第30回ちょっといって講座

「排出権取引制度は地球温暖化問題の救世主か」

岡敏弘 福井県立大学経済学部教授(経済学部長)

2008年8月5日

福井県国際交流会館2階会議室

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

竹内正毅福井県地方自治研究センター理事長挨拶

昔は気温が30度くらいだと非常に暑く感じたものですが、最近は345度前後の日もまれではありません。また、今日(85日)は東京では集中豪雨があり、下水管の工事をしていた作業員が流され行方不明になったそうですし、先日は金沢の浅野川の氾濫もありましたが、おかしな気候になっている気がします。TVではサミットを前に世界の氷河が融けたり といった映像を流し温暖化の課題を取り上げていましたが、洞爺湖サミットでは期待に応える答えは出されませんでした。地球温暖化の問題は、曖昧に、2050年に温暖化ガスを半減させるという表現になりましたが、私たちがしっかり取組まなければならない課題は大きいと思います。地球が生まれて46億年といわれていますが、46億年を1年に短縮して表現すると、11日から数えて、人類が生まれたのは3万年前ということですから、1231日の午後1157分、江戸時代は400年前ですから、午後12時のわずか3秒前に過ぎません。そうすると、わずか数秒しかいない人類が地球を傷つけているとするなら、“愛は地球を救う”などという言葉はおこがましい。地球にまず謝って、みんなで治していかないとだめだと思います。新しい福田内閣の斉藤環境相は今年10月から排出権取引を試行し、201011年から本格導入を検討していると記者会見で述べています。大変難解な問題ではありますが、今日は岡先生の話を聞きながら、考えて行動していきたいと思います。

 

岡敏弘教授

はじめに

排出権取引というテーマを与えていただきましたが、政治的には論争の的です。昨年11月の雑誌『世界』に私は「排出権取引の幻想」という題で論文を書きました。経済学者の中で、この制度に懐疑的な私くらいのものです。今年の『世界』の6・7月号に私への反論が載っています。8月8日発売の『世界』9月号に再反論を出しました。

 

1.経済学は環境問題をどうとらえているか

排出権取引制度の基本から話します。経済学が環境問題をどうとらえているかということと深く関わるのですが、経済学といってもいろいろな見方があります。現在主流の経済学は「新古典派経済学」・「主流派経済学」と呼ばれますが、市場経済の良い面を高く評価するという特徴があります。市場経済では、全てのものをお金を出して買います。稼ぎはお金で獲得し、我々の生活の消費物資のほとんどはお金を出して買っているわけです。市場経済の優れた面とは第一に「誰も統制しないのに、人々が欲する物が欲するだけ供給される不要な物は作られない。」すなわち「需要と供給の一致」です。社会主義の計画経済と比べれば顕著な特徴です。計画経済の場合は「不足」が常態化していたわけです。第二に「競争を通じて優れた供給者が生き残る」のです。優れた供給者とは良いものを安く作れる供給者です。そうでないものは淘汰されます。それを通じて「必要なものが効率よく出来るだけ安い費用で作られる。」これが市場経済の特徴で、「二重の効率性」と言っていいでしょう。無駄なものは作られないというのが、「第一」で、必要なものができるだけ安く作られるというのが「第二」です。効率性を二重に分けるということが排出権取引を理解する上で重要です。

2.価格とは何か

図1

 
 市場経済の中で物の値段(価格)というものが重要な役割を果たします。それを経済学は「希少性の指標」ととらえます。価格というのは需要と供給の均衡で決まります。何が稀少かと言えば、みんなが欲しがる物が稀少であり、供給するのが難しい物であればあるほど稀少なのです。つまり、需要が強ければ強いほど稀少であり、供給が難しければ難しいほど稀少です。需要曲線はどれぐらい人が強く欲しているかを表しています。人が欲しければ、需要曲線は上へシフトしていきます。需要曲線の高さはどれくらい人が欲しているかを表しています。供給曲線は供給するのどれだけ大変かを表しています。供給するのにものすごい費用がかかる物は、沢山のお金をもらわなければならないということです。供給曲線が上に行けば、需要曲線が同じ場所にあっても値段は上がります。これが市場で行われている調整です。

3.環境は希少なのにただであることが問題だと捉える経済学

 経済学は、この市場の働きに照らして、環境問題を捉えます。すなわち、環境問題は何かというと、「本当は稀少な物なのに、ただで利用できるから浪費されている」と捉えるわけです。「大気中に煙を吐き出す」ことはただでできます。煙の捨て場としての大気にお金はかからない。「川に汚水を流す」のもただです。「CO2を出す」のもただです。「野生の動植物を獲る」のもただです。ただで物を獲得できるということは供給曲線がないということです。供給曲線があるということは、費用がかかっていることを市場が反映しているということです。ただで利用できるということは、価値0まで利用されてしまう。過剰に利用されてしまうととらえるのが、主流派経済学が環境問題を見る見方です。

Q:二十世紀は石油がただみたいな状況でしたが、これがピークオイルで、なくなると高くなるということですが、それがなくなるとは経済学のようにはおそらく考えていないのではないのか。明日儲かればいいとしか考えていないのではないか。理論が成り立つ会社というのはあるのか。

Q:需要供給曲線で、縦軸は価格、横軸は量ですか?

岡:需要曲線というのは、価格が高ければこれだけしか売れない。安ければこれだけ売れるという曲線です。人がもっと欲しいと思えば、需要曲線は右上に行くのです。そうすると、価格が高くても売れるようになる。均衡価格で買っている人は、ちょうどその価格だけ払ってもよいと思っていた人なのです。価格がもっと高かったら買わない人なのです。「需要曲線の高さは支払い意思額を表す」のです。供給は逆です。この値段ならこれだけの量しか供給されない。別の高い値段になればこれだけ多くの量が供給されるという意味です。物が高くなれば供給してもいいという人が増えるという意味です。この価格というのは「費用」、厳密に言えば「限界費用」を表しています。沢山作ろうと思えば費用がよけいにかかってくるので、沢山の買い手がなければ作らないということです。石油ですが、この曲線の左下のほうの値段では質の良い油田が沢山あるからこの値段でも生産できる。しかし、曲線の右上の方では、質の悪い油田が多くなるから費用がかかります。もっと高くなれば、低品位の油田まで動員されてくるから沢山供給されるだろう。

