第13回ちょっといって講座

地方分権を考える 第二段

環境問題に見る行政と市民運動

大阪大学基礎工学部 森住明弘氏

1996年10月11日

福井県民会館 305号室

 

あいさつ

自治労福井市職員労働組合 松井峰雄氏

 地方分権を考えるということで、前回のちょっといって講座では、シンポジュウムを行政や市民、議員などの立場から行いました。今回はその第二段ということで、地方分権が進むとその受皿としての市民と行政とがどううまく共同作業が取り組めるのかというところに焦点をしぼって、市民に身近な環境問題などを例にして考えて行きたいと思っています。

 

1.公害問題と環境問題の違い

 1991年に廃棄物処理法が改正された当時は盛り上がっていた市民運動は、それ以降再編の時期を迎え今は元気のある所が少ない。持続的に続ける方法がないところはじり貧になっています。その一因は環境問題と公害問題の整理がつかないからです。公害問題の発想で環境問題を捉らえると疲れてしまいます。

 例えば、水の汚れは下水道が出来ればかなり改善されるし、ゴミ焼却場のダイオキシン問題も技術と金の力で改善できます。

 このように公害問題はお金さえかければなんとかできます。公害問題は焼却場の周辺住民が被害を受けるとか局所的です。それから、恐いものが原発とかダイオキシンのようにはっきりしている。これに対し、環境問題は広範囲な地球全体の問題で、たとえ有害な物でも濃度がものすごく薄いのです。環境問題で問題になる物質はフロンとCO2

ですが、フロンの方がCO2 よりもまだ分かりやすい。オゾン層が破壊されると皮膚ガンが増えるということだから”公害問題的”です。しかし、肌では感じられない。札幌では過去10年間にオゾン層が1割減ったというのは本当のようです。オゾン層が1割破壊されると紫外線が2割増えて、ガンが3割増える。だから恐いだろうといわれています。この通りの理屈なら札幌のガンが3割増えることになりますが、現実には増えていない。これは言い過ぎなのです。市民の方は乗ってこない。はじめは珍しいから聞いてくれますが、自分の回りを振り返って見るとその様な兆候がないので、恐いと感じてくれない。極めて弱い危険性だからです。その代わりスケールが大きく、地球全体の人が影響を受ける。

 温暖化の問題はもっと恐さを感じにくい。温度が6度、水面が1mも上がるといわれました。ところが研究が進むと、言い過ぎだということが分かって来て、今は温度が3度、水面上昇が50cmです。また、何時なるのかということですが、2100年です。そのようにスケールの大きなロングレンジの問題なのです。肌ではなかなか感じられないわけです。このような言い方では”恐さは伝わり難い。

 温度が3度上がるというのは地球の平均です。福井ではどうなるのかは言っていない。ところがまずい。変動の幅が大きいことが”恐さ”の本質と思う。変動の幅が大きいと、雨の降り方が変わる。渇水とか洪水という形で表れて来ているわけです。まだ日本では雨のトータルの量は変わっていませんが、降る時期が変わって来ています。それが私たちの生活にどう響いてくるかです。穀物の価格が上がって来ています。昨年アメリカの生産地が干ばつでやられたからです。今年はモンゴルで長期間山火事がありましたが、湿度が少し低くなったからです。わずかの湿度の変化で火事がなかなか消えない。そんな形で私たちの生活に効いて来るというのが温暖化問題です。非常にゆっくりしているけれども影響が広範囲というのが特徴です。

 それから、生き物の分布が変わって来る。100年の間に日本が亜熱帯の台湾のようになると考えたらよいわけです。ゆっくり変化したらよいわけですが、変動の力が大きいから、各々の生き物にとっては生きにくいわけです。現在の植生が変化し枯れてしまう気があったり、ある虫にとっては非常に好条件になるとかです。セアカコケグモは”先発隊”として日本に来て、あれだけの騒ぎを引き起こしたけれど、それは”棲み”やすくする”恐さ”です。奈良の鹿の糞を食べる黄金虫=ふんころがしも暑い気候に適した種類が強くなっているそうです。

