Music Column
絵はここからもらいました。

JET CD



 PUFFYのJET CDを買った。全体的にはシングルヒットした曲がたくさん入っているのでベスト版みたいなものなのだが、これはけっこうイイ。

 最初のJET警察は、ロックテイスト抜群ですごく気持ちいいギターサウンドが聴ける!シングル曲はやっぱ売れ筋ねらいで元気いっぱいって感じを押し出してますが、それ以外の曲ではちょっと聴かせるタイプの曲になるとさすがにつらいものもありますが、ま、大目に見ましょう!ジャケットデザインとか、中のデザインとかもトータルに見るとコンセプトははっきりしていてなかなか良いです。

 なによりここで私が書きたいのはシングルでもあった「MOTHER」である。ヒットする前に現在の「愛のしるし」がヒットしてしまったのでかすんでしまったが、これは名曲だ!!この曲からはなにか、青春のけだるさ、たいくつさ、くるしさ、そしてよろこびといった全てのものがあふれ出そうとしている。これに大貫亜美のけだるいボーカルと吉村由美のあくまで素直な歌声がすばらしくマッチして、若い心のうつろいというか不安定さみたいなものがみごとに出ていて、聴いていて胸がキュンとなるような切なさが去来する。いわゆる”青春の蹉跌”っていうヤツだ。

 メロディーの不思議、みたいなことは前に書いたことがあるが、優れたメロディーは実に様々な雰囲気を作りだし、様々な感情が引き出される。単純にはマイナーなスケールに則ったメロディーは暗い、悲しい、あるいは淋しいといった感じ、メジャースケールだと、明るくたのしい、元気な、とか思いつくのだが、この「MOTHER」はそのような”感じ”以上のものを与えてくれる。そのような、メロディーが単に持っていそうな”感じ”を超越した、更なる新たな感情を引き出す力を持っている。「名曲」というのは概ね歌詞とかアレンジだとかのトータルな完成度の高さから、このような”自分の能力”の何倍もの力を発揮する。これは作曲者が魔法をかけているためだと言われている。大まじめに書いてしまったが、名コンポーザーはなにか自分の得意とする方向の曲作りには、魔法とも思える力を出すように思える。奥田民生は実際、まさにこの手の”青春”の歌に関して天才的だと私は思っている。 先頃ドラマの主題歌になった「さすらい」もその路線といえる。この曲も彼独特の持ち味の青春の脱力感(なんとも表現しがたく、ボキャブラリーが貧困になって情けないが)みたいなものがにじみ出て、いい出来である。

 ”青春の蹉跌”というのは、”様々な愛の形”とか”冒険活劇”と並んで、音楽にしても映画にしても文学にしてもテーマとして採用される三大巨頭ジャンルと思われるが、それだけに過去にたくさんの人がたくさんの名作を生んでいます。「さすらう」はドラマ「Days」の主題歌だったのだが、ドラマはイマイチだった?のだろうか。音楽でいいものがある時に同時に映画(ドラマ)でもいいものがあるのはおもしろい。

 ”青春の蹉跌”と言えば一時代を築いたのが浜田省吾でしょう!しかし、浜田省吾と奥田民生は少し毛色が違います。曲を聴けば一聴瞭然ですが、時代性の差と言えばそういうことでしょう!(また、余談ながら、私が思うに”パンク”っていうのも全部”青春の蹉跌”ジャンルだと思う)..90年代(後半)の奥田、80年代の浜田省吾、とすると、当然70年代とか60年代なんかもまた違う”蹉跌”があったと思います。この時代はメッセージ全盛だったころと、その反動でシラケてるころがありますが、前者だとやっぱ岡林信康とかでてくるでしょう。こうなると蹉跌とか言ってられなくなりますが。後者で私が選びたいのは、当時の井上陽水です。「傘がない」は最高です。
 ”都会では自殺する若者が増えている、今朝来た新聞の片隅に書いていた、だけども問題は今日の雨、傘がない、行かなくちゃ、君に会いに行かなくちゃ...”です。2番は”テレビではわが国の将来の問題を、誰かが深刻な顔をしてしゃべってる、だけども問題は今日の雨、傘がない”である。この厭世的なムードは当時は画期的で、社会的には批判の対象になりそうな気がしたが、しかししかし、30年近くたった現在でも、全く状況が変わってないというのはどういうことだろう。変わってないどころか、昔はまだ若者は政治離れしてても、大人はなんとか社会のことを考えなくては、みたいな空気があったと思われるが、現在では大人になって政治のことなど少しでも考えようとすればするほど、この国の巨大な構造的破綻の病巣を垣間みることになり、すっかり毒気を抜かれて、生きる希望さえ失う羽目になってしまう。まあそれはそれとして、このような中で、”青春の蹉跌”の形も影響されつつ変わっていったように思う。

