し巳上。文の意に云く、王の十返まで聞き玉ふは、如来の四度まで汝等当信解等汝等諦聴と疑を誡め信を勧め玉ふが如く大衆四度まで唯願説之唯願説之と請じ玉ふは、彼の使者十返まで申し上げたるが如く、此度此度利益あるべきなり。又此の間重々に申したるは王の問ひ玉ふが如く、各々聴聞して一度一度に南無妙法蓮華経と唱るは、使者十返まで答へるが如し、其の功徳に依つて臨終の時に至つて即身成仏ならんことは、彼の使者の百万両の金を受けたる如くなる程に、縦ひ同じやうなる事なりとも信力に任せ南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経と唱へて聴聞すべきなり。正答の下、終に如来秘密神通之力巳上。云く、疏に所迷の法を出す云云。如来秘密の四字は本地体の三身神通之力の四字は第二番巳後迹中用の三身なり。補記九十七に本地の三身を体となす。迹門の三身は是れ用なり巳上云云。問ふ本地体の三身とは其の相如何。答へて云く、疏に一身即三身名づけて秘となす。三身即一身名づけて密となす。又昔説かざる所を名づけて秘となし、唯仏自ら知らすを名づけて密となす巳上。記九本五十七に云く、文中二解各其の意有り。初めに三身法体相即を釈し、次に今昔相望に約して釈す。今の法体を以つて昔に望むる故なり巳上。
先づ秘密と云ふに付いて、一には隠秘覆密の義、二には真秘微密の義、此の両義之れ有るなり。第一の釈は分明に真秘微密の義に約す。第二の釈は学者多解有り云云。然りと雖も真秘微密の法門なる故に、爾前迹門に於て秘して説かず。故に本地の三身の義は、定めて真秘微密の義なり。若し爾前迹門に約するに、彼は則ち隠秘覆密と云ふべきなり。
問ふ、秘密の二義の証如何。答ふ、姿多きなり。具に予が方便品の下、秘妙教寺方便の中に諸文を−が如し。若し只其の名を出さば、竹十八十三、記三四十六、名義五四十一等略なり。御書卅七五に云く、物を秘するに二種有り。一には金銀等を蔵に籠るは微密なり、二には疵片輪等を隠すは隠密なり。然れば則ち真言を密と云ふは隠密なり、其の故は始成を説く故に長寿を隠し、二乗を隔つる故記小無し。此の二は妙法の心体、文義の綱骨なり。微密の密は法華なり巳上。文意に云く、是れは法華を以て真言教に対するなり。而も此の中に始成を説く故に長寿を隠せりとは、迹門尚疵片輪を隠すが如く、隠密と云ふ意を含せり。爾前には二乗作仏久遠実成を隠す故に、二の失あつて隠密なり。迹門には二乗作仏を明す故に、爾前二種の失脱すべしと説かれたり。然りと雖も発迹顕本せざれば、始成を説いて久成を隠す隠密の失あり。故に隠密と云ふは覆蔵して説く故に過有りと称せり。さて真秘微密と云ふは、記三下五に顕露彰灼の故に真秘と云ふ。釈して少しも物を覆蔵せず、顕露分明に不可思議微妙法門を説くを真秘微密と云へり。所詮今の釈は真秘微密に約して定むべきなり。其の外種々義門料簡あれども略するなり。正しく釈の意は本地久成の三身は、一身即三身、三身即一身にして、言語を以て宣べ難く、思慮を以て測り難し。不思議不可得法体法爾の相即にして、甚深微妙不可思議の三身にてまします故に、秘密と説き玉ふぞと云ふことを一身即三身乃至名為秘と釈せり、是れ初釈の意なり。此の三身の法体法爾は相即することは、譬へば如意宝珠と宝と光と三の功能あれども、只是れ一の珠なれども而も三の功能之れ有る如くなり。玄五、六十一に云く、三法一異なりず、如意宝珠の中を思ふに光を論じ宝を論ず。宝と珠と一ならず、珠と異ならず、不縦不横なるが如く三法亦此くの如し巳上。意に云く仍て一身即三身等と釈するなり、既に此くの如く微妙不可思議の真実至極の久遠実成の三身の法体なる故に爾前迹門に於て、之れを秘して説き玉はざるぞと云ふことを、又昔所説名為秘と釈するなり。既に秘して説かざる故に、本極法身微妙甚遠仏若不説弥勒尚闇何況下地何況凡夫と宣べて説くにあらざれば、等覚深位の弥勒尚本地久成の三身をば知り玉はねば、只仏のみ独り知ろし召し玉ふぞと云ふ事を、唯仏自知名為密と釈し玉ふ。然れば経文秘密の二字の意は、本地第一番の体の三身は、微妙不可思議の故に秘密と云ふと。既に微妙不可思議の故に、爾前迹門に於て之れを秘して説かず。唯仏のみ知ろしめたる処の真実究竟の法門ぞと云ふ事を、経に秘密と説くなり、重々の義略するなり、是れ則ち本地体の三身の相なり。
問ふて云く、記に既に亦不前釈通諸味に云ふ、何んぞ此の品に局り、爾前迹門に通ぜざるや。答へて云く、只是れ相即の義分且らく通ずるなり。是れ則ち本門顕はれ巳つて、爾前迹門の円妙を見るに、彼にも相即の義有り。此れは是れ本地体の三身の相即の義爾前迹門に通ずる義分なり。全く本地体の三身爾前迹門に説くと云ふ義には非ず。若し爾らずんば何経にか久遠の三身を明かすや。譬へば本地体の三身は天の一月の如く、迹中用の三身は、万水に浮べる影の如し。文九の一月万影等と釈する是れなり。天の一月に於て光桂輪有り、光と桂と輪の三つの功能あれども只是れ一月なり。只是れ一月なれども、而も三の功能あり。三にして一、一にして三、是くの如く相即せり。此の本地の一月の影を万水に浮べる時、水中の月にも亦光桂輪の相あつて相即せり。此の水の月の光桂輪の相即せる義分は本月の相即せる影なり。是れ本月と水月と雲泥の不同なれとも、光桂輪の相即せる義分は、相似せる故に通諸味と御答へ、なり。全く爾前迹門に本地の三身通じて説くと云ふことには非るなり。是れ台当両家一門の義なり。仍て大師の次下に又昔所不説等と釈し、於諸教中秘之不伝と宣べたり。
問ふ、第二番目巳後迹中用の三身の相如何。答ふ、経の神通之力の文是れなり。故に云く、神通之力とは三身の用なり。意に云く、神通之力とは、本地体の三身の用なり云々。故に輔記九十七に云く、疏の三身の用とは、本地三身を以て体となす、迹門の三身は是れ用なり巳上。意は先神と云ふは、外典の意は陰陽不測を神とすと云ふと見へたり。陰陽を論ずるは仏教の意に非ルナリ巳上。只是れ陰陽に約する義にして仏教の意に非るなり。故に竹六廿八に云く、持地に云く、神は謂く、測り知り難しとは易に云く、陰陽測れず、謂く神と云ふは仏の教の意に非るなり巳上。只是れ陰陽に約する義にして仏教の意に非るなり。不測の義は之れを用ふべきなり、故に持地謂難測知と云ふなり。正しく内典の意は、神と云ふは不測不動に約するなり。地持に難測知と云ひ、今の文に神是れ天然不動の理と云ふ是れなり。現に理の不動不測に約する故に神と云ふ、是れ理体法ぞと云ふことを、神は是れ天然乃至即法性身なりと釈するなり。
次に通とは、通と云ふは壅ること無き義なり。是れ何んぞ智恵に約して報身と云ふや。
答ふ輔記九十七に云く、疏に通は是れ無壅とは、中道の実恵に由り、法界の境に称ふ故に壅ること無きなり巳上。意に云く、無壅とは何物か爾るや。答ふ中道の智恵、法界の境に称ふ。故に是れ則中道の智恵無壅の義なり、現に中道の実恵なり。是の故に報身なりと云ふ事を、通是無壅不思議の恵即ち報身なりと釈するなり。
次に力とは則ち応身に当たるなり。是れ則ち力は是れ幹用自在。幹の字は●廿一八に云く、幹は事を能するなり云云。又助くるなり云云。愚案十二九に云く、是れ則ち事に能たる意か、応身の衆生利益の事によくたへたるなり。此の意に准ぜば事に能たるを力と云ふなり。誰かよく衆生利益の殊にたへたるなり。謂く応身ぞと云ふ事を、力是幹用自在即応身なりと釈し玉へり。是れ則ち第二番巳後用の三身の相なり。本地第一番、体の三身、光桂輪の一月より第二番後迹中の用の三身、光桂輪の水月を垂れて世々番々に於て、横に十方、竪に三世にわたりて、普く一切衆生を利益なされてあるか。爾前迹門の間は此の旨を深く秘しかくして、只是れ今日初めて成仏してある始成正覚と説いて、久遠実成倶体倶用の三身、三世益仏物の相をば、曾て以て説きたまはずと云ふ事を、仏於三世等有三身於諸経中秘之不伝と釈したまへり。既に仏秘して隠して説きたまはず、故に爾前迹門の間は、弥勒尚之れを知らずして、此の倶体倶用の三身に迷ふぞと云ふ事を、疏に所迷の法を出すと分文したまへり。其の能迷の人は誰ぞ。一切世間天人および阿修羅と説くなり。只天と人と修羅との三善道を挙げて、三悪道を挙げざることは、疏に云く、三悪趣は罪重ければ、根鈍少智にして、此の謂ひを作すことを知らず。又二乗を挙げず、法に於て開すれば皆菩薩となる故なり。記九本五十一に、開せらり巳りぬれば、倶に成菩薩の故なり云云。何んぞ菩薩を天人修羅に摂在すと云はざるや。御書卅四卅四に云く、本門に至り、爾前迹門に於て随他意の釈を加へ、又天人修羅に摂し、貧着五欲妄見網中と説くと釈したまへり。然れば此の天人修羅の中に迹門の菩薩は摂在せること必せり。経の初に爾時仏告諸菩薩等とは此の意なり。之れに付いて下方他方旧住等の三種の菩薩之れを畧す。此くの如く迹門の菩薩大衆人天等彼本地の体の三身及び三世益物に迷ふ故に、疏に能迷の衆を出すと分文したまへり。
何を以ての故に迹門の一切の大衆は本地久成の三身に迷ふや。謂く皆今の釈迦牟尼仏は釈氏の宮を出でて、伽耶城を去ること遠からず。道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提を得たまへりと謂へり。既に釈尊は只今日始成正覚の仏なりと思ひつめ執する故に、本地久成の体の三身に迷ふ。迷ふことは則此の謂れでこそあれと云ふ事を、疏に迷遠の謂を出すと分文したまへり。是れにて経文の相あらまし聞へたり。然れば在世衆は、誠に四十余年の星霜を経るのみにあらず。迹門十四品の間も曾て聞き奉らず。聞かざる故に寿量品の法門に迷ひ、各々直ちに之れを聴聞すれば別して悦ぶべきなり。末法今時に於て、久成始成同等の思ひをなすは、浅間敷ものに非ずや。所詮此の寿量品の法門は釈尊出世の本懐、一切衆生成仏の道の法なる故に、爾前迹門に秘して説きたまはざるなり。然るを安々と聴聞するは有難至極なる程に信心肝要なり。
御書廿八十二に、此の三身の法門は法華より外には全く候はず。故に天台大師の云く、仏於三世等有三身於諸経中秘之不伝云云。此の釈の中に於諸経中と書してあるは、華厳方等般若のみならず、法華経より外の一切経なり。秘之不伝としてあるは、法華経の寿量品より外の一切経には、教主釈尊之れを秘して説きたまはずと云ふなり巳上。
   二  日
類雑九、十一に、正法念経を引いて云く、八万法蔵に通達すと雖も、後世を知らざるを名づけて愚者と為す。一字を知らずして、後世を知ること名づけて智者となす巳上。文の意に云く、調達の如きは八万法蔵に通達すと雖も、後世を知らざる人なり生身に無間地獄に堕つ、槃特の如きは一字を知らざれども、後世を知るが故に阿羅漢果に至り、法華に来りて成仏せり。後世を知るとは何事ぞ有待の此の身は必ず局りあり、僅の世界に執着なさず我慢偏執の意をやめて正法正師に値ひ奉り、是非ともに未来に於て成仏の本懐を遂げんと思ふ者は後世を知る人なり。何程智者学匠でありとも、聖教の明文を曲げて、只現世の崇敬を重んじて、仏祖の内証にも称はず権実本迹の起尽も分たず弘通するは、誠に後世を知らざる人なり。各々は何事をも知らず、宿縁深厚のさいはてあつて、祖師大上人の正流本門寿量の妙法に値ひ奉り、知らず計らず南無妙法蓮華経と唱ふる人々なれば、一字をも知らざれども未来成仏決定なれば、是れこそ誠の智者でこそあれと云ふことを、而知後世名為知者と説きたまへり。畧昨日の大旨経文の句面云云。経に然善男子我実成仏巳来等と云云。疏九卅二に云く、然善男子我実成仏の下は、第二に執を破して迷を遣り、以て久遠の本を顕はすことを明す。上文の誠諦の誠は即是れなり。乃至成仏巳来甚大久遠と云ふは、伽耶の近謂即ち破れ、破近顕遠に畧して十意有り、玄義の如し云云。此の文正しく破近顕遠を用ひて近の情謂を破す。廃近顕遠は近教を廃す巳上。
第二とは第一の誡信に対して、正答を指して第二と云ふなり。破執遣迷とは、迹門の一切の大衆、伽耶始成の旨に執して、久遠実成の秘密の三身真実至極の妙法に迷へり。然るに我実成仏巳来無量無辺等と説いて、久遠の本を顕したまひて、近成に執する処の執情を打ち破り、遠本に迷ふ処の迷を打ち払って、真実の久遠成道を説き顕しての文でこそあれとの分科の意なり。
此の文が則誡信の中の誠諦の誠こそあれと云ふ事を、上文の誠諦の誠即是れ此れなりと釈せり、向きの如し云云。成仏巳来甚大久遠と伽耶の近謂とは、則ち次に皆謂今釈迦牟尼仏出釈氏宮去伽耶城不遠坐於道場得阿耨多羅三藐三菩提は是れなり。出釈氏宮とは先づ今日釈迦如来は住劫第九の滅人寿百才の時、四州の中には南閻浮提三国の中には、中天竺迦羅国浄飯王宮に誕生なされ、御年十九の時、竊に王宮を忍び出でたまひし事を出釈氏宮と云ふなり。
去伽耶城不遠坐於等とは、此の伽耶城より菩提道場までは僅に二十里に約れり、故に不遠と云ふなり。名義三十三。伽耶此に山城と云ふ、菩提道場を去ること廿里に約れり巳上。
菩提道場とは、記に摩竭国西南に在り、尼連河を去ること遠からず巳上。記四末六十六云云。此の菩提道場と申すは、東西は長く、南北は狭く、周り五万余歩、正中   に金剛座有り即迹中化仏の道場なり巳上是亦記意往見。阿耨○提とは無上正覚と云ふ事なり。然れば浄飯王宮を出て、僅廿里程打ち過ぎて摩竭提国菩提道場にして無上正覚を成し、其の後華厳阿含方等般若無量義経法花経の迹門等を説き多摩ひ、大衆の打ち思ふが如く、仏も亦十九出家卅成道の始成正覚の仏なりと、一経ならず初華厳より法花経の正宗方便品の迹門まで説き玉へるなり。
問ふ其の証如何。答ふ新華厳第一巻世主妙厳品に云く、如是我聞一時仏摩竭提国阿蘭若法菩提道場中に在りて、始めて正覚を成ず巳上。第十巻如来名号品に云く、爾の時世尊摩竭提国阿人若法菩提道場中に在りて、始めて正覚を成ず巳上。第四十巻十定品に云く、法菩提道場中に在りて、始めて正覚を成ず巳上。然れば第一巻十の巻四十巻の三処まで、始成正覚と説き玉へり。記九本十二に云く、経文に自ら始成正覚と云ふ乃至三処に明文あり。即ち世主品の初、名号品の初、十定品の初に皆菩提道場始成正覚と云ふ巳上。
竹七本国土妙下云云。次に阿含経にも勿論始成正覚と説けり阿含第十七巻に云く、諸の比丘に告ぐ、我れ初成仏の時を以て思惟する所の諸禅少許禅分今に於て半ば思ふ巳上。
又大集経第一巻序品云く、爾の時に如来正覚道を成ず始十六年巳上。又浄名経上巻仏国品に云く、始め仏樹に坐し、力魔を降し甘露滅を得、覚道を成ず。
又大日経第二巻具縁品に云く、我れ昔道場に坐し四魔を降伏す巳上。
又仁王般若下巻に二十九年、又無量義経説法品に、我れ先に道場菩提樹下に端坐六年巳上。法花経迹門方便品に我れ始めて道場に坐し、樹を観じて亦経行す巳上。此くの如く初め華厳より終り法華の迹門まで皆悉く始成正覚と説きたまふに依つて、仏は僅かに四十余年巳来の始成正覚の新仏ぞと云ふ執情の氷にとぢられて居る処に今成仏巳来甚大久遠と説き玉ふにて、又如日天子たる本門寿量の妙法を顕したまひて、彼の近成執情の氷を打ち破りたまふぞと云ふ事を、成仏巳来甚大久遠伽耶近謂即破と釈し玉へり。此くの如く近謂の執情を打ち破り、久遠実成本地所証の妙法を顕し玉ひてあるに依つて、一切の大衆皆悉く始成正覚の執種々の疑を有るを打ち捨てて、偏に久遠実成本地難思の境智の妙法を信ずるに依つて、真実の断惑を究め皆悉く本門初住の位に叶ひ、或は増道損生の益を得、女人悪人闡提等も本仏の蓮華を証得し、十界悉く成仏得道の本意を遂げ巳んぬれば、釈尊出世の本懐今此の品に満足してあれと云ふことを、次上に奇特の大事と釈し玉ひてある。其の外昨日の如し云云。
問うて云く、本迹二門倶に如来の出世の本懐なるべし。記一に云へり、大事の因縁は迹門に在りと雖も、理に拠るに応に須く双て本迹を指すべし。何んぞ此の品を以て、別して出世の本意と云ふや。答へて云く、苦し権実相対は所難の如し。爾前に対す時は、惣じて法花一部を以て出世の本意と為るなり・若し本迹相対の日は、迹門と本門と相対して論ずる時は本門を以て即如来の本意とするなり。問ふ其の証如何。答へて云く、之れに就て法身の本意、垂迹の本意と云ふこと之れ有り。初め法身の本意とは、文三八十五に云く法身本意とは、元自行権実を以て之れに擬るに、機無ければ逃走す巳上是れは当品の下に非ずと雖も義通を以ての故に借用す。
文の意は釈迦如来娑婆同居に出世し玉はざりし巳前・実報寂光の本土に住し玉ふ砌より御意に思召すは、我は修一円因の妙法蓮華経の修行に依て、感一円果の本有無作の三身円満の覚体を成就し、同体の権実妙法蓮華経の法体を覚り顕はせり。何んぞ此の本地所証の妙法蓮華経、我が内証の寿量品を以て、普く一切衆生に説き聞かしめ、如我等無異の悟りを聞かしめんと思召すと云へども、如来仏眼仏智を以て明かに智見し玉ふに曾て聞かす可き機縁之れ無し。依つて受け奉らぬぞと云ふことを法身本意之れに擬す。機無ければ逃走と釈せり。此の釈の中に法身とは、法身に就いて重々之れ有れども之れを略す。今は只理法身と自受用身と此の理智二法身を、惣じて法身と云ふぞと定むべきなり。
止私六末卅四に云く、法身と云ふは謂く是れ法身及び自受用即是れ理智二法身と巳上。仍玄七に本極法身微妙深遠仏若不説弥勒尚闇と釈する是れなり。
次に本意とは此の理法身と自受用と、境智冥合の処に同体無縁の大悲ありて、九界の一切衆生に此の寿量真実の妙法蓮華経を説き聞かしめ速成仏身せしめんと思召す   大慈大悲之れ有り、此に於て本門寿量の事のみ思し召すを本意となり。次に自行の   権実とは、文三八十に云く、如来本地久しく巳に証得す、一切の権実名づけて自行   となす巳上。記三下五十三に、今唯久成を指し之れを名づけて自となす巳上。此れ等の文の意は、久遠五百塵点劫巳前に於て本地実修の行功に依る。云ふ所の名とは、妙名不可思議なり。云ふ所の法とは、十界十如権実の本門寿量の妙法蓮華経を自   行の権実ぞと云ふぞとの釈の意なり。故に玄一五に云く、妙とは自行の権実の法妙なり、故に蓮華を挙げて之れを況す巳上。此れ自行の権実本門寿量の妙法を以て、衆生に説き聞かしめんと思し召すを以て、自行権実之れを擬すと釈するなり。仏の本意此くの如しと云へども中間垂迹巳来今日爾前迹門の間、機縁未熟の故に仏の本意を説き顕し玉はずと云ふことを機無ければ逃走すと釈するなり。此の故に漸く根機を調へ、爾前四味の三教の調熟に依つて迹門十四品開三顕一正宗流通事巳つて、当品に於て今然善男子我実成仏巳来無量無辺百千万億那由他劫と説いて、久遠実成自行権実の南無妙法蓮華経を説き顕し、皆悉く成仏せしめ、釈尊始めて御本意を遂げ玉ひてあるに依つて、是の御本意満足せることは別して此の品に局ると云ふことなり。
第二垂迹の本意とは、籤一本十二に云く、即ち垂迹の意は本、本を顕すに擬するなり巳上。文の意に云く、今日垂迹示現して界内同居に出世し、三十成道始成正覚の旨を示し玉ひてある本意は何事ぞ。則ち久遠五百塵点の成仏、真実の妙法蓮華経を顕さんが為でこそあれと云ふ事を、垂迹の意本擬顕本と釈し玉へり。然れば伽耶始成の迹を垂れ、若し久遠実成を顕はし玉はずんば、是れ垂迹の本意を失ふなり。然るに今然善男子我実成仏巳来甚大久遠と説いて、本意を遂げ給ふてあるに依つて、釈尊出世の本懐別して此の品に局ると云ふなり。然れば法身の本意に約し、垂迹の本意に約するに、倶に是れ当品を以て本意とすること文義灼然なり。さてこそ本意を遂ぐると云ふは何事ぞ、是れ本門寿量の妙法を顕して、一切衆生に唱へしめ即身成仏せしめる故なる程に、信力に任せ本門寿量の妙法蓮華経を唱へ奉らば、釈尊の本意に相叶ひ、速成仏身決定なり。現に此くの如き法身の本意も、只此の久遠実成の妙法にある故に、今日出世し玉ふと其の儘説き玉はんと思し召せども、衆生の根機未熟の故に、先づ爾前四十余年の間方便を設け、さて迹門に至りて漸く機根も次第次第に近寄るに依つて、序品に於て文殊に託して執を動じて疑を生ずるやうにこしらへ、方便品には従久遠劫来讃示涅槃法等と説くを動執生疑し、又五百品には弟子の近本を顕し、宝塔品は無量無辺の分身を集めて執を動じて疑を生ぜしめ、さて此の品に於て正しく本意を顕し玉ふなり。其の相談ずべきこと明日にあり。
問ふ、直ちに今顕本に誰か信ぜざらん。何んぞ段々動執生疑せしめ、今漸く顕本するや。答ふ、執情を改め難き故か、是の故に漸々にこしらへて、今近情けの執を破するにやすき故にか。是れ併ら真実至極の法門なる故に、興起由来も参考四五、琅耶代酔巻の二十八を引いて云く、悟子曰く宋の愚人燕石を梧台の側に得て之れを蔵む以て大宝とす、周容聞いて之れを観る。主人斉する七日端冕元服して宝を発く、革囲十重巾十襲客見て俛んで口を掩ひ、廬胡して笑みて曰く、此の時に燕なり、瓦甓と殊ならず。主人大いに怒つて云く、商買の言、医匠の心と之れを蔵むる、愈固く之れを守る弥堅し巳上。
燕石とは連集狼財十九に云く、零陵山と云ふ処に石あり。雨ふれば其の石燕に成りて飛び、晴るれば又石に成ると云云。但し彼にし石燕と云へり、此時は燕を面に云ふか、今燕石とは名を面に云ふか、執情を改め難き事此くの如し。
