阿部語録 


第五 誹謗・悪口


  ☆四〇五号

(昭和五十四年十月十日・全国宗務支院長会議)


 「特に現地における内容はよくは分かりませんが、僧侶が学会を誹謗しているそうです。そして、既にやってはいけないということになっているにもかかわらず、御講等において御書以外の話をし、しかもその内容は、創価学会の過去のことを洗い出していつまでも何だかんだと言っております。」P八

 「先日、ある十四・五人の人と話をする機会がありました。それはいわゆる”檀徒”の引率者の人達です。

 そのときにいろいろな話しもしましたけれども、その中で『とにかく猊下、学会は直りませんよ。直らないのではないですか』という発言が有りました。私は言下に『そんなばかなことがあるか。直さなければいけないんだ』ということを申しました。御本尊様を持って拝んでいる人達に対して『あれはもう直らない』。こんな無慈悲な話は、私は無いと思う。しかも僧侶がです。」P一一

「『宗門は金のことばかりを言う』と言うけれども、毎日何千人と来る登山会の、その内の九十パーセント以上が学会員です。本山をお守りし、そして総本山の灯燭をお守りしていてくれるのは、実質的に学会員なのです。これは決まりきったことです。」P一四

 「それが、別の本尊とか別の信仰をするようになったならば、それはそのまま創価学会の崩壊です。そのときには宗門の全部が精力的に歩き回って、全員を救うべく折伏をしなければならないと思います。しかし私は、そういうことは無いと確信します。」P一五

☆四一四号  (昭和五十五年七月四日・全国教師指導会)

 「次に、最近の宗門の姿のなかにおいて、謗法の論議が非常に多い。そのなかでも特に『創価学会は大謗法の団体だ』と言っておる人が、かなり多いのであります。それについて今日指導しておきますが、”絶対に誤りである”と断ずるものであります。」P一一

 「創価学会にももちろん、謗法はありました。いわゆる中謗法・小謗法というような意味での謗法はあったけれども、この御本尊を受持している以上、大謗法はないのであります。もしも、御本尊を受持している人に対して大謗法呼ばわりするのであれば、これは大聖人・大御本尊に背くものではないか、と私は思います。」P一二

 「私は今後も、責任をもって創価学会を善導し、指導しきっていくことを決意しております。

 ですから、創価学会に対する謗法呼ばわりはやめてください。このことを、はっきり申しておきます。」P一四

 「ただしこれは、阿部日顕個人ではなく、唯授一人の血脈を紹継するうえから申しますけれども、法主の心に背いて唱える題目は、功徳がありません。これだけは、はっきりと申し上げておきます。ですから『法主にも誤りはあるんだ』などということを信者に言いふらす僧侶も、また、それを信じて平気で法主を誹謗するような信徒も同じく、そういう人の唱えるお題目には功徳はない、と私は申し上げるものであります。」P一六

 「したがって、創価学会に対する謗法呼ばわりはやめて、また、創価学会員を檀徒にしようなどというけちな根性はやめて、自分自ら、また有縁の信徒を督励して邪宗・邪義を打ち破りつつ、そして正法正義の功徳がいかに大きいかを教えつつ、その法華講なり寺院の団体なりを、大きくしていくことが大事だと思うのであります。」P二〇

 「ですから、学会も現在、ゆっくり話をしていけば解ってくる時代に入っているのです。それをいつまでも、『学会は絶対に解らないんだ。学会は根本が違うんだ。今に学会は、爪をむき出して宗門に反抗するんだ。それが分からない法主が甘い』ということを、書いたり、言ったりする人がありましたが、それは違います。そうではありません。

 私は、すべてをよく見ながら、考え、そしてここに、確信をもってお話しをしておるのです。創価学会も解ってくる時代に入っているのです。当たり前ではありませんか。あの人達だって正しい御本尊を、あくまでも正しく信心し、この御本尊を一切の人々に弘通していきたいと願っておるのです。他に目的があるわけではないのであります。」P二六

☆四一七号

 (昭和五十五年十一月三日・「宗内檀徒の皆さんへ」)

