真言七重勝劣事

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真言七重勝劣事の概要

  【文永七年、富木常忍、聖寿四十九】 
一 法華大日二経の七重勝劣の事。
一 尸那扶桑の人師一代聖教を判ずるの事。
一 鎮護国家の三部の事。
一 内裏に三宝有り内典の三部に当るの事。
一 天台宗に帰伏する人人の四句の事。
一 今経の位を人に配するの事。
一 三塔の事。
一 日本国仏神の座席の事。
 法華・大日二経の七重勝劣の事。
         〈已今当第一〉 ・本門第一 













 
  法華経第一・・・・・・・・・・
               ・・迹門第二
        〈「薬王今汝に告ぐ諸経の中に於て最も其の上に在り」〉
  涅槃経第二  〈「是経出世」〉
無量義経第三 〈「次に方等十二部経摩訶般若華厳海空を説く真実甚深真実甚深」〉
 
 
  華厳経第四
般若経第五
蘇悉地経第六  〈上に云く「三部の中に於て此の経を王と為す」。〉
 
 
         〈中に云く「猶成就せずんば当に此の法を作すべし決定として成就
         せん。所謂乞食・勤念・大恭敬・巡八聖跡・礼拝行道なり。或は復大般
         若経七遍、或は一百遍を転読す」。〉
        〈下に云く「三時に常に大乗般若等の経を読め」。〉
  大日経第七  〈三国に未だ弘通せざる法門なり〉
 
尸那扶桑の人師一代聖教を判ずるの事。
 
   華厳経第一
   涅槃経第二
   法華経第三
   

 
  南北の義 〈晋斉等五百余年。三百六十余人光宅を以て長と為す〉。
 
 
   般若経第一 吉蔵の義 〈梁代の人なり〉。
 
   法華経第一
   涅槃経第二
   華厳経第三
   〈南岳の御弟子なり〉。

 
  天台智者大師の御義 〈陳隋二代の人なり〉。
 〈妙楽等之を用ふ〉。
 
   深密経第一
   法華経第二
   般若経第三
   

 
  玄弉の義 〈唐の始め太宗の御宇の人なり〉。
 
 
   華厳経第一
   法華経第二
   涅槃経第三
   

 
  法蔵澄観等の義 〈唐の半ば則天皇后の御宇の人なり〉。
 
 
   大日経第一
   法華経第二
   諸経第三
   

 
  善無畏不空等の義 〈唐の末玄宗の御宇の人なり〉。
 
 
   法華経第一
   涅槃経第二
   
    伝教の御義 〈人王五十代桓武の御宇及び平城嵯峨の御代の人。比叡山
   延暦(えんりゃく)寺なり〉。
 
   諸経第三  
 
   大日経第一
   華厳経第二
   法華経第三
   

 
  弘法の義 〈人王五十二代嵯峨淳和二代の人。東寺高野等なり〉。
 
 
   大日経第一
   法華経第
   
    慈覚の義 〈善無畏を以て師と為す仁明文徳清和の三代、叡山講堂総持
         院なり〉。
 〈智証之に同ず。園城寺なり〉。
   諸経第三  
 
鎮護国家の三部の事。
 
   法華経
   密厳
   
    不空三蔵 〈大暦に法華寺に之を置く。大暦二年護摩寺を改めて法華寺
         を立つ、中央に法華経、脇士に両部の大日なり>。
 
   仁王経  
 
   法華経
   浄名
 
 
 
