第8回ちょっといって講座

自主福祉運動と公共福祉の課題

石川両一 龍谷大学経済学部教授

1992年12月15日

於:県民会館305号室

 

はじめに

[80年代から世界的に注目される自主福祉]

[背景]

  1. 福祉国家の危機(財政的危機、公的福祉の歪み、限界)

 公的福祉はサービスを提供する側の都合で彼らを管理して行く。起床時間、食事の時間、入浴時間、消灯時間すべて管理する側の都合で行われ、そこに住んでいる側の自立性とかを大幅に制限するという福祉サービスが行われてきたのではないか。そのことに対して、障害者や老人から痛烈な批判が80年代に出てきた。今までの福祉のあり方そのものをどう変えて行くのかという問題意識が出てきました。福祉というのはある特定の人々に対する限定的なものではなくて、全ての人々が共に暮らして行ける、その支援システムとして福祉をもう一度組み立てようという議論が出てきました。いままでの公的福祉を変えて行く上での自主福祉の果たす役割は大きいといえます。

 「福祉対象者」とは思っていない当り前に暮らしている思っている人々にも福祉のニーズはある、しかし、そうした人々は国の基準から外れる、たとえば家族がいるから福祉サービスを受けられない。国民の大多数が「福祉から空白地帯」にいるんだという問題がでてきました。そうすると自分達は税金という形で福祉の負担はするけれども、「福祉の対象者」ではない。ところが、女性の社会的進出や核家族化の中での高齢者の問題、障害者の問題、育児の問題など人の手を借りなければならない人々が沢山できてきた。そこで、所得の高さに関係なく福祉のニーズが出てきた。市民達の間で、こうしたニーズに応えられるものを模索してきた。そこで、公的福祉のありかたと自主福祉のありかたの関係が問われ出したわけです。

A労働組合運動の行き詰まり

 第2点が労働組合との関わりです。労働組合が何故行き詰まってきたかというのは、様々な原因がありますが、労働組合の元々の原点からかなり界離してしまったのではないかということです。仲間同士の生活の支え合いという基礎が薄れてしまって、国あるいは企業にそういった機能を委ねるあるいは奪われてしまったのではないか。それが、要求組織としての労働組合の弱さをもたらしたのではないかということです。

 「仲間同士の生活の支え合い」という機能をもう一度労働組合の中に作っていかなければ労働組合の再生は有り得ないのではないかということです。

 日常的な生活の支え合いというのは自主福祉ということです。もう一度自主福祉を労働組合の中に捉え直す動きが高まっています。連合が1991年に福祉活動指針を作ったとき、労働組合の基本的課題と位置づけました。

B計画の失敗と市場の欠陥

 第3は社会主義の崩壊ということです。資本主義の欠陥を克服するということで、計画経済が構想されたが、計画経済は中央統制型の統制経済陥り、人々のニーズに直接に応えることができない。参加のチャネル、チェックシステムを欠き、人々の必要な物やサービスを的確に生産し提供するということから考えると根本的な欠陥があるのではないかと指摘されてきました。

 では、市場メカニズムはどうかというと、日本ような地上げに見られるように、営利を第一とした企業に経済活動を委ねるだけでは様々な欠陥が生まれて来る。特に生活の基本に係わる医療、保健、福祉、住宅などではそうした点で問題である。

[自主福祉、協同組合の飛躍の時代]

 あらたな、セクター(第三のセクター)である市民セクターというものが注目されてきました。市民が自分達で必要なものを協同で、望ましい形で提供するために自ら事業展開していくものです。公共と私と第三セクターが相互的な関係を作って行くことが大事ではないかといことです。これは第三波だという人もいます。

 第一の波はロバート・オーエンが1820年代に作った協同と一致の村というものです。その後1840年代に、今の協同組合の様々な原点になっているロッヂデールの消費者生協などがうまれました。そして、80年代に第三世代の協同組合が注目されています。

 協同組合は非常に発展している協同組合と衰退しつつある協同組合に二極分解しつつあります。アメリカの最大の生協といわれたバークレー生協は潰れ、英国のコープもガタガタです。大手スーパーの工場直販などの競争に負けてきています。

 中間マージンを節約してより安く提供するという経済主義的な生協がどんどん行き詰まる中で、違った形での生協が伸びています。イギリスでは1970年代後半から労働者生産協同組合という、お金を出し合い、そこで働いて自分達の雇用を創出しながら事業を展開(ワーカーズコレクテイブ等)する形態が生まれています。70年代後半には300ほどしかありませんでしたが、現在は1万を超えています。

