プラド美術館

 

 

 

プラド美術館はパリのルーブル美術館、フィレンツェのウフイッツィ美術館と並んで世界の三大美術館といわれる。上記写真はゴヤ門であり、門の正面にはゴヤ像が立っている。

スペインといえばプラドであり、プラドといえばゴヤ、エル・グレコ、ベラスケスであり、スルバランであるというように、非常に印象のはっきりした美術館である。プラド美術館の印象がこのようにはっきりしている(偏っている)のは16〜17世紀のハプスブルク王家と18世紀からのブルボン王家が収集した膨大な数のコレクションを基としているからである。

 

 

 上記の写真はゴヤ像である。スペインへ行こうと思ったのは、プラド美術館へ行きたかったからであり、プラド美術館へ行こうと思ったのは、とにかくゴヤの絵を見たかったからである。ゴヤの美術展は日本でも何回か開催されているが、1971年11月から翌年3月にわたって東京・京都で開催された『ゴヤ展』が最も充実したものであった。中でも「着衣のマハ」(MAJA VESTIDA)と「裸のマハ」(MAJA DESNUDA)を再度見たかったのである。さらに、その展覧会では特別展示として原寸大の複製写真として展示された「黒い絵」に特に関心を覚えたことにある。

 

 

 上記写真はプラド美術館別館である。1981年ニューヨーク近代美術館から返還されたピカソの『ゲルニカ』が防弾ガラスに護られて展示されていた。その後『ゲルニカ』は1991年にソフィア王妃美術センターがプラド美術館のすぐ近くにオープンしたことにより、そちらへ移された。スペイン北部バスク地方に属するゲルニカはスペイン内戦の象徴的な町である。1937年4月26日、フランコ軍を支援するナチス・ドイツ空軍はゲルニカを無差別爆撃し、一般市民に多くの犠牲者が出た。ピカソはゲルニカの惨事を聞き、パリ万博にゲルニカをテーマとする絵画を制作した。