第10回 ちょっといって講座

「 政治改革と勤労者の視点」

山口 定 立命館大学教授

1993年12月11日   於:労働福祉会館大ホール

 

はじめにーー私の立場と当面の状況

(1)私の立場

 たまたま、非常に難しい状況の中で今日の講演を引き受けることになった。

 私が中心となってまとめた『市民自立の政治戦略』(朝日新聞社)は、解散した総評センターの真柄氏より依頼されて、今後の労働運動の指針をということで書いたものである。

 本の中で、戦後の総評を中心とした労働運動が日本国憲法を守るために果してきた役割については評価した。しかし、労働運動自体がアイデンティティの危機というか、何の為にあるのかという存在意義が問われている。特に若い人達からである。それを明らかにする。これからの労働組合は、職場の市民運動という自己規定をすべきである。これまでの自民党1党支配の本質は、成長第一主義大連合・しゃに無二経済成長をするという立場でいろいろな勢力が集まって出来上がってきた。それに対して、日本は経済大国になったといわれながら、一般の国民の生活はそれに見合って改善されていない、また、老後を考えると大変不安である。そういう状況の中で、これからは、「自立と共生」の大連合をしなければならないのではないか。雑誌『世界』1993年10月号で「〈保守・リベラル・社民〉三党体制の勧め」という論文を書いたが、これは、新保守、新リベラル、新社民という意味で、世界的に保守は保守でも新保守、リベラルは新リベラルで、かつてのニューディールではない。社民はヨーロッパの新社民も1989年のころから新しい社会民主主義へ、労動運動だけ結束を固めて突進すればよいというのではなく、労働運動と広い意味での市民運動が提携していくしかないことを打ち出した。これが、社会的公正とエコロジーの赤と緑の大連合である。

(2)当面の状況

@政界再編の第二幕の幕開け直前

 マスコミの論調をみると圧倒的に保守二大政党にというのが多いが、それは違うのではないか。保守とリベラルは区別した方がよい。たとえば、小沢一郎は新しい保守だと思うが、細川首相や武村官房長はリベラルへの模索ではないか。

 社会党で社民勢力の結集というのがあったが、これは労働組合勢力の結集であり、政党では社会党と民社党の結集ということだが、これではだめだ。新しい社民は単に労働組合だけが集まればよいというのではない。

 政界再編成の第二幕ということだが、政治改革の法案が通ろうと、解散総選挙になろうとも、これまでの政治では済まない新しい組み直しの幕が開いたといえる。

 米問題、消費税問題、高齢化社会問題、憲法問題等、重大な問題が起きるたびに、党派毎に意見が違うだけではなく、党派の内部においても意見が分れる。あらゆる党派のなかに賛成派と反対派ができる。たとえば、社会党の中では、米問題では絶対反対というものもいるが、関税化容認派もいる。日教組や自治労でも細川内閣を潰してはいけないという声があがる。自民党のなかの分裂はもっとひどい。河野総裁は護憲派の論調だが、自民党の定める政策からすれば、現在の憲法は外国占領下の憲法であり、自主憲法を制定しなければならないということが党是である。こうしたことをめぐって渡辺美智雄氏と深刻な対立関係にある。いたるところ、あらゆる党派にねじれ現象がある。これは否応なしに整理されざるを得ない。党派の離合集散が繰り返され、1、2回の選挙では整理されず、それなりの政策の首尾一環した政党が産み出されるには3回ぐらいの選挙が必要なのではないか。

A新しい時代の兆候

 私の現在所属する立命館大学では政策科学(ポリーシーサイエンス)を中心に据えた学部を作ろうとしているが、これは、政府税調の加藤寛氏の慶応大学で最初に政策を中心にした学部が作られた。その後、中央大学、関西学院大学などで作る。これは、日本の基本的情勢に合っている。大混乱の情勢の中で、もう少し中長期的に見てそれぞれの立場から基本的問題についてどういう政策を提起すべきか、新しい政策をどう打ち立てるかということある。

