カンボジアツアーその1  2018.3.4〜3.8

   アンコールワットへ
 
 この3月で職場の再雇用を終えることになっている。この機会に台湾へ行くつもりで旅行社へ行ってみた。日程とアジア方面という条件を伝えるとカンボジアのアンコールワットツアーを出してきた。内容的には悪くなく、価格を見ればほとんど台湾と変わらないではないか。台湾が11万円でアンコールワットが9万円台だった。台湾のこの時期は祭りというので宿泊費が高くなると言うが、距離的には倍ほどあるし台湾はいつでも行ける。今回はどう見てもアンコールワットに魅力を感じた。ツアー内容は良いし、ホテルも問題なさそうだ。それに、HISは前回のバリ島で良い印象があった。そう何回も窓口へ来られないのでその場で即決した。
 リゾートホテルは滞在の満足度に大きく作用する。ホテルを上級に上げたものの、日程を調整してスタンダードホテルと同額で行けることになった。結果的には大正解で、バリに負けない豪華で素晴らしいホテルに滞在できた。後で聞けば、この時期の台湾は人が多くて満足なツアーが出来ないという。結果的に良い選択だったと考えている。


   小松空港
 
国内旅行で何回か利用している小松空港だが、国際線は別物だった。中国や韓国の団体客でごった返しているし、ここでの手荷物検査や出国チェックは初めてだ。国内旅行で利用した小松空港とは全く印象が違う。出発前から、まるで国外の空港を利用しているようだった。利用したのは中国の中国東方航空。聞きなれない会社だが、中国民航と同列の会社のようだ。以前の中国民航は古い機体で信頼性の低い会社だったが、今なら良くなっているだろう程度のものだった。もっとも、ツアーを決めたときは航空会社をまともに確認しなかったし、自分で選んだ訳ではなく既に決まっていたものだ。
駐車場は確保されている。航空プラザ横に国際線専用の駐車場があり、十分な広さがあり国際線利用なら無料になる。国内線なら1日千円の利用料金がかかるので、これは有り難い。どうせガラガラだろうと思っていたがほぼ満杯状態。これだけ国際線利用があるということだろうか。


   上海空港の乗り継ぎ
 
 2時間ほどのフライトで機体は上海空港へ着陸する。この空港は、アジアのハブ空港として建設されたらしくととんでもなく広い。数キロ四方はあろうかという面積で、向こうが霞んで見える。着陸してから所定の場所まで1キロ以上を機体が自力で移動する。そして、所定の位置にて迎えのバスを待つのだが、その間、丸い窓からのぞけば、地元の中国民航、上海航空、ベトナム航空、カナダエアー、オランダのルフトハンザ航空など、数え切れないほどの航空機が見える。動いていたり、停められていたり、忙しなく稼働している空港の雰囲気が伝わってくる。
 やがて我々は、タラップを降りて、背の低い空港専用の大型バスに乗り込む。幅が広くて長い車体であり中国製のようであった。10席ほどのシートがあるが残りはすべて立ち席になる。空港内をこのバスや貨物牽引車両が忙しなく動き回っている。
 だだっ広い入国ゲートは到着客で溢れかえっている。ほとんどが中国へ入国するのだが、我々は乗り換えなので乗り換えカウンターへ向かう。場所が分からず、空港係員に聞いて移動する。カウンターには自動受け付け機が数台あったが、初めての我々は係員が居るカウンターを選ぶしかない。カメラで顔写真を撮られ、パスポートと比べられるようだ。気に入らないがしょうがない。ここで航空チケットに乗り換えのスタンプが押される。
 ここを通過すると3階の保安検査場だ。上海空港は検査の入り口が20近くある。どこへ入っていいか分からずそこにいた係員に聞いたが、結果的にはどこへ入っても同じだった。カバンや時計からベルトまで全て外してX線チェックだ。妻は、ネックレスとヘアー挟みでブザーを鳴らした。それらを外して無事通過した。
 あとは、エスカレーターで1階に降りて出発ゲート前で休憩になる。この空港はバス移動なので、出発ゲートはどうしても1階になる。添乗員付きのツアーなら案内員の後に付いて行けばいいが、我々は案内表示を見て自力で向かう。シェムリアップ便は小さな214番ゲートだった。半分ぐらいは中国人、後は、韓国人や日本人。少数だが白人も待っていた。西洋人は家族連れか老夫婦で開放的な身なりで寛いでいた。中国人は団体が多い。赤や派手な服装でしゃべっており、エネルギッシュな雰囲気が伝わってくる。高度成長期の日本人の様で怖い者なしだ。日本人と韓国人は2名から数名のグループで、言葉を聞かなければ分からない。
 