   勝鬘経  

・聖徳太子 〈人王三十四代推古天皇の御宇、四天王寺に之を置く。摂津
       の国難波郡仏法最初の寺なり〉。
 
 
   法華経
   金光明
   
    伝教大師 〈人王五十代桓武天皇の御宇、比叡山延暦(えんりゃく)寺止観院に之を置
          く、年分得度者一人は遮那業一人は止観業なり〉。
 
   仁王経  
 
   大日経
   金剛頂
   
    慈覚大師 〈人王五十四代仁明天皇の御宇、比叡山東塔の西総持院に之

 
       を置かる、御本尊は大日如来金蘇の二疏十四巻安置せらる
        >。
 
   蘇悉地経  
 
内裏に三宝有り内典の三部に当るの事。
 


 
  神璽  国の手験なり。

 
宝剣   国敵を禦ぐ財なり〈平家の乱の時に海に入て見えず〉。
天照太神影を浮かべ給ふ神鏡と云ふ〈左馬頭頼茂に打たれて焼失す〉。
内侍所  
 
天台宗に帰伏する人人の四句の事。
 
    三論の嘉祥大師
   一に身心倶に移る    
    華厳の澄観法師
 
   
   二に心移て身移らず  
 
 
真言の善無畏・不空
華厳の法蔵
法相の慈恩
 
   三に身移て心移らず  
 
 
慈覚大師
智証大師
 
   四に身心倶に移らず弘法大師
 
今経の位を人に配するの事。
      〈鎌倉殿〉 



 
  征夷将軍  
  摂政  
   
  天子  
無量義経
涅槃経
迹門十四品
本門十四品
 
三塔の事。














 
  中堂・伝教大師の御建立 〈止観遮那の二業を置く。御本尊は薬師如来なり、延暦(えんりゃく)
               中の御建立王城の丑寅(うしとら)に当る、桓武天皇の御崇重。天子
               本命の道場と云ふ〉。
  止観院   〈天竺には霊鷲山と云ひ震旦には天台山と云ひ扶桑には比
               叡山と云ふ、三国伝灯の仏法此に極まれり〉。
  〈本院〉
  講堂   慈覚大師の建立  〈鎮護国家の道場と云ふ。御本尊は大日如来なり、承和年
               中の建立。止観院の西に真言の三部を置き是を東塔と云
               ふなり、伝教の御弟子第三の座主なり〉。
  〈総持院〉
 〈西塔〉
  釈迦堂・円澄の建立 〈伝教の御弟子なり〉。
  〈宝幢院〉
 〈横川〉
  観音堂・慈覚の建立
   〈楞厳院〉 
 
日本国仏神の座の事。
 
 問ふ、吾が朝には何れの仏を以て一の座と為し、何れの法を以て一の座と為し、何れの僧を以て一の座と為すや。
答ふ、観世音菩薩を以て一の座と為し、真言の法を以て一の座と為し、東寺の僧を以て一の座と為すなり。
 
 問ふ、日本には人王三十代に仏法渡り始めて後は、山寺種種なりと雖も延暦(えんりゃく)寺を以て天子本命の道場と定め、鎮護国家の道場と定む。然して日本最初の本尊釈迦を一の座と為す。然らずんば、延暦(えんりゃく)寺の薬師を以て一の座と為すか。
又代代の帝王起請を書て山の弟子とならんと定め給ふ。故に法華経を以て法の一の座と為し、延暦(えんりゃく) 寺の僧を以て一の座と為すべし。何ぞ仏を本尊とせず、菩薩を以て諸仏の一の座と為すや。
答ふ、尤も然るべしと雖も、慈覚の御時、叡山は真言になる。東寺は弘法の真言を建立す。故に共に真言師なり。共に真言師なるが故に東寺を本として真言を崇む。
真言を崇むる故に、観音を以て本尊とす。真言には菩薩をば仏にまされりと談ずるなり。
故に内裏に毎年正月八日、内道場の法行はる。東寺の一の長者を召して行はる。若し一の長者暇有らざれば、二の長者行ふべし。三までは及ぼすべからず云云。
故に仏には観音、法には真言、僧には東寺法師なり。比叡山をば鬼門の方とて之を下す。
譬へば武士の如しと云て崇めざるなり。故に日本国は亡国とならんとするなり。
 
 問ふ、神の次第如何。答ふ、天照太神を一の座と為し、八幡大菩薩を第二の座と為す。是より已下の神は三千二百三十二社なり。

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