B積極的労働市場政策の提起

 朝日新聞紙上に1ページにわたる立命館大学の政策科学部の広告を出したが、そこで、加藤寛氏、平岩レポートの事実上の中心である宮崎勇氏、それに筑紫哲也氏がコーディネーターでシンポジュウムをした。規制緩和の問題で宮崎勇氏は、あるシンクタンクの調査を引用して、「経済構造の改革をやれば300万人の失業者がでるが、新しい産業構造が出来上がれば400万人の新たな働き口が生まれる」と述べている。しかし、これは重大な問題だ。米市場の開放をはじめ思い切った市場開放とそれに基づく産業構造の再度の造り替えを徹底してやった場合、数百万人の失業者が出来るということである。こうしたことがマスコミレベルを含め充分な議論がなされていない。

 京大の佐和隆光氏によると、来年(94年)は失業問題が政治的なテーマとなるといっている。これは勤労者の立場からは最も注目しなければならない。規制緩和による失業と新しい就業口との間には5〜10年の時差がある。米問題にしても農業を離れて再就職するとなれば、違った職種につくことだから職業転換のシステムをどう作るのか。スウェーデンでは積極的労働市場政策をとっているが、職業訓練とその間の所得の保証のシステムを、国家のみならず、経営者、労働組合を含めてどう作っていくかである。そうしたことをめぐっての政策的練り上げがどこまで出来ているのか。

 今度の雇用調整は長い間の日本の伝統的な雇用システムであった終身雇用制と年功序列賃金制度の確実な崩壊とならざるを得ない。

1.細川連立政権政治への期待と日本社会党の分裂と消滅の危機

(1)細川内閣への期待としがらみ

@世代交代と戦争責任問題

 日本の指導者がこれまでとは20才程度若返った。これは大きな感覚の違いがある。年寄りの人は日本のかつての戦争が侵略戦争であったことをなかなか認めたがらない。それが、これまでの古い歴史学の中にどっかりと居座り、戦争の大義名分についていろいろな形で論じてきた。

 武村官房長官は「侵略戦争とは他国の領土で戦争したかどうかであり、そこに大義名分があったかどうかではない」と明確に述べている。細川氏の日本の戦争責任についての率直な発言は、若い世代で支持が強く、高齢の世代でためらう気持ちがある。これは、世代交代の大きな効果である。

 ニュールンベルク裁判では戦争犯罪が追及された。@狭い意味での戦争犯罪(武装していない市民を殺りくしたとか、病院に爆弾を落とした、あるいは捕虜を虐待したということ。)A平和に対する罪(侵略戦争を起こした指導者の罪。)B人道に対する罪(典型はナチスのユダヤ人虐殺。)

 日本が戦争責任を十分果していないという場合、突っ込んだ議論がなされていない。朝鮮・中国人の強制連行問題、あるいは従軍慰安婦問題は人道に対する罪である。日本人はこの人道に対する罪を深く認識してこなかった。東京裁判の起訴状の第一次草案が発見さたが、その中では朝鮮半島を中心にして、日本の人道上の罪を裁くとしていた。しかし、途中で消えた。朝鮮半島における罪というのは植民地主義の犯罪である。ところが、東京裁判をやったころの戦勝国は植民地主義を卒業していなかった。だから、朝鮮半島を対象として人道に対する罪を裁くとなれば、これまでの西欧帝国主義諸国の一連の犯罪を自ら断罪しなければなららかったからである。

A行革審での細川の初心

 行革審で細川首相や武村官房長官が強調していることは、中央集権的官僚支配の打破、政官財の癒着の構造をどう壊すかである。細川氏が行革審のくらしの部会長をしていたときに、結局官僚の壁にぶつかった。行革審では審議会の委員の意見が反映されず、舞台裏の専門委員という官僚OBがすべてチェックをかける。審議会方式では日本の現在の行き詰りを打開することができない、政治的解決しかないということで細川氏の現在の行動が始まった。審議会の密室の中で情報公開もせずに議論して決着をつけようとしても、それではできない。広く世論に問題提起し国会で議論し、みんなの見えるところで解決の基本的方向を出すというのが細川氏の出発点であった。だから、細川内閣は戦後最高の支持率が続いている。(細川内閣が出来る前の最高の支持率は片山内閣であった。)