価格は希少性を反映して、物が適切に供給されるように調整されていると市場をとらえる。ところが、環境はただだから浪費されていると見るわけです。そこで、主流派経済学は環境をただでないようにしてやればよいという政策を思いつくわけです。環境をただでなくする手段は2つあります。1つは環境の利用に税をかけてやること。『環境税』です。もう1つは、なぜただなのかを考えることから出てくる手段です。なぜただかというと誰も所有していないからに違いない。誰かの所有物にしてやればよいというアイデアです。

4.環境への所有権の設定

環境に所有権が設定できれば、土地を農業に使いたいという人の需要と居住に使いたいという人の需要が競争によって調整されるように、環境の需給が調整されるだろうと考えるわけです。これまで、農業に使用されていた土地の値段が200/坪とします(農地の価格は農業収益によって決まりますが、農業の収益は、労賃をいくらにとるかによって変わります。労賃を1000円とすると、農地の値段は0円にさえなり、労賃800円なら、700円/坪にもなったりします。)。それに対して、住宅として使用する人の支払い意思額が20万円/坪とするなら、農業用途から住宅用途へと土地が移転していくわけです。このようなことが環境についても起こるのではないかということです。大気を呼吸の対象として使用したい人が、大気を捨て場所として使用したい人から大気利用権を買い取る制度ができれば、大気の質を高く維持できるのではないかといった人がいます。

このような制度は例がないのではなく、ナショナルトラストという例があります。特定の土地を、自然保護のため、あるいは歴史的遺産の保全のために買い取る制度です。一種の環境権の買い取りです。このようなことが、大気汚染や水汚染・CO2についても考えられるのではないかというアイデアです。大気汚染について考えた場合、誰かが工場から出す煙を買い取ってしまえば、その土地の工場からは煙が出ませんが、工場が立地できる土地があればいくら買っても際限なく排出されます。誰が買い取るかということになると、個人では不可能です。住民が協力してもほとんど不可能です。水域でも排出権を買い取るというアイデアを出した人がいます。しかし、水は混ざり合いますから、膨大な費用がかるからとても現実的でない。

 そこで、所有権の自然発生によって、環境が各種用途に最適に利用されるということはあきらめ、どの用途にどれだけ使用するかは政府が公共的に決めそこから先を市場にまかせて売り買い可能な所有権によってコントロールするというアイデアを、最初に出したのが、デールズ(1968)です。水域を工場の排出先として利用するのはここまで、漁業として利用するのはここまで、レクリエーションとして利用するのはどこまで、水道の水源として利用するのはどこまでと政府が決める。工場の排水先の利用に制限を設ける。年間○トンまでしか排出を認めないという規制を政府がやる。その上で、誰がどこでどこまで排出するかを市場に任せればよいとデールズは考えた。汚染の負荷を水域に排出する者は、その量に見合った汚染権を導入しなければならないという規制を導入します。政府は排出総量の目標を定め、ちょうどその量に見合った汚染権を発行し、これを競売に付する。そうすると、排出者間の競争によって汚染権を欲しい人が買っていくだろう。どれだけ強く欲しているかという支払意思の強い人から汚染権を買っていく。汚染権の支払意思とは、汚染を減らすためのコストです。汚染を減らすためのコストが高い人ほど、汚染権を強く欲するのです。廃水処理をするために設備投資をしなければならない・これもコストです。また、排出を減らすために工場の生産をやめてしまうとこともコストです。工場を操業していれば儲かったであろう儲けを諦めるわけです。工場を閉鎖しようが廃水処理設備をつけようが同じようなコストなのです。逆に排出削減の費用の小さい者は、排出を減らして汚染権を買わない方が得であり、排出を減らしてしまうわけです。汚染権の価格はそうした排出者の需要がちょうど許可排出総量に等しくなるところで決まる。その時、汚染権の価格以下の費用で排出削減できる者だけが排出削減をやっている状態が出現します。

図2

 

 

図4

 

 
 図3左の階段状の線は排出削減の1単位あたりの費用を表します。この線の右の方が横軸よりも下にあるのは、初めのうち、排出削減には費用がかからないことを意味します。排出削減のために費用がかからないという例は沢山あります。たとえば、製紙メーカーは水質汚濁物質を出していましたが、その汚濁物質を回収して燃料にできる。苛性ソーダなどの薬品も回収できる。回収すればするほど儲かる段階です。それが枯渇するとある程度費用をかけなければ排出が減らない段階になる。その削減費用が1単位排出削減する方が排出権価格よりも安ければ、排出量を減らすだろう。ちょうど排出削減1単位あたり費用が排出権価格を超える直前まで排出量を減らすだろう。このとき排出を減らすための費用は図3の斜め縞部分で表されます。結果、残った排出量については排出権を買ってこなければならない。排出権価格×排出量=排出権購入費用(図3:縦縞部分)です。

費用の関数は工場によって違います。図3右はもっと安い費用で減らせる工場です。右の工場の場合には排出削減コストをかけて図3右の「ここまで減らす」のが有利です。ここに書いた階段状の線が汚染権の需要曲線です。工場A・Bの水域への汚染権の需要の和をとれば、工場A+工場Bの汚染権の需要曲線ができます。たくさん工場があってもその需要量を足せば全体の排出権の需要曲線が図4のように引かれます。政府が排出量総量をここまでと決めたら値段が決まります。人々は 値段×総量 だけお金を払います。

この制度の特徴は、排出削減を絶対ここまでやるぞと決めたら目標の達成は絶対確実だということです。一方、価格がどうなるかは市場任せなのです。重要なことは効率性が実現しているということです。ただし、先の「二重の効率性」の後半部分だけです。できるだけ安い対策を取れる人だけが対策を取っている。排出権価格よりも高くなる人は損ですから対策を取らない。誰が対策を取るかは市場に任せる。もっとも安い者が対策を取る。そうすると、最小費用で政府の目標を実現できる。これが、排出権取引制度の最大の利点です。

