阿部語録 


第六 罰・現証


  ☆四三一号

 (昭和五十七年一月五日・全国教師初登山の砌)


 「その反対に、ある時期、体が壮健であっても、心にわだかまりがあり、悪いことをしておるということが心の底にあれば必ず、心は身の主、身は心の従でありますから、心が悪ければその身も悪くなっていくのであります。そういう例証が既に、宗門の狂った僧侶の身の上においてはっきりと出ておることは、知る人ぞ知るところであります。

 そのように、仏法の賞罰は厳然たるものがあります。そこに我々は、正しい道を確信して進んで行かなければならないと思います。」P四一

(※これは正信会に対する作り話の悪口か!その例証を聞いたことがない)

☆四六三号

 (昭和五十六年十一月十二日・玉泉寺本堂改装落慶法要の砌)


 それはやはり、正直の教え、その末法における相伝の法に背くというところに根本原因があるのであります。法華経は、あくまで正直の教えなのです。『正直捨方便 但説無上道』といわれておるのですから、正しく素直な気持ちをもって、素直に最勝の教えを信ずるというところに、無量無辺の功徳があるはずであります。また、あるのであります。したがって、それに背くところの者は、やはりそういう罰が自然に出てくるのであります。

 それが、ひとつの罰の姿として『心破作七分』という形があるわけです。心が七つにも十にも破れて、結局、本当の人間としての功徳も全部、失っていってしまうということになるのであります。」P三四

これよりケンカ別れの後の発言

☆五五一号

 (平成三年十一月三十日・教師指導会の砌)


 「昨年の十二月の問題、その前の『十一・十六』の池田大作なる人物による宗門に対する不当な侮蔑の言等、仏法のあるべくしてある正法と誹謗の姿が明らかに現れたということ、そして開創七百年という不可思議なる年において、その行事をことごとく奉修して仏恩報謝の誠を捧げた、そののちにこれらの問題がはっきりと具体的に現れたこと、さらにまた今日に至るまで普賢岳の噴火は尽きることなく続いておりますが、この普賢岳噴火が始まったのが池田大作なる人の宗門を誹謗した十一月十六日の翌日である十七日から始まったということ、これも実に仏法の不思議な形を感ずるのでございます。」P七六

☆五六九号

 (平成五年五月三十日・静岡南布教区御親教の砌)


 「その現証は、あの人々の日々夜々の行動のなかに現れておりますが、皆さん方も既に色々と聞かれたことがあるでしょう。お題目を唱え、日蓮正宗の正しい御本尊を持ちながら、どうしてそのような不幸な形が出ておるのかと不思議に思われたことがあると思います。

 その原因を考えてみますと、これはその指導者が邪見・悪見をもってあらゆる悪徳・悪義を行い、常に嘘をつき、そして会員に嘘をつかせておるところに存するのであり、その功徳が根本的に壊れてしまっておるのであります。まことに気の毒な、哀れな人々であると思います。」P八三

☆五七二号

(平成五年八月二十一日・第二回海外信徒夏期研修会お目通りの砌)


   「最近の色々な謗法の姿によって、日本の国にも現証が起こっております。その顕著な例として、北海道の西部に当たる奥尻島という島で大地震による大津波が起こり、それによって多くの人々が亡くなりました。この時、不思議にも法華講の人が実によく護られておるのであります。実に不思議な姿であります。

 その一つとして、北海道の小樽の妙照寺という寺の信者である御婦人が、昔の職場の仲間六名と奥尻島に観光に出掛け、その島の旅館に泊まる計画となっていたそうです。ところが、十三日にはお寺で大聖人様の御報恩の御講があるので、幹事役の人に今回は欠席したいと願い出ました。そうしたところが、御婦人の御講参詣のことをみんなが聞き入れてくれて、当初は七月十二日・十三日の一泊旅行を計画していたのが、それを変更して、七月十七日・十八日に日程を延期したというのです。その御婦人達が泊ろうとしていた旅館は、土砂崩れによって災害に遭い、まことにお気の毒ですけれども、多くの方々がお亡くなりになった、その旅館であったそうです。」P六二

☆五九〇号

 (平成七年二月二十三日・南九州布教区御親教の砌)


 「顧みれば、池田大作が平成二年の十一月十六日に宗門と私の誹謗をはっきりとした形で行いました。その次の日に普賢岳が火を噴いたのであります。また、北海道のある島では、用があって私が北海道へ行く時に、私の乗った飛行機が落ちるようにと御祈念をしていたらしいのです。その島の近海を震源として地震が起こり、大きな津波が押し寄せて多大な被害を受けたことは皆さん方も御承知のとおりです。

 さらにまた、今般の阪神大震災において多くの方々が犠牲となりました。そのすべての方々の御冥福と一日も早い復興を心から祈るものでありますが、その被害の激しかった神戸市のある地区は広宣流布のモデル地区と言われるぐらい学会員が多く、また、昨年の池田大作による金集め、いわゆる『財務』も兵庫は非常によい成績だったということで、大作は兵庫の学会員の奮闘をたいへん喜んでおったということです。けれども、それがあのような姿になりました。これは木石ならずとも、驚くべき、恐るべき姿であります。

