阿部語録 


第十五 昭和五十二年路線


  これよりケンカ別れの後の発言

☆五四〇号

 (平成三年一月六日・全国教師指導会)


 「また、最近の問題を論ずるときに、前の五十二年・五十三年路線と比べて、それに対して『反省がない』とか『今、やはり同じだ』とか、色々な声を我々はよく聞きますけれども、では五十二年路線がどうして起こったのかという、その元を皆さんは考えたことがありますか。私は、先程の正本堂に関する定義を、色々な問題の経過において日達上人がお示しになったことに対して、『法華本門の戒壇たる正本堂』と論じた気持ちにおいて、そこにかなりの齟齬があったために、それに対して必然的に起こってきた日達上人に対する不信感からの、日達上人や宗門に対する批判等が五十二年路線だったと思うのであります。ですから、もっと元があるのです。」P六五

 「それまでに池田名誉会長が発言したりしたことが間違ったことであるということを御自分でも認めざるをえなくなり、あの『お詫び登山』があったり、その他様々な形での反省をして『二度とこのようなことがないようにする』ということを誓われたのであります。

 しかし、それから十年たちまして、今日、何か私どもが解らない間にどんどんと宗門に対する批判、また法主批判のような形が進んできて、先程の説明にあったような姿が現れてきておるということなのです。

 これは全部を達観してみると、やはり『自分は大聖人の仏法を全部、把んでいるのだ、だから私は『法華本門の戒壇たる正本堂』と言ったのだ』と言えるような考え、また今日においても『これからの広宣流布は法主の指示・指南を受ける必要もなく、意見を聞く必要もない。全部、自分が把んでいるのだ。自分が一番偉いのだから、自分の考えにおいて広宣流布していくのだ』ということが、やはり元になっているのであります。」P六六

 「『結句は一人になりて日本国に流浪すべきみにて候』

私は、この御文を拝した時に涙が出たのであります。私もまた、その覚悟は持っております。あくまでも正しく、私一人になっても法を護ってまいります。」P六八

 (平成三年一月十日・教師指導会)

 「それにもかかわらず、最近、また何か変なふうになってきてしまったわけです。それは、一貫して見ると、全部、池田名誉会長の仏法に対する考え方が元になっているように思うのであります。一番最初の正本堂の意義付けも、それから52年路線もそのとおりであり、さらに今度は、本当か嘘かは知らないけれども、『五十二年路線で揚げ足を取られ失敗したから、今度は絶対に揚げ足を取られない』というように言っているという噂を漏れ聞きましたが、そのようなつもりで、絶対に尻尾を掴まえられないように会員全部を洗脳しつつ、それで自分の手下にして、宗門もその中に巻き込んでしまおうと考えているらしいのです。本当はこのような流れなのです。みんな、この辺をよく考えてもらいたい。」P九二

☆五四三号

 (平成三年三月十八日・法華講支部指導教師指導会の砌)


 「それから、今、色々な問題がありますが、たしかに池田名誉会長の昨年の十一月十六日の発言において、特に法主に対する蔑視・軽視の発言、宗門の僧侶に対する蔑視・軽視、これも充分認められるところであります。

 さらに五十二年路線ということに関して、あれ程誓い、あれ程日達上人に対してお詫びを申し上げたにもかかわらず、宗門に対する色々な形での批判とか、そのような考え方が出てきておるようであり、これが最近は特に露になってきました。前回はあまりに正直にやり過ぎたから、あのように謝らなければならなかったけれども、今度は謝らないと言っているらしい。今度はそれだけ利口になったというような考えらしいので、そのような発言もこぼれてくるようであります。」P四四

☆五四七号

 (平成三年七月二十一日・全国教師指導会)


 「その一番元の考えというものは、『五十二年路線』と言われる在り方において、教義の上からも、また団体の立場からも、実に宗門をないがしろにし、御法主を無視し、自分達の考えこそ真に尊しとしての独立的な気運があるような指導なり、行き方が公然と行われておったところにあるのであります。

 この『五十二年路線』は、日達上人の御苦慮、御苦心の上にそれらの誤りがいったんは正されて、彼等も心からそれに対する反省懺悔をいたしました。そのような経緯があったことを、皆さんもよく御存知でしょうが、私はここで改めておさらいをしたわけであります。