さらに、そこから競売で購入した汚染権が余れば、転売してもよいし、買ったけれども足りなければ他者から購入してもよい。そうすると、なおさら効率的です(予想が最初から当たるとは限りませんから)。そこで、二次市場が成立し、ここでも価格が形成されます。市場が完全競争に近い「均衡状態」では、競売で成立した価格と二次市場での価格とは等しくなるだろうといえます。次に、もし二次市場が成立するなら、最初の競売はやめにして、二次市場だけにしたらどうかというアイデアも生まれました。競売にしなかったらどうするかですが、排出権を持たなければ排出できないという規制を導入しているので、排出権を配らなければ生産活動ができない。その時に競売ではなく、ただで配ってもいいわけです。

競売を「オークション」といい、ただで配ることを「グランドファザリング」と呼んだりします。ところでEUでは過去に出していた量に比例して割り当てることを「グランドファザリング」と狭い意味で使っています。生産量などの指標に排出係数をかけた物を割り当てるやり方を「ベンチマーク」法と呼んでいます。ただで割り当てるのですが、割り当ての基準となるベースが違うのです。

この制度は、譲渡可能な排出許可証(transferable emission permit)とか、排出権()取引(emissions trading)などと呼ばれるようになりました。政府は「排出量取引」という言葉で統一していますが、私は頑固に「排出権取引」という言葉を使っています。排出というのは「負の財」です。それをみんなが欲しがるというのはおかしい。排出権なら正の財と言えるから、排出権と呼んだ方が物事を適切に表していると思います。許可排出量取引、排出枠の取引、譲渡可能な排出許可制度というなら良いでしょう。

図5

 
現実の制度は米国で70年代後半から80年代に大気汚染防止のために、このアイデアが使われましたが、あまり全面的にこれに頼ったわけではない。むしろ、90年代の酸性雨プログラムで大々的に採用されました。硫黄酸化物排出抑制のために排出権取引制度が使われました。硫黄酸化物は日本では70年代に大幅に減りましたが、米国ではあまり減っていなかった。発電所で日本の100倍くらい出していました。それを何とか減らさないと酸性雨の原因になるということで、発電所に硫黄酸化物排出権というのをただで割り当てました。これの過不足を取引していいとしたのです。2010年ぐらいまでに半分にするというものです。

 いま、大々的に導入されているのは、EUで、—EU ETS (EU emissions trading scheme)と呼ばれています。

競売ではなく、ただで割り当てるとどんないいことがあるかですが、排出者の費用負担が減って得をするのです。図5左ですが、ただで白い部を無償割り当てしますから、買わなければならないのは縦縞の部分だけです。逆に儲かる場合もあります。始めに図5右の「無償割当量」まで貰っていた。排出権価格は太い実線まで高いので、もう少し減らして余った分は売った方が得になります。販売収入が得られます。販売収入からコストを差し引いた図5右の縦縞の部分が儲けになります。

EUの排出権取引制度もただで配ります。ただで配らないと産業界はたまらない。だからただで配るのです。しかし、問題がある。これは財産です。売ることのできる財産を政府がただで配るということはこれまでほとんどやったことはありません。

5.京都議定書

EUの排出権取引制度の前に、排出権取引で京都議定書で認められている京都メカニズムというものがあります。京都議定書の特徴は、第1に国別の排出枠を設定して国別の削減義務を負わせたということですが、第2に京都メカニズムを導入したことがあります。京都メカニズムは3つのやり方で構成されており、1つが「排出権取引」(Emissions Trading)、2つが「共同実施」(JI: Joint Implementation)、3つがクリーン開発メカニズム」(CDM: Clean Development Mechanism)です。3つとも排出権取引みたいなものです。しかし、京都議定書で削減義務を負うのは国です。企業も個人も負っていません。企業や個人が負うのは国内制度です。

京都議定書は先進国だけが削減義務を負っていますが、削減義務を負う先進国だけが排出枠を持っています。その排出枠を国が売り買いするのが、排出権取引(Emissions Trading)です。日本はハンガリーから排出枠を買うことにしましたが、それはこの制度です。

共同実施というのはプロジェクトベースで、たとえば、ロシアで天然ガスのパイプラインの蓋をしてメタンが漏れるのを防ぐ事業をし、その事業の見返りとして排出枠を日本が受け取るというものです。相手方は排出削減の義務を負う国です。

ところが、クリーン開発メカニズム(CDM)というのは、相手方は義務を負わない途上国です。途上国で発電所に省エネの投資をしたとか、より排出の少ないエネルギーに変えたとかとか、余分な投資をして排出枠を創造して、それを日本に買ってくるわけです。これは京都議定書上の排出権取引で、現に実施されており日本は買っています。

6.EU―ETSの制度とその問題点

今問題になっているのはこの制度ではなく、温暖化対策として国内で排出を減らすために排出権取引を導入するかどうかなのです。そのEUの制度ですが、2005年から導入され1期と2期に分かれています。1期が2005-07年、第2期が2008-12年までです。2008-12年というのが京都議定書の義務期間です。この期間に約束を果たさなければならないわけです。EUの制度は第2期が本体で、第1期は助走期間です。対象は、エネルギー生産、鉄生産、窯業製品生産、紙パルプ生産を行う一定以上の規模をもつ施設で、エネルギー消費の比較的大きな産業及び電力です。EU全体で約11000施設が対象となっており、EU全体の排出量の44%程度です。これらの対象施設に排出枠を割り当てて、それを守らなければならないという規制を導入しました。但し、それを売り買いしても良いとしたわけです。どの施設にどれだけの排出枠を割り当てるかというのは、第1期、第2期では、EUを構成している国が決めます。国が「ナショナル・アロケーションプラン」(国別配分計画(NAP: National Allocation Plan))というのを作って、どの工場に何トンというのを決めるわけです。それを、EU委員会が承認しなければいけない。国によって配分方法が異なりますが、配分方法があまりにも違って、制度を崩したり、不公平になってはいけないので、委員会が承認する方法をとるのです。

