おばあちゃんの今

 

最初の退院で、おばあちゃんを寝るとき以外は、どこに置いておこう、ということになりました。

自分の部屋に一人で一日中いさせることは、かわいそうだったので、

みんなが集まる居間におばあちゃん専用のいすを用意し、日中は、そこにいさせるようにしました。

場所としては、上座になるのでしょうか。

テレビを正面から見ることの位置にいすを置きました。

 

壁には、家族の写真は、デイケアサービスからもらった、年賀状(職員の方が写っている写真)など、

たくさん貼っておきました。写真の下には、だれとだれが写っているという説明を付けて。

そうすれば、写真を見て、顔を覚える(というか、忘れない)のではないか、と、考えたからです。

最初は、興味を持って見ていました。

しかし、今ではその写真すら、見なくなり、「変なのが写っている」と言って、写真をとり外してしまいます。

 

また、デイケアサービスの年賀状を見ると、大きなぬいぐるみが職員の方と一緒に写っています。

それを見て、「デイケアでは、ぬいぐるみを使って、遊んでいるんだ。だったら家でも・・・」

と、私たち家族は思い、私が学生時代に買って、今では押入の中にしまい込んでいた

大きめのブルドックのぬいぐるみをおばあちゃんに与えました。

そのブルドックは、おなかの周りと、顔の周りは白でそれ以外は、うす茶色です。

黒い帽子をかぶり、黒い蝶ネクタイをつけ、ギャングのボスのような出で立ちをしていました。

口は、ポケットのようになっています。

そのブルドック自身も、こうやっておばあちゃんの役に立つとは、思わなかったでしょう。

しかし、かわいそうなことに、そのブルドックは、最初の頃とは、様子が様変わりしてしまってます。

まず、ひげを、おばあちゃんはすべて抜いてしまいました。

次に、蝶ネクタイをとってしまいました。

そして、自分がおやつを食べる時には、その犬にも与えました。

犬の目の前におやつを置いておくだけならいいのですが、

口に持っていって食べさせようとしていました。

チョコレートや、クリームパン、自分が口にしたキャラメルなど・・・

ポッキーにいたっては、口の中に差し込んでいました。

今では、そのぬいぐるみの口の周りは真っ茶色です。(最初は、真っ白な口周りだったのですが)

そして、そのぬいぐるみにしゃべりかけては、「ちゃんと返事をしなろ(しなさい)」といって、

叱りつけます。

父親が、おばあちゃんに「その犬は、雄か、メスか?」

と問いかけると、またの下を見て「女やわ」と、返事をすることもありました。

もちろん、リアルに股下を作っているぬいぐるみというのは、あまり見かけませんので、当たり前ですが・・・

 

入院前と、その後では、やはり、ぼけ度がひどくなってきました。

テレビに向かって話しかけることが、多くなりました。

テレビの世界に入ってしまうのです。

ニュースなどを見ると、アナウンサーの方は、正面を向いてしゃべるので、

その一言一言に、「そーですか。ありがとうございます」と返事をしたり、

「あの人がじーっとこっちを見てるんや」といって、照れたりしています。

子どもの映像などが映るとその子どもに向かって

「こっちに来なろ(来なさい)」と、言ったりしています。

アニメも、現実と区別が付かなくなっています。

でも暴力のシーンなどが出るドラマなどは、嫌がります。

実際に自分が、(冗談でも)ちょっとこずかれたりするだけで、顔の表情が変わるくらい、

暴力には、敏感みたいです。

国体か、オリンピックの開会式をおばあちゃんと一緒に、見ていたときです。

更新をする人たちが、手を振っている場面が写りました。

すると、おばあちゃんも、一瞬はにかみ、そして、手がすーっと上がり、手を振り始めました。

最初、私は、びっくりしましたが、その後、おばちゃんには、失礼でしたが、大笑いしてしまいました。

一番のお気に入りは、「おかあさんといっしょ」です。

お兄さん、おねえさんが、歌いながら踊っていると、それを見て一緒に踊ることがあります。

 