 まさに明らかな謗法の現証であるということを、池田大作が、また、学会のすべての人々が深く感じなけらばならないのです。これが仏法の深い因縁因果の道理の相でありまして、

 『道理証文よりも現証にはすぎず』

と大聖人様の仰せになった姿であります。」P四六

☆五九一号

 (平成七年四月六日・霊宝虫払大法会の砌)


 「外道が仏教に対し、また、小乗が大乗に対し、権教が実教に、迹門が本門に対して、それぞれ背き、錯乱し、混乱して、ために衆生の貪瞋痴の三毒、激増するなかに、特に一層、はなはだしきものこそ、下種の大法として大恩ある日蓮正宗を罵詈・誹謗し、池田の迷乱をもって『民衆仏法』なぞと狂乱する、劣謂勝見の外道教たる創価学会の大謗法の存在であります。一切社会の不幸の根源たる貪瞋痴三毒の心の病は、まさに創価学会の悪業によっていよいよ激増することを、断固、指摘するものであります。

 このような大謗法・大邪義の興盛による衆生の心の病によって、三災七難、並びに起こることが大聖人様の各御書の御指南であり、その現証の一端は、先般の兵庫南部の大震災に明らかであります。すなわち、創価学会の謗法の現罰は、池田が昨年の秋にあれほど賞賛せる兵庫において、まさに本年の年頭に現れたのであります。

 『道理文証よりも現証にはすぎず』

との御金言は、まことに明らかに拝せられます。」P三一

☆五九六号

 (平成七年八月二十三日・第四十四回全国教師講習会開講式の砌)


 「創価学会の色々な大謗法が、あの地域において先頭を切って行われたような姿があり、そこに大きな被害があったのです。

 また、北海道南西沖地震の時にも不思議な現証が顕れております。その少し前、私は親教のために北海道に行ったのですが、やはり謗法の者達は、私の乗った飛行機が墜ちるように祈っていたそうです。私を憎む結果、私だけ墜ちるならいいけれども、一緒に乗っている人達も被害に遭うのです。これが本当ならば、人間の心を忘れた、犬畜生以下の、獣にも劣る根性であります。しかも、お題目を唱える者がこのようなことを祈るとは何事でありましょう。

 やはり、そのようなことを祈った謗法の者達は実に大きな罰を受けたということでありますが、このこともお聞きになっていることと思います。

 やはり、これも一つの大きな現証であり、時とともに現証というものが顕れてくるということをたしかに感ずるのです。」P四三

☆六〇二号

 (平成八年三月八日・岐阜布教区御親教の砌)


 「昨年の一月十七日の神戸の大震災も、あの前日、前々日において、創価学会があの一帯に『ニセ本尊』をばらまいたことがはっきりしております。その現証とも言えるかの如く、あのような大惨事がはっきりと現れてまいりました。これも、あの地方の方々としては寝耳に水のことだったと思いますけれども、その時によってどのような形となって現れるのかということは凡智では全く判らないのです。」P四四

☆六〇三号

 (平成八年四月六日・虫払大法会に参詣の海外信徒お目通りの砌)


 「さて、明日、客殿の起工式が執り行われることになっております。これは、皆さんも御存じかと思いますが、昨年の一月十七日に兵庫県の神戸市という所を中心に大地震が襲い、大変な被害をもたらしました。その前日、前々日、創価学会において、あの辺一帯に『ニセ本尊』を配布していたことが判っておりますが、このような大謗法の因縁によって、実に修羅の様相とも言えるような悲惨な状況でありました。

 この神戸の震災を契機として、また、この東海地方に大地震が起こるということが以前から言われていることもあり、総本山内の諸堂宇の安全性等を調査した結果、種々の状況を鑑みて、今回、客殿を新築をすることにいたしました。」P八二

☆六〇四号

 (平成八年五月十九日・妙法寺移転落慶入仏法要の砌)


 「かの池田大作とSGI(創価学会インタナショナル) は、一番元に己れを高ぶり、中心とする我欲・慢心があり、それが増長したため、相対的に仏法僧の三宝を軽視し、見下し、平然として地獄に堕ちる因を掘り続けております。

 その結果、種々の積悪の報いが罰として出始めているのも、厳然たる悪因、悪果の現証であります。すなわち、池田創価学会のもろもろの悪因は、さらに、必ずはっきりした悪報となって現れることを確信いたします。」P七七

☆六一〇号

 (平成五年五月三十日・静岡南布教区御親教の砌)


 「最近、創価学会員の不思議な死に方が各方面から聞こえておりまして、私はここのところ、本当にびっくりしているのです。

 例えば、藤沢のほうで、おばあさんが学会を脱会して法華講に入った。それを今度は七、八人で押し掛けておばあさんに談判をし、そのおばあさんに学会を脱会しませんという趣旨の誓約書を書かせて、意気揚々として帰ってきた。そのなかの一番上の立場の人、この人はたしか地区部長だか支部長だったかと思いましたが、まだ若く、四十ぐらいの壮年の人です。その人が、なんと、新橋駅で、ホームに入ってくる電車に吸い込まれるように、スーッと線路の上に落ちて亡くなってしまったのです。