   中国東方航空
 
 今回の旅行のキーワードは中国東方航空だ。この安いツアーが実現できるのもこの会社だからだし、上海経由でカンボジアのシェムリアップ空港へ直に行けるのもこの航空会社ならではである。良くも悪くも上海空港をハブ空港にした企画と言える。
 メリット面では、関空や成田空港まで行かなくてもよく地元の小松を使えること。これは何かにつけて有り難い。移動費が3万ほどを浮くだろうし時間も短縮できる。車を横付けできるのもうれしい。航空運賃が安いのもメリットだ。この航空便は戦略的な価格になっているのだろう。東南アジアまでの乗り継ぎ航空券が4万円ぐらいからあった。通常の価格からは考えられないバーゲン価格だ。今回のHISのツアーもこれを利用したため10万以内という格安料金が実現したのだろう。
デメリットもある。上海空港はアジアのハブ空港として中国が威信をかけて作った最新の空港だが、なにせ巨大である。広大な滑走路ゆえ飛行機から建物までの移動がバスになる。管理も不十分で発着が遅れがちになるようだ。我々が利用したMU518便は40分ほど遅れてきた。利用する航空機が多いためか、出発までの待ち時間ができるようだ。
それに、空港内では日本語はほとんど期待できない。添乗員が付いているツアーなら良かろうが、個人で移動する場合は不安要素が多く、何かあったときには苦労する。待ち時間が長いのもデメリットだ。帰りなどは肌寒いなか5時間近くも出発ロビーで過ごすことになった。混んでいるわけではないが時間待ちには苦労する。
 小松発の機内に日本語スタッフが1名いたが、上海―シェムリアップ便は中国人スタッフのみだった。機内放送は中国語と英語で当然日本語案内はなし。乗客の殆どは中国人で大雑把で主張が強くにぎやか。日本人は静かに過ごすしかない。 


   機内にて

シェムリアップ便の機内は6列で200人程度のエアバス機。A300だったような気がするが不確かだ。長さはそれほどではないが幅は十分広い。客室乗務員はすべて中国人のようだった。
出てくる機内食は上海製である。味付けは一般的な普通のものであり、中華風ではなかった。魚と牛肉を選べたため、魚を選んだところウナギのかば焼きだった。出発前にウナギ尽くしを食べたのと多少泥臭かったのでちょっと失敗かな。他に白ご飯とパンとスイカ、それにミネラルウオーターが付いていた。
機体はそれほど新しくも古くもなかった。エンジンは左右1個ずつで大きなエンジンが付いている。ただ、最近の機種は各シートに情報機器が付いているが、この機体は何もなし。ディスプレイは数人に一つ天井についているのみだった。今どこを飛んでいるとか高度などの飛行情報は一切なし。実用の航空機といった感じだ。
ディスプレイには中国の映画が流されていた。この映画は日本軍を敵にした戦争ものであり、こんな映画を常時流されていたのでは日本嫌いになるのは当然だ。なぜそこまでして日本を敵にしているのか疑問を感じる。客室乗務員は綺麗な人が多いし特に問題はないが、心を込めてという感じではない。自分の業務をやっているだけの印象だ。中国人が普通に利用するなら何ら問題ない。
   

   シェムリアップ空港
 
 アンコールワット遺跡へ行くには、首都プノンペンから300キロほど西方に位置するシェムリアップ空港を利用する。規模的には小松空港より少々大きい地方空港といった感じだ。空港の建物は最近建てられたようで、アジア風の小綺麗なものであった。ヤシの木が何本も植えられ、空港から南国ムードを漂わせている。
乗客はタラップを利用して地上に降りたあと、案内もなくばらばらと各自歩いて空港施設へ向かうが、雨が少ない地域なのでこれでも問題ないのだろう。気温は30℃前後あり、地上に降り立てばそれは既に南国そのものだ。温かい風とまとわりつくような湿気を感じる。
 入国手続きは、午後10時過ぎということもあり空いていた。当初心配した荷物もしっかりベルトコンベアーに乗ってやってきた。手続きを済ませ到着ロビーに出れば、HISの表示を持った現地係員が待ち受けていた。向こうもこちらを見つけて日本語で話しかけてきた。旅行を申し込んだときは数組のツアー仲間を予想したが、結果的には我々だけだった。ホテルまでは白いワゴン車、ハイエースのようなつもりでいたがよく見れば韓国製だったような気がする。


