中耳炎など思い当たる節がないのに,突然耳鳴りがしたり,聞こえが悪くなって,耳鼻咽喉科にかかると,まず(多分,必ず)いわれるのが突発性難聴です。要するに,原因不明の難聴ということです。そのように診断されると,諦めて,そのままほったらかしにしておく人も多いようですが,本当は聞こえにくくなったらすぐに行く方がいいそうなのですが,そんな奇特な人はめったにいませんよね。少々遅くなってもいいから,いまからでも間に合う耳よりな情報です。
次のことで思い当たることはありませんか?
ちょっとでも思い当たる方は,以下の顛末記を参考に,MRIなどで徹底的に検査してもらうことをお勧めします。1.耳鳴りがして,音が割れたように聞こえませんか?
(とくに電話の音が聞こえにくいとか,相手が誰かわからないとか)
2.目を閉じて,平衡感覚に不安がありませんか?
(健康診断の目を瞑って片足で立つやつが出来ないとか)
3.少しずつ,聞こえが悪くなっていませんか?
4.風邪のひきはじめに,まず頭が痛くなりませんか?
(これまではすぐにのどが痛くなっていたのに)
私は,最初は「突発性難聴」といわれましたが、どうにも納得ができず、最終的には「聴神経腫瘍」と診断され,2000年8月25日に「ガンマナイフ」という治療を受けてきました。幸い,私の場合は小さい段階で見つかったというか,執念で見つけたというか,発見も早く時間的にも余裕があったので,いろんな方のホームページや身内の心強い相談役から,事前情報を得ていたので,本当にあっけなく終わってしまったという感じです。
まず,概要をお話しますと,
・耳の機能自体は正常で,その奥の聴神経に出来た良性の腫瘍の大きさは,13mm×8mm。
・耳に近い骨の中のほうに出来たため,圧迫されて早く耳鳴りがして,発見が早かったそうです。
・病院は小牧市民病院,全国でも早く導入されて,事例も多いそうです。
・入院は2泊3日,初日は午後から簡単な検査だけ,2日目の午前中に測定とガンマ線照射
あわせて2時間程,午後は休息,3日目はバンソウコウを張り替えて10時ごろ退院。
最初の病院は案の定,突発性難聴という診断で,だんだん聞こえが悪くなっているようだし,音が割れて聞こえるし(皆さんも書かれていましたね),とにかく自分では納得が出来なくて,大きい病院の若い医者に徹底的に調べてもらったら,とうとう見つかったという次第です。
それでは,聴神経腫瘍の顛末記を公開します。
2000.8.28(手術後3日目)
T.最初の無駄な2ヶ月
U.次の総合病院で
V.聴神経腫瘍を発見
W.ガンマナイフを選択
X.小牧市民病院へ
入院
治療
退院
Y.退院その後
2000.10.7完結
NEW!!
効果が現れました
また,これまでの写真を公開しました。
2001.07.14
お世話になったHP(ありがとうございました)
T.最初の無駄な2ヶ月
1ヶ月ほど前から,電話の音が妙に聞こえにくくて,おかしいなと思っていました。そのときには,受話器を,しぜんと反対の手に持ち替えて聞いていたようなので,あまり気にならなかったように思います。
そのうち,きき耳だった左耳のほうで,耳鳴りがしはじめました。電話のボリュームを上げても聞き取りにくいし,音が割れるような感じがしました。風邪もひいていないし,耳も痛くないし,もちろん耳ダレもでていないし。何かおかしいなと思いつつ,ちょっと時間も出来たので,耳鼻咽喉科の個人病院を訪ねてみました。
なお,今回は個人医院でしたが,必ずしも個人医院が悪いといいたいわけではないし,個人医院には個人医院としての,たとえば「かかりつけ医」としての重要な役割もあるということも,誤解のないようにお願いします。
2000.2.14
最初に,聴力検査をした後,いきなり
「かなり悪いですね,入院して点滴しましょう。」
『入院といわれても,ちょっと急には…。』
「それなら,いいですよ。かわりに,このきつい(強い)薬を6時間おきに飲んでください」
『えっ,入院はしなくていいんですか?』
「できないんでしょ。」
『絶対しなけりゃいけないんなら,何とかして入院しますが』
「できなけりゃいいんですよ。」
『そんなんでいいんですか。』
「薬がなくなったら来てください。」
3日後に行くと,
「今度は半分にします。毎食後に飲んでくださいね。」
およそ1週間後に,1日2回,そのあと1日1回とだんだん減ってゆき,2週間後の診察。
「やっぱり遅かったですか,ききませんね。聞こえが悪くなって2,3日後だときくのですが,10日も1月以上も
たっていると,ちょっと無理でしたね。」
『それじゃ入院すればよかったんですか。』
「いや,だめだったでしょう。」
『じゃあ,どうすればいいんですか。』
「この薬を飲んでみてみてください。」
『こんどは何の薬ですか?』
