阿部語録 


第七 折伏


  ☆四二七号

 (昭和五十六年八月二十五日・全国教師講習会)


 「学会の悪口を言い、それによってふらふらしている信者を自分のところに連れて来て寺の信者にするのは、それは最近は難しくなっただろうけれども、始めから新しい人を折伏するのに相対していえば簡単かもしれません。しかしそのようなことをすれば、かえって正しい信心を持っている人が濁った頭になってきてしまうのです。それは救うのでもなければ折伏でもなく、堕落であります。それでも本当に救えるというのならば、やってみればいいんです。」P二二

☆四四七号

 (昭和五十八年三月三十一・第四回非教師指導会の砌)


 「そういうところからも、僧侶が主体となって折伏教化していくというような基盤が、昔のかたちとは違ってしまっておるのです。このへんも、歴史と現実の姿、あるいは色々と宗教の状態を見てみると、よく解るはずであります。

 そのような時代の特殊性、現実性ということも全く忘れ、考えないで、ただむやみに僧侶が主導権をもつことが祖道のかい復だというようなことを、狂った者どもが考えたり言っておりますが、これも現実を本当に正しく見ていない姿であります。

 今日、こうして非常に正法が弘まったのも、はっきり言って、創価学会の折伏によるところであるといえます。その創価学会がこのように弘まったことの根本について、君達はどのように思っているだろうか。

 これは、当時の御法主上人が、あるいは当時の宗門の責任者が、創価学会の折伏と、その折伏による成果をどのように受けとめていくかということを、宗門の今までのある固定化したところの考え方、殻を破って自由に、広く開いたからなのであります。」P九三

 「これはやはり、一つは”時”であり、一つは実際の”広宣流布の状況”であります。また正法正義が現在、どのようなかたちで受持されているかということ、あるいは僧俗の色々な関係についても現実を見る必要があります。そのうえで、私どもがその時、その時に応じての正しい筋道を示していっておるのであります。

 そういうことが全く解らないで、自分勝手なことから他人を誹謗し悪口を言う、その悪口を言ったことが原因となって、またさらに自分も救われないようなひどい境界に落ち込んでいっているのが、あの正信会とやら称する者どもであります。」P九五

☆四五五号

 (昭和五十八年十一月十七日・日淳上人第二十五回忌法要の砌)

(※二十五回忌…有師はないと)
 「当時、宗門には宗門の昔の形における形式がございまして、それぞれ末寺の縁故の者はそのところによって御授戒を受け、信徒として育成されていくということが一つの鉄則でありました。今日、法華講のほうはそのような形でおりますけれども、そういう形だけに執われていたならば到底、この大きな広宣流布はできなかったと思います。やはり、戸田会長が眦を決して牧口先代会長の真の報恩のために、また弔いのために折伏を開始され、また第三代・池田会長につながれてこのような広布の相が顕われたことも、これはその元に、当時の宗門の状勢のなかで古い形に執われないで、しかもなおかつ、その伝統を正しく活かして山法山規を根本とするきちっとした僧俗の在り方を打ち立てられておるところに、今日の姿があるのでございます。」P六七

☆四六一号

 (昭和五十九年五月九日・法清寺落慶入仏法要)


 「そのような点から、しかも宗門の本筋の化儀、化法に則って、このように創価学会の折伏によって日本ないし世界に正法が興隆したということは、まことに前代未曽有のことでございます。」P五四

☆四六四号

 (昭和五十六年十一月十六日・妙源寺移転新築落慶法要の砌)


 「今日、それが日蓮正宗に伝わり、創価学会の現れによって今、世界にこの大聖人様の三大秘法の正法が弘まっておるということも、これはやはり折伏ということ、法華経の根本の法の相をあくまでも素直に正しく、大聖人様の御意にしたがって説いておることが『時』によって広宣流布の相を顕わし、また、したがって正法を信受する人々が本当に幸せになっておるということをお互いに確信いたして、いよいよ信心修行に邁進することが肝要であると存じます。」P三五

☆四八三号

 (昭和六十一年三月十八日・神力山要言寺落慶入仏法要の砌)