(2)日本社会党の窮地と党解体の危機

 社会党が窮地に陥り、いまや党の分裂の危機に直面している。あくまで、細川内閣を支持していく立場と、米問題への対応などで細川内閣が潰れてもかまわないという立場である。

(表ー1) 

 しかし、社会党は分裂はできない。分裂は大変なエネルギーを必要とする。しかし、社会党はもはや分裂をするようなエネルギーを持たないところまで衰弱してしまった。一連の政治改革法案がガンバリぬいて通るということになるのか、社会党の分裂をきっかけに解散総選挙になり、結果、政治改革法案も飛んでしまうのかわからないが、政治改革の構想が実現したと仮定した場合、朝日新聞の古いシュミレーション(表1)では連立与党が一本化出来なかった場合、社会党は小選挙区で2議席しかとれない。比例代表では42議席(私の考えではもっと落込む)しかとれない。ところが、一本化した場合には連立与党が勝って自民党が惨敗する。

 新生党と公明党場合によっては民社党、日本新党とさきがけと社会党が組んでそれぞれに統一候補を出すケースの場合はどうかということもあるが、このケースが今も存在するかというと、新生党と日本新党が接近している状況の中では成り立ちにくいのではないか。しかも、仮に連立与党が2つに分れた場合に連立与党が勝って自民党が負けるかとなるとかなり不確定である。慎重にやらねばならないとなると、7党1会派が一体となって統一候補を絞らねばならない。しかし、そうすると社会党は不利な立場となる。社会党の候補が新生党の支持者の票を集めることは難しい。しかも、丸ごと一体となって候補者を絞るということになれば、今の社会党の一連の譲歩どころの話ではない。これまでの政策からいえば、さらに大きな転換をしなければならない。

2.「政治改革」の経過と問題点

(1)政治改革論議の経過と問題点ーー二つのしがらみ

@三身一体論

 なぜ、大きな矛盾をはらんだ政治改革に拘束されることになったのか。三身一体論だが、今の政治改革法案は@選挙制度改革とA公的助成とB政治資金規制・政治腐敗防止をセットにしている。大きな三つをセットにして丸ごと賛成か反対かということになれば、政治改革は結局潰れに潰れてできないということになりかねない。私は優先順位をつけてやるべきだ、腐敗防止から始めるべきだという意見だった。しかし、ここまで時間をかけてやってきて、だめになったのでは、国民の政治不信は極端まで行ってしまう。

最近ではマスコミの中でも、3つの法案をとき解し、1つでも実現しようという世論も出てきている。

Aイギリス神話

 小選挙区制度がいいという人のモデルはイギリスで、二大政党がいいんだという呪縛である。朝日新聞の石川真澄氏は徹底してそれを主張している。日本の労働運動を縛ってきたのも、このイギリスモデルであるが、問題をはらんでいる。組合内部に差別的システムを残しているからである。差別的システムがあるから、底辺の反乱が起きる。組合内民主主義をイギリス労働運動は確立できなかった。イギリスの政治学者のほとんどは小選挙区制がよいとはいっていない。

 ではイタリアはどうかということになるが、イタリアは徹底した比例代表制である。その結果、政治が腐敗し、小選挙区制中心に切り換えることになった。イタリアの比例代表制は徹底しすぎたことに問題がある。今度の日本の選挙制度改革でも3%をとらない政党には議席配分が無い、それは差別だという議論があるが理想主義的だ。イタリアの比例代表制が、こうした制限を設けず理想主義的にとことんまで追求したことの反省として今回のイタリアの選挙制度改革がある。

 日本では第8次選挙制度審議会が小選挙区並立制を作ったが、そこには、日本の主要新聞の論説委員長がずらりと並んだ。これ自体が異常だ。マスコミの現役の中心がそろって政府の審議会に入ることになれば事実上言論の自由が無くなる。マスコミが審議会に入るならOBになってからにすべきだ。現役で、しかも論説委員長が入ると論説が事実上拘束されるから、以てのほかである。朝日新聞は編集委員が入った。毎日新聞は論説委員長が入ったが、毎日は自分のところの論説委員長が入って作った案を社説で問題があるといって批判している。毎日のある人は、この無責任体制が毎日のいいところだと開き直っているが、これもおかしい。鳩山内閣あるいは田中内閣での小選挙区制はマスコミの反対によって失敗した。だから、後藤田氏などが周到なマスコミ対策をしたのである。