「神経の働きを良くする薬で,これで回復することもありますので」
『はい。』
「2週間分出しておきます。」
また2週間後に行って聴力検査をすると,
「前より,ほんの少し下がっていますが,検査にもよりますしね,すぐに安定するでしょう。」
『安定するって,このまま良くならないんですか?』
「そうです。しぜんと耳鳴りにもなれて気にならなくなりますよ。」
『えっ,一生聞こえが悪いままなんですか。』
「人間の身体はよくしたもので,反対側の耳がカバーして,それなりに聞こえるようになるものですよ。
あまり気にせず,もう少し,この前の薬を飲んでみますか?」
『はぁ。』
「あまり効き目はないとおもいますが,良くなる場合もあるので飲んでみてください。」
『じゃあ,気休めなんですか?』
「まあ,そんなところですかね。」
そうこうして約1ヶ月半。その間には,左のわき腹に「帯状疱疹(水疱瘡ウイルスの反逆?)」なるものが突然発生して,「痛風」の痛みにも堪えて我慢強いと自負する私だが,このわき腹にギリギリといつまでも押し寄せる痛みにはさすがに閉口した。その痛みにのたうちまわりながら,左半身(の神経)に異常が起こったのではという疑念が押し寄せてきたが,それは次なる発見の前触れであったのかもしれない(ちょっとドラマ風に)。
「これで終わりました。いいですよ。」
『えっ,もう薬はないんですか。』
「はい。」
『じゃあ,もう来なくていいということですか。』
「はい。」
『もう諦めろということですか。』
「そういうわけでもないのですが。」
『それじゃ,また少し聞こえが悪くなったようなので,最後にもう一度,聴力検査だけでもやってください。』
「そうですね,前より,ほんの少しだけ下がっているようにもみえますが,検査にもよりますしね。
では,もう1回だけ薬を出しておきましょう。」
『はぁ?!』
U.次の総合病院で
2000.4.
このままでは気が治まらないので,その医者の出身の総合病院を紹介してもうのもやめて,直接その総合病院へ乗り込むことにしました。紹介状もないし,初診なので,案の定2時間ほど待たされたあげく,結局は……とおもっていたら,運良く30歳前後の,何でもやってみようの,やる気満々の医者にみてもらうことが出来ました。
『突発性難聴といわれたのですが。詳しく調べてもらえませんか。』
聴力検査も,カプセルの中に閉じ込められてボタンをいつものように押すやつと,もう一つ,パソコンにつないだ筒状のものを耳に突っ込み,キーボードを操作すると画面にグラフがピコピコと現れてくる,はじめてのやつをやりました。
「かなり悪いですね,いつ頃からですか。」
『もう,2,3ヶ月になると思うのですが』
「聞こえが悪くなってすぐなら,即,入院して,集中治療するんですが。もう治療効果はあまりありませんね。」
『前は,入院できないならいいといわれて薬を飲んだんですが,そのとき入院していたらよくなってたんですか。』
「うちの病院では,即入院です。どこでいわれたんですか。」
『多分あなたの,元上司だと思いますが。』
「・・・」
『原因不明の突発性難聴だといわれても,相変わらず耳鳴りは治まらないし,聞こえも低下しているようだし,
どうも腑に落ちないので,徹底的に調べてもらいたいんですが。』
「わかりました。まずは,レントゲンで聴神経の状態を見てみましょう」
レントゲン撮影に行く。頭のレントゲン撮影だ。右向き,前向き,いろんな角度から撮影する。かなり本格的だ,さすが総合病院。頭蓋骨のレントゲン写真を持って,診察室へ。ちょっと覗いてみるが,不気味だ。
「耳に近いところの神経は,綺麗ですね。ここが細くなっていて,難聴になることも多いんですよ。」
『もうこれ以上はわからないんですか。』
「もう一つ方法があります。やってみますか。」
『やってもらいにきたんですから,なんでもお願いします。』
「MRI:磁気共鳴断層撮影法といって,強力な磁石を使うんですが,金属片は身体に埋め込んでませんよね。」
『はい。昔あそこの先に埋めるのがはやってましたが,私はなにも埋め込んでないです。』
「・・・。それでは,50才にもなったことだし,他のこともありますし,やっておくのもいいでしょうから。」
『他のことって,アルツハイマーですか?』
「いやいや,そういうことだけではなしに,なにがあるかわかりませんから。」
『・・・』
「ちょっと高いのですが,いいですか。」
『(気を取り直して)少々高くても,それをやりに来たんですから。お願いします。』
「それじゃいつがいいですか。」
『今日じゃないんですか?』
「予約が必要ですから,受付で予約して帰ってください。」
アクシデントは続くもの。後日,看護婦さんから電話で,
「MRIの撮影予定日を遅らせてもらえませんか,間違えてCTの予約をしてしまったので。」
『・・・・・・』