 「前者のように正宗の外にある人、または、いったん入信しても退転し、御本尊や大聖人を誹謗するようになった場合を大謗法といいます。これに対して、正しい信心をしているうえにおける僑慢、計我等の謗法は、中あるいは小謗法というべきものであり、僧俗ともに犯しやすいのであります。

 この意味から、三大秘法の御本尊を受持信行している以上、大謗法はないといえます。しかも、『大逆なれども懺悔すれば罪消えぬ』との仰せがあるように、たとえどのような謗法を犯したとしても、心からそれを改悔し、戒壇の御本尊を根本に仏道修行に励むならば、罪は次第に消えるのであります。この両意から考えて、学会の場合、過去において大謗法があったとすることも間違いであります。まして現在においても大謗法であるとすることはたいへんな間違いであり、そのような考えは、大聖人、大御本尊に背くものといわなくてはなりません。」P六九

 「この点、学会は池田前会長をはじめ最高幹部は率直に誤りを認め、その是正を誓っています。すなわち五十三年十一月七日には  『これまで、いろいろな問題について行き過ぎがあり、宗内をお騒がせし、また、その収拾にあたっても、不本意ながら十分な手を尽くせなかったことは、総講頭の立場にある身として、この席で、深くおわびいたします』(池田会長)」P七二

 「今年に入ってからも、池田名誉会長は四月二日、機関紙上において過去のいろいろな面を総合的に含み、要点をくくって根本的な反省をしております。これは深い信心のうえから発した仏祖三宝への懺悔と思われます。」P七三

 「なかでも御本尊模刻の件は、二年前の五十三年十月、すべての経緯を見きわめられたうえで御本尊に関する一切の大権を所持される御法主のお立場から、日達上人が処置を完了し、今後このことについてとかくの論議は無用と決断済みであります。今もって蒸し返して謗法論議をすることは逆に日達上人の御意に背く謗法といわなくてはなりません。」P七三

 「過去に謗法があっても、それを指摘されて素直に改め、信伏随従して御奉公を誓う者は謗法の罪が消滅していくので罰する必要はありません。しかし宗務院が、大聖人の御書の精神に則り何度注意しても改めることなく反抗し、我意我見をもって、止められた行為を敢えて行うのは、逆に謗法を犯す者であり秩序統制上からもやむを得ず処分するのは当然といえます。」P七四

☆四一九号

 (昭和五十五年八月二十八日・教師講習会開講式の砌)

 「そのようなマスコミの勢力を利用して、日蓮正宗の正しい御本尊を受持信行している人を攻撃することは、それこそ本末転倒であり、それほど卑怯な、大聖人様の仏法の風上にもおけないような姿はありません。”この道理が解らないようでは、日蓮正宗の僧侶ではない”と、私は思います。」P六二

 (昭和五十五年十月八日・信正寺本堂庫裡新築落慶法要の砌)

 「そして更に、その点において重大なことを申し上げるならば、この『令法久住』の根本である大聖人様の三大秘法を受持信行する人々はお互いに、その本質においては即身成仏の境界を得ているという、大きな功徳をもっておるのであります。したがっって、僧であれ俗であれ、その信心をしている人々の立場を攻撃し、非難し、悪口を言うことは、取りも直さず、大謗法でございます。このところの筋道が、最近の宗門においては間違っておる人が多いのであります。」P九二

☆四二一号

 (昭和五十五年十二月二十日・真光山聞仏寺落慶入仏法要の砌)


 「その指南に背いていつまでも、”これが良い””これが悪い””これが謗法だ”とかというようなことを、もしも大聖人様の仏法の中において考えるとするならば、それこそ小乗と大乗という立て分けを知らずにいつまでも小乗に執着した、謗法の考えと全く同じになってしまうのであり、したがって、そういう人々こそ謗法なのであります。」P六四

☆四二五号

 (昭和五十六年六月二十日・道種山信法寺落慶入仏法要の砌)

 「今日、宗門には様々の思い違いをしておる僧侶や、一部の信徒がおりますが、その人達はその根本である宗門の法義を否定し、信仰を否定して、自らの小さな善悪観に執われて法主の悪口を言っております。このような姿は、自ら法門の無尽を究めようとする心を捨てて、仏道の無上を得んとする心を捨て、また衆生の無辺なるを救わんとする心を放棄しておるところの姿であります。これは、根本の大聖人様の血脈の仏法に反しておるのでありまして、したがってその人達の唱える題目は、いかほど唱えても全く功徳はないのであります。」P五九

