通幻十哲連署定め書
(ただし、上部の書状のみ)
龍泉寺に伝わる最古の書状で、約570年前の正長2年(1429)に書かれたものであります。これを書いたのは、通幻十哲のうち第8番目の弟子・天徳曇貞禅師(武生市宗生寺開祖)であります。
当時、天徳禅師は98歳の高齢に達しており、既に他の9人の兄弟弟子は亡くなっております。自らの寿命も僅かとなった天徳禅師は十派の孫弟子らを集め、龍泉寺の輪番住職制について申し合わせ、十哲派順番に勤めること、先例によって8月1日に後任を定めてから退院せよと定めてあります。因みに、下部の書状は「輪番住職の招請状」です。享保2年(1717)8月からは十哲派のひとつ、芳庵派から輪番住職を出して欲しい、と願成寺(武生市にある芳庵派の中心寺院)へ宛てたものです。しかしこの年より、龍泉寺は輪住制を廃して独住制へ移行しておりますので、実際にはこの書状は願成寺に発送されることなく、龍泉寺に残されたものと推定されます。
戻る