第5回 ちょっといって講座

新時代を迎えた女性労働 均等法後の職場・家庭・子育て…

金谷千慧子女性問題研究家

1991年6月29日   於:生協会館

 

 

はじめに

 私は1979年にソ連にまいりました。社会主義とはどんなのか、革命の地を尋ねようということで、一番最初に海外に出たのがソ連でした。私たちの若い頃は、社会主義と言うのはそれ以外に女性が解放される道はないと学んできたわけです。ところが、ソ連へ行ってから労働者階級が主人公になれば女性が解放されるというのは本当かなと思い始めました。確かに女性は皆働いていますし、母性に対する保護、子供に対する手厚い保護は行届いています。しかし、5時になって帰宅するため勤務先のドアを開けたと同時に大きなビニールの袋を出し、キオスクなどに買物に出かけるわけです。その風景を見て、夫達は全く何もしていないことがわかりました。ソ連では女性の方から離婚することが多いわけです。離婚する理由は夫が何も家事をしないということです。法律上いろんな制度が出来ても、家の中の女と男の関係は革命と法律では巧くいかないのではないかという疑問でした。

 私は、家を留守にするとき、最初の頃は子供の事を理由にして出かけました。食事などは献立を書いて子供に教えて行きました。ところが、帰ってみると外食ばかりで献立はふっとんでいました。失敗の原因は、夫にちゃんと教えて行かなかったことにありました。結婚当初は家事をどうするかだけで喧嘩していたようなものです。私たちは結婚のときに、家事の分担について皆の前で宣言しました。しかし、これでは全く不十分だったわけです。掃除・洗濯はしなくても死にませんが、食事を作らなければ身動きがとれない訳で、その後、夫が家事を、特に食事をちゃんと出来るようになって、随分出やすくなりました。

 

T.女子労働の特質を歴史的にみると

@ 女工の出現した頃

 女性は呼びかたが複雑です。それは女性が様々な形で利用された、女性の生き方がいろんな形で分断されてきたからです。婦人部という言い方は、明治の中ごろから、(女(くノ一)=男の性的対象としてではなく、明治5年に学校教育が始り)ハートを持つ人間として婦人という言葉が選ばれてきたわけです。

 女に対して婦人と言うのは高等教育(中等教育)を受けている、仕事に就いている=職業婦人、家庭婦人と言われだしたわけです。

 1970年ごろから、女性の職業への進出が急ピッチで進み出し、行政の婦人対策課というような窓口も女性政策課に変り、婦人会館も女性センターに変ってきているのが、ここ20年ほどの特徴です。つまり、「仕事を持った職業婦人」「操の正しい家庭婦人」という区別をせずに、女という性を受けたものはいろんな意味での抑圧を受け、いろんな悩みを抱え生きているのだから、みんな一つになろうということで、国連婦人の10年が始る1976年頃より、「女性」という言葉がポピュラーになってきました。

 女子の雇用労働が生れたのは明治5年です。官営富岡製糸工場に初めて女工が生れたわけです。芸娼妓解放令が出たのもこの年でした。最初レンガ作りの工場を見たとき、鬼ガ城だと言われました。そこで、士族の娘たちをまず紡績工場へ入れたわけです。女子労働の特質を考えると、その頃の女性は、まだどこの家の上の娘というように名前も付いていなかった時代でした。明治は女性の虐待の時代で、「間引き」というのが頻繁に行なわれ、男女間の人口は非常にアンバランスになりました。子供を取上げる産婆の一番の技術の良さというのは、赤ん坊が産声をあげる前にひと捻りすることでした。時代が女の子に悪ければ、母親は女の子を産まないようにするわけです。そんな時代に、間引きされずに生延びた女の子が、「お給金を下さる場所が出来た」ということで、家の為に役に立てるということで工場に働きに行くようになったわけです。

 1870年代の工場での賃金は、英国の製糸工場の最低賃金の1/10以下だったそうですが、「お給金を下さる」、「三度の飯をただで食わして下さる」ということで女子労働が始ったわけです。

 なぜ、こんなに低賃金がまかり通ったのか、また、現在でも男性100に対して、女性51.6ということで、国際婦人の10年の間に、先進国中唯一格差が開いた国ですが、この原因は当初の女工さん達の働きぶりにあったのではないかと思います。「両親様にお役にたてる」ということで、前借金制度で父親と会社が契約する、そして年季という制度があり、10才とか12才とかで身売りされ、15才ぐらいで帰ってきて嫁に行くということでした。