2000.4.19
MRI撮影日
金属類は全て外して撮影とのこと。こちとら,金目のものといえば,財布と,ベルトと,ペンぐらいなもの。指輪も,金歯(これはあっても外さなくていいそうです)もない。めぼしいものを籠に入れて,トンネルの前のベッドに横たわる。検査台は狭くて窮屈で,しぜんとキヲツケーの姿勢になってしまう。これでは,身動きできないし,寝返りもうてない。両耳に,耳栓をして,それだけで泳げないぼくは,心臓がぎゅっと締め付けられる。おまけに顔の上に,輪っかみたいなものがガチンと装着されて,視界が悪くなる。いよいよタイムトンネル(古い)に突入だ。
スタッフは部屋の外へ引き上げて,いよいよ突入。検査台ごとズズーっと入っていく。中は薄暗くて,狭い。閉所恐怖症の人は大変だ。耳栓はしているものの,ギコー,ガコー,トントントントントンと,まるで頭を切り刻むような音がする。1cm間隔で斬っているそうだ。超強力磁石がどう働いているのだろうか,何も感じない。もし,頭に戦争時代の鉄砲弾の残骸でも入っていたらどうなるのか。鉛の玉なら,関係ないか。そうこうアホなことを考えているうちに,静かになったかと思うと,トンネルから検査台ごと引き出された。
無事,何事もなく終わったんだと思った。
「それでは,もう一度やります。その前に注射1本しましょう。」
『えっ,聞いてませんよ。』
「造影剤ですから,あまり痛くありませんよ。」
あまりといっても,痛いものは痛い。そのうち体がぽっと火照ってくる。再びトンネルに突入。ギコー,ガコー,トントントントントン。何度聞いても,頭が切り刻まれているようで,気味の悪い音だ。
「はい,いいですよ。また明日,結果を聞きに来てください。」
『えっ,今日聞けないんですか。やっと休みを取ってきたので,少しぐらいなら待っていますけど。』
早く何もなくて安心したいという思いと,もし何もなかったら今度は何をどうすればいいのかという,複雑な気持ちが輻輳して,とぼとぼと家路についた。それより,明日また休みを取らなくては。
MRI:¥9,310
V.聴神経腫瘍を発見
2000.4.20
次の日,耳鼻咽喉科の窓口で朝から相変わらず1時間半ほど待たされ,診察室へ入ってからもまた20分ほど待たされた。昨日あのまま見てくれていたら,午後の人の少ない時間帯に,フイルムが出来次第すぐに見てもらえたのに。たまたま休みが取れたからいいようなものと,ぶつぶついいながら,あらかじめ予想して持っていった本にも飽きてしまって,ぼんやりと時間は過ぎていった。
「やはりありましたね。(フイルムを指差しながら)ここにできもののような,神経にできる良性のやつですが。
たまにあるんですよ。」
『・・・』
「これは良性で,大きさも1cmぐらいでゆっくりと大きくなるだけですから,慌てて心配することはないんですが…」
『やっぱり・・・そうでしたか。あのまま諦めなくて良かったんですね。』
「10万人に一人ぐらいかな。聴神経鞘腫といって,良性のもので,この病院でも2,3例ありましたね。」
声にならない私に,良性,良性のものと繰り返す。心配させないでおこうとするのか,けっして腫瘍とはいわない。
『鞘腫というのは,癌とは違うのですか。』
「神経にできるものは良性で,癌などのような悪性のものとは違って,転移しません。ただし,…」
『ただし,なんでしょうか』
「・・ただし,ほおっておくとゆっくりですけど大きくなって,他も圧迫して障害が出るので,治療が必要です。」
『・・どんな障害が。』
「実は,聴神経の中には平衡神経もいっしょに入っていて,いっしょに圧迫しているはずです。」
『えっ,実は健康診断の目を瞑って片足で立つやつが出来ないんですが,それもそうなんですか。』
「平衡感覚は,悪くなっても,目や足の裏で上手くバランスを取りますから何とかなりますが,実は…」
『まだ何かあるんですか?』
「…実は,ほん横に顔面神経が通っているんです。そこを圧迫すると,タケシみたいに,ちょっと顔がゆがんだり…」
『えっ・・・,』
「幸い今回は発見が早かったので,治療の方法はいろいろあって,開頭手術のほかに,ガンマナイフというのもあり
ますし,とにかく脳(神経)外(科)へ回しますから,そこで詳しいことを聞いてください。」
『えっ,脳神経外科へ行くんですか?ここではできないんですか?』
「開頭は複雑だし,ガンマナイフはこの病院にないし,とにかく詳しいことは脳外で。」
『開頭手術というと頭蓋骨をパカッと開けるやつですか,ガンマナイフってなんですか?』
「詳しいことは,脳外の診察をしてもらって,そこで聞いてください。」
『・・・,じゃあ先生としてはどうなんですか。』
「私としては,1cm程度と小さいし,(50才という)年齢を考えると,ガンマナイフだと思いますが。」
『ガンマナイフ,そうですか・・・。』
