漢詩の読解

 

 ずばり、読書が好きである。

そして、読み漁ること2000冊余。この間、独学で漢詩を作り始めて40年を経ました。

ようやく、漢詩の掛軸など、読み解くことができるようになりましたが、実に永い時間を費やしたものです。特に、故事・人名に及ぶと広範の知識を必要としたからです。

最近、ちょくちょく“古くから仕舞われている掛軸があるが、いったい何が書いてあるものか”と訪ねてこられるお方がある。預かったからには、昼夜を分かたず関係資料を漁り、読解できたときは依頼者より喜びひとしおである。

 

いま、仙人堂の開設にあたり、我知識の一部が人様の役に立つならこの上もない喜びとするところです。さらに、わが身の研鑚にも役立てたいところです。

 

 さて、わたくしは内向的(閉鎖的)性格から友達は少のうございます。

 とにかく、無位無冠無欲を貫き通して、85歳の齢を重ねました。希望が叶えられるなら、お山のてっぺんで独り、霞を喰らい余生を送りたいものです。



 

雲が往き水が流るるがごとき我人生を紹介します


  追 懐      紫 山

遠祖 尾州産  
えんそ遠祖はびしゅう尾州のさん産にして   

豊公 従弟縁  
ほうこう豊公と いとこ従(兄)弟のえにし縁をなす

豪雄 賎岳戦  
しずがだけ賎ヶ岳のたたか戦いにごうゆう豪雄たり

太守 藝備天  
げいび芸備のてん天にたいしゅ太守たり

駿府 置一目  
すんぷ駿府はいちもく一目お置きしも

幕閣 謀棄損  
ばくかく幕閣はきえん棄損をはか謀れり

改易 及子息 
 かいえき改易はしそく子息にもおよ及び

次男 謫越前  
じなん次男 えちぜん越前にたく謫せらる

孜孜 拓荒蕪 
 しし孜孜としてこうぶ荒蕪をひら拓き

漸漸 揚人煙  
ぜんぜん漸漸にじんえん人煙をあ揚げたり

我是 十代裔  
われ我はこ是れじゅうだい十代のすえ裔にして

爾来 四百年  
じらい爾来 よひゃくねん四百年なり

桑田 変蒼海  
そうでん桑田はへん変じてそうかい蒼海となり

浅瀬 成深淵  
あさせ浅瀬もふか深きふち淵とな成る

生涯 亦曲折 
 しょうがい生涯もま亦たきょくせつ曲折あり

誰不 感世遷  
たれ誰かよ世のうつ遷ろいをかん感せざらんや

福嶋正則は尾張の国に生まれた

太閤秀吉と従兄弟の関係

七本槍の一本として有名

関ヶ原の戦いの功績で

芸備五十四万石の大名となり

家康も一目おいていたが

家康の死後本多伊豆守の

謀略にかかり川中島に改易され

次男の正頼も越前に帰農荒地を開拓し

下河端の村を作りなした

私は十代目の末男

世の中はすっかりかわった

私の一生も色々と

変化があった



 

仙人堂住人 福嶋 隆治

 

 

 

仙人堂

 

紅塵場裡 達人多

誰尋大隠 起一波

古韻可傳 千歳後

神明永遠 在山河

           (作 福嶋 隆治)

          

紅塵(こうじん)場裡(じょうり) 達人多(たつじんおお)

            (たれ)大隠(たいいん)(たず)ねて一波(いっぱ)()こす

            古韻(こいん) (つた)うべし千歳(せんざい)(のち)

            神明(しんめい)永遠(えいえん)山河(さんが) ()らんに

 

・注釈  紅塵場裡・・・俗世間の中

            大隠・・・   巷に隠れている人

            古韻・・・   古い調べ(古き良き事)



   新作

立 夏

薫風 立夏候

新緑 萌門前

六六 銀鱗躍

五三 素月懸

満田 秧稲水

一叫 郭公天

信歩 舊知道

遠山 又如煙




         薫風 立夏の候              かぜかおる なつはきにけり 

         新緑 門前に萌ゆ             さざんかの わかばはもえて

         六六 銀鱗躍る               こいのぼり そらにおよぎて

         満田 秧稲の水              さなえだに みずはみちたり

         一叫す 郭公の天             ほととぎす ひとこえさけぶ

         歩にまかす 旧知の道          このみちの かよいなれたり

         遠山 又た煙るが如し          やまわらう かすみのかなた 

                                 こころはらばれ


  大安禅寺参詣
     

六月下旬福井の田の谷町にある大安禅寺を訪れました。

二十年程前に一度尋ねた事がありましたが、そのときは寺内の参観だけでした。

沙羅双樹の大木が印象的だった事を覚えています。

沙羅双樹は平家物語の冒頭の

「祇園精舎の鐘の聲 諸行無常の響きあり 

沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理を現わす」

で有名です。釈尊がインドのクシナガラ郊外の沙羅林で双樹の間に横たわり涅槃に入られたが、そのとき、時ならぬ花が咲いたと言われています。

今回は菖蒲祭りの期間中だったので、その苑を鑑賞し、万松山頂上にある松平家の廟所に参拝して来ました。

廟所は千畳敷と言われ、松平家歴代十一基の巨大な墓碑が、これも巨大な一枚岩の屋根石を乗せた石の門と石の柵に囲まれ、木木の緑の中に寂かに整然と並んでいました。

寺は臨済宗妙心寺派の寺であると共に、越前松平家の菩提所であり、また北陸三十三ヶ所観音霊場第十番札所でもあるとの事です。



於大安禅寺

蔓松 山裡 鎮梵城

六月 菖蒲 寂雨聲

百段 急坂 赤土道

千畳 墓地 緑苔塋

大愚 宗築 創建舊

黄門 秀康 歴代栄

得尋 八十 五叟我

誰知 多少 遠縁
バンショウザンリ万松山裡にボンジョウ梵城はしず鎮まり

ロクガツ六月 ショウブ菖蒲 ウセイ雨声 しず寂かなり

ヒャクダン百段のキュウハン急坂 あかつち赤土のみち道

センジョウ千畳のダイチ台地 リョクタイ緑苔のはか塋

タイグ大愚 ソウチク宗築 ソウケン創建 ふる旧び

コウモン黄門 ひでやす秀康 レキダイ歴代のさかえ栄

タズ尋ねエ得たり ハチジュウゴソウ八十五叟のわれ我

だれ誰かし知らんやタショウ多少のとお遠きえにし縁のよこ横たわるを