第1回 ちょっといって講座

「 今日の労働運動の現状と課題」

熊沢誠 甲南大学経済学部教授

1989年11月2日   於:福井県民会館

 

T.「組合ばなれ」の今日

  1.組合ばなれ 2つの内容、その相互作用

  10月に東京新聞で連合会長代理予定の藁科さんと対談しました。新聞社の人が「労働運動の低迷が続いているが藁科さんどう思いますか」と聞いたわけですが、それについて藁科さんは国際化、情報化、高齢化ということに労働運動の対応が遅れたからだといいました。しかし、私は、こうした時代の変化から労働運動の停滞を説明するやり方は、サラリーマンの日常からは離れているように思います。

 日本の労働運動の現状のキーワードを1つだけ挙げるとすれば「組合ばなれ」です。労働者生活の風景のなかで組合という建物が黄昏が近付くとともに段々とぼやけてきている。しばらくたったら暗闇のなかにその輪郭が消えてしまう。労働組合とは関わりのない労働者生活をする人が増えていることを身据えてかかる他はないように思います。

 組合ばなれの印象は2つ。1つは未組織労働者が増えていることです。組織率の統計は毎年年末に発表されますが、1975年から年々低下しており、現在26.8%になっており、先進国の中では大変低い水準にあります。問題の深刻さはそれだけではなく、いま組織されている26.8%の人々も職場の日常に於いては、未組織労働者とあまり変らない生きざまになっているということで、そこに組織労働者の特徴というものが見られなくなっています。組織労働者というと工場労働者を思い浮べますが、たとえば大阪梅田の○○商事のサラリーマンはれっきとした組織労働者です。ホワイトカラーといわれる人々は増えているわけですが、その日々の生き方は基本的に組合と無関係であるわけです。

 組織労働者と未組織労働者は「生活の守り方」について大きなイメージの違いがあると考えています。未組織労働者は否応なしに、限られた雇用機会・賃金とかの仲間同士の競争に自分を投出し、個人としてがんばっていかなければなりません。組織があるところでも「課長」などというのは未組織労働者の最たるものです。しかし、私が組織労働者の未組織労働者化というのは、そう謂うふうな覚悟に於いては組織のある中・大企業の正社員も同じであって、企業間競争を基盤においた、仲間間の競争の中に自分を投込んでやっていかなきゃいけないと覚悟してしまっている。

 そして、この2つは相互補強し合っている。未組織労働者は「組織労働者だってあんなんだから組合持ったってどうってことないじゃないか」、組織労働者も自分たちの日常がこうなんだから特に情熱を持って組合を作れという勇気が弱くなる。800万という旧陸軍を除けばいまだかって出来たことがない労働戦線統一において画期的な年は同時に「組合ばなれ」が静かに確実に進行している年であるといえます。

 2.組織と未組織――哲学の相違

  労働者、サラリーマンは競争によって自分の生活を守って行かなければならない、労働組合とか社会保障とか、まして社会主義に頼ってはならないという哲学は、一番すっきりと表れていたのは米国です。米国の組織労働者は労働組合的な考え方を非アメリカ的なものとして非難されるという嵐の中で生きてきたわけです。「組合ばなれ」は米国においては日本より15年ほど前から進行していました。さらにレーガンの荒療治によって米国の労働組合は寒風吹荒ぶ中に置かれています。 

 3.組合ばなれの背景

  @労働者構成の変化

  α.労働組合の得意な分野の労働者が減って、あまり労働組合に馴染まなかった労働者層が増えてきました。産業で見ると労働組合の強い分野というのは製造業・建設・運輸通信・ガス水道・パブリックセクター=公務員です。こうした人たちの比率は減っています。それに対し、卸小売・金融・不動産・サービス業というようなあまり労働組合が見られなかった産業に労働者が増えています。職業別で見てもブルーカラーといわれる人達は相対的に減ってホワイトカラーが増えています。職業の統計では販売従事者と専門技術職が増えています、販売従事者の中では、外回りのセールスマンが増えています。どういう職業でどれだけの人が働いていて、それは男が多いか、女が多いか、年寄りが多いかということは非常に大切なことです。たとえば、地方でブルーカラーで働いている年配の女性の比率は多くなっています。女性の中で肉体労働者の比率はそんなに下がっていません。

  β.それから女性労働者の比率が増えてきた。36%くらいになっています。

  γ.日本で特に大きな役割をはたすものとして企業規模があります。日本の場合の企業規模と組織率はみごとに相関をなしています。小企業・中企業の労働者が増えると謂うことはそれだけで組織率にピンチであるといえます。1975年以降、かならずしも大企業に人が集まるということではなくて、統計を見ても500人以上の企業と官公庁の比率は減っています。これは大企業の労務管理の特徴として「分社」があるわけです。労働者の働きと経営の採算を近づけることによって、労働の成果の直接性みたいなものをサラリーマンに教えることによって働きぶりを測定するしかけといえます。サービス産業の場合は事業所規模になりますともっとしんどいわけです。たとえば、マクドナルドハンバーガーの場合などは全体では1万人とかなりますが、働いている場所では社員は1人とか2人とかです。あとはアルバイトです。統計の事業所規模では2人になってしまいます。これでは労働組合活動はしんどいわけです。