「脳外のほうでも詳しく聞いてくださいね。」
『・・・』
これを持って,脳神経外科の受付へ出してくださいね。
まさか,脳神経外科に行かなければならないとは考えてもみなかったが,ここ出身の身内もいるし,アキレス腱を切ったときに入院したこともあるし(ただ,ベッドが空いていなくて回されただけ),あまり不安は感じなかった。これは,そのあとの運命の序章だった。(ちょっと小説風に)
W.ガンマナイフを選択
脳神経外科の窓口に,先ほどのフィルムをもっていいって出す。受け付け横の担当医の名札を見ると,名前に見覚えのあるベテランの先生は脳卒中の担当で,知らない名前がその横のあった。こんども,若い方の先生かもしれない。その方がなんでも根掘り葉掘り聞きやすいなと思った。呼ばれて診察室に入ると,予想どおり30代後半ぐらいで,ベテランの先生も向かいの机にいる。ちょっと安心した。
「聴神経腫瘍ですね。大きさは1cmぐらいですから,この時点で見つかるのは珍しく,かなり早い発見ですね。
でも,耳の骨の中のほうにあって,開頭手術はややこしいですね。開頭しても骨の奥のほうになりますから,
その部分の骨に穴をあけて,腫瘍を取り除くことになりますね。
この大きさでしたらガンマナイフという方法があるんですが,ここでは出来ません。他を紹介しますよ。」
『ガンマナイフってどんなことするんですか。』
「ガンマ線を腫瘍部分に照射して,小さくするんです。3cmを超えると難しいんですが,開頭手術と違って,
本人の負担が少ないことから,増えていますね。」
『ガンマ線って・・・』
「ガンマ線も放射線の一つですが,非常に弱いものを集中的に当てるから,半年ほどしないと効果はわからない
ぐらいなんです。若い人だとその後の影響も少しは考えられますが,もう50才ですから問題ないでしょう。」
『・・・・・・』
「昔は高くて(高額で)金銭面での負担も高かったんですが,最近は保険もきくようになりましたし,開頭手術
に比べて,身体的にも負担が軽いですし。」
『今日一日でいろんなことがあり過ぎて・・・』
「すぐには決めなくても,1年間にせいぜい1cm程度も大きくならないと思いますから,時間は充分ありますから,
いろんな人によく相談されて,決められたらどうですか。」
やっと,頭が少し回り始めて,聞いておかなきゃいけないことが浮かんできた。耳鳴りや,聞こえの悪いのを治療してもらいにきていたはずだ。
『ところで,腫瘍が取れれば聞こえは良くなるんでしょう。どちらの方がいいとかあるんですか?』
「うーん,どちらも,聞こえに関してはあまり期待できないんですよ,残念ながら。」
『はぁー,・・・』
「実は,腫瘍が神経を包んでいる部分のどのへんにできているかにもよりますが,それを手術で取り除いても,
ガンマナイフで小さくしても,聞こえが良くなるというよりも,むしろ今の聞こえが維持できるか,あるいは
悪くなるかの確率が半々ぐらいだと考えておいてもらったほうがいいと思います。」
『やはり,聞こえは良くならないんですか。』
「放っておくと,良性とはいいながら,だんだん大きくなりますから,いろんな所を圧迫しますし,小さいうち
に発見されたことだし,比較的早いうちにどちらかの方法で処置されたほうがいいですよ。」
『・・・,じゃあ先生としてはどうなんですか。』
「私としては,1cm程度と小さいし,(50才という)年齢を考えると,ガンマナイフだと思いますが。世の中
には,まだまだ手術にこだわる人と,ガンマナイフを勧める人とがいますが,このケースには,ガンマナイフ
だと思いますよ。」
『ガンマナイフ,そうですか・・・。』
やはり,若い人はどちらもガンマナイフを勧めるみたいだ。ところで,そうだ,一番大事なことを聞くのを忘れるところだった。身内に『心強い相談役』がいることを忘れてしまっては,このあと次々に起こる不思議な運命が展開できなかったかもしれない。
『いろいろ相談したいので,資料とか貸してもらえるんですか?』
「開頭手術ならここでも出来ますが,ガンマナイフは県内にはありませんから,どこへでも紹介しますよ。」
『それなら,S大にいるYに資料を送って,見てもらおうと思うのですが。』
「どういうかたですか。」
『ここ出身の,私の義弟ですが。前にいらっしゃる(ベテランの)先生はご存知だと思うのですが。』
「・・・・・・」
ベテランの先生に,
『Yの義兄です。ご無沙汰しています。お世話になります。』
「それなら,資料をコピーして,紹介状もつけて,こちらでお送りしておきますので。」
そのあと,しっかりと資料のコピー代 2,700円を取られた。
これは元を取らないといけないな、と思ってデジカメで撮影しておきました。
皆さんにも参考になればと思って公開します。(01.07.14)