(1)イギリスの制度

実際、どういう方法で配分したかですが、イギリスの第1期ですが、イギリスでは産業界と政府が「気候変動協定」というのを結んでおり、生産量1トンあたりのCO2排出量・エネルギー消費量を20××年までに△×まで減らしましょうという協定しています。その協定を守ったとした場合の排出量を基に、排出枠を設定する。たとえば、セメント業界は燃焼から出てくるCO2の量を基準年2000年の1.41トン/トンから2006年に1.30トン/トンに減らすという協定です。つまり、(1.41-1.30/1.41が削減率です。

4122002年のセメント燃焼からのCO2量) × 1.113 (成長率)× (1.41 − 1.30)/1.41+580(石灰石からのCO2排出量) × 1.113(成長率) = 1120[万トン]

を排出枠だと決めるのです(石灰石からのCO2はセメントを生産すれば必ず出てきますので生産技術の革新では削減は出来ない量です)。これを、鉄鋼はいくら……と産業ごとに決めるわけです。全体枠は245Mtと決めていますから、そこから、産業ごとの枠の合計を引いた残りを電力に配分する(136Mt)わけです。ちなみに、電力の19982003年の平均排出量は155Mt2003年は174Mtでした。とても136Mtでは足らないわけです。

産業界は上記のように配分されますが、そこから、新しいセメント工場が出来るという新規参入枠(NER: New Entrant Reserve)を除いたものを既存施設に配分します。個別施設への配分は

   その施設の実績排出量(19982003)

部門全体の実績排出量      × 部門への配分量

その施設の実績排出量に応じて配分されるということです。沢山出していた施設はそれに応じて沢山もらうし、少なく出していた施設は少なくもらうわけです。新しい施設には、NERからベンチマークで無償配分されます。第2期も基本的には同じです。ベース年は20002003年になりました。電力への個別配分方法は、ベンチマークの方法に変わりました。

【ベンチマーク法】   設備能力× 負荷率× 排出原単位

排出原単位(=エネルギー効率×燃料の排出係数)は 電力1KHあたり○トン というものです。排出原単位は、2種類あり、天然ガスの発電所は0.4t-CO2/MWh、石炭を使う発電所は0.91t-CO2/MWhです。重要なことは原子力発電所には配分0です。水力・風力も0です。新規発電所にもベンチマークで配分しますが、新規には石炭の発電所はありません。石炭火力発電所を造っても、ガスのベンチマークでしか配分されませんからとても足りません。

(2)オランダの制度

オランダはどういう方法かというと、

実績排出量(20012002) × 成長因子× 効率因子× 補正因子(0.97)

で配分しています。実績排出量でということです。効率因子というのが入っていますが、元々排出量の少ない工場には多めに、排出量の多い工場には少なめに配分します。補正因子は最初に計画した排出枠を超えてはいけませんから、それを補正するために0.97をかけています。第2期は補正因子が0.90になった代わりに、成長因子が増え、1.07となりました。但し、電力の補正因子は0.75と少な目の排出枠を与えています。ベース年を20012005年に後ろにずらしました。

(3)ドイツの制度

ドイツは非常に簡単で第1期は 実績排出量(20002002)×0.9755 で配分しています。第2期は0.9875になりました。電力はベンチマーク法で配分しています。ベンチマークは2種類で ガス365g/kWh、石炭750g/kWh です。イギリスよりちょっと厳し目です。電力の配分には一部競売法を導入しています。40Mt(全体の9%、電力の17%)です。新設の工場は、ベンチマークで計算された排出枠をただで受け取るのです。新しい工場には設備拡張も含まれます・施設を閉鎖するときは排出枠をもらえなくなります。今年、施設を1つ廃止すると、今年の排出枠はありますが、来年はもらえない。ただで国に返すことになります。

(4)各国制度のまとめ

まとめると、個別施設への配分は実績排出量又は生産量です。第1期と第2期からなり、ベース年はずれていきます。イギリスは最終年はずれずに2003年ですが、オランダの場合はベース年は20012002年が20012005年にずれます。ドイツも20002005年までずれます。これは重要なことです。2005年というのは第1期間中の一部です。ベース年というのは将来、排出枠をいくらもらうかのベースになります。2005年に沢山出していた人が排出枠を沢山もらうことになります。そうすると第1期中の排出削減が進みません。だから、第1期中の排出枠を第2期に使ってはいけないとEUのガイドラインに書いてありますが、2005年の1年分くらいはたいしたことはないだろうとベース年に使っています。

次に、閉鎖と拡張に際して、ただで貰えたり、ただで取られたりしますが、排出権の再配分が行われているということです。これでは排出権取引の利点がなくなるのです。

(5)初期配分方法による歪み

実績排出量に基づく配分がもたらす歪みですが、実績排出量に基づいて配分するということは、沢山排出する者が沢山もらえるということを意味するので、不公平であり、効率性を損ねるという心配もあります。ベンチマークによる配分はそれよりは少しましです。ベンチマークというのは、どのように効率の良い施設であろうと、どのように効率の悪い施設であろうと、生産量が同じであれば、同じ排出権をもらうということですから、省エネ投資を多くやって効率の良くなった施設は得をします。つまり、省エネ投資を促進するという効果はあります。しかし、沢山生産しておけば沢山貰えるわけですから、生産を減らすことによる排出削減は進まない。新設・拡張に対して無償配分される、つまり、設備投資すれば沢山もらえるということであり、生産を減らして工場を閉鎖すれば排出枠を失うということですから、より多く生産する誘引を持ちます。また、生産を減らすことにより排出を減らすことを阻害します。 施設閉鎖時に排出権を失うということは、古い施設を持っていたほうが得だということになり、古い効率の悪い施設を温存する効果があります。新規投資をすると却って排出枠を減らされるということは、より効率の良い施設に更新しようという誘引を削ぎます。これらは、排出権取引の利点・効率性を損ねます。効率性は何によって保証されていたかというと、全ての排出権取引は排出権価格を気にしながら行うことです。値段がついているということをみんなが意識して経済活動をすることです。これが、排出権取引制度の中心的役割でした。

ところが、これらの措置は全てただで排出枠を増やしたり減らしたり出来るということを認めた。生産を増やしてもただで貰える。生産を減らしても排出枠を減らさなくて良い。つまり、排出権価格を気にしなくて良いわけです。そのような歪みが生じます。排出削減手段にもっと安いものがあるにもかかわらず、それに対応しないということが起こります。すべての行動に炭素価格を組み込むという、排出権取引制度の最重要事が失われてしまっています。なぜ、このようなことになるのかというと、排出権という財産をただで配るというところに問題が集中的に表れています。

