自治労政策集会

94.10.26〜28 鳥羽シーサイドホテル

「 分権化時代と自治体政策」 松下圭一法政大学教授

シンポジュウム 「分権・自治改革の運動課題」

伊東弘文九州大学教授

石毛瑛子飯田女子短期大学助教授

松下圭一法政大学教授

 コーディネーター 大塚自治労政治政策局次長

 

「分権化時代と自治体政策」

   松下圭一法政大学教授

1.地方分権改革の背景

 日本の自治体は1960年代以降、新制大学卒の職員を数多く採用し自治体の水準化上がり、政策開発に取り組んできました。国の政策を先取りするようになってきました。そして、今日、制度改革を議論するまでになってきました。画一的なユニフォームを脱ぎ捨てて、個性のある政策を展開する段階にきたわけです。

 だから、地方分権基本法問題は先取り的課題ではありません。成熟型改革です。いろんな改革提案が出ていますがほぼ一致しています。昨年の秋、地方の時代シンポジュウムが開かれ、神奈川宣言が出され問題点が整理されました。それまでは受皿論などがあり、県レベルでは道州制とか連邦制とかの議論が有りました。市町村の強制合併をやるとかの問題が出がちだったわけです。しかし、今日では垂直分権論にほぼ意見が一致しています。国の権限を県に、県の権限を市町村にということです。地方六団体の内閣と国会に出した意見も、地方制度調査会の中間意見も、内閣の行革本部もそうです。

 中身は機関委任事務の全面廃止、3割自治を6割自治にということです。

 これを国レベルの地方制度調査会の最終答申にする、今年度中に内閣の行革本部でまとめる、それを国会で基本法という枠組法を作る。内閣も地方自治委員会を作るということです。

2.省庁の抵抗と先駆自治体

 しかし、国の省庁の抵抗が最大の問題としてあります。日本は議員内閣制で国会は国権の最高機関ですから、立法権を持つという考えです。しかし、国の省庁は国会が省庁の行政に介入するのは権力分立違反であるという戦前型国家官僚制の考えをしています。ここを突破しないかぎり、基本法を作れません。ここを議員がどうしっかりやってくれるかです。

 なぜ、こいう考えになったかですが、明治以降の後進国の哀しさです。国の官僚機構をがっちり作りあげ、外国モデルを入れ県へ、市町村へと下ろすわけです。行政とは”国の法”の執行であるという考えで頭の中がいっぱいになってしまっています。机の上には建設六法とか自治六法とかがあり、それを見て仕事をする。国が方針を出さない限り自治体は何も動けない。国は方針を出せ、法律を作成しろ、あいまいなところは通達を出せ、行政実例を出せということでやってきたわけです。こうした考えに地震が起きたのが1960年代の市民運動と革新自治体です。

 1960年代になると住民から出た問題を市町村が解決する、県に解決させる、国の政策を変えさせるということになってきた。自治体が一人前になり始めたわけです。福祉でも、また公害問題でもそうです。公害問題では国は法律も持っていなかったわけです。政策の流れが代わってきたわけです。今日、3300の自治体ではどこかで政策のモデルを作っているわけです。それを国が積み上げていくわけです。昔は新しいことをやると言えば、国の省庁から説明に来いという電話が掛ってきたわけです。最近は市町村の政策を吸い上げています。さらには出庁旅費を持って先進自治体に国の役人が来るようになっています。しかし、こうした先駆自治体は多くはありません。通達、補助金どおりの仕事を行う国の指示を仰ぐいねむり自治体が多いのです。

 そして、ここに来て、国際化にいかに対応するかという問題が出てきており、明治以来内向けに出来ている国の省庁は国際化対策に取り組まねばなりません。国の権限を地方に下ろさなければ国は国際化に対応できないわけです。身軽になって始めて国際的対応ができるわけです。明治時代以来の閉鎖型国家は終わったということです。