 経済停滞の中で失業者が溢れる。その「失業者を雇へ」といっても企業は雇わない。行政にいってもだめである。自ら金を出し合って自らの雇用を作り出そうという運動です。その時のコンセプトは、社会的に有用な生産やサービスを事業化していくソーシャル・ユーシフル・プロダクションです。これは自治体との提携が盛んです。民間企業に雇用創出や失業者対策などを依存するわけにいかない状況にありますから様々な試みに対し援助を行っています。ロンドンでは年間40億円程度出資をしたり利子補給をしています。

 イタリアではサードアビタリアという注目されている運動が広がっています。中小企業とか個人商店とか協同組合といった小さい規模の事業体のネットワークを作ることによって、地域における産業、社会、生活を安定的にしていこうというものです。イタリアのレガという協同組合が関わる中で非常な発展を遂げています。スペインのモンドラゴンの協同組合も有名です。

 アメリカではNPOという非営利的組織があります。900万人の専従職員が働いています。その周辺に数千万人のボランテイア組織・非賃労働の稼ぐことが目的ではない形で労働に参加する人々がいます。これに注目したのは有名な経営学者のドラッガーです。非常に熱心に非営利的組織の研究をしていて、日本でもダイヤモンド社から「非営利的組織の経営」という翻訳が出ています。それによると、「行動の中心でありアメリカ市民の生活の質そのものである」と述べています。「アメリカにおける人と社会を変革する主体である」という捉え方をしています。

 

T 自主福祉運動、事業とはなにか

 なぜ、飛躍的に発展している協同組合と行き詰まっている協同組合があるかですが、日本でも班組織を基礎にした共同購入の生協が伸びていますが、そのことも注目され、10月に東京ではじめてICA・国際協同組合の大会が83ケ国が集まって開かれました。協同組合、自主福祉の存在意味と存在基盤を何に求めて行くかについて議論が行われました。しかし、日本では、自主福祉について理解されていないのではないかということです。

1.協同の力で自主解決していく運動・事業

 労働者市民が生活して行く上で様々な困難や不安にぶつかりますが、あるいは自分達はこうゆうことをしたいという生活ニーズがあります。これを解決する基本は自助努力です。個人や家族のやりくりだけでは如何ともしがたい生活課題は沢山あるわけです。個人レベルでは解決できない生活課題に対して、職場や地域で相互扶助を組織化して事業化していく、そして、この生活課題に協同の力で自主的に解決して行く運動体と事業体を協同組合と呼ぶわけです。その活動領域は労働者市民の活動領域全てに関わっています。自分達の生活をエンジョイする。あるいは豊かなゆとりある生活を作り出して行く領域までこの活動はあります。

 労金は労働者個人の金融ニーズを満たすというだけではなく、様々な自主福祉事業体の金融センターの役割を果たすものとして位置づけられているはずですが、そいう金融機関には育っていません。

2.2形態の自主福祉

@組合自ら行う 組合員福祉

 労働組合自らが行う対象は組合員です。組合の仲間の中での生活の支え合のシステムです。日本ではこれは非常に貧しく、慶弔見舞金程度のものであり、ようやく単産共済という形の福祉共済が出来上がりつつあります。

A独自の事業体が行う 労働者、市民自主福祉

 労働組合とは独自の事業体で展開するものを労働者市民自主福祉と呼んでいます。全労働者市民を対象とするものです。労働金庫でも全労済でも5000万人勤労者を結集するといいますが、そういうものでなければ、こういう事業体の意味はありません。現役の労働者・組合員だけではなく生涯的な生活を保障するものとして事業展開をしていくということもありますし、市民を含めた事業展開も不可欠です。

 市民の大多数は労働者であり、市民のニーズと労働者のニーズも失業とか労働災害、労働争議とかを除きほとんど一致しており「労働者」自主福祉という労働者という冠をつける意味はなく、もう少し幅広い基盤に立ったほうがよいといえます。その意味で「労働」金庫とか全「労」済も名前を止めて、たとえば「市民銀行」「ふれあい銀行」と名前を変えたらどうかといっています。

 

3.生活を守る、安心とゆとりのある暮らしの実現をめざす2つの道

@要求運動

 我々が生活を守る上では2つのルートがあります。生活課題を解決するために、行政や雇主に対して要求をする、やらせることです。取る運動といえます。自分達の生活保障を政府や行政、企業にやらせる運動で、それを通じて我々の生活保障を実現して行くルートです。団結の効果による生活保障と呼べます

A自主福祉運動(みずからやる運動)