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数日後,いろんな情報が,溢れるように入ってきた。
義弟からは,ガンマナイフのパンフレットと一緒に,次のようなコメントをもらった。
・聴神経鞘腫,特に小さなものには,ガンマナイフが身体への負担も少なく,最適な方法であること。
・入院は,2泊3日ですむこと。
・退院後は,定期的に診断する必要があるが,MRIのある地元の現在の病院でできること。
・そのため,自分の都合のいい所で,都合のいい時期にやればいいこと。
・副作用は周辺の神経などへの障害で,発生率は低いものの,顔面神経への影響がとくに予想されるため,照射量
を少し弱めにしてでも,顔面神経への影響を最小限にすることを優先するほうが良いこと。
・ようやく実績が認められて,保険が利くようになったこと。
もっと驚いたことは,
・留学していたスウェーデンのカロリンスカ大学でガンマナイフを見て,日本でも是非導入すべきだと考えていた
こと。(チェルノブイリ事故のあった時期だから1986年前後,ようやく外国にも導入され始めた頃)
・日本では,帰国後,1990年に入ってから,中堅の民間病院などを中心に導入されたこと。
・そのなかでも早く導入した,小牧市民病院のK先生と交友があること。
・しかし,S大にはガンマナイフがないこと。
一方,わたしもHPからいろいろ情報を得ることが出来た。
・これまでは,開頭手術しか選択肢がなく,医師の芸術的な技術に委ねるしかなかったこと。そのため,後遺症も
少なからずあったこと。
これらの,豊富な情報に恵まれ,迷わず小牧市民病院でガンマナイフの治療をうけることになった。期日も,4ヵ月後のお盆過ぎ,一応付き添いもしてもらえる8月下旬を選んだ。
また,3ヵ月後,治療のおよそ1ヶ月前にあたる7月下旬(27日)にもう一度MRIと聴力検査を行なって,その資料をもって治療にいくことになった。この最終検査では,腫瘍の大きさは1cm程度とほとんど変わらず,一方、聴力のほうは50〜60dbにやや下がっていた。
そのころ,小牧市民病院からも入院についての案内が送られてきた。
留意事項として,次のようなことが書かれていた。
・治療は、身体に大きな負担を伴うものではありませんが、治療日前は風邪などをひいたりすることのない
よう,ご注意ください。
・頭部を特殊な金具で固定しますので、頭髪を清潔に保ってください。
なお、治療後7日間は洗髪できません。
・ガンマナイフ治療の翌日に退院となりますが、治療後数日間頭痛が残ることがありますので、通学、通勤、
就労には十分なゆとりを持ってください。
洗髪が出来ないというのが不安だ。木曜日に入院して、金曜日に治療、土曜日に退院の予定だったが、予備日が日曜日だけでは不安だったので、木・金曜日だけでなく,月曜日も有給休暇を取ることにした。また,安全を期して、火・水曜日のスケジュールも空けるようにした。
2000.8.24 入院
小牧市民病院は小牧I.Cから約5分と,車の方が非常に便利ではあったが,やはりもしものことを考えて,3時間ほどかけて電車で行った。付き添いの家内が泊まるホテルに荷物を預かってもらい,ゆっくり食事をして,約束の午後2時の少し前に病院に入った。夏休みを利用して,病院の場所だけは確認してあったが,中へ入るのも,もちろんK先生とも会っていない。病院は,午後でもあり比較的すいていた。
南館1Fの一番奥の脳神経外科の受付で書類(紹介状,フィルム)を渡し,血液検査のための採血を行なった。そのあと,なぜか胸部のレントゲン撮影と,頭部の正面・左右のレントゲン撮影,それに心電図検査を行なって,受付に戻ってしばらく待った。
いよいよ病室へ。その日入院するのは,私と,70才ぐらいと10才ぐらいの女性の3人。看護婦さんに誘導されて,みんなぞろぞろと連れ立って6Fの病室へ。年間500人もガンマナイフをするということは,少なくとも1日に2,3人は治療する計算になるはずだが,きょうのこの3人もみんなそうなのだろうか。
私の入った部屋は6人部屋で,個室よりはにぎやかでいいなと思った。一番奥の窓際に案内されたが,大きな窓からの見晴らしも良く,小牧空港やそこから飛び立つ飛行機がよく見える。部屋にはいろんな症状の人がいたが,ガンマナイフの人はいなかった。
「今日はあとはスケジュールの説明と,先生からのお話があるだけですので,ゆっくりとしてください。夕食は6時
からですが,一週間ほど頭が洗えないかもしれないので,お風呂にはいっておきますか。」
まるで,旅館の仲居さんのせりふだ。とりあえず,浴衣ならぬ病衣に着替え,旅館内ならぬ病院内の探検にいくことにした。まずは,一番大事な売店。でも,すぐ遊び歩くのはちょっと気がひけたので、家内に下見に行ってもらった。早速買ってきたアイスクリームを,みんなにちょっと遠慮しながらこっそり食べた。一息ついてのんびりしてから,晩飯前にひと風呂浴びようと思って,風呂場が空いていないかどうかを見に行ったが、あいにく使用中だったので、タオルを肩にかけながら部屋に戻った。