(6)効率性を損ねない排出権配分が行われるには

全ての人に排出権価格を気にして行動してもらうには、

売りも買いもしないのに排出権が減ったり増えたりしてはいけません。 

売りも買いもしないのに排出権が減ったり増えたりすれば、排出権の価格が気にされなくなる。そうならないためには、

1回配分したら変更しない ということが必要です。そのためには、1回配分したら施設を閉鎖してもずっと持っていて良いということにしなければなりません。施設を閉鎖して施設を売り払って別の事業に進出するという行動を促進しなければなりません。ところが、そのようなこと認めると、過去のある時期に、鉄鋼を大量に生産し、排出権を沢山貰っていたものが、鉄鋼生産をもう止めたといって排出権を売り払い隠居生活ができるということになってしまいます。これは不公平ですから、閉鎖施設に排出権を認めないのです。財産を政府が無償で配るというのは制度上無理があります。

もう1つの手段はただで配るのをやめる  すべてを競売で1単位から全て買ってくれと有償配分する  ということです。そうすれば完全に公平です。どんな経済活動をする人も、排出権を買わなければ工場を操業できない。この問題は費用負担が非常に大きくなることです。セメント産業の場合は、セメントの売上の6割程度になる。もしEUだけでそのようなことをやればセメント工場は全部アフリカに逃げていく。鉄鋼も逃げていく。世界一の鉄鋼メーカー:アルセロール・ミタルはEU域内だけでない、インドやブラジルにも沢山工場を持っているわけですから、別にEUで生産する必要はないわけです。

そうすると、世界全体では、EUで出していたCO2をよそで出すだけなのです。これをカーボン・リーケージ(carbon leakage 「炭素漏出」)といいます。これは環境政策としては全く無意味ですから、そのようなことを起こしてはならない。というわけで、無償配分をやめるのもまた難しいのです。

(7)現実に起こっていること

現実に起こっていることは、 イギリスの電力が2005年に受け取った排出権の全体は136Mtです。排出量は減ったのかというと、2005年は172Mt (基準年平均の11%)でした。2006年は182Mt (基準年平均の17%)で、さらに増えました。排出権取引をやれば減るということはここでは起こっていません。イギリスの電力産業は排出権の不足ですから買ってきているに違いない。どこからか。イギリス国内では鉄鋼が売りました。鉄鋼は排出枠は沢山もらいましたが生産が縮小して売りました。東欧が余っており、売っています。排出権取引ゆえの排出削減のための投資はありません。 エネルギー転換投資をすると却って排出権を失い損をする制度になっています。火力発電所を閉鎖して原子力や風力に変えるとまるまる排出権を失います。唯一の実行可能な削減対策は、既存発電所の利用構成を変えることですが、既に石炭火力・天然ガス・原子力とあるわけで、石炭火力を天然ガス・原子力にシフトするとかですが、それも起こりませんでした。ガス価格の高騰によって、却って石炭の利用が増えてしまいました。

 第2期も削減手段が無いという意味では変わっていません。EU25(マルタを除く)のETS対象部門の排出量は、2005201204t2006203364t2007204993tで、少しずつ増えています。EUの第1期の配分量は表1にあるように2298.5Mtでした。しかし、2005年の排出量は2122.2Mtでしたから、したがって、排出権価格は暴落して0になりました。第2期の配分は2082.6Mtです。2005年の排出量よりは少し減った量です。対象施設が少し変わり増えていますので、実質56%減のです。国別では、東欧に2005年の排出量486.1Mtよりも513.8Mt と多めに配分されています。西欧は少なめに配分されています。東欧は成長途上なので当然です。

(8)制度改善の方向は

改善の方策は、排出枠が多すぎたので

@ 排出権総量の削減

効率性確保には

A 競売による配分   しかありません。

EU―ETS第3期の案は、今年1月に発表されましたが、そこへ向かって一歩を踏み出したように見えます。

@ 2020年までに総配分量を2005年排出量の21%減にする。

A 発電施設には無償配分をしない(全量オークション)

B その他の産業部門はいきなり全量競売にすると影響が大きいので、2013年に80%無償配分→ これを徐々に減らして行って、2020年は全量オークション。

C ただし、炭素漏出のあり得る産業には2020年まで100%無償配分。

しかし、「炭素漏出のあり得る産業」がどの産業かは決まっていません。鉄なのかセメントなのか化学なのか製紙なのか。それらが「炭素漏出のあり得る産業」であれば、大半の排出量を占めていますから、電力以外の部門の排出量の大半は相変わらず無償配分になります。電力は有償でいいかというと、それで本当に排出量を減らそうとすると、電力価格が上がり、電力多消費産業にはダメージであり、国外に出て行くかもしれません。アルミ産業などです。

そこで、EUは「国境措置」を取ることを提案の中に入れています排出権取引制度のない安いコストで生産できる国からの輸入に対して差別する。関税をかける・輸入品に対して排出権の保有を義務づけるといった措置です。しかし、輸入品に対して排出権の保有を義務づけるとしても、その輸入品がどれだけのCO2を排出して作られたかを確かめることができないわけです。直接・間接排出というのがあり、たとえば自動車を生産する場合、鉄板を造るわけですが、EUの自動車には既に排出権価格が乗っているわけです。もし、日本が排出権取引制度を持っていない場合、日本の自動車には排出権価格は乗っていないわけです。では、日本の自動車をEUに輸出する場合、何トン分の排出権を義務付けるかは計算できない。日本はややこしくて、途上国ではないので炭素削減義務は負っている。現に削減している。しかし、排出権取引制度はない。そのような国を差別するのかということになります。排出権取引制度のあるEUから輸出して、制度のない途上国で加工して再輸入する場合はどうなのかはわからない。そもそも、排出権は、製造工程での排出行為について保有を義務づけられるものであって、国産品は販売時に排出権保有を義務づけられず、輸入品だけに販売時に排出権保有を義務づけられるとしたら、輸入品と国産品は販売時には無差別原則でなければならないという貿易ルールに反します。課税の場合も同じような問題が起こってきます。だから、国境措置というのは難しいのではないでしょうか。

世界全体が競売制排出権取引制度で覆われるまで、EU独自の排出権取引制度をやるのは無理です。日本とアメリカが引き込まれても中国はやりません、インドもアフリカもやりません。

7.日本も排出権取引を入れたほうが良いのか?

