阿部日顕師語録

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一  血脈
☆四〇三号
 (昭和五十四年八月六日・御座替式の砌)

 「私こと先に、総本山第六十六世日達上人より、血脈付法をお受け申し上げておりまして、そのことをありのままに、今回御遷化に当たりまして、発表を申し上げた次第でございます。
 今にして拝しますならば、日達上人猊下には、兼知未萌の大智を持たれまして、ご自身のご生涯における一切の事柄を、兼ねて冥鑑遊ばされ、その上からこのご処置を賜ったものと拝察し奉るのでございます。」P一五
☆四〇四号
 (昭和五十四年七月二十九日・行学講習会開講式の砌)

 「特に私がこのたび猊座に就くことになりまして、まことに徳薄垢重であり顧みて恥ずかしい思いもたくさんございます。しかしながら、前御法主様の御心をお承けいたしましたその時に決意をし、御意志を拝承し血脈のお言葉を賜った訳であります。これについてもいろいろと深く感ずる点がありますが、その姿の根本は”信”であるということであります。」P八
☆四四二号
 (昭和五十七年十一月五日・日精上人第三百回遠忌法要の砌)
 「日精上人御一代において、その根本のところは別として、末寺などに関する指導等のなかに、やはり要法寺門流の系統からの考えに基づいた形での、宗門本来の純粋な化儀と異なった状態が有ったと思います。しかし、それであるから御先師は間違いであるというようなことを軽々しく普通の僧侶の人達が言い、しかも総本山や血脈を否定する例証としてそれを挙げるというような風潮は、まことに大きな誤りであると思います。」P三五
☆四九五号
 (昭和六十二年四月六日・霊法虫払大法会の砌)
 「故に血脈相承とは、信心の血脈がその基をなすのであり、その信心の血脈によって仏の本地甚深の境智に基づく法体法門の血脈が、一器より一器へ流れ通うのであります。日興上人が大聖人に信心の血脈を通じて即身成仏の大法を承継された如く、日興上人の弟子檀那僧俗は、日興上人に信伏随従して大法についての信心の血脈を得、師弟不二の境智に至って成仏の本懐を遂げられたのであります。
 また、日興上人より日目上人、日道上人と縦に付嘱される血脈は、その時代時代における僧俗一同と化儀化法において一体の信解に住し、魔障を払い邪義を破し、正法の令法久住と興隆に努めるとともに、それぞれ下種成仏の本懐を得られたのであります。
 しかるに、宗祖大聖人より日興上人への血脈相承を否定する者達の言として、宗祖の法門は一切に通ずる信心の血脈が大事であり、もし唯授一人血脈相承なるものが別にあるなら成仏の道は貫主一人だけに限ることになり、一般の僧俗に通じない偏狭なものであるとの批判がありますが、これは信心の血脈の何たるかに迷う偏見であります。
 したがって、この主張は信心の血脈について明らかに二つの誤りを犯しております。法華大法の信心の血脈には、縦に甚深の義と、横に広大の義が同時に具わっております。甚深の義については、宗祖大聖人の甚深の寿量文底の法体に至るまでの一切の仏法を受けきるところの信心の血脈あって、初めて真実の仏道が伝承されるのであります。また、広大の義については、この信心の血脈はけっして法主一人でなく、正義を伝承する僧俗一切が、その信条、法門について一体の信心を保ち、化儀の実践をなすところ、法水相通じて信解得道全く等しく、無量の民衆が即身成仏の本懐を得るのであります。
 故に、大聖人より日興上人への唯授一人の血脈を否定する者は、信心の血脈における甚深の義に背く者であり、また、日興一人のみの偏狭な血脈と謗る者は、信心の血脈が一切を包容し、十界皆成する広大の義に盲目であることが指摘されます。」P三一
 「その一大実証は、近年、正法の日本ないし世界広布の礎を開かれた、創価学会における初代、二代、三代等の会長の方々における信心の血脈の伝承であります。その指導による広布の大前進において、有智も無智も男女を嫌わず、妙法の実践をもって真の勝妙の境を得、仏国土の建設と世界平和に貢献する活動の実証において、深く広くその意義と功徳が顕れております。この信心の血脈は、古来よりの法華講の信心の歴史においてもまた多く見ることができます。