2.自然環境・社会環境を4層構造で捉らえる

 エネルギーを使ったり物質を使ったりしていることはその場その場では非常に気持ちの良いことです。止められないわけです。これが市民の多数を占めていますから、この多数派に依拠して企業は行動していますから、企業だけ責めてもどうしようもないわけです。公害問題との違いです。社会的な支え手がいるということです。

多辺田政弘さんという経済学の先生は(「コモンズの経済学」で)、社会環境と自然環境をを四層に分けて考えようと提案しています(図1)。1層目は自然の層そのものです。2層目は田んぼとか畑とか身近な自然と人間が接する所です。3層目が行政の仕事です。4層目が企業活動をやるところです。一層目の例に富士山の麓の柿田川があります。これを三島市などが利用していますが、ほとんど浄水工程ががいらない。富士山に染み込んだ水が湧きだして来るからです。自然の恵みをそのまま利用できます。しかし、供給量には限界がありますから使いすぎるとだめです。それをもっと利用しようということでダムなどを作りますが、ダムに砂が溜まるとか、海に砂が流れず海岸の砂が減るとかして、一層目の自然に穴があいてしまいます(図1の右)。一時的には成功するが長い目で見ると負荷になって帰ってくるということです。アメリカなどではダム開発をやめています。2層目は田んぼとか畑と人間との関係ですが、ルールを作って取りすぎないように規制して来たわけです。ところが過疎地では自然の守り手がいなくなった。 和歌山県本宮町の町長は自然保護というけれど守り手がいなければどうしようもないということで、森林交付税を提唱しています。地域の守り手を育成しなければ何を言っても守られないわけです。2層目の穴は、化学肥料を大量に撒いて生産性を上げようとする結果、あいてしまった。地下水の窒素が増え、食べ物の質が変わってしまったり、農薬で土の中の病原菌以外の生物もみな殺されてしまい、土が土ではなくなってさらさらの砂の様になり表土流失が起こります。アメリカの農業では大規模に起こっています。長野県でも起こっています。海外で行なわれているエビの養殖場なども使い捨てられ、どんどん養殖の場所を変えて行かなければならないようになっています。

 一層目と二層目の穴は、3層と4層にくっついている。だから、物質的に豊かになったように見えるわけです。しかし、基礎が空洞になっているので、生産の基盤が崩壊しつつある。この空洞を社会的に見ると、400兆円の借金地獄になっている。美味しい所だけ先食いして、未来の人間と第三世界の人々にツケを回すことによって私たちの生活が支えられているわけです。

3.NPO・NGOと市民活動の関係

 誰がこれに気付き二層目の担い手となるかですが、都会ではベットタウン化し過疎地では支え手がない。それで、NPO、NGOという新しい担い手が必要になったのだとだと思います。市民運動全国センターの須田春海さんが社会新報ブックレット「政策提案型市民運動のすすめ」の中でまとめていますが、4層目の支え手は企業ですが、これを自由という理念を実現する活動と捉える。第3層の支え手は行政で、平等を実現する役割を担う。2層の理念ですが、須田さんは愛と呼んでいます。私は連帯を理念にする活動ととらえるべきではないかと思っています。2層目の支え手としてNPO、NGOがある。

 なぜ「N」がついているか。定義できない活動で、企業活動でも政府活動でもないものを指すからです。NPO=非営利活動というのは4層目の活動とは違うということです。この矛盾を乗り超えるには、NPO活動を、お金を儲けることを第一の目的としない活動を指す。日本ではボランティア活動をお金を貰ったらだめだととらえる人が多い。貰ったら堕落すると考えるひとが古い市民運動をやっている人の中には多い。これがジレンマで運動が潰れていく一つの原因になっています。現実には事務労働が発生しますかお金を貰わずにはやっていけません。お金を貰うことを第一の目的としない、結果として貰えればよいと考える。なぜ、向こうがお金をくれるかというと、いい活動をやって感謝の念から金を出すわけです。お寺さんの活動がそのようなものです。お布施をくれとはいわないわけです。