☆四二七号

(昭和五十六年八月二十五日・全国教師講習会)

 「そして将来、今は学会が色々なことで反社会的だというようなことを週刊誌等で喧伝されておりますが、それも今にはっきりしてきます。あるいは池田名誉会長の問題にしてもはっきりしてくると思います。はっきりしてみれば何ということもないものだと思うのであります。 それらは結局、正しいことをきちんと守り、本当に正しい仏法を守っていこうとする人に対しては、悪口を言う人間がいるということであります。」P二四

☆四三一号

 (昭和五十六年十一月二十四日・涌徳寺新築落慶入仏法要の砌)

 「今日、あるいは創価学会名誉会長・池田先生に対し、あるいは創価学会の在り方に対して様々の誹謗、中傷がなされております。また、ときにはそれが私共僧侶の方にも巡ってまいりますが、創価学会が本来、広宣流布のため、また総本山を護るという信念をもってやってこられておるために、日蓮正宗の方への誹謗は比較的まだ少ないようでもあります。」P五三

☆四三二号

 (昭和五十六年十一月三十日・専修寺新築落慶法要の砌)

 「ところが今日は、いったんはその正法に入りながらも、信心が薄いために正法の本当の義が解らず、様々の貪、瞋、痴のところから正法を誹謗する者が実に増えております。そういう者が、時には週刊誌等を利用し、あるいは週刊誌等の謗法の者どもと結託をして様々に正法を信ずる人々に対し、あるいはまたそういう団体に対して、無いことをさも有るように中傷をしておるのでありますが、これらはまことに哀れな者どもであります。」P四二

☆四四一号

 (昭和五十七年十月八日・恵妙寺客殿新築落慶入仏法要の砌)

 「しかしまた、この大法が顕われるときには必ず多くの魔性も現われて、正法を阻害せんとする用きが現われてまいります。例えば、仏法を知らないため正法と邪法との立て分けがなく、怨嫉の念をもつ世間の記者や境界の低い俗人どもが非常に顛倒した見解をもって日蓮正宗や創価学会のことを誹謗しておる昨今でありますから、」P八四

☆五三二号

 (平成二年四月二十日・涌徳山興本寺落慶入仏法要)

 「今日、創価学会の方々の大折伏によって妙法が弘まっておりますが、ここに至るまでにはその方々に大きな難がたくさんあったことと思います。また現在でも種々の難が、特に総講頭・池田先生に対し、またその他の方々に対していわれなき中傷・誹謗等が常に充満しております。世間では非常に悪いことをしておる者がたくさんいるにもかかわらず、その者達のことは何も言わない。そしてむしろ妙法を受持し信仰している者に対して色々と悪口雑言を言うところが、この妙法を鏡として起こるところの煩悩の姿であります。そしてまた、むしろそれによって真の正法が一切衆生の心のなかに下種されていくということを考えるものでございます。」P八三

☆五三三号

 (平成二年五月十一日・正種山円徳寺落慶入仏法要の砌)

 「そこを根本としてこそ、初めて真実の種を得、我々が未来に向っての成仏得道のため、真実の仏道修行ができるのであります。それを正しく持ち、また弘宣しておるのが日蓮正宗であり、また皆様方の所属せられるところの創価学会の方々でございます。

 今日、様々に非難・中傷し、ありもしないことをあったように言って、信徒の方々の信心を錯乱させようとする動きがまた大きくなっております。これは、ないことをあったように言って疑いを起こさせ、信心を退転せしめるという大きな魔の用きであるということを皆さんも深くお考えいただき、そういう魔障を打ち破りつつ正法をどこまでも受持信行されていくことをお祈りいたしまして、本日のお祝いの言葉といたします。」P五二

これよりケンカ別れの後の発言

 (平成三年一月四日・法華講連合会初登山お目通り)