又徒然上巻八十九条に、或者小野道風の書ける和漢朗詠集とてもちたりけるを、或る人御相伝うける(浮虚のことは)事には侍らしなれども、四条大納言えらばれたるものを、道風書かん事、時代やたがひ侍らんおぼつかなくこそといひければ、左候へばこそ世に有り難き物には侍りけれとて弥々秘蔵しけり巳上。時代やたがひ侍らんとは、四条の大納言公任一条院御宇康安三年に生れ玉ひ万寿三年に入道す。時に六一才、道風は村上天皇康保三年十一月に卒す七十一才然れば公任の誕生は道風死去の年なり。後人の朗詠を前の道風書かん事、豈時代相違に非ずやと云ふ、或人の不審なり巳上。是れにて執情捨てがたきことを知るべきなり。若し如来一概に始成正覚は虚妄なり。久遠実成は真実なりと説き玉はば、彼の愚人が燕石を宝とし、朗詠を重宝するが如く、尚始成に執して久遠実成を信ずべからず。故に迹門の時序品方便・五百・宝塔品等にこそこそと執を動じて疑を生ずるやうに説き玉ひて、今正しく其の時機至るが故に、久遠本地を顕して近情の執情を破し玉ふぞと云ふ事を、成仏巳来甚大伽耶近謂即破と釈せる程に、面々方々石燕は宝に非ず、朗詠は道風の筆に非る程に大宝真筆の執情を打ち捨て、専ら信心強盛に本門寿量の南無妙法蓮華経肝要なり。
御書三七に云く、其の後仏寿量品を説て云く、一切世間天人及阿修羅皆謂今釈迦牟尼仏出釈氏宮去伽耶城不遠坐於道場得耨多羅三藐三菩提等云云。此の経文は始め寂滅道場より終り法華経の迹門安楽行品に至るまでの一切の大菩薩等の所知をあけたるなり。然善男子我実成仏巳来無量無辺百千万億那由他劫等云云。此の文は華厳経の三処の始成正覚、阿含経の初成道、浄名経の始坐仏樹、大集経の始十六年、大日経の我昔座道場、仁王経の廿九年、無量義経の我先道場、法花経の方便品の我始坐   道場等を一言に大虚妄と破する巳上。
  三  日
仏果を成ずることは因行による、因行を励むることは信心による、信心を進むことは法を聞くによるなり。聞かずんば信心生ぜず、信心生ぜずば修行を怠る。修行を怠れば未来何なる処に生るべしや。仍て歩を運んで聴聞肝要なり。聞く裏に信心を生ず、其の間が仏なり。一念信心を生ずれば一念の仏、二念信心生ずれば二念の即仏乃至一時信心を生ずれば一時の仏なり、一日信を生ずれば一日の仏なり云云。信心生ずること必ず聞く由るなり、縦ひ信心を生ぜざる族ありとも、聞きさへすれば功徳無量なり。法花伝九七に云く、広州の法誉、其の性麁悪なり。命終して閻魔王王庁に至る、王録官に勅して此の人の所造の罪福の札を検す。録官馬牛頭の大力羅刹に勅して其の札を将来す。爾の時に六人大鉄扉の蔵に入り、鉄の札を取り出し三車に積み満ちて、六人の力士力を竭して引いて庁前に来る。是れを検するに只悪を記して善を記せず。諸の録吏王に白して言く、全く善を記する無し、王瞋る汝最悪なり、宝山に入り手を虚して還る。録吏に告げて曰く、三車の札尽るやいなや、吏言く二車現に尽きて、一車将に尽きんとす。王言く更に細く求校せよ。即ち王の勅の如く更に細く検校するに、中に一つ小札の端に一善録附す。所謂る法誉寺に詣で暫時法花経の講説を丁聞す、札の如く王に白す。王言く善き哉法誉大功徳有り、五十随喜の功徳尚二乗の極聖に勝る、況んや八つ初会の丁聞をや、豈滅罪無けん。既に法華経を聞くに依ての故に積み即徐滅す、此の人天堂に生ずべし、乃人間に放還す。更に吏に勅す、悪業無量なりとも雖も一善に如かず、何ぞ其の一善を賞せざらん。汝等将に悪の録札を焼くべし。即ち王勅の如く悪を記する札を焼く、法誉目に見て坐に希奇の念を生じ、放恩を蒙り活せり巳上。現に是れ信心無しと雖も僅かに一度丁聞せる功徳に依て、無量の罪障を消滅して鉄札焼失せり。何に況んや二度三度をや、何に況んや信心に丁重せん者豈成仏の疑あらん程に日日参詣専らなり云云。
時に此の然善男子等の文を天台大師は伽耶近謂即破と釈して、近を破して遠を顕す破近顕遠と大旨を定む、即ち十重顕本之れ有るなり。此の事を破近顕遠は略して十意有り、玄義の如し云云。此の文正しく破近顕遠を用ひて近謂の情を破す、廃近顕遠近教を廃する也云云。文意に云く、畧して十意有り、玄義の如しとは第九巻六二十に云く、一に破近顕遠、二に廃迹顕本、、三に開迹顕本、四に会迹顕本、五に住本顕本、六に住迹顕本、七に住非迹非本顕本、八に覆迹顕本、九に住迹用本、十に住本用迹巳上。若し広すれば無量の法門あれども畧する時には此の意ありと云ふことを破近顕遠畧有十意と云ふなり。
さて此の十重顕本の中に、今の文には正しく破近顕遠、廃近顕遠を用ふると釈し玉ふ故に、先づ此の二ケ条を談ずべし。先づ初に破近顕遠とは、玄九六十二に云く、破迹顕本亦就情を破す、序品方便宝塔の三文巳に執を動じて疑を生ず巳上。先づ今の文には破近顕遠と云ふや。玄義の文には破迹顕本と云へるは、前に之れを宣ぶるが如し。只是れ名異義同なり。さて序品方便宝塔の三文、動執生疑あれども是れは末師の意亦台家の僉議に依るに、是れ序正流通の三段に准じて且らく序品方便宝塔の三文を挙げり。然れども実には五百品に於ても弟子の近本を顕す。是れ亦執を動じて疑を生じ巳る。是れも本門の梯漸となるなり。又涌出品は本より寿量品の序分動執生疑分明なれば、其の相を釈するにも及ばず。然れば迹門の中に、序品、方便、宝塔品、動執生疑、の四段あり。又涌出品の動執生疑、巳上の五段の動執生疑之れあり。其の動執生疑とは、始覚近成の執情を動じて疑を生ずるなり。此の五段を打ち破り、動執生疑久遠本地の信心の智を生ぜしむるの大旨なる仍て玄義に破近顕本亦破就情と云へり。
問ふ若し爾らば序品動執生疑に相如何。答ふ玄九に云く、文殊弥勒に答へて云ふが如し。菩薩八王子、妙光を師とし事ふ、妙光は先に補処に居る。而も王子は成仏して号して燃灯と曰ふ、弟子今亦成仏して釈迦と曰ふ妙光翻つて弟子と為り、字を文殊と曰ふ。迹の執を動じて此の疑を生ず、何に由つてか決すべき。今謂く是れ補処淹湲なるにも非ず、亦超越せるにも非ず。良に釈迦の成道巳に久しきに由る。昔に弟子と示し今は師と作るを示すのみ。此の迹の疑を払つて、本の智を顕はす故に破迹顕本と云ふ巳上。
此の文を解せんと欲する、先づ須く序品の大旨を了すべし。先づ般若経巳つて、発起影響・当機結縁の四衆、仏を囲遶し、如来をほめうやまふ時に、先づ此の経は一代超過の法門なる故に、余経と起尽を説き分け玉はんとをぼして、無量義経に今まで説き玉ふ処の諸経は皆悉く方便、今説き玉ふ所は是れ真実なる旨を説き分け玉ひしなり。其の次に無量義処三昧と云へる禅定に入つてをはしませし時、天より曼陀羅華等の四種の華が赤白色をまじへ、大小輪をそろへてふりしに、おりしも大地が六種に震動して東西かたちをうごかし南北声をひびかせば、一会の大衆これを見て感にたへ大いによろこびをなして一心に仏を見奉つていたる処に、仏の眉間白毫相より百千の日月よりも明けき光明を放つて、東方の一万八千世界を悉く照し玉へば、其の光に依つて彼諸の世界を下阿鼻地獄より上有頂天に至るまで、芥子計りも残らず悉く見たり、其の時一会の大衆弥勒をはしめて何なる因縁旨趣あつて是の如き神変奇特の瑞相をば現し玉ふぞとあつて文殊へ此の事を問ひ玉ふに此の娑婆世界の内の奇異奇特も、ならびにかの東方の諸国の中の諸仏の説法し玉ふ体、六道衆生の生死のありさま、又三乗得道菩薩の修行六度十はら蜜の体たらく、一々にかざりたて、かざりたて、此れを見せしめ玉ふ事、をぼろげの事にはあらじ。如何なる因縁ぞと悉く是れを問ひ玉へり。そのとき文殊我が思へる如くんば、是は妙法蓮華経を説き玉ふべき瑞相なり。其の所以は乃往過去に日月燈明仏と云ふ仏二万仏出世し玉へり。其の最後の日月燈明仏のいまだ出家せず、時に八人の王子あり、後仏成道の後皆出家修行し玉ひしなり。彼の燈明仏の上足の弟子に妙光菩薩と云へるあり、さて彼の仏今日に釈迦如来の如く、四味の説法畢て、さて無量義経を説き玉ひて無量義処三昧に入り此土他土の六瑞あつて、其の後定より立つて後、妙光を対告として法華経を説き玉ひて出世の本懐を遂げ、入滅し玉ひてあり。彼の時の妙光菩薩仏の滅後に於て、法華経を弘通し玉へれ。八人の王子達も皆妙光菩薩を師匠として、此の法花を修行し玉ひ、終には皆悉く成仏して其の第八番目の王子は燃灯仏と成り玉へり。彼の時の妙光菩薩は即ち我が身なり。此の昔の体を思合するに、釈迦如来も定より立ち玉ひたらば、定て妙法蓮華経を説き玉ふべし程に一心に待ち奉れと答へ玉ふが、序品の別序の五義の大旨なり。
さて第八番目の王子は燃灯仏と成り玉ひしが今日の釈尊は其の燃灯仏の弟子なり。其の証如何。文真記九末、智印経瑞応経放光経等を釈迦菩薩の昔、儒童となつて燃灯仏に値ひ、五華を奉散し受記を蒙り、今日釈迦如来と成り玉へりと説けり取意。又玄七十三是また其の意なり、其の外云云一覧一三過現因果経を引いて曰く、至普光仏燃灯の異名世に出づ、其時に善恵仙人儒童の異名なり五百の外道と義を論じ、其の異見を破す時に、五百弟子となり各銀銭壱枚を以て善恵に充て奉る。仏の出世を待つ、花を供養せんと欲するに、大王国内の各華を仏に供養せんと欲す。普く告げて花を買ふことを得ざらしむ。善恵大いに懊悩す。しかる処、王家の女七茎の蓮花を持ちて通る、善恵これを見て至誠に花を感ず。此の女答ふ。当に内官に送り以て仏に上らんと欲す、叶ふべからず。善恵百の銀銭を以てこれを乞ふ。与へず、乃至五百の銀銭を以て五茎の花に雇。官女答て云く、華を欲する何んの用ぞ。善恵答ふ、仏に奉らんと欲す女また問ふ、仏に奉るは何のためぞ。善恵答ふ、一切種智を成就して衆生を度せんと欲す。官女念言すらく此の男子志誠にして銭宝を供へず。即ちこれに語て云く、今此の花を以てまさに相与ふべし。願くば生々に常に君が妻とならん。善恵云く、我は無上道を求む、生死の縁を求めず。官女の云く、我が願に従はざれば花を与ふべからず。善恵汝決定して華を与へずんば、まさに汝が願に従ふべし。時に五茎の花を与ふ、官女は即ち二花を止めり。此の官女は即瞿夷なり。時に燃灯仏来り玉ふに、王臣並に城を出て種々に供養す、善恵もまた五華を散して仏を供養す。此の花皆空中に住し、化して華合と成り。二茎を散するにまた空に止る。その時王臣此の奇特を見て未曾有なりと歎ず。時に燃灯仏讃じて云く、善き哉汝此の行を以て、阿僧祇劫を過ぎて、まさに成仏を得べし。号して釈迦牟尼と云は   ん。既に授記巳つて仏経行する処の地濁湿ふ。善恵即ち鹿皮の衣を脱て以て地に布き髪を解てこれを覆ふ。仏践りて度り玉ふ後これに記して云く、汝後仏を得五濁世に於て諸の天人を度する、必ず我如くなるべし巳上。また今品に我説燃灯仏等と是れなり。是は迹中の説を挙ぐるなり、既に今日釈尊は彼の第八の王子の燃灯仏つの弟子なり。普く諸経の中に説き玉へり。在世の衆常にこれを聞きこれを知る。
さて正く上の文殊の答に付いて大なる疑ひこれ有り。文三五十云く。妙光は是れ釈迦九世の候なり。孫今成仏し祖は弟子となる巳上。若し此の意に准せば、釈尊の師匠は燃灯なり。此の燃灯より前に七仏あり。謂く、第七第六乃至第一弟子となり。此の第一の王子の仏も尚妙光の弟子なり。然れば八王子の仏に妙光を加へ、則ち釈尊より文殊は九代前の祖師なり。然るに九代前の師匠等覚深位の妙光は今の文殊に翻て九代後の孫の釈尊の弟子となれり。又九代前の孫弟子は釈迦如来と成つて九代前の師匠を却つて弟子とせり、是れ大なる疑なり。謂く、仏は始成の仏と我も知り仏もしか説き玉ふが、昔の師は弟子なり後の弟子は師となるに不思議千万なりと、動執生疑これ有り。此の事を文殊の答に、弥勒乃至何に由てか決すべきと云へり。迹門十四品の間は此の疑曾て以て晴れざるなり。時に此品に至り、然善男子我実成仏巳来と説き玉ひてあれば、さては知りぬ。仏は久遠の仏なれば不滅の師匠なり。燃灯仏の時儒童となり弟子となり玉ふは、果後の方便仮りに弟子ぞと示し玉へる者なりと知る。上来の疑皆悉く晴れたり。仍て天台大師は今言是補処の淹湲なるにも非ず、亦弟子の超越せるに非ず、良釈迦の成道巳に久に由る。昔は弟子を示し。今は示して師となるのみ此の迹の疑を払て本の智を顕す。故に破迹顕本と云ふと釈し玉へり。弟子が師匠に超えたるにもあらず、師匠の成仏して弟子よりもをくれたるにもなし、然れば彼の序品の時に一会の衆疑を作しも偏に此の品を説いて一切衆生成仏せしめんと思し召すためなり。仍て此の品の説相は序品の時より動執生疑の疑を破し玉ふ故に迹を破りて本を顕す。破迹顕本ぞと云ふことを此迹の疑を払つて本の智を顕す。故に破迹顕本と云ふと云へり。仍て文句三五十三の八王子の事を指して密開寿量云云。
第二方便品の動執生疑を破すとは、我従久遠来等の文に仍て疑生ずるなり。経に云く、従久遠劫来讃示涅槃法生苦永尽我常如是説巳上。此文に付て他師は玄指寿量義と云へり。天台大師は顕密両義あり、初顕露の意は釈義の文段を取れり、文四九十八釈疑両義あり。一には師を疑ひ、二には弟子を疑ふ巳上。此の意を談ぜんと欲する。先づ次の上の文を了すべし。先に次上に我始道場観樹亦経行とあつて我道場菩提樹下にして初めて成仏して三七日の間思惟し玉ふ、我が所得の智恵は微妙第一なり。衆生の根性は鈍にして而して五濁障重ければ聞べきやうなし、強てこれを説けば信ぜぬ上に誹謗をなして三悪道に堕すべし。仍て説法することを止めて涅槃に入らんかと思召しけれども大慈大悲がやまぬに依つて、ついに復思召すには過去の仏の説法を思ふに皆方便を用ひさせられたる程に我れ亦方便を設けんかと思召す時十方の仏皆現じ玉ひて釈迦如来へ仰らるるには我等も微妙第一の法華経を悟りてあれども是を衆生が信ぜふ故に只方便を以て三乗と説けり。三乗と説けども実には法ケ経のためにてある程に釈尊も先づ爾前方便の三乗の法を説かせられよとすすめ玉へり。時に喜称南無仏とあつて喜び玉ひ、さやうに仕るべしと返答し玉ひてさてそれよりハハナイ国に趣き、五比丘の為小乗三蔵の法を説き玉ふに則阿羅漢の悟を開かれたり。此の時仏法僧の名が初めて世間に現じてあるぞと説き玉へり。之れに付いて二の疑あり。文四九十八に云く、師疑つて云く。仏始め未だ機を鑒ること能はず、尋ねて諸仏に念じ始めて根機を知る。此の疑を釈し玉ふ時、吾れ方便を用ることを知らざるにはあらず。引同せんと欲して諸仏を念ぜり。実には久遠劫従り来た其の小を楽むことを見て、巳に為に小乗の空涅槃を讃示して三界の苦を永尽すと、常に説き聞かしてありと云ふ事を従久遠劫来○我常如是説と云云。
次に弟子を疑ふは、上の文に是れを転法輪と名づく、便ち涅槃音及以び阿羅法僧差別の名と有りとあるに付けて弟子を疑ふなり。疏に云く弟子を疑ふ云云何んぞ衆生一世に聞いて即ち羅漢を証する巳上。此の疑を釈する時、今日の衆生に始めて一世に小乗を説き聞かしむるをはなし。過去久遠より巳来た此の衆生の為に、小乗空涅槃をほめて有るに依て、今日はやく空涅槃悟を得てこそあれと云ふ事を、従久遠劫来乃至我常如是説云云。如来巧智を以て一文を以て二の疑を説き玉へり。是れが方便品当分の意、顕露の一辺には久遠と云ふは大通巳後の事なり。記四末七十二云云。さて涅槃の事なり。生死の苦永尽と云ふも界内の三界の苦の事なり。
次に秘密の意は玄九六十三に云く、方便品に云く我久遠従り来た涅槃道を讃示す。生死の苦永く尽きぬ、我常に是くの如く説くと、当に知るべし生死久しく巳に永く尽く、是の中間に始めて涅槃に入るに非ず巳上。文の意は秘密仏意に約する。久遠劫来と云ふは即五百塵点の事なり。讃示涅槃道とは大乗の三徳具足の大涅槃の事なり。生死苦永尽と云ふは界内界外の一切の苦なり。永く尽くと云ふは釈迦如来の永く尽くし玉ふ事なり。然れば教主釈尊は五百塵点劫巳前に一切の生死の苦永く尽くし、妙覚の成道を唱へ、夫れより巳来所証得の涅槃をほめ、生死の苦患をば永く尽くしてあると、常に説いてこそあれと云ふ文の意なりと云ふことを。当に知るべし、生死久しく巳に永く尽く是の中間に始めて涅槃に入るに非ずと釈せり。然れば則ち此の一行の経文は久遠成道の顕文なり。然りと雖も一会の大衆現に見られたるは、十九出家三十成道の始成正覚の如来なる故に、此の近成に執して従久遠劫来と説き玉へども実に久遠の仏とは知らねども、或は利根の者仏は只四十余年の新仏なるか、久遠劫来と説き玉ふは疑はしいと云ふ処の動執生疑が無ふては叶はざる時斯疑が生ずれども、迹門の間には曾て 此の疑が晴れぬ。今此の品に来りて然善男子我実成仏巳来甚大久遠と御説きなされたる時、彼の方便品の時、従久遠劫来と説き玉ふも、実には五百塵点の久遠の事ぞと知りぬれば、彼の疑が悉くはれたり。仍て此の疑を破し久遠の本を顕すぞと云ふ事を、今文に破近顕遠と釈し玉へり。此くの如く重々疑の生ずるやうに説き玉ふは、偏に今寿量品を顕し玉はん為なり。此の寿量品は仏の本意なる故に卒爾に非ず、重々にこしらへ玉へるなり。然るを末法今時は直に聴聞すること尤も有り難きことなり。
御書二廿三法華経の正宗略開三、広開三の御時、唯仏予仏乃能究尽諸法実相等、世尊法久後要当説真実正直捨方便等、多宝仏迹門正宗八品を指して皆是れ真実と証明せられしに、何事をかかくすべきなれども久遠寿量を秘させ玉ひて我始坐道場・観樹亦経行等と云云。最第一の大不思議なり。教主釈尊此れ等の疑を晴さん為に寿量品を説かんとして、爾前迹門のききを挙げて、一切世間天人及阿修羅皆謂今釈迦牟尼仏不遠坐於道場得阿○提等云云。正しく此の疑を答へて云く、然善男子○外劫等云云。

  四  日
仏道を行ずるは・必ず信心の上に修行の功が無くてし叶はざるなり。譬へば古今の序に遠き処も、いで立つ足もとよりはじまりて年月をわたり、高き山のふもとの、ちりひちよりなりて、あま雲たなびくまでおひのぼれる如くに巳上、又真名序に譬へば、猶雲払ふの樹も寸苗の煙より生れ、天を浸波も一滴の露より起るがごとし巳上。白氏文集廿二に、千里足下より始めて、高山も微塵より起る巳上。又古今の合抱の木毫末より生なり、千里の行も足下より始む。此れ等の意は一抱二抱の大木、雲を払ふ程の大樹も、其の根本を尋ねて見れば僅かに毛の先程のふたばより生ずるなり。此のふたばが段々功を積んで後に大木となるなり。亦百里二百里の道も、只是れ一足一足の功を積むより至るなり。又高山のふもとの塵つもりて雲かかる山となり、天をひたす大海も、一滴二滴の露の小河などの水が落ち入りて大海となるなり。僅に一滴の露つもるとも大海になるべしとも覚えず、少しの塵積もりても山となるべしとも見へず、ふたばは大木とはなるまじきやうなり。一足二足と歩む中には中々千里の道は遠きやうなれども、目前の道理古人の語なれば疑ふべきに非ず。仏道を修する亦復是くの如し。是の僅かに一句二句の法門を聞いて、一辺二辺南無妙法蓮華経と唱ふる計りでは、万徳を円満せる仏身三十二相の仏とはなるべきやうにはあらねども、彼の塵つもり山となり、露積もつて海となり、ふたばが大木となり、一足二足を積んで千里を行くが如く、日日に参詣して南無妙法蓮華経と唱へ奉れば、一足の裏に寂光の都は近づくなり。一辺二辺に大山大海の如くなる仏身を、我が己心にこしらへしむる程随分参詣唱題肝要なり。第三に五百品動執生疑の相如何。答へて云く、経に云く、内に菩薩の行を秘し、外に是れ声聞と現ず。少欲にして生死を厭ひ、実に自ら仏土を浄して、衆に三毒有りと示す。又邪見の相を現ず。我弟子是くの如く方便して衆生を度す巳上。意は身子目連迦葉フルナ等の声聞は、外には声聞の形なれども、其の内証は皆過去に於て法華経を聞いて、悟を開かれてある処の大菩薩なりしが、彼の小乗を楽ふ衆生を誘引して、終に此の法華経に引き入れん為に内証の菩薩の行をかくして、仮に声聞の相を現ぜられた者で有り、真実は未来果満の成道の時、又所居の国土を浄むる処の浄仏国土の行であるぞと云ふことを、内秘菩薩行外現是声聞少欲厭生死実自浄仏土と説き玉へり。さて亦只声聞の相を示す計に非ず、或は、貧嗔癡凡夫○邪見熾盛の外道と成りても、衆生を誘引せられるにてこそあれと云ふ事を、示衆有三毒又現邪見相我弟子如是方便度衆生と説き玉へり。此の事を文一九十五に、但声聞と為ることを示すに非ず。外道及び三毒の凡夫と作ることを示す。身子は嗔を示し、難陀は貧を示し、調達し痴を示す巳上。身子瞋を示すとは、弘二末三十七に云く、生瞋とは時に羅伝仏に従つて経行す。仏羅云に問ひ玉ふ。何の為に●痩するや。羅云偈を以て仏に答ふ。若し人油を食すれば力を得、若し蘓を食すれば好色を得、麻沢菜を食すれば色力無し。大徳世尊自ら当に知るべし。仏羅云に問ふ、是の衆の中に誰をか上座と為す、羅云答ふ、和上舎利弗なり。仏の言く舎利弗は不浄の食を食す、時に舎利弗是の語を転聞し、即時に食を吐き出し是の誓言を作す、我れ今日より後復請を受けず。時に波斯慝王須達等身子の所に詣り、仏此の事を以て請を受けず、今請を受け玉はざれば我れ等云何んぞ清浄の信を得ん。身子仏の所呵を述ぶ、王に語る仏に白す。仏勅して還つて請を受けしむ、猶故に受けず巳上。文意云云子是れ瞋を示す相なり。