しばらくして,看護婦さんが治療のスケジュール表を持ってきて、説明をしてくれた。
夕食の後,夜の12時以降は絶食で、明日は朝食抜き。7時50分までにトイレをすませ,検査衣に着替えて待機すること。治療後,帰室後1時間は安静(臥床)で、トイレも歩行禁止。昼食から常食で、夕方医師から結果説明。次の日は、朝食後,消毒・バンドエイドで処置をし,書類をもらって11時までに退院。
やっと病院らしくなった。
風呂に入ろうと,もう一度看護婦詰め所の前を通ると呼び止められて,先に先生の説明を聞くことになった。
初めてお会いするK先生だが、これまでにもフィルムを見ていただいたり,治療の方針としてガンマナイフを勧めていただいたりしていたので、なんだか前からずっと診ていただいているような気がして,正直ほっとした。
今回の治療について、丁寧な説明をうけることができた。
まず,局所麻酔で頭部にフレームを装着し、MRIで座標と大きさをを測定したうえで、照射範囲と線量を決定すること。(201個のコバルト60の線源から放射される)ガンマ線は,途中の細胞には影響がほとんどなく、それらが重なるところで威力が発揮されること。これらについては,送ってもらったパンフレットを見て,既に知っていたことだった(小牧市民病院のホームページにも同じものが載っている)。さらに,これまでの実績・研究から、照射の強さと聴覚の維持とには相関関係があり、今回は腫瘍が小さいため聴覚維持を優先した照射量にすること。これについては,具体的に研究論文や表、グラフを見せてもらいながら、説明を聞かせていただいた。
一方,放射線の副作用として、周辺脳神経組織や血管への障害に起因する合併症が発生する危険もあるが、発生率はきわめて低いこと。そのため,0.1mmの精度で制御して患部に的確に照射できるが、周辺とくに顔面神経への影響を最小限にするよう配慮すること。このことについては,本人家族の了解の上でしか治療出来ないことも念を押された。
また,こちらからは聴力の回復の可能性について質問したが、聴力の現状維持と壊失とが五分五分であり,回復はほとんど望めないことを再確認することになった(これは、手術でも同じだそうだ)。
その一部のアップ | 1〜2mmピッチで撮影し、腫瘍の位置(座標)を出すための詳細な撮影を行なった。 | 座標を出して、照射の方法を検討 |
およそ20分ぐらいの丁寧な説明の後で、治療の承諾書にサインした。
インフォームド・コンセント (十分な説明を受けたうえでの承諾)
もしっかりと行なわれて、いよいよ明日の治療に臨む決意が出来た。
そうだ,風呂に入っておかなくては。
あと1週間は入れないと思うと,脂性の私は何よりも不安になるのだ。頭の傷よりも、油でぎらぎらになるほうが怖い。風呂は、6畳ぐらいの部屋に大きな湯船。介護つきでも入れるようになっているようだ。たっぷり、お湯を張ってはいるのは気がひけて、横にあるシャワーで済ますことにした。頭は2度洗いをした。すっきり、さっぱりして部屋に戻った。あとは,本日のメインイベント,夕食を待つだけだ。制限のない食事だから,結構ボリュームもあり、味もまあまあだったが、食事が終わっても外はまだまだ明るい。早速,売店に行っていろいろ物色したり,食堂をのぞいてみたりして,ロビーで面接時間が終わるまでのんびりした。家内がホテルへ帰るのを見届けて,その後もロビーで新聞や雑誌に目を通しながら,消灯の時間までを過ごした。
消灯の時間が来てからベッドに戻り,ぼんやりとベッドに横になっていると、前に,アキレス腱を切って入院して,何もせずに次の日の手術を待っていたときのことを思い出していた。
不安なわけでもなく、ただそのときを運命のように待っている自分を見ていた。
2000.8.25 治療
目が冴えてなかなか寝付けなかったが、同室の人達は、痰が絡んでなかなか取れない人、寝返りを打つたびに管を踏みつけてブザーが鳴る人、それぞれの人が苦しんでいる。確かに病人でないのは私一人だけだ。明け方少し寝むり込んで、7時ごろに目を覚ました。朝食の時間がきたが、今日は朝めしぬきだ。トイレに行って、ヒゲを剃って、検査衣に着替えた。8時に移動用のベッドがきてその上に横になるが,そのままかなり待たされた。気分を落ち着けさせるためだろうと考えて,「まな板の鯉」を決めこんだ。朝食の代わりの栄養補給としての点滴につづいて、鎮静剤と抗麻痺剤の筋肉注射を打たれた。いよいよベッドのまま手術室へ出発。家内は、病室で待機。