日本では福田総理が今秋から実験をすると言いましたが、日本は排出権取引制度を入れた方がいいのだろうか、入れるとするとどんな制度になるかを予想してみたいと思います。

まず、EUのように産業と電力を対象とした排出権取引制度を考えてみます。排出削減には

@  活動量を減らさずに排出原単位を減らす方法があります。

A  活動量を下げる方法

原単位を減らすには新技術導入が必要です。新技術といっても他人が既に導入している技術でもいいのです。技術導入には−@費用がマイナスで、数年以内に投資が回収できるもの…省エネ投資ではけっこうあります。燃料を節約できるので、初期投資がかかっても数年で回収できます。これは、放っておいても導入されるものですが、投資のタイミングがあり、資金がないときには導入されません。−A費用マイナスだが、初期投資が大きく投資しにくいもの があります。―B費用がプラス のもの(投資して回収するのに30年かかるものはおそらくプラスでしょう。太陽光発電などは費用プラスです。)があります。初期投資の大きいものや費用プラスのものは、排出権価格がつけば回収年数が短縮されたり、費用がマイナスに転じたりするものがある。そういうものには排出権価格(炭素価格)は効果がある。燃料費削減効果を大きくするからである。これが排出権取引ものメリットです。

(1)排出権取引制度はどのように効果を発揮するか

実際に排出権取引制度はどのように効果を発揮するかを具体的に見ていきます。

直接燃料を燃焼させている産業は、ある量の排出権を無償で受け取る。それは、これまで出していた排出量を基に、そこまでにどれくらい省エネを行ってきたか、まだ省エネの余地があるかを技術的に査定して決められた量であろう(そうでなければ公平でない)

全体の総量を何%か減らすことを目指しているのなら、これまで十分努力してきた工場は別として、追加削減努力をしないと達成できないレベルに決められるだろう。

現在最新の省エネ技術を皆が導入しても、なお目標を達成できないとしたら、いくつかの工場で生産量を減らしたり、工場を閉鎖したりというのが、排出規制を満たす手段となる。もちろん排出権を買って来られればいいが、そのためには売り手がなければならない。技術の導入余地がなければ生産量を減らすしかありません。

排出権の需要が供給を上回れば、その価格が上がるほかない。価格が上がったら有利になる技術があれば、それは採用されていく。それも枯渇し、技術のオプションがなくなれば、利益の少ないところから生産を縮小していくことになる。

生産縮小が主たる排出削減手段になる段階では、排出権価格は相当高くなっているだろうと思われます。

他方、電力はどうするかですが、現在の日本の電力事業者は、需要に応じて発電し、電力を供給する義務がある。

それが排出枠の割当を受け(削減を伴った)、それを守ろうとすると、まず、

エネルギー構成の変更によって対処するしかありません。石炭を減らし、天然ガスを減ら

し、あるいは天然ガスすら減らして、原子力、水力を増やす。

しかし、設備容量はすぐに変更できないから、限界がある。

再生可能エネルギーを増やせばいいが、まだ1%程度なので急に拡大することは無理で、なかなか頼りにはなりません。

最後に頼るのは電力需要の減少です。しかし、どうやって需要が減るのか。それは電力価格が上がることによってしか考えられません。

電力価格が上がると、こまめな節電がいくらか進むが、大して効果はない。

電力を使用する機器の更新が大きな効果を持つ。しかし初期投資が必要である。買い換え時期なら当然省エネ型にするが、機器の寿命前にあえて買い換えて得するものは少ない。それを起こすには、電力価格が相当上昇する必要がある。冷蔵庫を買い換えて年間600kWh節約すると、22/kWhとして13200/年の節約になります。そのために26万円出して冷蔵庫を買い換えるかというと普通は買いません。電力料金が2倍になれば元が取れる可能性があります。電気料金が2倍にならなければならない。そのためのは 炭素価格は58,000/t-CO2 にならなければなりません。今のEU3,000/t-CO2くらいです。

(2)住宅用太陽光発電が経済的に有利になる炭素価格はいくらか?

太陽光発電はどうかですが、太陽光発電システムの初期費用が60万円/kWとすると、発電単

[0.04/(1 1.04) -20   + 0.01]/(365 × 24 × 0.12) × 600, 000= 47.7[/kWh]

利子率i=4%          維持管理費1%    発電効率12%

(設備の年数が20年で計算)

(NEDO) 47.7 [/kWh]になります。電気料金22/kWhなら、差額は25.7/kWh。炭素価格によってこの差を埋めるためには、炭素価格が電力料金を25.7/kWhだけ上昇させ

なければならない。一般電力のCO2排出原単位を381g-CO2/kWhとすると、67500 [/t-CO2]となります。    

25.7/381 × 106 = 67, 500[/t-CO2]

非常に高い炭素価格が実現すればこのようなものが有利になるということです。

し、炭素価格が5〜6万円になると、電力価格は2倍ほどになります。電力価格がそれだけが高くなるのが望ましいかと言えば望ましくはありません。ガス・ガソリン・灯油に比較して電気が高くなってしまいます。家庭で使うガス・ガソリン・灯油には排出権保有が義務づけられていないからです。電化というのは非常に有効な排出削減手段です。家庭のオール電化・ヒートポンプ・電気自動車といった削減手段があるからです。排出量はだいぶ減ります。電力料金だけが上がると、電力が他のエネルギーに対して不利となり、これらの手段が導入されにくくなります。その歪みを正すには、石油やガスにも排出権保有を義務づけなければなりませんが、個別家庭・事業所に義務づけることはほとんど不可能です。販売者に義務づけるしかありません。燃料販売者が販売時に排出権を保有していなければならないとすることです。これを上流型排出権取引制度といいます。排出権価格の乗った燃料を買うことになります。そうなったときに、電気自動車がその制度で導入される条件を考えてみると、電気自動車が1km走行するのに0.12kWhの電力を消費するとして、それは0.046kg-CO2/kmの排出となる。同じクラスのガソリン車の燃費が18km/lとすると、そのCO2 排出は0.3kg-CO2/kmである。排出権価格が乗る前のガソリン価格が180/l、電力価格が22/kWhとして、5kmの走行でその価格差(電気自動車200万円−軽自動車100万円)を埋めるために必要な排出権価格は15万円/t-CO2 です。