 「我が日蓮正宗においては、いかなる時流にも媚びず、大聖人様の御法をどこまでも正しく伝えることこそ根本であるという確信に基づいて今日まで伝えてまいりまして、近年においては創価学会の勇猛精進の折伏によって今日、日本ないし世界に広宣流布をされておる状況であります。」P五九

☆四九一号

 (昭和六十一年十一月二十日・御大会)


 「近年、創価学会の勇猛精進の大折伏により、この正法正義が世界に広布することは、まことに釈尊の予言、宗祖大聖人の御金言、符節を合するところであります。この正法流布の功徳はまた、算数譬喩も能わざるところであります。」P五五

☆四九二号

 (昭和六十一年十二月二十五日・大法山妙乗寺落慶入仏法要の砌)


 「末法においては、正法正義は常に、勝れ、高いが故に世間の邪義邪法の徒から悪口雑言等があり、また世間の低い通念の考え方の上からその正法の本当の意義を知らせることがなかなかに難しいのであります。しかし近年、創価学会のまことに勇猛果敢な大折伏によって日本ないし世界に信徒が多く輩出し、しかも、その信徒の方々のため、正法広宣流布のため、大法を護ってここに二百カ寺の建立が着々と推進をされておるわけでありますが、これは口で言うことはまことにたやすいけれども、実に困難な、また特別な浄業であると思うのであります。その発願主である池田先生の赤誠、そして創価学会信徒皆様の外護の志を仏祖三宝にも深く御嘉納あそばされることと存ずるのでございまして、願わくばこの浄業を元としてさらに正法が日本の隅々にまで光被し、多くの衆生の真の幸せを確立していくことができるようにお互いに考えていくことが大切と思うのでございます。」P八三

☆五二八号

 (平成二年一月一日・平成二年元旦勤行の砌)


 「私がまだ所化で学生の頃、ある通夜の席で牧口会長と偶然一緒になった時、当時は正宗信者もいませんし、百名前後の通夜の客はすべてが謗法者でありましたが、それに対して牧口会長が折伏の言葉を十五分ほど真剣に述べておられたことを拝見いたしまして、感動したことがあります。その頃から牧口会長の信心の熱意により、またその教訓によって多くの信徒の方が輩出してきたように考えております。

 戦後においては第二代会長・戸田城聖先生、さらにまた第三代会長・池田大作先生等の歴代会長の死身弘法による正法興隆に向う姿、また会員の方々、信徒各位がさらに増加をして折伏を行じ、今日、日本ないし世界に信徒がたくさんできたということも、まさに閻浮広布の時が来ておるということを感ずる次第でございます。」P五七

☆五三二号

 (平成二年五月一日・総本山大石寺開創七百年記念大行尊霊法要の砌)


 「終戦後、第二代会長に就任された戸田城聖先生は、日本国民を大聖人の正法によって救済すべき時まさに至るを感じて、六十四世日昇上人、六十五世日淳上人の深い理解と庇護のもとに折伏の指揮を執られ、多大にして未曽有の正法流布を進められました。

 また第三代会長・池田大作先生はさらにその跡を受けて、六十六世日達上人の深意と加護のもとに本尊流布の浄業を進められ、さながら燎原の火の如く偉大な広布の成果を招来したことは我々の記憶に新しいところであります。

 かくて本宗信徒の急増に伴い、本門戒壇の大御本尊は御宝蔵より奉安殿へさらに正本堂へ御遷座となり、またこれに準じて当・大客殿をはじめ総本山の境域の建設・整備や末寺の建立寄進等、内外の供養は挙ぐるにいとまなく、さらに海外における弘法の足跡は百十五カ国に及んでおります。これらは現総講頭・池田先生の外護と、ならびに広布の指揮の賜物であると存じます。」P八九

これよりケンカ別れの後の発言

☆五五五号

 (平成四年三月二十九日・法華講連合会第二回壮年部大会)


 「したがって、戸田会長のころの創価学会の在り方は、その根本において、あくまで総本山が根本であり、そのための創価学会であるという気持ちの上から、あの大折伏が遂行されたということが、はっきりと言えるのであります。