  δ.雇用形態の問題があります。総理府の就業構造記録調査ですが、17%が正社員以外となっています。

  A中・大企業の正社員の限定

  しかし、こうした労働者構成の変化が本当の意味での労働組合運動が弱くなったということを説明しきったり、ましてそれに正当性を与えるものではありません。新しく起こってきた産業の場合は労働者の個人の働きに依存している場合が多いわけですが、労働組合が一旦形成されれば企業に与える力は強いわけです。女性が増えてきたといっても、男は効率主義かもしれないが、女は一歩身を遠ざけているということもある。一旦労働組合の物の考え方が女たちを捉らえればすごく強力なものになるかもしれないわけです。

 ホワイトカラーとブルーカラーの場合でも欧米では1960年代以降ホワイトカラーが労働組合運動の中心となっています。地方公務員は中核部隊です。つまり、労働者構成の変化が労働組合運動の衰退に果たした役割は50%以下で、むしろ労働組合の物の考え方や戦略が活力を失ったことにあるといえます。

 日本の労働組合の場合には企業規模と雇用形態は直接的に影響を与えます。日本の場合は企業別組合です。単位組合の組合員資格が企業の正社員に限定されているわけです。図1を見て下さい。どんなふうに労働者が集まっているか

図1

を概念図にまとめたものです。真ん中の台形(C+D,B)と上の三角形Aが正社員です。組織労働者というのはB中間管理職の下半分とC男子正社員・D女子正社員です。Fは中小企業の労働者と溶け込んだ形で下請企業の労働者が企業の塀の中で仕事をしています。Jという労働者派遣事業から送られてきた派遣労働者があります。これはJの正社員とJに登録していて仕事のあるときにくる2種類があります。その下に500万人といわれる主婦パートタイマー(H)があります。L学生中心のアルバイト、K季節工、それからM日本の海外進出企業で働く外国人労働者並びに日本に入ってきて働く外国人労働者があります。真ん中の組織労働者は上の未組織労働者である管理職、下の未組織労働者であるパート等と横の未組織労働者である派遣労働者・下請労働者にひしひしと囲まれ、常にその働きぶりを比べられているわけです。正社員以外の人々は就業基本調査によりますと3年前の12%から17%に増えている。女性の中ではこれは25%ですが、昨年・今年雇われた者では30%にも上っています。

 ところで、正社員でああることは大変拘束的なわけです。保障はあるけれども、企業と謂う世界に部分的に関わることを許されないわけです。外にある人々は、差別されているけれども自由がある。主婦がパートを選択する場合のように仕事に部分的に関わることも許されわけです。また、正社員でありたいのだが外へ押出されてくる場合もある。男の場合も出向(特に中高年齢層)があります。例えば東洋紡績では50代になったら敦賀の原発の下請企業で働くようになって、下請企業と本社から半分づつ給料をもらい、53才になったら本社に帰ってきて定年退職ということも行なわれています。ベテランOLがダブついてきたら派遣会社を作りそこへOLを移しちゃうわけです。サラリーマンの動かし方についても完全に企業がフリーハンドを享受しています。

 雇用均等法はいいことがあり基本的には賛成なんですが、しかし、女子労働者を一部は男子中核部隊に繰込むとともに、一部を主婦パート・派遣労働者に追出す役割も果たしています。いままでのように仕事はまあまあでと考える人々は部分的な働きでけっこうですということになる。均等法で企業は”女々しい”(ママ)男と”男勝り”の女を交換するわけです。企業にとって何の損もないわけです。

 4.残された正社員

  @サバイバルゲーム

  こうなってくると、残された組織労働者というのは、組織労働者らしい仲間と連帯してその職場での発言権とか職場での牧歌的雰囲気とかを守ってやっていこうということはとてもできない。すごいサバイバルゲームの中に投込まれているわけです。

 たとえば、銀行の端末機を扱う仕事などでは、それが失敗したかどうかのプログラムも入っていて、個人別に記録できるようになっています。さらに、セールス以外の仕事の人々にもセールスの仕事が付加されるようになっています。NTTの社員は電話交換機の修理とともに新しい電話機のセールスをしなければならないわけです。JRの車掌は車掌の仕事だけではなくオレンジカードの販売もしなければならない。宅急便の荷物を運ぶ人は同時に、拡販をする人であるわけです。銀行の受付をする人は同時に定期預金のノルマが課せられています。

 表1のように日本の働きすぎを労働時間で見ると歴然たるものがあります。特に所定外労働時間が長いこと、休日の取得が少ないことが浮びあがってきま

表1

す。日本の有給休暇の付与日数は平均18日ぐらいですが、取得日数は9日で50%です。この率も毎年記録更新しています。休みを取ったり、残業せずに定時で帰ってもちゃんと仕事が回って行くように要員が取ってある会社は15%ぐらいしかない。85%の職場では残業をしなかったり、休日を取ったりしたら、ノルマに押されて自分が”えらい”か職場の仲間が”えらい”というようになってしまうわけです。

 残業をするかしないかは1つの競争の対象になります。サービス残業をするかしないかも競争の対象になります。サービス残業というのは「聖域」であり、長い間調査されませんでした。昨年秋、総評がはじめて調査しました。日本の労働者の40%が残業手当のないような残業をしているということです。新聞の投書で奥さん方が、遅く迄働いていて、まだお金を持って帰って来るのならいいんだけれども、ただ働きさえしていると、すごい非難の的になっています。しかし、サラリーマンに言わせると、100時間残業して100時間申告することはバカということで、25時間とか30時間と申請することがいいとされています。銀行の場合は特にそうです。なぜ、そうなるかというと25時間というのは銀行が決めた予算です。逆にサラリーマンとしてみれば、5時間残業

