第11回

ちょっといって講座

漂流する中央政治と地方の課題

大阪市立大学法学部   加茂利男 教授

1995年11月13日  於:労働福祉会館中ホール

 

はじめに  和歌山県知事選・もう一つの見方

 今の日本の中央政治と地方政治を考える格好の事例として、和歌山県知事選を取上げてみたい。これが、新聞の全国版のネタになったというので、和歌山出身者としては喜んでいいのか、哀しんでいいのかわかりません。大変異常な選挙として関心を集めたわけですが、和歌山市の旅田市長が今年の地方統一選挙の時に立候補するけれども、任期途中に辞めて県知事選挙にでるというダブル宣言をしたわけです。その旅田市長が暴力団組長と面談をしているビデオを採られたわけです。その話題が、政治資金の融資の世話をしたにもかかわらず、県の職員に縁故採用してもらうという約束が守られなかったというような内容でした。これが、市議会で取上げられ、101条委員会が作られ、そこで、ビデオが写され、市議会主催で市民会館でこのビデオを放映するということになりました。

 対立した、前県知事が後継指名した副知事の候補は、和歌山市以外の殆どの首長の支持を取り付け選挙に臨んだわけです。自民党と新進党が呉越同舟で支持しました。そして、本番の選挙戦も低次元の白熱をし、結果的には投票率も前回より10%近く上がり、久しぶりに和歌山が政治で燃えた結果となりました。

 これは、特殊和歌山の現象ではなく、今後液状化の中で日本の何処ででも起こり得ることではないかということです。副知事陣営は県ぐるみ選挙を行いました。政治が混迷してくれば混迷してくるだけ、最後の切り札として、利益誘導型のメカニズムが持出されてくるわけです。和歌山県は第一次産業の時代には豊かな県であったわけですが、工業化、都市化には完全に乗り遅れてしまいました。中山間地の市町村は自主財源が1割前後というところが非常に多いわけです。過疎指定を受けて過疎債を受けられるかどうかがその市町村にとっては浮沈に関わるわけです。県下の角々にまで利益誘導型の政治が浸透しているわけです。

 1989年の参議院選挙では全国的にも近畿でも社会党候補、連合候補が躍進しましたが、和歌山ではそういうことは有りませんでした。その時、日高川沿いのN村では議会ぐるみの選挙違反事件が起こりました。副議長が取りまとめ役となり、実弾を注ぎ込んで村会議員が票のまとめに走ったものです。裁判で被告代表の県会議長が裁判所に対し、罪は認めるが状情酌量してほしという意見書を出しています。その中身は「新過疎法の制定と自由民主党の勝利は自己財源の乏しい本村を救う究極の道であると信じ、私たちは保守票の獲得をめざし、亡我の意気で村内外を東奔西走したのであります。道が良くなる、学校が改築される、橋が懸かると村の為、村民の為と愛郷の精神を駆り立てて猛進したのであります。」と書かれています。新過疎法の制定を受けるには、郡内の他の市町村よりも高い自民党得票率を出さなければいけないということで、血道をあげてやったという実態が書かれています。

 最近、補助金とか起債は県の役割が大きくなってきています。零細な市町村であればあるだけ、県庁とどう結びつくかが一番大事な選択になってきています。本来なら、旅田市長についてもよかったのですが、みな副知事についたのは、県庁を中心とする地方版の利益誘導型政治が根を張っているからです。

 利益誘導型の政治がこのように最後の切り札として持ち出されてきたにもかかわらず、このメカニズムがうまく働いたかどうかです。必ずしもそうではなかった。県庁と県庁所在市とは中が悪いと相場は決まっているわけですが、そこに地方政治の軋轢が出てくる。そこに派閥などがからまって、時として保守分裂ということが起こるわけです。これまでは、自由民主党という大きな傘が有り、大物議員が仲介して保守分裂などは調整して事前に辞めさせてきたわけです。旅田氏のようなダブル出馬などはやめさせられただろうと思うわけです。ところが、今回はそういう調整力が働かなかった。和歌山では自民党県連よりも中西啓介氏などがいて新進党が強くなっている。旅田氏は中西系で本来なら中西氏が調整をしただろうと思いますが、中西氏自身が息子の問題で政治力を発揮できなかった。こうして、保守政界の中に調整する能力がなくなってしまった。