難陀貧を示すとは、弘四末廿八に云く、入胎蔵経に云く、世尊迦毘羅城に存り、仏難陀受戒の時至るを知り、門に至り光を放ち宅を照らす。難陀云く必ず是れ世尊ならん、使を遣し看せしむ果して是れ世尊なり。難陀自ら看んと欲す、婦云く若し許し出さば看て必ず出家せしめん、即ち其の衣を牽く。難陀云く少時に還らん。婦云く額を湿し未だ乾かず須くる還るべし。答ふ所要の如し。仏鉢を取り飯を盛らしむ、飯を盛り出るには仏巳に去り玉へり。過して阿難に与ふ。阿難の云く誰の辺に鉢を得。還り送りて仏に与ふれば、難陀即ち往いて鉢を送り仏に与ふ、仏頭を剃らしむ。剃者に語る、刀を持て閻浮提の王の頂に臨む勿れ。又念ずらく且らく世尊に順はん、暮れて当に帰去すべし。仏其の念を知り大坑を化作す、如し命終すとも何んぞ帰るを得んや。仏阿難に告ぐ、難陀をして知事を作さしむ。阿難仏語を伝ふ。難陀の言く、知事とは如何、阿難言く寺中に於て検校す。問ふ何ん所作、答ふ諸比丘乞食して去る、応に地を掃ひ水を●ぎ、新なる牛の糞を取り、土を浄め失落を防守し、僧と門戸を閉ぢ等、暁に至り当に門を開くべし、大小便処を掃濂し、僧去つて後僧の為に門を閉ぢんと欲するに、西を閉ぢ東を開き、東を閉ぢ西を開く等、念じて曰く、縦ひ失落有りとも我れ王為らん時、更に百千の好寺を造り今日に倍せん。即便ち家に還る。大道従り行かば恐くは仏還らん、及小道より仍仏の還りに逢ふ、樹の枝に隠る・風吹きて身現ず。仏問ふ何故に来る、答ふ婦を憶へばなり。仏却つて将いて城を出で鹿子母園に至。仏問ふ汝曾て香酔山を見るやいなや。答ふ未だ見ず、仏衣角を捉へ須●に飛んで山を見せしむ。山上に果の樹有り、樹下に雌●●有り、一の目無く焼かれ竟れば、仏問ふ何の天の如くぞ。答ふ天欲無し、何んぞ此れに比するを得ん。問ふ汝天を見るや不や。答ふ未だ見ず、仏衣角を捉えり尋ねて三十三天に至らしむ。游観せしめ、歓喜園に至り彩女を見せしむ。及び交合園等を見、種々の音声を見、一処の天女有り、夫無し。仏問ふ、仏天に問はしむ。天答ふ、仏弟難陀持戒して此に生れ、当に我が夫とするべし。仏難陀に問ふ、天女云何ん孫陀利が如くにや、天孫陀利に比ぶるに孫陀利を以て●●●に比するが如し。仏言く梵行を修する此の利有り、汝今持戒して当に此の天に生るべし。時に仏共に逝多林に還る、時に難陀天空を慕ひ、梵行を修す。仏衆僧に告ぐ、一切難陀と其の法事を同するを得ざらん。一切の比丘皆同住坐起与へず。自ら念ずらく、難陀は是れ我が弟応に嫌はざるべし。我即其れ往いて共に坐す、阿難起ち去る。
問ふて言く弟何んぞ兄を棄つる、阿難言く然れども仁行別なる故に相違するのみ。何んか謂なり。答ふ仁生天を楽ひ、我は寂滅を楽ふ。聞き巳つて倍す憂悩を生ず。仏又問ふ、汝奈落迦を見るやいなや。答ふ未だ見ず衣角を捉り諸獄を見せしむ、皆人を治する有り、処有りて人無し、仏に問ふ。仏獄卒に問はしむ。獄卒答へて云く、仏弟難陀生天の為の故に梵行を修す、暫く天上に在り此の中に還来つて苦を受けん。難陀懼れて涙下る雨の如し。仏に白して其の事を述ぶ。仏言く天楽の為め梵行を修する此の過有り、仏と逝多林に還り、広く為に胎相を説く。難陀因て始めて発心し、解脱の為の故に持戒し、後阿羅漢果を得、若し衆中に入る先づ女人を観る巳上。貧とは財貧色貧あれども、是れは色欲を貧る事なり、是れ則貧を示す相なり。調達示癡とは、弘一中卅七に云く、書註四卅五に云く、大論廿六廿二に云く、提婆達利養を貪る故に化して天身小児と作り、阿闍世王抱中に在りて、唾を与へて嗽かしむ是れを以ての故巳上。故に仏調達を呵し是れ癡人なり。人の涕唾を嘗るとの玉ふ事ある故に調達癡を示すと云へり、実に示癡は槃特是れなり。前の所語の如し。既に此くの如く声聞の相を示すのみに非ず。貧瞋癡の三毒の相を示して、実行の貧瞋癡の者を引いて今経に至り、成仏せしむるこそあれと云ふ事を、示衆有三毒乃至方便度衆生と説き玉へり。
問ふ、尚其の示行する相如何。
答ふ、二末卅五経の示とは、聖人示して升墜することは、実行の者をして悪を改して前に従はしめんとなり巳上。文の意は譬へば小児食を含むるに、母の口を開けば則其の子口を開くなり。依て衆有三毒の相を示すは、口を開いて見するが如くなり。仍て経文には我弟子如是方便度衆生と説き玉ふなり。然るに此くの三毒の相を示すは、偏に実行の者を引き成仏せしめん為、所謂悪を改め善に従はしめて終には仏道を成ぜしむるなり。調達の如く逆罪を作れば生身に無間地獄に入る。依て罪業を作らぬやうに、又身子迦葉等槃特等は、以信得入非己智分の信心ある故に成仏し玉へる程に我等も信心を起すべしと思ふ、依つて三毒の念起らばあら浅間しやとをさへて、南無妙法蓮華経と唱へ則ち悪をあらためて善に従ふなり。善念起らば弥々信心をはげますべし、何んぞ在世に劣らんや。
問ふ在世の一切声聞皆権者なりや。答ふ爾らず。籤一本廿五に、頭角声聞本是れ菩薩なり云云。只是れ上首を指す権者なり。所引何んぞ一概に本是れ菩薩ならん。頭角と云ふは上首なり、上来の義に付き則ち疑あり。若し説相の如くんば在世上首の諸の声聞は、外には声聞の形を示し三毒の相を現じ玉ふとも、只是れ方便を以て衆生を度する為にして、実に内証は大菩薩でましますぞと本を顕し玉へり。爾るに師匠の釈尊は僅に四十余年の新仏なり、又諸声聞くも漸く仏成道の仏の弟子となれり、皆之れを知る。然るに尚弟子を指して、内秘菩薩行外現是声聞乃至示衆有三毒と説き玉ふには、弟子衆尚実の二乗に非ず、実の三毒凡夫に非ず。若し爾らば仏は始成正覚の仏でましますと知り玉へり。又仏も爾か説き玉ひ、若しも古へ仏に成り玉ひしものにては非ずやと云云。近情の執を動じて疑を生ずる義明分なり。是れ本仏意密に弟子を以て師近を顕はさんと欲する故に、此の疑生ずるやうに説き玉へり。妙楽大師記一本卅二に亦是れ資を挙げて、密に師を顕す弟子尚実小に非ず。験に知んぬ師近成に非ざることを巳上。此の分の意に云く、既に此くの如き疑あり、迹門の間は此の疑晴ざるなり。爾るに今品に来り我実成仏巳来甚大久遠と説き玉ふ時、さては仏は久遠五百塵点の仏なり。
弟子の二乗も、まことに古菩薩なりしは仏久遠の仏なる故なりと、彼の疑を破して久遠の本を顕すに依て、今の文句に破近顕遠、破近謂情等と釈し玉へり。さて内秘菩薩行等と説いて本を顕すと云へども、釈尊の如く久遠の顕本には非るなり。只是れ九十億の近本なり。文七九十一に云く、顕本に二有り。一に遠本、二に近本。遠本は冥●信と為す良難し、故に略して述べず九十億の近本を挙ぐ巳上。迹門は機類   劣る故に、迹中の近来を挙ぐるなり。然れども実には久遠巳来の弟子なるべし。何さなれば仏既に久遠の仏なれば弟子亦爾るべし。玄私六卅五に云く、寿量の中に至り師を以て資を推するに内に塵劫を経と巳上。
問ふ此くの如く動執生疑するやう説き玉へる意如何。
答ふ上に引く記の文の意、弟子を挙げて密に師を顕す。出と尚実小に非ず、験に知めして師は近成に非ずと釈し玉へども、亦末師の釈に玄私六卅五に、迹門に漸く弟子の近本を顕し以て機漸と為す。又玄私九十八に、迹門は将に本門の説に近く、故に以て近本を顕して梯漸となす巳上。此れ等の文の意は、偏に寿量品に至り、仏の久遠の遠本を顕し玉はんが為に、先づ預め迹門に於て方便の為に弟子の近本を顕すと云ふなり。譬へば高処に登るには、必ずひきき処よりきだはしを用ゆる如く、塔を立つるには下地より段々組み立つるが如く、重々に梯を調い、時を待て後に如来の御本意たる寿量品を顕さんと欲して、段々と方便梯漸を設け玉ふぞと云ふ意なり。然れば所詮一概に寿量を説き玉はば衆信ずべからず。故に重々に梯を調へんが為に、段々と誘へ玉ふぞと云ふ意なり。
問ふて云く、釈尊は此くの如く、重々に梯漸を設け後に此の久遠実成の本地難思の境智の妙法蓮華経を説き玉へり。然るに宗祖は何ん故に順逆二縁に大して之れを説き玉ふや。
答ふ止観に云く。夫れ仏に両説有り、一には摂、二には折巳上。仏道を行ずるには、摂受祈伏の二門之れ有るなり。釈尊は摂受を以て面となす、此の故に段々に機を   調へ方便を設け玉へり。宗祖は祈伏の導師なり、故に方便を設けず、順逆二縁に対して強いて之れを説くなり。
例せば不軽菩薩は祈伏なる故に而強毒之し玉ふが如し。問ふ此の不同有るは如何。答ふ疏十十七に云く、問ふ釈迦は出世して踟●して説き玉はず、常不軽は一見造次に而言ふは何ぞや。
答ふ本巳に善有り、釈迦は小を以て之れを将護し。本未だ善有らず、不軽大を為て之れを強毒す巳上。踟●とは弘七末廿三行前まざる●巳上。造次とは論語の一卅三に、急遽苟且之時、私に云く、応に権実相対、本迹相対有るべし、今は本迹相対に依る。文の意は摂折二門有ることは、本巳有善、本未有善の機に由るなり。釈尊出世の時の機は、多分は是れ三五下種の輩なり。此の下種漸く純熟す、故に本巳有善と云ふ。此の本善の種を損ぜざらしむ為に爾前迹門の方便を設け玉ひ、其間此の本門寿量を秘し玉ひて説き玉はず。唯楽於小法を以て其の機を将護し方便を設け、後に此の本門寿量品を説き玉ふを、彼の下種を脱せしめ玉ふぞと云ふ事を、釈迦小を以て之れを将護す等と釈せり。
此の中に小を以てとは、小乗小法と云ふ事なり。然るに大小相望するに配立多種あり。一には一往三蔵を小とし、通別円を大と為す。二には再往三教を小とす、円教を大と為す。是れを権実相望とも偏円相望とも云ふなり。三には真中相望して、爾前の諸教を小とし法華経を大と為す。是れ則ち方便品に若し小乗を以て化する乃至一人に於ても、我れ則ち慳貧に堕せん、此の事為て不可なり巳上。
授決集上十三に若し大旨に准ぜば頓漸を小と為し、非頓漸を大と為す巳上。御書十九に法華経自り外の四十余年の諸経は皆小乗なり。法華経は大乗なり巳上重具往見。五には本迹相望して、始成を小とし、久成を大と為す。当品に云く楽於小法徳薄垢重云云。文九卅九に云く、楽小とは小乗の人に非るなり乃至是れ近説を楽ふ者を小と為すのみ巳上。中正九廿九往見。然れば此くの如く重々相望不定なり。是れ則相対に依るなり。若し土民と士と対せば、民は小なり、士は大なり。常の士と国主と相対せば士は小なり、国主は大なり。若し国主は将軍と相対せば、国主は尚小なり、将軍は大なり。若し将軍と天子と相対せば、将軍は小なり、天子は大なり。究めて大なるは天子国王なり。全く其の如く相対に依て不同有るなり。中に於て究めて大法と云ふは此の本門寿量品なり。天子たる国王は究めて大人なる如くなり。仍て宗祖は、法華経に寿量品ましまさずば、天に日月無く、国に大王なきが如くなるべしと云へり。然れば爾前のみならず迹門尚小                                                     (#10・198)

法と云はるゝ辺之れ有るなり。仍宗祖は一品二半の外は小乗教とも宣べ玉へり。是れ則直に経文を楽於小法と云ふ。南岳天台は楽近説者小となすのみと釈する故なり。然も今文に釈迦以小而将護之とは、此くの如く重々の大小の意含すべしと云へども、究めて論ずれば爾前迹門惣じて楽於小法と云ふ意なり。仍て爾前迹門の小を以て方便の梯漸となして其の機を将護し、機縁熟する故に寿量を演説し玉ふぞと云ふ大旨なり。
次に不軽為大とは威音仏の像法の時、不軽菩薩と申せし菩薩あり。此の時の衆生は過去の善苗曽て無き衆生なる故に、現に善根無き故に又現の業に依て定めて堕獄すべし。若し爾らば順なりとも逆なりとも下種結縁せんと思ふは不専読誦経典但行礼拝と申して、専ら経典をも読誦せず、我深敬汝等不敢慢所以者何汝等皆行菩薩道当得作仏と云ふ廿四字を以て唱へ掛け唱へ掛け国中の一切衆生を礼拝し玉ひてあれば上慢の四衆瞋恚を起し虚妄授記なりと誹謗をなし、剰へ杖木瓦石を以て、打たゝき奉りしなり。然りと雖ども、少もひるみ玉はずかくれても尚我深敬等と唱へて礼拝し玉ひてあるぞと云ふ事を、本未有善不軽為大而強毒之と釈し玉へり。然あれば摂折不同有ることは、機の善・未善に由るなり。
亦吾が宗祖大聖人は御書廿八(九)に、日蓮は是れ法華経の行者なり。不軽の跡を紹継すとあつて、全く不軽菩薩の如く折伏弘通し玉ひてあるなり。依て釈尊の如く重々に方便を設け玉ふこともなく、段々機を調へ玉ふ事もなく。直に此の本門寿量の妙法を日本国中に強いて之れを弘通す。是れ則末法今時は本未有善の機類の故なり。仍て権教権門のやから、或は誹謗悪口をなし、或は杖木瓦石の難、剰へ両度まで流罪に値ひ玉ひ、しかのみならずきづを蒙り、竜の口には首の座にまでなをり玉ふ如く大難に値ひ玉ふといへども、一には仏の付属の故に、遍に末代今時の各々我等を不便に思召す大慈大悲より、是れ此の大難を凌ぎ。此の本門寿量の妙法を弘通なされてある故に、今面々我等は易々と之れを唱へ即身成仏すること、偏に宗祖の御恩徳に依るなり(云云)。
御書廿七(卅)顕仏未来記に諸天善神並に地涌千界等の菩薩は、法華経の行者を守護す、此の人守護の力を得て本門の本尊、妙法蓮華経の五字を以て、閻浮提に広宣流布せしむる歟、例せば威音王仏の像法の時不軽菩薩、我深敬汝等不敢軽慢等の廿四字を以て彼土に於て一国の杖木等の大難を招きしが如し、彼の廿四字と此の五字は其の語は殊なりと雖ども其の意其れ同じ、彼像法の末と是の末法の始と同き也(巳上)。
五日
昨日大旨云々、然れば宗祖の御化導は本門寿量の妙法蓮華経の五字を以て御弘通被成也、仍て謗ずる者は逆縁となるべし、順ずる者は終焉の時は即身成仏疑ふべきに非る也。
三国八廿八に云く、天竺亀●国に悪毒王と云ふ悪王あり、仏の在世なれども仏所へも詣らず五逆を造り三宝を謗じ邪見放逸にして因果を知らず、然るを仏深く哀れみ玉ひて利益せんが為に、迦葉舎利弗目連を召して此の悪毒王は何物を好むと問ひ玉へば、彼の王は牛を好むと申しければ其の時仏告げて云く、舎利弗は牛になり目連は牛飼になり迦葉は牛主になりて行いて利益すべしと曰ふ、時に三人の聖者仏勅に任せて彼の国に行く、舎利弗は則牛となり至つて則大王に奏す、牛を愛し玉ふ由を承り及んで鶏賓国より牛を将いて参りたる由を奏す。王喜て即牛を見玉ふに鷹角にして大に斑に鷲尾にして小額なり、行歩平正にして其の疾き事風の如し体殊好にして精気神妙なり、千里駿足の蹄、万里筋力の肩、誠に殊勝の牛なり王大に喜び玉ふ事斜ならず、軈て大録を授けんとし玉ひけるに牛の主の申さく、別の恩賞には預り候まし只御内に祇候仕り奉公申すべし、此の牛は普通の人には飼ひ調へられ候まじ、我等が飼ひて進ぜんと(云云)。大王弥よ悦びさまざまの勧賞を与へ別に舎宅を作りて牛を預けて置れけるが王重ねて曰く。抑牛主の名をば何と云ふぞ。妙法と申す、さて牛飼は蓮華と申す、さて牛は名は 無きや、経と申す、なりと奏す。其の後王鎮に牛を見玉はで叶はぬ事なれば妙法蓮華経を引いて参れと常に言に語りけり。然るに大王忽に死し玉ふ、一生の造悪に依つて獄卒禁め取つて炎魔宮に至る。爰に冥官之を見て言く此の人は有り難き人なり、何にさやうにさいなみ阿責するぞと曰ふ。獄卒云く此の罪人一期の間微塵計りも功徳無く民を煩はし五欲にほこり三毒を禁ぜず何ぞ罪を被らざらんや、炎魔法皇重ねて曰けるは此の人の札を見よ、牛を愛せし故に三業を明さずと云へども自然に妙○経と唱へたり、是誠の第一の善根なり仍て悪道に落すべからず再び娑婆に皈へせ、口に妙法を頌せし縁に依つて真実法華修行の身となり次の生に仏果を成すべしとて閻浮にかへし玉へり。七日と云ふに蘇生して速に仏処に詣り罪業を懺悔しけり(巳上)。是れ何の事とも知らずとも只妙法蓮華経と云ふ計りにて尚此の如し況や信心に唱えんをや。縦ひ其の義を知らざれども、本門寿量の南○経と唱すれば磁石の鉄を吸ひ琥珀の塵を吸ふ如く、此の妙法の功徳に依て成仏疑い無き也。知らず測らず唱題肝要也。さて漸く序品方便品五百品の動執生疑の相を談ぜり。今此の文に動執生疑の疑を破し、久遠の本を顕す故に天 台大師は破近顕遠と名け玉ふぞと云ふ義を講ぜり。是れ則時機未熟の故に重々梯漸を設け玉ふ也と云ふ事を宣べたり。之に付て疑て云く既に方便品には今正是其時決定説大乗と説き玉ふ故に、時巳に迹門の時に至れりと見へたり、亦其の機巳に熟する故謗ぜずして信受せり、豈迹門の中則時機熟するに非ずや。何んぞ時機至らざる故に梯漸を設るや。答て云く権実相対は実に所問の如し。今は本迹相対に約する故に爾云ふ也。若し強て爾らずと云はヾ何んぞ迹門に於て、久遠実成の妙法を説かざるや。観心本尊抄に云く(十六)迹門十四品に未だ之を説かず、法華経の内に於ても時機未熟の故か(巳上)。此の文分明也。内外典に押し亘つて時を知る可き事肝心也。孟子三(三)云く智恵有りと雖も勢に乗ずるに如かず、●基有りと雖も時を待つに如かず(巳上)。是は斉の国の諺を孟子載せたり、意は智恵才覚ありと云ふとも運命あしければ功をなしがたし、其の時の勢いを見る可し、●基とは田器也と註する故にすきくわの類也。農具ありと云ふとも耕作の時至らざれば五穀を得がたし、是れは譬なり凡そ人は勢と時とを知るべき事肝要也。学者も亦時を知るべし、易は六十四卦三万八十四爻ありと云へども 只時と云ふ一字に窮る、古はいかん中比はいかん後の世は如何と其の時分を能くはかり知つて事を行ふ時は出入進退時に叶ひ義に叶ふべき也と、或る大儒の物語せり其の外(云云)。世間の浅き事すら此の如し況や仏道を行ずる者をや、何に況や如来に於てをや。過去の大通智勝仏は一坐に十小劫仏知時未至と申して時至らざれば十小劫の間一経をも説かせ玉はず。弥勒菩薩は五十六億七千万歳の時を待つ、釈尊何んぞ時至るを待て此の寿量品を説せ玉はざらんや。次に機未熟とは五百問論下(四十六)未だ発迹せざる時而を伽耶を以て実成と為る事は機未熟の故也。故に三周を以て且く根敗を生じ、菩薩と成らしむ方に久成を成ずる故に増道損生して益、補処に至る(巳上)。文の意分明也、折伏の時は前の如し。摂受の時は機熟せざれば大法を与へざる也。若し熟せざるに之を与んは却て損せり卑力の者に大太刀を与へ幼児に大鎧を与ふべきや、法苑珠林(六十六、十四)弘の二本四十一百喩経を引く、云く長者の子有り貨を別たず父外国に往き与易せしむ。初め栴檀を載せて他国に往く、売る久くうれず便ち他に問て云く、市の頭り何物か貴きや。他人答て云く、市の中に炭貴し便ち栴旦を焼て炭と為す (巳上)。是れ商の器量無き者の大事の宝を与へあきなはせたる故に、何の詮なき事になりぬ。今亦比の如し是の寿量の妙法は本地甚深の奥蔵山河の珠たる処、無上至極の本宝なる故に卒爾に与へず、機縁熟するを待つて当品に至て説き顕し普く一切に与へ玉へり。仍て大聖人法華経の内に於ても時機未熟の故かと書し玉へり。第四宝塔品の動執生疑の疑を破すとは其の相如何。答ふ此の義を解せんと欲するに先づ彼の品の大旨を須く了すべく時彼の品にして大段三ヶ条の義之れ有り、第一多宝の涌現 第二分身の遠集、第三釈迦の唱募也。第一に多宝涌現とは、乃往過去に入滅し玉ふ宝浄世界の多宝如来と申す仏、神通願力を以て五百由旬の七宝の大塔に乗て、霊山の大地より涌出し給へり。虚空に往し大音声を出して釈迦如来を呼びかけ玉ひて善き哉々々釈迦牟尼世尊能くこそ平等大恵教菩薩法仏所護念の此の法華経を説き玉ふ、釈尊の説き給ふ所は少も虚妄偽り無く皆是真実でこそと宣べ玉ひてあり。時に一会の大衆希有の思をなし疑ひあやしまれてある時、大楽説菩薩と申せし菩薩釈尊へ問ひ奉るやうは、何に依つて此の塔はましますぞ何故に地より出で玉ふぞ、如何やうの子細に塔中より大音声を出 し玉ふぞと三色に仏へ問ひ上げられし也爾時如来過去に於て東方宝浄世界と云ふ国に多宝如来と云ふ仏まします、其の仏の本誓願に十方世界に法華経を説く処へ必ず出て証人となるべしとある大誓願を成し玉ふ、依て今大地より涌出し玉ひてある也。惣じて此の宝塔のある子細は彼の仏御入滅の砌一会の大衆に仰られて造らせられたものにてこそあれ、皆是れ真実と大音声を出し玉ふは汝一会の大衆少も我説く所の此の法花経を疑ふべからずと云ふ証拠でこそあれと答へ玉ふ。是れ則第一多宝涌現の相也。時に大楽説菩薩、仏力を蒙り願くは此の塔のとぼそを開いて大衆をして彼の仏身をおがましめさせられよと申し上げられたる時、仏告げ玉ふやうはされば此の仏に深重の願之れ有り。我の全身を四衆に見せんとおぼする仏ましまさば先づ其の分身の諸仏を集めて其の後塔のとぼそを開き我身を見せ玉へと云ふ処の誓願を立て玉いてあり。卒爾には開くべからずと仰せられたり。時に大楽説菩薩若し爾らば又釈尊の分身の諸仏をも拝み上りたき程に、願くば分身の諸仏を集め給いて此の宝塔を開かせ玉へと申し上げられたり。時に仏智の至るなりとて、先づ白亳相の大光明を放ちて十方五百千万億那由陀恒河沙の国を照し玉ひて、其の中の無量無辺の分身の諸仏を集め給ひて、其の后塔の扉を開き釈迦如来も塔の中へ入り玉ふなり。多宝如来の半座に坐し玉へり。時に大衆悉く二仏並座の為体くを拝し玉へり。是れ則第二の分身遠集の相なり。第三の釈迦の唱募とは、釈尊塔中に坐し玉ひて大音声を以て告げ玉ふやうは、誰れか此の娑婆国土に於て此の法華経を弘通せん。只今能き時節なり望み申されよ、我れは頓て涅槃に入る程に、此の経を付属して、滅後の衆生の導師を定むべしとあつて六難九易を挙げ、法華経を弘通する功徳の大なることを説き顕し三度まで弘通の人を求め玉ひてある。是れ則第三の釈迦の唱募なり。時に之れに付いて証前迹門、起後本門の両意之れ有り。文八(卅二)云く、塔出る両となす、一に音声を発して以て前を証す、二に塔を開きて以て後を起す(巳上)。此れは題号釈の下なる故に只塔出とのみあり、実には三段ともにわたるなり、其の相自下の釈に之れ有り。一に発音声以証前とは即ち宝塔品の爾時宝塔中より大音声を出し歎じて言く、善い哉善い哉、釈迦牟尼世尊能く平等大恵教菩薩法仏所護念の妙法ヶ経を以て、大衆の為に説く是くの如し是くの如し。釈迦牟尼世尊の所説の如くんば、皆是れ真実と唱へたまふは則ち方便品より次上法師品に至るまで正宗流通の法門を説き玉ひてあるが、最早契機し、契に少しも虚妄なし、皆是れ真実でこそあれと云ふことを皆是れ真実と証明し玉ひしなり。此の証明に依つて大楽節菩薩塔を開かせられよと懇望有る故に、仏の誓願ぞと云ふ事十方の分身を集め、塔を開きて多宝の身相を一会の大衆に示し玉ふ。其の塔の戸を開き玉ふは迹門の開権を表したるものなり。仏身を示されてあるは顕実の法門を表し玉へり。此くの如く多宝の正宗流通の証明に分身の仏集めて、塔を開き玉ふこと巳れば一段の化儀既に巳んぬ。依て其の時釈迦如来の多宝尚以て法の為に来り、分身は令法久住の為に来り、汝ら志をはげまし我滅後に弘宣せられよと、三ヶの勅宣あて弘経の人を求め玉ひぬ。是れ証前迹門の筋なり。此の事を一発音声以証前と釈せり。