 自分達自らが生活を守り合う仕組みを作る運動があります。相手にやらせる運動と自らが取り組む運動が有機的に結び付いて我々の生活保障が実現できるといえます。自ら生活保障を作り出す運動を共同の効果による生活保障と呼べます。この上に労働者政党を入れれば、労働運動の三身一体といえます。ところが、こういう考えは理屈では分かっていても、実際の日本では定着しませんでした。

B日本の組合運動の歪み

 日本の組合運動はもっぱら取る運動に、相手に我々の生活保障をやらせる運動に終始してきたといえます。自主福祉はあくまでマイナーなものと位置づけられてきました。しかし、要求闘争は相手があることです。相手がいやだと、不況だと言えば要求は実現できません。実現できなければ文句をいうだけ、「経営者が悪い」というだけになってしまいます。それでは、一般組合員から見た時に、「労働組合はいろいろゆうけれども、何だ結局頼りにならないのだな」ということになります。そういう意味で労働組合はもう一度、自分たちの組織の内部に生活を支えあうシステムを作っていかなければ、現代において存続することさえ難しくなってなってきているのではないかといえます。従来のスタイルだけでは労働組合員からも魅力ある組織とはなりえない。そこに労働組合の現在の行き詰まりや労働組合運動の魅力のなさ、求心力、結集力の低下があります。

C組合論の歪み

 日本の労働組合の捉え方に歪みがあった。戦前には仲間の中で生活を支え合う取り組みを非常に重視してきました。戦後新たに労働組合が作られましたが、内部で生活を支え合うというものが消えた中で、民主化の過程でGHQから上から労働組合が作られました。その前に労働者政党が作られました。これが前衛という組織で、左翼と呼ばれた人達は労働者政党が前衛であって、労働組合は労働者政党の予備教育、活動家のプールとしてしか捉えられてきませんでした。この労働組合ができてから協同組合が生まれてきました。労働運動に奉仕するものとして、兵担部という考えが非常に強く、労働者政党や労働組合は最前線で、この最前線を後ろの方で支える俵糧や武器を渡したりするものとして位置づけてきたわけです。労金も全労済も労働組合の従属物という考えが非常に強い。独立したものとして、自主福祉が労働組合の基本的な課題として位置づけられてきませんでした。

 ヨーロッパの労働組合は協同組合、友愛組合から出発しました。まず、自分達の内部で支え合う仕組みを作ることから出発し、要求する運動へ、労働者政党へと発展したわけで、日本とは全く逆です。

D福祉概念の歪み

 日本の福祉という言葉、イメージに大きな問題点がありました。もともとウェルヘア(Welfare)という英語の訳から作られた言葉です。福祉は「福賜」と書かれました。天皇が慈愛深く、かわいそうな人々に対し福を施すと捉えられたわけです。戦後、今の「祉」に変わったわけですが当て字であり何の意味もありません。

 社会福祉の国であるアメリカは、低所得者への生活保護などを主軸としており、戦後、日本でもGHQの下、低所得者、貧困層、母子家庭、障害者に限定した形で、生活保障を行うということで出発しました。

 そこでは、福祉は当り前に働いている・暮らしている人々とは関係の無いものとして、疎遠なものとして出発しました。福祉充実といいますが、その中身はかわいそうな小数の人々の保護策、措置として考えられてきた。しかし、福祉は英語ではウエルフェアといいますが、wellbeing「よりよい生活状態」という意味であり、古い共同体の中で地域で共に生活を支え合う営みの概念です。日本においてはそういうものとしては定着してきませんでした。元気な人達は福祉の対象者にはなりたくないという意識が強いわけです。福祉の対象者となることは恥ずるべきこと、老人ホームに親を預けることは親不孝だというイメージなのです。

 そこで、ウエルフエアの原点ともいうべき、よりよい生活の為に地域の共同体で相互扶助するということ、公的福祉はそういう市民の共同の街作りを支援するものとして、福祉を再編すべきだと思っています。古い共同体にあった生活を支える組織が、商品経済の中で共同体が崩壊する中でどんどん薄れて行く、国と企業がそれに取って替わったわけです。その意味で行政は市民の生活保障をやるよという旗印を獲得したおかげで、市民の支配の道具を手にいれたともいえます。国や自治体の福祉は一方で市民の暮しを支えるものですが、他方市民の生活を管理して行く機能もあります。公的福祉が市民の管理の道具としてではなく、市民の生活支援システムとして機能させて行けるかが問われています。公的福祉を変革させて行くためには、公的福祉と自主福祉の共同、提携が必要です。