手術室へ移動する間,筋肉注射をした左の二の腕を揉むように言われたが、右の五十肩が完治していないのでうまく力が入らない。訳を話して、若い先生に揉んでもらいながら移動することになった。そういえば,既往症のヒアリングのときに申告してなかったな。
手術室へ入るとスタッフが数人いるようだ。麻酔技師や、放射線技師,測定後の治療計画を立てる医師たちのはずだ。治療台に移動し、点滴からステロイド剤を入れたら意識がしだいに朦朧としてきた。気が付くと,
「5分間じっとしていてくださいね。」
という声が遠くで聞こえた。頭には既に器具が装着されていて,もう既に測定も終わり,照射の内容も決まって,いよいよ照射が始まるようだ。ベッドが上にスライドしていって、頭がトンネルの中に入っていくようだが、ほとんど意識がない。そのあと耳に入ってきたのは、
「もう一度,5分間行きますよ。」
「はい,起きてください。終わりましたよ。」
横から支えられて、そっと上半身を起こされた。そのうちガチャガチャとボルトを外すような音がし始めた。そのあと、おでこ2箇所と,後頭部2箇所に消毒液をべたべた塗り、バンソウ膏をはって、剥がれないように包帯でぐるぐる巻いた。また移動用のベッドに戻り、
「お疲れ様でした。部屋に戻りますよ。」
「はい、部屋に戻ってきましたよ。自分のベッドに移ってください。自分で出来ますね。」
声は聞こえるが、意識は朦朧としていてその間の出来事はほとんど記憶にない。でも、身体はちょっと支えてもらって自分で動かすことはできる。あとで家内に聞いたら、2時間半ほどで戻ってきたそうだ。
「お昼ご飯ですよ。どうしますか。」
眠たくて,それどころでない。そのまま,また眠りにつく。
「大丈夫ですか、眠たいだけですか。そろそろ起きてください。起きてみてください。」
先生が治療後の確認に来たので起こされた。昨日の睡眠不足からか、それとも,麻酔に弱い体質からか,眠たい目をこすりながらようやく起きた。
「頭は痛くありませんか、気分は悪くありませんか。」
『いや,ただ眠たいだけです。気分は変わりありません。』
そのあと、遅い昼食をとったが,あまり食は進まなくて半分ほど残した。薬は、化膿止めの抗生剤と、胃薬を飲んで、痛み止めは必要がなかったので飲まないことにした。そのあとは,家内が買い物に出かけている間、本を読んだり、窓の外を眺めたりしてのんびり過ごした。
夕方、先生からの説明を受けた。詳細なMRI撮影で、大きさが13mm×8mmで、2回に分けて照射したこと。照射した範囲の資料をもとに、細かく説明をしていただいた。患者の意思を尊重し、その結果ももらさず説明するという、医療の最先端をいっていることを実感し、心が休まるのを覚えた。
2000.8.26 退院
今日はぐっすりと寝て、すっきり目覚めた。あまりに早い消灯なので、5時には目がさめてしまった。外が薄明るくなってきてから起き出し、薄もやの中の朝日を拝むことができた。山並みのちょっと上の方から顔を出し、とたんに朝の光が病院の廊下の奥深く差し込んできた。入院しているほとんどの人がまどろむ中、咳こんで止まらない人の苦しげなうめき声と、看護婦さんのかいがいしく働く物音と、にわかに活気付いた外の通りの騒音と、まぶしい光が、ごちゃ混ぜになりながらまた新しい一日が始まろうとしていた。
昨日の食事が少なかった分、朝から腹が減ってすっかりもとのペースに戻ることができた。朝食のあと、抑えてあっただけの包帯を取り、針の穴ほどの傷口を消毒すると、あとはちょっと広いおでこに「カット判」を2箇所張るだけ。後頭部の2箇所は消毒だけ。あとは、荷物をまとめて退院するだけ。まだ、家内も今日はのんびりしていて、来ていない。
治療の後にもらった薬も、化膿止めだけを飲んで、痛み止めはまったく必要なかった。あまりにあっけない治療に驚くとともに、医療技術の高さと、それにめぐり合わせた幸運に感謝した。
ようやく、9時過ぎに家内がやってきて、帰り支度をして病院を出たのは、まだ10時になっていなかった。予定より早いので、病院の前からバスで駅まで行くことにした。5分ほどでバスも来て、病院に別れを告げた。来る前に買ってきた帽子も必要なく、誰も「バンソウコウ」に気をとめる人もいない。唯一、電車で子供に振り返られただけだった。
日差しは強く、ちょっと心配だったが何事もなく新岐阜駅へ到着。ちょっと豪華に?ホテルのランチを食べて帰路へ。
ゆっくりと風呂に入って……。でも、頭は洗えない。脂性の私は、1日2,3回は顔を洗わないとすぐに吹き出物が出てします。そこで、「カット判」のうえから大き目のテープを張って防水し、残った額を石鹸で洗うことにしました。洗髪はあきらめることにしました。ようやくすっきりして、久々のといっても3日ぶりの自分の布団で、熟睡。
Y.退院その後
2000.8.27(1日目)