図2

して2時間と申請しますが、あの仕事に5時間もかかったのかという記憶が管理者に残るのと、あの仕事に2時間しかかからなかったのかという記憶が管理者に残るのとで、どちらが長期的に見てサラリーマン生活に有利であるかを考えるわけです。もちろん会社側はあの仕事が2時間で終わるとは思っていないわけです。5時間かかったものを2時間で申請するという「心根をよし」とするわけです。

  A人事考課――日本型の特徴

  人事考課を媒介として、サービス残業というのは当面の収入増をあきらめても働いてしまう。どのような馴染みのない仕事、遠い勤務地へも行くことができるというふうになるわけです。単身赴任が技能上のキャリア展開の為に必要とは見えません。40代のサラリーマンが、今後家庭生活は二の次であって、会社員生活が第一と考えることができるかという精神の踏ん切りとして、単身赴任の提示があるといえます。それから、日本の企業は刻々仕事のやり方が変ってきます。その変化を呑み込むことが出来るかどかもサラリーマンの競争の大きな領域になっています。

 日本の企業は潜在能力も見るわけです。潜在能力と言うと大切なのは体力ということになってきます。むかしは体力というと厚生課の仕事でしたが、現在は人事課と厚生課が統合されて資料は全部人事課が持っています。ひどい場合、体力にもノルマがついて、体力の種目があり、年令別の達成すべき目標があります。12秒間の疾走、握力、腕立て伏せ、三段飛び等により点数を付けるわけです。これが年2回ほどある。テストの点がいい人は定年延長される(もっとも、「過労死」でもされると会社が損をするということもありますが。1988年は過労死元年です。過労死は波頭として存在しています)。

 人事考課ほど労働者の生活に大きな影響を与えながら、これほど労働運動や革新勢力の追及の外にあるものはないといえます。93%の企業で人事考課は労働者の昇級やボーナス、昇格や昇進、左前になったときに残す従業員であるか出す従業員であるかの基準として使われているにも拘らず、なぜかあまり立入らないことになっています。

 日本の人事考課は仕事の成績だけを見るものではありません。成績だけを見るというのは大学の受験に似ています。受験はひどいというけれど、私はそうだろうかと思っています。試験の点が悪いからある大学に入れない場合は人格が部分的に敗北感を感じるだけです。日本の企業社会の場合は、成績の達成だけではなく、潜在能力、仕事を変ってもやれるかどうか、関連の仕事をやれるかどうかを求めています。そして潜在能力を媒介にすると必ず態度・性格というところに広がってきます。潜在能力というのは試験と違って数値的に把握することができないからです。子供を評価するときに成績だけで評価することはひどいという気持ちがあります。もっと内申書で人格をよく見るべきであると。しかし、見るべきであるといっても、その人の目的がはっきりしている場合には広く見るということこそが、全人格的な統合をもたらしているという関係にあります。子供たちやサラリーマンに能力の発揮というものを期待するということのなかに強い統合の要素が含まれているのは日本だけです。成績だけを見るのであれば、欧米の組織労働者にも単純出来高給があり、これをフランクに受入れています。自分はけんめいに長時間働いて物を作ったから給料が高くて当たり前、自分はあまり働かずにあまり作らなかったのだから低くて当たり前というように、ドライに企業との関係を打ち立てています。日本はそのように部分的に会社に入ることを許さない。どんな人でも高い期待を会社はかける。高い期待をかけるからいろんな側面を見る。いろんな側面を見るから会社人間たらざるをえないわけです。

 こうした人事考課によって、ブルーカラーの世界では40代半ばで年収は150万円くらい変ってきます。ホワイトカラーのように出世頭の給料が高いところでは、400〜500万円ぐらいは変ってきます。労務行政研究所の統計によりますと、モデル賃金の平均と最低の比較をしたところ、35才で5.9万円/月、45才で9.9万円/月 でした(これはモデル賃金ですから中途採用者は始めから排除されています)。これは純粋に査定による格差です。日本の企業は35才まではあまり差が付かない。45才ぐらいから50代の前半までが一番きついわけです。そして一番生活費が掛る時です。これが結合していることが日本の働きすぎの大きな原因です。

  B個人のガンバリ・連帯の風化・組合ばなれ

  個々人のがんばりがなければ家族に中流階級的生活をさせてやれない。それは労働組合運動によって生活を守る、あるいは革新政党を打ち立てて生活を守る気持ちとは大分日常において差があるわけです。がんばりというものが連帯を風化する。連帯心の風化はまたサラリーマンをして個人でやらなきゃならないという気持ちにさせている。ということで組合ばなれが完成する。

U.思想の敗北

 1.労働戦線の統一 1989年  800万の<連合>その可能性とその限界

  こういう状態を超えて行く為には、通念を疑う思想の営みが必要です。800万の連合がもう直成立します。労働戦線統一はある可能性を拓くわけで、政策課題・発言権が大きくなるわけです。社会保障の日本のありかたは働きすぎと関係しているのだから、こういうところで声が結集されることはいいことです。サラリーマンの働きぶりも企業間競争を前提にしていますから、競争を規制するには、企業の枠を超えて労働条件を標準化していくという古典的な労働組合の役割が必要です。連合はライバル企業を包括する可能性があります。たとえば、関西には化学企業として住友化学があり、労働組合は総評加盟です。三菱化成は同盟、昭和電工は工場ごとにバラバラということです。これが一つのナショナルセンターになるという意義は大きい。しかし、それだけではだめで、日常のサラリーマンにとっての労働組合になるかどうかは連合ができたからといって見通すことはできないわけです。

