福井大野事務所 「偲ぶ会」 酒井利雄 代表世話人の講話
平成12年9月4日 003

井出大 講師 著  「廣池博士の教え」より

心の使い方

 次に「心の使い方」について考えてみましょう。 どのようにしたら心が優しくなる か、どのようにしたら心が低くなるか、ということです。 そのためには正しいモラロジーの 理論を知って、そのうえに「祈り」を加えるのです。
 皆様は、わが子の寝姿を見て「どうぞ、この子が立派に成長して、将来立派な社会生活ができますように」 と祈ったはずです。そこが大事なところです。その心づかいを博士は『論文』第4章の「人類階級の後天的原因」 というところで明らかにしています。 精神作用と肉体、運命との因果関係もさらに鮮明に分かります。
 非常に、にこやかな時は何を食べてもおいしいものです。 「ありがとうございます」と両手を合わせて感謝して いただく時には、私たちの循環器官および消化器官は順調です。 天地の法則である平均と調和がとれているからです。  当然このような時の食事は、完全に消化され吸収されます。 そのことによって体中の細胞の新陳代謝は 活性化していき、健康につながります。
 その反対があります。私たちはちょっと不愉快な思いをしたり、ちょっと腹を立てたりしますと、一番 最初に肉体上に表われるのはどこだと思いますか。 まず唾液が止まり、喉がからからに渇いてきます。  私たちの精神作用が唾液を止めてしまうのです。 内臓は知覚できませんので分かりませんが、完全消化を しなくなり、せっかく栄養のあるものを食べても吸収されないで素通りしてしまいます。 そして、精神状態が 不安定でいらついていますから、不眠症に陥っていらいらしてきます。 これは自分自身が陥るところの悪因悪果で あり、自然の法則です。
 心づかいが悪いと表情が恐くなります。 動作が荒々しくなります。 障子を勢いよく閉めたりします。  あれは手が閉めたのではなく、心が閉めたのです。 「ぴしゃっ」という障子の閉まる音が、どれほど お子さんにいやな衝撃を与え、悪い影響を与えるか。 お子さんが立派に育っていかないのは、そのような ところを見せつけるからです。 そこで「自己反省」ということが大切になるのです。 「ああ、こような ところを子供に見せてはいけない」という反省です。
 道徳の実行には我慢や忍耐、克己が必要です。 利己的本能に基づく我慢や忍耐、克己には体に害があります。  しかし、私たちは家族の幸せ、社会の平和、世界の平和のためには我慢をしなければならないことがたくさんあります。  そして、言ってよいことと悪いことがあります。 相手の心を傷つけるようなこと、相手に不快感を与えるようなことは 一切言ってはいけないのです。 常に相手の心が和むようにしむけていく、これは簡単なようでたいへん難しいことですが、 これで十分に道徳の実行をしているのです。 こうした我慢ならば体には害になりません。  人心の開発救済ということばかりにとらわれていますが、この心を持つことが道徳実行の根本なのです。 これが人心開発救済の原点 であるのです。
 その心をモラロジーでは「至誠慈悲」といいます。 「至誠慈悲」の内容は何であるかというと、神の心(*)、慈悲に基づくところの信仰心を 至誠慈悲というのです。 「どうぞ、幸せになっていただきたい」と心の底から思うこと、そして祈ることを「至誠慈悲」といいます。  これが、行動に表れますと「人心救済」になるのです。 この行為を積み重ねていくと積善、積徳に通ずる義務先行となります。  このように、慈悲に基づく行為のできる方は、すでに「自我没却神意同化」の境地に到達しているのです。  この間の因果関係を明らかにして、天地の法則を私たちに開示してくださった方が「精神伝統」であるのです。  とするならば、素直に慈悲の精神となった時に、伝統尊重、伝統祖述となるわけです。  以上で、モラロジーに言う最高道徳の五つの原理(*)の関係がお分かりになられると思います。

*神の心  万物を生成化育する宇宙自然のはたらき
*五つの原理
 自我没却 慈悲の心 義務先行 伝統尊重 人心開発救済

 
 道徳を理解する段階
 1.聞慧(もんえ) 聞いて理解する
 2.思慧(しえ)  心で深く味わう
 3.修慧(しゅうえ)体験的に分かる
 体験して初めて理解できるのです。 その人が乗り越えられる程の試練を与えられます。
 幸せの青い鳥は一番身近にあります。
 家族が仲良く暮らすことが幸福なのです。
 許して一緒に反省する心で子供が育ちます。