 要するに、日蓮日興唯授一人の相伝血脈は、その信心において万人に通ずるのであり、かかる信心の血脈が正法の僧俗一切の行学の根底であります。故に、大聖人より日興上人への血脈が貫主一人しか解らぬ独断的、偏見的な仏法などというのは血脈の真義を解せぬ者のたわ言であり、信心の一念に法水が流れるところ、有智、無智を問わず、万人のために即身成仏の功徳が実証として開かれているのであります。」P四二
☆五二一号
 (平成元年五月二十九日・日顕上人御登座十周年記念祝賀会の砌)
 「大聖人様の弟子に六老僧があって、その五人までが日興上人に背いたが、これはどういうわけだろうか。ここのところを本当に解ることが大切だと思います。大聖人様から日興上人への厳然たる仏法の深い血脈がおわせられたにもかかわらず、その五人がそばに弟子としていながら解らなかった。また日興上人への御指南を正しく受けきることができなかった。こういう姿がある。実際にその血脈のところから正法正義が始まっておるわけであります。
 しかしそれは宗門の源流根本のところにおいて、そこから正しい仏法が確立されてきたわけでありますが、我が宗門において今後、ああいう謗法の者達が一人でも出ないように、今の宗門のそれぞれの役職の方々はお解りと思いますが、特に若い者達は本山の血脈ということを常に思って御奉公していってもらいたいと思います。  日達上人のお言葉にも『次の者に正しく譲りたい』ということを何回か大勢の前で仰せになったことがありました。しかし日達上人は、やはり五十三年ごろからの御不快、御病気によって深く思っておられたところの御境界を実際に実現することが部分的にできえなかったという意味も拝せられるのであります。しかしやるべきことはきちっとあそばされて、私にその大事な内容のお話がございました。これは前から申し上げておるとおりであります。」P二四
これよりケンカ別れの後の発言

☆五四八号
 (平成三年八月二十四日・行学講習会閉講式)
 「したがって、私自身、血脈をお受けして、大聖人様以来の御指南を特別な意味においても拝受しておるけれども、それだから私が大聖人の御法を全部掴んでおって、『私が現在の大聖人様である』などということは、毛頭思っていない。そんなことを思ったならば、私自身、大謗法である。御本仏様の深く尊い教えについて、凡夫が簡単に『私が全部掴んだ。これからは私が代わって教えるんだ』などと考えること自体が大きな増上慢であり、そういう考え方が元になると色々な誤りが出てくるのであります。」P七六
☆五六〇号
 (平成四年八月二十八日・全国教師講習会)
 「だから、日応上人が『金口嫡々相承』と示されておられますから、我見をもって考える者は、金口というからには、そこに必ず万人に判るように、授者と受者が相対したところの形がなければならない。つまり、仏様が、あるいは御先師が直接、次の方にお話になり、それをまた、次の方が直接に聞かなければならないと考えるのです。
 たしかに、これが基本であります。しかし、だからといって一器より一器への伝承は、必ずしもそうでなくてはありえないということはないのです。ところが、そうでなければ金口は成り立たないというように、自分の勝手な我見で判断する者がいるのです。実は、そのように唯授一人の相承について、自分の拙い我見でもって推し量ろうとするところに、種々の疑問や質問が出てくる元が存するのです。」P二一
 「この御仏意が三世を貫いているということを拝するならば、御相承においても、授ける方と受ける方の意志、また、その時その時の状態や状況に応じて、色々な形が存しておるけれども、それは凡眼凡智では推し量ることのできない御相承の姿であり、そこに必ず未来永劫に至るまでの御本仏の智・慈悲が伝わっておるのであります。」P二二