今では、入院する前と違い、おばあちゃんは、自由に近所を歩き回ることはなくなりました。

自然と「家に帰らなきゃ」ということも、少なくなってきました。

母親も、おばあちゃんを一人にして置いても外に行く心配もないので、負担が軽くなったと思います。

しかし、安心して、2〜3時間、目を離したときに、おばあちゃんが、

トイレに行きたくなり、トイレを探して歩き回った形跡があったそうです。

そして、トイレを見つけることができず、それでも、したかったらしく、新聞紙をひいて大きい方をしたそうです。

そして、そこで、力がつきたのか、その近くで座り込んでいたらしいです。

そんなことが、2回ほどあり、それ以降、母親は、大便については、特におばあちゃんに、「したいか」

と、聞くようになりました。

おしっこの感覚は、ほとんどなくなったようです。

いつも、おしめをしているのですが、その中にしてしまいます。

しかし、大便の方は、やはり、おなかが痛くなるらしく、その時は、

「おなかが痛い」と言います。

それが、早朝の時が多いもので、私にとっては、いい迷惑です。

私は、やはりおばあちゃんの下の世話には、抵抗があるので、そういうときには、母親を起こしに行きます。

(他のことなら、やるんだけど)

それで、家族がみんな早朝からおばあちゃんに振り回されるのです。

 

今では、自分で歩こうともしません。

おばあちゃんを立たせて、両手を持って歩かさなければなりません。

自分が歩こうとしないときは、立とうともせず、

また、立ったとしても、歩こうとせず、引きずられています。

そして、病院で悪い癖を付けてきました。

自分が本当におなかがすいていて、どうしても食べたいと言うときには、

自主的に自分で箸を持って食べますが、

どうでもいいときには、私か母親に食べさせてもらっています。

それも、私がおばあちゃんの箸を持ったとたんに、親鳥の餌を待つひなのように、

口を開けて、待っています。

しかし、私がおやつを食べていると

「うまそうやの。少しおっけ(ちょうだい)」といって、手を出します。

そして、ほんの少ししかあげないと

「こんだけしかおっけんのか(これだけしかくれないのか)?」と言っては、もっと要求します。

 

ドライブが好きなようで、家についても、デイサービスのバスから降りようとしません。

職員の方も、私の母親も、「家でおばあちゃんを待っている人がいるから」等と、

だまし、おばあちゃんを降ろすことがしばしばです。

今、2カ所のデイサービスにお世話になっているのですが、

1カ所は、おばあちゃんがそんな状態なので、車椅子を使っています。

しかし、デイサービスのバスが迎えにくると、ほいほいと、乗っていきます。

父親も、暇なときにおばあちゃんをドライブに連れていきます。

そうすると、おばあちゃんは、後部座席でおとなしく外を見ているようです。

やはり、いつも自分の目の前(テレビのこと)しか風景がかわらないので、

自分の周り全体が変わるドライブだと新鮮なのでしょうか?

 

今は、父親が晩酌の時に、おばあちゃんは、父親を笑わすホステス役をしています。

いろいろと、ぼけておもしろいことを言ってくれます。

でも、やはり、だんだんと、私たちの言っていることが理解できなくなってきています。

でも、私がおばあちゃんに向かって「あ〜ほ」と言うと、それだけは、分かるみたいで

怒ります。(自分では、まだまともだと思っているらしい)

また、おばあちゃんの言っていることを私たちが理解できなくなってきています。

 

よくしゃべるし、字もほとんど忘れていないのでアルツハイマーではなく、

本当の老人性痴呆症だと思います。それも、ご陽気者のぼけです。

アルツハイマーだと、こんな風にはならないのでは、と思います。

毎日毎日が、おばあちゃんがいれば、家族に笑いがおこるのですから・・

 

今では、母親にとっては、もう「自分の母親」ではなく「大きな子ども」になっているようです。

最初の頃は、おばあちゃんが滑稽なことをしたらやはり「恥ずかしい」という気持ちになったようですが、

今では、「恥ずかしい。情けない」というきもちはなくなってきたようです。

 

おばあちゃんのお姉さんが、1999年に90才で、亡くなりました。

おばあちゃんにそのことを言っても

最初は「そーなんか。」と言って、泣くまねをしていましたが、

何度も同じことを言うと、おばあちゃんも慣れてきてしまったのか、

「ふ〜ん」で、終わってしまいます。

ですから、”お姉さんが死んだ”という実感はないと思います。

あまり交流のなかった姉妹でしたが、実の姉の死亡を理解できないおばあちゃんがかわいそうです。

ちなみに、そのお姉さんも、惚けていました。そして、長寿でした。

母親は、「あと5年はこんな生活か〜」、となげています。

ま、おばあちゃんは、今現在では、死にそうにないくらい元気です。

でも、年寄りですから、いつ体調が急変するかわかりません。

それまでは、毎日毎日家族を笑わせてくれるでしょう。

また、おもしろいようなことをしでかしたら、

「おばあちゃんの珍プレー集」というホームページでもつくるかもしれません。