U 自主福祉の5つの意義

1.生活課題の自主解決

 個人では解決困難な課題を共同の力を組織化することによって、自らの生活保障を作り上げて行く運動と事業です。

2.労働組合の団結、結集力の源泉

 生活を支え合う運動と事業こそが、労働組合の団結と結集力の源泉になるということです。支え合の中で仲間意識が生まれるわけです。労働者は仲間だから団結しようというわけですが、そう簡単には仲間にはなれません。同じ立場であることはまちがいありませんが、同じ立場であるということは競争相手であるということです。自分が雇われることは他の人が雇われないということでもあります。出世するということは他人はそれにはなれないということです。労働者は生きていく上で仲間と競争し、その競争に打ち勝つことによって生活を向上するという道をとるのか、仲間と生活を支え合っていって、生活を向上していく道をとるかです。どちらがベストなのかを学ぶわけです。その学ぶ過程が自主福祉の営みです。たとえば、失業にさらされた、あるいは怪我をしたという危険にさらされた仲間を支えると言うのは、赤い羽募金の様なかわいそうな人を助けるというのとは違います。その人達を助けなければ、生活が苦しいわけですから、もっと安い賃金で働くよということになります。放置して置くと自分の生活が危ないことになります。自分の生活は仲間によって支えられている、自分の生活を支えるためには仲間の生活を支えざるを得えないということを学ぶなかで集団的自助を身につけていくわけです。それをベースに団結とか連帯が生まれてくるわけです。

3.具体的な組合機能と深く結びついた自主福祉の展開

 組合外の様々な活動と自主福祉は結びついています。日本では企業別組合で企業から退職したらほとんどやられてはいないわけですが、ヨーロッパでは失業した組合員も労働組合員として登録されます。職歴、技能、知識なども登録され、どういうところへ就職したいのかを調査し、一方各企業の組合員からはどういう人を求めているかの情報を集め、就職斡旋をし、失業期間中の生活の面倒をみるわけです。日本では雇用保険は6割ですが、家族を抱えていると生活は苦しいわけで、ヨーロッパではこれに労働組合の共済から失業手当が支給されています。

4.闘い取ったものを有効に使うための事業としての自主福祉

 闘い取った物を有効に使うための自主福祉です。同じ賃金でも中身を決める。安くてよいものを手に入れる。それが実質的賃上げになっていくわけです。良質の住宅の供給など、事業展開をやって、せっかく闘い取った物を有効に使う受け皿を作っていくことです。。時間短縮で増えた自由時間をどう使うかでも、ホテルへ泊まっても高いというのでは利用できない。残業していた方がましだということになってしまう。、安い、様々な仲間が気軽につき合える場、コミュニテイーを作り上げることも役割です。

5.社会保障の水準と質は自主福祉の質と水準を左右する

 自主福祉は国の社会保障の補完物、肩代りではない

 社会保障の水準と質は自主福祉の水準と質に左右されるわけです。自主福祉でいっしょうけんめいやっていくと、国がやるべき行政がやるべき福祉サービスを肩代りをすることになる、国や行政は福祉サービスをサボタージュするのではないかという議論があります。それは違います。我々自身が不十分ではあれ生活を支え合う組織を作ることが国や行政や企業はそれよりいいものを作らなければ行政や企業の方を向いてくれない、政権を維持できないわけです。

6.なぜ、イギリス、スウェーデンでは社会保障が充実しているのか

 ヨーロッパは福祉が充実しているといわれますが、その背景には労働者、市民が生活を支え合う組織をかなり強固なものとして持っているからです。イギリスが社会保障を確立したのは、第二次世界大戦中のベバリッジの社会保障プランとして出てきますが、ナチスドイツとの戦争の中で労働者、市民を戦争に協力させようということでした。国を守れといったときに、この国は守る価値があるのかという問題が出てくる。国は何もやっていないではないかと。ベバリッジはナチスをやつければ国は社会保障を充実するというプランをだしたわけです。イギリスの労働組合では組合費の3割を自主福祉に充てています。日本の場合は半分が人件費で、残りを会議費等に充てていますが、自主福祉のために充てているのは数パーセントに過ぎません。労働組合の中に生活を支え合う組織を作っています。だから、それ以上にいいものをつくらないと、戦争に協力させられない。スウェーデンもそうです。労働組合の組織率は8〜9割で、それをバックに協同組合セクターがある。

 KFは消費者生協です。16.3というのは全小売業に占めるシェアーです。協同組合は日常的に根付いています。HSBは借家人の住宅協同組合です。SRは分譲型の協同組合で、住宅着工件数の1割を占めています。スウェーデンは工場が移転し空き地ができる場合、自治体が先買権を持っています。市が都市計画で住宅を建てようという場合、自治体が買い上げ、住宅協同組合に安く払い下げます。ホルクサムは日本の全労済に当たります。労働組合に加入すると、ホルクサムに自動加入することになります。