A  女子労働の単純労働「神話」

 日本の女子労働は、絹から綿織物の大工場へ移行する辺りから大量の労働力が必要となり、女の労働は単純労働だ、女は単純に向いている、女は単調なのに向いているという「神話」が言われ出しました。

 単純なのは誰でもいやなんです。ところが、単純労働は「婦女子に適合せるものである」と大正8年の論文ににでている。現在でも高校の保健の教科書には「女子は単純労働に対する耐性がある」と書かれているわけです。だから賃金が安い。だから昇進・昇格は女には向いていないという発想になってくるわけです。

 外国人労働者の問題がありますが、研修生・習学生ということで受入れようという方向で煮詰まってきています。外国ではアン・スキルド・ワーカーということで、”熟練ではない”という意味です。ところが、それが”単純労働”かどうかは非常に疑問のあるところです。埼玉ではブラジルの日系移民U世V世を入れているわけですが、そのU世V世を単純労働といわれるところで働かせているかというと、けしてそうではない。看護士、福祉関係の仕事に入れているわけです。ところが、外国人労働=単純労働という発想をしているわけです。円高だから賃金は安くてもいいんだという奢り高ぶった態度があるわけです。

B  家制度を引きずったままの労働形態

 日本の場合、男性と女性の関係は全く対等の出発をしていない。家制度の中での関係は、戸主という男が一族郎党を引き連れて、という女をずっと下に見る関係だったわけです。日本の女子労働はセクシュアル・ハラスメントが”ある”というのではなく、”それのみ”ということだといえます。100対51.6という賃金格差は権力的な性関係を呼起こしやすい構造を作っています。女が半人前ということは、男が強圧的に上から言えるという関係を作り出しています。

 性的対象であったというのは、女工さん達を競争させ、競争に負けた女工はみな「うめ、はな、たけ、表へ出ろ、帯を解け」と言われて、雪の中を引き摺り回されたわけです。性的虐待の為に、着物というスタイルがあったわけです。男性は働くときは着流しではありませんでした。女の場合には戦後までずっと着物でした。農作業の場合にはモンペというのがありましたが、工場労働者の場合に、どうして着物かというと性的に虐待しやすい、紐1本で虐待が出来たわけです。

 ニューヨークに日本企業がかなり進出していますが、アメリカの女性を雇用するのは非常に難しいといっています。秘書などを雇う場合、日本ではオフイス・ワイフのような感覚があります。「夕食をいっしょにしようや」とか「これ、持って帰ってやっといてんか」「弁当箱洗といてんか」「タバコこうてきて」といった感覚です。しかし、こういう感覚ではニューヨークでは人は来ません。女は男が声を掛ければお茶ぐらい飲みに行くもんやという感覚をなくさない限り、世界で通用しないということです。男性が女性に接する場合、日本では抑圧的です。

 家事労働が女性に重くのしかかっている。女は家事をまずやって、その延長線上に労働がある。「専業主婦でおれたほうがよい、しょうがないからパートに行く」という発想です。家事労働の延長としての低賃金ということです。

U.M字型就業形態

@  多様な就業形態

 M字型就業形態という結婚して出産して、一旦退職して、一定の子育てが終ってから再就職というパターンがよくいわれます。スウェーデンでは一番働いている年齢は40才です。学卒の間はまだアルバイトなどをやっていまして、いよいよ金のいる時期になって本格的に働き出すわけです。アメリカの場合は、35才で高くなります。日本は学卒が一番のピークです。子供が小学校に行く頃がちょうど35才頃になりますが、そのころから途端に金が掛り出すわけです。それで35才あたりからパートに出るということになります。昔はL字型というか15才ごろまで働いて、あとは働かないということだったわけです。それが、高度経済成長下にパートタイマーという制度が出来、2つめのこぶが出来てきたわけです。このパートがとてつもなく低賃金、悪条件なわけです。アメリカでは保育所などの手厚い保護はありません。子供も日本よりは沢山産んでいます。自助努力のみという国柄でもありますから、まず食えない。子供をほったらかしにしてでも、食べていかざるをえないわけです。

 また、シングル・マザーが非常に多い訳です。しかし、応援する制度もあります。コミュニティ・カレッジといって、ここで就職する為の資格を取得できるわけです。外国人の場合には、まず、語学を学んでから技術を修得できます。