 「これは、先程も申し上げたように、金口から金口へ嫡々相対の上に直接、話をし、その場において信解が得られなければ相承でないというように短絡的に考えるから、このような質問が出てくるのです。本来ならば、御相承ということに関して、他の人は漏れ聞くこともできないのでありますから、この質問がもっともだと思う人こそ誤りであって、基本的には、やはり未来永劫にわたる御仏意の貫きということを考えていただきたいと思います。
 さらに申し上げれば、時代背景として稚児貫首ということが行われた時代があるのです。老僧、あるいは分別のある僧侶はいくらでもいたのでありますが、わざわざ稚児を選んで次の貫首に定めるという、そのような宗門伝承の在り方が存した時代があるのです。P二三
 「あとから出てまいりますが、日精上人の造仏説についてもそうです。これについては、時局協議会の文書作成班の一人がよく勉強しておりまして、私も感心したのですが、精師と敬台院殿との関係は、今までは堀上人に、精師が一方的に造像をされたというような記述がありましたので、我々宗門の者は、精師が造仏論者で、敬台院殿はそれに反対し、正宗の正しい法義を護った御信徒という認識がありました。  しかし、法詔寺が出来た翌年に同寺で造仏がなされたという状況をよく考えるならば、これはむしろ逆なのです。つまり、敬台院殿が母の菩提寺として肝煎りで建てたのが法詔寺であり、しかも仏像造立などということは彫刻をするにしても相当な日数がかかるわけですから、そう簡単にできることではありません。それが次の年になされたということは、これは敬台院殿が不賛成で何ができるでありましょう。しかも、日精上人が御相承をお承けになったのは、それから十年後のことであります。
 したがって、日精上人は要法寺の御出身でありますけれども、御相承をお承けになったあとで本宗の正しい法義の上から、むしろはっきりと造仏の慣習についてけじめを付けられておるのです。ですから、御相承をお承けになったあとにおいても造仏の謗法があると、創価学会では断定しておりますけれども、そんなことは全くないのです。」P二五
 「そうすると、儀式は基本的には行われる形があります。しかし、何上人から何上人場合にはきちんとした儀式の形で行われた、したがって、過去においても儀式がなければならなかったし、今後もなけらばならないのだというように、宗門史全体のなかの一分の儀式が行われたところだけを基準にして相承の在り方を云々することは、相承の本質をわきまえない盲見です。
 例えば、日目上人から日道上人への御相承も、いつ儀式があったという記録はないのです。記録はないけれども、日目上人が天奏にお出になる前にきちんと御相承されておられたことは、先師の記述および本宗の信仰の上から当然のことであります。したがって、日達上人も、儀式という形が絶対になければならないというわけではないことを仰せであります。
 すなわち、日常の間に相承が一回ないし数回にわたって行われる場合もあります。この者に相承すると決めておれば、その者が法要等で本山に登山した折に触れて、あるいは特別に呼ばれて、『この点についてはこのように心掛けておきなさい、この法門についてはこのように考えなければならない』というようにお話になる場合もあります。」P二七
 「ところが、たいていの場合、相承を承ける方は既に教学の基本は把握しているでありましょうから、大事な問題について、また、要点だけを、特にお示しになればいいわけです。
 その場合においても、宗門の状況、時代背景その他、種々の御都合や配慮等、色々な事情がありますから、儀式という形を取る場合と取らない場合がありうるわけです。ですから、儀式という形を取ったことを基準にして、それがはっきりした形でなければ権威がないというように判断することは誤りなのであります。」P二八
 「さて、もう一人、誑惑の者がいます。池田大作であります。この者が血脈ということについて、やはり色々と狂ったことを言っておりまして、特に『生死一大事血脈抄』について、血脈という語がありますので、得たり賢しと切り文にして、『この血脈が本当の血脈である』、また、そこから発展して『大聖人直結の血脈』というようなことを言っております。皆さんも聞いたことがあるでしょう。