7.日本 要求するだけ 文句はいうが結局、政府・企業に頼る体質

 福祉サービスは公務員が直接やるべきだという議論がありますが、市民も行政依存型になる。スウェーデンなどでは、行政も一種の協同組合だという考えがあります。行政に税金とい形で支払われるが、市民によるチェック機能もある。日本の市民は「税金は取られる」という意識である。税金は高いといいながら、何に使われているかをチェックしない。

 福祉は公的責任でやるということにはならない。市民福祉の経験と風土をつくりあげていかない限りだめではないか。公的福祉と市民福祉の在り方を考えていく必要があるのではないか。

 地域生協が食品の安全性や無農薬野菜などを提供する中で、民間企業も変ってきている。カネテツフーズなども無添加物の食品を売出している。行政の在り方と企業の在り方を変える。

 

V 福祉の転換と自主福祉への新たな関心

1、高齢化社会、少産社会の衝撃と政府の福祉政策の転換

 80年代の行革で切り捨てられた福祉が、予測を上回る形での高齢化社会・超高齢化社会が到来するということで、厚生省を中心にしながら、「」つきではあるが、検討がはじまった。これまで、国の基準が一律に作り、基準に合わないものには補助金は出さないということでやってきました。それを、福祉サービスは地域のニーズを具体的に捕まえて、必要なものを必要な時間帯に、必要な場所に、必要なサービスを提供する、地域でなじみの人々と暮せる在宅福祉ということで、国の基準から、自治体に責任がかかることになってきた。

 89〜90年にかけ老人福祉10ケ年計画が作成された。これを本物にするかどうかはこれからの課題です。

 日本では寝たきり・痴呆性老人の問題が深刻で150万人もいる。将来、団塊の世代が老人になるころには300万人になるといわれる。日本では寝たきり老人が異常に多いことはわかりきっている。特別養護老人ホームに収容される寝たきり老人の発生率はヨーロッパの10倍、在宅での発生率は3〜4倍あるそうです。これは、一定のハンディを背負った老人たちが安心して出かけられる街作りが出来ていないこと、家の中でも段差等が在り安心して暮せないことで寝かせっきりになっていることに原因がある。施設でも職員が足りないので、ベッドに縛りつけている。

 そこをどう変えるかということで、10ケ年戦略が出来、1993年度までに老人福祉計画を作ることになっている。これで、福祉ニーズの把握と目標値を計画することになっている。ところが、自治体ではとまどっているというのが実態です。従来は自治体は様々な要求を出してきたが、厚生省の基準があるので、それで押さえられてきた。ところが、10ケ年計画が出来て反対になった。要求を出せといっているのだが、自治体は思うように動いていない。ホームヘルパーにしてもデーサービスにしても各年の目標値を下回る結果となっている。国主導に慣れてしまったのではないか。

 歩いて行ける程度の基礎生活圏に、サービスセンターがある、ショートステイがある。様々な高齢者の支援センターを作らなければならない。そのためには、在宅福祉サービスなどをしいている市民セクターとの協力も必要である。そうしたことによって、管理と選別の公的福祉を変えて行くことです。スウェーデンではコンミューン(3〜4万人の中学校区単位程度の自治体)に具体的決定権限がある。施設では管理者の都合で管理が出来るが、個々人の具体的なニーズに対応していくには、保健・医療・福祉のトータルなネットワークを作っていく必要がある。

2、労働組合の停滞からの脱出の模索

 賃上げをして可処分所得を増やし、生活向上をするというのが、これまでの労働組合のやり方でした。しかし、そうした個人所得を増やすと言うだけではだめな生活問題が出てきました。公害問題、環境問題、福祉問題、教育問題等々です。いくら賃金を上げても年老いた親が寝たきりになってしまったのでは金ではカバーできません。あるいは自身が病気になる。環境が汚染されるということになれば、金だけでは解決できません。このことについて、労働組合は、重要なことと認識しつつも具体的に実現するための組織を作ってきませんでした。高度成長期の認識としては元気な労働者を対象とすればよかったので、失業者や現役を離れた人達には何もしてきませんでした。労働組合は自分の力で働ける能力を持っている人達にはいろんな形で関わってくれるが、自分が本当に困った時には労働組合は頼りになる仕組を持っていなかったわけです。