次に起後本門とは、是れ正しく寿量品の遠序と成る義なり。之れに付いて多宝涌現・分身の遠集、釈迦の唱募、此の三を次第に生起して寿量品の遠序とする義と、又三段の一々各別に興起を論ずるとの二筋の釈之れ有り。然りと雖も先づ今度は次第生起の一義を談ずべし。文八(卅三)五段に生疑を釈し、記八本(四十)には十段に生起の相を示し玉へり、又玄九には七段に生起の相を判じ玉へり、今は中楹に居る之れに准じて之れを宣ぶべし。
玄九(六十六)に云く、古仏塔涌す、塔涌する故に分身を召し請ふ、分身集るが故に弘経を募り覓む、弘経を募り覓むれば下方即出現す。下方即出現するが故に弥勒疑問す、弥勒疑問するが故に寿量(長)久遠を説く(巳上)。意寿量の長遠を説き玉ふは弥勒の疑問に依てなり。弥勒の疑問することは下方の出現に依るなり。下方の出現することは宝塔品に弘経の人を求め玉ふに依るなり。弘経の人を求むるは分身の来集に依てなり。其の分身の来集は宝塔の涌現多宝の証明に依てなり。故に仏塔涌乃至説寿量長遠等(云云)。順を示し尚も其の意を探れば迹門開三顕一も寿量品の遠由となる事なり。然れば宝塔の三段と、本化の出現と、弥勒の疑問と、寿量品の此の七段、次第して起る故に後の本門を起す、起後本門と申す事なり。三段一々の相は之れを略す、先づ是で証前迹門起後本門の両重の相は聞へたり。
問ふ正しく動執生疑の相如何。答ふ玄九(六十三)に云く、分身皆八方より集まる称数すべからず、分身既に多し、当に知るべし、成仏の久しきを、荷積池に満る之喩の如し(巳上)文の意は先づ宝塔品の三段の中の分身遠集に付いて大なる疑起るなり。
先づ三変浄土と申して、此の娑婆三千大千世界を変じて清浄の浄土となして分身の諸仏を集め玉ふに、即ち集り玉ひて三千大千世界に充満し玉へども、尚釈尊の一方の分身の諸仏の居玉ふべき処なし。仍亦更に八方に各二百万億那由陀の国土を変じて浄土となし、分身を集め玉ふに尚住し玉ふべき処なし。仍亦更に八方に於て各二百万億那由他の国土を変じて浄土と成し分身を集め玉ふに、漸く此の中に充満して集り住し玉へり。然れば二百万億那由他宛両度なれば一方に四百万億那由他なり。一方に四百万億那由他なれば、八方には三千二百万億那由他の国土なり。第一の娑婆三千大千世界を加へれば三千三百万億の那由陀の国土なり。此の中に分身の諸仏充満し玉へば、中々数方量も無き無量無辺の諸仏なり。先づ娑婆三千大千世界国を千万億と数へて、其の一を数として十億百億千億万億と成りし時是れを那由他と云ふなり。那由他とは名義三(四十一)に、此に万億を云ふ故に万億と云ふことなり。然れば此の一那由他の国土の数さへ多数事なるに其の中に充満し玉ふ、仏の数と云ふことを誠に方量も之れ有るべからず。況んや其の一那由他を一数として三千三百万億那由他国土なれば中々無限もなきことなり。何況や其の中に充満せる分身の仏の数と云ふことは言語思量も及ぶべきことに非ず。寔に無量無辺なるべし。此くの如き無量の仏を釈尊我分身でこそあれと説き玉ひてあり。之れに依て大衆打ち驚き大なる疑ひ起るなり。凡そ釈尊は僅に四十余年の新仏にてましますに何んとして、此くの如き無量無辺の分身ましますや、此の無量無辺の分身在すを以て知るに或は亦新仏にてはましまさぬか。
譬へば此に大なる池あらんに、先づ唯一本の蓮のみを入るゝに若し年月を歴ざれば則すくなかるべしと知るべし。然るに其の大なる池に充満する程無量無辺の蓮花あらば知んぬ、久しき巳前よりの蓮なりと知るべし。何となれば最初は只一本にても其れに華が咲き菓がなり、其の菓が亦池中に落ちて生長すれば、はや来年は四本五本にもなり、此の四本五本に華咲いて実がなれば三年めには、はや廿本にも卅本にもなるべし。是くの如く重ねて後に其の大なる池に充満すべき道理なり。若し大なる池に充満してあらば知んぬ。根本の蓮の只一本の時は定めて久しかるべきが如く、此の釈尊の分身の大分ましますことは、如何様にも始成正覚四十余年の新仏にはあるべからざるかと云ふ大なる疑ひ之れ有るなり、此の事を分身皆集る八方称数すべからず、分身既に多し当に知るべし成仏の久しきことを荷積みて池に満つるの譬への如しと釈し玉へり、然るに此の疑迹門の間は曽て以て晴れざるなり。時に此の品に来り、然るに善男子我れ実に成仏してより巳来無量無辺百千万億那由他劫なりと説き玉ひ久遠五百塵点却巳前の仏なりと宣べ玉ひてあれば、彼の宝塔品の動執生疑の疑を破し久遠の本を顕すぞと云ふことを、天台大師は破近顕遠、破近情謂と釈し玉へり。是れ則始成正覚に執する故に此の疑有るなり。若し仏久遠の仏と知らば何の疑かあらん。然れば釈尊の御本意たる寿量品を顕さんが為に、重々に疑を生ずるやうにこしらへて機を熟し時を待て、今出世の本懐を宣べ玉へり。此くの如く寿量品を説き顕し玉ふが、一往は在世の為なれども、再往は偏に滅后末代の各々我等が為なり。仍て信力に住し唱題せば成仏決定なり。御書三(初)に云く証前の宝塔の上に起後の宝塔あて十方の諸仏来集せる皆我が分身なりとなのらせ玉ふ、宝塔は虚空にして釈迦多宝座を並べ、日月の晴天に並出せる如し。人天大会は星をつらね、分身の諸仏は大地の上宝樹の下師子座にまします、乃至惣じて一切経の中に各修各行の三身円満の諸仏を集めて我が分身とはとかれず。
今此の宝塔品はこれ寿量品の遠序なり。始成正覚四十余年の釈尊一劫十劫等巳前の諸仏を集めて分身ととかる。さすが平等意趣にもにずをびたヾしく驚かれぬ。又始成の仏ならば所化の十方に充満すべからず。されば分身の徳は備はりたりとも示現してゑきなし。天台云く分身既に多し、当に知るべし成仏の久しきことを等(云云)。大会のをどろきし意をかゝれたり。南無妙法蓮華経(巳上)。
六日
昨日の大旨(云云)。所詮此の寿量品は釈尊の御本意、一切衆生現当二世を成就する大甚深微妙法なる故に重々に梯漸を設けて之れを説くことなり、仍て信心に住し本門寿量の南無妙法蓮華経と唱へば、現在には不祥の災難を払ひ未来には即身成仏せんこと掌を視るが如し。法華伝第七(八)に云く、厳敬揚州の人なり、家富みて子息無し、偏に正法に帰して法華経を読むを業と為し、男子を生む三歳にして熱を病む眼闇し、厳敬寿量品少しも持つ能はず、讒に題目を誦す、奈何ともすること無し。乱に遇ひ屋の内に穴を掘り衣食を与へて捨て去る、乱静まり賊去りて三年にして方に還る、屋舎破壊し梁柱散在下に微音有り、即ち憶知するに盲児ならん。穴を披くに肥膚円満にして両眼復明かなり。悲喜して因縁を問ふ、児曰く吾法華寿量品の題を持つ、一人有り白象に乗り来りて光を放ち句逗を教ふ、初一品を読み明を得、助一部を畢り、復更に所去を見ず希有の念を発し誦経せしむるに、通利すること多年受持の如し、予親り聞く所なり(云云)。寿量品の題目を唱ふる功徳既に此くの如し。天台未弘の文底事の一念三千の南無妙法蓮華経を唱へば、現世の祈り未来の成仏疑ひ無し(云云)。
惣じて五段の動執生疑の中に昨日まで四段の相之れを宣べたり。
今日第五涌出品の動執生疑の相を宣ぶべきなり。時に前の四段は天台妙楽義を以て之れを論じ玉ふ相なり。今此の涌出品は直に経文に弥勒の疑問之れ有り。故に顕覆灼然として寿量品の序分であり、仍て二経六段の時当品は序分、寿量品は正宗と大旨を定むるなり。正しく動執生疑の相如何。答ふ彼の品の大旨を談ずれば自ら聞ゆべきなり。先づ涌出品の始めに於て、遠くは彼の宝塔品の第三の釈迦の唱募、三ヶの告勅に驚いて他方より来る処の八恒河沙こそ数にも過ぎたる大勢の菩薩、釈尊の御前に進み出で玉ひて仏滅後に此の娑婆世界にして法華経を弘め奉るべしと申されしかば、思ひの外に釈尊ゆるし玉はず、止みね善男子汝等を須ひず等とをしとヾめ、我娑婆世界自ら六万恒河沙有りと曰べ玉ふ御声の下より、此の娑婆三千界の大地皆ふるいさけて大地の下より、本化上行等の菩薩を始めとして六万恒沙の菩薩、各無量無辺の●属をひきつれ、其の身は金色にして三十二相を備へ、光明赫々として老々白々たり。寔に釈尊の第一の御弟子と覚しき普賢文殊等も似るべくもなく、華厳方等宝塔品に来集せる大菩薩も此の菩薩に対すれば●猴の群る中に帝釈の来り玉ふが如く、山人の月卿等に交るに異ならず。巍々堂々たる高貴の大菩薩にてましませば、四十一品の無明を断じ三世了達の智を証得し玉ふ補処の弥勒尚迷惑して意に疑ひ思ふやうは、我は仏の太子にてまします時より三十成道今の霊山に至るまで、四十二年が間此の界の菩薩並びに十方世界より来集せる大菩薩、又十方の浄土にも往復遊戯して其の国々の大菩薩等皆悉く見聞せり。然れども此くの如き高貴の大菩薩は未だ曽て見奉らず、乃ち一人も識らずと説いて一人をも知り奉らず、何なる仏の御弟子にてや有るらん何なる国より来り玉ふぞとあまりの事の疑はしさに仏に向ひて問ひ奉るやうは、此の諸の高貴の大菩薩は何なる処より来り玉ひてましますぞ、如何やうの因縁あて今此の会上には涌出し玉ひてあるぞ。又此の菩薩達の御師匠は何と申す仏の御教化に成りてあるぞと申して具に師主、住処、因縁の三を経て仏へ問ひ上られてあり、是の故に本門を発起する序なり。之れに付いて疑つて云く、既に序品の時も弥勒疑を宣べて迹門発起し、又涌出品の時も弥勒発起して本門を起し玉ふに何んが故に序品にしては文殊に問ひ上られてあるや。
答ふ記三上(十一)に云く、両所の発起倶に逸多に在り、然るに迹の事は遠に非ず文殊に寄すべし。久本は裁難し故に唯仏に託す(巳上)。逸多とは弥勒のことなり。名義一(八丁)文の意は本迹両処倶に弥勒菩薩の発起なれども迹門のことは易して近ければ、弟子の文殊に問ふ、今此の本門の事は仏を除いて巳還能く知る者無しと釈し玉ひ中々文殊などの知しめすことにあらず。仍て仏に問はせられたりと云ふことを両処の発起倶に逸多に在り、乃至故に唯仏に託すと立てり。然れば迹門は近にして浅く知り易き故に文殊に問ふ。本門は遠にして深く知り難き故に、師の仏に問ふと云ふなり、意を留むべきなり。譬へば世間に於て昨日今日の近き浅き事の目前にあることは常の人に問ふても答ふべきなり。又遠く深く古事来歴等の事は常の人に問ふては一も分明なるべからず。是れにはなる程博学の人に問はねば知れざるなり、全く其の如くなりと意得可きなり。其の後仏答へ玉ふやうは此の無量無辺の地涌の菩薩は此の娑婆世界の下の虚空の中住居せらるゝなり。又此の菩薩は我れ始めて正覚を成ぜし時より此の菩薩を教化し弟子となし、発心せしめてあれば皆今は不退の位に住せられてこそあれ、此れ等は皆我弟子なり。此の師匠と住処の二ヶ条を答へ玉ひて因縁の一をば答へざるなり。時に弥勒菩薩を始として一会の大衆が疑の上に疑を重ね迷の上に迷を積し、あまりのことに物云ふもなけれども、さしもあるべきことならねば漸く亦重ねて問ひ玉ふやうは、今日の釈迦如来は御年三十の時伽耶城を去ること遠からず、菩提樹下にして始めて正覚を成じ、夫れより巳来四十余年の間に何として此の無量無辺の大菩薩達を教化なす、譬へば色美髪黒の歳廿四五計なる者が、ひたひには四海の波をたゝみ、眉には八字の霜をたれたる百歳の翁をみて是れは我が子なりと云ふなり。又百歳の老たる翁も年の少き人を指して是れは我父なりと云ひまする時、世間の人が中々是れを実に思はぬ如く、今此の菩薩達を見奉れば無量億劫勤行精進の老翁一切世間甚為希有の尊位にてましますに、釈尊は僅に四十余年巳来の諸仏にて此の大菩薩幼稚の者なりしを、我れ教化訓道して発心せしめてこそあれと仰せらるゝは、何とも不審千万の至りなり。譬へば我々は仏の無虚妄の御言を信じ奉ふすれどれ仏滅后の一切衆生は疑網のうれいをいだき破法の因縁を起して、三悪道に堕在仕るべき程に願くば此の子細を説かせ玉ひて、在世滅後の疑をはらし玉へとあつて、仏に問ひ奉り玉ひしが先づ涌出品の大旨なり。此くの如く地涌千界の大菩薩を見奉り、始成正覚の執情を動じ、重々に疑を生じ玉ふが動執生疑の大旨なり。誠に大なる疑なるべし。例せば聖徳太子の六歳の時、唐土の新羅高麗百済より仏経論を渡し、後に日羅聖人とて頂に光明ある僧の老々たる者を我が弟子ぞと仰せありければ、彼の日羅聖人も亦我が師なりと云ひ、敬礼救世観世音伝燈東方粟散王と唱へて礼拝せり、知らざる者は不思議なる事なり(釈書十五初書註五健五巳上)。又列仙伝の中に或る者道を行けば路のほとりに年三十計りの若き者が八十計りなる老人をとらへて打ちけり、いかなる事ぞと問へば此の老人は我が子なりと答へけり。御書三六(巳上)、健五十六(云云)。各所以有り寔に疑しきことなるべし。此に是等には尚過ぎて四十余年の釈尊又霊山一会の衆も、仏の太子の時より委細に知り、多常々に付そい奉りしことなれば、御弟子衆は兄弟の如く互に知り親たり。然るに高貴尊高の魏々堂々たる終に見もせぬ聞きもせぬ、況んや未だ知らざる所の大菩薩を仏の弟子ぞと仰せては豈大なる疑にあらずや。又宝塔品の分身無量を見て疑ふと、又五百品の弟子の顕本と、又方便品の従久遠劫来と疑ふと、序品文殊の答に付いて疑ふと、是くの如き重々疑起り、若し只一重の疑を生ずるとも其の疑を晴さずんば、釈迦如来無虚妄の御舌を以て説いて云く、疑を生じて信ぜざるものは、即ち当に悪道に堕すべしと云へり。若し爾らば一の疑にても尚当に悪道に堕すべし、況んや二重をや、何に況んや三重四重五重の疑重々に起りてあらば、即生疑不信者即当堕悪道なるべし。若し爾らば若し今寿量品を説いて此等の疑を晴らさずんば、恐らくは教主釈尊は大妄語の人となり玉ふべきなり。此の一事妄語とならば八万十二の一代の聖教は水のあはの如くにきへて皆いつはりとなり、三五七九の一切衆生のあみにかゝり則当に悪道に堕つべし、今此の寿量品を説き玉へばこそ一切聖教も実語となり、一切衆生も成仏せり、誠に寿量の一品の大切なる義を知るべきなり、御書三(七)に云く、されば仏此の疑を晴れさせ玉はずんば、一代聖教は泡沫に同じ、一切衆生は疑網にかゝるべし。寿量の一品の大切なるは是なりと書し玉へる程に寿量品を信じて南無妙法蓮華経と唱ふべきなり。
時正しく彼の密には迹門の中の四段の動執生疑、顕には涌出品の動執生疑の疑を破し正しく弥勒の疑問を答へ玉ふ時、然るに善男子我れ実に成仏して巳来無量無辺百千万億那由阿僧祇と御説きなされて、実には久遠五百塵点劫の仏でこそあれと説き玉ふに依つて彼の重々の動執生疑を一言に打ち破り、久遠の本を顕し玉ひてこそあれと云ふことを、今疏には破近顕遠破近謂情と釈し玉ひ、玄九(六十三)には下方涌出寂滅道場に化を受くるに非ず、亦他方分身に化を受ける所に非ず。此の両処の人は弥勒皆識れり。而るに今識らず驚疑する所以、此の近情を破して本の長遠を顕すと釈し玉へり此くの如く重々の疑を当品に於て只一言に晴し玉ひてあるに依て、大衆も寔の大信心を起し久遠実成の本地難思の妙法蓮華経を信ずる故に、皆本門能覆の無明を改めて初て、本門初住の位に叶ひ玉ひては、仍妙楽大師竹一末(十二)に開迹顕本して皆初住に入ると釈し玉ひ。宗祖大聖人は真実の断惑は寿量の一品を聞く時なりと判じ玉ひてあり。廿三巻(廿一丁)に、然し真実の断惑は寿量の一品に局れるなり。能く之れ思へ是れにて先づ十重顕本の中の破近顕遠の相は大形相聞えたり。さて上の弥勒菩薩の疑請の文に付て、之れを論ずるに此の寿量を説き顕はし玉ふも、先づ一往は在世の為なれども真実は滅后の衆生我等が為と見たり。彼疑請の文に云く、我等は復た仏の随●所説仏の所出の言未だ曽て虚妄ならず、仏所知者皆悉く通達す信ずと雖も、然ども諸の新発意の菩薩、仏の滅後に於て若し是の語を聞き信受せずして、法を破る罪業の因縁を起ん、唯然り世尊願くは為に解説して、我等が疑を除け及び未来世の善男子、此の事を聞き巳んなば亦疑を生ぜじ(巳上)。御書九云く、文の意は寿量品を説かざらんは、末代の凡夫皆悪道に堕つ等也と釈し給へり。是れ則寿量の妙法蓮華経をば、滅後末代の為に之を説き給へと請する也。此の語に依て仏説き玉へば、一往は在世の為なりと雖も、実には是れ滅後の末代の為也。御書九の(九丁)仍宗祖寿量品一品二半は正く、滅後の衆生の為、滅後中には末法今時日蓮等が為也と書し玉へり。然れば寿量品は滅後の為に之を請れ、滅後の為に之を説き玉ふと云ふ事彰灼也。何んとして滅後衆生の為に与へ玉ふや。答ふ向の談ずる所、本化上行菩薩に此の本門寿量の妙法を御付属なされ、一閻浮提の一切衆生に与へ玉ふ也、故に上行菩薩の涌出に付て、四の子細之れ有り。文九三の命を聞く故に来る破執の故。竹三、六十五、命者召也。●廿三(廿三)、口令に言ふ大を命と曰ひ、小を令と曰ふ、上出を命と為し、下禀を令と為す、畧来顕本の故に来り、弘法の故に来る取意(巳上)。聞命の故に来るとは、我娑婆世界自ら六万恒河沙等有り、別して勅命ある故に来る也。破執の故に来る。顕本の故に来と云ふ。彼の本化涌出に付て、弥勒動執生疑す、時に仏遠本を顕す、遠本を顕す故に執情を破す故に爾云ふ也。第四に弘法の故に来るとは、是則当品に於て釈迦如来内証の一大事、本地難思の境智の妙法真の事の一念三千たる、本門寿量の妙法を説き顕し玉いて、経には是好良楽今留在此遣使還告とも説き玉ひ、亦た十種の神力を現じて、神力品に於て此の本門寿量の妙法を本化上行菩薩に御付属なされて、仏滅後の正像二千年を打過て、末法の初に出現して寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字を以て、一閻浮提の一切衆生に授与するやうにと仰せ渡されてあり、仍て上行菩薩は末法に入り、一百七十一年後堀川院貞応元年(壬午)、二月十六日に房州小湊に誕生なされ、偏に只此の本門寿量の肝心たる事の一念三千の妙法を日本国に弘通成されてある。此の如く法を弘むる為め来る故に、弘法故来と云ふ也。相構て●本迹一致に妙法にも非ず、神力品の妙法にも非ざる也。釈尊より慥に此の本門寿量の肝心たる妙法蓮華経を上行菩薩に付属せり、付属現に爾也。所弘豈爾らざらんや。面々は釈尊、宗祖の本意に相叶へり成仏疑い無し(云云)。御書八(廿一)所詮迹化他方の大菩薩等に我が内証の寿量品を以て、授与す可らず、末法の始は謗法の国悪機なる故に之を止て、地涌千界の大菩薩を召して本門寿量品の肝心妙法蓮華経の五字を以て、閻浮提の衆生に授与せしめられ玉ふ也(巳上)。此の文能く能く意を留むべき事也。恐くは他流は曲会私情か。
七日
昨日の大旨(云云)。然れば仏意に相契ひ、釈尊の内証寿量品、宗祖出世の本意たる本門寿量の文底の事の一念三千の妙法を受持せん行者には必ず災難来るべし、是則直に仏道を成す応き故也。何事に付ても其の事を成さんと欲するに、必ず障碍之れ有るもの也(云云)。西域十七註十六(三十)御書十六(十四)云く、月氏に波羅●期国施鹿林と申す処に一りの隠士あり、仙の法を成ぜんと思ひ既に瓦礫を変じて宝となし、人畜の形をかへけれども未だ風雲に乗られず仙宮には遊ばざりき、此の事を成ぜんが為に一りの烈士をかたらひ長刀を持せて壇の隅に立て息を隠し言をたつ、よひより朝に至るまで物いはずんば仙の法成就すべし、仙を求る隠士壇の中に坐して手に長刀を取て口に神咒を誦し約束す、今縦ひ死なんとする事有りとも物言ふ事なかれ、烈士云く死するとも物いはじ、此の如くして夜中を過ぎて夜まさに明けなんとする時如何が思ひけん烈士大に声を挙げて呼はる、既に仙法成せず、隠士烈士に云く何に約束をばたがふるぞ、口惜き事也と云ふ。烈士歎いて云く少し眠りて有つれば昔し仕へし主人自ら来て責つれども師恩深ければ忍んで物ひはず、彼主人怒つて頚をはねんと云ふ、然るに亦物いはず終に頚を切つ中陰に趣く我屍を見れば惜く歎かし、然るに物いはず終に南印度の姿羅門の家に生れ、入胎出胎するに大苦忍びがたし、然るに気を出さず又物いはず、巳に冠者となり妻をとつぎぬ、親死す又子をまうけたり、悲もあり悦もあれども物いはず、此の如くして年六十有五になり又子五になりぬ、我が妻語て云く汝若し物いはずんば汝がいとをしみの子を殺さんと云ふ、時に我れ思はく我既に年衰えぬ此の子を若し殺しなば又子をまうけがたしと思いつる程に声をおこすと思へば驚きぬと云ひければ師が云く、及ざるか我も汝も魔に誑されぬ、終に此の事成ぜずと云ひければ烈士大に歎きけり、我心よはくして師の仙法を成ぜずと云ひければ隠士が云く、我が失也兼て誡めざりける事を悔ゆ、然れども烈士師の恩を報ぜざりける事を歎いて終に思ひ死すと(巳上)。宗祖引終て云く、仙法と申すは漢土には儒家より出て月氏には外道の法の一分也。云にかいなき仏経の小乗阿含経にも及ばず、況や通別円をや、法華経に及ぶべきや、かゝる浅き事だにも成ぜんとすれば四魔競て成り難し、何況や法華経の極理南無妙法蓮華経の七字を持たんをや(巳上)。又私に云く彼の隠士が兼ていましめざる事を悔ゆとの故に、兼て之れを誡る也、命に及び子を殺さるゝとも信心不退なるべし、昨日まで破近顕遠の義巳んぬ。