 日本では年齢制限というのがありますが、アメリカでは年齢差別禁止法があります。募集のところに「何年生れまで」とかは書けません。もちろん「ブラック、ホワイト」「男性、女性」といったことは書けません。ニューヨークでは、日本の読売新聞が英語に変えて入ってくるわけですが、募集広告の欄が真白になるわけです。載せられないわけです。なぜ、若いのがいいのかわかりませんが、仕事でいえばけして若ければよいというわけにはいきません。若ければいいというのは、おれの言う事を聞くだろうということだといえます。年齢制限さえなかったら、皆もっと気楽に再就職できるわけです。35才のフルタイムの壁、45才のパートタイムの壁は非常に大きいわけです。なぜ年齢制限があるのか、もうちょっと仕事本位に反省して欲しいわけです。日本の場合、子供が小さいときに谷底へ下りるわけです。一旦下りてもらわないと、安く使うパートというものができないわけです。1時間640円とかに落とせないわけです。どうしても辞めてもらわなければならない。そこに3才神話、非行の問題等をいっぱいつける。非行の問題は母親だけの努力ではどうしようもない。父親を家に返せということです。弱い母親にだけ恐怖心を与ているわけです。

 図ー1を見てください。日本の場合、M字型の底が上がっては来ていますが、突出はしない。突出するには再就職の為の訓練の場所、それを保障する保育園の整備・法制度の整備が必要です。男性がもっと子供を育てるという考え方、育児の為に会社を蹴飛ばして帰ってくる、残業にNOを言うことを含めて考えないとM字型はなくならないと思います。

A  「再就職」希望はさらに増えて

 一般に女性が職業を持つことについて、図ー2を見てください。

女性は「子育て後再就職」というのが増えています。男性の場合もそうです。その反対に「出産後も仕事を続ける」という意識をもった女性は減っています。男性も減っています。やはり、フルタイムがしんどいといことです。仕事をして、子育てをして、夫の世話もして、年寄りも見てというのは出来ないわという事です。

B  不安定就労者  の増加

 パートに対する考え方ですが、パートはこれまで黒子のようなもので、フルタイムがあるべき姿という考えでした。現在ではパート労働の方が圧倒的多数を占めています。女性の雇用労働者の数は1749万人ですが、このうち、パト労働者は26〜28%といわれるわけですが、実際にどうなのかということです。図ー3は平成元年の労働白書のものですが、労働省の統計上は35時間未満をパートタイマーと規定しているわけです。ところが、日本の「パート労働者といわれている人達」の通常労働時間で35時間未満(労働省統計で432万人)というのは50.2%・にしかなりません。つまり、パートは約1000万人いるということになり、フルタイムの方が小数派になります。何時のまにかフルタイムを超してしまったわけです。サンヨーで1200人のパートタイマーの解雇事件があり、弁護団が調べた所、どうも500万人以上パートがいるようだという発表でした。そのころの統計では280万人位でしたからびっくりしました。パートタイマーを組込む事なしに労働組合運動はありえないということです。

C パート労働法の制定を

 パート労働法を早く作るべきだと思っています。労働省の中では作る動きがあるようです。均等法の時も我々の雇用平等法を目指してということだったのですが、結果的に均等法反対ということにしかならなかったわけで、ここはパート労働法制定に向けてがんばる必要があります。何と何をパート労働法に入れるかですが、退職金制度とか、有給休暇などで胡麻化されはしないかと思います。

 人出不足の中ですが、外国人労働者を受入れるという状況はなかなか作り得ておりません。法務省は外国人と見れば犯罪者としか考えません。在日韓国人に対する扱いなどは、外国の人を受入れるという発想ではありません。そうすると、人出不足を何とかする為の手っ取り早い対策がパートということになります。

 外国の有期契約法は仏、英、独、ベルギー等各国にあります。そこではまず、パートタイマーの定義をしています。日本のように「35時間未満及びそれより相当短い労働時間の労働者、パートと呼ばれている人を含む」などというのはどうにでも解釈できるわけです。英国では16時間以内をパートとしています。仏では18時間です。ヨーロッパでは労働時間は40時間が最高で、35時間を目指しているわけです。35時間労働が可能になった背景としては、外国人労働者を受入れたからです。独ではトルコ人を大量に受入れたり、スウェーデンなども大量の移民労働者を受入れています。だから、時短をやりながら生産力を落とさずに来たわけです。日本の場合には外国人労働者は入れない、国際競走力はそのまま維持しようというのですから、非常に難しい。だから、パート労働者の労働時間を厳密に解釈しているわけです。その労働者にも、産休とか有給休暇とかの人間的として基本的に必要なものは制度化されています。それ以上はフルタイムと同じ扱いです。35時間以上でフルタイムよりもさらに働いている人もいるわけです。フルタイムパートという言い方まであります。終身雇用制という中では、外側で出たり入ったりする臨時工がどうしても必要になってくるわけです。しかし、そうした周辺労働者もそれなりの保護が必要です。終身雇用制の中だけが「人」で、それ以外は「人でなし」というような差別的体系は問題です。