(2)いわゆる「政治改革」4法案の帰結と問題点

@細川氏の初心と私たちの立場

 1つの政権党が永遠に政権にあることが腐敗につながる。それを崩すために政治改革をということだったが、政治改革をする前にそれが崩れ、細川内閣が生まれた。したがって、細川内閣はスタートの時に政治改革の再定義をすべきであった。政官財の癒着の構造を改め、地方分権を進めるというのが、細川氏や武村氏の主張だったわけだから、政治改革に前にそちらの方が基本だと宣言すべきだった。ところが、前の政治状況の中で生まれた政治改革の4法案を引き継いでしまい、癒着の構造の打破や地方分権の方は追加的な改革案として出された。

 いかに、細川氏が政官財の癒着の構造を打破しなければならないかを協調したかは、細川氏の『日本新党・責任ある変革』(東洋経済)に書かれている。我々はこれを長くいってきたが、「それは左翼の主張だ」、「マルクス主義者の主張だ」と拒否されてきた。細川内閣で、「政官財の癒着の打破と地方分権が日本政治の基本問題だ」と正面から押出し、それが、今では毎日のマスコミのテーマとなっている。細川氏がこうした一連の初心を忘れずにやっていくかぎりは細川内閣の存在意義が

ある。簡単に潰そうとしてはだめである。米問題があろうともである。

A政治改革4法案後の帰結

 並立制を入れれば、勝つためには7党1会派が統一して候補者を絞るしかない。主義主張からすれば、何でこれまでの主義主張や節操を捨てて参加するのかということが出てくる。そいういことをやっても、1回や2回の選挙ではおそらく筋がたたない。3回くらいしないと、新しい政党が出そろって勢力配置が決まるということにはならない。

政治家はこれから自分が生き抜くために離合集散をしていく。ある意味ではこれはやむを得ないことである。

 そうすると、政策問題については政治家を当てにはできない。激動期には中長期的にどういう政策を立てるかであるが、それを政治家を当てにせずに、市民が生活の中から日本がどういう政策が必要かを強く打出していくかである。日本の社会科学者はそれを整理し、どう系統的な体系制のある政策に仕立て上げるかである。

 日本では、市民は政党との付き合いが好きではない。ドイツでは社会民主党党員であるとか、キリスト教民主党党員であるとかの立場をはっきりしてしゃべる。ところが、4法案が通ると否応なしに政党が門口まで押しかけてくる。戸別訪問の解禁である。一軒一軒の門口に立って、どういう政策を実現するから支持して下さいとやる。それは、単に大きなスピーカーで名前だけを連呼することよりはよほどよい。しかし、一般の人の感覚では、「選挙の度にいろんな党派の人が入れ替わりたちかわり入口までやってこられるのではかなわない」となる。一般市民はどう考えるかを、ほとんど今回議論していない。ルールを付けるのなら付けるでどういうルールとするかである。

 企業献金が個々の政治家へは禁止され、政党だけに対してになり、党の指導部の資金能力が飛躍的に強化される。また、1/2近くが比例代表制になるから、百数十名の名簿を並べることになる。その序列をつくるのに党の指導部の権限が強化される。そうしたシステムがよいかどうか。無条件でいいとも悪いともいえないが、評価は日本の市民が政治を前向きに考えるようになるかどうかである。この制度が導入されたとき、日本の市民の対応によっては、日本ははるかに近代化された社会になる。

3.世界史的転換期の状況と「新しい政治勢力形成」の不可避性

(1)「第三の開国」がもたらした「五五年体制」の行き詰りと崩壊

 日本の激動はベルリンの壁の崩壊現象の日本への影響である。

 日本は今日、最終的な開国をせまられている。それは、これまで、日本が自動車産業などを中心に高度に成長を遂げてきたことの跳ね返りである。輸出立国として生きようとするならば、不可避的に日本市場を開かざるを得ない。否応なしに、外の世界と内の世界(国内)との関係を最終的にどうするかを付きつけられている。