 NGOというのは第三層の行政の活動とは違うということです。連帯と平等の違いは、行政は嫌でも行かなければならないわけです。そうでなければ差別になります。NGOは自分の好きなところへ、主体的に連帯したいところへ行くのを原則とする。

 NGO、NPOと市民運動との違いは自分が参加して問題を解決するかどうかです。これまでの市民運動は企業に要求する行政に要求する、追及すると言う要求型、追及型の市民運動でした。NPO,NGOというのはそうではなく、自分も被害者的であるが加害者的でもあるから自らも主体的に参加して解決するというものです。しかし、参加して何をするのかがなかなか見えてこない。

 自治労も参加する能力のある市民を育てる活動をしています。大阪ではあるコンサルタントが、自治労から調査研究費をもらいNPOを育てる研究をしています。例えば、枚方では市民参加でリサイクルセンターを作る際の企画のたて方、行政との交渉の仕方を学研究活動を、この助成金で行ないました。リサイクルセンターは厚生省の補助金でできますが、どのようなメニューを厚生省が用意しているのかを勉強する。次に市町村に下りてきた時に市町村はどのように作って行くのかを調べ、どのような提案をしたら行政は乗れそうかを学習し、提案していまくいっています。現在も活動が行われています。

 自治労では環境自治体づくりにも補助金をだしており、小諸市、滋賀県の愛東町などで、市民参加の方策が試みられています。

4.3つの仕組を可視化すると市民は動く

 どうやったら、市民が動いてくれるか?。便利な生活と言うのは自分で物を作らなくてもよい、自分で仕組を作らなくてもよいということです。仕組も全て行政や企業がやってくれる。そのため、市民は、社会的にも技術的にも、積極的な係わり方が見えなくなっているのです。例えば、外食すると料理のノウハウは不用になってくる。

(1)技術的な仕組の可視化

 技術的仕組をできるだけ市民にわかってもらう。技術的仕組というのは物が作られるシステムです。原材料から始まって、どうして作っていくかをできるだけわかりやすく説明することです。それを怠ると、例えばたとえば、槌田敦さんがリサイクルではだめで物の使用量をへらさなければならないのに市民は気がついていないでリサイクルをやっていると批判したけれど、それにうまく対応できない。槌田さんの理屈は正しいわけです。リサイクルはくるくる回すだけですから生産量は減らない。しかし、いきなり生産量の削減を市民や企業に求めると強う反発がかえってくる。そこにまでは意識がいかないわけです。だからリサイクルで動機づけてということなのですが、槌田さんは再生紙を生産するのにインクを取らなければならないので、そこに薬品を使って環境を汚しているのではないのかと批判されたわけです。そうすると市民はおたおたしてしまった。紙を作るプロセスが見えていないからです。それが見えていると、再生紙の方が薬の使用量が少ないことが分かるから汚染を防げる。何か問題があったらそれが市民のいうとおりなのか、専門家のいうとおりなのかかなり丁寧に調べる必要があります。

 滋賀県の役人がBODが高いからとして手作り石鹸を批判した例もあります。BODが高いと言うことは汚染物が多いと言うことだからやめておけと議会で発言したのです。BODの概念をよく知らなかったわけです。BODは分解のされやすさも表しています。分解が早ければぼBODも高くなるわけです。分解すると言うことは微生物がおいしく食べるということです。手作り石鹸は分解されやすいのでBODが高いのであり、汚染物の量は市販の石鹸と同じなのです。技術に関する専門用語は様々な人が使いますが市民は決してその実像を把握しているわけではありません。混乱がよく起こって運動が萎えることがああちこちでおこります。そうしたことが起きた時にうまく説明できる能力をこちら側が持っておくことです。タイミングが遅れるとだめです。新聞や雑誌の情報だけではだめです。

(2)法的仕組み

 行政の法的仕組をうまく説明することです。市民が行政の窓口へ行くといつも中身に精通した理解ある人ばかりとはかぎりません。そういう人に当たるとあの人は駄目だではなく、「福井市は駄目だ」といいがちです。これは短絡しすぎです。行政の仕組が見えていないからです。仕組みにかかわると、どうかかわれば、たとえやる気のない担当者でも動かざるを得ないかが見えてきます。法律では行政は何をすべきだとかが書いてあります。そこを勉強して行けば議論がかみ合います。担当者がやらなければならないことだと気付けば一歩は前に進みます。そのような市民を育てて欲しい。