第二に廃近顕遠とは、疏云く廃近顕遠、近教廃す(巳上)。玄九六(十四)云く廃迹顕本とは亦説法に就いて昔は五濁障重を為す。遠く本地を説くを得ず、但迹中の近成を示す、今障り除き機動す、須く道樹王城迹中之説皆是方便也と廃すべし。執近の心既に断じ近を封ずるの之教亦息む乃至即是一期之迹教を廃して、久遠之本説を顕す也(巳上)。竹一本(十一)云く、廃とは捨は是れ廃之別名也(巳上)。故に知ぬ廃と云ふは捨ると云ふ事也。捨つと云へばとて海河に物を捨るやうには非らず、爾前迹門惣じて方便也と云ふが則捨る也、故に其の須く乃至皆是れ方便也と廃すべし。此の文之を思へ、故に廃迹顕本とは、迹は方便也と廃し、本は真実也と顕すを、廃迹顕本と云ふ也。亦就説法とは爾前迹門の説法皆是れ方便と廃すべしと云はん為也、昔為五濁障重とは、機未熟の故に遠く本地を説くを得ざれば、但迹中の近成を示す也。今障除機動とは、当品に来ては、楽於小法徳薄垢重の障り除けり機熟する故に、道樹王城迹中の説を皆是方便也と打廃すべし。仍て近成を執するの之心断じ亦其の近成を説く、能詮の教亦息む也、是の如く迹門及び爾前の諸教を廃して、久遠の本説を顕すを廃迹顕本と云ふぞと云ふ事を即是れ一期之迹教を廃し久遠之本を顕すと説く也と釈せり。問ふ今文に迹中之説皆是方便とは、疑て云く何んぞ迹門を指して方便と云ふや。凡そ方便品には、正直捨方便但説無上道と説き、亦世尊法久後要当説真実と宣べ、多宝如来は皆是真実と証明せり。爾れば教主釈尊の金文多宝如来の誠証法華経には方便を捨てゝ真実を説くと見たり、然るを何んぞ今迹門方便也と云ふや。答て云く、凡そ一代説教広しと雖も権実本迹を出でず、若し権実相対は所問の如し、迹門最真実也。是則爾前の方便教に対する故也。然るに本迹相対には尚迹門を以て、方便と為る事文釈分明也。道理灼然也。何んぞ此疑を治せん、凡そ方便とは泛之を論ずれば、能用能通秘妙等の義あり是は今の所論に非ず。所詮末だ真実を顕さず、真実の為の梯漸と為るを方便と云ふ也。例せば無量義経に以方便力四十余年未顕真実と云へり、此の言対して見るべし(云云)。正く今の経文に我実成仏等と云へり、此の実言正く迹門までを尚未顕真実と云ふ也。宗祖云く三十四(卅七)、我実成仏とは寿量品巳前を未顕真実と云ふに非ずや(巳上)。現に未顕真実也、豈方便に非ずや。
文(私三)末(十)寿量の中の方便之言に都て十処有り云云、今且く五文を引く、一には如是皆方便分別、二には種々方便説微妙法、三には但以方便教化衆生、四には以是方便教化衆生、五には以方便説(巳上)。此等の方便之言皆是れ爾前迹門を方便也と云ふ文也。故に今大師迹中之説皆是方便と釈し玉へり、豈本迹相対の時迹門を以て方便と云ふ事、文釈分明なるに非ずや。又玄義第七、本門十妙を釈するに、十段の一々に三義を以てす、故に迹門爾前の因果の及説法等の十を皆悉く方便也と一々に釈せり、其の外文釈広しと雖も之を略する也。問ふ、爾前迹門を名けて方便と為すは文釈之を聞けり、何んぞ強に迹門尚方便と云ふや、其の義如何。答ふ重々の義門有る応しと雖も、所詮は始成と久成の説と一念三千二乗作仏を明すと明さざるとの不同に依る。方便とは天地雲泥の不同之れ有る也。中に於て二乗作仏と一念三千とは同じ法門也。一念三千を明さざれば、二乗作仏之れ無き也。二乗作仏無ければ一念三千にては之れ無き也。一念三千は十界互具より起る也、爾れば二乗界成仏せざれば只是れ八界也、何ぞ一念三千成すべけんや、又一念三千を明さば則十界皆成也、豈二乗作仏に非ずや。初め権実相対して爾前は未顕真実方便とは、竹(十二)云く行布を存するが故に仍未だ権を開せず、始成と言ふ故に尚未だ迹を発せず、此之二義文意之綱骨教説の心髄也(巳上)。行布とは行列次第差別の義也、爾前には次第差別して二乗の権人を隔つる故に、二乗永不成仏と斥て作仏を明さざるなり、又本より久遠実成を明さざる義は分明也。仍て妙楽大師弘六末(六)云く、遍く法華巳前の諸経を尋るに、実に二乗作仏の文及如来久成を明すの之説無し故に知ぬ、並に方便を帯するに由る故也、若し爾らずんば豈是円妙独り二乗を隔てんやと云へり。現に二乗作仏久遠実成を明さざる故也。爾前の諸経は未顕真実にして方便ぞと云ふ事を、存行布故仍未開権言始成故尚未発迹と釈する也。此の二義等は二乗作仏久遠実成は、あみには大つなの如く人身には骨の如く、心法の如く、髄の如く也と釈する也。爾ば爾前の教々に此の二義を明さず、故に人の骨無く心無く髄無きが如く也。是れ何んと謂はんや(云云)。是は本迹二門を以て爾前に対するに、爾前は未顕真実にして方便也と云ふ文也、爾れば爾前は諸経には二乗作仏久遠実成を明さざる故に二の失を以て方便と云ふ義分明也。次に迹門には与奪の二義有り。与へて之を論ずるは円融相即の旨を明す。唯仏与仏乃能究尽諸法実相所謂諸法如是乃至本末究意等等と説いて一念三千を明す。又声聞若菩薩聞我所説法乃至於一偈皆成仏無疑と説いて、二乗の権人を開して二乗作仏を明せり。現に一念三千二乗作仏を明すが故に要当説真実皆是真実の正法也。仍て爾前の二種の失一つ脱れたり、此の辺に約して迹門真実と云ふ也。然りと雖ども尚始成正覚我始坐道場観樹亦経行と説く故に尚久遠実成を顕さず、故に尚方便未顕真実と云ふ也。例せば記九末(十二)若し方便の教は二門倶に虚し、因門開し●りて果門を望れば、則一実一虚也(巳上)。此の文の意は得益に約すれども今義に随つて借用す。謂く爾前には二乗作仏久遠実成の二ヶ条を明さざる故に、二の失を以て虚妄方便と云はるゝ也。若し迹門にして開顕し巳れば二乗作仏を明す故に、爾前二種の失の内一つ脱れたり。一は真実也、然れども久遠を明さざる故に果門に望れば、一は虚妄方便と云はるゝ也と云ふ事を、若方便教二門倶虚因門開●望於果門則一実一虚と釈する也。因門とは迹門の事也。果門とは本門の事也。竹一末(十四)迹門は弟子の因に約し、本門は仏果に約す(巳上)。此の如く爾前迹門本門と三重に次第して論ずる時此の意也。若し唯権実相対と云ふ時は、本迹二門を以て爾前に対する故に、今経には二乗作仏久遠実成を明す故に真実也と談ずる也。是れ其の大旨也。爾れば爾前方便法華真実と云ふ事文義分明也。次に本迹相対の時既に迹門には久遠実成を明さざる故に真の一念三千も顕れず、真の二乗作仏も定まらざる也。是れ則久遠実成を明さざる故也。是則奪の辺正義也。故に経には以是方便教化衆生以方便教化衆生と説き今の文には我実成仏と宣へたり。仍大師は迹中之説皆是方便と釈せり、若し実の二乗作仏を明し、実の一念三千顕るれば何んぞ皆是方便と云ひ、一期の迹教を廃す等と釈せんや。驚いて曰く先づ初に迹門に真の一念三千を明さずと云ふ事甚以て疑ひあり、凡そ方便品には諸法実相所謂諸法如是相如是性乃至本末究●等と説き玉へり。天台一家此文に依て一念三千を釈す。玄文の第二止観第五の如し。妙楽大師金●論卅五、客曰く云何なるか三千なるや、余曰く実相必ず諸法、諸法必ず十如、十如必ず十界、十界必ず身土と(巳上)。明に知んぬ諸法実相十如是の法門、則十界十如身土なれば一念三千なる事分明也。何ぞ迹門に一念三千を明さざるや。答て云く是れ亦権実相対の時始成正覚也と雖ども、十界互具を明す故に且く一念三千を明す也。其の始覚の十界互具とは只是れ水中の月の如く、根なし草の浪の上に浮ぶが如く也、故に本門に対すれば真の一念三千に非る也。若し本門寿量に於て三世常住本覚本有の十界互具を明すが故也、是則真実の一念三千也。所詮短才の私答詮無し、宗祖云く十法界抄三十四(廿八)、初迹門には只是れ始覚の十界互具を説て、未だ本覚本有の十界互具を明さざる也(巳上)。既に未だ本覚本有の十界互具を明さずと判する故に、迹門に真の一念三千を明さずと示ふ也。是れ則今の文の我実成仏の実の字之を思へ。寿量巳前を未顕真実と云ふ也。故に爾前迹門の四教の仏果を只一言に大虚妄と打ち破る也。御書三七、方便品の我始座道場等を一言に大虚妄也と破る文也巳上。現に爾前迹門の仏果を虚妄也と打ち破る、仏果既に破るゝ故に九界は尚自ら破る、果既に尚破るが故に因行元より尚破る道理分明也。仍玄第七、十妙を釈する中に爾前迹門の仏因仏果を悉く是れ方便也と打破れり、十界既に破れたり何物か互具して一念三千を成ぜんや、故に只是れ始成正覚の十界互具を明すは文のみにして実義無き也。
問ふ其の証如何。答ふ卅(廿九)十章抄に云く、一念三千と申す事は迹門にすら尚許されず何に況や爾前に分絶えたること也。一念三千の出処は畧開三の十如実相なれども義分は本門に限る、爾前は迹門の依義判文、迹門は本門の依義判文也、但真実の依文判義は本門に限る也(巳上)。故に文は迹門に有りと雖ども、義分は本門に限る也、故に一念三千と申す事は迹門にすら尚許されずと判じ玉へり。明文斯に在り疑ふ可らざる也。故に諸法実相とは只是文のみにして義無き也。然れども権実相対の時迹門に一念三千を明すは尚以て本門の意を借用して迹門の文に於て一念三千を成ずると見えたり。問ふ其の証如何。答て云く既に止観一部の意は弘三上(六)云く故に知ぬ一部之文共に円乗開権妙観を成ずと釈する故に、迹門開権顕実の開会の上に立ると見へたり。
御書卅八(十六)、若し与て之を論ぜば止観は法華迹門の分斉に依る(巳上)。観心抄に南岳天台は迹門を以て面と為す等と云へり。然れば大師は迹門を以て面と為して、一念三千を建立し玉へり。此の時十如実相の文に依る也。然りと雖ども只文のみにして義無き故に、本門の義を以て迹門の十如実相の文を釈して、法華に於て一念三千を明す故に真実也。爾前は之を明さざる故に方便なりと権実相対する也。問ふ其の証如何。答ふ御書卅(卅八)云く、止観に十章あり、大意釈名体相摂法偏円方便正観果報起教旨帰也。前の六重は修多羅に依ると申して大意より方便までの六重は前四巻に限る、此は妙解迹門の意を宣べたり、今は妙解に依て以て正行を立つと申すは、第七の正観十境十乗の観法は本門の意也、一念三千此れより始まれり(巳上)。此の文の意は止観の一念三千尚本門の意と判ぜり。知んぬ迹門に依て止観を書る、一念三千の義は本門の意と云ふ故に、本門の意を以て迹門の文を釈すると見へたり(巳上)。「是れ私の得意の為也談ず可き所は只上の十章抄の一念三千と申す事は迹門に許さずと云ふまでにて置く可き也。」
問て云く真の一念三千を顕さざる義、粗其の義聞えたり何ん二乗作仏定めざるや。既に経文を披たるに三重の無明一時に究尽して正く初住の位に入る。舎利弗は華光如来、目連は多摩羅跋栴檀香仏、阿難は山海恵通王如来等の記●を被れり、明文此に在り何んぞ二乗作仏を定めずと云ふや。答て云く、既に真実の一念三千を明さざる故に、二乗作仏も亦真実の成仏に非る義分明也。御諸二十初云く、迹門も只是始覚の十界互具を説て未だ本覚本有の十界互具を明さざる故に、知りぬ迹門の二乗は未だ見思を断ぜず、迹門の菩薩は未だ無明を断ぜず、六道の凡夫は本有の六界に住せず(巳上)。此の文則一念三千を明さざる故に二乗、菩薩、未断惑と云ふ也、既に未断惑也故に二乗作仏せざる也、而も無明を断じて初住に叶ふ、劫国名号の記●を被るとは是則迹門当分の断惑にして、跨節の断惑に非ざる也。御書廿三(廿)云く、爾前迹門の菩薩は一分の断惑証理する義分有りと云へども、本門に対する時当分の断惑にして、跨節の断惑に非ず、未断惑と云はるゝ也(巳上)。迹門には二乗を開して皆菩薩と云ふ也。二乗作仏とは本名を存する故也(云云)。仍妙楽大師は開迹顕本皆入初住と釈する也、此の文迹門には未だ初住に入らず本門に於て皆初住に入ると釈する也。初住に入らずとは無明を断ぜざる故也、惣て甚深の義有りと雖ども是れを畧す。既に此の如く爾前迹門に於ては始成正覚を説く故に、真の一念三千二乗作仏顕れざる故に、惣じて方便の経説ぞと打廃す。今寿量品に於ては、然善男子我実成仏巳来無量無辺と説て、久遠実成を顕すに依て、真の一念三千二乗作仏顕るれば、是れこそ真実の教説ぞと顕すを、廃迹顕本と云ふぞと云ふ事を玄義には、迹中之説皆是方便即是廃一期迹教顕久遠本説と釈し、今の文には廃近顕遠廃於近教と釈し玉へり。廃迹顕本の大旨相聞へたり。尚問て云く、本門の中には何の品に一念三千二乗作仏を明すや。答て云く、開目抄上(七)云く一念三千の法門は只法華経の本門寿量品の文の底に秘して沈め玉へり。文廿三(廿)、真実の断惑は寿量品の一品を聞く時也(巳上)。明文此に在り宛も晴天の日月の如し。他宗は且く勿論なり、一宗の学者真実に後世を思ふは何ぞ真正に文を判ぜざるや。然るに当流の信者は文底事の一念三千を信じ奉れば、真実の断惑を究め、即身成仏疑い無し。御書二(廿三)云く、然善男子我実成仏巳来無量無辺百千万億那由他劫等(云云)。華厳経般若大日経等には二乗作仏を隠すのみならず、久遠実成を説き隠させ玉へり、此等の経々に二の失あり。一には存行布故未開権として迹門の一念三千を隠せり。二には言始成故尚未発迹として本門の久遠を隠せり。此等の二つの大法は一代綱骨一切経の心髄也。迹門方便品には一念三千二乗作仏を説て爾前二種の失、一つを脱たり、しかりと云へども未だ発迹顕本せざれば真の一念三千もあらはれず、二乗作仏も定らず、猶も水中の月を見るが如く、根なし草の浪の上に浮べるに似たり。本門に至りて始成正覚をやぶれば四教の果やぶる、四教の果やぶれば四教の因やぶれぬ、爾前迹門の十界の因果を打破つて、本門十界の因果を説顕す、此則本因本果の法門也。九界も無始の仏界に具し、仏界も無始の九界に備つて真の十界互具百界千如一念三千なるべし。南無妙法蓮華経(巳上)。
玄七(十四)云く、二本果妙とは、経に言く、我実成巳来甚久遠とは、我とは即真性軌。仏とは覚の義、即観照軌。巳来とは如実の道に乗じ来りて正覚を成ず、即ち是れ起応、資成軌なり。此の如く三軌成来巳に久し、即ち本果妙なり。本果円満して久く昔に在り。今迹に成ずるに非らず(巳上)。本果妙を解せんと欲せば、先づすべからく迹成を了すべし。問ふ、迹成の相如何。答ふ、蔵通別円の四教果成有り。初めに三蔵の仏果とは、玄に云く、或は言く、道樹草座に三十四心見思湛断し、朗然大悟し世間出世間一切諸法を知る。これを名けて仏となす。唯此仏のみ有り十方の仏無し、三世仏とは悉く是れ他仏にして我が分身に非らず、此れ即ち三蔵仏果の相なり(巳上)。凡そ教主釈尊は住却第九の減人寿百歳の時南閻浮提中天竺の迦毘羅国浄飯王宮に生し、十九にして御出家三十の御年摩竭提国菩提道場にして始めて成道を遂げ玉へり。
道樹とは、記四末(六十六)云く、道摩竭提国の西南に在り、尼連河を去ること遠からず。西域記に云く、第八(十七)菩提樹下周遍累●にして崇峻●因なり。東西長く南北狭く周り五百余歩正中に金綱座有り、此れ即ち迹中化仏の道場なり(巳上)。記に云く、道場と云ふは、今は道樹と云ふ。此の道場に菩提樹有る故なり。統記の三十三(十二)に云く、西南に菩提樹あり、仏成道の処、樹の高さ五丈(巳上)。名義集三(廿一)云く、昔仏の在世に数百丈○茎幹黄白枝葉青翠冬夏凋まず涅槃の日葉凋む(云云)。草座とは三蔵の生滅の法門を表る故なり。
三十四心とは、記一末(五)に云く、八忍八智を以て見惑を断ず。九無●九解脱を以て思惑を断ずるなり。見惑とは、一には身見、二には辺見、三には邪見、四には見取見、五には戒禁取見、六には疑、七には貧、八には嗔、九には癡、十には慢此の十使これを配す。下畧、増減有て八十八使これ有るなり。見惑と名くることとは未曽見の理を見て此の惑を断ずる故なり。思惑とは貧嗔癡慢の四なり。是を上中下の三に分ち亦上中下三品有り、是の故に九品の思惑なり。是を三界九地に配する故に八十一品の思惑これ有るなり。思惑と名けることは、思と云うは思惟と云ふことなり。初果に重て更に無漏智を思惟し、能く三界の貧嗔癡惑を断ず。故に思惑と名けるなり。●是を道場に於て倶に断ずるなり。問ふ成道の時初て見惑を断ずるや。何んぞ菩薩の時これを断伏せざらんや。答ふ、倶舎の頌に云く、菩提薩●利物を懐となす、有情を化するを以て必ず悪趣に往くと申して菩薩物を利するを以て本懐となす。而るに若し見思を断ずれば三界六道に生ること叶はず。是則ち三蔵は教浅近の故に願力計りを以て界内生ずる能はざるなり。仍てわざと見思を断ぜず。此の見思の惑いと願力とを以て界内に受生して衆生を利するなり。故に記八本(十二)願兼於業とも釈せり。御書二(卅五)に云く、小乗の菩薩の見断惑なるが故に願兼於業と申してつくりたくなき罪なれども父母等地獄に落ちて大苦を受るをかたの如く、其の業を作りて願つて地獄に堕ちて其の苦に代るを悦とす(巳上)。是の故に菩薩の時惑を断ぜず成道せんとする時、同時にこれ断ずるなり。但し断伏に付ては倶舎婆娑大論と小異あり。弘三中(三十八)これを畧す。覚知世間等とは、此の覚知則物の義なり、仏をば智者覚者と云ふなり。
是則凡夫二乗等の愚迷に対して仏を智者覚者と云ふ也。記一末(五)に云く、唯有此仏無十方仏等とは、問ふ、何ぞ十方唯有一仏と云つて、十方に仏有りと云はざるや。答ふ、優婆寒戒経一云り、我れ声聞教に於て十方に仏無しと説く、所以は何ん。恐くは諸の衆生仏道を軽ずる故に(巳上)。文の意若し我が如く仏十方にも有りと云はば、即ち仏法を軽すべきなり。只我れ一仏と云ふ故に尊敬するなり。又三世の諸仏も他仏と云ふは、是れ則ち教浅近の故なり。書註三(三十五)。問ふ三蔵の仏の身相如何。答ふ、文一(廿一)に云く、(三蔵仏身相)。身長丈六寿八十老比丘の像なり(巳上)。是れ則ち丈六劣応身なり。比則ち三蔵仏の果相なり。三蔵の機は此の如く見仏も亦現るなり。
第二通教果上の相とは、玄に云く、或は言く、道樹に天衣を座となし、一念相応の恵を以て余残の習気を改め、而して成仏を得、大品の中に共般若を説く時、十方に千仏現する有り。亦是他仏なり。我分身に非らず、此れ則ち通仏果成の相なり(巳上)。天衣為座とは通教無生の法門を表ずる也。一念相応とは教行決に云く暫時を一念と為す明了を相応となす(巳上)。標下一廿九意に云く暫時の裏に明了に大悟する也。余残の習気とは見思の惑の余習なり、是れ則通教には誓扶習生と申して菩薩の時、見思の正使を顕し其の習気を止めて、此の習気と願力とを以て界内同居悪趣等に生れて衆生を利する也。是れ則経が別円に劣る故に尚其の習気を止めて此の習気と願力とを以て生ずる也。教力劣る故に願ばかりにて生ずること能はざる也。而も三蔵教に勝るゝ故に正使をば顕はする也。問ふ其の習気とは如何やうの姿なりや。答へて云く種々の義有り、且らく一言を示さば大論三十八三に云く復摩偸婆尸他比丘有り五百世に●猴の中に生る、末後に人身を得三明六通の阿羅漢を得、猶跳擲を好むは余習を有るを以ての故なり(巳上)、又大論二の十八に復次に長老畢陵伽婆●常に眼痛を患ふ、是の人乞食して常に恒水を渡る、恒水の辺に到り弾指して言く、小●住めて流る莫れ、水即両断して乞食に過るを得、是れ恒神仏所に到りて仏に白す、弟子畢陵伽婆●当に我を●て言く、小●住して流る莫れと、仏畢陵伽婆●に言く、恒神に懺謝せよ、畢陵伽即時に手を合せ恒神に語る、小●瞋る莫今汝に懺謝す、是の時大衆これを笑ふ、云何が懺謝して而して後●るや。仏恒神に告ぐ、汝畢陵伽婆●手を合せて懺謝するを見るや不や、懺謝慢無して而して此の言有り。まさに知るべし、悪にあらず、此の人五百世来常に婆羅門の家に生れ、常に自ら●貴して余人を軽賊す。本来所習の口言にして巳心に●無となり。此の如く、諸の阿羅漢結使を断ずと雖も猶余気有り(巳上)。大論二(十七)の意又舎利弗の瞋恚難陀の貧欲等も皆余習なり。既に見思の正使を断むと雖も、尚其余習有り。是を習気と名るなり。小乗の阿羅漢も此の習気を断ぜず、是れ則ち能はざる故なり。仏は能くこれを断ずるなり。正使を断ずれども、尚余習有り。(大論二、舎利弗余習のことあり)。大論二(十七)譬あり、譬は香閨中に在くに、香去ると雖も余気故に在るが如し。又草木の薪火を以て焼く烟出て灰尽きざるが如し(巳上)。文の意(云云)。少く勧信。
仏は都て断ずる故に断余残習気而後成仏と云ふなり。亦此の経にも分身を明さざるなり。問ふ通仏の身相如何。答ふ文一(廿一)に云く、此丘の像を帯して尊特の身を現ずと(巳上)。通仏の身相に付ては、学者の異義多端なり。所詮一義を示す、先此の通教には多類の根性有り。ために仏身を見ること不同なり。其の大途を云はば純根の人は三蔵に大同の辺もあり、少異の辺もある、ために丈六一里の仏身を見るなり。又利根の人は別円に同ずる辺もあり。異の辺もあるために、十里乃至百億の尊特を見るなり。仍て利人のためには比丘を帯して尊特の身を現じ、純人のためには尊特を帯して比丘の身を現るなり。此の如く、利純の二機に応ずると雖も、只是一仏なり、勝応身と名くるなり、一仏なりと雖も、而して利純に応ずるために二身有り、二身なれども一仏なり。此の事を帯比丘像現尊特身と云ふなり。異義区々なりと云へども、且く一意を示す(云云)。是則ち通仏果成の相なり。
次に別仏果成の相とは、玄に云く、寂滅道場に七宝華を座となし、身華台に称ふ、台千葉の上に一々の菩薩あり、復百億の菩薩有り、是の如く、則ち千百億の菩薩有り、十方より白亳刃分身光を放ち、白亳は華台の菩薩の頂に入り、分身の光は千葉の菩薩の頂に入る。此を法主職位授て諸仏の法底を窮得し、而して成仏を得と名く。華台とは報仏と名く。華葉の上を応仏と名く。報応但是れ相関て、而して巳に相即を得ず。此れ別仏果成の相なり(巳上)。
寂滅道場とは、華厳経の説処なり。則ち彼の菩提道場なり。五住二死を滅して寂なること空の如し。ために寂滅道場と云ふなり。道場とは得道の場なるためなり。世に穀を治する処を以て場と名く。今謂く、五住の糠を治して実相の米を顕す、名けて場となるなり。実相即道なり(巳上)。
集●上七十八宝華為座とは、名義三(卅六)無量寿経に云く、金、銀、琉璃、頗梨、珊瑚、碼碯、●●と(巳上)。此の如く、七宝を以て成せる所の千葉の蓮華なり。
身称華台とは、問ふ此の華台とは是れ国土となさんや、是れ仏座となさんや。若し座と云はば、華蔵世界故に座に非らず、若し国土と云はば、今の文に身称華台々千葉事等如何。答ふ玄私七(十二)に云く、答ふ、是れ国なり。天台戒疏に云く、蓮華台とは、舎那の本土なり。世界の形蓮華に約する故に蓮華蔵世界と云ふ(云云)。問ふ今文何んぞ座と云ふや。答ふ灌頂の時所座の蓮華正く是れ座なり。成道の時千台に座するは国土なり、今は灌頂を以て即ち成道となす故に身称華台と云ふなり(巳上)。