4.新しい政策体系に基づいた新しい政党システムの必要性

(1)政・官・業癒着の構造の打破

 政官財の癒着の構造によて、国内の政治が身動きができない三身一体になってしまっている。それを、外から見ると日米貿易摩擦でも、非関税障壁の問題があるからだということになる。

 細川氏は「政官業」の癒着の構造と書いている部分が多いが、現在の局面では「業」とした方がよい。自民党政権の始めのころは「財」であった。財というのはトップの経団連である。また、政・官もトップであった。それが、いつのころからか、1ランク2ランク落ちてきた。政は族議員である。農林、建設とか数多くある。また、官もトップではなく、通産省の重化学工業局の鉄鋼課とかである。むかしは鉄は国家なりということであったが、何時のころからかそうではなくなってきて、様々な新興産業が出てきて経済界の活動は財界団体の活動から業界団体の活動が中心になってきた。

 財界と官界を繋ぐものとして天下り問題がある。国家公務員法第103条に規定があり、辞めるまでの2年間にやっていた仕事の領域の民間企業に天下りすることはできないことになっている。ところが、大きな穴がある。業界団体というのは民間企業ではない。立教大学の進藤宗幸氏が苦労して集めた資料が『行政指導』(岩波新書)という本の中にあるが、業界団体の首脳部は圧倒的に中央官庁の天下りで構成されている。だから、外国企業が日本に進出してきても業界団体に入れてもらえない。業界団体に入らないと業界情報が全く入ってこない。

 これを、「徹底的に壊せ」という意見と、「一挙に徹底的に壊すと日本経済が無茶苦茶になる」とか、強引にやろうとすると「また、何でもアメリカのゆうことを聞けというのか」というナショナリズムの反発が出てくる。だから、目標設定は必要だが政治的な賢明さは必要とされる。摩擦を小さくして徐々に着実に解消していかなねばならない。設定は中長期的な観点からやらねばできない。ところが、この仕組は全てがとことんまで行き詰るまで対応できない。最後に行き詰った時に、もはやここまで来ているのだということをはっきりいえば関係団体の猛烈な反発を受けるから政治家は隠しに隠して本音と違ったことをいって、いよいよとなって、「世界から孤立するから仕方ありません」と、外圧を口実にして乗切る。

(2)勤労者・市民の立場・自立と共生

@消費税への対応ーー税金は安ければよいというのは誤り

 これからどういう時代が始まろうとしていて、どういう政策によって行くべきかを、夫々の立場の人が先取り的に考えていくことが必要だが、それが出来ないシステムとなっている。新しいシステムを作るために、差し当たり、政界は混乱するからそうしたことに惑わされず、中長期的に労働組合は労働組合の立場で腰を据えて勉強するする以外にない。

 この数ケ月の間に景気はさらに深刻になった。原因は円高による輸出産業が打撃を受け、冷夏長雨、そしてゼネコン汚職である。ゼネコン汚職は景気乗切りの公共事業の上積みが消化できない。差し当たり、所得税の大幅減税をやる。しかし、それでは財政破綻になるということで、何年か後に消費税の大幅増をやる。短期的な視点と長期的な視点と矛盾するところが出てきている。社会党の政策との絡みでいえば、消費税絶対反対となる。それで済むか。日本社会が長期的に直面する課題は一つは高齢化社会の問題、高齢化社会への対応が出来ていない。市場経済万能といっている間にどんどんチャンスを失っている。年金財政が破綻して現在の60才から65才にならないと年金が出ない、しかも、その間の仕事は誰が保障するかははっきりしない。寝たきり老人の問題ばかりではなく、健康で高齢期を迎えるものにとっても深刻である。

 今の日本の国民負担率のままでそれが乗切れるとはとても思えない。必要ならば、こういう社会作りのためには、これぐらいの負担はしてもらわねばならないという議論をすべきである。税金は安ければ安いといういうのでは年をとってからどんな目にあうかわからない。長期的に見れば負担を増やさざるを得ない。その為に、どういう仕組を作るから負担を増やしてくれというべきである。日本の革新勢力は明確なプランを出していくべきであったが、その時々の反対運動に終始してきた。