 ですから、三代の池田会長は、戸田氏が命懸けで作られた組織と、その流れの上に乗ったに過ぎないのであります。戸田氏は、本当に命懸けで指揮を執りましたが、広布七十五万世帯の時点でお亡くなりになりましたので、そのあとを受けたあと、たしかに数としては増えているようでありますが、既にその時には、そののち発展する内容は戸田氏によって出来上がっていたというように、私ははっきり見抜いておるものであります。」P六四

☆五五六号

 (平成三年六月十日・正興寺新築落慶法要の砌)


 「皆さん方もそれぞれの立場において、狂っておる人、間違っておる人を見たならば、随うと背くとを問わず、慈悲の気持ちをもって少しずつでも正法正義を説き、その誤りを指摘し、正法に帰一せしめるように努力することが自行化他にわたっての正しい信行になるのでありまして、それこそが我々の真の成仏の道なのであります。」P三七

☆五八一号

 (平成六十一年五月二十六日・全国教師・寺族指導会の砌)


 「色々な宗教があるけれども、今日の創価学会ぐらい、あらゆるものが大謗法に当たっておる姿はありません。この点を皆さん方の一人ひとりが、しっかり考えてもらいたいのであります。

 要するに、いい加減な生ぬるい考えは捨てて、創価学会に毒された者どもを徹底して破折し、そのなかから一人でも多く救ってあげなければいけない、この気持ちを持っていただきたいということを、私は声を大にして申し上げたいのであります。」P四二

 「一つは、学会からの嫌がらせ・攻撃等が怖いために、全く学会破折を行わない僧侶がいるらしいということであります。これを私は信じたくはありません。まず、いないと思います。しかしながら、心配の種としてはあるわけでありますが、これは何が原因かといえば、憶病な心だと思います。」P四二

(平成六年五月二十六日・全国教師・寺族指導会の砌)

 「結局、憶病で、やる気がなくてやらないということであれば、たいへん卑怯な、僧侶にあるまじき姿だと私は思うのであります。

 創価学会の大謗法破折こそ、今日において我々の行うべき最重要の課題であると思います。すなわち、現実に謗法の創価学会に毒された者がいっぱいいるのであり、それらの者が今日、日蓮正宗のことを『このようにインチキな宗教だ』と言って誹謗し続けておるのですから、これらの者を破折しないでどうしますか。このことをしっかり考えていただきたいと思うのであります。」P四七

☆五八五号

 (平成六年八月二十四日・第四十三回全国教師講習会の砌)


 「結局、摧尊入卑なのです。ですから、創価学会の人達に対して、『あなた方の仏法は摧尊入卑です』ときちんと指摘していただきたい。池田大作がこの摧尊入卑の元凶なのです。創価学会の者達と話すときにはこれをきちんと言ってもらいたい。謗法の者に対しては徹底して破折しなければいけません。

 それを、宗教家として人格を疑われるというような考えから、尊称を付けて池田大作を呼ぶ人がいるようですが、正邪をはっきりと峻別する上からは呼び捨てでいいのです。

 『池田大作はこのような誤りを言っているが、これは摧尊入卑なのです』と堂々と破折するべきなのです。」P四二

☆五九三号

 (平成七年五月十一日・法光寺本堂・庫裡移転新築落慶法要の砌)


 「今日、すさまじい末法濁乱の姿をそのまま顕す、オウム真理教などというような宗教も起こってくると思われます。

 しかし、それよりもすさまじいのが、大聖人様の正しい法に背き、その正法を虐げておるところの創価学会であります。これが今日、オウム真理教などよりももっと根元が深い大謗法の存在であるということを、私ども日蓮正宗の僧俗はしっかりと肚に入れ、この創価学会のなかから一人でも多くの人を救ってあげたいという気持ちをもって、いよいよ破邪顕正の再折伏を行うことこそ大切であります。」P五四

☆五九三号

 (平成七年五月二十五日・全国教師・寺族指導会の砌)


 「はっきり言えば、寺院にある程度の下附願い用紙が積まれていても、二年後、三年後に調べてみたら、それだけの下附願い用紙の願主がほとんど、どこへ行ったか判らないというような形もあったのです。それは要するに、御本尊を受けさせはしたけれども、そのあとの面倒を見なかったことによると言えましょうが、そういう大変な不敬の状況が創価学会の折伏の形のなかでもあったことは、皆さん方も聞かれておることと思います。」P六四

 
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