第14回ちょっといって講座  

1997年10月21日

国際交流会館

地方分権と公務サービスの課題

自治体の仕事をもう一度原点から考えよう

奈良女子大学生活環境学部助教授 財政学 木村陽子

 

1. 国の構造改革と地方自治体

(1)構造改革の時代

 私の専門は財政学ですが、社会保障を特に研究しています。

 今日のテーマは、どのように世の中が変わり、地方も変わっていくかというものです。

 今の日本は変わり目で構造改革の時代です。規制緩和とか同時にしていかないと、この閉塞状況は打ち破れません。公共事業を多く引いてくることが地方が生き残る手段であったわけです。しかし、そのような時代は過ぎつつあります。公共事業の役割は雇用を確保することだったわけですが、地方の雇用を確保するという役割は終った。財政再建法ができれば2003年までに財政支出が縛られてしまいます。国・地方で現在500兆円にも上る借金があります。それを圧縮しないと他のものに支出ができません。

 公共事業を引いてくる政治家が地方ではいい政治家だといわれますが、同時に地方ではコスト意識が薄いといわれています。そのような補助金はなくしてしまおうという議論も行われています。地方交付税は親方日の丸だとい議論もあります。小さな市町村が多すぎます。成り立たないところはいずれ合併せざるをえません。

 また、県の役割はなんなのかです。県の合併もありえます。銀行もビッグバンだし、医療保険で守られている製薬業界も国際競争力がない。薬剤費も効能が同じならば一番安い薬になるかもしれません。ある意味で親方日の丸であった業界も、今、規制緩和で揺り動かされてきています。今後も日本は貿易しなければ生きられない国です。公務員の雇用もかわる可能性があります。

 仕事は、地方分権で地方へ、民間ができることは民間へとなってきています。これは先進諸国が直面している課題です。裏には財政赤字があります。EU通貨統合来年を目標としており、同じような財政赤字を縮小しなければなりません。なぜ、財政赤字を縮小しなければならないかですが、同じような財政政策ができないからです。

(2)福祉国家は危機か

 福祉国家の見直しという言葉がよく言われます。昨年、パリの地下鉄のゼネストがありました。公務員の年金支給開始年齢の引き上げきっかけでした。福祉は本当に持ちこたえられないかですが、これは、ジャーナリステックな見方です。

年金を見ても若い人は負担に耐えられないのではといわれていますが、年金まで潰せという人はいません。それは、普通の人の生活設計にまで入り込んでいるからです。年金給付水準の切り下げは年金制度を守っていく為の調整手段です。昭和の初期にはお金がなくて医者にかかれないという人がいましたが、今はそのようなことはありません。

 たとえば、生活保護は要件さえあれば出す制度です。制度としてはきわめて新しいものです。憲法に謳われている、誰にでも最低限の生活を保障するという、20世紀の福祉国家が基礎においている考えです。しかし、米国ではこのような考えを跳ね飛ばすような動きがあります。母子世帯に対する連邦政府の補助金を5年で打ち切ってしまうということにしました。人生の全部に対して国が関わるという考え方を断ち切ってしまったのです。なぜかというと、個人の自立に役立っていなくて、三世代にもわたって生活保護で暮らしている世帯がいるなどということが理由です。クリントンは昨年その法案にサインした。これがヨーロッパなら国の基盤が崩れ去るものといえます。

 デンマークのあるアンケートで、社会保障で要らないと思うものを上げてくださいと質問に対し、「生活保護」と「失業手当」を要らないとの答えが最も多かったのです。これは、貰う人と貰わない人との分断が起きているからであり、貰っている人のモラルの低下が起きてきたら、それを支えきれないわけです。今のシステムを守りながら、どう、財政改革・規制緩和・社会保障等の構造改革をやっていくかです。

2.地域ケア

(1)地方の行政課題

 地域で老人介護していこうという問題ですが、先進諸国の主流はノーマリゼーションの考えですが、お金もかかりますが問題はソフトです。地方の新しい行政課題は老人介護です。これを見ればいろんな問題がわかります。各国では1960年代から老人介護を市町村の仕事だとして、法律を変えてきました。地域のよってニーズが違う。情報も違う、地域制約的な供給体制でもあることもあり、市町村の方が効率的意思決定ができる。しかし、効率と公平のバランスの問題があります。

