ゲームを売るためのキーワード 
 
 今回は“不況下でもゲームを売るために”というお話を、幾つかのキーワードを元に書いてみます。

○ ブーム 〜 伸るか反るか 〜

 つい最近放送された某ドラマの影響で、日本でアイスホッケーが俄に人気になっている。少し前にそういうニュースが流れていました。ただ実際に日本国内でそれ以前からアイスホッケーに取り組まれている組織や個人のWebサイトを見てみると、どうもそれが具体的な流れとして定着しているという感触には乏しい気がします。言ってしまうと「こういう話題で少しはブームになってくれるといいなあ。」とか「これでアイスホッケーの話題が公にできる。MLBやNBLのようにNHL関連のグッズが市民権を得られる。」という程度の認識のようです。そうなると、あの私が見た“アイスホッケーのブーム化”というニュースは、実はTV局がドラマの話題性を高めるために何らかの事実を誇大評価した結果である可能性が高いと思われます。しかし一部の人達は間違いなくそれを事実だと思い込む訳ですし、私やこれを読んでいる皆さんだって過去にそうやって事実認定した誇大広告の1つや2つはあるはずなのです。

 前に書いたことがあるのですが、ブームというのは“どこかの大勢がその商品なりファッションなりを『ブームになってるぞ!』と声高に叫ぶことで起こる”という、実に単純な物だと思われます。それはメーカー出荷額ベースで年間20億円ちょっと売れたバウリンガルが“ブーム”と言われ、その同じ年に倍以上売れたデュエル・マスターズがそういう扱いを受けなかった。この事1つ取ってもかなりはっきり現れています。そして同時に、今は子供がブームを起こす事はかなり難しくなっています。実際問題の話、昨年度110億円以上売れたデュエル・マスターズが、マスコミにブームとして取り上げられた記事を少なくとも私個人は目にしていません。昔は子供達の間で流行った遊びはすぐにマスコミに、それも比較的好意的に取り上げられたのですが、今は黙殺されたり否定的な取り上げられ方をされる機会が多いのです。(そしてその理由は簡単で、そういう取り上げ方をした方が読者や視聴者の関心を引ける。すなわちそういうメディアが売れるからです。)あと少子化で子供向けの市場が小さくなっていて、爆発的なブームにでもならない限り経済効果がそれ程期待できない。そういう背景もありそうです。

 それに比べて女性の間で話題になった物は、それこそ市場規模が年間数億円程度の商品ですらブームと言われそうな感触です。女性は男性の動向に関して興味が薄いが、男性は女性の動向に関して少なからず興味がある。理由はそんなところでしょうか。そう考えると、あるゲームをブームにしたいと思った場合、メーカーや売り手あるいは買い手はある1点に留意する必要があると思われます。それは「そのゲームを女性やマスコミが好意的に見て話題にしてくれるよう工夫する。」という事です。ただはっきり言っちゃいますが、マスコミはスポンサーからの広告費で半ば飯を食っている訳で、ある意味“地獄の沙汰も金次第”な部分が多々あります(笑)。しかしマスコミを動かして自社商品がブームになっているなんて情報を流させるには、それこそ湯水のような広告費用を投じる必要があるでしょう。となると、そういう資金力がないゲームは、やはりターゲットを女性にして口コミを期待する、そういう配慮や必要性があると思われます。別に女性しか遊べないゲームにする必要はない訳ですが、でも女性でも楽しめる、あるいは手を出したくなるゲームを目指す必要はあるのです。そして実際に世の多くのメーカーはそういう動きを起こしつつあります。

 あと一部には更にそれとは別の動きも起こっています。いわゆる“ミドルエイジ”と呼ばれる世代を狙った商品の発売がそれです。“ブーム”という言葉に数量的な定義がない以上、例えば1万人程度が買って遊んでいるゲームを“静かなブーム”なんて言い方で宣伝したって、それは全然構わない訳です。ただ実態が伴わないブームの吹聴にはさすがに説得力がないですし、それで実際に市場が拡大する効果は期待できないでしょう。少なくとも同じカテゴリーの商品でナンバーワンのシェアを誇っているとか、イベントの動員を最も稼げているとか、そういう何かしらの客観的な裏付けは伴って欲しいですかね。

