「 日本政治の進むべき方向」

北海道大学法学部教授 山口二郎氏

1994.9.19  三国町社会福祉センター

(企画・編集 ちょっといって講座実行委員会)

 

はじめに

 

 日本の政治状況は混迷しており、言葉ではどの政党も政治家も差異はなくなってきたわけですが、結局最後にものをいうのは、どれが本物かということです。

 

T.この1年の政治の変化を振り返る

1.細川政権の意義

 この1年、日本の政治は大きく変わりました。昨年、38年も続いた自民党政権が崩壊し、細川政権が出来たことは日本の政治に残る画期的なことでした。政治改革法案の成立、米の市場開放など、批判は色々ありますが、自民党政権下ではできなかったことです。

 政治の腐敗について国民が厳しく批判するようになりました。政官財の癒着による鉄の三角形などという言葉も、つい数年前までは政治学の用語だったわけです。

 一般国民のみならず、政党の側も学習した。たとえば社会党はづっと野党だったわけですが、政権の座に着くことによって、身をもって政策立案を経験したわけです。無責任に要求をまとめてくるだけではだめで、限られた予算の中で何に使っていくかということに政治家としての大事な選択の役割があることを理解したわけです。そうした経験を積んでいくことで議会政治が進歩していくのではないか。

2.連立政権の変質

 しかし、細川政権はあるときから変質をしはじめた。それが、今日の政治的混迷の原因です。国民がぜんぜん知らされていない政策転換を「改革」という名のもとに押し付けようとした。たとえば、国民福祉税の突然の浮上=大蔵省の一部の役員と連立政権の一部の首脳が強引に押し付けようとしたことです。考えてみれば、国民に新たな税負担を求めようとするには余りにも安直なことでした。4月には北朝鮮の核疑惑との関連で、日本の安全保障政策で有事を想定したあぶなっかしい議論がでてきたわけです。そういう改革を国民は期待していたわけではなかったわけです。ここに堕落の第一歩があったわけです。

 新しい選挙制度のもとで将来どういう政党制をめざすかですが、国民は穏健多党制を期待している。政党の差異を無視して無理やり二大政党制をめざすというのは必ずしも合意があったわけではありません。改新の失敗でそれがとどめをさすわけです。小沢一郎氏は日本新党の若手を集めて小選挙区の区割りを想定し、言うことをきかなければ対抗馬を出すと恫喝して組織上の一本化を指向したわけです。新しい選挙制度の下で、恫喝による一本化した政党が政党本位の政治を担えるのかというと明らかにノーです。

 政治手法の時限からみても国民福祉税のときに問題になったように、密室で物事を決め手いく、議論のプロセスをすっ飛ばしていくわけです。

 

U.ポスト羽田政変の意味をどう読み取るか

1.二種類の基軸

 ポスト細川をめぐる論議の中で、新生党は一時渡辺美智雄氏を首相に引っ張り出そうとする動きがあった。結局、非自民といっても、国民の考えているような、清潔で透明で民主的な政治という方向に向いていなかったわけです。

 羽田政権は小数与党ということでわずか2ケ月で総辞職するわけです。そのとき、政権を構成する軸は2つしかありませんでした。「自民」対「非自民」という軸、そして「小沢」対「反小沢」という軸です。自民対非自民という軸が意味を失ったとは思っていません。族議員の息の音は止ってはいない。しかし、非自民政権というのがどんどん初心から離れていった。組織の一本化によってもう一つの自民党政権になっていく可能性があったわけです。

 基軸としては小沢対反小沢、小沢氏が象徴する政治理念や政治手法をを是とするか非とするかという軸に添って政権を考えるという展開もやむを得なかったといえます。

2.小沢政治のどこが問題か

@国民に対する不信

 小沢氏の象徴する政治手法のどこに問題があるのかというと、1つは国民に対する不信にあります。彼の「日本改造計画」という本を見ればわかりますが、国民が反対しても何かしらの選択をしてやり抜くという、良くいえば使命感、悪くいえば思い上がりを持っているわけです。その根底にあるのが、長期的に国家にとって何が必要か、何が利益になるかについて、国民は必ずしも十分な判断能力を持っていないという不信があるわけです。したがって、税制、外交についても国民のコンセンサスを極度に嫌うわけです。果敢な迅速な意志決定ができなくなってしまう。そこが戦後民主主義の問題点だというわけです。政治において政治家が国民の反対を押し切って、あるいは多数の反対を押し切って物事を決断することがあることは当然です。民主主義の政治家はそう云う時もぎりぎりまで国民の向かって直に語りかけ、自分の信念なりを訴えるべきです。そのような訴え掛けというものはない。