 こういう在り方が、また頭を持ち上げて、最近の事態が現れてきておるということを、皆さんはよく肚に入れていただきたい。けっして一朝一夕のものでもなければ、思い付きで出てきたものではないのです。周到な考え方と計画のもとに着々と進められ、時期とともに現れてきた、宗門に対する学会の姿であるということを、よく見定めていく必要があると思うのであります。」P三三

 (平成三年七月二十八日・法華講連合会第二十八回総会の砌)

 「先般の『五十二年路線』と言われる、創価学会における様々な逸脱がありましたが、これはすべて観心の考え方の誤りから起こってきたものであります。『久遠の悟りが自分にある』とか、あるいは『本門弘通の大導師とは○○先生のことである』と弟子が言ったとか、あるいは最近、『私はこれから発迹顕本するんだ』というような言い方がきこえてくるなどは、これはまさに観心主義の悪弊であります。」 P七〇

☆五四八号

 (平成三年八月三十日・第四十回全国教師講習会閉講式の砌)


 「今日に至るまで色々な経過がございましたけれども、なんといっても創価学会において大聖人様の仏法から色々な面で逸脱が始まったということが基本だと思います。それはもちろん慢心によることでもあり、最近においては特にそう言えますが、五十二年路線のことまで振り返れば、『自分達が広宣流布をした』というところから、さらに一転して、『自分達が広布の中心でもある』というような錯覚がおのずとそこに生じてきたところに、五十二年路線もあれば、今回の色々な問題の起点もあると思います。それは皆さん方も御承知のとおりです。」P九〇

☆五五〇号

 (平成三年十一月二十八日・創価学会破門通告書)


 「しかも、池田氏は、過去にも、あろうことか何体もの板御本尊を、勝手に模刻するという大罪を犯しております。」P九九

 「最近における創価学会の宗門に対する攻撃は、まさに『山崎・八尋文書』『北条文書』等の、『宗門支配か、しからずば独立か』との野望を、そのまま密かに懐き続け、機会を窺っていたことを示すものであり、昭和五十二年路線の反省が、まさしく欺瞞であったことを証する、無慚無愧の著しい背信行為と言わなければなりません。」P一一〇

☆五五二号

 (平成四年一月三日・法華講連合会初登山お目通りの砌)


 「しかるに、まだ謗法の輩が充満しておるにもかかわらず、大聖人様が『一期弘法抄』や『三大秘法抄』に一期御化導の究極としてお示しになった本門戒壇の御指南は、既に創価学会において達成をして、それからあとはむしろ大聖人様の御指南を抽象化し、具体性を忘れての、池田創価学会による『広布第二章』とでもいうようなところに重点を置く考え方には、私ども正法正義を護っていく者として、その基本が違っておるということを感ぜざるをえないのであります。

 この問題に関して、日達上人の統せられた昭和四十年代から五十年代の初めにおいて様々なことが起こりました。それらの内容に対していらだちを感じた池田大作なる人物が、まことに不逞な考えをもって、教義の逸脱、あるいは宗門支配等の姿を色々な角度から、陰に陽に表してきたのが五十二年路線であったと思います。

 そこのところから様々な問題を起こしましたが、当時はまだ、その誑惑の始めであったために色々な証拠を残し、宗門からその誤りや悪計を指摘されることによって改めざるをえなくなり、恭順の姿を一往示したのであります。」P六八

☆五六三号

 (平成四年十一月二十九日・大阪布教区御親教)


 「前回の昭和五十二年路線においては自分の考えを表面に現したために失敗をしたので、今度は、創価学会中心、あるいは池田本仏的指向等、実質的には同じであるが、表には現さないように、うまくやっていこうと考えたようであります。そのように、水面下に潜った悪い考えによる洗脳がずっと行われてきたようでありますが、うかつにも私は、そのような謗法の流れがあるということをほとんど知らなかったのであります。」P七三

☆五七三号

 (平成五年九月十九日・栃木布教区御親教)