3.自治体総合計画の課題

 シビルミニマムのほぼ量充足し、残っている問題は下水道や高齢化への対応などです。時代は変ったわけです。従来のナショナルスタンダードというものは低位標準化です。それの新しい質のものにやり直していかなければなりません。

 行政とは法の執行かということです。この考えでは、政策の発生源は国だけだということになってしまいます。しかし、それぞれの市町村が個性ある独自政策を開発しなければならない時代に入っていきました。法律基準だけを考えていると低位標準化になってしまいます。

 この場合の法とは行政法であり、各省庁ごとの、しかも省庁でも局毎に違うわけです。縦割りになっているわけです。これでは困るわけです。県や市町村はこれを総合化する。

これが自治体総合計画の課題です。

 一旦出来た法律はなかなか変りません。また、新しい法律はなかなか出来ません。現行の法律は時代遅れが多いわけです。そうすると、行政の執行は時代遅れである場合が多くなります。先駆自治体を中心に国を先導することが出てきます。

 行政とは何かというと我が街を良くするために政策を立案し執行することです。すると、国の法律は政策を立案し執行するための全国基準ということです。法は解釈するものではなく、幅広く運用するものです。政府委員の国会答弁を聞いて頂くと良くわかります。しかし、この運用は勝手にやってもらうと困るわけです。運用する基準をそれぞれの自治体が持ってもらわなければなりません。自治体総合計画が必要です。

 我が街の問題は何かということを是非見つけてほしい。それを争点化して、政策課題にしていく。ゴミ問題とか。この政策化したものを法制化しなければなりません。議会の決定がでます。それをやってみて評価していくことになります。問題のあるところを作り直すことになります。これからは政策法務をしなければなりません。これまでは3割自治とかなんとかラッパだけ吹いていました。しかし、権限・財源が下りてきたときどうするかです。

 個別補助金は全て地方交付税に入れて、これを、これまでのように自治省が配分権限を握るのではなく、市町村及び県の代表で地方財政委員会作り配分する。基準財政需要額などはやめたほうがよい。デザインなどは積算できませんから。人口と面積に比例し、地域の所得水準に反比例するようにした基準でよい。これまでは1件ごとに補助金をつけねばならないという考えだったわけです。それは各省庁や自治省のコントロールを受入れることなわけです。補助金がついたから仕事をするということでした。

4.行政手続法の問題

 行政手続法ですが、特別養護老人ホームに入ろうとしたが落ちてしまった。隣の老人は入れた。どうしてか。これは泣き寝入りだったわけです。それを文書で持って根拠基準を示さねばならない。明治以来の行政の革命が職場にやってきました。要綱とか執務基準とかマニュアル類まで公開しなければならない。宅地開発要綱などは出ていますが、例規集なども規則しか入っていない。これは大問題です。出来ていないこともあります。予算が通れば内部基準を作らずにやってしまっているところもあります。これには、憲法違反、個別法規違反、地方自治法違反いっぱいあるわけです。先駆自治体ではこうした要綱の検討に入っています。それを踏まえて行政手続条例を作ろうとしています。内部基準をいかに公開するか。透明性のある自治体をいかに作るかが問われています。

  

シンポジュウム 「分権・自治改革の運動課題」

   伊東弘文九州大学教授

   石毛瑛子飯田女子短期大学助教授

   松下圭一法政大学教授

   コーディネーター 大塚自治労政治政策局次長

1.市民の政策づくりへ自治体が協力を

石毛 神奈川県の生活協同組合の方がカンパして特別養護老人ホームを作りましたが、そのカンパした方が市民として地域福祉、高齢者福祉をどういうふうに考えるかという政策作りをしました。そのときの1つの考え方が、コミュニティオプティマムの実現として考えていく必要があるということです。シビルミニマムの実現では私たちの福祉社会は実現できないだろうから、市民が参画して、市民が政策作りをするということに対して自治体がどういうふうに協力してくれるかです。「分権自治構想」私案を読んで自治体が定める地域最適基準=ローカルオプティマムという言葉が出てきますが、このローカルオプティマムには賛成です。しかし、ローカルオプィマムという言葉は公務員・役所主動のような気がします。市民自治というところではもっと考えるところがあるようです。自治体の中で地域間格差があってもいいじゃないかと思います。