 二重権力構造というか、一つの権力構造の内側であちこちを繋いで権力構造の中でコンセンサスを作る。反対派を孤立させるところに彼の技量があるわけです。

A結論の先取り

 2つ目は結論の先取りです。はじめに、消費税7%という結論があったわけです。議論をして調整して最後に一つの結論をだすというようなやり方は、嫌でした。最初にこうだと付きつける。下手に議論をすれば、時間も掛かるし政策の整合性も無くなってしまうことを畏れるわけです。

B官僚依存

 3つ目は官僚依存です。小沢氏は本の中で官僚政治を批判して政治家が責任を負わなければならないと強調していますが、逆に官僚の立場から言えば小沢氏ほど使いがいのある政治家はいないというのが実態です。7%の国民福祉税も大蔵省の省益の発想です。日本の財政をどうするか、来るべき高齢化社会に備えるとき、財政のリストラは必要です。しかし、それは歳出と歳入の両面で考えておかねばなりません。出る方で無駄なお金を削り、入る方で税率を変え十分な歳入を確保することです。しかし、大蔵省の官僚は楽をして、安定した歳入を確保したいわけです。国民から言えば、消費税を引き上げる前に無駄な経費の削減をしないのか、また税制の面からは租税特別措置などを整理し公正な土台の上で議論すべきだというふうに考えるのが普通です。けれども、経費の削減や特別措置の見直しで確保できるのは数十億円という桁です。そのような手間のかかり、実行の上がらないことは好きではない。また、既得権を持っているいろいろな団体が政治家を使って猛然と反対することは目に見えている。手っ取り早く消費税を上げて一挙に何兆円という金額を確保するほうがよいという大蔵省の発想です。

 政治家たるもの国民に新しい税負担を要求する前提として、多少手間がかかっても、今までの税制の中にある歪みを正すのが手順というものです。しかし、彼は全然そのようのことはしなかった。

 官僚のゆうことを鵜呑みにすることでは、羽田政権のときに核兵器の使用が国際法に違反するかどうかをめぐって政府見解を国際司法裁判所に提出したことがあります。このとき、国際法に違反しないという見解を伝えたようとしたわけです。これは外務省の役人の発想としては、核兵器の使用を名分上禁止した条約は無いから核兵器の使用は違反しないという考えです。唯一の被曝国である日本の政治家は、何でそのような杓子定規な議論を受入れたのか、見識を疑わせる事例です。役人のそうした形式論理を乗り越えて、日本の政治指導者として使ってはいけないということが何故言えなかったのかです。

C3つの要素の結合

 これは三身一体で結びついており、国民は重要な政策課題について長期的な視野から判断できないという不信があるがゆえに、議論の過程をふっ飛ばし、コンセンサスが無くてもいいとばかりに結論を押しつける、その結論の出所といえば官僚であるということです。

 細川政権の末期から、羽田政権では政策論議は非常に平板なつまらないものになりました。国民が期待した活力ある政党政治とは全然別な方向に行ってしまったわけです。

3.自社さ連合の意義

(1)マイナス面

@自民党のなりふり構わぬ政権復帰願望

 94年6月に自民、社会、さきがけが連係して政権を作ることになりました。無条件で村山連立政権がいいものだとは思っていはいません。そもそも、発足の経緯は自民党のなり振りかまわぬ政権復帰願望があるわけです。自民党というのはやっぱり、所詮、理念や理想とは全く無縁の権力を分かち合い、許認可権や予算という具体的利益をシェアーすることで成り立っている利権政党です。これが下野すれば政治家も地方組織もみなパニックに陥るわけです。これ以上野党暮らしが続いたら党が保たない。2年続けて予算編制の時に野党であったら政党が続かないという声が挙ったわけです。だから、社会党の委員長を首相に担ごうが政権復帰をめざそうというあからさまな願望があったわけです。

A社会党の逡巡

 もう1つの要因は社会党自身の優柔不断にあったわけです。6月ごろ旧連立に復帰するのか自民党と組むのかという難しい決断を迫られていたわけですが、党内でそういう決断をできないのが社会党の体質です。最後に委員長を首班に立てればある程度一本化できるだろうということだったわけです。