   エンプレスアンコールホテル
 
 我々がお世話になるのはエンプレスアンコールホテル。空港から20分ほどのシェムリアップ市内にあり、リゾートホテルとして十分な施設と雰囲気を持つ。エンプレスとは女帝とか皇后とかの意味らしい。バリ島のコンラッドホテルも良いホテルだったが、エンプレスも決して負けていない。アジアチックな落ち着いた建物で、厳かな玄関や受付カウンター、プールやバーなどをもつ。部屋数も200ぐらいあるだろうか。
案内されたのは新館の6階であった。室内は広くて豪華。バスタブは猫足が4本付いた陶器製で、映画にも出てきそうなクラシックなものだった。シャワー口は大きくまるで傘のようなもの。洗面台や蛇口も凝ったものだ。今まで使った部屋の内ではトップレベルに入る。6階なので窓からの展望は良い。海が見える訳ではないが、眼下に隣のホテルのコテージュが見える。
 照明設備も良いものだ。温かい色の白熱灯スタンドは客に安堵感と安心感を与えてくれる。明かりは満足度に大きく影響するが、ホテルとはこういうものだというぐらいの理想的な照明だった。
 テレビは50インチぐらいのソニー製が壁に自慢げに備え付けられていた。リモコンのスイッチを入れれば、日本のNHK総合が流れてきた。当初、我々のためにホテルが選んでおいたのかと思ったが、冷静に考えればそんなサービスはない。たぶん前の客が日本客だったのだろう。


   ホテルのレストラン
 
 玄関ロビーの左手にホテル自慢のレストランがある。我々は三食の朝食をここで摂ることになるのだが、印象の良いレストランだった。客に合わせて、カンボジア風、西洋風、中国風の食事が大皿や鍋で用意されている。さすがに日本料理はないが、どれもきちっと作って有り、他のホテルのものに劣るわけではない。自分で好きな料理を好きなだけ取っていくバイキング形式だ。
内容的には、西洋料理の品数少なかったのと、中華料理が一角を占めていたことが目についた。バリのコンラッドホテルのようにプールに面しているわけではないので、さわやかな朝の雰囲気は望めないが、落ち着いたレストランといった感じだ。味はどれも美味しくいただいた。カンボジア風の料理もあったが、全体的に優しい味付けといったところか。どの客もこの後ツアーに出る客ばかりなので、慌ただしく朝食を済ませていた。夜は空いているので、我々は出来なかったがここでゆっくりコース料理を味わうのも一考だろう。コンラッドは複数の食事場所を持っていたが、ここは一か所のみであった。


   アンコールワット
 
 このシェムリアップにはアンコールワットとアンコールトムの遺跡がある。クメール王朝によって800年ほど前に築かれた石造りのヒンズー教寺院であるが、のちに仏教寺院としても使われた。アンコールワットとは首都のお寺という意味で、シェムリアップから車で15分ぐらいの場所にある。各国の援助により十分な整備がなされ、ほとんど建築当時の状態まで復元されている。絵ハガキなどに使われている写真の多くはこの遺跡のものが使われている。
 我々は、ホテルに到着した翌日の朝4時にワットの朝日ツアーに出た。12時過ぎにホテルに入ったので、4時では十分な睡眠をとれていない状態だ。眠気眼でバスに乗り、他のホテルで追加の客を乗せて遺跡のチケット売り場へ向かった。
 薄暗いのにこのチケット売り場は人でごった返していた。係員も眠たそうにしていたのが印象的だ。数年前まで朝日ツアーは存在しなかったが、日本人がこのツアーに参加してから他の国の客も加わって人が増えたという。
 薄暗いうちにアンコールワットが見える場所に移動する。この遺跡だけ西向きに建てられているので、正面から朝日と遺跡を眺めることが出来る。他の遺跡はほとんど東向きなので、朝日が拝めない。座って待っていれば、物売りが寄ってきた。あどけない少女が、マグネットを売りに来た。当初は3ドル近くの値だったが、断っていたら3個で2ドルにすると言っている。2ドルならまあ良いかと買えば、次はその家族らしい女性がスカーフを売りに来た。言い値は1枚、6,7ドルだったような気がするが、最終的には3枚で10ドルになった。1枚300円程度なら良いお土産になるかと、これも3枚購入した。朝日ツアーが買い物ツアーになってしまったが、これはこれで面白い経験になった。
 この日は曇っていて結果的には朝日が見えなかったが、翌日にはホテルから赤っぽい素晴らしい朝日が見えていたので、こんなものだろうと妙に納得した。 

