an opinion
絵はここからもらいました。

インターネットと個人



 以下は年末に女性の友人と話した内容です。彼女はインターネットはメールやホームページをたまに見るという程度で、使ってはいるが、頻繁に見るというほどではないという人。で、年末に突如わき上がった例の事件、”インターネット自殺”に関する報道ぶりについて(またはインターネットそのものについて)の話になりました。
 話を進めていくと、結局のところ「個人が個人としてちゃんとした自意識を持っていること」、ということに話が行き着くのですが、僕が「自殺も個人の権利として、したい人が勝手にすればいい」、とあくまで個人意識の尊重だけを思ったのに対し、私の知人(男性)が彼のホームページに(そのまま引用)「僕は、一般論としては、個人が自由に死ぬ行為を他人が完全に妨げることは実際にできないし、よりよく生きるための選択支として自由に死ぬ権利を認めたい、と思っています。しかし一般論から離れて身近な「あなた」の話をするなら、僕が生きていたい時は、「あなた」も生きていてほしいです。」と書いていて、やはり彼の方が一歩先を思考しているのかなぁと思った、ということを彼女に言ったところ、「そんなの人は人との関わりの中で生きてるんだから、最初からわかってることなんじゃないの」と、一蹴されてしまった。(つまり、親しい人に死んで欲しくない、ということは自分の”生”も、自分のものだけども自分一人だけのものではない、ということなのでしょう)

 さらに、彼女曰く、「何年かまえに最初にインターネットのことを(業界の)友達に薦められて話を聞いたときに思ったのは、ネットワークというもので世界中の人が横に繋がると言うことは、思想とか同じ考えの人が国の枠を超えて繋がっていくということで、そうなると今度は国と国の戦争ではなくて、そういう考え方を一にした人たち同士が争うようになるのではないかと思って嫌な感じがした。」
 また、「いろんな人がいろいろなことを自由勝手に書いたり発表したりしているから当然ウソもあり、人を騙そうとする情報もある、そんな中で個人でしっかりものを見られる人は良いけど、多くの人はそうではなくて、誤った情報を鵜呑みにしてトラブルになる人が大勢出てくるのではないのか、と前から思っていた、そういう事件が起こったのが今回だ、」と。

 いやぁ、びっくりしました。まったく的を射た意見で。
どっちもインターネットやネットワークの講演会かなにかで聞きそうな話です!!

 実際、僕が今回考えさせられるのは、ある程度ネットワーカーを自認している人たちが、ネットワーク(あるいは現代社会)に対峙する際の注意事項として”個の確立”をお題目のように唱えるのはもう良くわかっていることですが、実際、かなりの日本人はきっと苦手です(まあ欧米人が得意かどうか知りませんけど、日本よりは個人を尊重した社会が成り立っているでしょう)。だから急速に、ビジネスとも相まってインターネットが生活の中に入ってきている現状にすぐに全国民が適応することは困難で、現実にああいったトラブル(まあ実は”トラブル”ではないかも知れないけど!)が発生してしまいます。そのときに、”個を確立しなさい”とばかり言いっぱなしにするだけでは解決しない、ということを実感しているということです。
 こんなこと実感してもしょうがないのか、それともインターネットを利用する側も考えた方がいいことなのか...

 ただ、検閲や規制、ガイドライン!などというものを設けることはもっと愚かしいということだけは確かです。しかし、インターネットなどに余り親しんでいない人に話を持ちかけてみると、例外なく「一般の予備知識などない人が、”落とし穴”に落とされないようなものにして欲しい」という主旨のことを言います。

さてどうしたものでしょうか。

 しかし、男同士で(しかもネットワーク上で)意見交換しているのとはぜんぜん違う感覚で斬新でした。たまにはこういう感覚も体験しないと偏向していってしまうかも知れない。

                          ('99.2.1)




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