 日本の労働運動の性格を表すような統計を紹介しましょう。表2です。日本生産性本部の労働組合の現状と対策という2つの質問を私が統合して考えの素材としたものです。現在労使間で問題となっている事項の高いものを選んだものです。それがどれだけ成果を上げているかを企業別組合のリーダー達が答えたわけです。比較的成果が上がっているもの(☆)とほとんど成果が上がっていないもの(●)に分けることができます。成果が上がっているのは所定内労働時間の短縮、退職年金問題、福利厚生施設、成果が上がっていないものは、時間外労働の規制、賃金上昇の抑制、有給休暇の消化、個別査定の強化などです。成果の上がっているのは従業員の福祉全体に関わることです。これは、サラリーマンの職場での生きざまが鋭く問われないようなものです。成果が上がっていないのは、最後には個人の行動に関わる領域、それを見て会社が個人処遇に使うということですが、職場の仲間同士の人間関係と、その人間関係の中での振舞の結果として生じてくる個人処遇の違いに、現在の労働組合はあまり手を付けていないことを意味しているわけです。

 だから、所定内労働時間が減りながら、総労働時間は残業とか休日出勤等によってちっとも減らないわけです。定年の年齢は長くなりながら、定年までは働けないと覚悟しているサラリーマンが増えているわけです。

 2.労戦統一反対の空しさ 左派の ”言葉主義”について

  連合の指導路線が「労使協調主義」だから左派の結集に入って行く、ということは空しいと考えています。労働戦線統一は労働組合の性格がこういうふうに一つのところに変ってきた(民間は昭和40年代から、官公労は50年代から)その結果なのです。連合がおこることによって労働組合の傾向が大きく変るわけではないのだから、出来るだけ沢山、連合に入ってもらいたいと思うわけです。ともかく、あんなことで喧嘩してほしくないものです。

 左派に思想のアイデンティテイはないと考えています。「労使協調的なのはいけない」「階級的であるべきだ」というわけですが、お前は「労使協調ではないか」と言われて、そのことが打撃になるような時代ではありません。「労使協調であってなんで悪いか」というようなことになりますし、まして「国民的」「階級的」という言葉は余計混濁してきます。

 3.政財界の哲学と国民多数の合意

  経営者・自民党の哲学が国民多数の合意を得ている状況があるのではないかと考えているわけです。長い間、革新は戦後日本人にとってけして否定できない大切な価値理念を掲げてきました。「平和」と「民主主義」と「生活向上」です。これは三位一体のものとして導きの概念でした。確かに昭和30年代の前半までは政財界の方の施策にはこの価値を踏みにじるような行為を指摘することが十分に可能でした。そういう価値を担うものは総評・社会党であり、あるいは共産党であったわけです。しかしながら、昭和40年代になりますと、政財界の方はその「平和」「民主主義」「生活向上」というものを日本人から忘れ去らせるのではなくて、彼等なりに具体化したのではないかと思います。現在では、経営者の味方をし、自民党に投票しても「平和」「民主主義」「生活向上」の理念を捨て去ったと思わなくていいような国民意識になっている。それをはっきりとみ据えるべきだと思うわけです。

  @階級・階層別ライフスタイルの理念の否定――希少財の公平な配分

  昭和40年代の政財界がはっきり擁護した「民主主義」は階級別階層別ライフスタイルの理念の上での否定です。日本という国に於いては、この階級にはこういう生活の仕方、この階級にはこういう生活の仕方それが違って当たり前という理念は、日本の支配層はとりませんでした。そうではなく、どの階層のものでも中流階級的な生活水準を保障するということでやってまいりました。40年代に消費市場が日本の成長の最大のマーケットに位置付けられて以来です。だから、故池田首相が「貧乏人は麦を食え」といえば強い国民的非難を浴びたわけです。「貧乏人は麦を食え」というのはある意味では正しいわけです。こういうふうに庶民は生活しているからです。しかし、自民党といえどもその点は言ってはならない理念として存在しているわけです。これは欧米の社会ならば十分に通る発言です。

 一介の農民、一介の労働者であっても中流階級としての耐久消費財を求めることができる、持家を持って、子供が大学まで進学できる、そういうことを望んで「いいかな」「いいとも」ということです。

 これがあまりにも私たちにとって当たり前のことになっていますから、不思議に思うかも知れませんが、そういうことが「民主主義」の一つの内容として、支配層も認めているわけです。5千円とか6千円ですばらしい時計を手に入れることができる。オートフォーカスのカメラも労働者がちょっと努力すれば買える、TV、車などもそうです。こうした商品を民主財といいます。しかし、社会的に供給の限られているものは、無限に価格が高くなるか、供給の質が悪くなるかどちらかです。その例は自然です。高級生鮮食料品、土地つきの家などです。しかし、そうした社会的希少財のなかで一番大きいものはいい大学とめぐまれた仕事だといえます。