 社会保障審議会の将来像検討委員会では介護保険の導入について、措置制度よりはずっとシステム的に権利発言的であるとしています。しかし、どう変えて行くかという移行プログラムを作って行かないと、この論理だけでは結果的に実現しないのではないでしょうか。

2.税制改革に当っての基本的観点

伊東  「分権自治構想」の私案ですが、基本的な観点はどういうものかです。「課税最低限度額の引き上げを行うことをはじめ、適用税率の刻みを拡大し、勤労者層の実質減税をすすめる」とありますが、これは実に危険なことです。なぜ、危険な誘惑かというと、時代をどう認識するかに係わります。

 1980年代はレーガン旋風が吹き荒れました。弱肉強食、小さな政府と強い民間、効率一点張りという哲学が幅をきかせた時代でした。それが、バブルにつながり、1990年代は政府というものの役割が問われているわけです。そうした中で分権化された政府の仕組みが課題として提起されているわけです。

 そうした分権化された政府が、いったい公共サービスとして何を提供するかですが、自治研中央推進委員会の「分権改革の着実な前進をめざして」というパンフの中で「社会的共通資本」という言葉がでてきます。説明によると「人々の生活に取って不可欠であって、決して自助の精神では(つまりレーガン哲学では)実現し得ない社会システム」=「環境、人権、公正を実現する社会的装置」、「福祉社会の構築を可能とする保健、医療、福祉、教育、文化、交通などの分野にわたる社会的な諸政策」としています。ようするに90年代における福祉政策をを分権化された政府の枠組みの中で捉らえてみようということでしょう。

 そのような、基本的視点に立つ時、「課税最低限度額を引き上げ、減税を進める」という言葉が論理的に出てくるかです。文字道理にとれば、税収が減りますから、小さな政府、強い民間=弱肉強食の世界を是認することに繋がりかねないわけです。

 社会的共通資本は自由な経済社会を前提にしているわけですから、企業システムと同居しなければならないわけです。企業システムは利器でもあれば凶器でもあります。バブル期には明らかに凶器でした。そのような中に於ける法人税を模索されねばなりません。

 地方消費税についてですが、私案はすでに(今日の時点では)古くなっていますが、「国と地方との配分をおこなう、地方消費税型の新たな付加価値税」「地方の消費税分は都道府県と市町村の共同税」という表現が出てきますが、連立与党と政府の税制改革案大綱にはこの両方が含まれています。形の上では地方消費税、地方消費税は県と市町村で50:50で配分するというものです。

3.地方消費税の評価

 私は税制調査会の専門委員としてこれに関わりましたが、地方消費税の最大の論点は消費者とは何かでした。原料生産者、原料加工業者、卸売業者、小売業者、消費者というふうに財貨が流れてきます。そのそれぞれのところで価値が付加されますが、その価値の付加に3%の税率を掛け、それぞれの企業、事業者を通り抜け勘定する形で、税額を消費者が負担すると説明されるわけです。

 こういう仕組みを地方消費税に適用するとどういうことになるかですが、企業、事業者を通り抜け勘定することを仕向地原則といいますが、仕向けられたところで消費が行われ、その消費者が負担するということですが、地方消費税の場合には最終取引者と消費者が分裂するわけです。埼玉県民が東京都で買物をする場合、彼は最終取引者として行動するわけです。しかし、消費するのは埼玉県でするわけです。最終取引者が税を負担するわけですから、税金は東京都に入ってしまいます。埼玉県から見ると、消費は埼玉県で行うわけですから、税金は埼玉県へいただきますと主張できるわけです。なぜなら消費者が負担するという建前だからです。だから大蔵省は地方消費税は仕組めないといったわけです。