文に云く、仏儀思難し座と云ふと雖も、即ち是れ国土なり。舎那華蔵界に周遍する故に所座と云ふ(巳上)。私に云く、今又灌頂を以て、即ち成道と為す。故に文に為座と云ふと雖も、国土の義に准じてこれを治むべきか。千葉の上一々の菩薩等とは、千葉の一々の上に菩薩あり、又一葉一億国一国一釈迦と云ふ故に、千葉一々の間に百億の菩薩ありと見へたり。十方放白亳とは、是則ち十方に華蔵世界を現ず。此方の華蔵世界に同きなり。竹十(十六)に云く、彼の十方に法を説く法同、人同被加者同なり(巳上)。然れば十方の台上の白亳の光は此方台上の菩薩の頂を照し、分身の光は此方千葉の菩薩の頂を照すなり。是を灌頂と云ふなり。灌頂とは、世の灌頂に准ずるなり。標下二(廿一)往見。
玄七私記(云云)。六抄五(廿四云云)。職は官職なり、主なり、業なり。凡そ職位とは皆夫々の事を主るなり。輪王の太子の職位を受るに付て四海の水を以て頂に灌く事あり。是に二あり、一には立太子の時、二に即位の時なり。其の如く法主の職位を受け玉ふ此の事を此名授法王職位等と云へり。華台と華葉と只是れ相関するのみにして相即せず。是の故に是れ別仏果成の相なり。問ふ別教に分身を明すや。既に今の文に分身光入千葉菩薩頂等と云へり。答ふ梵網経の意に准ずるに、是れ一台葉なるが故に台中の菩薩を分身と云ふなり。十方の華蔵界の菩薩等を分身と云ふなり。十方の華蔵界には台の上を本身と云ひ、葉上葉中を分身と云ふべし、彼は自ら彼の分身此は自ら此の分身なり。十方に対すれば分身と云ふ義これ無きなり。故に今分身と云へども宝塔の分身の義と大に異なるなり。況や十方の仏を分身と云ふ義尚これ無きなり。故に玄十(六)に云く、又彼に十方の仏華厳を説くを明す、乃至彼の仏是れ舎那の分身なりと言はずと(巳上)。玄私十(四丁)往見、故に分身を明さずと云ふべきなり。又竹十(十六ウ)に云く、一身多身一多自在而して分身の説を覆ふ。但主判相関と云ふ(巳上)。主判相関とは、玄私十(四)に云く、此の華蔵に十方を摂するを主となす。他方を伴となす、他方華蔵亦此の界に摂す。他方を主となし、此の方を伴となす(巳上)。文相畧これを示し巳んぬ。然りと雖もいまだ分明ならず、これに付て三重本末成道と云ふことこれ有り。其の相を談ずべきなり。六条六下(八)に云く、先づ華厳の法蔵師等の意と不同なり。今は今家の意を述すべし、先三重本末とは、地盤界外の実報他受用身に付いて云ふことなり。先別教等覚の菩薩第十二品の元品微細の無明を断じ、妙覚の大果を満し境智冥符する処を受職灌頂するなり。本身は台の上に居し、分身は葉上葉中に居し、十方の諸仏光を放つて頂上を照す受職の相なり。此の如く成道するを三重本末の成道と名く、本末とは三重に付いて両重の本末あり。謂く台の上は本、葉上は末、亦葉上は本、葉中は末なり。台の上は正く報土なり。千葉は界内同居に摂するなり。しかれば此の娑婆一大千界千仏の中の一葉に当れり。葉中と云ふは、千葉の一々の間に百億の国あり。娑婆一葉の中に百億の須弥百億の日月あるが故なり。葉上葉中と云ふは、初は化身にて八相の応身は一仏もなし、但地住巳上の菩薩の所見にして凡見にあたはず、現に此の如く、十方の諸仏光を放ち菩薩の頂を照し玉ふ、是は智水を以て頂に灌く義なれば世の灌頂に比して受職灌頂と云ふなり。是れ則ち即位の如し、等覚の後心受職灌頂して妙覚の宝位に登るなり。さて此の如く三重本末の成道巳つて葉上葉中の分身の仏各大衆を同道して本仏の台へ上る廬舎那仏の所に行くに能所に菩薩戒を受け玉ふなり。さて受職し巳つて舎那仏を供養し、然して後閻浮提の菩提樹下に還つて重ねて成道を示し、舎那の説法を覆述するに凡そ十処あり。竹難一(十一)第一菩提樹下妙光堂に十世界海を説く、第二に●利天に十住の法門を説く。第三摩耶天に十行の法門を説く。第四兜率天に十回向を説く、第五化楽天に十禅を説く、第六他化自在天に十地を説く、第七初禅十金剛を説く、第八二禅に十忍を説く、第九三禅に十願を説く、第十に四禅に本源華厳心地法門を説く、此の如く十処を経て舎那の説法を覆述す。又閻浮提に還り此の如く十処を経て此の往反すること八千反なり。さて第四禅より閻浮に下つて一切の凡俗のために舎那仏所誦の十重四十八軽金剛宝戒を説くなり。是は梵綱経の相なり。第一の他化身の成道は凡夫の所見に非らず。此の時は三重倶に報土なり。玄私七(廿三)に第二の成道事相の凡見の相応身なり。中に於て葉上の仏は八相の応身百億の仏は化身にして、是れ又釈迦の分身と云はるるなり。是れ世に無二仏の故なり。しかれば今日釈迦は葉上の釈迦八相を現ずる一仏なり。さて華厳の儀式は此の八千反の応身の中の一反の成道あと得意べし(云云)。さて今の文は葉上の釈迦の別教の機のために閻浮提寂滅道場菩提樹下に於て、実報土の相を現じ此葉上を変じて台とし十方を摂して葉とす、此の時も灌頂の相あり。今文其の相を釈すと見るべし故に寂滅道場の相なりと云ふ是は華厳経の仏なり。仍て華厳の教主を影現の報身報土と云ふなり。今は華厳経の仏を以て別仏果成となるなり。問ふ別仏の身相の量如何。答ふ文一(廿一)単に特座蓮華台を現ず(巳上)。これに付て礼岳両師生身尊特等の種々の異解ありこれを畧す。又須現不須現示現現起等の異義これありこれを畧す。且く礼師の意に准ずるに須現の尊特とは高大の身相を現起す。前の如き華厳の蓮華蔵界微塵の相好あり。或は十六観経の弥陀六十万億由旬八万四千の相好等の如し。二には不須現とは是れは丈六の劣身に於て仏力を加して、無分斉を見せしむ只是れ三相を現ずるなり。
目連不窮音声等の如し。記一末(六)に云く、目連其の声を究めざるが如し等(巳上)。弘一中(七十三)に云く、仏霊鷲在り目連自念す、仏声の至る所の近遠を知らんと欲し即ち座従り起て須弥頂に往き如来の声を聞くに目前に在るが如し、自ら神力を以つて大千の辺大鉄囲の頂に往く、故に無異を聞く、仏念すらく目連我が清浄の音暢を試さんと欲す。吾れ今現ぜんと欲する時目連仏力を承け去て西方界分に至ること九十九恒河の仏土を光明幡と名く、仏を光明王と号す。彼に至り故に聞くに猶対面の如し、彼の仏の身の長四十里、菩薩の身長廿里、菩薩の食鉢高さ一里、目連彼の鉢の縁の上に行彼の菩薩仏に白く、此は是れ何の虫ぞ沙門服を着て鉢の上に在て行。仏の言此賢を軽ずること莫れ、大目連と名く、釈尊第一の神足の弟子なり。彼の仏目連に告ぐ、此の土菩薩及び声聞衆卿が身小を見て軽慢の心を生ず、まさに神力を現ずべし。釈尊の力を承けて彼の仏足を礼し、繞ること七市し巳ぬ、我れ今結座せば此の地受けず。仏言く意に随へ即ち身を虚空に踊し、高百億●●を化て而して坐す。種々光明珍宝瓔珞而して荘厳せり。各億万千現じ巳つて其の仏の前に往く、諸菩薩等未曽有なりと怪む。仏白して言く、目連何が故に此に至る。仏の言く、彼の声の遠近を試さんと欲する故なり。仏目連に告ぐ、仁仏声の遠近を試る宣らず。卿大に誤るなり。、仮使恒沙劫を過ぎて行くとも亦知ること能はず、目連彼の仏足に投し過を悔ゆ。仏目連に告ぐ、汝此に到るは是れ釈尊の力なり。若し彼に還らんと欲する、仮使ひ卿が身一劫すとも至らず仁巳に滅せん。目連曰く、我れ今迷惑して所去を知らず。彼の仏の曰く、東方に在れ目連又手し自帰して偈を説く、唯願く天人●くは力を垂れ愍念願くは其の国土を顕せ、今本土に還らんと欲す。身子霊山に於て聞き而してこれを怪む。阿難仏に白す、誰ぞや。仏言く目連彼の光明幡世界に在り。仏ために光明を放て
                                     これを照らす、光を承て還り到る到り巳て懺悔す(巳上)。音声現にしかなり、諸相例してしかなり。是れ則ち不須現の尊特なり、此の二義有りと雖も倶に是れ別仏の相なり。仍て倶に尊特の報身と云ふなり。又爾前迹門の円仏は相即の三身を明かす故に、尚是れ微妙の仏身なり。其の相明日の如し。三蔵の仏は劣応身通教の仏は勝応身、別教の仏は則ち尊特報身なり、円教の仏は相即法身なり。此の如く劣応勝応勝応報身法身の不同はあれども同く是れ始成正覚と説く辺は全く同きなり。既に亦是れ浅深の不同あり、仍て経文釈書並に方便の別果なりと払除するなり。其の相明日の如し。此の垂迹示現は方便虚妄夢中の虚仏をたのんで成仏すべけんや。又其の虚妄夢中の仏の説は倶に是れ虚妄方便なり。仍て、御書十四(卅八)権教は難行して適ま々々仏に成りぬと思へば、夢中の権の仏なれば本覚の寤の時には、無実の仏なり極果の仏無ければ有教無人なり。況や教化実ならんや。これを取つて修行せんは聖教に迷へるなりとも書し玉へり。然れば能詮の教主権仏迹仏方便なれば所説の教法権迹の方便なりと云ふこと分明なり。面々は本門寿量の金言を信じ、実仏実説の南無妙法蓮華経と修行すれば成仏疑無き者なり。御書廿八、廿九に云く、法華経に於て亦二経有り、所謂迹門と本門となり。本迹の相違は水火の異目なり。例せば爾前と法華経との違目よりも尚相違あり、爾前と迹門と相違ありと云へども相似の辺もありぬべし。所謂所説八教あり。爾前の円と迹門の円と相似せり。爾前の仏と迹門の仏と劣応勝応報身法身異れども始成の辺は同きぞかし、今本門と迹門とは教主巳に久始のかわりめ百歳の翁と十歳の幼子との如し、弟子亦水火なり、土の前後云ふ計り無し、尚本迹を混合するは水火を弁へざる者なり(巳上)。
    二 日
第四に円仏果成の相とは、玄に云く、或は言く、道場虚空を以て座となし、一成一切成毘盧遮那一切処に遍す。舎那釈迦成亦一切処に遍す三仏具足して缺減有ること無し。三仏相即一異有ること無けん。法華八万一々方各四百万億那由他国土に釈迦を安置す、悉く是れ遮那普賢なり。云く、釈迦牟尼毘盧遮那と名く此れ即ち円仏果成の相なり(巳上)。
虚空為座とは、竹に云く、華厳の如し云云。玄私七(廿五)に云く新経云く、其の師子座七宝華を以て台となす。世尊座処虚空の如し一切処に遍す。又仏云く、師子の座の量法界に同じ(巳上)。然ば円教の意は一塵●法界を明かす、故に道場の師子の座即虚空為座なり。大虚を名て座となすと謂ふにはあらずなり、師子座とは師子の形にはあらず。仏は人中の師子なる故に仏座をしか云ふ。補註五(十一)大論を引くなり。
一成一切成とは、(后日大論七(十三)甫註所引云云。其相具なり往見記六(廿八)同じ。)文私六(十四)、若し仏教の機は報応各別なり。若し円教は三身を一体と明かす。樹下を指して即法身成亦報応成なり(巳上)。意に云く、一成とは樹下の釈迦を指す、即ち法身成亦是れ報応成なり。毘盧遮那等なり文九(廿一)法身如来名毘盧遮那報身如来を盧遮那と名く、応身如来を釈迦文と名く云云。故に知んぬ三身一切処に●するなり。
問ふ若ししからば円仏とは、一切処に●する虚空法界を以て円仏と名くべきや。答ふ若し円教の意は、今日出世の釈尊其の体即ち是れ虚空法界に●するなり。又虚空法界即ち釈尊一体なり。故に記一末(六)に云く、大虚を名て円仏となすと謂ふにはあらず(巳上)。問ふ釈迦丈六豈に法界に遍せん。答ふ玄私七(廿五)に云く、塵即法界なり況や丈六をや。言ふ所の●とは、塵大と成ずるにあらず。只一塵を点じて即ち法界の全躰なり。一塵の外更に余法有るに非らず。乃至問て云く、何ぞ一塵是れ法界全体、答ふ一塵現に是れ真如真如即是れ法界の全体、若し一を以てこれを論ぜば万法同く是れ一法界の体、大虚空の如し。若し異を以てこれを論ぜば万法一々に是れ法界余の一切塵又各法界なること帝網の珠の如し互に諸珠を現ずるが如し。乃至又●に(●有二義)二義有り。一には即ち狡●一に一切を摂す。尺鏡の内に大虚の像を現ずるが如し、二には寛広●一即一切諸珠網の一珠の諸珠の中に在るが如し。此れ体に約して論ず、若し事に約して即ち狡●を明さば、方丈の室に数万の座を納るが如し。寛広●とは梵天の丈六仏頂を見ざるが如し(巳上)。
方丈室とは、要覧上(廿二)毘那利城東北四里計に至り、維摩居士の宅あり、疾を示すの室址を遺石を畳てこれを為る。王策躬手を以て板の縦にこれを重るに十篇を得たり、故に方丈と号す(巳上)。浄名第六不思議品に云く、維摩詰神力を以て東方三十六恒沙の国土を過ぎて須弥相国の須弥燈王仏の所に至て、高さ八万四千由旬師子の座を数三万三千結びて、維摩の小室に入りて諸の菩薩をして師子の座に坐せしむ時に、維摩詰舎利弗に語らく、師子座に就け、舎利弗の言く、広高して昇ることあたはず。維摩言く、須弥燈王仏のために礼をなして坐せよと、即ち新発意菩薩及び舎利弗等燈王如来を礼して坐することを得たり(巳上)。此れ即ち狡●一塵に法界を含むる故なり。是れ則ち法界丈六の仏身に●するなり。
梵天丈六仏頂を見ざるが如しとは、傍註(御書十五書註十六十三)又此の例あり弘一中(七十二)に云く、西城記に云く、昔婆羅門一の竹枝長一丈なるを以て尺とし、仏身を量らんと欲す。纔に仏身に約する杖の上猶杖量の如き許り有り、量して既に巳まず地に●而して去る。其の杖林と成る後に此の中に於て而して精舎を立て名けて杖林となす。又梵天其の頂を見ざるとは、梵は色界に在り。彼の天従り亦いまだかつて世尊の頂相を見ず(巳上)。又応持菩薩身量を窮めずとは、弘一中(七十二)に云く、仏成道の後婆羅奈に遊ぶ。東方此を去る甚遠し仏有り思惟華と号す。世界を懐調と名づく、菩薩有り応持と名く来つて仏足を礼す。繞り千匝し巳つて念じ仏身を量らんと欲す。即ち自ら形を変じて高さ三十万里復仏身を見るに、高さ五百四十三万兆●二億里なり。仏神力を以て応持住て上方百億恒沙世界に至る。界を蓮華荘厳と名け仏を蓮華上と名づく、彼の界に至り永く釈尊の頂を見ず。仏身の遠近幾何を知らず。往て彼の仏に問ふ。彼の仏答て言く、更に恒沙劫を過れども、亦釈尊の頂を見ることを能わず。智恵光明言辞悉く皆是の如しと金剛密迹経に出づ。此れに尚見ず況や梵天をや(巳上)。是れ応持の不見を挙げて梵天の不見を況するなり。此れ即ち寛広●の相なり。丈六の仏身法界に遍する是なり。此の故に毘盧遮那乃至亦遍一切処と云ふなり。
三仏具足無有缺減とは、若しこれを分別するに、此の句は蔵通に対す言なり、謂く蔵通二教には劣応勝応を明かす。故に三仏を具足せず。則ち缺減有るなり、今円仏はしからず故に三仏具足無有缺減と云ふなり。三仏相即無有一異とは此の句は別教に対する言なり、彼には或は三仏を明せども相即せず、一異縦横並に別等なり。円仏はしからず故に三仏相即無有一異となり。或は亦二句倶に通ずべきか。相即とは指要抄の当体全是なるを即と云ふなり。譬へば氷と水との如し、常途云云。無有一異とは集解崇抄下(五十八)一異の事あり云云。例するに今の意に云く三仏なり故に定一の相無きなり。相即の三仏なる故に定異の相無きなり。即一而三即三而一不思議微妙の仏果なり。
問ふ所談の如くんば、爾前の円教に三身即一の如来を明すと見へたり。若ししからば記一末六何んぞ法華巳前には三仏離して明す●小を隔る故に此経に来至して劣に従て勝を弁じ即三而一と云ふや。
答ふ記の文三仏の言を以て三身となるは非なり。此の三仏とは三蔵の劣応通教の勝応別教の法身是れを三仏と云ふなり。離明とは三教の人当教にして執して、其の当教の仏を見るなり。故に隔●小故と云ふなり。来至此経従劣弁勝とは劣応勝応報身に即して報身なる故に即三而一と云ふなり。即三の三は三身の三には非らざるなり。文私一(卅五)に云く他経の円経に尚染浄融通不二を明す。豈三身相即を明さざらん。乃至而三仏離明とは諸の●小の人即一を聞くと雖も、各独当教の仏を見る故なり。若し法華に至れば諸の●小の人、円頓に会入して並に一体を悟る(巳上)。随問一末(十)に云く三教の仏を以て三仏と名くるなり。即三而一とは即三教の応報なり。円教の法仏三即劣一は是勝なり(巳上)。此等の指南分明なり。まさに知るべし従劣の劣は劣応の劣のみにあらず。即三の三は三身の三にあらざるなり云云。
法華迹門●仏法花は方等とは、此れ則ち法花迹門の仏を挙ぐるなり。宝塔品の意は第一に此の娑婆を変じて浄土となす。第二に八方各二百万億那由他の国土を変じて浄土となす。第三に亦八方各二百万億那由他の国土を変じて浄土となす。其の中に充満せる無量無辺の分身諸仏皆是れ応身なり。此れ応身即法身にして法界に●するなり。故に普賢観を引いて其の証を示すなり。此れ則ち法華迹門の円仏の相なりと云ふことを法花八万乃至円仏果成の相なりと釈するなり。既に此の如く爾前蔵通別円及び法花の迹門の円仏を挙げ巳つて三義を以て悉是れ方便の仏果水月の如くぞと打ち払ふなり。此の事を玄に三義有り。故に知んぬ此の諸果皆是れ迹果なり。一には今世始成の故、二には浅深不同の故に、三には中間を払ふ故にと巳上払迹方法なり私に云く、月影を知る亦三の方法有るべし。一には水底有る故に本月は天に居す。二には大小の田器の中に浮び而して其の数多きが故に天月は虚空に在り只一なり。三には天月を見て任運と水月は是れ影なりと知るなり。第一の始成の故を釈して云く若し是れ本果ならば何んぞ今日成ずることを得んと。意に云く、本果は既に久遠五百塵点劫巳来に成せり。何んぞ今日始めて成ずることを得んや。譬へば月は天上に在り何んぞ水底に在ることを得ん水底に在るは知んぬ影なり。始成と云ふは明に知んぬ、是れ迹の方便なり。第二に浅深不同故を釈して云く、本果は一具一切具何んぞ、前後差別不同を得ん云云。意に云く、本果は是れ一円因を修して一円果を感ずとも、本地の自行は唯円と合すとも、釈して唯円の一果なり。何んぞ蔵通別円の四教の前後差別浅深不同なることを得んや。譬へば本月は只是れ一なり、何んぞ大小の器に浮べん。差別浅深不同あらんや。大小の器に浮んで差別不同有るは知んぬ影なり。全く其の如く差別浅深四教の果成の相あるは定て是迹なり方便なり。
第三に払中間の故を釈して云く、今世の前本成の後自従り、百千万億の因を行じて果を得、生を唱へ滅を唱ふ、是れ中間払方便となす。寂滅樹王何んぞ道に非るを得ん云云。意に云く、今日巳前本地第一番の後、或は陶師となり。大論三廿九先の釈迦仏に値ひ三事を以て供養す。籍草と燃灯と名密漿なり。此の行発心誓願せしは行因の時彼の先の釈迦仏法を授て云く、父母名字弟子侍人先の仏の如くせんと記し玉へる、則ち得記なり。或は昔儒童菩薩となりて燃灯仏に値ひ五花を散し契り髪を布いて泥を淹し等は行因なり。時に燃灯仏の未来に釈迦文仏と成るべしと授記し玉ふは即ち得記なり。文私九末智印経瑞応経放光経等を引く、又一覧一云云。
又昔宝海梵士となり、刪提嵐国の時、宝蔵仏の所にと大精進を行ずる等は行因なり。宝蔵仏の授記し下ふは即ち得記なり。悲華経第二巻又迹門には三千塵点の昔大通第十六子とて大通仏の法華経を覆講して、今日釈迦仏と成り玉へり等と説き玉ふ。(是は玄七本因畧釈の意に依る)。此の如く今日巳前本成巳後百千万億国土に於て、種々無量の行因得記の相を只一言に打ち破りて今寿量品に於て然善男子我実成仏巳来無量無辺百千万億那由他劫自従是来我常在此娑婆世界○我説燃灯仏等と、又復言其入於涅槃如是皆巳方便分別と打ち払て悉く方便垂迹示現虚妄なりと説き顕し玉へば、中間既に悉く是れ方便なり。況や今日の釈尊豈迹成方便に非らずやと云ふ事を寂滅の穢土何んぞ迹に非るを得ん等と釈せり譬へば天の一月は本なり。水中は影なりと払ふが如きなり。亦此の三の故の子細を妙楽大師竹七(十一)に具にこれを釈す、本因妙の下の如し。然れば釈尊は惣じて釈尊の行因得果を指して是の如く皆方便分別となすと説き釈には悉く是れ中間に払ふ是れ方便とも、又●九(卅四)には皆我が方便実説に非ざるなりとも釈し、(判)妙楽は中間今日任運に自ら廃すと指南し玉へり。迹中始成の説は皆是れ方便にして実説には非らずと払ひ除き玉ふ事晴天の日輪よりも夜中の満月より明々赫々として分明なる明文なり。しかるを本迹を混合して不同無しと弘通するは是れ本をも知らず、本迹倶に失ふなり。此の事を天台大師兼て嫌つて云く、若し迹果に執して本果となすは斯れ迹を知らず、亦本をも識らず云云。是れ則ち本迹倶に失ふなり。譬ば西を知らざる者は東をも知らず南北亦しかなり。此れ則ち東西倶に失ひ南北の行迷乱す。其の如く迹に執して本となすは、本迹倶に識らざるなり。例せば弘一(下廿六)過去世の時空閑処に五百の●猴有り、人間に遊行して一の尼狗類樹有り。樹下に共有り、共に月の影有り。猴主見巳て諸判に語て言く、月死して井に落つまさに其れこれを出し諸の世間をして暗冥を破らしむぶべし。諸猴言く、云何か能く出さん。主に云く我れ出す法を知れり。我樹枝を捉り、汝我が尾を捉り展転相連り、乃ちこれを出すべし。諸猴皆従ふ。讒に水に至らんと欲す。猴重く枝弱し枝折れて井に堕つ、乃至師迷以ての故に数多の人を迷はしむ(巳上)。
名義一(十二)観経疏を引き苟も迹事に於て而して対執を起さば則ち癡猴の井に堕ちて而して死にしに同じ(巳上)。