 「ですから開創七〇〇年と口に言いますけれども、その開創七〇〇年の本義は、正義と邪義の峻別にあったということです。

 それがまさしく、七〇〇年のこの平成の時になって、やはり同じような意義がそこに感ぜられるということは、また仏法の不可思議な因縁と思うのであります。

 皆様も色々と聞かれておると思いますけれども、最近の宗門批判、あるいは法主批判等の、まことに信仰の上からもどうかと思われるような法主、僧侶に対する考え方ということが、ただ『我々は宗門に対してこれだけのことをやり、過去においてこれだけの功績を成したのであるから、我々が考えることは何でも正しい』という考え方からあるのですが、それがその本筋において違っておるならば、これは大変なことであります。」P五三

 (平成三年一月六日・全国教師指導会)

 「ただいまは、総監、教学部長からそれぞれの趣旨において話がありました。 最近、色々な面で宗門と学会とが不協和音以上の残念な形が起こってきております。これは、やはり組織の一番根本の中心者が起こしておるところと私は思います。そこから、組織を非常に巧みに活用しながら、また、聖教新聞等の武器を使いながら、だんだんと末端にまでその徹底を図っておるようであります。どうぞ、やりたいことは勝手にやってもらえばいいと思うのです。ただし、それが本当の仏法の正義か否かということが問題である。」P五七

☆五四〇号

 (平成三年一月七日・衆和会初勤行会)


 「このテープレコーダーの持ち込みを拒否するということを、理屈においては、『うまく伝わらない、誤解があると困る』というようなことも言っておるようですけれども、そのようなことを理由にして、『テープを録らせないことが当然である』というような考え方は、私は大聖人の仏法を正しく弘めようとする宗教団体においては、おかしいと思うのです。

 この宗門において、私やそのほかの者が総本山や各寺院において、説法や講演、あるいは色々な折りの言葉とか、挨拶等をいたしますが、どのような意味の話をしても、そのようなことの中において、いかなる時でも『テープを録るな』などということはありません。」P七四

 (平成三年一月十日・教師指導会)

 「あれを見て、私も本当に嫌になりました。あのような汚いやり方で捏造して、私は不徳な人間ではあるけれども、管長の立場にある者をそのようにやりこめて、しかもそれのみならず、こちらの返答も待たずに、そのような捏造の質問書をどんどん聖教新聞で流して、それで肝心のこちらの正しい回答は、ほとんど出してはいないのです。本当に卑怯であり、卑劣なやり方なのです。」P八一

 「また、『これ程やったのは池田名誉会長ではないですか』とも言っておるようです。そのようなことをやった人が、いわゆる全学会員から本当に仰がれているような人が僧俗のけじめを忘れて、法主を、管長を侮蔑し、宗門を軽蔑し、まるで『自分達が偉いのだ』というような考え方で色々なことを言う。それも衛星放送で、百以上もある会場へ衛星から中継するわけです。

 あのやり方も本当におかしいのです。全部の会場でテープの持ち込みを禁止するのです。日蓮大聖人様の仏法を正しく弘め、示していく、そのようなスピーチなり、会合において、何のためにテープレコーダーの持ち込みを禁止する必要があるでしょうか。」P八二

☆五四三号

 (平成三年三月十八日・法華講支部指導教師指導会の砌)

 「私は、皆さんの前でこのようなことを言いたくはないけれども、やはり僧侶は信徒に対し、本当に正しい心をもって接してもらいたいと思うのです。相手の信徒も色々であって、狂っておる人もあります。そのような人は、僧侶がいくら正しい気持ちをもって接し、教導しても、なおかつ悪口を言い、様々なところで色々と、法を破るような姿も出てきます。これはもう、仕方がありません。それでも機会があれば戒めることは、もちろん必要だと思います。しかし、どうしても直らない者は、そのような者をそこに置いておくことが毒になるとすれば、ほかの人の信心の妨げになる場合も多々ありますので、これは指導教師として適切な、やはり慈悲の上から正しい指導的処置をしなければならないと思います。P四〇

 (平成三年三月十八日・法華講支部指導教師指導会の砌)