ゆっくり寝ていようと思ったが、早く寝たので目がさめてしまった。体調はすこぶる快調、ほんとに入院していたのかなと思うほど。起きだして、たまっている新聞にゆっくり目を通したり、のんびりとすごした。化膿止めの薬だけは、飲むことにした。いつもの痛風と高脂血の薬は、飲んでも大丈夫だとはいわれたが、飲まなくても何とかなるだろうし、ピリピリという兆候もないので、しばらく控えることにした。
あいかわらず、洗髪はなし。家でじっとしているし、涼しいから何とかなっている。「カット判」のうえから大き目のテープを張って、風呂の後消毒して張りかえるという戦法をとりつづけた。
2000.8.28(2日目)
心配された頭痛や、めまいもなく、出勤しようかとも思ったが、行けばいったで忙しくて無理してしまうし、せっかく安全を見越して取ってあった休日なので、予定通り休むことにした。
月曜日なので、家内も子供もいなくて、この顛末記「耳よりな話」をまとめることにした。いろんなホームページで、事前に情報を得ることが出来たので、なにも心配することなく治療を受けることができた。感謝感謝。かえって、家内のほうが情報が少なくて心配していたぐらいだ(あまり心配させるような情報はこちらからは流さなかったからもあるが)。
少しでも、恩返しをしなくては。
明日から出勤なので、洗髪をしたいがままならない。いろいろ考えた挙句、後頭部のかさぶたが乾いていることを確認して、いつも通り「カット判」のうえから大き目のテープを張って、前頭部だけを洗髪することにした。シャワーを使って、後頭部をぬらさないように何とか洗うことが出来た。やっとすっきりした。
2000.8.29(3日目) 出勤初日(病院のスケジュールにも3日目から出勤が目安となっていた)
いよいよ出勤。休養十分、体力充実。
おでこの「カット判」をはずしたが、ほくろのような傷跡があるだけで、自分でも良く見ないとわからないぐらいだ。
関係者にだけ結果報告。そのほかの知人にも耳の治療をするとだけ言ってあるだけで、ほとんどの人には何も言ってない。この治療のための休暇も有休を利用した。
2000.8.30(4日目) 出勤2日目
出勤2日目。昼頃から頭痛がし始める。午前中炎天下にしばらくいたためか、徐々に痛みが強くなっていくので、やむを得ず、薬を飲むことにした。治療によるものか、疲れから来るものかはわからない。
このごろ頭痛が多くなったような気がする。風邪のひき始めも、鼻水が出るよりも、頭痛からはじまるようになったような気がする。あまり関係ないか。
地元の病院に治療報告書とMRIのフィルムを届けるついでに、耳鼻咽喉科で聴力検査をしてもらった。少し聞こえが悪くなったような気がしていたが、左耳は60dbで、治療前とほとんど変わっていなかった。
2000.8.31(5日目) 出勤3日目(病院のスケジュールでは5日目から運動開始が目安となっていた)
今日は,3時をすぎたころから頭痛が始まった。でも、昨日よりも弱く、薬も飲まずに済んだ。
待ちに待った?請求書が届く。総額14万円なり。予定通りとはいうものの、保険が利いて、2割負担なのに、確かに高い。でも、昔は保険も利かず、120万円もしたという話も聞いている。4年前から保険対象になった、という意味ではラッキーだったのかもしれない。
2000.9.7(12日目)
退院後初めての3泊4日の長期間出張。まったく問題なし。
2000.10.5(40日目)
退院後初めてのMRI検査。大きさはほぼ変わらず。ドックを利用して、聴力検査もおこなったが、60dbで変化なし。
変化がないことがいいのか? いずれにしても大きくなっていないということはいいのだろう。
次回は、3ヶ月目の12月7日を予約。
MRI撮影と、聴力検査、診察費で、¥11,140.
2000.12.7(103日目)
2度目のMRI検査,大きさに変化なし。聴力検査もおこなったが、60dbで変化なし。
MRI撮影と、聴力検査、診察費で、¥8,640.
Z.半年後、効果が現れる
2001.2.28(185日目)
半年後の検査で、ついに効果が現れました。
主要の中央部分が黒っぽくなってきました。これは空洞ができ始めたということだそうです。ただし,これで全て完治したというわけではなく、空洞が大きくなって全体が一時的に膨らんでくる可能性もある。それにしたがって、聞こえが変化することもある。ということで,3ヵ月後にも再検査することになった。
一方、聴力の方は気のせいか聞こえが悪くなったような気がしたので、あわせて検査してもらったが、とくに変化はありませんでした。
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2001.7.5(312日目)
4ヵ月後のMRI検査でも空洞は変わらず、聴力にも変化は無かった。そのため,再検査は半年後となった。