迹門に執するは彼の●猴の水中の月に実の月の思をなしたる如くなり。既に水月に実の思をなす故に本月をも知らず。既に本月を知らず水月と云ふ事をも知らざるなり。是れ天月水月倶に失ひ本迹同く迷乱するなり云云。故に真正に文を判ずれば迹門は水月の如く劣り、皆是れ方便なり。本門は本月の如くにして勝れ正に勝れ真実なりと弘通すべしと云ふ事を天台大師本従り迹を垂れば月の水に現ずるが如し。迹を払ひ本を顕すは影を撥つて天を指すが如し。まさに始成の果皆是迹果なりと撥し久成の果は是れ本果なりとすべし文意分明なり。本門は天月の如く、是より迹を垂るは、本月より影を水に浮べるが如くなり。仍て其の迹を払ひ本を顕すは水月は影、天上の月は真の月よと指すが如し。始成の果は皆是れ迹の方便なりと撥し、本の久成の仏果は真実の本果なりと指すべしとなり。然るにあさましきことは、始成久成同じからざるを本門迹門一致なりなんと宜ぶる輩は是れ深く迹門に執する故なり。本迹倶に失ふなり。彼の●猴が水中の月に真の月の思を作せしが如し。若し正直に釈尊天台妙楽祖師大聖人の本懐金言に附順して、迹門は水月の如く劣り。本門は本月の如く勝れたりと、始法は方便久成は真実なりとこれを談ずるは、現に本をも知り亦迹をも知れり、本迹倶に知れり。東西道明なる程に面々も彼の本迹迷乱の師に与せば、彼の●猴の伴の主の言に従つて井底に落ちたるが如く、皆無間地獄と云ふ井の底に落ちんこと不便なり。仍て妙楽大師は師迷ふを以て故に人を迷はし教むと誡め玉へる程は本門寿量の教主の金言天台妙楽祖師大聖人の金口を信じて、一代教の中には此の法花教、法華経の中には此の本門寿量の南無妙法蓮華経と修行すべき者なり。御書二(廿四)かうてかへりみれば華厳経の台上十方阿含経の小釈迦、方等経般若経金光明経、阿弥陀経大日経等の権仏等は此の寿量品の天月のしばらく影を大小の器に浮べ玉ふを諸宗の学者等、近くは自宗に迷ひ遠くは法華経の寿量品をしらず。水中の月に実の月の思をなし、或は入て取らんと思ひ、或は縄を付けてつなぎ留んとす。天台云く、不識天月但観池月等云云。
    三 日
玄七(十四)に云く、経に曰く、我実成仏巳来乃至非今迹成向引(巳上)。
三●の相如何。答ふ名義(六十三)に曰く、円教を明すとは、真性●を以て乗の体となし。偽らざるを真と名づけ、改まらざるを性と名づく、即ち正因常性なり。諸仏の師とする所、所謂法なり。観照とは只真性を点ずるに寂して常照なり。便ち是れ観照なり。資成とは、只真性法界を点ずるに諸行無量を含蔵す(巳上)畧。
竹五(六十一)に云く、乗体とは、皆すべからく初因従り果に至るべし、因果の所取名づけて垂体となす(巳上)。
玄五(五十四)に云く、前に諸諦の若は開、若は合、若は麁、若は妙を明し巳るは是れ真性●の相なり。前に諸智の若は開、若は合、若は麁。若は妙を明す、是観照●の相なり。前に諸行の若は開、若は合、若は麁、若は妙を明し巳る。是れ資成●の相なり(巳上)。然れば真性●とは、境妙を指し、一念三千等の妙法蓮華経の境は偽らざる故に真と云ふなり。真は真実にしていつはりに非ずと云ふことなり。又此の妙法蓮華経の一念三千は三世常住にして改まらざる故に性と云ふなり。是れ則ち照す所の理を指す故に、則ち法身なり。観照とは智妙を指す、信心の智を以て妙法蓮華経の境妙を観るに、寂にして常に照す故に観照と云ふなり。観照とは、かんじててらすとよむなり。是れ則ち能照の智を指す故に報身なり。此の境地冥合の観心をなす処に無量の諸行を含蔵す。則ち応用を起し衆生を利益する。是を資成とも応身とも云ふなり。
然れば則ち法報応三身のことなり。故に玄五(七十)に云く、真性●即ち法身、観照●即ち報身、資成●即ち応身と釈せり先づ此の三身の大旨は法身と云ふは、所照の境の理体を指して法身と云ふなり。次に報身と云ふは、能照の智恵を指して報身と云ひ応身と云ふは彼の境智冥符する処に無縁の大悲あつて衆生利益をなし応用を起すを応身と云ふなり。故に止六(九十)に云く、境に就いて法身となし。智に就いて報身となし。用を起すを応身となす(巳上)。此の三身に付いて、初は翻名次に三身の名義を云ふべし。・・初めに翻名は・・文九(廿一)に云く、法身如来を毘盧遮那と名づく、此に●一切処と翻ず報身如来を盧舎那と名づく、此に浄満と翻ず。応身如来を釈迦文と名づく、此に度沃●翻ず(巳上)。此の翻●一切処とは、名義一九弘決を引く云云。此に●一切処と云ふは煩悩の体浄く衆徳悉く備り身土相称ひ一切処に●す(巳上)。意に云く、毘盧遮那を翻じて●一切処と名づく。所以に此の法身如来若し具縛の凡夫の身中にある時は煩悩の不浄に覆は所れて顕れず、玉は一徳をも備へず。身土も障●し法界に●する用もなけれども若し信心修行に依て悟り顕す時には不浄の煩悩の体即清浄無染となり。悉く万徳を備へ身土不二の理に相称ひ一切処に●し故に梵語には毘盧遮那と云ふを、此方には一切処に●すと翻ずと云ふぞと釈し玉へる意なり。次に報身如来を盧舎那と名づく、此に浄満と翻ずとは集解上(十九)に云く、此に浄満と翻ず惑累清浄にして種智円満なり(巳上)。
名義一(十)に云く、浄覚雑●に云く、盧舎那を宝梁経には翻じて浄満となす。諸悪都尽を以ての故に浄と云ひ、衆徳円なる故に満と云ふ、此れ多く自受用報に堕ふて名を得。或は光明●照と翻ず。此れは多く他受用報に従つて目となす。若し色心皆浄満得身智倶に光明有と論ずれば、二名並に自他受用に通ずるなり(巳上)。報身には既に自受用報身他受用報身有る故に、或は浄満と翻じ。或は光明●照と翻ず二名有るなり。故に先づすべからく自他の報身の相を了すべし。名義一(十)唯識論十(廿一)に引いて云く、一には自受用身乃至常恒自ら広大の法楽を受く、二には他受用謂く諸如来平等智に由て微妙功徳身を示現し純浄土に居す。土地に住する諸菩薩衆のために、大神通を現じ正法論を転じ衆の疑網を決す。入彼の大乗の法楽を受用と云ふ。此の二種を合して報身と名づく(巳上)。先づ自受用身と云ふは妙法蓮華経の修行の功を積んで徳を累し、見思塵沙無明の三惑を断じ、等覚の最後身に元品の無明を断尽したる処の智恵を自受用と云ふなり。何故に自受用と名づくるや。既に三惑皆悉く断じ尽たる此の清浄微妙の仏智を以て所照の理体と冥符したる処に無量の万徳を備へて、常に自ら広大の法楽を受くる故にしかと云ふなり。さて他受用とは、此の如く境智冥合したる智恵を以つて微妙清浄光明赫々たる功徳の色身を示現して、専ら浄土に居す。地住巳上の菩薩のために神通を現じ法輪を転じ他をして大乗法楽を受用せしむる他受用身と云ふなり云云。さて正く自受用の智を浄満と翻ずることは諸の惑累都べて尽きたるが故に浄なり。中道の種智円満し万徳円満する故に満と云ふなり。然れば浄と云ふは諸惑の不浄を除く故浄満と云ふは種智万徳円の故に満と云ふなり。さて他受用を光明●照とは微妙の清浄の功徳身を示現して、光明●く照す故に爾か云うなり、而も亦云う可きなり、謂く若し色も智も倶に惑尽き万徳円満する故に他受用を浄満と云うべし、身も智も光明有る辺に依らば、自受用をも光明●照と云うべきなり、云く通別の両意これ有り、而も亦今の●の文は、或は通意に約して且らく名を挙ぐる故に三身の中の報身自受用に局る可らざる故なり云云。
応身如来を釈迦文と名く此には度沃焦と翻ずとは記九本四十三に云く、華厳経の各号品の中及び十住婆沙の中に例する所大海に石有り其の名を●と曰く、万流これに沃く石に至て皆竭きぬ、所以に大海の水増長せず、衆生流転猶焦石の如し、五欲これ沃きは、足無し唯仏のみ能く度し玉う是の故に云うなり。文九、記九に云く、華厳婆沙此の文直に無しと云へども彼の経論の義に依て其の名を立つるのみ、下に経を引く云云。文に云く東海に焦石有り一に沃焦と名く方円三万里水これに沃れば則ち消尽す、巳上取意。意に云く度沃焦とは沃焦を度するとよむ、沃焦を衆生に譬う故に能く衆生を度する故に釈迦文をば度沃焦と云うとなり。焦と云うはかるゝとよむ字なり、沃と云うは、そゝぐとよむ字なり、譬の意は先づ東海の中に方円三万里の石あり是れを焦石と名く。是れ則ち万流これに沃く則ち消尽るが故なり。是の故に大海の水増長せざるなり、我等衆生苦海生死の大海に置れば、彼の焦石大海に置るが如し、万流これに沃く皆悉く尽るは、我等衆生に五欲の万流沃けれども、●足無きが如く、かく五欲に●足すること無き、衆生の焦石をば唯仏のみ能く度し給う故に度沃焦と翻ずるなり。問う衆生五欲に●足無きと云うは何ん、答う五欲の事は、大論十七五丁止観四四十八、弘四末廿七ウ具に釈せり、所詮色声香味触也。先づ色と云うは男女互に美色に於て執着を成して●足無きなり寔に愛着の道其の根深く源遠し、六塵の欲多しと云へども皆厭離しつ中に只被迷の一つやめがたき者と見えたり、女のかみすぢをんよれるつなには大象もつながれ、女のはけるあしだにて作れる笛には秋の鹿必ずよるとぞ、老たるも若きも智あるも愚なるも替る処なしとぞ、自ら誡つゝしむべき事なり。声欲とは音声なり、女弁美の年其の外上手の音曲●足無きなり。香欲とはにをひなり、香ひなどばかりのものなるに衣裳にたきものすと知りながら、えならぬ香には心必ずときめきする者なり、味欲とは一切食物あじはひ●足無きなり、触と云うはふるゝと云う事なり、男女互に其の身に触れ其膚に触るゝにあきたる事なきなり、斯の五欲を衆生に沃くに●足無きは彼の焦石に万流沃のに悉く尽くるが如し。仍て衆生を焦石に譬う。此の衆生を度する故に度沃焦と云うなり、其の衆生を度すると云うは時々の行あるべけれども末法今時は釈迦文如来、是好良薬今留在比、遺使還告と説き玉ひて偏に本化上行菩薩に、本門寿量の是好良薬南無妙法蓮華経を御付属あつて滅後末代の五欲深重の各我等に本門寿量の南無妙法蓮華経と唱しめ、如渡得船の船に打ち乗せ生死の大海を度し玉う故に沃焦を度す、度沃焦と云なる程に、本門寿量の題目専也云云。翻名畢んぬ。
次に法報応と名く事。法身とは、名義の一(十三ウ)引拾遺記上六十一、光明玄に云く法を可●と名く、諸仏これに●し成仏を得。故に経に云く諸仏の師とする所は所謂法也。玄五、(七十一)に云く唯仏与仏乃能究尽と、即是れ法身巳上。是則ち諸説の諸法実相一念三千の妙境を指して法と名くる也。法は可●の義也。可●の義とは玄五(五十三)に云く、●を●範と名く云云。裕記五(四十七)●範は師範の義範の義也云云。師範とは標上一(卅)範本、範に作る乃至通俗文に規模を範と曰ふ、土を以て型と曰ひ(音刑鋳器之模)、金を以て鎔と曰ひ、木を以て模と曰ひ、竹を以て範と曰ふ、蓋し師と為るとは、人をして事に其の規矩に循せ教む、模の金を鋳て器を成ずるが如し(巳上)。譬ば師は模如く弟子は器の如し、模大なれば器も大也。若し模小なれば長短方円皆模に従つて其の器を成ず也。或は土金木竹の不同あれども通じて皆此意也。師も亦其の如く事々法々皆師の如くならしむる故に師に範の字を付て師範と云ふ也。法身の法と云ふは師範ぞと云ふ事を法名可●と云ふ也。是れ誰か師ぞ則諸仏の師也。諸仏因位の時よりこれを師として、果位に登る、果位に登りても尚師也。故に法と云ふなり。然るに此の境妙法身は十界互具百界千如事の一念三千の南無妙法蓮華経也。此の南無妙法蓮華経を師として従因至果し玉ふ故に、彼模のなりに従つて器の成ずるが如く皆十界互具百界千如事の一念三千の南無妙法蓮華経となるを仏と云ふなるべき程に、本尊の師匠第一の大事也。我等は事の一念三千の南無妙法蓮華経を以て、本尊境妙師範として南無妙法蓮華経と唱る故に、いかたも南無妙法蓮華経なれば器も南無妙法蓮華経と顕れ、本門寿量の当体の南無妙法蓮華仏とならん事疑ひ無し。
次に報身とは、報はむくふとよむ字也。目に酬て得る所の果の身なる故に、報身と云ふ也。経に恵光照無量寿命無数劫久修業所得とは是れ也。名義一(十四ウ)摩訶●論を引て云く。言ふ所の報身とは勝妙の因を具し、極楽の果を受け、自然自在にして決定安楽也。遠く苦の相を離る故に名て報と為す(巳上)。最勝妙因とは、本因事行の南無妙法蓮華経は、最勝の妙因なるが故に、極楽の果を受くとは、妙覚極果の故也。二乗菩薩は自然自在決定安楽に非ず。証理周らざる故也。又未だ遠く苦相を離れず、所惑未だ尽きざるが故也。仏は爾らず故に自然自在等云云。
応身とは、名義一(十五ヲ)摩訶●論を引て云く、言ふ所の応とは根機に随順して而て相違せず。時に随ひ処に随ひ趣に随て出現す(巳上)。意は法報応境智冥合の処より物の機に随順して、而て相違せず、箱の凾と蓋と契当するが如く能く衆生に応同する故に、応身と云ふ也云云。此の如く三身の功能これ有りと雖も、三身相即暫も離る時無しと釈して少しも相離れざる一処一体也。一体なれども此の三の功能これ有る也。次に身とは拾遺記上二(七十三)光明玄十に云く。云何んぞ三なる何ぞ身なる、法報応是れ三と為す。三種の法聚るが故に名て身と為す。所謂理法聚を法身と名け、智法聚を報身と名け、功徳法聚を応身と名く、然ども理に聚散無し、義を以て聚散と言ふ、始め諦心より正理を顕出し乃究●に至る。理聚方に円也。始め諦心より終り究●に至る。功徳聚方に円也。故に三法聚を以て三身を為す(巳上)。然れば身と云ふとは聚の義、聚とは積聚の意也。つみあつむる意也。理のつもりあつまりたるは法身の身也。智のつもりあつまりたるは報身の身也。功徳のつもりあつまりたるは応身の功徳の事、次下にあり、後に云ふべし、所詮修行の事他云云。其の積聚を身とすと云ふ事は譬へば我等が如き、衆生身もつもりあつまつて此の身となる也。之に付て体内五位、体外の五位と云ふ事あり。弘四末(六十三)名義六(四十三)に釈せり、今意を取て之を云はゞ、先づ衆生前生に善悪の業を作り巳て死して中有にある時に、其の業力に由り能く生処の父母の交会するを見て、愛心を起し胎内にやどる也。是れを識と云ふ也。識と云ふはこゝろ也。やどり巳つて初七日の間の形を羯刺藍と云ふ也。是れを此の方には凝滑と云ふ也。凝滑とは父母交会の不浄の処に心神副付てある位也。其の不浄の●を凝滑と云ふ也。こゝりなめらかとよむ也。形薄酪の如しと云つて飴やうなる物也、是れ胎内初七日の●也。第二に額部曇此に疱と言ふ、疱はもかさとよむなり状瘡疱の如し又酪味の堅まりたる如く也云云。第三に閇尸此に凝結と云ふ、形凝血の如し又●肉と云ふ也。第四に健南此に凝厚と云ふ、漸堅硬なる故に又硬肉と云ふ。肉がもはや堅くなる也。第五に鉢羅●●此に形位と云ふ。四支差別云云。支節とは手足等の形出生する也(巳上)。六抄二(廿七八丁)私に云く第一凝滑の位より次第につもりあつまり二七日のもかさの貌になりつもりつもりして三七日の聚血の形になり、又つもりつもりして四七日には肉が漸かたくなる也、是れがつもりて第五七日に四支差別の位手足等の形出生する也。此の時五輪の貌也云云。此の如くして漸々に眼耳鼻舌等出生し、胎内に於て卅八ケの七日過ぎ漸く生る也、卅八ケの七日は二百六十六日也、さて生れ巳つて其の年をば嬰孩の位と云ふ也又二三生才より十五六までを童子と云ふ也、十七八より少年と云ふ也、三十歳より盛年と云ふ也、五十歳より老年と云ふ也、頌衆の八の意也、此の如く我等衆生の身は胎内より胎外に至りても段々つもりあつまりて今堅固なる身となれり、身と云ふは聚の義也、聚は積聚の義也故につもりつもりて身となる也。仏身も亦此の如く諸の理の法、諸の智の功徳つもりつもりて仏の御身となる。凡身のつもりつもりて身と成るに三の法あり、謂く其の体と相応の食物と食物を食すると也。譬ば二三才までは乳是れ相応也。若し其の子有りても乳無んば成人し難し、乳有れども飲まずんば又成人し難し、全く其の如く法身の理体境妙は児の如し、乳は即信心の智恵の如く、唱題の功徳は乳を飲むが如く也。若し本尊境妙法身の体有りとも乳の信心無れば仏身成じ難し、亦乳の信心ありとも唱題修行の功徳の事無んば又仏身成じ難し、彼の児有り、乳有り、其の上に乳を飲みぬれば忽に成人して後には大力の剛の者にもなり、久遠実成の三身は復倍上数の当初釈尊凡夫にてましませし時、我身を妙法蓮華経の境妙と取り定め信心をこらして児の乳を飲むごとく南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と修行の功徳をつもりつもりし玉ふ故に理智功徳倶につもりつもりて三身万徳の御身を成就し玉ふぞと云ふ事を三法聚の故に名て身と為す故に三法聚を以て三身と為すと釈し玉ふ、然れば凡夫我等が此身は境妙法身の初也。信心を励すは智妙報身の初也。南無妙法蓮華経と唱る功徳は応身の初也。然れば我等境智冥合して南無妙法蓮華経と唱るが即三身即一の本覚の如来也。全く我が身の信心修行を離れて三身如来と云ふは之れ無き也。此の如く信ずるをやがて悟りと云ふ也。此の理に迷ふを凡夫と云ふ也、譬へば竹の子の全躰を全ふして竹になるが如く、僅に二葉の小き木が後には大木となるが如く也。若し竹の子をはなれて竹を求むなるは大る愚癡也。芽の小き木を除いて大木を求ん道理なし、仍て我が身が三身即一の如来也と信じて唱題修行せば即身成仏疑ひ無き也。譬へば春夏田をうえて秋を待つは久しきやうなれども必ず秋に至りて心のまゝに用るが如く、各我が此の凡夫の身を三身如来と顕す事は久きやうなれども信心強盛境智冥合して南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と修行せば必ず三身即一の本覚の仏身を成ぜん事決定也。御書廿八に云く我が身がやがて三身即一の本覚の○我身が三身即一の仏となりぬる也(巳上)。
    四 日
法報応三身之義畢りぬ。次に如来の義を談ず可し、文九(廿)云く、如来とは十方三世の諸仏二仏三仏本仏迹仏の通号也(巳上)。二仏とは真応二身の事也。三仏とは法報応の三仏の事也。具には四身六身十身等の義あれども只是れ一の如意宝珠なるが如く、又光と桂と輪とあれども同じく是れ一の月なるが如く也。一体なりと雖も而も三身の功能各別也。譬へば一の如意宝珠なれども、玉と光と宝と三の功能あるが如く只一の月なれども光と桂と輪のあるが如く也。此の故に尤も紛れ易くして分り難き法門也。思を沈め頭を傾け聴聞せらる可し。問ふ法身を如来と名くる義如何。答ふ文九(廿)云く如とは、法如々の境、因に非ず果に非ず有仏無仏性相常然也。一切処に遍して而して異有る事実を如と為す。不動にして而して至るを来と為す。故に不動而至と云ふ、此れ即如因果に非れども、而も因果に通ず、来字果に在て因に通ぜず(巳上)。輔記九十三に云く、不動にして至るとは凡そ其の法身如来とは、是れ体始終動く無き也。無動にして至る、還て智照に由に、因より果にゆく境体満足して、如来の名を得る(巳上)。
記及び輔記の意に准ずるに、疏の文を消して、法如々境とは是は所証所如の境を云ふ也。法と云ふは唯仏与仏乃能究尽諸法実相本有の一究●道の妙境を法と云ふ也。如々とは一には此境体真如の智に如する故に、如々する境なれば如々境と云ふ也。又智の能如に如する境なるが故に如に如する境如々境と云ふ也。此の法如々境は報身の因果に非ざる故に、非因非果と云ふ也。又此の法如々境は応身の出世成道入涅槃等の出没に非ざる故に、有仏無仏性相常然と云ふ也。而も其の体一切処に遍す、義章一(八十二)には如とは是れ其の同義とも釈して諸仏と同じて異有る事無は則ち如の義也。然れば所証所如の境一切処に遍して、異有る事無き事法身如来の如と云ふぞと云ふ事を一切処に遍して而して異有る事無きを如と為すと釈せり、此の周遍法界の理は因果に非れども能照の智に照されて亦因果に通ずる也。謂く初往乃至等覚所証の理は因と云はれ、妙覚所証の理は果といはるゝ也。故に疏に不動にして至名来と釈し、記に因果にして通因果と指南し玉へり、不動とは因果に非ざる故也、而至とは因果に通づる故也。故に知ぬ此の理体は実に往くの来るのと云ふ事なけれども而も能照の智に引かれて、因より果に至る故に此の辺に約して来と云ふ也。輔記に因より果にゆくとは是れ也。如の字は因果に非して因果に通ず、来の字は只是れ果に局り因には通ぜざる也。何となれば因より果に至るをゆく来ると名けたり。何んぞ因のみにして来と名けん耶、故に来と云ふ時は果に局る也。是の故に記に来字在果不通於因と云ふ也。
問ふ報身を如来と名る義如何。答ふ文九(廿一)云く法如々智、如々真実の道に乗じて来たりて妙覚を成ず、智如理に称ふ、理に従て如と名く、智に従て来と名く、即報身如来也(巳上)。記九本(四十一)云く専ら報身に約して其の二字を解す、乃至法境智に通ず、智は謂く能如、境は即所如、智還て所如の境に乗じ、果を成ずるを得故に、乗於真実之道と云ふ、次に智称より去ては、今の如の字の所以を釈す、即智、境に如すると雖ども然も如、境に従て名を立つ故に従理名如と云ふ云云。先文に法如之智とは、能証能如の智也。法と云ふは正く智の体を指す也。此の智を如々と云ふ事は、一には智体真如にして、境に如する故に如如する智なる故に、如如智と云ふ也。又境の所如に如する智なる故に、如に如する智如々智と云う也。如々真実之道に乗とは、如々真実等とは則上の法如々境の事也。法の字を畧する事は上の法如々智の法の字の勢を冠る故に法通境智と記に釈せり。乗とは智が境に冥すると云ふは冥すると云ふは冥合符契する故に冥如契如の如の字の義也。来て妙覚を成ず即来の字の義也。而も如の字も来の字も倶に能証の智の報身に約して如来と云ふ也。故に記に専約報身解共二字と云ふ也。例せば法身如来の如も来も所証の法身に約して論るが如く也。
問ふ、若し爾らば文に何んぞ理に従て如と名くと云ふや、是れ則所証の理に従て名くると如は見へたり、来の字は従智名来と云ふ故に直に能証の智に約すと見へたり何んぞ如々の字を以て能証の智報身に約すと云ふや。答ふ理に従て如と名くと云へども直に理を指して報身如来の如と云ふ事には非る也。文の意に云く智能く理に称ふ辺に従て如と名る也と云ふ事を従理名如と云ふ也。従智名来も亦爾也。智を直に来と名るにあらず、智能く因より果に至る辺に従て来と名くと云ふ事を従智名来と云ふ也。記に即智境に如すと雖も、然も如は理に従て名を立る故に従理名如とは云ふ、意に云く報身如来の如と云ふは、是智の境に如するの如くなりと雖も、然も智をして境に如せしむる功は正に是れ境也。故に如の名を立る事は理に従て立るぞと云ふ事を●即智如於境等と釈する也。然れば是れ如来の二字倶に能証の智報身に約して其の名を立る也。而も能証の智の功能に二つある故也。一には智能く境に如するの辺と、二には智能く因より果に至る辺と也。其の境に如するの辺を如と名け、其の因より果に至る辺を来と名る也。