 そこに、旅田氏はキャラクター性の強いアイデアマンで、全国で始めてポイ捨て禁止条例を作りました。下水道料金を1/3にするなど思い切ったことをしました。和歌山市民の中では個人的に人気がある。しかし、ルール感覚に乏しく横髪破りというところがある。個人のタイプでアピールできる政治家であったわけです。そうした政治家が出馬するとなったらコントロールすることができなくなってしまったわけです。

 結果として和歌山県知事選は人対組織の争いになった。副知事の方は県民からすると名前は判っていても、どういう人かわからない。ただ、前知事が後継に指名したというだけです。選挙スタイルとしては、ネガティブキャンペーンが支配することになりました。旅田氏がビデオ問題でかなりのダメージをうけていましたが、10対7のかなりの激戦でした。

 和歌山県知事選はきわめて特殊な例外かもしれません。しかし、例外というのは典型でもあります。今の日本の漂流する政治が地方に何をもたらすかを考えさせる材料を沢山含んでいます。

 

1 漂流する政治・漂流する有権者(朝日「定点調査」から)

(1)保守二党の支持率微増と社会支持率減:保守二党化の兆候?

 山口二郎氏がその著書である「政治改革」の中で予想した95年体制というものは、まだ目鼻立ちもはっきりしていません。政党の支持基盤が非常に流動化し液状化しています。最近の世論調査で注目すべきは、朝日新聞がやっている定点観測調査です。アメリカのCBSやニューヨークタイムスなどの調査の手法を日本でもやってみようとスタートさせた手法です。中心的なサンプルとして静岡市を使い、その他、横浜、福岡、豊中の4つの地点を使って、ずっと同じ人を追っかけながら、その都度政党支持がどう替っていくかを調べています。その結果が10月に発表されています。3月の調査との比較をしています。

 どういう傾向が出てきているかというと、自民党と新進党の2党に3月の時点で無党派であった人がかなり戻っていることです。保守系の二大政党の支持率が3月に比べてかなり戻っている。社会党の支持率がくっきり低下してきている。無党派化の傾向が下げどまった。回復の傾向は保守二党化への傾向を示している。いいかえると、第三極というものが不在であるためである。

(2)低下著しい政治への関心

 ところが、政治に対する関心度は押し並べて下がっている。3月の新聞、マスコミが注目した、政治に関心はあるけれどもどの政党も支持できないといういわゆる無党派層は3月の時点では「政治に関心が無い」と答えた層は21%しかいなかった。ところが、10月の調査では45%にまで上がってきている。全体としては政治にソッポを向くようになってきている。

(3)強い「第三極」待望と弱い社会新党への期待

 第三極に対してどう答えているかですが、「第三極は必要だと思うか」という問に対し、「必要だ」が59%いるわけです。有権者の中に、事実上保守二大政党への傾向が進んでいるが、それだけで有権者の今の気持ちを吸収できるかといったら大間違いである。やはり、第三極が欲しいと思っているわけです。では社会党だけの新党に期待するかということですが、73%が「期待しない」と答えている。社会党の枠組みだけで新党に衣変えしても、今の有権者の関心の受皿にはならない。やはり二段ロケットで次のステップがないとどうしようもないわけです。

(4)盛り上がらぬ橋本政権待望

 自民党が少し勢力を盛返してきたようで、総裁も河野氏より橋本氏に替り、その裏に竹下氏がいるので、もう一度単独政権という意欲も強くなってきたようです。しかし、橋龍総理を支持するかということになると、「望む」が44%、「望まない」が44%となっています。思ったほど支持が高まってきていないわけです。

 分析のタイムスパンを変えて、7月の参議院選挙から秋にかけて有権者の意識がどう変わってきたかですが、中央公論という雑誌の中で筑波大学の蒲島郁夫氏が政界天気図を毎号出しています。全国1,000人の有権者の調査をしています。参議院選挙直後の8月では、無党派は51%であったわけです。ところが、9月になると55.8%にまた増えているわけです。参議院選挙のときには無理やりにでもどこかの政党の候補を支持せざるを得ないと考えたわけです。そこからまた、無党派が増えている。再び無党派化が進み始めたわけです。

