第12回 ちょっといって講座

なぜ、自治・分権なのか

地方分権シンポジュウム

1996年6月17日 於:福井県婦人青年会館

基調講演 

 自治労政治政策局次長 大塚敏夫氏

シンポジュウムパネラー

 福井県地方自治研究センター 事務局長 伊藤藤夫氏

 福井県消費者団体連絡会   事務局長 吉川守秋氏

 福祉研究家 小林明子氏

 司会 自治労福井県本部 高原正典

 

あいさつ

中村博幸福井市職員労働組合委員長

 戦後50年たって、政治改革、規制緩和などとともに一つの大きな柱となっています。3月に地方分権推進委員会の中間答申が出ましたが、機関委任事務の廃止や中央と地方の対等の関係など、しかし、われわれ地方公務員の政策能力も問われています。また、官と市民との関係も重要になってきます。

 

基調講演

大塚敏夫自治労政治政策局次長

 

はじめに

 地方分権が大きく取上げられていますが、非常に分かりづらい。分権という言葉が様々なところで議論になってきました。大分県の平松知事や、島根県の元知事の恒松氏のように行政の立場からの新たな地方自治論があります。また、政治家の方からの小沢氏に代表される論、元の熊本県知事でもある細川氏の分権論などなどです。小沢一郎氏の分権論は国家機能をどう考えるか、危機管理を中心に、国家機能を国家の基本に関わるものについてだけ高めるというもので、その他の仕事は地方自治体が担えばよいというものです。恒松氏や細川氏は、主体的に自らの地域をどうつくるかという立場です。バス停の問題ではいちいち運輸省にお伺いを立てなくてもいいのではないかなどということです。

 私共は3年前に自治労の分権自治構想を作りました。その考え方は、国家機能重視ではなく、市民自治がいかに拡充出来るかという視点です。

 国から都道府県の行政機関に権限が移る、あるいは都道府県から市町村の行政機関に権限が移るという、単に権限が移るという官官分権ではないということです。分権によって、地方自治体の自治権限が拡充されなければならないということです。そして、第二に分権によって、権限が都道府県、市町村に来た時に、具体的な施策が行われる。市民から見て分権がよかったと見えるものでなければならないということです。福井市民が市役所にやって来て仕事を見た場合、それが福井市固有の仕事なのか、法律に基づいて国の仕事を機関委任事務としてやっているのかの区別はつきません。何かトラブルがあったときにはじめて、これは国の法律がこうなっていると分かるわけです。分権は市民に見えるものでなくてはならない。分権の効果明示が必要です。

 第三の視点は、分権をするのは段階的に進めていこうということです。

 現在は国・県市町村の2層制となっています。この二層制をやめて、連邦制・道州制でという議論もあります。県・市町村を江戸時代の藩程度に分解しそれを、ブロックにした形です。大胆な改革案ですが、しかし、一挙にそこにはいかないだろうと考えています。そこで、都道府県に何が出来るだろう。市町村に何が出来るだろう、現行制度のどこを変えたら、住民自治市民自治が発展出来るだろうという段階的な改革を目指しています。

 

1.地方分権をめぐる情勢

 具体的に構造的に進めて行くかですが、地方分権の推進決議が国会で通りました。そこで、私たち自治労は、地方分権推進法を作るべきだと要求をしていきました。1995年5月15日に地方分権推進法ができました。分権推進法は、@地方分権の理念 A推進計画をつくる B地方分権推進委員会を設置するという義務を政府に課しています。地方分権推進委員会は内閣総理大臣に推進計画の策定に向けた具体的な指針の勧告権限を与えられているわけです。この法律は5年間の時限立法です。

 なぜ、分権を求めるかですが、地方行政の今日的在り方として、明治以降100年の中央集権の中で西洋に追い付き追い越せということが追求されてきました。この制度が100年経つ中で様々な弊害も出て来ています。町づくりを見ても、全国どこでも同じ様な町になっています。福井市、熊本市の町という個性が段々なくなっています。国の補助基準の中でそうなっているわけです。学校の建物もそうです。木材の産地である群馬県のある村では木造の学校を作ろうとしたわけですが、鉄筋しかだめだといわれる。地域の中での個性がでないし、他地域のニーズに対応出来なくなっています。

