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i la tiquet イラチカ('99.9月)

シベリア寒気団最終公演「イラチカ」



 仲間内の会議室で書いたことを転載('99.9.21)


 わたしはアンケートで、”1回目見たときはちょっと急な展開でか、ジーンとくる前に頭の中を整理している状態だった”、みたいなことを書きました。
で、ぬいぐるみの楽しさが全体的にあったのでちょっと登場人物に関する印象が希薄な気がしたのですが、それらはすべて2回目見たらすっきり理解できました、とも書きました。

で、それがなぜかを考えていたのですが、ちょっと思いつきました。
というのは、みんながもうすぐ死んでしまう、あるいは死ぬときにぬいぐるみに見守られていたい、という設定が、一般的にはかなり突飛な設定なのではないかということです。

せがわワールドはもともとすべて突飛なのですが、カッパの村や、見えない牛を飼っているところやバーチャルななんとか世界...とか言った従来の突飛な設定の中でも、全員が一気に死に直面する、死ぬときにどんな風に死にたいかということを考えさせる、というのは最も突飛な設定ではないかと今日思いました。(カッパよりは断然身近な話題なのに!)

いや確かに死ということを、結構普段から考えてはいる、と自分では思っていますが、いわゆるエンターテインメントの中で突然突きつけられるのは、”え、ちょっとまって...”という感覚に襲われます。(のではないかと思います)

で、2回目になんですんなりジーンときたのかというと、死についての議論がそこにあるということがあらかじめわかっていたからだろうと思うわけです。


僕は「死」は(強がりみたいだけど)最近恐くない。死にたいとは思わないけど明日世界が終わっても別にいいと思っていた。でもやっぱり友達や肉親が死ぬのはいやなんだね。
で、何が驚いたかって、自分は生に関してすごく淡泊なのに、見も知らぬ岡本さんや上田さんが死ぬのはとっても悲しかったということ!!なんでこんなに悲しいのか不思議だった!



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