  A競争、その機会の平等化―→多数者の成功―→生活向上

  こうした社会的な希少財を公平に配分する理屈は何だろうかということです。それは、競争のスタートラインで制度的な差別をなくすことです。その上で競争するということです。だから、日本の場合は競争が民主主義の非常に大きな否定できない要素として居座ってしまったわけです。これは、日本の支配層がりっぱに承認する内容です。日本ほど競争を公平に開放している社会はない。開放しているからこそ、庶民はしんどいわけです。

 しかし、競争による民主主義の昇華が、もしも実際に成功する人の比率が大変少ない、いい大学に入ったり、一応の昇進をしたりする、その比率がすくなければいくら競争自体の平等が解放されても、庶民というものがそのような民主主義にいつまでも自分を投込むことない。

  B企業の発展、経済成長――その駆動力・企業間競争、その器・自由経済

  ここで大切なのは、そのような庶民にとっての成功の機会というのは、企業の膨張と経済の成長によって果たされるということです。たとえば、私の様な年齢の中学校の同窓会は、ある意味で社会的成功を遂げた人ばかりです。中学校を出て働き始めて今中小企業の社長、高校を出て今製造部長になっているとか、自分で店を持つようになったとかという種類の人が大変多い。経済成長と言うのは企業を大きくします。企業が大きくなれば、支店が増える。支店が多ければ支店長になれるということです。そういうふうにして企業の発展や経済の成長は成功の機会を多くする。成功の機会を多くすることによって、機会の平等の上に立つ競争のすさまじい結果というのを受入れるわけです。だから、戦後の大きな価値の1つであった「生活の向上」が政財界によっての「企業の成長」、「経済の膨張」に具体化されたわけです。

 日本は競争によって欧米を凌駕してくるようになりました。自由主義経済の核心というものは、日本では非常に強い。どれだけ社会党が勝っても、財界はびくともしていない。関西同友会が社会党の幹部と合った時、「これだけ成功して素晴らしいパフォーマンスを持つ自由主義経済に手を付けることが出来ますか?」といった。社会民主主義的な市場の規制など社会党は出来ないと読んでいる。世界の財界でも優れて新自由主義的です。

  C自由世界の共同防衛

  戦後の革新は、「平和」と「民主主義」と「生活向上」そして「社会主義」を掲げました。このうち、支配階層がはっきり拒否したのは「社会主義」だけです。「平和」というのは、思い切って言い切ってしまえば、「自由世界の共同防衛」しかも、しぶしぶけちってのです。これが、経済界の理念です。土井さんの提言で、「全方位外交」とかいっていますが、これは、福田武夫元首相が言い出したことです。福田氏が言い出したことによって、ある意味では、戦後革新の思想的アイデンティティは失われていた。

 4.国民への説得材料

  具体化された戦後日本の価値というものが、国民にとってどのように説得されたかというと、昭和40年代の全階層的な生活の向上です。昭和40年代は確かに公害問題は台頭しました。しかし、あれほどごっそりと全階層が豊かになったというのは、資本主義の歴史の中ではそう例がないと思います。それが1つの説得材料です。

 昭和50年代に経済の舞台はがらっと局面を変える。非常に激しいサラリーマンの選別みたいなものが起こってきて、競争に勝ち残らなければ中流階級的な生活をさせてやれないように実はなっているわけです。高度経済成長の時代が階層上昇のためのがんばりだとすれば、昭和50年代は、生残りの為のモーレツというべきだと思います。ところが、自民党が圧倒的に勝利を収めるようになったのも昭和50年代です。完全に自由主義経済を取らず、下に社会保障を据え、上からは完全雇用の経済政策を進める、その真ん中に強力な労働組合運動をかかえるというような西欧の福祉国家(社会民主主義政権の下での)が、このような日本に遅れをとった。「だから日本はいい」と、特に1975年のスト権ストの後から開き直った。そのような日本経済のパフォーマンスが最後の説得材料になって、86、87年ごろは企業の中では経営者のいうこと、社会的規模では政府・自民党のいうことに、国民の合意が遺憾ながら与えられた。

5.「新自由主義」の行政改革―

  ―日本の先駆性

 行革というのは、それまでの日本の強みを再確認する営みです。日経連が86年の賃金白書で説明しましたが、行革は欧米の諸国では”先進国病”の”治療”として行なわれているが、我が国では”先進国病”の「予防」として行なわれていると。まだ、日本で残っている欧米的なところの一掃のとして行革が行なわれたわけです。それは、国鉄・地方公務員です。そして、国民の多くが行革に賛成した。革新陣営の方も、「国民のための行政改革」ならいいみたいな形でしか対応できなかった。(公共部門の役割ですが、革新は「民活」「民活」ということにいかれすぎている。社会党はもっと「官活」ということをいうべきです。)以上の様に、戦後価値の具体化に革新も含めて抵抗できなかった。

 6.参議院選挙以後の政治変動について

  最近の社会党の伸びをどんなふうに考えるかですが、戦後価値に内容をもたらした自民党政治を「本来の自民党政治」とするならば、自民党はその数から傲慢にも「本来の自民党政治」を逸脱し、あまりにも国民をバカにしたから反発した。しかし、選挙民は「本来的な自民党政治」の物の考え方の中にある。なぜなら争点が消費税であるところに端的に表れている。消費税は新自由主義の減税論を本来的なものとする自民党にとって皮肉なブーメランです。本当のところは革新(社会民主主義)にとっても大変ヤバイことです。