 で、音楽と同時に映画ではという話だが、それぞれにイメージを書いてみると...
 岡林信康のころといえば、安直に、「いちご白書」でしょう。この映画はユーミンも着目しただけあって!さすがに、大学生のころの若さと実直さの狭間での苦悩といった、いわゆる青春が綴られていると思う。最後、体育館から強制的に連れ出されるところはなんともいえない悲しさがこみ上げてくる。

 つづいて井上陽水の「傘がない」といえば...実はここが思い浮かばないので次の機会にします。誰かなんか良いのがないか教えて下さい。



 そして浜田省吾はというと、彼の歌はご存じの通り、それまでの(フォークの人たちの)表現が明け透けなのに対して、徹底して彼の美学を通した表現になっているところがすばらしい。ニヒルさ、だとか、ハードボイルドタッチもあり、そして繊細な詩の世界を体現している。その意味で彼は確固としたジャンルを築いたと言える。この路線の映像表現といえば、同時代にもたくさんその手はあるとは思うが、あえて私は古い名作を引っぱり出したい。それはヴィスコンティの「若者のすべて」である。時代的に背景も全く違うので、え?って感じもするけど、私の感じ方としては結構相通づるものがあるのだ。まあ無難に選択するなら「アメリカングラフィティー」で、日本版なら森田義光の「のようなもの」なのだけど。ま、このころテレビドラマでも一時代を築いた名作「ふぞろいのリンゴたち」ってのがあって、その辺を揚げてもいいのだけど。(さらにはこのころ(80年代)の日本映画は私は結構好きで、佐藤浩市、時任三郎、中井貴一、真田広之らが出てるものはほとんどイイ。)

 さて奥田民生だ。彼の歌には、なんというか、それこそ90年代の、なにものにもあまり熱くならないようなひょうひょうとした、力の抜けた、そう、”力の抜けた”、というのがかなりぴったりくる”青春の蹉跌”がある。そしてまさにイマドキの女の子の代表みたいであるPUFFYがまさにイマドキの感覚で歌う奥田民生の”青春”の歌「MOTHER」は、イマドキの”蹉跌”を、力を抜いて歌い上げるのだ。(まあ、これに一昔前の青春世代の私が共感するのも変な話でもあるけど!!)

 しかし、この感覚に通じる映画はなにかまだ見あたらない気がする。奥田の「さすらい」はドラマ「Days」の主題歌だったが、今の青春群像物語にこの曲を当てたのは大正解だが、ドラマのつくるイメージはこれには合っていなかったように思う。(といっても「Days」は見ていなかったけど、なんとなくわかる。)このドラマがどれほどの視聴率を稼いだか知らないが、もしヒットしなかったのだとしたらその原因は、この、イマドキの力の抜けた青春、という路線を取らなかったことだろう。この曲に共感する今の青春は、”熱い”ドラマではない。PUFFYみたいな、今の日本にどこにでも居そうな女の子を使った、”力の抜けた”ドラマなんじゃないだろうか。


 ところで今日のお題は「JET CD」だったのですが、ついつい「MOTHER」に偏って、”青春”論になってしまいました。しかし”青春”を批評するようになってはおしまいです。青春は語ってはいけない、そのなかに居てこそ青春。ああまた語ってしまった。つくづく評論家にはなりたくありません。まずは生きること。そう感じさせてくれるのが、やっぱり「MOTHER」。

(4月のアタマにはCD買って聴いてたのに、こんな長い文を書いてたら今頃になってしまった)
                        98.4.14





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