(5)近づく総選挙・定まらぬ再編シナリオ

 日本が抱えている問題はあまりにも多くの問題が山積しているわけです。景気の問題、金融システムの混乱の問題等、相当思い切った政治サイドからのリーダーシップが発揮されねばなりません。沖縄の米軍基地の問題もまな尻を決してこれから米軍と交渉しなければならない。極めてエネルギッシュなリーダーシップを発揮しなければなりません。APEC議長国としての日本のスタンスが見えない。どういうスタンスを日本が示すかが世界から注目されているにもかかわらずです。宗教法人法改正問題で一山越えたとはいうものの、オウム真理教に対する破防法適用問題も依然として残っている。官邸はこの問題に関して様子見をしているが、様子見で済むのかどうか。難題は沢山迫ってくるにもかかわらず、なかなかそれに対する答えが出てこない。

 政策の違いや理念の違いはなかなか浮び上がってこないことはもどかしいことではあるが、せめて実行力というか、この党がやれば少しは物事が進んでくるだろうということを物差にして、無理やりにでも政党を選択したいという気持ちが有権者の中にある程度芽生えてきています。しかし、それで物事を考えていくと、どうしても保守二党化に結びついていく。それでは、やっぱり情けないわけです。第三極が欲しい。しかし、その第三極がなかなか出てこない。結果的に少しづつ無党派が増えてくる。

 しかも、総選挙が迫ってきている。現在の衆議院議員の任期は97年夏までありますが、任期一杯はやれない。経済を立て直すためにはどこかで政治が大きく変わり人心を一新する必要が有ります。参議院選挙の結果として、自社さ政権は勝ったといえば勝ったわけですが、政権基盤が弱まったわけです。選挙法を改正したわけですから、新選挙法の下で選挙をしないと何のために変えたかになる。おそらく、来年の早い時期にしなければならない。入学試験は迫ってきている。しかし、受験準備ができない。選挙に臨む政界再編が出来ない状況にあるわけです。

 各勢力ともジレンマを持っている。新進党も参議院で勝ったが、創価学会の組織力が最後は物をいうということがわかって、小沢氏も市川氏も今度の選挙は勝つのだといいはじめています。しかし、市川氏は、他方でもし勝てなかったら新進党はたぶん解体するといっています。そこに寄せ木細工の新進党の弱味が有ります。自民党は橋本氏に総裁を変え、竹下氏の影響力で新進党に走ったものも呼び戻し、単独政権を目指そうということでしたが、橋本人気が盛り上がらない。一番当てにしていた、若者と女性の支持率が低い。地方では小選挙区制の下で、候補者を1つ1つの選挙区に張り付けることがどうしようもなく難題となっています。最後は創価学会の集票マシン動かすこととなったら勝てる自信がないわけです。

 社会党とさきがけも、この前、武村新党構想が飛出しびっくりしたわけですが、瞬く間に潰れてしまいました。社会党やさきがけ、リベラルフォーラムなどと第三極の動きが一つに凝縮していく動きがどうしても出てこない。新世代で第三極をという横路、鳩山、海江田万里という人達の動きですが、横路氏への期待度が考えていた以上に急速に低下してきたということがあり、本命になりえない。それでは旧世代でということで、おたかさんと村山さんと武村さんでということだったわけですが、その瞬間さきがけの保守バネが働く。兵庫県の渡海さんなんかは後援会の大半が依然として自民党に籍がある。社会党とくっついて自民党と対抗する選挙をやることは非常にやりにくい。しかし、一方さきがけが現職候補を持っていない地域では、たとえば大阪などでは、もっと市民派的に自由に動きたいわけで、社会党との連携を模索したい、保守バネに対する反発もあるわけです。地域によって、第三極の中心極が異なる、この地域では、こういうパターンが、あの地域ではああいうパターンがとなっているところが非常にやっかいです。