 わたくしたちは、原産地原則でいくならば地方消費税はできるといったわけです。原料の生産者、製造業者、卸業者、小売業者が事業所を持っているわけですから、事業所で課税する。北海道に原料生産者の事業所がある場合には北海道が課税する。宮城県で製造が行われる場合には宮城県が課税する。しかし、それでも、東京都の消費者が消費する場合、東京都民が支払ったものが北海道や宮城県に収納されるのはおかしいといわれるわけです。

 いやそれでも、原産地原則でできると主張したわけです。地方自治体の経済は開放経済です。スーパーマーケットに行くとわかることですが、自分の県で造られた商品というのはほとんどありません。納豆と豆腐ぐらいなものです。適地生産、企業の最適立地が行われるわけです。新宿に原発を作った場合、非常に高い電力料金を支払わねばならなくなるわけですが、東京電力は最適立地として福島県に原発を作り、安く電力を東京都民に供給しているわけですから、東京都民は福島県に原産地原則に基づく消費税を支払ってしかるべきであるという議論です。

 もう一つは、自治体の公共サービスが商品の値段を下げて、さがった値段で消費者は消費を行うことができる。たとえば都道府県が整備している警察力ですが、その結果、企業はガードマンを雇う必要がない。そうした自治体の公共サービスに対応する原産地原則に基づく地方消費税を支払ってもよいという議論です。

 しかし、この実った消費税は非常に妥協の産物です。国税庁が原産地原則に基づいて収入し、それを都道府県に配分する時には消費額に基づいて、具体的には商業統計の小売売上高に基づいて調整しながら配分するということですから、疑似仕向地原則で配分するということです。今後分権をめざしていく場合、なかなかすっきりしたものは出来なくて、長い長い妥協の道程を辿ることになるのではないでしょうか。

4.国会を中心に議論し省庁の抵抗を押さえる

松下 地方六団体は今は大枠の一致で国会にあたるべきです。そして、国会は国権の最高機関ですから、少々の個別の省庁の抵抗を押さえ国会を中止に議論を進めるべきです。そのためには、国会議員も大枠での一致をきちんとつくることです。

地方自治基本法が通ると実行プログラムを作らねばなりません。これに向けての準備の議論を別のレベルで進めていく必要があります。

 地方六団体の理論はしっかりしています。官庁議論では出てこないことです。国会決議をふまえています。内閣の作る実施プログラムは国会の議決にすると書いてあります。実施過程については毎年国会に報告するとしています。骨格としてはよく出来ています。

5.外形課税の課題

松下 法人税率の引き下げを行うとしていますが、これは従来の革新理論の180度の転換です。反独占ということでやってきたわけですが、これでは企業は海外へいってしまう。従来の法人悪者論では通らない。法人市民という考えも必要です。しかし、法人に対する外形課税を自治体レベルでどうするかとうい論点はあります。

 国も分権的になっています。たとえば河川法第6条の改正により、1級河川を市町村長に代行させることができることになりました。市町村がやれるようになったわけです。1級河川は国という考えは通らなくなりました。

 米の自由化で、6兆円をどうするかとなっていますが、その一部を市町村へという話もあります。ご承知のように、農業政策はは国、そして県止りで、市町村レベルでは農協でした。しかし、環境・水利などは市町村が今後頑張らねばならないわけです。

伊東 外形課税の問題ですが、分権からは税財源から見ると地方は苦しいわけです。32Pですが、私はドイツの地方財政を長い間勉強してきましたが、ドイツが事業税の外形課税化で苦しみ抜いてきました。巧く行かない。完全な外形課税化の旗を下ろす寸前まで来ています。自由な経済社会の担い手は今後長い間企業システムになると思われますが、輸出、輸入の問題があります、世界的な規模での最適な資源配分の問題があります。外形課税をすると赤字企業でも納税負担をすることになります。赤字企業も企業活動をしているのだから納税負担するのは当然だという議論が一方にあります。赤字企業が外形課税で税を負担するとそれは確実にコストになります。輸出価格を引き上げます。国際競争の問題になります。そうすると、輸出を促進するため補助金を出そうということになります。補助金というのは政府の方から民間の方へ流れていきマイナスの税です。そのようにプラスの税マイナスの税を掛けると国際競争力の問題とか資源の最適配分の問題で好ましくないという結論が出てきます。ドイツの場合、ECの真ん中にあるため貿易依存度が非常に高いわけです。日本の貿易依存度はGNPの10%程度ですが、ドイツの場合は20数パーセントと国民生活が貿易にかかっているわけです。企業が貿易収支にすごく敏感となるわけです。