V.男性の生きかたと女性の働き方

@ 新しい世代の職業感と結婚感

 1990年は団塊の世代のU世が始めて労働市場に入った年です。職業感はかなり変っています。自分が一生この企業に仕えるとかいう感覚はさらさらありません。40、50才になれば昇給がありいいことがあるといっても、今が大事だというわけです。鉄鋼がいつ潰れるかわからない、国鉄がどうなるやらわからない時代だ。時間短縮と休暇が多いことがことが条件になってくる。OA,ME機器の学生などはどこでも通用するするわけですから、何時でも辞めてやるという発想なわけです。

 結婚も終生のものとは思っていないようです。最近私の周りの学生はほとんど夫婦別姓です。男子学生に聞くと名前を変える事など考えた事はないといいます。ところが、なぜ、女性だけが変るのいややなあと思いつつ、変らなければならないのかです。女性だけが人生を分断されるわけです。現在の法律ではどちらかの姓を名乗らなければならないとなっていますから、当然「同悽」「内縁」となるわけです。子供を作るのも男性が懇願して、子供の世話を約束するまで作らない。男性が通称を名乗るケースをあります。また、両方とも親がいて見なければならないということで、名前も別々、住所も別々という人います。

 育児休業制度ができ、日本でも男性も育児休暇を取る事が出来るようになりましたが、100%の賃金補償とはいかなくても、せいぜいスウェーデンのように94%ぐらいの補償が必要です。賃金がほとんど入ってくると、スウェーデンでは男性が育児休暇を取るようになってきています。女だけが大事な時期に育児休業で1年も休むというのは不公平です。

A  キャリアウーマンの過労死

 キャリアウーマンと言われる彼女達は、毎晩帰るのは11時です。人手をどんどん少なくしているからです。どこもかしこも過労死せざるをえない状態になってきているわけです。円形脱毛症になる人も多い訳です。それだけ神経をすり減らして、男女同一というのは人間的働きかたではないわけです。子供など産めない。「今月ジャンプした」と言うわけですが、何がジャンプかというと生理が跳ぶというわけです。男性も侵されているわけで、精子の数が減っています。ディンクスというのは産まないとい現象でもありますが、産めないということでもあります。しがみつかざるをえない労働環境があるからです。みんな仕事を一斉に辞めてパートになるとか、150万円で暮す方法などを研究している人もいますが生活レベルを落とすか、ありとあらゆることを考えて、働きすぎを何とかしないと救われません。

B  労働組合とフェミニズムの視点

 労働組合の男性組織に問題があるように思います。大阪の女性議員とよく話す機会がありますが、組合と一緒にやらなあかんのなら議員はいやだとい声があります。労働組合の中の男性の考えが改まらない限りだめだと言っています。大胆に男性が発想を変えて貰わないと、女性が動き始めたとはいうものの、また後戻りするのではないでしょうか。

 『おんなとおとこの女性学』の「男性の行動計画」のところで、男性はこうあるべきだと書いたわけですが、自分の好みとか好みの匂とか風とか季節を知るとか声の変化が分かるとか、男性は論理とか主義とかではなく、感覚的に生きよということです。男性は性感帯はたった一箇所ではないとわかれと書いたわけですが、手を触れあって連帯するというのは女性はわりとやっているわけです。ところが、男性はまず理論とか主義とかで、女性の感覚は女々しいとか、理論的ではないというわけですが、女性的な感覚を取戻して頂きたいわけです。

 

質問

@ 夫婦別姓について

A男…夫婦別姓であれば、片方の親は面倒見なくても良いということか。

   国会で各制度、法律などが決るわけだが、50%を占める女性が黙っているのはなぜか、自分の主張がないのではないか。

金谷…法制審議会で検討中ですが、夫婦別姓の結婚は近々できると思います。そうすると、女性は自分の親を見る、男性も自分の親を見るということになり、嫁として舅(姑)を見なあかんという関係はなくなるわけです。現在の相続はそのようになっています。夫々が扶養の義務を負い、相続の権利を持つ事になります。男性が自分の親を見なあかんということが復活するわけです。