 大阪では小選挙区では社会党は殆ど独自候補を立てられないでしょう。社会党の現職議員の中には自民党にくら替えして立候補する人が何人か出てくると予想しています。さきがけは現職議員を持っていない強みで、社会党との連携をやろうと考えています。一コマ一コマは非常に面白い動きになっているわけですが、全体としてはカオスになっているわけです。

(6)日経連声明(5月)の迫真性:経済再建の期限は3年

 5月に日経連が非常に重要な声明を出しました。「日本の経済はあと3年しか持たない」という声明です。政治がその間になんとか立て直してくれないとああと3年でダメになるという警告です。かなり、当たっているのではないかと思います。一方ではまだ金融制度さえどこかで改革すれば民間で余っている膨大な資金があるわけですから、金融システムを改革すればそれが一気に市場に出てきて投資に向かうわけです。

 

2 世界の政治漂流現象と日本

(1)速まる政変サイクル・崩れる政システム・ぼやける争点

 世界の中での日本の政治の漂流を考えてみても、特殊日本の状況だけではなく、欧米でもそうです。与党に対する信頼感が非常に喪失しています。しかし、野党に対する期待が高まっているかというとそうではありません。不気味な第三勢力が登場しているということが何処の国でも共通しています。アメリカはレーガン、ブッシュと続いた新保守主義がロスに見られる社会的暴動を引き起こしました。クリントンンがチェンジをキャッチフレーズに登場してきました。しかし、クリントン政権は中間選挙で大敗する。共和党が上下両院の過半数を制することになりました。

 イギリスでは、保守党政権が続いていますが、世論調査では今選挙をしたら労働党が勝つという状況に有ります。労働党に対し国民の期待が高まっているかというとそうではありません。イタリアはキリスト教民主党と共産党を軸とする政治の構図で中道右派政権が続いてきましたが、それが政治腐敗で揺らぎ、選挙制度が改革された結果、右派三派連合が政権を握ることになったわけですが、1年も経たないうちに首班ベルルスコーニの政治スキャンダルが出てきました。そこで、地方では左派政権が強くなってきています。

 スウェーデンでは長い間社会民主党の福祉国家を政策として掲げる政権が続いてきたわけですが、1976年に一旦保守政権が誕生し、たった一期で社民党のパルメ政権に替りましたが、91年の総選挙で再び保守政権に替りました。そしてまた昨年9月の選挙で社民党政権が復活しました。非常に安定しているといわれた北欧の福祉国家でさえ政権が猫の目の様に替る状況になっています。

 どこの国でも政権が信頼されておらず、アメリカでは第三勢力、ロス・ペローなどがブームに乗ってひょっとしたらという状況に有ります。フランスでも民主戦線のような民族主義的右派勢力が立場を強化しています。政治全体が先行きの見えない不安定な状況に有ります。

(2)制度の限界か、クリービッジ(政治区分図)の流動化か

@政治制度、選挙制度改革論

 危機感は何処の国でも強まっており、政治の改革をすることが世界の共通のテーマとなっています。政治改革を考える時、政治の行き詰りをどう突破するかというとときに、選挙制度がいかん、土俵を変えれば、日本の政治はがらっと変わるというところへ結論がいったわけです。先進国の中でもこうした考え方がないわけではありません。イタリアは比例代表制から小選挙区制に選挙制度を改め、小党分立の不安定さと、政治スキャンダルに終止符を打とうとしました。アメリカでは下院で、ある議員がこれまでの小選挙区制での二大政党制に終止符を打つために、準比例代表制を採用しようという法案を上程しようとしています。二大政党制では両方の活力が駄目になったときに、それを突破する新しい活力がでてこない。改革の方向が完全にクロスしています。