 元気な労働者だけではなく、生涯的な付き合いにコミットできることが重要になっている。なぜかといえば、かつては15、6才で労働者になり、65才ぐらいで亡くなるというのが、生涯のパターンであり、労働組合の組合員という概念とそれほど中身は違っていなかった。ところが、現在は20才で労働者になり、ホワイトカラーの場合は40才で管理職になり組合員でなくなる。労働組合は生涯の内20年程度しか関われない組織となっている。管理職、定年になっても生活保障を担える組織作り、もう一度内部に生活を支え合う組織作りが必要となっている。そういうものを持たない組織は独自な生存基盤を持たなくなるだろうと思います。

 連合では「福祉共済活動指針」を出し、「連合連帯共済」を作ることになった。これまで、官公労を中心に民間も含め44単産が大型共済を持っている。しかし、中小の単産はこうしたものがないので、今回全労済の「こくみん共済」の1/2の掛金で連帯共済を作ることとなった。これには未組織労働者も個人加入で共済会を作って入れていくこととしている。

 江戸川ユニオンでは、労働相談と万が一の生活相談をやっています。また、民間の組合では退職を迎える組合員に奥さんも呼んできて、退職準備セミナーとかライフプランセミナーをホテルで開いています。現在の資産はどれくらいあって、借金はどれくらいあって、退職金はどれくらいで、年金はどれくらい出る。そういう中で生活設計をどうしていくか、健康管理、第二の人生をどういきるかといったセミナーです。こういうところへ、労金のFA(ファイナンシャル・アドバイザー)が出ていって相談にのる、全労済は暮らしの保障アドバイザーということで熱心に相談に乗っています。

 遺児育英基金として、組合員の遺児に奨学金を渡していく制度、介護婦やホームヘルパーを組合員が雇う場合の金銭的補助をする。また、シャープ労働組合では多目的リーゾトホテルを作ることなどもやっています。

 こうした、組合員対象の事業ばかりではなく、環境保護や国際連帯基金や障害者の為の福祉基金などが取り組まれています。有名なのでは日産労連がチャリーティキャラバン隊として、環境、福祉、献血など様々な分野で活動しています。また、松下労働組合はアジアに井戸をということで、16の井戸を向こうで掘っています。実際に行って手伝うということもしています。松下電工労働組合では中国語相談ダイアルを事務所に設置しています。中国の人を相談員として雇い、弁護士を含め、留学生・中国人労働者の相談活動をしています。このように、いま労働組合は社会的意義ある存在となるように努力しています。

3、自主解決型、生活創造型市民運動の飛躍的発展

@生協運動

 同じ自主福祉でも、市民型の自主福祉に地域生協がある。

 70年ごろまでは行政を批判するというのが中心であったが、運動の成果が上がらなかった。結果的に行政依存型の市民運動を作ってしまった。労働組合より少し早く80年代より自主福祉の新たな運動展開がはじまった。1200万人を組織する生協は労働組合を抜き、日本最大の大衆組織となっている。3兆円の売上をもち、小売のシェアは2.6%になっています。

 自主運営型の無店舗生協は106万班・600万人の組織となっている。最初の地域生協は安全な牛乳を家族に飲ませるという運動から始ったが、共同購入という狭い枠を越えて、経済的損得ではなく、安心できる暮しを自分たち自らが作っていくということで発展してきました。そして、いま福祉、保育所、環境とかワカーズコレクティブといった形で多面的に発展しています。

 在宅福祉では、1983年にコープコーベは助け合いの事業化を始めた。在宅福祉では91年現在で、全国で55事業体を生協で作っているが、他に独立の事業体が91ある。行政関連の社会福祉協議会の事業主体が50しかないことと比較するとその大きさがわかる。

 女性たちが自分たちの協同の力で安心できる地域システムを作っていこうとしています。 

A生協運動が直面する課題

 ところで、現在の形態の生協は早晩行き詰らざるを得ない。ヨーロッパの巨大生協が行き詰ってきていることと比較して自分たち自らをどうするかです。

 女性が働き続ける社会となると、専業主婦のみを対象とする班編制による無店舗販売の形態では生協の存在意義はない。働き続ける女性も運営に参加できる生協をどう作っていくかが求められている。そこで、働き続ける女性・男性たちも参加できる店舗展開が必要となってきました。4、5年前までは生協店舗はは毎年10〜20店舗しか作られていませんでした。それが、91年は70、92年は100以上作られています。

 また、生協の売上は伸びているが、1人当たりの売上高は横バイとなっている。これは、牛乳や無添加食品等魅力ある商品が限定されて、他のスーパーと同じ様なものを取り扱っているからです。私の妻などは4つの生協に加入して、それぞれの生協で魅力ある商品を選択しているほどです。生協はスーパーとそれほど変らなくなってきている。大規模店舗法が改正となったので、今後、小売業界の競争は益々しんどくなる。皆の健康とか暮らしやすい商品、魅力ある独自商品を開発・供給しなければ、無店舗販売による中間マージンの節約だけではだめです。