 外形課税という問題は、赤字企業といえども公共サービスを受益している側面と、国民経済が自由経済システムであり、自由経済システムが企業システムであり、企業システムが国際競争力や貿易収支と密接な関連を持っているという側面が有り、この二つをいかに調整するかは非常に難しいわけです。ドイツの場合、市町村は地方消費税を要求していますが難しい問題が有りクリア出来ていません。日本は原産地原則で徴税し、疑似仕向地原則で分配するという方法でそれを乗り越えようとしているわけです。外形課税は長年の課題ですが、社会的共通資本と、自由経済システムの維持の間ですっきりした解決は無いのではないかと思います。

 

司会 具体的な課題について 分権推進の計画について、福祉の職場の課題

6.福祉職場の課題

石毛 福祉、保健関係は市町村への権利委譲が進んでいますが、地方自治体がそれをどう行使するかは実際問題としては、措置基準は生きているわけで、措置制度の根っこを握られたままでは何もできません。全国統一の福祉サービスの基準を作り、国の基準の行政サービスを各地域で実施される必要はないわけです。自治体で独自の基準作りを進めるべきです。自治労は団体事務化のときにそこのところを1回パスしてしまったと思います。

 全国で特別養護老人ホームではない託老施設あるいはそれに付随したグループホームが何十箇所も出来ています。福祉制度以外に在宅福祉に携わっている「」つきのホームヘルパーは既に6万人を超えています。延べ人数でいえば福祉法関係のスタッフよりは多いわけです。行政セクターとか従来の法人セクターとは違った市民セクターが出てきているわけです。そうしたセクターが福祉システムを作っていく基準作りを共にしていかないと公的福祉システムは抜けがらになってしまうのではないでしょうか。

 福祉自治の供給セクターとしてどういう視点でどこと連帯してどういう基準を作っていくかです。国の基準を多少手直しして自治体の基準とするのではもう間に合わないわけです。

 具体的に市民セクターの困っているところは何かというと、公益法人格が取れないわけです。公益法人格が取れれば税法上、寄付上も有利になるわけです。疑似システムの工夫はないのかということです。そういう自治体の様々な支援・工夫が無いと具体的移行プログラムは出てこないと思います。

 短時間公務員制度ですが、こうしたセクターの当事者を短時間公務員として採用するとか、特別公務員として採用するとか、参画の仕方を多様に工夫して頂きたい。

 社会的共通資本との関係では、分権自治を進める上で、自治権として何が大事かといえば、環境権とか共助の権利とかの自治権のベースになる理念をどこに置くかが鮮明にあってもいい。

 ボランティアという形で労働権をどう設定するかが問われないままに、有償ボランティアとか様々な形が進んでいます。下手をするとオイルショック以降受け身の膨大なパート労働者が作られましたが、同じような状況が福祉分野で分権の名の下に進行しかねないわけです。分権自治が進行する下で、税金を負担できる市民を沢山作って頂きたい。とりわけ、福祉分野では税金を払える女性を沢山作るプログラムを組んで頂きたい。

7.行政の役割はどこまでか

松下 ローカルオプティマムですが、行政というのは国自治体レベルを問わずミニマムでいいということです。それ以上のことは個々人の自由というようにはっきり分けた方がいいと思います。オプテイマムというとシビルマキシマムという発想に近付きはしないかということです。そうすると自治体に何でも持込まれてしまう。自治体はこれだけしかやれないんだと。しかし、ミニマムの質はどうするかということは必要です。