 1993年度末までに老人保健福祉計画を出すようにと厚生省がいいました。どんなニーズを把握し、計画を立てて、実施するようにということで、地方分権の試金石といわれました。計画はその県・市町村の企画能力にかかってくる(今回の介護保険も同じです)。当時、3200のかなりは市町村はシンクタンクにまかせた。シンクタンクにまかせて、市町村の意向を伝えることができたところは成功したが、全くまかせてしまい、個別のニーズを捉え切れなかったところは失敗しました。たとえば、A市では借家が多い―そういう地域的な事情が計画に盛り込まれたかです。

(2)父親の介護体験から

 最近、50代の離婚が増えており、離婚者の17%にもなっています。将来、夫の介護をしなければならないという理由も大きい。ヨーロッパで早く起こっていることが10、20年おくれで日本にも同様の現象として現れてきます。

私の親の介護体験ですが、父親は倒れてから病院を3回替わりました。そのたびに父は病院の不適応症状を示し、それを、病院側は痴呆だといいだしました。そこで、どうしようもなく、特別養護老人ホームへ申し込みました。新しく建築されたホテルのようなホームでした。ところが父は家に連れて帰って欲しいというようになりました。そうこうするうちに脳梗塞になってしまいました。そのホームで父は倒れ一週間後に死にました。死後、老人ホームへ遺品を取に行きました。そこで感じたことは、建物は新しいものの、最悪のホームだったということでした。

 そのホームの父の部屋は、8月の昼なのに薄暗い部屋でした。窓のすぐ外まで山がせまっていたからです。遺品を貰い受けましたが、それは半分以上他人のものでした。そのような基本的なことさえも出来ていないホームだったのです。福祉の志をもってホームを運営している人ばかりではありません。介護は大きな地方の仕事になっており、介護保険では8兆円もの金が使われますが、サービス水準がこのような状態でよいのでしょうか。

 役場とか福祉事務所でヒアリングしたところ、地域で福祉を積極的やっている人は老人福祉施設などをどんどん作っている人を評価の第一にあげていました。しかし、特別養護老人ホームに入所している人が満足しているのかどうかという家族などへのアンケートについては、ホームに入ってからは聞いていないということでした。ホームが少ないので割り当てするのが精一杯で、入った人の人権・サービス水準については心を砕いていないわけです。ヨーロッパではサービス水準の調査が行政の大きな仕事となっています。

 

3. 介護保険制度

(1)供給主体と財源

 介護は市町村の仕事といっても、全て市町村が介護の供給者になれということではありません。誰がお金を持つのかということと、供給者になるのとは別個の問題です。

 

図―1

 

供給主体(公共部門・NGO・PO企業)―――財源(税・社会保険・自己負担)

 

図ー2 介護保険制度案の仕組み

 

 デンマークとかスウェーデンでは公共部門が供給主体としてやっています。最近、NGOなどに委託する場合が増えてきました。ドイツはNGOが主体です。

日本は公共、NGO,PO全部でやっていこうというものです。同じ競争条件でということになりますから公共では厳しくなるでしょう。オーストラリアは四苦八苦しています。

(2)介護保険制度案の仕組み

 被保険者は65才以上の人と、40才から64才までの人とに分けられます。医療保険の保険料といっしょに保険料が集められます。65才以上の人は年金から天引きされます。介護が必要となると、要介護認定といって、ランク付けが市町村で実施、あるいは都道府県へ委託して行なわれます。保険で下りる額を決めるわけです。これは公共部門の仕事です。

 次に、ケアプランの作成です。1週間のうちで、どういったサービスがその人に必要なのかを決めるわけです。入浴するのか、ホームヘルパーを派遣するのかといったことです。

 在宅の人は、ホームヘルパーの家庭訪問、デイーサービス等のサービスを利用し、あるいは施設に入る人は、特別擁護老人ホームとか介護施設にお金が下りるわけです。しかし、同じ要介護者でも在宅者と施設入所者では金額が違います。

財源は公費50%、(国25%、都道府県12.5%、市町村12.5%)、保険料は高齢者が17%、若年者は33%です。

(3)介護サービスの供給主体

 サービスの提供機関ですが、現在は社会福祉協議会とかがやっていますが、そこへ、いろんな団体が規制緩和で入ってきています。市民団体とかもです。将来は介護施設の規制緩和もするようです。いまは特別擁護老人ホームの設立者は社会福祉法人でなけれなならないわけです。資金力のある団体でなければならなかったわけです。グループホームなども介護保険の対象施設になるだろうといわれています。