○ 賭事 〜 煩悩の種は尽きまじ 〜

 ゲームを比較的安易に広めてしまう手段の1つに“賭事”があります。例えば日本にはもの凄い数のパチンコ屋がありますが、あれが景品として品物しか出さないのであれば、まあその数たるや今の1/10も無いんじゃないかという気がします。また日本にはそれに負けない数の雀荘がありますが、それにしても麻雀が賭事でなければ成立し得ない数でしょう。そもそもパチンコや麻雀という遊びに「これ賭事でなければ俺やってないよなあ。」という印象を持たれている方も少なくないんじゃないでしょうか。かく言う私もその1人なのですが、かなり以前に「賭事は結局のところ胴元しか儲からない」という事実に気が付いて足を洗いました(笑)。

 しかし・・・という事です。パチンコはこれだけの巨大産業に成長しながら、未だに“文化”としての定着を疑問視される見方が少なからずあります。それは麻雀にしても同じはずです。(まあ“大衆文化”としては間違いなく定着しているでしょうが。)あと恐らく日本の小中高校では、自校の児童や生徒がパチンコや麻雀に手を出す事を良しとしない所が大部分だろうと思います。条例や校則でパチンコ屋などへの出入りを禁止している所が大部分でしょうし、子供がパチンコや麻雀のゲームを遊ぶのですら好ましいと思わない人は多いはずです。また多くの女性がそういう賭けに好感を持っているかというと・・・という感じでしょう。つまり“賭事”と“ブーム”というのはかなり相反する位置関係にあります。極端な話「賭事はブームになれない」という事です。だって賭事は本来ブームを起こす原動力となる子供や女性に敬遠される訳ですから。このお話の例外的な存在が競馬になる訳ですが、しかし実際に競馬場に出掛けて馬券を買っている女性や、プライスの景品になった馬のぬいぐるみを欲しがる子供の様子を見ていると、競馬を賭事として意識されている様子はあまり見られません。元々競馬は外国で“文化”として発展してきた物ですし。(パチンコ屋がレディスデーなどの企画で女性客の獲得を目指すのも、この辺を意識しての施策だろうと思われます。)

 ただしあるゲームが賭事として世に定着してしまうと、逆にちょっとやそっとじゃ消えて無くなったりしなくなるとも思われます。誰だって勝負事には勝ちたい訳ですし、ましてや金銭がかかっていれば尚更でしょう。賭事には常に間違いなく敗者が現れますから、そういう人達が「この前のリベンジじゃ〜!」とばかりに熱を上げるのは目に見えています。しかも賭事は基本的に胴元が儲かる、すなわち勝者であろうが遊び手は常に手持ちの資金を減らし続けている。つまりいつまで経っても元が取れるなんて事はあり得ない訳で、これが賭事の中毒性にもつながるのです。こうなってしまうと、はっきり言ってそのゲームが面白いのかそうでないのか、あるいはゲームバランスが云々とか、そんなの全く関係なくなっちゃうんですよ。その極端な例が丁半賭博でしょう。たった2個のサイコロを延々と振って、その目の合計が奇数が偶数かを当てる。こんな単純で下らないゲーム、お金がかかってなかったら1分でやめちゃいますって(笑)。ですから売り手としてはかなり楽して儲かる状態が出来上がる訳です。ただし子供や女性に積極的にお勧めできる物ではなくなってしまう。すなわち“頂点は目指せない”訳です。あとマスコミの取り上げ方がそういう方向性に偏るのは致し方ない訳で、ゲームそのものやメーカーのイメージダウンは避けられないでしょう。

 我々は、例えば電車の中でグループが紙麻雀で遊んでいる、そういう様子を見て今はあまり好印象を持たない人が多いだろうと思います。また高校生が「俺達“パチンコ研究会”を作りたいので部活として認めて下さい!」とか言い出せば、まあ間違いなく半日説教を食らうでしょう(笑)。それと同じイメージを自分が遊んでいるゲームにも持たれてしまう。賭事によるゲームの普及にはそういう危険性があるのです。しかし売り方としてはかなり楽ができて、そして実際にある程度安定してゲームが売れるようになる。これも間違いない事実です。そこでどうするのか・・・という事です。ただ最近の世の動向を見ていると、TVゲームのメーカーが更に相次いでパチンコやパチスロに参入する動きがある訳で、やはり“背に腹は代えられない”というところなのかもしれません。

○ 安・近・短 〜 それでも人は遊びたい 〜

 これは連休のレジャーなどに使われる言葉ですが、実はゲームの世界にもそのまま当てはまります。これだけ世の中が不景気になる、あるいは個人が仕事などに割かれる時間が増えると、やはりゲームにしても“安く・気軽に・短時間に”という傾向が強まるのです。ですからそのニーズを満たしたゲームは売れるし、そうでないゲームは売れない。話はそんなに難しくはありません。