 公共政策は行政が独占するという考えがこれまでありました。民間委託はいかんとか、それは合理化であると、しかし、行政が最適にやれる領域と、企業がやれる領域と、市民がやれる領域は補完的です。民間が作った美術館の方が行政が作った美術館よりもレベルが高いということはいくらでもあります。緑化の問題ですが、行政だけがいくら街を緑化しようとしても限界があります。市民の庭の緑、工場の緑化などを合せて緑の総量が増えるわけです。行政はそれをどう調整し責任を持って計画化するかです。これが自治体計画の問題です。

8.自治体はデーターの蓄積を

石毛 老人福祉計画をプランニングしようとしたときにデーターが無いのに困りました。たとえば、高齢者が自由に外出したいというときにバス路線をどういうふうにプランニングしようかと思っても、実際にどのように外出しているのかとか、外出の意欲などのデーターがないわけです。だから、何か問題が起こったら対策するという跡追い行政になっているのではないかと思います。

 東京都はシルバーパスを発行して高齢者のバスでの乗降の自由を広めていますが、調査したところ、パスで外出している高齢者は元気な高齢者です。いわゆる交通弱者の方はパスをほとんど使っていないことが初めてわかりました。こうした、仕事が出来るデーターをきちんと蓄積していく必要があると思います。

9.市民感覚を運動に

松下 30年前に自治権に出席したことがありますが、そのころは自治体労働者の二面性ということを言っていました。しかし、市民というところが抜けているのではないか。つまり、労働者、公務員、市民という三面性を考えて頂きたい。市民的感覚を運動の中に入れて頂きたい。

 街の中を散歩して頂きたい。そうする公民館に木が一本も植わっていないとか、塀が壊れそうだとかがわかります。街の姿は行政の結果です。道路の在り方、緑の在り方、広告の在り方等、街は行政が作ったわけです。

 

分科会

「分権・参加行政システムについて」

1.財政の分権

並河信乃 消費税にしても東京で3割以上集まっていると思いますが、小売高からみれば十数パーセントです。一局集中をどうやって税の議論の中に組込んでいくのか。たとえば消費税も小売段階の売上高税というものが有り得るのかどうか。地方でそういうものをどう入れていくのか。税源の必要以上の東京への偏りをどうするかを考えて頂きたい。

 法人税にしても法人事業税のウエートを高くし、出来るだけ地域の経済力に見合った税収がその地方で上がる仕掛けを議論の前提とすべきです。

 交付税にしても、今の地方交付税がいわゆる不足払で、金がなければ交付税が出てくるという有難い制度ですが、財政運営を健全化して赤字減り、黒字になるとペナルティーとして交付税が出てこなくなる。財政当事者として財政を健全化していこうというインセンティブが今の交付税制度の中でははたらかないわけです。

2.規制緩和と分権

 わたくし自身としては開発指導要綱を全て規制緩和しろと言っているわけではありません。規制と言うのはただ緩和しろとだけでは考えてはいません。それを条例できっちとやっていくことが必要だろうと考えています。地方分権が進むと、要綱から条例へのシフトということが考えられます。国ベースでは行政指導というのもにある意味では従わなくてもいいということが、今回の行政手続法ではっきりしました。現在は地方自治体ではて適用除外となっていますが、これから出てくる。そこで要綱行政そのものの見直し出てくると思います。

3.都道府県と市町村の関係

 都道府県と市町村の関係ですが、いろんな組合わせがあってもいいだろうと思います。これは本当は市町村の事務だとかいうことをはっきりさせて、今なかなか急にそういうことが出来ないということであるから、都道府県にやらせる、契約でやってもらう。だんだん市町村が力がついてくれば自分でやるということにいけばよい。たとえばカリフォルニア州のロス警察は市警ですが、州のすべての地域に市警があるわけではなく、力の無いところでは州警察がカバーしているわけです。神奈川県のようなところではドン殻のようになるかも知れませんが、北海道や鹿児島県のようなところでは当面、しばらく代行してやるというような組合わせも考えられます。全国300の市町村に統一してその上に国があるという小沢一郎氏的発想ではこのような考えは採りにくいのではないかと思います。地方政府は2層制が必要ではないかと思います。