 「それから、今、色々な問題がありますが、たしかに池田名誉会長の昨年の十一月十六日の発言において、特に法主に対する蔑視・軽視の発言、宗門の僧侶に対する蔑視・軽視、これも充分認められるところであります。



 さらに五十二年路線ということに関して、あれ程誓い、あれ程日達上人に対してお詫びを申し上げたにもかかわらず、宗門に対する色々な形での批判とか、そのような考え方が出てきておるようであり、これが最近は特に露になってきました。前回はあまりに正直にやり過ぎたから、あのように謝らなければならなかったけれども、今度は謝らないと言っているらしい。今度はそれだけ利口になったというような考えらしいので、そのような発言もこぼれてくるようであります。」P四四  (平成三年三月二十六日・法華講連合会春季荘登山お目通りの砌)

 「ある団体の長が『嘘も百遍言えば本当になる』と言ったということを聞いたことがありますが、その指導を聞いている人達は、『ああ、それならば都合の悪いところはみんな嘘を言ってごまかしてしまえ』と、嘘を言うことも平気になる。また、わざわざ嘘を嘘でこねあげて、本当のことを全く隠して人の悪口を言い、それで自分達の目的さえ達成すればいいのだというようになってしまう。

 このような考えは、たとえ南無妙法蓮華経の正しい法を持っているとしても、大きな誤りであります。

 ではなぜ、お題目を唱え正しい御本尊を戴いている人達がそのようになるのかと思われるかもしれませんが、指導者が悪ければそのような考え方になり、またそれを受けての指導になってしまうのであります。」P五八

 「御本尊を受持し、お題目さえ唱えていれば、どんなに悪いことをしてもいいし、いくら嘘を言ってもいいのだという考え、また『嘘も百遍言えば本当になる』と言って衆生を導くことは非常に大きな誤りであります。」P五九

☆五四四号

 (平成三年四月十九日・全国宗務支院長会議の砌)

 「それがまた、集団的な信徒の形からの構造問題においては、いつとはなく創価学会が広宣流布の中心主体であると考え切ってしまうようになる可能性もあるわけでありまして、昨今の連日にわたる聖教新聞その他の文書による様々な宗門に対する攻撃や批判は、宗門の尊さを深く考えた上で行われるべきものでは絶対にないと思うのであります。

 やはりあのような態度は、自分達の立場を主体とし、あくまで創価学会が広宣流布の主導権を持っており、宗門はそのほんの一部にしか過ぎないというような考えに基づいて行われておるとしか思えないのであります。」P六二

☆五五一号

 (平成四年一月一日・新年の辞)

 「かの池田創価学会が我見を以て、グローバルな世界宗教などといかに申し狂うとも、法の根本を忘れ仏意に背く以上、所詮その一切は泡沫にすぎない。況や慢心による宗門支配の企てや仕掛けは、当然の如く破滅した。

 今後、この者どもの誹謗中傷は更に増そうとも、法華の持者の不惜身命の志と、堅い信念行躰は微動だにするものではない。」P五

 (平成三年十一月三十日・教師指導会の砌)

 「昨年の十二月の問題、その前の『十一・十六』の池田大作なる人物による宗門に対する不当な侮蔑の言等、仏法のあるべくしてある正法と誹謗の姿が明らかに現れたということ、そして開創七百年という不可思議なる年において、その行事をことごとく奉修して仏恩報謝の誠を捧げた、そののちにこれらの問題がはっきりと具体的に現れたこと、さらにまた今日に至るまで普賢岳の噴火は尽きることなく続いておりますが、この普賢岳噴火が始まったのが池田大作なる人の宗門を誹謗した十一月十六日の翌日である十七日から始まったということ、これも実に仏法の不思議な形を感ずるのでございます」P七六

☆五五三号

 (平成四年一月二十八日・法華講支部指導教師指導会の砌)


「今、池田創価学会は、嘘と誹謗の『池田創価悪会』であります。徹底した嘘を尽き、徹底した誹謗をしております。この誹謗もすべてが嘘で固めたものです。また、池田大作氏は法門が判らず、仏法に対する根本的な邪見があります。戒壇論についても、御本尊の拝し方についても、そのような根本的なところからの邪見があるのです。さらに慢心により、自分自身があくまで仏法の中心であるという、まことに大それた大邪見が存するのであります。」P五〇

