ハワイ回想記

ファーストハワイ(1999.8月16日〜20日)



 20数年前、自分が40代の後半に家族でハワイへ出かけた。家族で国外へ出かけた初めての旅行であった。職場から、旅行券が出たのでそれがきっかけであったが、丁度息子や娘達が大きくなり、出かけるのは一番いい時期であった。それ以前の小学生では海外旅行は大変だし、大学や就職してからでは忙しくなるので付いてこないだろう。

 最初はグアムにしようかとも言っていたが、支払い総額を比べてみればハワイとそれほど変わらない。それなら「憧れのハワイ」にしようとハワイに決めた。時期は、学校が夏休みであるのと親達が休みを取れるお盆の時期になった。

 出発は、中部のセントレア国際空港。4人の荷物が結構あったのと、4人分の電車運賃を考えてマイカーにて出かけた。今は懐かしのマツダのカペラカーゴで荷台に二つのスーツケースを載せて走ったような木がする。当時は、どこへ行くにも車だったから、車のほうが安心感があったのかも知れない。

一日目

 出発は前日夜の19時30分発。機内食を食べてしばらく睡眠をとると、空が明るくなってくる。日本とホノルルの時間差は5時間、ホノルルは朝の7時でも、日本時間では夜中の2時ごろのはずだ。寝不足のままに早朝のホノルル空港に到着する。入国審査を待つ間、生暖かい南国の風と共に何処からともなく花の匂いが漂ってくる。感動の瞬間であり、これだけで気持ちが高揚してくるのが分かる。後で分かったのだが、オープンスペースの入管手続きのフロアへ花の匂いが流れてくるように工夫されているようだ。英語のアナウンスとウクレレの調べが流れているから、ここは完全に憧れのハワイそのものだ。

 手続きを終えて空港を出ると、ツアーのお迎えのバスに乗る。着いた日の午前中は、オアフ島のバスツアーである。何も分からないハワイ初心者にはありがたい。

 最初の休憩地点、アロハ・タワー・プレイスに向かう。車窓から、高速道路をアメリカンな車が所狭しと走っているのが見える。アメ車や日本車がいかにもアメリカという雰囲気で走っている。車に興味がある自分にとっては、日本とは違った車の相に興味が尽きない。

 アロハ・タワーはハワイのシンボルタワーである。港の目立つ場所に建っており、上まで登れば、みなと一体を見晴らすことができる。アロハ・タワー・プレイスには、お土産店やレストランがある。何はともあれ食事がしたいと、目の前にあったレストランに入る。入り口にはオレンジ色の派手なホットパンツをはいたお姉さんがたむろしていたが、その時は何も思わず入った。後で調べればフーターズという店で、後に日本でもチェーン店を開店させている。ハンバーガーと飲み物程度のものを注文しているはずが、はっきり覚えていない。 ただ、他の客がお盆一杯に積み上げられたフライドポテトでビールを飲んでいるが印象的だった。チップの支払い方が分からず何も記入しなかったが、店の人が苦笑いしながら自分で記入していたようだった。その後は、ワイキキやダウンタウン、海岸などを走りオアフ島の雰囲気を知ることになった。

 ホテルはワイキキにあるアロハサーフホテル。程度は中の下程度かな。湯船はなくシャワーだけだったし、エアコンはガタガタと動いていた。ドアで繋がる二部屋を借りたので、4人は楽に休めた。ただ、食事は付いていない。

二日目

  宿泊しているアロハサーフホテルは食事の施設はないため、近くのシェラトン・モアナ・サーフライダーホテルを利用する。朝食は豪華なもので、選び放題のバイキング方式である。豪華な西洋料理の他に日本料理も置いてあったが、敢えてここで摂るものでもなかろう。朝日の中で海からの爽やかな風にあたりながら食べる朝食は何物にも代えがたく、一生記憶に残るものとなった。

 この日は、まずワイキキビーチということで、ビーチにて水遊び。子供達はプールに通っていたから水は得意、水を得た魚のように水遊びに熱中していた。水中撮影ができる富士フイルムの「写るんです」でその様子を撮った。普通のカメラでは水中は無理である。遊ぶ子供たちを見ている親にとっても満足の時間だった。

 砂浜に戻れば椰子の木の下でござを敷いて、弁当を食べている日本の家族がいた。どうせなら、日本風ではなくアメリカンに行きたいものだ。それに、アメリカ合衆国ではビーチでの飲食は禁止されている。

 夜は夕食をかねたサンセットクルーズに参加する。開放的な中型船に乗り込み、出てきた食事はそれなりに豪華で良いものだった気がする。ステージではハワイアンの音楽やフラダンスなどハワイアン的で記憶に残るものであった。大型船ではないので屋台舟に近い雰囲気で、それはそれで賑やかでいいものであった。


三日目

  三日目は昨日に引き続き、ビーチ沿いの老舗であるシェラトン・モアナ・サーフライダーホテルにて朝食を摂る。

 この日は、アトランティス・サブマリンツアー。沖まで船で行って観光用の潜水艦に乗り込む。深くもぐるわけではないが、船や飛行機など人工物が沈められているほか、魚達も見学できる。大きな窓から水中が見え、ダイバーでなくとも水中気分を味わえる。ワイキキ沖はそれほど透明度が高いわけではないが、それでも初めての経験で、子供達は興味津々であったが、妻は少々船酔いしてしまったようだった。

 夜は、ワイキキのプリンセス・カイウラニ・ホテルでのハワイアン・ディナー・ショーしに参加する。豪華な食事を取りながら、カントリー調のギター演奏やハワイアンの踊りを見たように思う。ハワイの最後の夜を家族で満喫したはずだ。ただし、カメラを持ち込めなかったので画像に残っていない。専門の業者が撮った写真で、1枚だけレイをかけた家族の写真が残っているだけだ。当たり前だが、20数年を経るとその場の画像が残っていないと記憶が出てこない。写真があればそこから記憶が広がってくるものだが、この日のディナーショーについては、自分の記憶から消えている。


四日目

その後、ワイキキビーチ周辺を散策する。ここまでは予定された日程が多く、家族でブラブラできる貴重な時間となった。ハワイと言えばワイキキ周辺。この明るくて開放的な雰囲気はここでしか味わえない。帰りの便の出発時刻は午後2時。ホノルル空港で家族を記念写真を撮って飛行機に乗り込む。いつも思うのだが、帰りの飛行機はさびしさが伴う。日本に着いたのは真夜中だったような気がする。

4人でハワイへ行ったのは後にも先にもこれ一回きりとなった。わが家族にとってはこのハワイ旅行は記念すべき旅行になっている。その後、娘は高校へ入って受験、京都での大学生活を過ごし、今は東京で結婚して子供を設けている。息子も大学へ行ってから就職し、今は結婚してその子は中学生だ。あの時しかなかったという時期にハワイへ行けて本当に良かったと感じている。 



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