 例えば最近のTVゲーム業界ですが、基本的にはこの発想が欠落して世の需要と供給されるゲームとの間にミスマッチが起こって衰退した。そういう見方はそれ程的外れな物ではないでしょう。TVゲームが複雑化して開発コストがかさみ値段が高くなった。過去の人気タイトルの続編が乱発される事で、その前作のプレー経験がない人達には手が出しづらいゲームが多く出るようになった。1回のプレー時間がやたらかかるゲームが増えた。だから売れなくなった。言ってしまうとそれだけの事なのですよ。しかも面白さ(刺激の多さ)という点では、今やTVゲームはネットゲームに本気で勝てません。最近になってTVゲーム業界にもその辺を是正する動きが見られるようですが、まだまだ不十分ですしある意味手遅れ感すら漂います。

 これについて、ちょっと私自身の話をしましょうか。私はいわゆるTVゲームという物はNEO・GEOとPSしか持っていません。それで十分に事足りていたからです。(いずれPS2は買うことになりそうですが。)ただ最近はそれすら電源が入っていない状況です。私はネット・サーフィンやWebサイトの更新で、それこそ毎日のようにパソコンの電源を入れて使っています。ですからそのパソコンでゲームが遊べるようになってしまうと、わざわざ他のハードで遊ぶ必要性が無くなってしまうのです。また今私が遊んでいるゲームはDIABLOIIやフリーの将棋ソフト辺りです。ですから1回の遊ぶ時間をかなり自分で自由に決められるのです。こうなると逆に別のゲームを遊ぶ時間はほとんど無くなってしまいます。(追加で課金を取られるわけでもないですし。)

 例えばこういう感じでしょうか。箱の中に何か大事な物を入れるとき、よく周りに新聞とかプチプチを入れるじゃないですか。そういう時に最終的にすき間を埋める緩衝剤って、細かければ細かいほどすき間に入り込むでしょう。実は趣味というのも基本は同じなのです。箱の容量は24時間、あるいは得ている収入と上限が決まっている。その中に最低限入れるべき仕事や睡眠、あるいは生活費といった荷物も決まってしまっている。そうなると我々は趣味という物を緩衝剤的に箱の中に詰め込む訳ですが、そうなるとやはり細かく細分化できた方がより多くの物を詰め込めるのです。ですから遊ぶのに往復1時間かけて店に出掛けないといけないとか、毎月万単位の出費が必要になるとか、そういう物はどう頑張っても箱のすき間に入らない場合が出てきます。中にはそれを入れるために箱から別の荷物を出しちゃう人もいる訳ですが、それが許されるケースなんてそう多くはないでしょう。またそういう形で細分化できる趣味というのは、意外と箱のすき間にスルスルと入り込んで何とか遊べちゃう物なのです。例えば携帯電話や携帯ゲーム機で遊ぶゲームに人気があるのはそういう理由もあるはずです。

 遊びに費やせる時間や費用が昔に比べても更に厳しくなっている。それ故人々は遊びに対して見る目がかなり厳しくなっていると思います。そういう人達をそれでも遊ばせてしまう工夫。それがゲームメーカーに求められているのです。そりゃあ昔みたいに、それでも強引に時間や費用を奪い取っていく破壊力のあるゲームが出てくれれば理想でしょう。でも最近のゲーム・クリエイター達にそこまでのゲームって作れないんじゃないでしょうか。だったらゲームが世のニーズをくみ取って変わるしかない。そんな基本的な話に理屈も何も要らないですよね。

○ はまさきあゆみ 〜 勝ち組の法則 〜

 このキーワードそのものについては以前のエッセイでご紹介していますので、そちらを参照いただければと思います。

 これは単純に考えればいいかと思うのですが、人は1000円のゲームに500円の物の倍、あるいはそれ以上の満足感を得ようとするはずです。世の中に500円で遊べるゲームと1000円で遊べるゲームがある。その時点で実は既に1000円のゲームは劣勢に立たされています。それは経済のシステムをちょっと勉強すれば出てくる定説ですし、何よりも我々自身が感覚的に分かっている話でしょう。じゃあそれでも1000円のゲームが売れる術はあるのか。そういう方法そのものはいくらでもあります。現に値段が高くても同業他社よりも高いシェアを誇っている商品など、この世にはごまんと転がっているのです。ただ少なくとも言えるのは「1000円のゲームが必ずしも500円のゲームよりも面白いとは限らない」という事です。ゲームの値段と質は全く別の部分で決められているからです。こんなの普通に考えて当たり前でしょう。