A政党機能衰退論

 政党というものの見方を見直そうという動きです。政党政治における政党は、一つのモデルとしては沢山の党員を抱え、はっきりした政策を掲げ、出来るだけ沢山の支持者を後援会とか党友とかで抱えるわけです。どうもそういう政党ではこれからの政党政治はやれないのではないかということです。これまでの政党の組織力、政策や綱領を支えている背景にはイデオロギーがあったわけです。イデオロギー的なよりどころが、それぞれの政党にあったからこそ、政党は組織政党として大衆政党として多くの人々の中に根を張って行こうということがあったわけです。ところが、イデオロギーの違いというものが、段々段々何処の国でも怪しくなってきました。イデオロギーでは政党の性格を決められない、他方有権者の方は、イギリスでは親の代から労働党、アメリカでは南北戦争の時代から共和党の支持者だとか、政党支持の態度が受け継がれるような固定性、安定制を持っていたわけです。支持者や党員1人1人をメンバーシップで組織しているわけです。

 どうも、ホワイトカラーが増え、教育水準が上がってくると、そんな理屈のない政党支持パターンはなりたたなくなる。選挙民が自分の頭で考え、その都度何処の政党がいいかと選択するようになってきました。政党が票を獲得していく場合にも、伝統的な政党のやり方は、1人1人の支持者と話し込んでいくという組織力を使った、人対人の組織化がスタイルでしたが、いまや、そういうスタイルではできません。アメリカでは非常に巨額の選挙費用を使いますが、そのうちの9割はテレビのコマーシャルに使われているといわれます。メディア選挙です。強大な組織を持っているということが最後は強みとなるかも知れませんが、それでは政権を狙うということにはならない。メディアを通して、有権者の感覚、感性に訴えられるかが鍵となっています。

 こうした時代に対応する政党というのはなかなかでてこない。依然として旧態然としているわけです。

B戦後型クリービッジ(保守=財界・中産階級/社民=労働)の崩壊:国際化・脱産業化・ホワイトカラー化・市民自立化

 政党と支持者の間の関係ですが、戦後の先進国では保守党の支持層は経営者、農民、中産階級だったわけです。社民党の支持基盤は労働者、労働組合、マイノリティー、福祉受給者、インテリ層となっていました。それが成り立たなくなってきたところに、世界的な政治の混迷があります。産業構造が変わり、ソフト化、サービス産業化が進むにつれ組織労働者が減っていく、労働組合の組織率が下がっていく、ホワイトカラーは必ずしも労働組合に参加しない。その為に、社民党、リベラル党の支持基盤が80年代に弱まっていく。だから80年代は保守化の時代になったわけです。しかし、保守党もこれまでとは同じスタイルでは政治がやっていけなくなってきているわけです。70年代までの保守党はナショナリズムの政党であり、一国の経済の中で自分たちの支持基盤となっている企業とか中産階級、農民の利益を外国との競争からどれだけ守ってやるかだったわけです。どれだけ補助金をつけるかが保守党としての支持基盤を育成していくための伝統的方法だったわけです。ところが、経済自体がグローバル化する中で、伝統的な方法がとれない。大企業は経済的ナショナリズムは必要としなくなってきています。 経済の自由化が進み、これまで保守党の政策により保護されていた、農民や中小商工業者が世界市場における苛酷な競争に巻き込まれることになってきました。その結果、農民や中小商工業者が保守党離れをすることになりました。保守の側も、社民・リベラルの側もこれまでの伝統的な支持基盤を次第に流動化させることになっています。

 これに変わる新しい区分図がなかなか出来上がってこない。保守は新保守主義に転換しようとしています。ナショナリズムをやめる。国が大きな役割を果たすことをやめる。国際的な市場化、自由化を進める考え方が強くなってきています。イギリスのサッチャー政権やアメリカのレーガン政権はそれをかなり徹底したといえますが、日本では中曽根氏が出てきてかなり自民党もそれに傾斜したことは事実ですが、自民党の伝統的な支持基盤をばっさり断ち切ることはできない。今度のAPECでも2020年までに貿易の自由化を進める、ただし農業は例外とするという議長国としての提案を出さざるを得なかったわけです。新保守への動きは進んでいますが、新保守に本当に転換するには勇気がいるわけです。