夜間電力を充電するとして電力料金が7/kWhとすれば、必要な排出権価格は13万円/t-CO2となります

(3)太陽光発電などの技術を導入しようとすると、炭素価格は5万円以上

炭素価格でこんなことを起こそうとすると、5万円〜10万円という価格が必要なのです。太陽光発電についても、新築でなければそんなに設置はしません。だから従来型に家に住んでいる人は只高い電気料金を取られるだけです。その結果、日本全体で20兆円のお金が消費者から電力会社に移転します。電力会社は儲かるかというと、オークションで排出権を買っているはずで、オークションで売るのは政府ですから、政府に20兆円が移転します。財政赤字全て解決です(笑い)。仮に15万円/t-CO2 なら、電力・燃料も全員オークションで政府から排出権を買っているとすると、120兆円が消費者から政府に移転します。高福祉国家が実現します。このようなことが出来るくらいなら消費税を上げられないはずはありません(笑い)。だから、政治は、このような高い排出権価格が実現する前に排出権価格を抑えるはずです。しかし、それでは、太陽光発電や電気自動車といった技術は誰も導入しませんから、導入するには規制や補助金や税の差別化です。あるいは電気自動車の場合にはどこでも充電できるような、充電装置などの社会的インフラの整備です。補助金であれば莫大な金額の移転がなくても太陽光発電ができます。10年間で400万戸に1200kWの太陽光発電システムを導入するとして、1戸の設置費用が60万円/kWとすると、1戸当たり32万円/kW程度の補助金で必要な補助金総額は3.8兆円です。1年当たりにすると3800億円です。炭素価格でやろうとすると20兆円が移転することになります。移転の方向は消費者→政府ということで逆です。補助金のほうが社会的摩擦は少ないでしょう。

電気自動車も税のグリーン化でできます。税のグリーン化では消費者は得する人も損する人もいますがたいした影響はありません。こういう新技術導入政策は炭素価格とは別に絶対やるに違いない。こうした新技術導入促進政策に加えて、まだ十分行われていない省エネがあれば、それを義務づける(東京都のように)といった規制が2010年代の温暖化政策の中心になると思われます。東京都の制度は排出権取引制度のようにいわれていますが、私は排出権取引制度ではないと思います。省エネ規制の拡張版です。

新技術というのは炭素価格が上がっていけば自然に導入されていくだろうというのが主流派経済学のイメージですが、そうではなく、先に補助金や規制でどんと導入すれば全体としてのコストが下がり、市場競争力を持つものです。価格の誘引によってはぜんぜん効果は上がらない。

8.排出削減の方法は2つ

削減方法には原単位を減らす方法と活動量を減らす方法がありますが、活動量を減らすのは、企業の場合には生産を減らすということですが、家庭の場合には移動を減らすとか、ただ我慢したり、扇風機で送っていた風を団扇などの人力によって代替したりすることです。

活動量を減らす場合、企業の場合には、それを減らす費用の安いものから順に行われていきます。活動を減らす費用の安いものとは利益の薄いものです。中小企業の細々とした事業所はまず最初に閉鎖してくださいということです。家庭で言えば、費用の安いものとは人間労働の安い人(給料の低い人)です。それを良とする制度です。

もし、原単位の削減を中心するというのであれば、前記のように、技術はなめらかに導入されるというわけではありません。技術が特定できるならば、その特定技術に的を絞った規制や誘導策が有効です。あるいは、電力会社に再生可能エネルギーを△×%にしなさいという規制が可能です。しかし、技術政策をいくらしても活動量が増えているから排出量が増えているわけです。省エネ型でも活動量が減らないじゃないかということが排出権取引の理由なのです。排出権取引なら活動量も減らすことが出来る。もし、活動量削減に踏み込まないなら排出権取引はいらないというのが一つの論理です。

9.日本は活動量を減らさなければ削減できない領域に踏み込むのか

2010年代までに日本は活動量を減らさなければならない領域までやろうとしているのかどうかです。69日の首相の演説での、2020年度14%(2005年度比)という数字は、原単位削減対策だけで実現可能あるとして経済産業省が根拠を出したものです。にもかかわらず、排出権取引を導入するという。では、この排出権取引の狙いは何かです。活動量の削減にまで踏み込もうというのなら、もっと、排出削減の量を思い切ったものにしてもいいのではないか。排出権取引の制度は入れるが、それに期待していないのではないでしょうか。

実際、排出量削減を排出権取引でやろうとするとどうなるかですが、費用の安いところから減らせということになりますが、これは社会的に非常に危険な側面を持っています。それに政治は耐えられません。20兆円の所得が、ただ価格メカニズムによって、消費者から政府に移転するという価格の大変動を世の中が受け入れるのか。本当に活動量を減らすなら排出権という価格メカニズムよって引き起こそうとするのは非常に危険であり、様々な社会政策を打っていかなければなりません。活動量を減らすことは産業分野が大きく変わります。日本では鉄鋼をあまり造らないでおこうという変化が起きることです。たとえば、農業は全く市場メカニズムではありません。衰退産業は市場メカニズム以外のところでというのが法則です。郵政民営化の話ですが、米国の郵便局は民営化しなかった。衰退産業だから郵便には独占を認めたのです。伊東光晴京大名誉教授が書いています。衰退産業は市場メカニズムに任せてはいけません。つまり、どの面から見ても排出権取引の出る幕はないのです。

 

質問 (小)氷河期が1500年周期程度で繰り返されているといわれますが、我々は、石油や石炭などの化石燃料をその時我々の子孫が生き延びられるように少しでも節約するべきだと思っていますが、今、中国やインドはどんどん成長していますから、世界の排出量を減らす決め手はあるのでしょうか?