 私どもは経営者とか自民党というのは反動と思いたがる(自分たちのアイデンティティの為に)。「浮沈空母」とか「天皇がどうの」とか言ってくれると

”有難い”。いかにも真実味が出てくるからです。本当の所は自民党は反動ではありません。反動呼ばわりするのは、私たちの思想の検証が甘いからです。「平和」「民主主義」「生活向上」というものに彼等が与えた内容を越えるものを我々が作らない限り、「平和」と「民主主義」「生活向上」を唱える者が、経営者に賛成したり、自民党を支持するということに矛盾がないわけです。

 労働運動と革新勢力がある独自性を持った物の考え方を持っていかなければならないのであって、土井さんが憲法の子であるというのは大切だが、憲法だけではだめで、憲法に書かれている「民主主義」に我々の内容を与えていかないと腰が座らないわけです。

V.思想の課題 労働運動と革新勢力にとって

 1.前提 社会党のジレンマ

   抗議の党VS政権の党

 社会党は抗議の党と政権の党との大きなジレンマに立たされています。今、敵の失点によってかなりのところまで上ってきましたが、政権を取るには「本来の自民党政治」のところまでうんと近付かなければならない。田村私鉄総連書記長が財界の人と話をしましたが、「農政とリクルート、消費税以外は自民党政治を受継ぐ」と申されました。財界は「リクルート以外は全部受継いだ方がいいのではないか」というので、「考えてみましょう」ということでした。「本来の自民党政治」に国民の世論があることを少なくとも社会党は見ている。けれども、自民党政治と連合政権の政治がほとんど変らないのであれば、なんの為に政権交替するかわからない。全く掲げる目標が同じであるならば、国民の評価基準はどちらが”技術者”として優れているかになる。これでは自民党が勝にきまっている。技能を計る最大の基準は経験に他ならないからです。

 革新にとっての現実主義は今日のサラリーマン。庶民の全部が言っていることではないかもしれません。もしも、その意味する所を革新勢力が執拗に・具体的に語り続けるならば、必ず相対的多数派になるような種類の問題を発見すること、体制が問題にしてはならないと考えていること、あるいは、体制にとって問題と気づかないことを問題として突出すことを求められるのであって、それは、国民の多数が言っていることでは必ずしもない。

 2.われらの「生活向上」生活の質

  @民営化、民活、サービス経済をめぐって

  戦後日本人の伝統的な価値に我ら自身の内容を与えていくことです。「生活向上」の価値について、2、3の問題を提起したい。公共部門の労働運動は、民営化、民活、サービス産業化というものを、持っている生活の質にとっての意味をもっときちっと出して行くべきです。新しいサービス産業が出来て、いろんな業界に企業間競争ができ、たとえば、郵便局は小包は高かったけれども、宅急便は安くて早いということだけは目につきます。しかし、私たちの国ほど日常生活が強いセールスの圧力に置かれている所はありません。人間と人間との関係にのしかかっているその売らんかなの圧力はものすごいものがある。そこに投入されている器材もものすごいものです。サービス産業が発展すると生活に個性がでて多様になってくるといわれますが、本当にそうでしょうか。マクドナルドハンバーガーは大々的に同じ様なハンバーガーを作り出します。サービス産業というのは、会社の庶務課と個人の奉仕と家庭の奥さんが方がやっていた仕事を集めて商売にしたというのが多い。そうすれば、それは画一的になるのであって、その労働形態から見ても、山崎正和氏のいうように「やわらかい個人主義」を生み出すものではありません。サービス産業の拓く生活の質というものを見ていかねばなりません。

  A公共サービス、公共部門の軽視――交通・医療・住宅・環境保全――市  場的供給の問題点

  いかに私たちは多くの青年層をものすごいセールス労働に投込んでいるかです。大学の文科系の学生で民間企業に行く人の7割は営業部門です。自動車が所帯の30%しかないような時代と比べ、80%も持っている時代には、自社の車に現在所有している車を替えるために投入される労働はその3倍にも4倍にもなります。このように経済成長がなされても生活の質は何も変りません。

 税金の関係での公共部門の意義ですが、たとえば、車が多くなって、交通が停滞する。都市のバスはスピードを10`ぐらいでしか走れない現状です。物を運ぶ場合、車のほうが社会的コストは遥かに高くなっている。だが、車を規制できない。民間病院で点滴が落とせば水が出るほど過剰医療となっている。これらは、たとえば福祉国家の公共の精神病院・老人病院ではどうなっているのでしょうか。調査して、パブリックセクタの優位性というものが語られるべきです。

 個人で自然を買うという競争をすることは、どれだけ膨大な自然を破壊しているかということです。都市では今日、子供たちは土の上で遊べません。公共住宅の回りに公共の土の部分を残し、子供たちに遊ばせるという構想は、政財界が具体化した戦後民主主義からはでてきません。

 3.われらの「民主主義」

 ――機会の平等を超えて

  労働運動という文脈で一番大切なことは民主主義の内容です。労働者・サラリーマンの日常がどうなっているかを見るべきです。働きすぎはそのいい着眼点です。現場の生産点の仕事のノルマについては人の動かし方については民間大企業労組は手を付けることができない。けれども、「ゆとり」というのは連合の中でも通るテーマになっています。トヨタ労組の委員長でも今年春「会社人間を脱却せよ」と演説をぶった。会社か労働組合か国が命令しなければ休暇が取れないというのが日本のサラリーマンです。