 容器リサイクル法が制定されて、1997年4月より施行されます。市民活動が弱かったので、企業よりです。しかし、厚生省への働きかけを見れば、企業は厚生省のシステムを見事に理解して、どういうふうに働きかけたら自らの要求が通るかがわかっているわけです。市民側はそのような働きかけ方に全く関心がない、関わろうとしないで、容器リサイクル法の制定時には企業と行政の役割の線引は決まっていなかった。回収までは行政で、回収品を引き取るのは企業ということでした。線引のあり方に市民は全く関心を持っていなかった。持っていたら、回収したものの分別、保管については企業が責任を持つ可能性はあった。各市議会に働きかけてそのような決議をすれば、厚生省も法律が決まってから政令を決めるのに考えたと思うわけです。

 東村山市は9割のゴミを全部再利用する政策を市民参加で作り上げました。市民は参加したい気持ちはあるが参加の仕方がわからない。これをコーディネートしたのがコンサルタントです。この人が行政の人の頭を変えるノウハウを持っていた。市民を事務局に入れることを行政に了解してもらった。そこで実質的な意志形成が図られるからです。審議会というのは事務局がお膳立てする。2年ほどの間に何百回も会議をやり、行政の間でどのように意志が形成されていくか、その時のしんどさもわかったと思います。

行政が市民から見て歪まざるをおえないのは意志形成過程が不透明だからです。企業は本来的に儲ける組織です。市民がいなかったら利益追求に行かざるをえないわけです。市民活動はそのときのブレーキ役になります。入ることによって意志形成のシステムがわかり、市民が何をすべきかがわかってきます。

(3)経済的仕組み

 最後は経済的仕組です。たとえば、環境に優しい商品にマークをつけるということは市民が行政や企業にお願いすればできます。しかし、その商品を店に置いてくれるかとなると話しは別です。市民は一生懸命やっているのに置いてくれないと怒りがちです。しかし、企業側から見ると、置いても売れない現実を知っている。一生懸命やっている市民は小数派なのです。売れなければ目立たぬ所に置かれてしまう。参加するときには、市民の側も売れる状況を作る責任の一役を担う必要があるのです。こちらの側の力量も試されるわけです。

 再生紙がなかなか売れなかった時、スーパーでは市民は白いのを好むからなかなか売れませんといっていました。ところが、これは口実で本音ではなかった。メーカー側からすると供給過剰の世界なのです。100の需要のところを110作っているわけです。110の商品を吐かなければしょうがない。そうすると買う方は足下を見て安く叩けます。トイレットペーパーなどは薄利多売の商品で利益が上がらない商品です。特売で得る商品です。チラシを流すと、1日で1週間分が売れるそうです。その時、パルプの商品を売るのか再生紙の商品を売るのかと聞いてみました。特売対象は殆ど全てパルプの商品です。ネピアとかのTVで宣伝してくれる商品なので”苦労”しなくても売れる。ところが再生紙はメーカーが小さいから曰く因縁を言わなければ売れないわけです。しかし、利益のみに関心があると、曰く因縁を言ってまで売るメリットがない。営業の立場に立てば、楽してあまり時間もかけずに売れる商品を選ぶのは当然のことなのです。市民は白いから買っているのではないのです。現実には再生紙でも売れている。市民は何も知らずに安いと思うから買っているだけなのです。

 そこで、パック連では店頭に立って売る努力をやったらジワっと再生紙の売上も上がってきました。このように、売る仕組みが見えてくると、環境にやさしい商品を売るノウハウが見えてくるのです。

 この3つの仕組が出来るだけ市民の腹におちるように調査をしたり、働きかけをすることが、これからの市民活動には重要です。

 

森住明弘

大阪大学基礎工学部講師 リサイクル工学 最近「民際学」という学問を創設しようと龍谷大学の中村先生など提唱し、市民が研究の場に参加する場をつくろうとしている。