B野合という批判

 この2つの要素がくっついて出来た政権に「野合」という批判はある意味で当然です。「一・一」とくっつくか、自民党とくっつくかというのはどちらへ転んでもベストな選択ではない。社会党があの時連立に復帰するという選択を下した場合、社会党はほとんど得る物はなかった。唯一社会党の主張が通ったのは羽田氏の自発的総辞職という「形式」だけだったわけです。税制改革にしても、北朝鮮有事にしても社会党は「一・一」の示すものを呑むという形でしかなかったわけです。もし、その様な中で旧連立に社会党が戻ったとしても、限りなく新生党一極支配に近かったのではないか。

(2)プラス面

 一応、自社さ3党の間には一応の理念、政治姿勢がありました。党首のレベルからは今の連立が旧連立政権よりは政策的距離が近い。

4.村山政権が本格政権となるための条件

(1)憲法原理の確認:体制選択論への終止符

@憲法をめぐる国論二分状態に終止符を打つ

 村山政権が日本の政治をよりよい方向に進めるために何が必要かですが、1つは憲法の問題です。体制選択論にはっきりとピリオドを打つべきです。村山首相の国会答弁、94年9月の社会党大会における新しい路線の承認により社会党側からは一応の決断がなされたわけです。この点では、長年社会党なり革新政党を支持してきた方々には様々な違和感があると思います。

 社会党という政党はごくごく最近に至るまで自分たちはまじめに政権を取るのだという気持ちを持っていなかった。向こうから政権が転がり込んできた。社会運動なり学者の議論(憲法学者の理論)では、たとえば自衛隊は憲法違反だからやめるべきだということをいうのは簡単です。しかし、いい悪いは別として自衛隊はここまで大きな組織に発展してきた、さらには、各種世論調査でも国民の大多数が專守防衛という枠内で自衛隊の現状を承認するようになってきた。そうした中で、自衛隊を無くす方向で頑張るというのはなかなかのことではない。政治の世界では出来ない理想を唱え貫くことは、場合によってはきわめて無責任な結果を生むわけです。自分たちが政権を取って予算や法律を造り替えることによって、自衛隊を憲法に掲げる理想の方向に近づけていく発想をとるのが政党であり政治家ではないか。

 どう憲法を読んでもああいう巨大な軍隊組織を日本国憲法が是認しているとは思えません。しかし、この自衛隊を造り替えるときに、どうやって憲法の理念に近づけていくか、実現化プランを持たなければしょうがない。現状としての自衛隊ひとまず受入れ、それをリストラする方向で具体的議論を出していくのが政党としての責任ある発想ではないか。

 村山氏がAWCSも買い。シーレーンも結構だといったのはちょっとこれはという気がします。より憲法の理念に近い自らの代案というのは、これを示さなければならない。今回の社会党の政策転換の一番の問題点は無節操に自衛隊を合憲にした点にあるのではなく、自衛隊を承認したことで議論がストップし、これから中長期的に自衛隊をどうやって変えていくかとうい前向きの議論が見えてこないことにあります。

 冷戦構造の崩壊から数年たち、先進国の軍隊はどこも、非常に大きくリストラをしています。大きな敵がいないことを前提にして、通常兵器でも軍縮を図る、あるいは地域紛争への対応、秩序回復へ求めています。日本の自衛隊はソ連を仮想敵として大きくなってきましたが、冷戦の終結、ソ連邦の崩壊といった劇的な国際情勢の変化があったわけですが、その中で日本の自衛隊、安全保障をどうするかということについて、自衛隊自身あるいは自民党も代案というものを持っていない。

 中期的計画で防衛力整備を進めてきたその惰性でいろんな整備を調達しお金を使っているわけです。だから、逆に社会党の方から敵を想定しない純粋に防御的な組織に自衛隊をリストラしていく。そのためにたとえば戦車なんていらないのだ、海上と航空に集約化していくんだ、兵員を削減していくといった代案提起をやることが十分意味があることです。

 そのことは憲法の理念を捨てることではありません。憲法に抵触するという疑いを残したままで、既成事実を積み重ねてきた自衛隊を、より一歩でも憲法の理念に立ち戻す前向きな作業であるといえます。