 それから、政官業の癒着構造が生まれてきています。様々な国家資格がありますが、資格を実際に与えているは中央省庁ですが、それを実際に交付しているのは業界と中央省庁でできている財団法人が行なっています。国会議員との関係では利権をめぐり族議員を作っています。

 自治体からいっても国の補助が頼りということがあります。九州の雲仙普賢岳が噴火した時、長崎県、島原市は支援をしてほしいということで、国に度々要請をしましたが、例えていうと、100万円の補助をもらうのにそれより多い旅費を使って行ったわけです。非常に効率が悪い。また、国からの調査ものが多いが、繁雑になっています。

 

2.地方分権推進委員会・中間報告の内容

(1)なぜ地方分権か

 分権推進法ができ、1995年7月3日に設置された地方分権推進委員会は経団連の副会長の秩父セメントの諸井委員長のもとで、去る1996年3月29日に中間報告をまとめました。それから、くらしづくり、まちづくりの2部会からも3月15日に中間報告がでました。

 なぜ、分権なのかを中間報告ではまとめています。明治以降100年たった中央集権システムが制度疲労しているのではないか、中央集権型行政システムの改革が必要です。2番目が国際社会への対応ということです。3点めが東京一極集中です。4番目が個性豊かな町づくりの必要性。5点目が少子高齢化社会への対応です。地方では在宅サービス型、都市では施設型の福祉などなどです。中央集権では措置費ということで画一的な対応しかできないのではないかということです。

(2)機関委任事務の廃止を提言

 中間報告の特徴は、国の法律に基づく事務事業を全部見直そうということです。機関委任事務といわれるものですが、都道府県では、8から9割は機関委任事務です。市町村でも6割ほどです。これを見直すということです。国と地方の事務配分ですが、防衛とか外交は国が行なっています。国の出先機関が行なっている労働行政や運輸行政もあります。次が国の行政と重なっている所が機関委任事務です。旅券の交付、児童手当の交付、開発行為の許可など561もあります。

 現実にはさらに団体委任事務があります。国定公園の制定など、法令に基づいてやられるものです。保育所の入所基準がありますが、これまでは機関委任事務でしたが、団体委任事務になり、条例に基づいて自治体で定めることが出来るようになりました。

 この機関委任事務を、基本的に自治事務にする。地方自治体に移管できないものは法定受託事務にするということです。機関委任事務は沖縄での裁判でも明らかなように、地方自治体に裁量権がないわけです。拒否できないということは、国と地方自治体の関係は上下関係、主従関係だということです。これを抜本的に改革しようということです。機関委任事務は地方に2重の負担をかけています。機関ですから、国の法律に基づいて、沖縄の問題でいえば、総理大臣が土地収用の立合いを、太田沖縄県知事に委任しています。その太田知事は住民の投票による住民の代表でもあるという二つの性格を持っています。2重の負担をしているわけです。そのことによって、責任が不明確になっています。

 機関委任事務は裁量がない。沖縄県知事は拒否をしたわけですが、拒否はだめだということで、総理大臣として、職務執行命令訴訟で国の一機関として命令に従いなさいということを裁判しているわけです。高裁では敗訴し、最高裁で審理されています。

 5年前までは、地方自治法の職務執行命令訴訟では、機関委任事務を全うしない首長は国が罷免権を持っていました。国家として裁判で罷免できることになっていました。

 今回の中間報告は、国と地方自治体を対等の関係に置こうということです。法定受託事務というように国と自治体が契約関係により、やっていこうというものです。たとえば、国勢調査や国政選挙、旅券の交付のようなものは、国が地方に委託するというものです。

 自治事務でも、法律の定めのないもの。法律の定めのあるものに区別しています。生活保護などの基準等は法律できちんと定めておこうというものです。それを上回るものは、自治体の自主的判断によって行なうということです。これを、561件ある機関委任事務の1件1件を洗っていこうというものです。

3.地方団体および中央省庁の主張

(1)必置規制の見直し

 しかし、その中にも、報告、届出、勧告、技術的な助言、許可、認可など様々な国の関与があるわけですが、こうしたものを組み合わせる中でやっていこうということです。中間報告は改革の方向性とともに留意点を示しています。様々な心配、たとえば、小さな町村でも出来るのかとか、あるいは中央省庁の抵抗も留意点として反映されています。