 オーストラリアでは規制緩和が進み、NGOと公共が同じ競争条件になりました。特別養護老人ホームに高齢者を入れると、1人27万円だとかだったわけです。これを要介護度により6万円、10万円、20万円とランクづけをすると、比較的軽い人が跳ねられる。州立の老人ホームの例ですが、これまで州から補助金が出ました。ところが今は州がは金がない。これまでは人件費の補助金が大きかった。そこで、職員にマネージメントから勉強してもらわないとだめになっています。賃金体系も見直さざるを得なくなっています。米国では勝ち残っているのはNGOです。

4.財政支出・公務サービスの課題とは

(1) 県・市町村の役割分担のありかた

 理念がないとだめではないか。公務員には、次の仕事が欲しいから、今の仕事を一生懸命やろうと思って仕事をしている人はいるでしょうか。

 今後は企画・立案がたてられるかが問われます。長期計画をたてられるかが重要視される。10年間の自分の町の計画です。50,60代の職員にはきつい話です。バルバリやるタイプの人よりもこつこつタイプの人が公務員になってきた。、新しいタイプの人材を時代が求め出したわけですから。

市町村はNGOを嫌う人が多い。民間の非営利団体でばんばんやっている人は口うるさい存在なのです。うまく行っている市町村はNGOとうまくいっているところです。

 県は市町村と無駄な競争をしすぎると思います。ホームヘルパー料金でも、同じことで競争する必要はない。県はなにをするかです。今のままでは県はあやふやな情況になる。市町村は、県に対してシンクタンクの機能を求めている。いろんな情報を持っていて相談に乗ってくれる機能です。県の働き方を変える必要があります。現場を知らないことに問題があります。県・市町村では補助金を出す役割は残ります。これが、今のままで残るかというとそうではない。北九州市は企業と組んで、福祉機器を開発していこうという動きもあります。これは雇用の開発にもつながります。福祉機器の開発は中小企業の育成にもなります。町おこしになるわけです。

(2)消費者の権利の保護

 消費者の権利の保護ですが、医療保険のごまかしの問題で安田病院の事件がありましたが、サービスの確保がきちっとなされているかどうか、受けた本人しかその質はわかりませんし、受けた本人もその質が分からなければ評価できません。監査体制の問題ですが、書類を監査するわけですから、実態がどうかわかりません。医療は定額給付という流れですが、コストを管理しながらどう質を維持するかです。手抜きの懸念があります。これを守るのは権力しかないわけです。公共監査体制の問題です。

 サービス水準の標準化とは、これだけの医療ならばこれだけの治療をしなければならないということです。丼勘定だったものを合理化していく。実態としてサービスが守られているかは、抜打ち検査をしていこうというものです。スウェーデンでは抜き打ち検査をきっちりとやっています。イギリスでは特別養護老人ホームに入るに当たって、契約の段階でサービス水準をきっちり決めて、本当にに守られているかをチェックしています。オーストラリアでは1日前に検査通告し調査しています。公権力がなければできないことです。入れるのがやっとで、入った後は満足しているかどうかを調べるつもりはないという役所ではついていけないわけです。

(3)高齢者が全て社会的弱者ではない

お金がないといいながら、敬老祝い金やシルバーパスなどをやっていますが、そうしたばらまきはやめて重点化していくべきです。

高齢者に負担を強いるとは何事かとかいわれますが、世帯主の年齢階層別見て平均所得がどれだけ違うかを現した表が(図―3)ですが、世帯人員1人当たり所得金額ですが、年齢層の違いはあまりありません。高齢者世代と勤労者世代の貯蓄額現在高分布(図−4)でも、高齢者では約2400万円、勤労者では約1200万円です。高齢者だからといって、助成を与えるのは若い人から支持を与えられない時代に入っています。

(4)山口県東和町の例から

うまくやっている市町村はどこが違うかです。その町のお年寄りが幸せに見えるかどうかです。基本的なことをやっている。高齢者の一人一人の台帳をつくり、ニーズを把握している。そうした基本の積み重ねをやっているわけです。

山口県東和町では5人に1人が65歳以上ですが、そこのホームヘルパーさんがあるお年寄りのところで、雨の日や風の強い日はスーパーへ行って弁当を買えない、だからその日は昼食を食べないというわけです。そこで社会福祉協議会へそ