 企業間競争は広がりこそすれ狭まってはいない。「過労死」「労働時間」「健康の危機」「家庭の危機」という職場の問題は労働組合によって取上げられないから、今日不思議に社会問題になっている。おはようジャーナルであったり雑誌の特集でであったりして、一番労働組合が得意とすることが労働組合の機能を擦り抜けている。

  @能力主義的競争の相対視

  ノルマ・残業ということを取上げる為には、労働組合運動の原点に立返り、競争と選別をチェックする考え方を取戻さねばならない。しかし、今日の日本では、能力主義的な競争とか選別というものを全面的に否定する考えは遺憾ながら通らない。私たちはサラリーマンの能力とやる気によって処遇が替ってくるということを、むしろ公平と考える哲学の中にもう入ってきている。

 たいへん高い給料をもらって陽の当る仕事をしている人と、地味な仕事をしていてパットしない人がある。それは能力とやる気の結果そう変ってきたというよりは、能力の発揮自身がある種の配属の結果であることが多い。これは大切なことで、欧米労働組合は、能力によって処遇を替えたりする前には絶対の条件として配置の平等を唱えてきた。ところが、私たちの職場ではあまり労働組合の規制がない。そして、能力主義的選別の結果としての個人処遇が重くかかってきています。ボーナスが100万円とすると±60%といういうほど査定の影響が大きくなっています。それは配属の結果です。配属の平等は能力主義を相対化する第一歩であって、これは労働組合運動の課題です。

 SE(システム・エンジニア)は35才定年といわれています。100時間以上残業しなければやれないという仕事の水準を置いておいて、若者と老人を比べたら、老人は能力がないというふうになるに決っています。差別されているのは老人です。コアの部分から追出されている。定年退職後の職種は警備、清掃、用務員などです。高速道路の料金徴収の人は18日/月も夜勤があります。バス停の灰皿掃除、土方といわれた日雇労働者の仕事も老人の仕事です。高速情報組織の基幹組織のコアの部分から老人は排除されているわけです。革新が高齢化社会をいうならば、能力のある人の範囲を広げることです。50才、60才の人が一人前に働いていけるように、仕事のスタンダードを決める。給料のある仕事が在りさえすればよいというのではだめです。

 日本は病気休暇の少ない国ですが、それでは日本人は健康な人がそろっているかというと、そうではなく売薬天国です。病気になっても安心して休めれば、多少体が弱い人でもやっていけます。ノーマライゼイションというならば、体が頑健でない人でも職場で一人前に働けるようにすべきです。

 現在エリート社員といわれる人は家庭に掛ってくる負担を全部専業主婦に委ねている人です。そうでなければとても都銀、商社、証券会社とか中央官庁とかのサラリーマンはやれない。月100時間も残業してどうして共稼ぎでやって行けますか。そういうところの奥さんは夜の12時に夕食を作るというのが当たり前になっています。こうゆうことは、女の労働権を否定することです。また、男の家庭責任を免罪することです。特に核家族が健康で、子供もまじめに塾へ行って文句をいわないのであれば”問題”はない訳ですが、子供が登校拒否を起こすとか、奥さんの体が弱かったり、アル中であったり、老人介護(女の仕事としてのしかかっている)などをするとなると大変です。これらの家庭責任を全部奥さんに負わせることによってエリート社員足り得ているわけです。また、女がエリート社員の道を選ぼうとすると、「女の幸せを捨てる気か」というような言い方をするわけです。

 川崎の帝国臓器というところの川口さんという人が裁判をやっています。帝国臓器で文化的に、子供を旦那さんと奥さんとで代番こに預けて働いていたわけです。ところが、旦那さんが名古屋に転勤ということになったわけですが、その転勤を拒否しました。その拒否による冷遇に対して今裁判闘争をしています。「帝国臓器の川口さんの提訴を通じて女の労働権と男の養育権を考える会」(養労会)という長たらしい名前の支援する会があありますが、そのように転勤させることは、女の労働権を奪うと同時に、男の養育権を奪うことであるとしています。

 どれだけ転勤を引受けるかによって出世が決るというコース制をダイエー、ジャスコなどは採っています。どこでも行くというのはN社員、地域に留るというのをP社員、もっと狭い地域にいるのをE社員といいます。男は大抵N社員を選びます。ところが、35才の課長代理が断固としてP社員を選びました。その人がいうには「35才にもなったら男にも家庭責任がある。そういう人をあっちいけ、こっちいけというのはいけないことです。」と。ちなみに、コース制というのは会社としてどこまで行けるかをきちっと示しています。労働組合の介入があれば欺瞞のない制度です。そのような選択の仕方をこれから男は必ず迫られてきます。配属の問題、加令と健康の問題、男の家庭責任と女の労働権の問題などを手掛りとして、日本の職場での競争と選別を、平等を通じての保障というようなインターナショナルな組織労働者の考え方に少しでも近づけていきたいとするのが私の年来の勉強の課題です。

  A徐々に「平等を通じての保障」へ

  競争と選別がチェックされれば、初めてそこに仲間というものが発見されます。職場の仲間が存在すれば、仲間の間で競争と選別のいくらかの規制が行なわれているということです。そういう仲間が発見しうる人は職場に定着できます。定着することができると経験の力が発揮されます。経験の力は学歴とか発言権とか制度とかを独占している支配層に対し、常に庶民が抵抗のよすがにしてきたものです。この労働というのはこういうふうにやってきたのだという、そういう経験の力、それが今いろんな職場から失われていますが、それを取戻すことです。経験があって抵抗がある、そして抵抗があれば次の次元では庶民の側の決定権に広げることが出来るわけです。