 社民党の方は、ドイツ社会民主党が1980年代初頭につくったベルリン綱領、イギリス労働党がこのほどつくった新綱領のどちらも新しい社会民主主義を追求しようとするものです。労働者の党から市民の党、環境の党、ジェンダーの党へ転換しようとする試みが行われています。しかし、こうした試みも実際はなかなか難しく、伝統的な当てになる支持基盤は労働組合で、市民化するということはそう簡単なことではないわけです。生産労働者のやっている生産活動と環境保全は時として衝突するものです。原発問題については福井県などが一番典型だと思いますが。

(5)定まらぬ新保守ー新社民・リベラルの構図、保身に走る政治家

 ヨーロッパでは保守の側も保守から新保守へ、社民の側も社民からか新社民へと、政党自身が転換しようとしています。イタリアなどでは共産党は党名までも変えてしまいました。日本の場合は、必ずしも、自分の性格を変えて新しい政界区分図を造り出そうとする思い切った改革がなされていない。社会党の場合、「社会主義への日本の道」という綱領を転換するために行った1986年の議論と、そこから出てきた「86宣言」は党を挙げてやった必死の議論であったと思います。しかし、その後何回も何回もやっています。この前は95年宣言でした。それは、党内を挙げて必死で論議したという文章ではない。あれで、社会党が新社民党に変わるのだと思う人は誰もいないのではと思います。

 日本の場合政党が自分の体質を変えるという方向への改革が徹底しなかった。結果として日本の政治改革は、政党が自らを変えるという方向を追求されされなかったために、制度改革依存になり、制度という土俵を変えれば政党の体質も、政治家の体質も変わるのではないかという方向にいったわけです。これは日本の政治改革の不幸であった思います。政党は自ら新しい支持基盤を獲得し、新しい政策スタイルを打ち出し徹底して追求するよりは、制度改革に乗っかってしまおうとしたわけです。それが、これまであった支持基盤をも全部解体する結果になったのではないでしょうか。有権者の50%が支持政党なしというのはアメリカやヨーロッパのどこを探しても見当たらない、有権者の無党派化現象を引き起こしたのではないでしょうか。

 有権者が無党派化する以前に政党が無党派化しているわけです。自分の政党としてのアイデンティを失ってしまったわけです。結果として、政治家たちの今日のビヘイビアの基準はどこにあるかというのは、次の選挙で自分が生き残れるかです。政治改革のボタンの掛け違いによって起こった政治の漂流のひどさは欧米にはない特別のものです。

 

3 地方政治:液状化と新胎動

(1)青島・ノック現象:自己決定の波とキャラクター政治

 地方から新しい政治改革の目が起こってくるのか、あるいは、地方にも漂流現象が浸透していって、地方政治も中央政治と同じ様になってしまうのか。

 地方が政治の液状化現象に待ったを掛ける、あるいは新しい構図を作り出す力を発揮することが出来るのか、それとも中央の液状化現象に呑み込まれてしまうのかです。

 統一地方選挙の青島・ノック現象です。藁にすがる思い出有権者が投票したわけです。お仕着せのキャラクターも判らない候補を、知事や首長に支持してくれと提示したわけですが、それがいやだ、自分で決めたいと考えを打ち出したわけです。未知数だが自分に決定させろ、政党とか官僚機構を介して政治と付き合うのは沢山だとしたわけです。

政党政治のスタイルとしても、青島・ノックはいずれも情報化時代の候補であり、非常に体系的にイデオロギー的にまとまった主張を打ち出したのではありませんが、自分のキャラクターと判りやすいメッセージを打ち出したわけです。これからの政党の在り方を考えさせられます。選挙の度に、政党は分厚い公約集を出すわけですが、誰も読まないわけです。それに対しもっと判りやすく肉声できちんとしたメッセージを出してくれるものでないとだめではないか。

 しかし、いかにも無定形で、その後の展開が、メッセージが新しい時代像を打ち出していく方向につながっているかというとそうではなく、やはり有権者は失望しているといえます。

(2)燃えなかった参院選:「自己決定できない選挙」への無関心と組織政党の強さ

 参議院選挙は史上最低の投票率になりました。近畿では社会党の参議院議席は0となりました。北海道や九州、関東では、官公労や旧国鉄の組織などで勢力を維持したわけですが。社会党はその限りでは全国政党ではなくなってしまいました。これだけ投票率が下がると、渇水季の湖の様に、新しいスタイルが求められているにもかかわらず、結果的に非常に古い、強力な組織力を持った政党が強い皮肉な結果となって表れました。