4.行政手続法の問題

 行政手続法が外圧で充分な議論もなくという意見ですが、確かに、アマコストがきたときに折衝があったりということでそのように見られがちです。しかし、手続法の問題は、昭和39年の佐藤臨調の時にまであるいはそれ以前にまで遡ります。法律学者の間では未果ぬ夢ということで延々と議論が続いてきました。グラマン疑惑の問題でも議論がありました。土光臨調の中でも行政手続法と情報公開の問題で議論がありました。そういったわけで何十年と議論されてきたわけです。議論の中心が最初は不利益処分の問題、聴問といった行政法学者のすきな議論でした。しかし、今度やった議論は行政指導とは何か、どこまで透明に出来るのか、文書主義をどう導入するか、適用除外をどうするかという一般市民や経済界もピンと来るものに議論の中心が移ってきました。過程の中で外圧もあったのは事実ですが、充分な議論がなくポイと出来たわけではありません。

行革審の小委員会で1年間で要綱案を作り、各省間で適用除外をめぐって延々と議論をしてこの10月1日にようやく施行されたわけです。

 ところで、いまのところは行政事務の執行に関する手続です。政策過程そのもののプロセスにどういう手続を採るのか。公聴会を開いて一般の意見を聞いて決めるとかの政策形成過程についての手続というのは、これはなかなか難しいからといって先延ばしになっています。突然、都市計画道路が出来たり、迷惑施設が出来たり、いろんなことで住民はおそれ驚くわけです。そのようなことがどういう手続で行われるのか。特に現場の市町村と住民というものは一番問題が出てくる。そうした一番問題が出てくる現場で何か1つルールを決めるということで、地方自治体にとっても非常に重要な課題です。

規制緩和にしても、どの規制を緩和する緩和しないという前に、手続を全て透明にしてルーチン化すればある意味では規制緩和の目的の半分は達成したことになるのではないか。

5.立法権の分権

 地方分権で、議論されているのは国の行政事務の分権というのが出されるわけですが、いくら行政だけを分権しても国会がどんどん個別自治体を縛るような法律を作ったのでは底抜けになります。国会の立法機能と地方議会の条例の範囲、立法権の分権をこれから考えていかなければなりません。それをどこで議論するのか。国会自らが自分たちの今後の行動指針という形でそういう議論をし、立法していくべきです。

6.分権を具体化するためのシステム

 地方分権推進委員会が出来ますが、これはあくまでも行政権の中に置かれたもので、3条機関であろうと8条機関であろうと同じですが、最終的には閣議決定で決まり、そこで法律を改正することになります。そこで、各省が国連の安保理事会の様に、建設省の分野は建設省、農林水産省は農林水産省の分野で拒否権を持っているわけです。事務次官会議を飛ばして閣僚ベースで決めてしまおうという考えもありますが、現実の問題としてなかなかそうはいかない。そうすると、各省がウンというものしか推進計画できない。法律化できない。結局、限界がある。私たちが第三次行革審に参加してつくづく感じたことは審議会の限界というものでした。行政のシステムを変えようというのに、行政の内部で変えようといってもどうしようもない。私たちや学者が行政のシステムを変えようと議論しても、最終的には各省の拒否権に会う以上、いくらそこで議論してもだめだということです。第三次行革審の最終答申の最後のページには、政治に対する注文ということで異例の長さでこれからは政治が中心になってシステム改革をやってくれと書いてあるわけです。ところが、今回もまた前例を踏襲し政府の中にそういう委員会をもうけ、第三者、有識者でもって何かやるのだという。しかし、意見を言うだけになる。計画を決めるのは内閣であり、内閣は合議制であり、村山首相がいくらしゃしょこだちしても建設大臣が拒否権を持っていればできない。これをどうクリアしていくのかです。