☆五五六号

 (平成四年四月二十一日・全国宗務支院長会議)


 「現在、創価学会の人達は、そのような表面的な経過だけを見て、これだけ正法を弘めた団体の指導者であり、また、大客殿や正本堂その他、実に様々なものがその名前によって供養されているのであるから、そこに大きな仏法上の功績、功徳があるのは当然であるというように言っております。さらに、宗門は矮小な考えから、その大功徳者である池田大作氏に対し、微塵の報恩の念も持つことができず、創価学会の大きな広宣流布の大業に対しても、真の意義をもってみていないのであるというようなことを盛んに言って、あまつさえ捏造やすり替え等の嘘によって、大変な悪口、誹謗、中傷等を繰り返しておることは、皆さん御承知のとおりです。

 それに対し、宗門としては、池田大作氏にはその表向きの功績の反面、慢心、我慢があって、色々と仏法に対する誤りが存するのであるということを指摘し、糺しております。これも、今までの経過をきちんと立てれば当然なことであります。」P六二

☆五五七号

 (平成四年五月二十四日・東京第一布教区御親教の砌)


 「それはともかく、創価学会首脳の心には『@慢謗法』というものが根底に胚胎しておったのであります。『曽谷殿御返事』に、

 『何に法華経を信じ給ふとも、謗法あらば必ず地獄にをつべし。うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し』

 という御文がございますが、いかに法華経の信心をしたというようなことで誇ってみても、根本に謗法の一念があれば、その信心の功徳は必ずや破れ、潰え去るのであります。

 しかるに、この謗法はいかなる姿かといえば、皆様も御承知の『十四誹謗』の姿であります。すなわち、@慢・懈怠・計我・浅識・著欲・不解・不信・顰蹙・疑惑・誹謗・軽善・憎善・嫉善・恨善という十四でありますが、この十四の内容を一々当てはめてみますと、今まさに創価学会の、宗門を敵視して日々夜々、誹謗、悪口、中傷を連ねておる姿は、この十四誹謗のすべてに当たっておるのであります。一つや二つではありません。また、三つ四つではなく、十四のすべてが創価学会の現在の所業に、大聖人様の仏法に背く姿としてはっきりと現れております。」P四八

 (平成四年五月二十八日・全国教師・寺族指導会の砌)

 「したがって私は、その御収束の御精神を承けて、あくまで創価学会を大きく包んで指導していくということが一番根本の考え方でなければならないと思ったわけであります。

 ところが、勢いづいた正信会の者どもが、どうにも先走ってしまうのであります。このような在り方は日達上人の御遷化の直前からありましたけれども、特に御遷化のあとにおいて顕著になってきました。それらを色々な面から慰撫しつつ、創価学会を大きく包もうという私の気持ちに一致して御奉公をしてくれるように願っておったのでありますが、彼等の行き過ぎた行動はあのような経過を来してしまったのであります。その経過の一々については、時間の関係上、とてもこの場では申し述べられませんが、最終的には擯斥処分というところにまで及んだわけであります。

 その後、私は、池田大作なる者を根本とする創価学会を大きな意味で正しく善導していきたいと思っておりました。したがって、この問題が起こるまでにおいて、二回ほど呼びつけて、きちんと指導したことがあります。これについても、不満を言っていたということがのちに聞こえてきましたけれども、ともかく、そのように指導もいたしました。

 また、その他のあるゆる面から、宗門七百年の化儀・化法を根本とするところにこそ、真の広宣流布の道があるということを、常に変わらない信念として私は教導してまいりましたが、大聖人様の本門三大秘法の、特に戒壇の本義をわがまま勝手な我見をもって解釈したり、また、そのところから『広布第二章』というような創価学会を中心とする在り方を望んで、そのなかに宗門全体を巻き込んでいこうという考え方がはっきりと色々な面から表れてきたわけであります。」P五二



☆五五八号  (平成四年六月二十八日・東北第二布教区御親教の砌)