 これはまことに不思議なことでありますが、そのほか様々な現証があって、もう数えきれません。ただし、瞬間的ですけれども、大罰があって死ぬ人は必ず、臨終の時に悔いる心が起こるのであります。」 P三二

☆六一一号

 (平成八年十一月二十日・御大会に参詣の海外信徒お目通りの砌)


 「信心の根本が狂ってくると、あの池田大作のような、いかにも偉そうなことを言うけれども、根本において本当に仏教を間違ってしまうのであります。そして、これに率いられた多くの人達が、今日、非常に不幸な姿を現しております。

 最後にもう一つ、現証ということについて申しますと、十月三十一日、ブラジルで飛行機の墜落事故があり、乗員・乗客九十六人と、墜落現場付近の方二人がお亡くなりになるという非惨な事故がありました。本日、この場所に見えているブラジルの御信徒のアデマール・トシマサ・カジタさんという方は、この墜落事故を起こした飛行機に同じ銀行の職員八人と一緒に乗る予定でありました。しかし、偶然と言いますか、御仏智と言いますか、御利益と言いますか、カジタさんはこの飛行機に遭遇せずにすんだのであります。

 当日、カジタさんは二回も打ち合わせをしたにもかかわらず、集合時間を間違えて少し早く空港へ着きました。すると、搭乗予定の飛行機の出発が遅れるという表示が出ており、その飛行機に乗ると目的地での会議に全員が遅れるので、自分だけ搭乗予定の便よりも一つ前の飛行機に乗ることにし、目的地へ到着したのであります。

 ところが、集合時間どおりに集まった、信心をしていない同僚は、不幸にも予定の便の飛行機に乗って、あの飛行機事故に遭い、お気の毒でありますが全員が亡くなられてそうであります。カジタさんは偶然、前の便の飛行機に乗って惨事から助かったということでありますが、前日は深夜までお寺にいるなど、ほかにも様々な不思議な巡り合わせが重なって、この墜落事故を免れることができ、本当に御仏智というものを感じられているそうです。

 対照的なことですが、ブラジルの創価学会のメンバーのなかで、毎年、上位を争うようにして、創価学会の財務に多額の寄付をしていた人の子供、やはり学会員がこの飛行機に乗り合わせ、亡くなっております。また、墜落現場の側の建物で仕事をしており、全身火だるまになって助けを求めながら亡くなった人も熱心な学会員で、その人が拝んでいた『ニセ本尊』とともに写真入りで一般の新聞にも載ったそうです。

 このことを見ても、法華講の正しい信心による功徳と、創価学会の誤った姿とでは、実にはっきりした利益と罰として顕れておるということがお解りになると思います。」P七一

☆六一二号

 (平成九年一月一日・平成九年元旦勤行の砌)


 「例えば、創価学会員が多くいたと伝えられる北海道奥尻島の大震災の姿、さらにまた、阪神大震災の起こる前々日と前日に大量の『ニセ本尊』を配布したことにより、あの地域において大きな災害を招来したということを考え合わせるとき、その大謗法の邪義を明らかに打ち破り、対治して、正法がいよいよ興隆する因縁として表れてきておるということを深く感ずる次第であります。

 既に御承知の方もあると思いますが、昨年の十月三十一日、ブラジルにおいて飛行機事故がありました。不思議なことに、情況上、亡くなってもおかしくはなかった法華講員が難を免れ、二人の学会員が死んでおるということからしても、はっきりした仏法の現証が、正邪のけじめにおいて明らかに顕れておるということを、我々は深くかんじなければならないのであります。」P三三

 (平成九年一月六日・末寺住職・寺族初登山の砌)

 「これは、ただ単なる偶然ではありません。阪神大震災の前々日と前日において、あの地域一帯において『ニセ本尊』がばらまかれるという、徹底した創価学会員による謗法の姿がはっきりと存在したのであります。それがそのまま明らかな謗法の現証とも言うべき姿をもって、あのような惨事が起きておるということが考えられるのであります。

 さらに、別な話になりますが、先般、ブラジルにおいて飛行機の墜落事故がありました。この飛行機事故によって、少なくとも二人の学会員が死んでおり、一人はその飛行機に乗り合わせ、もう一人はたまたま墜落現場付近の建物で仕事をしており、事故の巻き添えなり、全身火だるまになって死亡したそうであります。これに対し、墜落した飛行機に乗る予定であったブラジルの法華講員は、御仏智をいただき、事故機に乗ることなく、惨事を免れております。

 これを対照して見ると、本当に罰、利益の現証は明らかであります。」P四九

 
  • 第七 折伏へ

      
  • 日顕上人語録目次へ戻る   

      
  • 資料室に戻る
  • ホームへ戻る
  • 正信掲示板へ