 じゃあ1000円のゲームが勝つためにやるべき事は何なのか。これは世の成功事例達を学べばいくらでもアイディアは出てきます。派手でユニークな広告を打って知名度を上げる。体験版を配ってその面白さを多くの人達に知ってもらう。売り手を教育して自社商品のファンにしてしまう。多種多様なニーズのユーザーに買ってもらえる懐の広いゲームを作る。著名人に遊んでもらい宣伝大使的な役割を果たしてもらう。要するに基本は“1000円のゲームを500円のゲームよりお得だと感じさせる”事になるかと思います。最近コンビニのおにぎりで高単価の物が発売され、しかも人気を得ているそうです。100円のおにぎりよりも200円近いおにぎりの方が売れる。やり方次第では今のこのご時世でもそういう商売は可能なのです。

 ただ、これを成功させるには色々と考えるべき課題もあります。例えば一時期ゲーム業界では対戦格闘ゲームが一世を風靡しましたが、しかし結局それは中途半端なブームしか作り出せず、今や業界全体が落ち目になっています。人間は勝敗が絡むとそれこそ賭事同様に熱が入り、一部にそれこそ我を忘れて時間や資金をつぎ込む人達が現れます。しかし現実には我々は常に学校や会社で人と戦わされていて、ゲームの世界でも同じ事をさせられるのにウンザリだという人も少なからずいらっしゃるのです。しかも見た目“人が殴り合うゲーム”に世の人達すべてが好感を持つとは考えにくいですし、特に女性にはそういう勝負事に興味が薄い人も多い。つまり対戦熱を煽ったゲームの拡販というのは、賭事による拡販と同じで“ある程度の成功はできるが頂点は目指せない”のです。じゃあゲームが本当の意味で成功するにはどうすればいいのか。それは昔のゲームがそうなっていたように、例え数分間でもいいからそれを遊んでいる間は世の憂さから離れられる。あるいは他のことをすべて忘れて没頭できる。そういう存在になるべきなのです。ちなみに言うと、だから昔の格ゲーは受けていたのですよ。でもさすがに対戦が作業と言われ、相手が手を出すのをひたすら待ったり、固められて身動きが取れないなんて時間が多い最近の格ゲーで、昔の格ゲーと同様に“他のことをすべて忘れて没頭できる”とは到底思えませんけどね。

 自社のゲームを他社と差別化して売りたいのであれば、やはり作り手は“遊ぶ側の重要や事情”に最大限の配慮をすべきでしょう。世の多くの業界が取り組んでいる「自社製品をいかに“はまさきあゆみ”に近づけるか?」という創意工夫を、しかしゲーム業界はほとんど行ってきていない。これじゃあ業界全体が縮小して廃れるのも無理はありません。売り手の一部はそれなりに頑張っているとも思うのですが、まあこれだけ作り手が揃いも揃ってヘッポコじゃあねえ・・・。ただ日本のゲーム業界は、作り手以上に遊び手がヘッポコだったが故に廃れた。私個人はそういう見方をしているのですが。はっきり言いますが、ちょっと日本のゲーマーはメーカーを甘やかしすぎだと思いますよ。

○ コア・ユーザーと同人ユーザー 〜 水と油の共存 〜

 私個人はこういうユーザーの定義を、KOFという対戦格闘ゲームの話題の中で最初に使い始めています。

 初期の頃の格ゲーには、いわゆるコア・ユーザーとライト・ユーザーという2種類の人種が存在していました。その明確な定義は特にないのですが、ゲームにかけている費用や時間などを見て、ゲーマー自身が「自分はライト・ユーザーかな。」「俺はかなりコアだなあ。」みたいな感じで使っていました。ところがここにいつしか同人ユーザーという存在が登場します。彼らはどちらかというと、ゲームそのものよりもその世界観やキャラクタを好む傾向が強いです。ですからゲーセンにあるゲームには一切インカムを入れない人すらいました。その代わりキャラクタ・グッズを買ったり、プライスの景品を必死になって釣ったり、コミケでコスプレをしたりして、間接的にゲームを盛り上げる役割を果たした訳です。