  B戦後価値からノンエリート・デモクラシイを意識化すること

  長い間日本の民主主義は政財界の領導する民主主義でした。庶民・普通の労働者が経営者に弁護士に医者になれる道を拓くのが民主主義とされてきました。それも民主主義かもわからないけれども、もっと根底的な人民の民主主義というものは経営者・技術者の意のままにならないような労働者を作ることです。医者にいらない薬を飲まされないそういう患者を作ることです。弁護士をも批判し得る市民的常識を備えた人々を作ることです。

  

・・質問・・ 職場の労働者管理・自主管理の問題と先生の問題提起されたことの関係について

・・答え・・ @少しはインターンショナルな組織労働者として

   日本の職場は労働者をバラバラにしておいて、職場集団というよりは企業という社会に統合しておいて競わせているというように全体としては把握されます。日本の労働者がインターナショナルな労働者と全然関係のないような人種であればもちろん呼びかけることがむなしいわけですが、歴史的には生産の場で労働の在り方について労働者の発言権を広げて行く。その労働の在り方にはある遊び=”牧歌的”要素=多少ともルーズなところが入っています。その中で能力の判定によって労働者の運命が厳しく変っていくことをチェックするようなことです。

 たとえば、三池の労働組合がなぜあんなに強かったかといえば、壕立てといって炭坑の切り羽を採炭するチームで三種類の階層の労働者がいましたが、石炭の出来高給による分け方がこの前山(さきやま)・中山・後山で非常に大きな格差がありました。三池労組が強くなってくる時期には、この一番上の前山ランクができる技能が7年とすると、全労働者が全部7年以上になっていたわけです。この職務を臨番制にしたわけです。そこで払われる賃金を平等化したわけです。

 国鉄の労組ですが、日本では珍しい、米国流のセニョリティによる昇格規制をやっていました。真ん中の格までは自動昇格にして、定員が決ってきて自動昇格が許されなくなるような時点では、勤続年数と職種経験年数と年齢を4:3:3ぐらいの割合で見て労働者の中で完全に順番をつけたわけです。大きな駅の改札口で一番えらいのは一番手前にいる人ですが、そういう仕事を臨番制にする。

 民間企業の場合、QC活動の中に失われた職場闘争が、職場闘争があれば込められるであろう労働者の物の考え方が顔を出すことがあります。10人の労働者がいれば10人の労働者が同じ様に一番難しい仕事もできるように技能の訓練をすることです。労働者グループの中で技能の格差があるということは、労働者の差別的支配の鍵になりますから、労働者にとってはこれは大切なことです。それが日本ではQC活動で顔を出すわけです。一番それが典型的に表れるのは倒産企業の労働者です。いままでは敵の責任だったけれども敵は逃げてしまって居ないわけで、いなければ自分たちが預らなければならない。賃金は平等であるべきだ、遅刻の日数はどんなふうにチェックするか等、あんまりやりすぎると社長のやっていたことと同じやないかという反発にもなりますし、あんまり理想倒れでいっていますと会社更生法を脱却できない。労働者仲間の平等を守りながら、労働の効率というものをどんなふうに、仲間に迷惑をかけない規律をどんなふうに決めていったらいいかというように顔を出すわけです。

 

・・・講師のプロフィール・・・

 くまざわ・まこと 1938年三重県生まれ。51才。1961年京都大学卒業、社会政策論の故岸本英太郎門下生。現在、甲南大学経済学部教授、専攻:労使関係論。1969年京都大学経済学博士。日本とアメリカ、イギリスの労使関係の比較を通じ、職場の労働者の日常生活に視点をあてて日本の労働運動を研究している。著書に「労働の中の復権」(三一書房)「労働者管理の草の根」(日本評論社)「国家の中の国家」(日本評論社)日本の労働者像(筑摩書房)「民主主義は工場の門前で立ちすくむ」(田畑書店)「ノンエリートの自立」(有斐閣)「職場史の修羅を生きて」(筑摩書房)「企業モラルを哲学する」(三一書房)等多数。最近『社会新報』に「映画の中の労働者像」を連載した。

★★★★★★★★「ちょっといって講座」開催にあたって★★★★★★★★

N代表挨拶 かって、こうした学習をしようじゃないかということで、60年代と70年代に社会党や労働組合の青年対策部を中心に「労働講座」などとしてありました。それから、何年か空白を経たわけですが、今日、東西関係の問題やアジア・ヨーロッパの国々の問題、経済関係の問題、あるいは今ドラスチックに進められている労働戦線統一の動きなどがあるわけです。こうした中で、私たちが今後の労働組合運動あるいは経済・社会・政治・文化の闘いの方向をどのように進めて行くかということが大きな課題となっています。そこで、今回実行委員会を作り、こうした課題を考えて行こうと、「ちょっといって講座」を企画したわけです。この講座は年4回ぐらい開催し、その時々にあった講座の中身として、継続してやっていきたいと思っています。2回以降の講座についても、みんなで作り上げて行きながら、みんなで学び、みんなで実践して、それを職場に、地域に返していきたいと思っています。