問ふ、応身を如来と名ける義如何。答ふ、文九(廿)云く如実の智を以て、如実の道に乗じ来て三有に生じ正覚を成ずとは即応身如来也。此の文は二身の中の釈なれども二身三身の中の応身の如来の義は全く同き也。但し体には広狭これ有り、如来の義は同じ故に引て三身の中の応身の義を証する也、是れ併ら玄文に合せん為也。記九本四十云く本所証の境に契るの智を用て果上の利物の権道に乗る、実に即して而して権也。故に実道と云ふ故に方便を以て三界に生ず(巳上)。
文に以如実智とは境に契ふの智即自行の権実二智也。此の中に実智は体也。権智は用也。体を挙げて用を顕す是れ則体に即して用なる事を顕んが為に如実智と云う、然も正く取る所は則権智也。如実道とは此れ則果上利物の権道なり、権道とは権境也。而も実道とは実に即して権なる事を顕さんが為に実道と云ふ也。而も正く用る所は是れ権道也。乗とは権智権境に冥契する意を乗と云ふ也。是れ則如の義也、来生三有等とは是れ来の義也、然れば此の如く境地冥合する処に自ら二智権実二理あるべし、今正く応身の如と云ふは権智権境に冥ずる辺を如と云ふ也。而も実智実道と云ふ事は体を挙げ用を顕すの大旨也。是れ則即実の権を顕さんが為也。此の即実権智を以て、即実の権境に冥じて来て三界に生る故に如来と云ふ也。所詮法身如来の如と云ふは所証の理体一切処に遍して異有る事無きを如と名け来と云ふは能照の智に従つて因より果に至るを来と名けたり、是の故に如より来れりの意也。報身如来の如と云ふは、能証の智所証の境に冥るを如と云ひ来と云ふは従因至果の義を来と云ふ也。然も境地冥合して因より果に至る故に如して来れりの意也。次に応身如来の如と云ふは、権智権境冥合する義也。来と云ふは三界に来生する事也、所詮此の境智冥合の処に於て大悲力無縁の慈悲これ有る也、此の無縁の大悲即境智冥符の処にあり、此の境地冥合無縁の慈悲あるを以て三界に来生して衆生を利益し給ふ故に如するを以て来れりの意也。譬へば記九本(四十七)云く、凾は境に蓋は智に相称に由るが故に含蔵の用有り、所蔵の物は方に外を資るに任たり(巳上)。所証の法身の境は凾の如く能証の報身の蓋の如し、凾蓋相称ふ則んば中に物を含蔵する用あるが如く、境智冥合する処に無縁の大慈悲これ有る也。此の中の物は能く外の物を資するに任たるが如く、此の無縁の大慈悲を以つて三界に来生して一切衆生を資る也云云。玄に如実の道に乗じ正覚を成ずと釈するも是也。此の如く三身如来を成じてより巳来無量無辺百千万億那由佗劫の五百塵点劫巳前に成仏してこそあれ、此れ即終窮究●の極説ぞと云ふ事を、此の如く三●成じて来た巳に久く即本果妙也、本果円満して昔に在り今の迹成に非ずと釈し玉へり、既に是の如く然善男子我実成仏巳来五百塵点劫也と、真実を顕してみれば爾前迹門に始成正覚と説き玉ふは皆悉々随他意虚妄方便の説なる故に、天台大師は三義を以て迹成の始成正覚を悉く是方便也と打ち払ひ玉ひてあり、其の相前々の如し仍て迹門に執着を成せず、只本門寿量の金言を信じて南無妙法蓮華経と唱ふ可き也。尋て云く、爾前の円教並に迹門及び本門倶に三身相即を明せり何んの不同有て爾前迹門の仏を嫌ふや。答ふ爾前の円仏迹門の円仏、或は異の辺あり、或は同の辺あり、本門は一向永異也。具にこれを論ずれば爾前の円の三仏は二の失あり、一には兼帯の故に、二には始成の故に也。記九本(卅四)云く、然るに諸経の中に豈三身無らん、但兼帯及び未だ遠を明さざるを以て是の故に此経永く諸経に異なり、若し爾らずんば請ふ諸経を験せよ、何れの経にか仏の久遠の本を明すこと此経に同ぜんや(巳上)。文の意は爾前に三身を明すと雖ども、一には兼帯の失あり謂く華厳には別円二教有り故に則別円の二機一仏を見るに、円機の前には三身即一と見ると●ども若し別教の機は尊特報身と見る也。仏亦二機に応じて或は三身相即或は尊特報身を現ずる也。故に円の三身に別の報身を兼帯せり、方等には具に四教の見有り、仏亦これを現ず。般若には通別円の仏亦為にこれを現ず。是等亦円仏に或三惑二を兼たり、上に准じてこれを思へ、此の事を但為兼帯と釈する也。二には始成正覚なる故也。此の事を及未明遠と釈せり、然に今経本迹二門に於て迹門には四味兼帯の大小を発し、三経果頭の権実を開する故に但是れ唯円の仏也。故に兼帯の失無し、亦本門には久遠を明す故に始成の失無し、故に一代に勝たりと云ふ事を故此経永異諸経と釈せり、是れ権実相対の大旨也。然も尚始成に執して久始同等の思をなす者ある故に別して本門を以て、これを責むと云云。若し爾らざるか請ふ諸経を験せよ、何れの経にか仏の久遠の本を明して此の経に同じきや云云。次に本迹相対の時迹門の仏には爾前の二種の失の内帯兼の辺は脱たり然りと雖ども未だ発迹顕本せざれば、始成の辺は異目無き也、然れば爾前の円仏迹門の仏此の辺全同也、本門は一向永異也。故に文九(廿三)云く、亦法華之前亦円の三如来を明す、是れ迹中の所説に同ずるのみ、発迹顕本の三如来とは永く諸経に異なり、(巳上)。妙楽之れを受けて釈して云く記九本(四丁)云く、爾前に円の三仏を明さざるに非らず但法華の迹門と義同じ、今品之三如来に非ざるなり、故に永異と云ふ(巳上)。今品とは寿量品を指す也。是れ本末一同に爾前の円仏迹門の円仏但法華迹門と義同じく、今品之三如来に非ざるなり、故に永異と云ふ(巳上)。今品とは寿量品を指す也。是れ本末一同に爾前の円仏迹門の円仏但法華迹門と義同じ等と云ふ也。同じく是れ迹中とは迹門を迹中と云ふ也。記の意也、此れ則始成正覚の辺は全く同なる故也。本門は久遠実成の故に一向永異と云ふ也。御書廿八廿七云く、爾前の仏と迹門の仏と劣応勝応報身法身異あれども始成の辺は違目無し、本門と迹門とは教主既に久始。也(巳上)。問て云く、久成始成は只是れ時節の遠近異也、三身相則其の義不同無し何ぞ爾前迹門の円仏を斥て只久遠実成の仏を信ずるや。答て云く、始成を説くは随他意也、方便也、未顕真実也、虚妄也、此の故に彼の始成仏を信ぜず、久成と説くは随自意成、真実也、誠諦語也、実説也。故に此の久遠実成の仏を信ず、経文竝に天台妙楽祖師の明判先に出すが如し、是れ方便を捨てゝ真実を取るは仏教の掟て也。今尚且らく三失を出して汝が疑を晴さん。一には爾前迹門の仏は当分には妙覚の仏也といへども、寿量久成の仏に望れば尚是れ惑者なる故也。之に付て分別あり蔵通は見思の正習を断ずるを仏と云ふ也。別教は十二品断を称して妙覚と為すとて十二品の無明を断ずるを妙覚と云ふ也。円教に且く五十二位あり、謂く十信十住十行十回向十地等覚妙覚也。其の中に十信の中の初信に見惑を断じ、二信より七信に至りて、思惑を断じ後三信に塵沙を断ず、是れを賢位と云ふ也、未破無明の位也、さて初住より後の四十二品の無明を断ずるを聖位と云ふ也、仍と蔵通の仏を円仏に望るに暫く十住賢位の位也、未だ一品の無明を断ぜざる也、既に無明を断ぜざる故に惑者也、亦別教の妙覚を以て円の位に望るに漸く十住む賢位の位也、未だ一品の無明を断ぜざる也、既に無明を断ぜざる故に惑者也、亦別教の妙覚を以て円の位に望るに漸円教の第二所の菩薩の位に当る也。未だ三十品の無明を断ぜず豈惑者に非ずや。次に法華迹門爾前の円仏は、四十二品の無明を断ずと雖ども未だ本門能覆の無明を断ぜず故に本地難思の境智の妙法を知らざる也。御書卅八(九)云く、本地難思の境智の妙法は迹仏等の思慮に及ばず(巳上)。本地難思の妙法を知らず豈惑者に非ずや円仏現に爾か也、況や三教をや、二は爾前迹門の始成の仏は譬へば夢裏の権仏となりしが如く其の故は久遠実成は真実至極の仏なれば寤の本身の如し、爾るに蔵通別円の四教の仏を種々現ずるは豈夢の内の虚仏に非ずや、然善男子我実成仏巳来甚大久遠と驚かし、始成正覚と説くは虚妄夢中の虚仏也と一言に打破る時き覚の前の実仏久遠の本仏顕れたり。仍守護章有為の報仏は夢裏の権果無作の三身は覚前の実仏と釈し玉ふは是也。三は始成正覚の仏は未だ無常を免れざる故也。何んとならば既に始成と云ふ、記五本四十五此道理なり、始あれば必ず終あり本門の無始無終の無作の三身倶体倶用の仏に同ぜざる也。仍守護章権教三身末免無常実教三身倶体倶用と釈し玉へり。(巳上二文御書十四(廿七)引之権実相対畧之)今権教実教と立るは即本迹の事也。玄七に通論本迹只是権実と釈する也。何んとは倶体倶用の法門本門寿量の意なれば也。謂く如来秘密とは倶対の三身神通之力は倶用の三身。記九本卅八云く、問ふ法報是れ本仏、応身迹に属す、何を以て乃本地三仏と言ふや。答ふ若し其れ未だ開さざれば法報迹に非ず、若し遠を顕し巳れば本迹各三と(巳上)。文の意は本門の未だ顕れざる時は爾前迹門の意は法報は体也本也。応身は迹也用也故に体は法報二身。用は応身の一也。是の故に倶体倶用の三身に非ず若し遠本を顕す則んば、本地の応身迹に非ず迹中の法報は本に非ざる故に本地の三身は倶に本也体也。迹中の三身は倶に迹也用也、故に倶に体倶に用也と云ふ也。是の体用本迹を以て久遠の本迹を顕す釈也。故に知ぬ実教の三身倶体倶用と云は豈本門の義に非ずや、知ぬ権教の三身未免無常とは豈爾前迹門に非ずや、然れば爾前迹門の仏は惑者也、夢中の虚仏也無常の仏也、何んぞ此の仏を執して本仏をさみせんや、仍て本仏諸証の本門寿量事の一念三千の南無妙法蓮華経と修行せば成仏疑い無し。御書廿三(廿三)云く爾前迹門にも当分には妙覚の仏有りと雖、(私是四教の果成の仏を指す可し)、本門寿量の真仏に望む時は(是久遠実成の三身を指し真仏と云ふべきなり)、惑者と云ふは賢位に居する者也。権教の三身は未だ無常を免れざる故夢中の虚仏の故なり(巳上)。
    五 日
昨日の大旨、釈迦如来は久遠五百塵点刧巳前に於て妙覚極果の法報応の三身如来と顕れ玉へり云云。問て云く、何なる修行に依て法報応の三身如来と顕るや。答て云く大事の法門也、此を宜ぶ可らず然りと●ども一言真相を示す可し、謂く本因の境妙智妙行妙則本果の法報応の三身如来と顕れ玉ふ也。問ふ其の証如何。答ふ玄六初云く、上来の四妙を名て円因と為す、三徳の秘蔵を名て円果と為す、境妙究●して顕るを毘蘆遮那と名け、智妙究●して顕るを蘆遮那と名け、行妙究●して満るを釈迦牟尼と名く、三仏一ならず異ならず縦ならず横ならざるゆえ妙果と名く(巳上)。是れは迹中感応妙の中の文なりと●も釈を以て本に例して釈成すべき也。文の中に上来四妙とは即本因妙の中の境智行位の四妙也。本因妙の四妙の相並に文の面に有りや否や等の料簡予が本因妙談義の如し。位妙は因果に通ず是れ只所階の位なる故也、故に妙の四妙の相並に文の面に有りや否や等の料簡予が本因妙談義の如し。位妙は因果に通ず是れ只所階の位なる故也、故に之置く。問ふ釈尊本因の境智行の相如何。答ふ畧して之を示さば先づ本因とは初め理即名字の位より終り等覚の位に至るまで本因と云ふ也。今初に約して理即名字の境智行の相を示は、先づ境妙とは六重本迹の中の第二の理教本迹の理本を指して境妙と為す也。玄七(四ウ)云く、若し理教に約して本迹と為さんは、理を指して本と為し本初の境妙を摂得す(巳上)。理を指して本と為すとは此の理の一字の中に理即の釈尊の己心所具の事理の二法を惣じて理本と名け境妙とする也。是れ則智迹に対する故也。然れば此の理本境妙の中に尚亦事理の二法有り。其の理と云ふは、十界なるを事と云ふ也。然れば此の十界即妙法蓮華経、妙法蓮華経即十界なるを惣じて理本と名け境妙と為るぞと云ふ事を若し理教に約して本迹と為すは、理を指して本と為し本初境妙を摂得すと釈し玉へり。その境妙とすると云ふは、やがて師範とすると云ふ事也。法身の法の字の下に畧して之を示せり、故に玄二(四十ウ)云云、是れ諸仏の師とし玉ふ所故に境妙と称す(巳上)御書廿八(五)に此の妙法のまんだらは文字は五字七字にて候へども、三世の諸仏の御師也(巳上)。又十四(四十五)云く釈迦如来五百塵点の当初凡夫にて御坐し時我身は地水火風空也と知めし即座に悟を開き玉ふ也。又四十三地水火風空とは是れ則妙法蓮華経の五字也、此の五字を以て人身の体を造る本有常住也、本覚の如来也(巳上)。此等の文意を通達せば即凡夫の釈尊の境妙を知るべき也。所詮理即名字の釈尊の知しめすは我が身の全体とは本有の妙法蓮華経也。染縁に値て随縁真如して今凡夫となれり。譬へば寒の縁に値ひて水結して氷となれり。氷となるといへども其の全体が水なるが如く今は凡夫となれども全体が妙法蓮華経でこそあれと知しめし玉ひて悟を開き玉ふ也。此の如く吾が身を妙法蓮華経の全体ぞと取り定めて是を境妙師範と仰ぎ思召す也。此の如く理即名字の釈尊は一迷先達して我が身を妙法蓮華経也と知しめすと云へども、如百迷妄の族は之を知らざる故に、以教余迷の時凡夫の全躰が即十界具足の妙法蓮華経でこそあれと云つて、是れ境妙に顕して如百迷妄の衆生に普く授与し玉へり、所詮先づ釈尊の境妙と云ふは妙法蓮華経十界、十界即妙法蓮華経の事理の二法を惣じて理本と云ひ境妙と為し玉ふぞと云ふ玄七の意也、心を以て推す可き也。次に智妙と云ふは理即名字の時ならば即信心の事也。御書十六(六十五)信を以て恵に代ふ信の一字を詮と為す、信は恵の因名字即の位也(巳上)。故に知んぬ信心を以て智妙と名る也。次に行妙とは分に自行化他あるべし、是れ亦理即名字の修行なる故に自身にも只南無妙法蓮華経と唱へ、人を勧めても只他事を捨てゝ南無妙法蓮華経と唱へしむ、是れ諸御書の意也、畧して本因の境智行の三妙畢んぬ。然れば釈尊の境智師範とし玉ふは只是妙法蓮華経と見へたり、天台大師は是諸仏師とし玉ふ所也、故に境妙と称すと釈せり、境妙とばかりは畧也、具には故に境妙法蓮華経と称する也。全く余の仏菩薩等を造り画きて境とするとは見えざる也。又玄二(四十一)境妙を以ての故に智亦妙に随ふと釈して、境が妙法蓮華経なる故に智も亦随て妙法蓮華経と釈せり、仍て智妙と云ふも畧也、具には智妙法蓮華経也。仍て智の信心も妙法蓮華経也、全く余の仏菩薩を信ずるとは見えざる也、境智既に妙法蓮華経なれば自行化他の修行も只南無妙法蓮華経の修行なるべし、仍て行妙と計りは畧也、具には行妙法蓮華経と云べき也。此の如く境智行の中に境妙究●して果上の法巳如来と顕れ、信心の智妙が究●満ぬれば即果上の報身如来と顕れ、南無妙法蓮華経・・と唱へ行妙が究●して果上の応身如来と顕るゝぞと云ふ事を、境妙究●乃至満名釈迦牟尼と釈し玉ふ也。毘蘆遮那蘆遮那釈迦と云ふは前来の如し、法報応三身の異名也云云。三仏不一不異とは既に三身相即する故に不一にもあり、相即せるの三身なるが故に異にも非ず縦ならず横ならず、言語道断の仏果心行所滅三身なる故に妙果と名くるぞと云ふ事を、三仏不異乃至故名妙果と釈し玉へり、然れば釈迦如来は復倍上数の当初境智行の本因妙の修行に依つて久遠五百塵点の昔法報応の妙果を満じ玉へり、是れ則一切衆生真実成仏の手本也。薄きをまいて松は生ぜず、茄子の種を植て瓜は生ぜず、松は松の種、瓜は瓜の種なるべし。成仏も亦爾か也。本因下種の妙法の種に非んば何んぞ本果の常住の三身の仏体を成ぜんや。然るに当世の体為すく何れの祖師、何れの門流釈迦如来の本因の時の境智行の如くなる門流之れ有りや、能々尋ねて習ふべし。又久遠五百塵点の当初、復倍上数の時と云へば、中々遠々にして測り難し、但し末法の時なれども又本因妙の釈尊之れ有る可きか。例せば孟子巻十二告子の章に云く、人皆以て沛wと為る可べしと云有りや、諸、孟子日然り乃至沐V服を服し、沐V言を誦し、氓フ行を行はゞ是れ氓フみ(巳上)。又管一(廿八)云く沐V道を行ずるとはせ可矣、之を前に行ふ時は則古之沛wに、之を後に行ふ時は則今之沛wなり(巳上)、文の意は誰にてもあれ沛wの如くなる衣服を服し、沛wの如くなる道有る言語を常に宣べ、沛wの如く身に行はゞ其の人は直に沛wよと也、之を前に行ふは古之沛w也、之を後に行ふは即ち今の沛wと云へり。仏法亦此の如し釈尊理則名字の時の衣を着し妙法蓮華経を境妙と定め、南無妙法蓮華経と唱ふ可しと宣ふ如く今ものたまい釈尊の如く人にも南無妙法蓮華経を勧め行ぜし人は時は末法也と云へども全く久遠五百塵点の当初復倍上数の時の理則名字の釈尊にてあるべき也、釈尊は是れ前に修行し玉へば古の本因妙の釈迦菩薩也、是を後に行ぜば則末法の釈迦菩薩本因妙の大導師なるべし、能く々々味ふ可き法門也。他宗他門の如んば薄きをまいて松を求め、茄子を植て瓜を求るが如くなるべし、末法の今は勧行即か理即か名字即か取り定めて之を論ず可き也云云。是にて談義畢んぬ。又然りと雖も尚凡夫は外に成仏を求むる迷心之れ有る程に、三身如来となる根元は則我等也と云ふ事を之を宣ぶべし、譬ば三抱四抱ある程の大木になる根本は成程小さき芽の木也、此の芽が月を重ね年を積み後に大木となる也、又二尺三尺まわる程の大なる竹も根本は只一寸二寸の竹の子也身一寸二寸が成長して後に大木となる也、各我等も竹の子の如し、是が修行の功を積んで大竹大木の如くなる三身如来となる也。仍妙楽大師記九本(四十八)況復凡夫亦以て三身の本と為る事を得(巳上)。文意分明也、迷の凡夫を以て悟の三身の如来の根本と為るぞと釈するなり。尋て云く凡夫三身の本と為る姿如何、答ふ御書廿八初云く我身三身即一の仏にてありける事を経に説て云く如是相如是性如是体、如是相とは我が形を云ふ也応身如来と云ふ。如是性とは我が心を云ふ也是を報身如来と云ふ。如是体とは我が身を云ふ也是を法身如来と云ふ。此の三如是を根本としてこれよりのこりの七如是は出でて十如是とは成りたる也云云。然れば十如是の中にも初の三如是は本となつて余の七如是と末なれば、初の三を宣ぶれば自ら余の七如是は摂まるべき道理也。如是相とは我が形也とは、是れは形相の意也或は色の白きもあり目鼻口耳等に至るまで美なるあり、亦みにくきあり、亦身の痺せたるもあり、肥えたるもあり長高きもひくきもあり、かやうの類は皆如是相の形也。好きは好きにつき悪きは悪きに付キ形なきものはあるべからず、其の品形は即応身如来の三十二相八十種好の妙相の形の根本でこそあれと云ふ事を如是相とは我が形也、是れを応身如来と云ふと釈し玉へり。如是相とは我が心を云ふ也とは、或は智恵もある愚癡あれ正直もあれ不正直もあれ心の無いと云ふ凡夫は無い、此の心が即果上の報身如来の根本でこそあれと云ふ事を如是性とは我が心也是を報身如来と云ふと判じ玉へり、如是体とは我が身を云ふ也とは尊くもあれ卑くもあれ老たるもあれ若きもあれ此の身の無いと云ふ事はなし、我等衆生の此の身が果上法身如来の根本でこそと云ふ事を如是体とは此の身を云ふ也、此れを法身如来と云ふ也と書し玉へり。然れば迷の凡夫に於て形と心と身の三あるは則悟の如来の応身と報身と法身との根本でこそあれと云ふ事を経文には、如是相如是性如是体と説き玉ひ妙楽大師は況復凡夫亦得三身之本と釈し玉ひ、祖師大聖人は我が身三身即一の仏にてありける事也と判じ玉ひてあれば、彼の竹の子が大竹の根本なるが如く、二葉が大木の根本なるが如く其の当体を改めず、我等凡夫の形と心と身とが取りもなをさず応身報身報身如来となるぞと云ふ事は文釈分明也。是れ即成仏也、仍て仏体を外に求るは大なる迷也、大なる愚癡也、竹の子を除て何んぞ直に大竹を求めん、二葉を捨てゝ直に大木はあるべからず之を思ひ見るべし、然りと雖も竹の子を直に竹とは云ふ可らず、柱にも梁にもなるべからず仍て衆生の形と心と身とを直に三身とは云ふ可らざる也。只是れ三身の根本なり竹の子と芽とは其の体を改めず、直に大竹と大木との根本なるが如し、又彼れを大竹大木になすには虫にくわれぬように、かまにてからぬやうにして、雨露の恵みもあればやがて大竹大木になるべし、若し虫にくわれかまにてからば根失て大竹にも大木にもならぬ程に、面々も三身如来の根本なれども若し虫にくわれかまにてからば根失て大竹にも大木にもならぬ程に、面々も三身如来の根本なれども若し謗法と云ふ虫にくわれ、無信心のかまにてかり懈怠と云ふ日でりに値ひて、雨露の恵み無んば三身如来の根本朽ち失わん事必定なる程に、謗法の虫をひろい捨て不信心のかまを抛ち南無妙法蓮華経と雨露の恵みあらば今こそ一二寸の竹の子芽のやうなる身なれども、釈尊妙楽祖師大聖人の金言虚しからずんば大竹大木の三身如来と顕れん事、掌を指すが如く久遠本因の釈迦菩薩理即名字の時より、本因下種の南無妙法蓮華経●と修行して三身果満の如来となり玉へば、少も疑ひ無き一段なり。所詮宗祖大聖人の教の如く少も添ず削らず修行する則んば、本因の釈迦菩薩一迷先達して如百迷盲に教へ玉ふ如くぞと信じ奉る可き也。具に此の本因本果の法門を尋んと欲せば、今廿四代伝て大石の精舎にあり金口の御相承切紙相承其の外種々の御相伝有るげにありと云云。御書十四(●八)云く故に十如是は本末究●して等うして差別無し。本とは衆生の十如是也、末とは諸仏の十如是れ也、諸仏は衆生の一念の心より顕れ玉へば衆生は是れ本也、諸仏は是れ末也。南無妙法蓮華経(巳上)。
本果妙巳上五座
写本云  大石沙門、之を篇す
元祿十二(己)卯六月廿九日功畢んぬ 覚真日如、在判
享保(四己)亥卯二十九日辰刻畢ぬ
弘通広大  大石沙門
文啓日厳
大願成就

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