A農業問題への対応

 米問題についても同じである。ガット案に乗ろうが乗るまいが、このままで行けば日本農業は破滅する。農業の後継者になる人は年間1700人しかいない。農家は350万世帯ある。これは内部から崩壊する。ガット案を受入れた場合どういう対策が必要だということを農林省は発表したが、それを見ると腹が立つ。なぜ、最後なって、いよいよ、にっちもさっちも行かなくなってから初めてその案が出てくる。スウェーデンでは、その転換を農家の経営規模を大きくしなければ対応できないとして、2倍にするという案を立て10年がかりで達成した。しかし、日本は今からそれをどうやろうかというのである。後手後手に回るのは、全ての人々が目先の利害だけでぶつかり合うということである。

B生活者と「自立と共生」

 生活者に当たる英語もドイツ語も存在しない。なぜ、奇妙な日本語が出てきたかだが、高度経済成長は生産者の利害を専ら大事にし、普通の市民の生活の改善を放棄してきたけっかである。しかし、生活者ということで、目の前の利害だけが主張されてたのでは解決にはならない。生活者の立場に立った中長期的な視点が必要である。

 「自立と共生」という言葉は、現状を批判するものだけが使っていたが、最近、新生党が名乗りを挙げたときの綱領的文章の中に自立と共生という言葉を使った。小沢一郎氏の本の中にはいたるところに「自立」という言葉がある。羽田氏は「共生」を強調する。そこで、ようやく「自立」とはなんぞや、「共生」とはなんぞやという次の中身の論争が始まる。その論争に意味のある形で参加できなければ、政治のヘゲモニーを取ることはできない。

(3)新しい政策軸となる五つの分水嶺・「保守・リベラル・新しい社民」の三党体制

 政治改革の中で、これまでの主義主張からすれば、目を擦るような組合わせが出てくる。それは何回か選挙をすれば、いくつかのそれぞれの筋の通った立場に整理されざるを得ない。新しい座標軸になるのは何かだが、

@国際社会との関係をどうするか、憲法、PKO、米問題、政官財の癒着問題。ここでは、極端な開放論者から、ナショナリストまで出てくる。

A経済運営における政府の役割、政府が経済運営にいかに関与すべきかだが、昔は社会主義の計画経済があり、自由主義市場経済があった。しかし、冷戦が終わることによって、自由経済市場主義だけでやって行けるかというとそれは大変な混乱をまねく。ヨーロッパの例を見てもわかるように、国を徹底して開くということは、それに対する強烈なナショナリズムが起きる。右翼の運動を誘い出す馬鹿なまねはできない。

B中央集権か地方分権か、

C高齢化社会、

D南北問題と環境問題

について保守もリベラルも社民も改めて整合性のある中長期視点に立った政策を建て直さねばならない。それにが整理された形で出てくるには2〜3回の選挙が必要である。それまではどうするかだが、市民が積極的に至る所で自分たちはこういう政策を要求すると声を上げていく以外にはない。

 

・・・・質問・・・・

 政党と市民、労働組合の関係はどうか

山口

(1)対案実現型運動構築の為の巨大なシンクタンクの確立

 戦後の日本の革新勢力の最大のウイークポイントは政策能力が弱いことだった。ストライキをするとして貯めた資金を全て寄付して、財界のシンクタンクに対抗できる、労働組合の立場での巨大なシンクタンクを緊急に作るべきではないか。労働組合の持っている大きな組織能力を自前の政策立案能力をつけることに自覚的に投資されてこなかったことに問題がある。連合のシンクタンクはあまり強力とはいえない。基本的データーの8割が官庁デターで、同じ官庁データーでどう解釈が違うかというレベルで争っている。統計資料は作る立場で大きく違ってくる。労働組合を背景とするシンクタンクは自前のデーターを作る能力がなければ巨大な官僚機構を背景に持った政府に対抗できない。それだけでもじり貧になることは予め定められているようなものである。

 社会党は自治大臣や建設大臣を送っているが、ゼネコン汚職をどうするかというような重要な問題も抱えているが、社会党の政策立案機関が大臣に知恵を与える役割をしているのかどうかわからないが、たぶん中身がないのではないか。大臣があくせくしてその日を凌いでいるのではないか。