 この様子を見ていた例えばSNKといったメーカーは、彼らを取り込むために具体的にどういう施策を取ったのか。何をとち狂ったかゲームの中に意図的に同人的な小ネタを散りばめたり、いかにも「同人誌や4コママンガでネタにしてくれ!」と言わんばかりのギミックを盛り込み始めたのです。ところが肝心のゲームの出来までもが“同人レベル”だったのがかなり致命的で (^^; もうそれこそ格ゲーとして成立しない物まで登場するに至ります。そのくせゲーム雑誌などで事ある毎に“勝利至上主義”を煽り、勝っても自慢にも何にもならないクソゲーに無理やり価値を見出そうとしたのです。もうまるっきりどこかの事例そっくり・・・とか言うとクレーム続出なのでやめますが(爆)。これはSEGAやCAPCOMを含めた格ゲーのメーカー、ほぼすべてに見られた傾向です。そりゃあこれだけゲームの売り方を分かっていないメーカーの商売がうまく行くはずもないでしょう。

 じゃあなぜ格ゲーメーカーは、ゲームにインカムを入れてくれない同人ユーザーをある意味そこまでもてはやしたのか。その1つの答えを具体的に皆さんにお見せする方法があります。試しにGoogleのイメージ検索で「春麗」というキーワードのみを指定して検索をかけてみて下さい。これは試してみた私自身も驚いたのですが、実に多くのコスプレ春麗の画像が引っかかります(笑)。要するに格ゲーメーカーは、こういう形で格ゲーに華を添えてくれる、あるいは格ゲーをブーム化する戦力となり得る“女性ファン”が欲しかった。多分真相はたったこれだけのことです。だから女性が多いであろう同人ユーザー向けにゲームを作り、そして創生期に格ゲーを支えた多くのコア・ユーザーに逃げられた訳です。インカム収入が減ればゲーセンは格ゲーの導入に消極的になる。そうなると市場全体が縮小してコア・ユーザーを失い、それに連れて同人ユーザーも減る。なんで格ゲーのメーカーってこんな初歩的な事が分かってなかったのでしょうか。

 じゃあ、果たしてそういう発想そのものが間違っていたのかというと、私個人としては「そうとも言い切れない」と考えています。世の中には幾数多のキャラクタ・グッズがありますが、それらを買っている人の多くは、多かれ少なかれ同人的な趣向を持ったユーザーだと推測されるからです。またTCGにしても、もう少しコレクターという同人的なユーザーを大事にしておけば・・・という見方ができる事例は実際あるのです。これが前から言っている“ゲームの多角化”です。本編のゲーム以外に関連創作物やグッズが売れている。そうなればメーカーはゲーム本編の売上だけに依存する必要が無くなり、ゲームの製作によりパワーを費やせるのです。ただ格ゲーのメーカーは、言ってしまうと“さじ加減を間違えた”訳です。よくTVで放映されるプロ野球の珍プレー集ですが、あれは本人が至って真剣に&真面目にやってるから見ていて笑えるのです。あれと同じ事を、例えば酒を飲んで泥酔状態の親父がやっても、多分面白くも何ともないはずです。ところが格ゲーのメーカーは、同人に自社ゲームを取り上げてもらうために、言ってしまうと“やらせの珍プレー集”を放映してしまったのです。そんな物を放映されたら、そりゃあ生粋のプロ野球ファンだってプロ野球に見切りを付けちゃいますよ。

 コア・ユーザーと同人ユーザーというのは、同じゲームの世界にいながら、いわば水と油ほどの関係にあります。しかしコア・ユーザーにはゲームを世に広める、あるいはブームにする能力がありません。(何しろ自分の腕を磨くだけで精一杯ですし、そういう視点しか持っていませんので。)そして同人ユーザーにはゲームに投資して、市場を下支えするパワーや意識がありません。(そんなお金があったらグッズを買うかコスプレを作るでしょう。)つまり両者を無理に混ぜる必要はないし、ゲームという業界にはどちらも必要なのです。ましてや同人ユーザーをコア・ユーザー化して直接金を取ろうなんて発想はナンセンスの極みです。昔の格ゲーはそういうユーザーを極めて自然に獲得できていたのですが、どうも最近はあまり芳しくないようです。

あいせんの“本音の部分”

 やはり売れるゲーム/売れないゲームというのは、後で分析してみると“売れた/売れなかった原因”というのがちゃんと存在している訳です。しかも世の中には今や、それこそゲームの成功事例や失敗事例はごまんと転がっているのです。それでなぜ後続のゲームが成功事例ではなく失敗事例を真似て、それで先人と同じように自らも失敗しているのか、さすがに私には理解できません。ゲームの中にはユーザーの人生そのものを少なからず変えてしまう物もある訳で、もうちょっと責任を持って作り方なり売り方を考えて欲しいなあと、今更ながら強く感じます。

   

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