 しかし、墓の問題は残ると思います。〇〇家の墓に女の人が入るかどうかです。私も姓が変ったので、父親にこの「家」を削らなければ墓に一緒には入れないといっています。

A 女性の政治への参加

 私は日本女性学研究会のメンバーでもありますが、沢山の女性の研究者が行政の施策に関わっています。そこに、女性の視点があまりにも無いので、女性議員を入れて女性的視点をどう入れるか、フォーラムをしています。今までの政治の体制へ女性がそのまま入っていくというのはおかしいと思います。カバン、カンバン、ジバンとかいわれる中で、同じ様なパターンの選挙をやっていくのではダメです。選挙に出るのなら、一斉に全国規模での学習会をして、黒人が米国で始めて選挙に出た時の様に、どうやって選挙に出るのかのものすごい論理的な闘争をやって(ニューヨークの市長なども黒人ですが)、一斉に出ていく必要があります。女性は政治に出る方法をもっと勉強しなければならない。たまたま出ていっても、潰されてしまうか、「男」に成下がってしまう。何で選挙に億の金がいるかです。

B 女性の深夜労働緩和について

B男…福井では結婚は友働きが必須条件となっています。女性が働く事が当たり前の中で、母性の保護が問題です。私の職場は三交替ですが、ここ2・3年、同じ職種の試験を受けて、女性が夜間労働も出来る試験を受けて職場に入ってきていますが、男でもきつい深夜の仕事に女性が入ってきても続けていかれないと思います。均等法といっても、できないところがあるのではないか。

C子…パート労働者の組織化のことですが、自治労では十数年前から正規職員4000人のところ、600人いた臨時職員を年休、賃金、産休の問題を含めて取組み組織化してきています。それが、逆に正規女性職員の採用増や職務の登用にも好影響を与えています。

 ところで、パート労働法についての連合の取組みが弱いのではというお話しでしたが。

金谷…昨年のILOで、女性の深夜業について、勧告を出しています。ヨーロッパでは、週労働時間が35時間くらいとなり、男性も育児休暇を採っている中で、女性の深夜業を入れてもサービス産業化の中で24時間体制を維持できるという判断があります。サービス産業化はどうしても24時間化する傾向にあります。そのため、深夜業を入れざるを得ない。実際にヨーロッパでは入れてもいける体制になってきている。

 ところが、日本ではそれを入れてやっていけるかというと、家事をやらなあかん、育児をやらなあかん、ところが父親はいつも帰ってこないということで、次世代にも影響が出てくる。そのギャップをどう埋めるか。西欧のように女性の深夜業を導入しても、父親は家にいるという世界と、日本とではずいぶん違いがある。それと、深夜業でも8時間働かなあかんというのは無茶です。4時間にして、それで、サービス産業化に伴って必要な部分に入れるというのならいいですが、今の日本の状況では反対せざるを得ない。日本ではILOの看護条約も批准していません。看護婦の労働は1日9時間になっていますが、ILOは8時間にせよと勧告しています。 夜勤は日本では2人となっていますが、勧告では3人にしろとしています。

 連合の方針はいいものを作る為には今はまだ時期では無いということのようですが、その間に作られてしまうのではないか。

D男…私の妻は子供が4人もいるので、家にいます。そうすると人間的に感情が表現できなくなっているように思います。

金谷…図ー4ですが、40才以下の子供を持つ母親の調査ですが、働く動機として、「自分を成長させたい」ということが大きいわけです。パートは金の為に出るといっていますが、本当は自分の為に出るわけです。壁を見ていても成長はありません。

 

・・・講師のプロフィール・・・

 かなたに・ちえこ

 1939年大阪生れ。大阪市立大学法学部、大学院労働法専攻。女性史、家事労働論、女子労働論、女性論など女性問題を研究。関西大学講師。

 主な著書に「現代の婦人問題」(共著)「女子労働論」(共著)「主婦の再就職ノート」「世界の家族」、最新刊に「日本民衆と女性の歴史」(明石書店)「おんなと男の女性学」(柘植書房)などがある。

 研究室は「主婦の再就職準備センター」の事務局になっている。1988年より京都府婦人問題検討委員会委員、国立婦人教育会館婦人の社会参加のためのプログラム開発研究委員会委員などでも活躍中。子供2人、シャムネコ1匹。