 細川政権は政財官の癒着の構造を打破する政策を打出したものの、厚い壁にはばまれているのでは。欧米と日本の政治意識の問題。

山口

(2)公的助成問題と市民の自己主張

 公的助成問題は政治に対する一般市民の不信が背景にあり、正論としては市民の浄財を集めて政党を運営すべきだと主張され、理想的な正論ではあるが、これで解決されるとは思わない。税金を通じて最低限度の保障されることによって、保守党の腐敗をある程度阻止する、あるいは腐敗が起こった場合に、「税金を使ってなんだ」という議論ができる、また、長期的な視点での政策立案能力を作るシステムを夫々の政党が公的助成によって得られた資金的余力によって是非ともやってもらいたい。異常な投票率の低さによって表されているように、市民がそっぽを向いているわけだがそれでは進みようがない。市民は自分たちの生活の利害に結びついた自己主張をもっとすべきではないか。政党が自前の政策能力をどうつくるか。労働組合はそれをどう支えるか。労働組合は政党とは違うから、独自のシンクタンクを作るべきである。

(3)癒着打破の単純明快なルールづくり

 政官財の癒着の打破だが、具体的にどうするかだが、自由化論者は外圧を使えという。公共投資の巨大プロゼクトに外国資本が入れないのが最大の貿易摩擦にたっているので、ここを思い切って開けたらどうかという。しかし、これは荒療治である。業界団体の指導部がほとんど天下りである。年に1回、天下り白書を労働組合が出す時には話題になるが、業界団体が問題であるという新聞記事はおよそ見たことはない。これをどうするかを議論にすべきだ。官と政が完全に癒着している。イギリスでは官僚の階段を上ったら政治家になるという慣行はない。官僚の政治的中立性がそれなりに確立している。ところが、日本は長年の自民党政治の中で、政務調査会の勉強会をそれぞれの部会ごとにやる。そこへ中央官庁の幹部が出てきて説明する。そこで議論して日本の政策は決まっていた。だから、自民党の国会議員からすれば、国会での発言は選挙民向きでしかない。時間があるのなら、野党の議員に発言させてガス抜きするということである。非自民政権が起きたとは大変意味がある。政権交代が起きることによって、官僚の政治的中立性が回復されるきっかけになる。政策は議会の公の場で議論される。そして、決まった執行過程には政治家は介入してはならないという社会的ルールを作る。そこに政治家の口出しがあったら摘発されるべきである。という単純明快なルールである。

 細川政権は歯止めになっていないのでは。民主主義のとらえ方。

山口

(4)社会党は細川内閣をどういう条件で支持するかはっきりさせること

 社会党が歯止めになるかだが、細川内閣をどういう意味でどういう条件で支持しているかをはっきりさせるべきである。それを、支持者に対してはっきり説明すべきである。そうでないと、目まぐるしく政策が変るから何をやっているのか、裏切りではないかとなる。連合政権であるから、予て言ったことから大きく政策転換せざるを得ない。問題はそれを自分たちでどう位置付け、機会ある毎に支持者にどれだけ説得力のある形で説明できるかである。そのことがやれていないのが社会党の危機の最大の原因である。

(5)違った立場の人達が共に生きていけるルールをどうつくるか

 戦後民主主義は「イギリスはどうだ」、「アメイカはどうだ」という輸入学問に終始してきた。多数決が民主主義だという平板な理解であった。共存のデモクラシー、いろんな立場の違った人達が共存できるためのルールが民主主義であり、それは問題によっては多数決によって決めてはならない。たとえば、小数民族の権利を多数民族が多数決で抹殺するようなことである。違った立場の人達が共に生きて行けるルールをどう作るかではないか。

 

 

・・・・講師のプロフィール・・・・

 やまぐち・やすし

 1934年鹿児島市生まれ。東京大学法学部卒業。大阪市立大学法学部教授を経て現職。現代ヨーロッパの政治史、特にドイツのワイマール共和国やファシズム研究で高い評価を受けている。著書に『ファシズム』(有斐閣)『ヒトラーの台頭』(朝日文庫)『現代ヨーロッパ史の視点』(大阪書籍)など多数。