   遺跡を巡る
 
 午前はアンコールトムの見学だ。アンコールは首都、トムは大きいの意味だという。アンコールワットと並んでアンコール遺跡を代表する遺跡だ。規模が大きく案内なしではとても回れない。崩れている場所も多いし、至る所でガジュマルの木がおい茂っている。放置された長い年月を感じさせるとともにガジュマルの生命力の強さを思わずにはいられない。アンコール遺跡に来たことを感じる場所である。象のテラス、ライ王のテラスのほか、中心には美しい塔という意味のバイヨン寺院があり、大きな顔が彫り込まれており、訪れる観光客を迎えてくれる。800年を経てもほとんど崩れておらず見事なレリーフ群である。カメラの絶好の被写体であり、来訪者は右から左からレンズを向けシャッターを切っていた。他の遺跡でこれだけ顔だけのレリーフはなく、バイヨン寺院の特徴となっている。
 午後はアンコールワット本体の見学だ。第3回廊を周れば、見事なレリーフに圧倒される。壁一面に掘られたレリーフの量と質は他に例を見ない。当時の戦争の様子や生活の様子が掘り込まれている。クメール王朝の歴史を伝える文字は残っていないので、この石のレリーフは歴史を知るうえで貴重だ。東西南北の回廊には所狭しとこのレリーフが並ぶ。このアンコールワット見学の新骨頂だろう。
 高さと広さを持つ中央塔も素晴らしい。良くこれだけの石を積み上げたものだと思う。地震の多い日本ではあっという間に崩れてしまうだろう。中央塔に登るには急な階段を上ることになる。込んでいるときは1時間ぐらい待ち時間があると言うが、今回はなぜかほとんど待たずに登れた。45度以上ある階段は、十分な注意が必要だ。後方を容易に振り向けず、手もとと前だけを見て登る。カメラだけは離さないようにしたが、こんなところでトラブルは起こしたくない。登ってしまえば展望の良い回廊となり東西南北が見渡せる。仏像があったようだが、博物館に移動したか盗難にあったかでほとんど残っていない。
中央塔を下りれば、色とりどりの民族衣装を着た若い女性数人が、カメラマンに囲まれていた。記念写真を撮らせているようで、踊り子さんの副業なのかあるいはこれが本業なのか良く分からない。見学を終えれば、やはりアンコールワットはこの遺跡を代表するものであることを実感する。その復元された石党の完成度の高さ、レリーフの豊富さは他を圧倒する。ただし、途中でやりかけのレリーフが見かけられた。隣国との戦争が厳しくなり、寺の建築に関わっていられなくなったらしい。厳しい状況だったようだ。それにしても、なぜこのような巨大な寺院をジャングルの中に建設したのか。王は何をしようとしたのかは疑問を感じるところだ。


   アプサラダンス
 
 カンボジアはクメール王朝時代にインドシナ半島をほぼ手中に治めるほどの勢力を誇った。しかし、その後、タイやベトナム勢との戦争に負け、クメール王朝は衰退。その後は、隣国の従属国のような立場であったらしい。その後、ポルポト政権下で厳しい弾圧を受け、その後長い間内戦状態であった。その間に学校や病院などの公共施設がすべて破壊され、従事していた人々も虐殺されたという。数百万人に及ぶ知識人の虐殺はその後のカンボジアの発展を大きく遅らせる原因となった。
 アプサラダンスはその時に一時途絶えてしまったが、その後、生き延びた人たちによって復活したものだ。今我々が鑑賞できるダンスは、その後に復活して伝えられているものである。
 アプサラとは天使や天女を意味し、本来は宮廷舞踊であった。若い女性が頭に仏塔のような金飾りを乗せ、綺麗に着飾って民族楽器に合わせて踊るものである。手の指を器用に動かして、何かしらの表現をするが特徴である。
一日目の夜に数百人が入れる大きな舞台付きのレストランで夕食を摂った。そこで民族舞踊を見学したのだが、ダンスはいくつかに分かれていて、農村の生活を表したものや宮殿で舞われたものなどが入れ替わり演舞された。一番の見ものはやはりアプサラダンスである。何人もの着飾った踊り子が優雅に踊るは悪いものではない。ただ、勉強不足で動かす指の意味は良く分からなかった。アプサラダンスがこの舞踊のメインであることには間違いない。バリ島で見た数々の舞踊に比べるとどうしても単純で浅い印象であった。舞踊が終了するとお約束の撮影タイムになり、舞台に上がって一番きれいな踊り子さんと一緒に写真を撮ってもらった。

