Music Column
「わたしの子供になりなさい」中島みゆき
絵はここからもらいました。

中島みゆき



 ここ数日、友人に薦められて中島みゆきを聴いている。中島みゆきと言えば、「時代」がポプコングランプリ!というのをラジオの深夜放送でリアルタイムに聴いていた世代ではあるのだけど、その後まあ大ヒットした曲くらいしか聴いたことはない。アルバムも、なんかショッキングなタイトルのものとかあるのは知っているという程度。まともに聴いたことはないし、これからもないだろうと思っていた。しかし友人が熱心に薦めるので聴いてみることにした。

 最初は友人がいろいろ歌詞の説明(布教活動)をするのを横目に、軽く聞き流していて、その時はふーんと納得するだけだった。他のアーチストとなにか根本的に違うとか思うことはなかった。しかし、一人でゆっくりまじめに聞いてみようとした途端に、なにかするすると入ってくる感じがした。4〜5曲聴いたところで、「これは危ない...こんな危ない音楽を聴いたことはない」と思った。麻薬のような歌だ。人の心の隙間にいとも簡単に入り込んで来て虜にする。一瞬、感覚を元に戻そうと別のCDに掛け替えたが、やっぱりしばらくして、もう一度聴きたくなってしまった。
(ちなみに聴いていたのはアルバム「わたしの子供になりなさい」、収録曲「命の別名」「清流」「木曜の夜」など素晴らしい。)

 冷静に何が違うかを考えると、やはり歌詞を聴かせる作りになっている。そう、彼女は”詩人歌手”と呼ばれているらしい。他のアーチストのCDと比べると確実に彼女の言葉が我々の耳を(心を)捉える、歌声が重視された作りだ。しかし、この歌の前でこんな分析は全くの虚しい行為だ。

 わたしに薦めた友人の言葉では「中島みゆきの歌は”言霊”」だそうである。その詩の世界はあまりに広大で、時に激しく、時に切なく、しかし難解を極め、その深淵に触れるやいなや、詩的創造の洪水に溺れて、二度と抜け出せなくなりそうなのである。このご時世なのでかならずこの世界を解読する人々がいろいろな論理を展開しているはずだと検索を試みると、あったあった。このページの「中島みゆき論」は秀逸だ。「エレーン」の項などは著者の鋭く深い洞察に大いなる感動を覚える。と同時に、これを読んでしまうと、中島の歌はもう涙無しには聴けなくなりそうである。こんな悲しい歌がこの世にあるとは思いもしなかった。

 最後に中島みゆきの魅力を、僕にはこんなにも的確な表現はとてもできないので、彼の論から抜き出して紹介する。

 ”私が彼女の歌を聴いて感動する理由をみずからの胸に尋ねてみると、一つひとつの 歌に隠されている奥深い“ことば”の意味が、彼女の、まさに“歌の精”になりきっ た歌唱でもって、なにかの啓示のように感性で悟らされ、そして潜在意識の奥に眠っ ていた夢や希望や真理に対する渇望が、目を覚まして這いだしてくるような気分を覚 えるのである。これはまさに歌以外のなにものにもない力といってよいだろう。”


(関係ないけど)折しも昨日、中島みゆきは国語審議委員に選出されたそうである!

                        98.12.16





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