図ー3 世帯主の年齢階級別に見た1所帯当たり平均所得金額及び

世帯人員1当たり平均所得金額

 

図−4  高齢者世帯と勤労者世帯との貯蓄額現在高分布

 

の話を持ち帰ったわけです。社協では昼食の配食サービスがいらないかどうかのアンケートをしたところ希望が多かった。配食サービスをなんとかやりたいということで厨房を探したわけです。小学校や公民館では断られましたが、配食サービスを民宿に委託することができました。

配食するにはランチボックスが必要ですが、1個6000千円くらいするそうです。日本生命財団に応募してランチボックスを手当てしました。次に配食する人を募集して、ボランテイァを集めることができました。80歳の人もボランティアでやっています。

「うちの地域は足の引っ張りあいばかりでだめだ」というところもありますが、痛みが志しになっているところは違うということではないかと思います。人様の為にという浅いことでは、仕事をなげてしまう。痛みとして感じる中で人の中傷とかには潰されずにやることができる。こうしたことを、日本の中でシステムとして作り上げることが必要ではないかと思います。

 

質問

くらしの会会員

私たちは、痴呆性の10人程度のグループホームを来春オープンします。財団法人で運営します。廃業した医院の建物を使うことになっています。そこで、社会福祉法人化を求めて行政に何度も交渉に行きました。しかし、社会福祉法人の認可が下りない。結局そこに入る人は1人十数万円の負担をすることになります。土地や金を持っているような土建屋さんなどには直ぐ認可が下りるのに、私たちのような、土地も金もなく、志がある団体には認可が下りない。福井市もなぜ、厚生省や県の指導に従わなければならないのかです。地方分権になればこうしたことが変わらないかと期待しています。

今、市町村合併がいわれていますが、秋田県の鷹ノ巣町のような規模がちょうどいいのではと考えています。分割すべきだという人もいますが、市町村の規模はどの程度がいいのか。

介護保険には賛成ですが、社会保険は一定の収入がある人を対象としていますから、それ以外の人を排除していくのではないかと心配しています。

 

木村

選択の権利の問題ですが、地方ではそれほど供給が増えませんから、サービス水準をきっちりしないとだめでしょう。介護保険のねらいはそこにあります。グループホームもそうした供給主体に入れてくれれば運営しやすくなると思います。最適規模は人口4〜10万人くらいが最適ではないかと思います。横浜市や大阪市などのように大きくなると、末端のことは分からないわけです。いろんな質問が受け取れないわけです。

NGOに市町村が補助金を与えるという可能性は大きいわけです。社会福祉法人だから補助金をというのではだめだという議論があります。パフォーマンスのしっかりとしたものでないと補助金を与えてはだめだということです。役人はいいサービスとは何かが見られないと評価はできないと思います。

行政の考え方を変えてもらうポイントがどこにあるかですが

木村

研修会を開くとか、阪神大震災でNGOが特にうまくいったのは芦屋です。他では連携がうまく行きませんでした。行政といっしょに研修会を開くのも1つの手です。

 

行政の人事異動は3年で福祉の分野とか精通しなければならない分野で専門家が育たない。サイクルが早すぎる。

木村

専門職として長くいるグループと変わっていくグループの2つが欲しい。人員配置が歪過ぎると思います。「土日が取れない」「有給休暇が取れない」とかで福祉職場に行ってはだめとか職場で言われているところもある。首長も一律削減で、本当に必要なところに人員配置ができていない。

 

 表ー1 当所予算作成に当たっての「主要な経費」に係る量的縮減目標等

 

★★★★★★★★★★★★    講師紹介    ★★★★★★★★★★★★

木村陽子…きむらようこ  奈良女子大学生活環境学部助教授 財政学 社会保障論 日経2020年委員会委員として日経新聞紙上で歯切れのよい理論を展開中。「経済セミナー」等で社会保障についての論文多数。 今回12月10日に エッセー集「恋愛学ノートー肌があうあわないの研究」(クレスト社)を出した。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

 

★★★★★★★★ちょっといって講座へのお問い合わせは★★★★★★★★★

福井県地方自治研究センター 福井市松本3−17−1 自治労福井県本部内

ちょっといって講座実行委員会 同上                     TEL 0776−27−2442

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★