 有権者は新保守対新社民といったおぼろげながらも選択できる対象を期待しています。第三極として生まれるのでもいい、しかし、旧保守対新保守という保守一辺倒では困る。その二極あるいは三極で政界の区分図が整理されてこないと、有権者の液状化した政党支持態度は戻らないだろう思います。

(3)地方に浸透する液状化

 ところが、なかなかそういう構図が出てきません。それは、第三極をめざす動きが地域によって共通パターンを描けないことにあり求心力を働かせられないからです。

 これからの手掛かりをもとめるとすれば、しかし、それがはたして悪いことかです。地方に独自の政治の構図が出来上がりつつあるといえるのではないか。各政党の地方組織がその地方の状況に見合った形で、その地方政治の図式を作り上げていけばいい。全国共通の第三極を作ろうと思うといつまで経ってもできない。四国は四国、北陸は北陸で作り方があるような気がします。そうした事が本気で追求されていけば、漂流する中央政治に一石を投げかけることができるのではないかと思います。

(4)地方組織の独自化と地方政治家(首長)の台頭

 小選挙区制の候補者選びを見ていると、自民党や新進党のような大政党の枠にはまらない、地方の都市の首長がわれもわれもと名乗りを上げつつある。東京都の行政区の区長や横浜の行政区の区長、大阪の10万都市の市長などです。最初はどこかの政党の公認を受けようとして右往左往するのですが、その中で無所属で出るという人も出てきています。こういう人達を地域毎に組合わせてバックアップする体制が出来上がってくれば、小選挙区制の中で二大政党化が進むのではなく、第三極が見えてくるのではないかと思います。その為に、知名度が有り、キャラクターの強い首長が無所属であるいは少なくとも自民党公認や新進党公認でないようにすることです。それを、新しい構図を作るためにローカルから動き出すことです。大雑把なメッセージとキャラクターで一致して動いてみることです。

(5)急がば廻れ

 日本新党やさきがけ、かつての新自由クラブなどのように、市民政党として出発しながら変質してしまった例は沢山あります。あんまり、中央政界でかっこうのいい政策や旗を掲げて、政界再編をやっていこうというよりは、急がば回れではないでしょうか。それが、日経連の警告した3年以内ではないかもしれません。それはしょうがないことです。中央の政界再編待ちの態度ではなく、自分の地域のパターンを作り出していくことが必要です。

 

質問

I氏 福井も昨年の福井市長選で前社会党県本部委員長が当選するとか、今年の敦賀市長選では組織力に頼らない若手の政治家が当選するなどの動きがあるが、福井の政治情勢について。

加茂氏

 福井の政界は普通に考えれば、保守が非常に強いので衆議院では自民3に他1というパターンではないかと思うわけですが、それが、2:2というパターンが多かった。それは、幸か不幸か利益誘導型の大物政治家がいなかったからです。それから原発銀座といわれるくらいに原発が集中し福井の有権者の間にこれを考え直そうという考えが広まってきているのではないでしょうか。福井市の市長選挙や敦賀市の市長選挙を見ると、小沢王国の岩手や竹下王国の島根のように非常にがっちりと保守政界の組織が出来上がっているのではないと思います。とすれば、それだけ流動化する余地があるわけで、そこに風を起こすはそれほど難しいことではない。敦賀の場合にも非常に簡単なメッセージで登場してきたのではないか、複雑で体系的なものではなかったはずです。

 いくつかの勢力が形だけでも連合して戦えば、少なくともいくつかの選挙区では保守同志がぶつかり合うわけですから、第3の候補が勝という可能性は十分あるのではと思います。

 

講師のプロフィール

 加茂利男(かもとしお) 1945年和歌山県生まれ。1967年大阪市立大学法学部卒業、現在大阪市立大学法学部教授。主著に「現代政治の思想像」「アメリカ二都物語」「都市の政治学」「二つの世紀のはざまで」「日本型政治システム」等多数。