 必置規制の見直しですが、現在は様々な必置規制があります。行政機関の設置、資格を有する職員の配置、審議会付属機関の必置などです。これを見直していこうというものです。医療福祉、教育、農業などです。行政機関としては福祉事務所、資格を有する職員の配置としては、保健所の所長は医師でなければならない、栄養指導員等なども同様です。審議会でも保健所運営協議会等々が法律で義務づけられています。

 厚生省は国民に文化的な最低の生活を保障するのは国の役割である。これを地方自治体に任せると、国の責務が果たせないなどといっています。保健所の所長も医師の規制がはずれると、様々な職種の職員の統括ができず、住民サービスの機能が低下すると主張しています。建設省、運輸省、農林省も全国的に標準的な行政ができないと反論しています。

 生活保護制度にしても、厚生省の基準は非常に厳しいわけです。エアコン問題がありましたが、エアコンをつけている家庭は生活保護の対象とならないというものです。一々厚生省にお伺いを立てなければならない。これでは、地域で弾力的な対応はできないわけです。では自治事務にするとある市町村では生活保護をやらないということになるかということです。住民サービスの機関として、法律に定めのある事務とすればそれは守れるのであって、厚生省の反論はあたらないと思います。

 保育所と幼稚園の問題ですが、少子化で定員割れを起こしているところが多くあります。合併しようとすると補助金の問題でうまくいかない。また学校の空き部屋が多くある。これを福祉に使ったらどうかということですが、現実的には補助金適正化法に触れますからできない。縦割り行政の中ではどうしても弾力的にできないわけです。

(2)財政問題は中間報告では先送り

 中間報告では、地方財政問題はほとんど扱っていません。地方の自主財源の拡充とか、交付税の見直しとかは少し触れていますが。これは、今回の中間報告の戦略が、各省庁からの権限をいかに委譲するかにあり、財政問題を真っ先にやると双方から潰れてしまうからです。事務局には各省庁から分権推進室に派遣されています。彼らは自分の権益を侵させないように努力しています。そこで、中間報告段階では総理大臣に勧告する予定ではなかったようですが、諸井委員長は政治性を発揮し、中間報告でこのように行ないますと宣言したわけです。そこで、橋本総理大臣が各省庁とよく相談をしてやりますと一言いったもので、諸井委員長は大変怒られて、益々やる気をだしているようです。経済界も労働界も、学者、元首長も一体となって、中央=霞ヶ関の官僚と闘っているというのが分権推進委員会の中身です。

 推進委員会の中に5月に財政プロジェクトができ財政問題がようやく議論にはいることになりました。自治事務の在り方の裏付けをどうするかが今後の勝負になって来ます。国税と地方税の取り分は7:3です。使っているのは逆で地方が7:国が3です。税制の抜本的改革の中で、国税ではなく地方税として集める工夫はないかということです。もう一つは、地方交付税の抜本的な見直しです。機関委任事務の廃止で、補助金や措置費などは一旦なくなります。これをどう一般財源化するか。これを、どのように財政調整を行なうか。現在は自治省が財政調整を行なっています。これを、地方公共団体と国とで構成する団体が権限を持って配分するというものです。現在の交付税の中でも特別交付税は中身がほとんど分かりません。非常に政治的なものです。現実に財政がついてこなければ、仕事だけ来るということになります。

 

4.分権が与える自治体職場

 地方分権になると、地方自治体の職員の責任は非常に重くなります。1つの事務事業を行なう場合に、その物差しをどうすべきかですが、いままでは、国の法律、基準がこうなっていますでよかったわけですが、今度はどういう行政をどういう物差しでやっていくかということにおいて自治体の能力が問われるわけです。これは職員だけで考えるのではなく、市民という回路の中でどういうニーズを集約し、どういうルールを作って行くかです。いまは、中央省庁の中でこの権限はどうだとやっているわけですが、地域の中で考えて見たらどうなるかです。生活保護、保健所、農地転用、都市計画等々様々な問題があります。そのときに市町村段階でどのような町をつくっていくのか。市民の利害関係の調整をどのようにおこなって行くかが求められています。