 生産し、流通にのせる、生産組合、ワーカーズ・コレクティブの生協運動の展開が必要である。この場合、こうしたところへの事業融資の問題、地方の地場産業との提携が必要である。地方の生産組合と提携して都市部に供給していく。コープコーベではこれに本格的に取り組みだしています。村おこしの地場産業と提携して、そこに労金の融資や自治体の融資をからませ、トータルな生産、流通、消費、廃棄の体系を模索中です。

 

W 自主福祉と公的福祉の課題

1、公的福祉と自主福祉の疎遠な関係の終

 公的福祉と現役の労働者を対象とする自主福祉とは、領域的にも、論理的にも共通の場がなかった。公的福祉は超高齢化社会を迎える中で、現役の労働者からも福祉ニーズが出てくるのでコミットする必要があるという点から、また、自主福祉は労働者によりよい生活を援助するということから、生涯のトータルな安定した生活を保障するという観点から両者の融合・結節が求められる時代となっている。

2、暮らし社会をつくる主体は市民、自治体はそのための事業体

 暮しと社会をつくる主体は市民で、自治体は事業主体だということです。自治体は税を出資し、首長や議員を選び事業運営にタッチしていくことができれば、自治体そのものが協同組合になる。

 しかし、自治体はまだ社会に根付いていない。課題は市民の質と生活の在り方を変えることです。物・金・サービスを媒介にしてネットワークをつくること、協同の力によって、安心できる暮しを作る経験が欠如し、自信がないから行政依存、企業依存となっている。不十分だが、こうしたネットワークづくりによってこそ、はじめて行政には公的責任を、企業には社会的責任を付きつけていくことができ、より良い関係を作っていくことが出来るといえます。 

3、自主福祉事業体の課題

@自主福祉事業体間の協同提携

 労金は金融事業主体としてあるが、内実はほとんどない。労働者・市民の生活にどれほど役に立つ事業展開ができるかが問われている。

 誰の目にも実感できる、自分の金が誰に預けようが関係なく、都市銀行に預けて土地の地上げ資金となって、自らのマイホームの夢を砕く状況と労金は違うということを見せねばならない。有効に資金が生活と福祉に役立ち事業展開するよう、いかに役立つように運用される仕組をつくるかです。

 全労済は金銭給付だけでなく、生活保障、人生設計運動として相談にのる事業主体にならねばならない。介護労働者の派遣などの人的サービスの総合福祉化が求められています。

 消費生協は生産、流通、消費、廃棄のトータルなネットワークを作ることとです。これを、行政の縦割りと同じような各事業主体がバラバラにではなく、統合化と体系化を図ることです。 図3はイタリアの地区労働会館の見取図ですが、各事業主体の共同の店舗と事務所になっている。これが、3〜5万人の地域毎に1箇所づつある。消費生協があり、そこへ買物に来た者が労金に立ち寄り、労働組合の地区事務所に顔を出し、全労済を利用する。旅行生協がある。住宅生協もある。高齢者を中心とする援護協会(これは、行政のサービスをかみ砕き相談に乗る組織であり、不満がある場合には訴訟したり、代理人になって行政と掛け合ったりするチェックシステムでもある)もある。税金相談の窓口、医療、文化の部屋、チルコロという飲み屋もある。こうして、ほとんどのものが同じ建物に入っており、生活のニーズに間に合う。こうした建物が各地域に在りコミュニテーの中核として存在している。

 各事業主体が現在のように店舗をバラバラに設置していたのでは意味がない。毎日の商品を置く消費生協の店舗の横に金融ニーズを満たす労金があり、生活保障の全労済があり、高齢者の相談室があり、飲み屋があり、文化サークルの集会室がありというものにしなければならない。

A豊富な資金を活用した目に見える福祉事業への融資、運営

 現在の余剰金をプールし、労働組合のみの単一目的に使用するのではなく、他目的に使うことが重要です。

 労金には7兆8千億円の資金がある。しかし、預貸率は50%しかない。約4兆円の余裕資金がある。これを株式投資などに使ってきたが、有効に使うことである。和歌山労金の場合は紀の国医療生協に融資をし、訪問看護、往診、デーサービス、ショートスティなどの取り組みをしている。また、女性の福祉ネットワークの中で在宅福祉の取り組みもされている。また、白浜病院は国立であったが、これが統廃合されるということで、町と医療法人、労金により温泉療養施設に転換している。宮城県の労福協では特別養護老人ホームを作っている。福井でも1億7千万円の基金があるが、もっと有効な使い方が出来るのではないか。