 学者の中でも、小数派でも孤立しても最後まで「操を守る」といった人や、現実の政治の中で一歩でも二歩でも今ある制度や組織を良い方向に変えてやることが大事なのだと考える人が出てきました。かつて仲間であると考えていた学者の中でも厳しい対立が起こっています。

A戦争責任に対するけじめをはっきりつける

 自民党の側の問題点も沢山あります。たとえば戦後補償の問題です。歴代の自民党政権が一貫してサボってきたが故に今日どれだけやっかいな問題になったかです。20年前、30年前に決着していれば、どれだけ少ない負担で済んだか。借金を長年ほったらかしにしたために利子が付いたようなものです。自民党政権は、第二次世界大戦の日本の責任に非常に後ろ向きであったことが背景にあります。侵略責任を認めたくないという発想があったわけです。ドイツの様に、早い段階から近隣諸国に対する徹底した謝罪と補償というものを経て西ヨーロッパの一員というものになっていればよかったのですが、日本はアジアの国々から根深い不信感を持たれています。

 戦争の問題をどう総括するかは、戦後の民主主義をどう評価するかと繋がっています。自民党も過去の反省をはっきりとすべきですし、「自主憲法」の旗を下ろすべきです。冷戦構造の中で、「反共」ということを言ってきたわけですが、それは今は錦の御旗ではなくなりました。憲法でいっている、民主主義や人権や平和主義についてきちんと正面から是認するという対応が必要です。 自民党・社会党の今の政府で戦後処理について最終的な決着をつける。それによってアジアの人々から信頼を勝ち取るということです。その前提条件なしに国連の安全保障理事会の常任理事国になるなどということは不可能です。

(2)改革の原点について再認識する

 「非自民」の大義は廃れてはいません。細川政権が初心で掲げていた改革の原点をもう一度確認することです。自民・社会・さきがけの政権協定の中には、地方分権基本法をつくるとか、機関委任事務を廃止するとか、補助金の一般財源化を進めるとかの項目があります。また、国政レベルでも情報公開法を早期に制定するという項目もあります。日本の政治をだめにしてきた官僚支配、あるいは地方の活力ある自治を妨げている集権構造・規制を徹底的に変えていくのだというをことを表向きは掲げています。

 政権の総意として本物の改革の進めていくことがなによりも重要です。残念ながら政治家の当初の意図とは裏腹に、具体的な政策課題については官僚依存となっています。情報公開法について村山首相は当初積極的でしたが、総務庁の役人が慎重にといえばそうなっていってしまう。規制緩和にしてもなかなか前に進まない。政権与党の中で自民党には、そういう閉ざされた集権構造に乗っかって、長年利益を貪ってきた族議員がいるわけですから、情報公開や分権化に賛成する人間ばかではありません。官僚や自民党のそうした「守旧派」は概ね現状に満足ということになる。

 そうすると政権は表向き安泰ですが、長い目で見れば自民党にとっても社会党にとってもいいことではない。愛知の参議院議員再選挙をみても、非自民の旧連立側が圧勝をしたわけです。村山政権が官僚の既得権や自民党の古い政治家の既得権に正面からメスを入れない、チャレンジしないということになれば国民は野合だと批判し、政権から背を向けることになります。

 もう少し政権の中で波風を起こすべきです。官僚や自民党の一部が反対するような政策課題をどんどん提起していかないと、永田町の中では平穏無事が続いたとしても、それが半年、一年と続くうちに、この政権が国民から決定的に見離されていくという結末を辿ることになります。村山側近の大臣にもそうした感度が鈍いように思います。首相を支える社会党左派といわれるようなお爺さんは非常に頭が堅いわけです。前に進めていこうという意欲・エネルギーが弱いわけです。結局この政権が既得権保護の守旧派政権というように国民から思われてしまいます。

 

V.民主派結集の展望

1.自社の中にあるねじれをどう解消するか=与党内での闘い

@安全保障理事国入り問題と現実的防衛政策

 一方において自民党の中にいる権力欲しさの便乗組をどうやって追い落とすかです。たとえば、国連の安全保障理事会の常任理事国入り問題ですが、結局この政権は理事国になるという意思表示をしてしまったわけですが、その面では旧連立と差がなくなってきたのですが、常任理事国になるとしてどういう理念を持つのか、国連をどう改革するかの前向きの議論をしていかねばなりません。小沢一郎氏の「普通の国家」に対抗する新しい意味での護憲のビジョンを出すことは重要です。

