「お茶づくり」




 山辺に住む知人宅で、茶を一服戴いた。その新鮮な香りと淡い甘さに渋さのある味に懐かしさが感じられたので、産地を尋ねたら自宅のお茶の葉による手作りの茶だといわれた。
 
我が家も幼い頃は初夏の頃、艶々したお茶の葉を蒸し湯気が立つのを筵に広げ天火に乾かしていた。周りの家がほとんど農家だった区内は、その頃お茶作りでどこの家からもお茶の香りが漂っていた。
お茶というと本場では、八十八夜(注1)を機に新茶積みが話題になるが、この辺ではまだまだやらない。新芽がすっかり伸びきったとき、すなわち6月の中旬頃である。
大体どこの家でも、お茶の木は屋敷内かあるいは畑の隣地との境界に垣根代わりに植えてあったもので、瓦葺の家が並ぶ田舎の風景にはよく似合っていた。
 田植えを終えた頃、炎天下の中で鎌を使ってお茶摘ではなくお茶刈りをしたものである。
そして、刈り取ったお茶は川へ持っていって洗った。この当時は、川は美しかったので食べ物を洗うのに十分耐えられた。洗ったお茶は、熱湯で晒して1cmくらいに切って、炎天下で干したものであった。

 当時、農家であれば食べ物はほとんど自家製で、三度の食事はいうまでもなくおやつや嗜好品に至るまで手作りだったように覚えている。自家製中心の生活は何でも工夫して作り、手作りできるものを買うことは贅沢といわれていた。

 戦後しばらくしてからだろうか、お茶は法事や仏事の引出物としてまたは訪問時の手土産として広く使われだしどこの家でもといっていいほどお茶の手作りは必要なくなっていった。番茶・煎茶・玄米茶・抹茶等さまざまな種類の貰い物で、特別なことがない限り間に合っていた。古来より親しまれてきたお茶も最近は健康上大切と見直され出した。産業の発展によりお茶作りも産地化され、おいしいお茶が販売されるようになり、自家製の物は徐々に廃れていった。聞くところによると趣味として作っている人もあるという。
 
 秋になると可愛い白いはなを咲かせたお茶の木は、今は家の周りにも隣地の境界にも見当たらなくなった。
 昔から作られていた手作りのお茶の"味"は一体どんなであったろうか。


(注1) 八十八夜=立春から数えて88日目のこと。5月1日か2日の頃。農家で種蒔きな   
    どの適期とされる。



仙人堂住人 大平 敏男






製茶の手順

お茶の品種
  ヤブキタ(一般的な品種)
  フカツユ
  フカミドリ
  サヤマカオリ

 1 6月初旬から中旬にかけて、木々の穂先がしっかりしてから刈り取るようにする。
   (新芽を摘んでの加工は、技術を要することから専門業者でなければ不可)

 2 1は水洗いで汚れを落とす。

 3 2を沸騰した湯にとおす。
時間は、20秒から40秒、サァーととおして色が変わったら上げる。





 4 3は、干す前に水分をシッカリ抜いて撚るように揉む。



 5 4は、天日により乾かす。

 6 半乾燥の状態で1cmほどに刻む。

 7 6をさらに揉んで、乾燥する。保存しておいても、カビたりしない状態まで乾燥する。

 8 7〜10cmの木綿の袋にオ茶ッパを入れ、煮立てて飲む。