 老人・女性が共同で暮せるコーポラティブ住宅やウーメンズハウス(自立女性のみで暮す施設)があるが、中には共同で利用できる集会施設や、食事の宅配など、地域に開かれた施設が考えられる。都市部では100坪、200坪の土地を信託してみんなで住めるコポラティブ住宅を作ろうという動きがある。こうした住宅に労金の金を使うのが本当ですが、当時労金はノウだったわけです。そこで、永大信用組合で金を借りてやりはじめたわけです。

 和歌山労金では、フットワーク和歌山分会が花園村の廃校のあとに年をとっても付き合える宿泊施設をつくったので、これに労金の融資をしている。こうした、一生付き合える、コミットメントしていける事業展開が必要である。 また、中小企業の福利厚生事業にも融資が出来るように労金法が改正された。これにより、様々な融資ができるようになった。 第三セクターにも融資ができる。医療法人へも融資ができる。宗教法人へも融資ができる。労働組合のやる事業とか子会社が行なうライブハウスにも融資ができるようになった。

B個人還元より社会的集団的還元の重視を

 労金、全労済と共同の力で様々な余剰資金の果実を社会的に使うことが可能です。全労済は350億円を個人へ返しているが、それをプールすれば様々な事業ができる。財政援助もできる。行政では様々な公共事業があり、環境アセスメントを行なってはいるが、それは公共事業を進めるための免財賦的な色彩が強い。こうした、アセスメントは本来、独立した調査機関ですべきものだが、独立した調査機関を作るには人と金がいる。こうした機関に果実を使っていくこともできます。協同組合の大きな役割、社会的貢献を考える時期に来ているといえます。

 生活クラブ生協などで食事の宅配をするにしても、調理場がいる、食堂がいる場合もある。こうしたことは自分たちだけの金ではできない。こうしたところに果実を使う。神奈川労金ではナショナルトラスト支援に、利子の20%を援助している。

自主福祉事業体は非営利的組織なので自治体と提携しやすい。行政からすれば連携しやすい。公的資金と市民資金のドッキングが可能となる。公的資金を低利で労金が預り、融資することが出来る。利子補給なども可能である。地場産業の育成による地域の活性化も出来る。将来の展望としては、信用金庫、農業協同組合、郵便局を含めこうした金融機関の資金が中央に吸上げられて財政投融資などに使われるのではなく、地域に融資され、地域の金融機関に衣替することも出来ます。

 金と人とノウハウは多くある。

C地域に埋もれている福祉資源を発掘し有効に活用せよ

 ディーサービスにしても、現在ある公共施設は沢山ある。旧い学校、給食センターが空いていればそこで食事宅配サービスの拠点とすることも出来る。幼稚園や保育所も利用できる。縦割り行政をどうするかという課題はあるが、保育所は幼児を預かる場所だけではなく、老人福祉サービスに乗り出すこと出来る。ある保育園で地域の老人に週1回の食事サービスをしていたところ、それが評判となり週2回、3回へと増え、独自の事業展開へ進んだところもある。単一目的の公共施設を多目的に替えることである。行政がやるとすぐ大きい施設というが、そんな大きなものはいらない。ショートスティ、医療サービス、労働会館、婦人青年会館等多目的施設とすればよい。

 こうした施設は地域には沢山ある。個人病院なども、人手がなく、外来はしているが入院施設は使っていない場合が多い。こうした施設でショートステイが出来る。福井は浄土真宗などのお寺が多いが、寺は土地は広いし、建物は大きいので、コミュニティーセンターになる。労金は宗教法人に対しても融資ができる。

 マンパワーの場合も新しい働き手の模索中ではあるが、コーディネーターは公務員だが、家事援助者は短時間勤務者でも十分出来る。岡山では、川崎医療福祉大学と提携して、介護福祉士とか様々な研修を受けさせ、マンパワーを育成し、24時間の派遣サービスを行なう人材を養成している。介護課程をつくり、大学も社会的貢献をする時代である。地域でそういう介護、地域の研修をしていくことによって、埋もれている金、人、物を発掘していくネットワークづくりが大事です。

 

◆◆◆◆◆◆講師のプロフイール◆◆◆◆◆◆

いしかわ・りょういち

 1977年、大阪市立大学経済学部博士過程卒、現在龍国大学経済学部教授 大阪市政調査会理事。著書に『労働者世界を求めて』などがある。