 最近、結局平和を作るに武力ではなく話し合いしかないということを感じさせる事例が沢山ある。たとえばパレスチナとイスラエルの問題にしても、長年流血の対立を続けてきたわけですが、最後は話し合いによる共存しか手はないではないかとなってきたわけです。また、南アフリカのアパルトヘイトの終焉にしても、話し合いによる黒人と白人の共存しかなくなった。北アイルランドもカソリックとプロテスタントが共存して行こうという動きが見えてきたわけです。ハイチに対してアメリカは軍事介入をしようとしましたが、カーター元大統領を特使として派遣し、流血を避けようとしました。

 軍事力は平和を作っていく手段としては限界があるわけです。軍事力に対して日本は変に負い目を負う必要はない、「普通の国家」になる必要はない。ソマリアやルワンダの紛争にしてもあのような悲惨な内戦が起こるのは、常任理事国を中心とした北側の大国が武器を沢山輸出しているからです。米国やロシアや中国といった国はある意味では「マッチポンプ」です。一方で紛争の種を作っておきながら、他方でPKOだとかいうスタンスを採る。これは偽善です。こうした国際社会の現実についておかしいという声をあげることが、日本が常任理事国になる時の役割ではないか。そこで、小沢氏の普通の国家論との違いを描けるのではないでしょうか。

 また、ポスト冷戦時代の日本の防衛・安全保障にしても、仮想敵国のいない世界での自衛隊のリストラや過去の延長線上で惰性で進んできた防衛力整備の抜本的見直しをすることを打出していくことです。

A税制改革

 税制問題でも、消費税を上げざるを得ないとしても、納税者背番号制度を導入するとか、現行の消費税を益税の出ないEC型付加価値税に変えるといった具体的な提案をしていくべきです。

2.政策形成、推進の仕組みをどう作るか=官僚との戦いと協調

 総論レベルでは税制にしても外交にしても対立の軸が見えにくい状況になってきたわけですが、一歩掘り下げるとそこにはやはり対立の軸あるいは選択の余地が出てくるわけです。最近の政策論議を見ていると、政治家が様々なスローガンなりアイデアを示すわけですが、そこでは何がしかの違いが見えるようですが、しかし、いざ、法律や予算なりの次元で具体化しようとすると、新生・公明路線でやろうとしても、自・社・さ政権でやろうとしても出てくるものは同になってしまう。官僚が他にやりようが無いといえばそこで政策論議がストップしてしまうわけです。政策立案機能が政治家の側に存在しないからです。 そこで、今の官僚に対する社会的批判の高まりを利用する手はないといえます。官僚はシンクタンクであり、様々な政策のメニューを用意する。最後に決めるのは政治家であり国民である。これしか出来ないといって定食しか作らないのはいいコックではありません。そのような方向で官僚機構を変えていくにはよほど強い決意が必要です。

3.幅広い多数派結集に向けて

   浮上する三極構造

             新 生 党

 

  自       官         J C 民

            電力   鉄鋼 自動車

  民  全逓 自 公   情通  電機       造船 社

    治   私鉄       金属機械 化学

  党  教組 労 労       中小連協    繊維 党

 

             社 会 党

 

 政党レベルでは、自・社・さ対旧連立という対立になっている。これに対して労働組合がどう対応するかは非常に頭の痛い問題です。この政党レベルの対立の軸はある意味で、連合の中にあるある種の矛盾の反映ではないかと思います。800万連合といっても一枚岩ではない。1つは鉄鋼・自動車・電機を中心としたビックビジネスの労働組合、もう1つは自治労・教組の官公労、そして中小企業を中心とした労働組合です。

 輸出で稼いでいる大企業の労働組合にとっては円高は頭の痛い問題です。そして、自由貿易体制・特にアメリカとの関係を維持していかなければなりません。「規制緩和」を徹底し大企業がもっと自由に活動できる環境を作っていきたい。この意味では組合も経営者と同じ利害を持つわけです。大企業の組合員はけっこう豊かな生活をしており、税制論議にしても累進課税をもっと緩和する、穴埋めは消費税率を上げればよいという考えです。金属労協を中心とする組合が新生党等と親近感を持つのも自然ななりゆきです。官公労は徹底した規制緩和は歓迎しない。役所は規制で成り立っているからです。中小企業の組合は政治的代表者を持っていない。大手と中小では年収も大幅に違い、年収800万円から1000万円の所得層をターゲットにした所得税減税などというのは減税でも恩恵でないわけです。