 東京の三鷹市に調査に入りましたが、いくつかの自治組織ができ、公民館を自主管理していますが、三鷹市はそれぞれの地域にどのような街にしたいかのメニューを出したわけです。福祉の街としてこういうことをしたい。川としてはこういう環境政策を作りたい等々、様々なメニューをだしそれを地域で選んでもらうこととしたわけです。それが、地域の街づくりマップになって、それが三鷹市の都市計画構想になっています。自治会の方は自ら住民と折衝しながら住民組織が決めて行く。行政は専ら調整役となり、トラブルが起こっても、住民で解決して下さいといいうわけです。たとえば、バス停の問題で、ある地域ではバス停がどうしても欲しいと主張し、別の地域ではそんなところへバス停を置いたら交通渋滞になると反対したわけです。そこで市はどうしたかというと、一旦住民に返し、そこで調整し、調整結果を受けて、バス停は作らなくなったわけです。

 中央集権のシステムは限界にきています。自らの地域がどのような街にして行くのかということがなければ、結果的に地方分権は霞ヶ関における官官分権になるであろうし、国と都道府県に部分的な権限委譲があるだけで、市町村にとってはほとんど関係の無い、あるいは、国の余分な仕事が都道府県に、都道府県の余分な仕事が市町村に来て、財政は何もつかないというおそれがあります。

 

シンポジュウム

 

福井県地方自治研究センター 事務局長 伊藤藤夫氏

[金・機関委任事務・通達でがんじがらめの地方自治体]

 なぜ、地方が国にこれほど弱いのかということを常々感じています。政治権力の集中が一番の問題です。

@金で地方が押さえられる。私たちが納める税金の7割は国が吸い上げ、地方の分は3割。しかし仕事は地方が7割で国が3割であり、不足の金を補助金、交付金という形で地方を縛っている。

A機関委任事務の問題です。それを通じて地方を統制しています。 首長は私たちの仕事をよくしてもらう為に選んだにもかかわらず、国の仕事をやらされている。

B政令、省令、通達です。これでがんじがらめにしている。

 国民健康保険税ですが、それを国の基準どおりに上げないと特別交付税をやらないといわれる。補助金がどれほど当たっているかですが、特別養護老人ホームを建設すると6億3千万円かかる。この中で国と県の補助金は2億4千万円なのです。市は4億円出すわけです。補助金、補助金といっていますが、規定では国が1/2、県と市町村で残り1/2ということになっています。このような規定通りではまともな老人ホームは建たない。結果的に2/3を市が出さなければまともな老人ホームは建たないということです。しかし、その補助金が欲しいが為に、厚生省の基準に合わせた建物しかできない。

学校補助ですが、万葉中学校は40億円かかった。5億6千万円しか補助金はありません。南越清掃組合では50億円の処理場を作るわけですが、費用の内、国からは6億円しか出ない。しかし、これをもらわなければやっていけないわけです。借金にしても勝手にはできない。知事の承認が必要です。

 

福井県消費者団体連絡会 事務局長 吉川守秋氏

[市民の参加が無ければ地方分権は成立しない]

 今までの市民の政治レベルが政治構造、支配構造を作ってきました。地方分権なり自治なりということへの関心は非常に弱いと思っています。しかし、地方分権は生活者重視の「生活者主権」という立場からみれば、重要な手段となりうると思います。

 市民レベルで地方分権をどう受けとめるかですが、ゴミの問題について問題提起したい。リサイクル法が施行されるわけですが、ゴミの分別収集ですが、どういう規模でリサイクルが完結できるのか、市町村の範囲というのはちょうどよいと思っています。しかし、ものによっては広域でやらなければ効率の悪いものもあります。フロンの回収の問題とか牛乳パックを製紙工場に持ち込む場合とか、は広域的に考えないといけない。地域での完結単位が違って来ると思います。国、県、市町村の単位を見直す時期にあるとおもいますが、それには、市民の参画が必要です。国全体のビジョンを視点に入れながら、地方のビジョンをどうするかということがないと、地方分権は成立しないと思います。

 

福祉研究家 小林明子氏

[県レベルの自治の強化が必要]