 「しかしながら、創価学会は、悪口、誹謗、中傷を平気で行う団体であり、皆様方もおそらく色々な面から、今回の問題の正しい処置について創価学会の狂った人達から悪口、誹謗を浴びせられておることと思います。」P七〇

☆五六〇号

 (平成四年八月二十八日・全国教師指導会の砌)


 「先程から私のことが色々と取り沙汰されておりますが、私としては言葉もないという始末であります。

 つまり、一切がなんにも知らないことなのです。ただ、私としては、当時、約三〇年まえに、スケジュールに従って御授戒をして歩いたというだけに過ぎないのです。だから、ホテルから出たとか、出ないとか言われても、そのホテルから出た覚えがないのですから、しようがありません。

 したがって、ヒロエ・クロウが証言したといわれるような内容について、そういうことを行っていないということは当然であり、そうに決まっておりますけれども、その時から未来においてそういうことを言われるなどとは考えたこともないわけです。」P六四

☆五六三

 (平成四年十一月十七日・全国教師指導会の砌)

  「今日、池田大作が、宗門との関係において、苦しまぎれに様々な手段をもって宗門を攻撃する反面、結局は自分らの野望を次第に露わにし、いよいよ独立の形を取らんとしつつある感じがいたします。その際、大聖人様の御真筆御本尊を、どこか他宗の寺院から買ってくるのかどうかは知りませんが、大聖人の御本尊は今日、格護されている場所がすべて明らかでありますから、どこから買ってきても、それがどこの邪宗の寺院に格護していた御本尊であるかということは明らかになるのであります。

 たとえ創価学会がそういう御本尊を邪宗の寺院等から買い取ったとしても、血脈の法体の上から、はっきりと内容が整わず、大聖人様の御真筆御本尊としての功徳を認められていない御本尊においては、いささかも御本尊としての功徳はなく、その御本尊を信行の対境とするならば、結局は邪宗邪義の一分に過ぎないということを、この際、はっきりと申し上げておく次第であります。」P五八

☆五七四号

 (平成四年六月二十一日・東北第一布教区御親教の砌)


 「今、世間では、宗門と創価学会は喧嘩をして悪口を言い合っているというような見方をする向きもあるようですが、これは明らかに違います。創価学会は間違いなく正法を悪口・誹謗しておりますが、宗門は誤りは誤りとして、謗法は謗法として、その間違いを糾さなければ、その者達が地獄に堕ち、さらに迷う者が出ますので、慈悲の立場から堂々と論破し、教導しているのであります。そこに世間の者達には解らない、宗門の正しく高い境界があるのです。

 したがって、私が口から血を吐いて死ぬというようなことは絶対にありません。」P五〇

☆五八三号

 (平成六年八月九日・行学講習会閉講式の砌)

 
「御法主日達上人猊下に対し奉り、池田大作が過去において様々なことを行ったことも、古い人はみんな知っておる。例えば、昭和四十八年の正本堂の記念法要のあと、正本堂東廊下における罵詈雑言とも言えるような日達上人に対する無礼な言葉、そのほか様々なことを私も知っておる。

 あるいはまた、日大講堂で行われた総会のあとに、私と当時の総監であった観妙院日慈能化に、『待っていてくれ』と言うので残っていたら、『日達上人は図にのぼっている』ということをはっきり言ったこともあります。いやしくも、御法主上人に対して、のぼせあがっているというような意味の言葉をはっきりと言ったのである。実に驕り高ぶった、僧侶を蔑視・軽視した形である。」P五八

☆五八六号

 (平成六年十月二十九日・西中国布教区御親教の砌)

 「ところが、往々にして我見をもって南無妙法蓮華経の教えを解釈する増上慢の人間が出てまいります。仏法の内容もろくに知らない素人が、いわゆる池田大作のような人間が慢心の上からそのようなことを考え、我見を構えて、仏法の法理を正しく立て分けて話をせんとする正法の僧侶に対して悪口を言うのであります。

 それが特に平成二年という時において、これは非常に不思議な時でありましたが、仏法のなかにおいて創価学会による大きな謗法の姿が具体的に表れて、七百年の仏法を埋没せんとするような考え方が存したのであります。」P四九

☆五九〇号

 (平成七年二月二十三日・南九州布教区御親教の砌)