 「しかるに、池田大作は昭和五十二年路線において、少なくとも七体以上の御本尊を勝手にもこくするという大謗法を犯しました。あれも結局、『創価学会がこれだけ法を弘めたのだから、その一番の中心者である自分は、なんでもできる、何をしても構わないのである』という、実に思い上がった、付嘱を無視し、筋道を乱したところの考えによるのです。ですから、今回、『ニセ本尊』を作成したということも、池田大作の狂った謗法の考えが根底に存して、それが今日、様々な仏法壊乱の姿として表れておるものであります。」P六八

 (平成五年九月二十六日・茨城布教区御親教)

 「数年前の昭和五十二年のころ、正本堂建立の意義等に胚胎する様々な原因により、池田大作は仏法上の非常に大きな慢心を抱きました。それを一口に『昭和五十二年路線』といいますが、そこには大変な仏法背反の姿が現れたのであります。しかし、それも本人の一往反省するところとなり、日達上人もその反省を深くお容れあそばされて、創価学会の宗門における信徒団体としての活動を認められた次第であります。  しかしながら、創価学会の飽くなき誤りの野望は、その根底においてはいささかも反省されておりませんでした。したがって、私はその後、十数年の間、なんとか正しく教導していきたいと願っておりましたが、今日に至り、その本性をむき出してきたのであります。

 ここにおいでになる皆様方の仏性が仏法の道理を正しく拝見しておられたからであると思います。」 P七一

☆五七四号

 (平成四年六月二十一日・東北第一布教区御親教の砌)


 「近年、創価学会により大きく流布されたように見える姿がありました。しかし、やはり我見によって尊い三大秘法を蔑ろにし、私して把んだ形から、正本堂建立の意義をはじめとする誤った考えを抱くようになったのであります。しかし、先師日達上人によりその野望をくじかれたことによる池田大作の怨念が、あの昭和五十二年路線の結末であります。そして、その日達上人と宗門に対する憎悪を表面上は隠していたのですが、不思議にも日興上人が正邪峻別をあそばされた総本山開創からちょうど七百年の平成二年に明らかとなり、今日、様々な謗法の姿を露呈しております。」P五五

☆五七八号

 (平成六年二月二十三日・全国宗務支院長会議の砌)


 「この戒壇建立は、大聖人の御仏意による終窮究竟の厳然たる御指南であり、いやしくも凡夫や一信徒が知ったかぶりをして、軽々に口を入れ、論ずべき法門ではありません。もし、そういうことがあれば、これは本仏のお心を踏みにじる、大謗法であります。

 しかるに、池田大作なる顛誑の大謗法者は、

 『戒壇建立ということは、ほんの形式にすぎない。実質は全民衆がしあわせになることであります。その結論として、そういう、ひとつの石碑みたいな、しるしとして置くのが戒壇建立にすぎません。したがって、従の従の問題、形式の形式の問題と考えてさしつかえないわけでございます。』

 として、精神と形式を分け、御本仏の精神、いわゆる御仏意を蔑ろにし、民衆の幸福という空漠たる迷いの機根中心の観念を正として、これに大聖人のお心による戒壇建立を従属化したのであります。これまさに、仏法破壊の天魔の所行であり、大悪言であります。

 このような誤りによって正本堂を意義づけようとしたところに、池田の指導する創価学会の基本的な狂いがありました。それが、今日の『広布第二章』という大作の指導に見られる、本末転倒の、内外一致とも言える誑かしの姿となっております。故に、世間的な名誉のみに囚われて、各国の勲章をあさったり、また、その名声や賞を常にねらうなど、この大作の所行については、かの『勧持品二十行の偈』の法敵三類中、僣聖増上慢についての予言、『利養に貪著す』云々、また云く、『是の人悪心を懐き常に世俗の事を念う』と説かれる言こそ、まさにピタリと的を射ており

☆五九七号

 (平成七年九月二十八日・北海道第二・第三布教区御親教の砌)


 「その一番根本を、自分は久遠の昔に悟った等、色々なことを言い出して、根本の本義を置き換えようとしたのが、五十二年路線当時の池田大作であります。そして再び、増上慢以上の仏法破壊の姿をもって、その本性を現してまいりました。すなわち、この仏法の大事な筋目を紊乱しているのが池田創価学会であります。」P四八

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