 地方分権の施策が必要ですが、福祉という弱いものの立場を守り反映される場では、末端の地域の自治とか、住民の力というものがどれだけあるだろうかというところが勝負です。老人の福祉計画や介護保険でも、地域の住民が立ち上がってああしよう、こうしようとパワーを出して活動しているというのは本当に少ないです。そこで、市町村の出先の担当者の考え方や力量により、ますます地域の較差も出てきます。福井県のように郡部の人口密度の薄いところでは、県のレベルでの自治の強化が非常に大事だと思います。難病でも、市町村の窓口ではなかなか徹底しなかったことでも、県レベルで人工呼吸器の制度は、福井県は全国5番目ということで非常に早かったわけです。意志伝達装置という、重い障害を持った人がパソコンを通じて意志を伝える装置があるわけですが、制度の枠を柔軟にして欲しいと県に要望し、市町村に徹底してもらう陳情を患者会が行なった結果です。県がしっかりしてもらうことが大事です。

 福祉を作っていく力は、消費者団体や住民団体もしくは障害者やボランティアとなるとおもいます。いままでは、福井には福祉を研究する機関がなく、今ようやく、県立大学に福祉学部が設置される動きとなっています。住民のニーズの結集はまだまだ弱いので、それをまとめてゆける人作が課題です。また、政策決定への女性の参画も弱いです。今ある現場でどう力を付けるかが大事です。

 

大塚氏

[労働組合も一市民である]

 この議論は市民から沸き上がっていないのではないか、自治労がなぜここまで踏込むのかとよくいわれます。必置規制にしても撤廃すると、職場が合理化されるのではないかといわれます。自分のやっている行政をもう一度相対化して、労働組合も一市民であるという視点から見直す必要があると思います。労働組合の存在価値を高めるには、通達行政に埋没しているのではなく、住民と接している中で悩みながら仕事をしているわけですから、そこから議論をおこして行く必要があると思います。

 地域のエリアの問題ですが、実際の事務事業はかなり、ボーダーレスとなっています。しかし、まず市町村に権限と財源を頂きたい、より広域性があるものについては、市町村の連合で、また県の役割について、国ではなくて地方自治体が連携してあたってもいいのではないかということです。

 広域連合という制度ができました。市町村の住民が見えるところでそういう制度を使ったらどうかということです。

 

 

小林氏

 在宅へ福祉が移行し始めていますが、高度医療をしようとする場合には、嶺南と嶺北では非常に格差があるわけです。訪問看護ステーションの数が福井市内では20カ所ほど有るわけですが、嶺南では敦賀に1つと、小浜に1つしかないわけです。どこでどう動いて、どう変えていくかです。

 

吉川氏

[運動の差で分権の中身に差が出てくる]

 消費者団体として、食品の日付表示の問題ですが、期限表示だけでよいということで進んできています。これまで製造日表示がなされてきたわけですが。日持ちのしない食品にはこれを併記しようという運動がされています。消費者運動の盛んな地域では、自治体がこれを併記しようということになっています。逆に活発でないところは厚生省の言いなりで、期限表示だけということになっており、福井県はその代表に上がっていました。これを見て消費者団体の人たちは行政に対してこれはどうなっているんだと問いかけをしていく。差が出てくるのが「自治」ではないでしょうか。福井県の消費者が行動を起こし、消費者が望んでいるなら併記を求めていくというのが地方分権ではないかと思っています。

 

伊藤氏

[機関委任事務で責任があいまいに]

 中央集権によって市町村ががんじがらめにされている。だから市民の要求がうまく処理できないということをいっていかないとだめです。ところが、役所の中でもどんな弊害があるかという事が認識されていない。もっとわかりやすい形で具体的に出していかなければならないと思います。

 機関委任事務ですが非常に責任があいまいになっていることです。国の仕事か自治体の仕事かということでどちらも責任をなすりあっている。沖縄の問題もそうですし、福井県では第一信用組合の問題もそうです。知事の責任なのか大蔵省の責任なのかです。

権限だけではなくお金がこないとほんとうの地方分権にはなりません。権限とお金がきたときどうするか。市の部長の議会答弁はいつも県の方針が出てから、とか国方針が出てからというわけです。しかし、それを打ち破らなければ本当の地方分権はできません。市役所の職員も県の職員ももっともっと勉強してもらわなければならないと思います。

 

大塚氏

 自分にとってどうなのかを御議論いただきたい。高齢者介護、環境など身近な課題で話しをして、そのために、何の法律はいる、何の法律はいらないということを議論していただきたい。