 あれは本当に大狂乱の者でありまして、日達上人の時代から御相承の片鱗を聞きたいと思って色々に探りをかけておったようであります。実は私にも、『日達上人にこういう法門を聞いた』というように、人を介して探りを入れてきたことがあるのです。私も、直接聞いてきたならば、話してもよい範囲までなら教えてもよいと考えておりましたが、結局、自分自らは聞いてはきませんでしたので返事はしませんでした。  とにかく、日達上人には色々と探りを入れて、なんとか聞き出そうとしたらしいのですが、当然、日達上人はこの金口嫡々、金紙の相承を在家の者にお話になるはずはありませんので、その片鱗さえ知ることができなかったのです。
 つまり、池田大作はそこが得られないからおもしろくないのだと思います。そこに長い間に嫉妬が生じてきたのです。私のことを『嫉妬』などと言っておるようですけれども、実はあの者こそが嫉妬の塊なのです。」P三〇
 「しかも、これは私の代になってからでなく、実は日達上人のころから、あの五十二年路線からのことであります。故に日達上人も御心配あそばされていたわけです。したがって、
『日蓮正宗の教義でないものが、一閻浮提に広がっても、それは、広宣流布とは言えないのであります。』
 という、あの厳しい、はっきりとしたお言葉があるわけです。我々は、あのお言葉を絶対に忘れてはいけません。私もまた、その意義において申すものであります。」P三三
 「血脈を次の方に伝えんがために、前の方の御意志を承けて、理境坊が文献としての金紙の一分または全部をお預かりして次の方にお渡ししたというだけの話であります。それは当然、先程から申しておりますように、御仏意が常に三世を貫く意味であり、また、そこに前の方から次の方への『あなたに譲る』という意志があり、また、『お承けする』という意志があるわけです。実は、これが大事なのであります。その授受において、まさしく相承の意味があるわけです。」P三八
 「特に、重大な意味を持つ代々の上人の血脈を譲るというような場合には、幼いから疑わしいとか、最後にお会いになっていないから変だとか、あるいはこの形式がないから違うなどというような、凡眼凡智で量れるものでは絶対にないという次第であります。
 私の時にも、血脈相承の儀式がなかったなどと言うものもありましたけれども、今、けっしてそのことを弁護するつもりはないのです。ただ、形だけのところを見て、『あれがあった、これがなかった』と言う、その短絡的な考え方は、本宗の法脈伝持に関しては間違っておるということ、大聖人様からの御仏意による御指南、御相承というものは厳然と伝わるのであるということを、特に血脈という問題が色々と誤って喧伝されとおる今だからこそ、皆さんに申し上げておきたいのであります。」P四〇
☆五九一号
 (平成七年三月二十五日・第二回講頭・副講頭指導会の砌)
 「私は前に、次のような内容の手紙をもらったことがありました。それは、『日顕上人書写の御本尊は、字が下手だから、あまり有り難く思えない。日顕上人書写の御本尊は、それなりの、その程度の境界で書いたと思う』というようものでした。これはとんでもない考え方ですけれども、そこに、『末法に生まれた凡夫が僧侶となって修行し、そして法主となった人が書写する御本尊と、根本の大聖人様の御本尊とでは、そこに天地の相異があるのではないか』というような考え方があるが故に、そういう言い方をしてきていると思うのであります。
 しかしながら、これは全く誤った見解であります。そこに、大聖人様が日興上人に伝えられ、日興上人が日目上人へ伝えられた、血脈相伝の上から本尊の内証を口伝せられた意義があるのであり、これは厳然として七百年の今日まで伝わっておるのであります。
 申すまでもなく、御歴代上人御書写の御本尊にはすべて、大聖人様のお心がそのまま、はっきりと顕れております。したがって、御歴代上人、どなたの御本尊にしても、皆様方が大聖人様の御当体と拝して真剣にお題目を唱え奉るところ、必ず真の即身成仏への道が開かれるということを、ここにはっきりと申し上げておく次第であります。」P四四
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