湛然 (たんねん
) 関連語句 ①はなはだ静かなこと。 ②711~782。中国・唐代の天台宗第六祖で、中興の祖と称される。常州晋陵県荊渓の人で、姓は戚氏。妙楽大師・荊渓大師・記主法師などとも呼ばれる。 儒家に生まれたが、二十歳で玄朗に師事して天台教学を学び、天宝七年(748)に三十八歳で出家した。後に会稽に赴いて曇一に律を学び、呉郡の開元寺で天台の『摩訶止觀 』を講じた。師・玄朗の没後は妙楽寺や国清寺に住し、華厳・法相・禅に対して天台学を宣揚した。建中三年に七十二歳で仏隴寺に示寂した。 著書には『玄義釈籤』十巻・『文句記』十巻・『止観弘決』十巻の三大部注釈書の他、多くの注解書があり、純粋に教義を記述したものとして『金剛論』1巻がある。また、門人には道邃・行満・元皓・智度らがあり、伝教大師 最澄は孫弟子にあたる。その教学的な特徴としては華厳教学の摂取が挙げられ、真如随縁・不変説などは智顗教学に見られないものである。『断簡三六六』〔41081〕などに言及されている。 |