 「近年において、池田大作という仏法破壊の大悪人が現れ、下種三宝を深く尊んで正法を弘通するという、前に存在したと思われる創価学会の精神をいつの間にか忘れてしまって、我見の上から仏法を考え、法宝を考えて、大聖人様の仏法を私するようになりました。

法宝誹謗の顕著な例は最近における『ニセ本尊』の作製・販売でありますが、そのほかにも大作は、本門戒壇の大御本尊に対し奉り、実に不敬な言辞を弄しておるのであります。これらはすべて、大作が下種三宝のなかの法の宝を破壊しておるところの姿であります。

 仏宝について言えば、『大聖人様も人間である。我々と同じ人間なのだから、人間としての仏法、人間主義の仏法をこれから考え、行うべきである』という趣旨のことを言っております。これはまさに『摧尊入卑』、尊きを摧いて卑しきに入れるものであり、これほど仏を馬鹿にし、仏を蔑ろにする姿はありません。」P四四

 「顧みれば、池田大作が平成二年の十一月十六日に宗門と私の誹謗をはっきりとした形で行いました。その次の日に普賢岳が火を噴いたのであります。また、北海道のある島では、用があって私が北海道へ行く時に、私の乗った飛行機が落ちるようにと御祈念をしていたらしいのです。その島の近海を震源として地震が起こり、大きな津波が押し寄せて多大な被害を受けたことは皆さん方も御承知のとおりです。

 さらにまた、今般の阪神大震災において多くの方々が犠牲となりました。そのすべての方々の御冥福と一日も早い復興を心から祈るものでありますが、その被害の激しかった神戸市のある地区は広宣流布のモデル地区と言われるぐらい学会員が多く、また、昨年の池田大作による金集め、いわゆる『財務』も兵庫は非常によい成績だったということで、大作は兵庫の学会員の奮闘をたいへん喜んでおったということです。けれども、それがあのような姿になりました。これは木石ならずとも、驚くべき、恐るべき姿であります。

 まさに明らかな謗法の現証であるということを、池田大作が、また、学会のすべての人々が深く感じなけらばならないのです。これが仏法の深い因縁因果の道理の相でありまして、

 『道理証文よりも現証にはすぎず』

と大聖人様の仰せになった姿であります。」P四六

☆六〇七号

 (平成五年五月二十三日・中部布教区御親教の砌)

 「池田大作が平成二年のころから言っていたことがそうなのです。お山や私はなにも、利養に貪著するようなことはありません。ところが、お山をはじめ、坊主は御供養ばかりを請求し、そのようなことばかりを考えていると側近の幹部どもに言っていたようです。しかし、そのような事実は何もありません。

 しかるに、自分達はどうですか。特別財務や広布基金の集め方を見て、あれがなぜ、利養に貪著する姿ではないと言えるでしょうか。結局、先の泥棒と同様、利養に貪著しておる者ほど、他に向ってそのように言うものなのです。」P二三

☆六一一号

 (平成五年六月二十日・北陸布教区御親教の砌)

 「天台、真言の高僧等には非常に深い貪欲がありますから、そのために公家、武家を恐れて、それら公家、武家が禅や念仏の教えを狂った考えで信仰しておるにもかかわらず、それを破折できないことを指摘されております。すなわち、天台宗の僧はそれらの人々に対して、『念仏や禅等の立て方、考え方は、仏の教えに全く違うのである。法華経のおしえはそうではない』ということをはっきり言わなければいけないにもかかわらず、うっかりそういうことを言うと疎んじられることを恐れて本当のことを言わない。

要するに、そうなれば入るところのお布施も入らなくなるということでしょうが、そのためにきちんとした破折をしないということでありまして、これは仏法において最も恥ずべきことであり、いけないことなのです。

 私も、もし貪欲が盛んであったならば、もっともっと創価学会にたいしてもおべんちゃらを使って、仲良くやっていたことでしょう。けれども、創価学会があまりに狂っておりましたので、法を正しく護る上から、はっきりその誤りの反省を求めたのです。そのために彼等は瞋り狂い、あらゆる嘘と流言蜚語をもって私を謗っております。」P五二



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