 世界の排出量を減らす決め手はありません。救世主はありません。2050年に半減させようとするなら、日本は7割減にしなければなりません。とてもイメージできません。どのような社会になればという絵は一応描かれていますが、途方もない状態です。私の自分の家の排出量を調べましたら4人家族で2t/年でした。少ないのは、クーラーがない、TVも1台しかない、家が小さいのです。1970年代のイメージですかね。1人が0.5t/年というのは平均の半分以下ですから。

質問 農業とか林業とか温暖化ガスを吸収するものの議論がどうなっているのか

 基本的に農業も林業も中立です。農業をやればやるほど吸収することはないのです。日本は京都議定書上で森林が温暖化ガスを吸収することになっています。しかし、それは政治的になっているだけで、現実的に吸収しているわけではない。日本の6%削減は厳しすぎるので、3.8%を森林が吸収していることにしてあげましょうというだけです。

質問 間伐をすることによって、木が成長して温暖化ガスを吸収するとかを経済価値として評価できないのか。

 カーボンオフセットとして評価することはできます。しかし、あまり意味のあることとは思われません。

質問 木造住宅に300年間CO2を固定化するとか?

 住宅をつくるところの資材が減っていることによって二重カウントはできません。今ある住宅をずっと持たせれば、新しい住宅を造らなくて済みますか、住宅を造るCO2は減りますが、そこで1度カウントされれば終わりなのです。

質問 3040年で住宅を壊すことから比べれば少ない?

 それは少なくなります。炭素の固定化ということですが、木材はバイオマスなので、壊した分はどこかで成長しているだろうということでカウントが0なのです。木材以外のアルミサッシなどは当然住宅を長持ちさせれば排出量は減ります。

質問 排出権取引が導入されると衰退する産業がでてくるとのことですが、成長する産業は?

 排出権取引が導入されるからではなく、活動量を減らされると衰退する産業が生じる。カーボン排出0産業などは考えられます。林業など。鉄筋コンクリート住宅が減って木造住宅が増えれば可能性はあります。

質問 環境税の有効性は

 環境に価格を付けるのはどちらも同じですが、環境税の場合、6万円/tとかいうような税は無理ですから、もっと低い税率を導入すると思います。そうすると税収が入ってきますから、増税手段として有効です。しかも、税率をなかなか変更できませんから価格安定です。排出権の場合は価格は安定しません。価格が安定しないということは投資の予測が出来ません。新しい技術を促進しようとするなら環境税のほうがいいと思います。

いずれにしても、今は増税が必要な時期ですから、その一部を環境税に担わせるということはあります。消費税や所得税だけに頼らなくてすみます。しかし、環境税の導入によって人の行動が変わるとは思いません。

質問 目的税にするということですか?

 目的税にしなくてもいいです。一般税でいいです。目的税はあまり意味がありません。入れやすいだけです。

質問 EUは、3期目もやるというが、何を目的とし、その見通しは

 その意図は分かりません。しかし、深い意図があるとも思えません。成功しないと思います。官僚の楽しみでやっているのではないかと疑ります。政策競争をやっているのです。「世界で始めての制度を導入したぞ」という事しかない様に思います。

質問 森林は温暖化ガスにニュートラルということですが、森林が都市用地になれば排出量は増えるわけですね。電車なども存在することによって増えないということだと思うのですが、存在することの評価は何かありませんか。

 売れる木材を作ろうとどうしようと変わりませんが、管理を放棄し開発されると排出量は増えます。それは、しかし、別途、土地利用規制で考えるべきです。

 電車があれば今のようなガソリンの値上げでも電車を使おうかということになります。しかし、まだ、車で移動するほうが得です。電車に乗ろうと思うと早めに大学を出て駅まで自転車で来なければなりませんから時間のロスがあります。時間単価を計算しなければなりません。もっと頻繁な時刻表なら明らかに電車のほうが得になります。沢山の人が乗るなら安くなりますが、沢山の人を乗せようにも炭素価格ではそうはなりません。先に公共的に整備しておく必要があります。そうすれば、炭素価格が少し上がっただけでも車を止めておこうかということになります。車を持たないでおこうかとなるのです。車を持ってしまうと経済的に有利になってしまうので、車を持たない状態を如何に作るかです。

質問 外部価格を内部価格化ということは無理なのですか?

 ほとんど無理です。計算できません。CO2:1t出せばいくらかというのは絶対分かりません。被害額が分かりませんから。炭素価格がつくのはEUで総量△×tという規制を設け、希少性を人為的に作り出しているからです。EUの量は全く恣意的に決めています。炭素価格に実際上の意味はありません。

質問 敦賀中池見の価格は?

 中池見に価格はつけていません。経済的評価は無理です。私は保全費用を出しましたが大間違いでした。実際はただでした。大阪ガスは開発をあきらめたからです。大阪ガスがガス基地をあきらめるコストが保全費用です。実際はガス需要がなかったのです。費用は当事者しか知らなくて、当事者もはっきり分からないのです。CO2削減コストはいくらかを調べましたが、ほとんどは、費用マイナスなのですが、マイナスでも投資しません。投資資金を獲得するための費用や機会費用などのコストが実際にはあるからです。儲かる用途があればそちらに投資します。そのような計算は出来ません。費用がいくらかに基づいて政策を議論するのはほとんど根拠がないのではと思います。

 

 

★★★★★★講師紹介★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

  (おか) 敏弘(としひろ) 氏

1959年生まれ

1988年京都大学大学院経済学研究科後期博士課程修了。滋賀県琵琶湖研究所研究員を経て1993年福井県立大学経済学部助教授

199798年 Visiting Professor, CSERGE, University College London

2000年から現職となる

《主な著書》

『環境経済学』(岩波書店)、『環境政策論』(岩波書店)、『厚生経済学と環境政策』(岩波書店)(共著)『環境政策の経済学──理論と現実』(日本評論社)など

《主な排出権取引に関する論文》

「排出権取引の幻想」(雑誌『世界』2007.11

「排出権取引は中核的政策手段にはなり得ない」(雑誌『世界』2008.9

 

★★★★★★ちょっといって講座実行委員会★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

福井市大和田町38-30-3 福井県地方自治研究センター内

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