 与野党を問わず国会の中に超党派で分権についてのシステムを作って、政府での検討と共に、国会での検討を同時平行的にやっていかなければ進まないといえます。機関委任事務を廃止するなどという立派なことが書いてある。地方臨調の答申まではいったとして、これが内閣の推進本部の答申になるのかどうか、なったとして基本法の時にどうなるのかといった、どこで各省が出てくるかということはまだ見えないわけです。そうするならば議員にもう少し頑張ってもらいたい。そのためにもっと資料を出すことが必要です。規制緩和と同じ様に、見直せというと、各省横並びで少しづつ出してくる。この様な規制緩和と同じ様なことを分権でも繰り返していたので何も進まない。

7.今後の分権の舞台と議論

 基本法は所詮設置法です。地方自治法をどう改正するのか。地方自治法をシンプルにし本当の意味での基本法を作るのか作らないのか。あるいは、単に各省のチョロチョロとしたものを寄せ集めてこれからの21世紀に対応しようとするのか。これからの舞台は、何はともあれ分権推進委員会が出来るようですから、そこでどこまで、たとえば都市計画は誰が責任を持ってどうするのか、環境政策はどうするのか、福祉、教育、医療、産業といったものをどうやって分権的な形の中でやっていくかという政策論をやらないと全然間に合わない。おそらく、来年の春からそういう舞台が出来て議論が始まるでしょうが、それに乗り遅れると結局やりました分権に終わってしまう。

 

 とりあえず、行政執行の分野についてルールを明確にし住民参加を促す。議会というのは政策形成の場(になるべき)ですから、手続法を作ったからといって議会が軽視されることになならない。

8.地方自治法の改正は必要か

地方自治総合研究所研究員 地方自治法は何を定めているかというと、地方公共団体の組織及び運営に関する事項が書いてるわけです。組織法です。分権でいわれていることは、事務の処分権についての権限を下ろしていこうということですから、自治法のレベルではいろんな権限は自由に出来ます。しかし、それぞれの許認可権限は個別法で書いてあります。したがって、個別法の改正が必要です。連合とか中核市が出来ましたが、それは地方公共団体の組織を作るというだけで、そこに許認可権限が当然に下りてくるというものではありません。自治労の「分権構想」の方で、第5章の「法制度改革」ですが、権限のことはほとんど書いていない、議員の定数とか、必置規制の問題などが書いてあります。必置規制では何が書いてあるかというと、自治体で執行機関としてどういう組織を置くのかということについて改革しなければならないということになれば当然、自治法の改正は必要になります。ですから、都市計画の決定の権限とか営業許可の権限とかそういうもを分権するとしても、自治法の改正は関係ない。自治法上は組織に関わらないことであればどの様な権限を行使することも出来る(関係ない)といえます。

 

 住民参加で河川の道を作るとか、川辺をどうするとかいった場合、建設省の管轄だったり、都道府県の管轄だったりする。住民参加をしながら共同で街作りをしようとする自治体が、中央省庁の担当者に呼ばれて、こんなことは出来るわけがないのだと叱られる。そうすると、どうも中央省庁が我々の街作りの邪魔をしているということが下から出てくる。本来、こうしたことが積み重ねられて地方分権が進められていけば良いのでしょうが、こうした住民参加による街作りを進めている自治体は少ない。今回の地方分権というのは中央政府内あるいは中央政府と地方自治体間の綱引きになりかかっています。しかし、この時期に下からの分権をしていかねばならない。住民参加をしていく場合、どういう権限が邪魔になっているのかという洗いだしをしなくてはならない。

 今後基本計画を策定していく課程で、自治体の現場からどういうものが障害になっているかを洗いだして行くことです。

 次に挙げるものは地方自治法の改正をしなければなりません。司法、刑罰、郵便、国立の航行水路などです。