 この際、連合は労働者の利益はいったい何なのか、労働組合としていかなる政策や制度を要求していくのかということについてきちんとした議論をすべきです。これまでは800万連合を作り労働者の力を強めようということで、労働者間の差異に目を向けてこなかった。こうした差異について、たとえば年収800万円とか1000万円とかの所得層の利害を、連合の主張としていうことが正しいことかどうかは必ずしも自明ではありません。

 長年の腐敗の温床となってきた運輸省などの許認可はもっともっと少なくしてほしいですが、世の中に完全な自由放任の市場経済などはありません。ヨーロッパでもアメリカでも規制は残っています。アメリカでは小数者の人権を保護する雇用に関する規制(アファマティブアクション)があります。黒人や女性など小数者を雇えという規制は日本以上に厳しい。一部の学者や政治家はどんどん自由化して規制をとっぱらってしまえという極端な議論をしています。どの範囲を規制するかが本当の争点です。儲かる企業がジャカスカ儲けて後は弱肉強食というような経済を作っていくことが労働組合の主張であってはならない。

 地方の利益を全く無視して地方で働く基盤を淘汰してしまうことが本当にいいのか。最近の政策論議では労働者のイメージが偏っている。東京のビッグビジネスの労働者の声が日本の全体の労働者の声ではない。農業や円高で競争力のなくなってくる産業を全て淘汰してしまう政治とはいったい何かということです。規制は全部いらないといってしまえば、政治はいったい何をするのかという根本的疑問に突き当たります。労働組合の中で、労働者として掲げるべき利害や主張はどんなものかをきちんと議論してほしい。何党と組むかはその後に来るべきです。

 組合自体も丸ごと社会党とか民社党というような展開を辿るべきでありません。政党も大きな政党へ向けた淘汰が進むことはやむを得ないが、その中で働くものの利益を代表する民主的で公正な政策を出す政党をどうつくるかです。

しかし、政党の結びつきや再編成をいくらいってみてもあまり明るい展望は生まれてこない。ここは、次の政党が掲げるべき政策の理念、理想を議論する。今は自社さ対旧連立に別れていても、将来糾合できる基盤を用意しておくことが大事な課題ではなかろうかといえます。

4.地方政治と自社連携

 中央で自社さ政権が出来ると地方政治がますます沈滞化してしまう。オール与党化が進むわけです。地方議会に若くて意欲のある議員を送りだす。あるいは将来国政に備えた人材をリクルートしていくことが大事です。

 最後に選択するのは国民です。常に時の政権に批判の声を上げ続ける。そして、政治家・政党の側に緊張感を高め、国民の期待に沿った新しい政党に向けた動きを進めていくことが我々に出来ることではないかと思います。

 

 

質問  

I  政治改革は小選挙区制だということですり替えられたのでは。

山口 選挙制度を変えることが即政治改革ではないということはこれからも声を大にしていっていかねばなりません。選挙制度を変えることで政治がよくなるというのは幻想です。小選挙区の場合、現職が圧倒的に強くなって新陳代謝が進まないことになる畏れがあります。社会党やさきがけの若手が主張する官僚機構へのチェック、腐敗防止へのきちんとしたルールを作るといった二の矢三の矢を次々と放っていく必要があります。

M  社民リベラルといっても間に合わないのではないか、そこで、今後の新民連の動きはどうなのか?

山口 7月に自治労の国会議員を中心に勉強会がありましたが、その時山花氏も来られていましたが、自民党との緊張を持つという一つのグラウンドを作っていくというのが狙いではないか。旧連立の中でも一・一ラインに必ずしも共鳴している人ばかりではないのでそこへある程度呼びかけることを考えているのでは。

 弱肉強食ではない国家を作っていく、また、中堅から下の勤労者の利益を追求していく、外に対しては物理的なプレゼンスを自省していくということでまとまれば常識的な政党ができるのではと思っています。自民党の中にもそれらに共鳴する人もでてくるわけですから、自社さ対旧連立という構図に流し込むのではなく、もう一回再編の波瀾の場を作っていってある種の糾合の場を作れないかということではないでしょうか。