   
   カンボジアの交通事情

バンテアイスレイ遺跡はシェムリアップから車で1時間ほど離れた場所にある。我々はこの遺跡まで車で移動したが、国道6号線から離れると途端に田舎の道になる。歩道があるわけでなく、車も、人も、バイクも、みんな同じ道を通行する。信号はシェムリアップ市内に5,6台あるだけという。田舎道の十字路の交差点はロータリー式になっている。中央の丸い場所を中心に左回りに回転しながら目的方向へ向かう。車もバイクも自由放題。速度制限はないし、バイクにいたっては免許がないらしい。中央のラインもなく、それぞれが自分の感覚で走っている。カンボジアでは一日4人の人が亡くなっていると聞いたが、人口の割には事故が多いのではないだろうか。
自転車は意外に少なく、学生や子供が使っていた。大人はバイクが中心。耕運機にトレーラーを付けて野菜を運んでいたり、トゥクトゥクと呼ばれる4人乗りのバイク牽引タクシーが走っていたりする。それに、白いミニバンやSUVワゴン車や荷物満載の大型トラックが走っている。日本人の目にはカオス状態にも見える。
物流は決してスムーズではない。日本で言えば、終戦後から昭和30年代ぐらいまでの感覚だろうか。もちろんコンビニもスーパーマーケットもない。
ガソリンスタンドは都市部だけ。田舎ではペットボトルでガソリンが店頭で売られている。ガソリン価格は1リッター当たり1ドル少々で日本とそれほど変わらないものの、月収4万円ほどの給料では厳しい。バイクならともかく車を維持するのは庶民には無理で、車は公用か会社用あるいは外国人用と推測される。農家は古いバイクで古いリアカーを引っ張る。都市部の通勤は125tまでのホンダかスズキのバイク、タクシーは先ほどの4人乗りトゥクトゥクタクシー。学生は自転車というのがこの国の交通事情のようだ。


   カンボジアの車事情
 
 我々がツアーの足になったのが、メルセデスのミニバン。ちょっと見は白いハイエースかとも思ったが、よく見るとメルセデスのマークが付いている。ハンドルは左ハンドルなので、乗り口は左右逆になるが、室内はハイエースのようなもの。シートは一般的だったが、乗り降りには高さがあり苦労する。この辺の配慮は日本車が行き届いている。ダッシュボードは大作り。エンジンは自慢のディーゼルで、マニュアルで運転していた。韓国のヒュンダイ製でも同じような白いミニバンを見かけた。どういう訳か本家のトヨタハイエースはほとんど見かけない。
普通車ではやはり日本車が多い。トヨタのカムリ、レクサス名のハリアー、2代目のプリウスが目についた。ホンダ車はほとんど見かけず。日産のマーチ、三菱のミニバンもたまに見る。カムリやハリアーは庶民が買える価格ではないので、政府の事情か輸入の関係だろうか理由は聞いていない。日本ではプリウスの中古をほとんど見ない。海外に中古車が輸出されていたと聞いていたが、カンボジアにこれほど多数あったとは驚きだ。古いプリウスを日本国内で走らせたくないトヨタの戦略なのか、あるいはカンボジア人の好みなのかこれもわからず。
 後で調べれば、カンボジアの中古車はアメリカ大陸からやってくるという。冷静に考えれば共に右側通行の左ハンドルなので、理に適っている。そして、他国では売れない多走行車や事故車が来るらしい。所得が低いので難ありの安い製品が入ってくるという。それもカンボジアの車事情の一つであるのだろう。
 

   農村事情
 
 郊外を走っても、日本のような畑を見かけない。住宅の裏に広がるのは田んぼのような畑のような場所。ガイドに聞けば、水稲を上だけ刈って下半分は牛に食べさせるという。刈り取ったわらは乾期に牛の食料になるという。今は乾期の終わりころだから、まだ稲作が始まっておらず、田んぼが畑のように見えていたのも頷ける。
 灌漑設備はほとんど整備されおらず、雨期になって田んぼに雨水が溜まってから植えるらしい。肥料も農薬もほとんど使わず、植えっぱなしのようだ。終了は1ヘクタール当たり1.5トン。反当り2、5俵と言ったところか。それでも、一軒当たり3ヘクタールほど持っているというので年収は30万円ほどになる。牛や耕運機で耕作し、使い刈り取りは手作業だろう。この国の物価を考えれば、程々に生活できるようだ。
 野菜畑は見かけない。乾期には雨が降らないため灌漑設備を持たないこの国では野菜を作れない。かと言って雨期も作り難いのだろう。野菜は贅沢品で、米に塩辛い漬物、それに乾物の淡水魚などが副食だという。そういえば、ホテルの朝食にも野菜は少なかったように思う。後で調べれば、野菜はベトナムやタイから輸入しているらしい。これだけの水と国土を持っているのに、野菜不足というのは意外である。 
 しかし、経済発展と国民の健康を考えればカンボジアには農業の発展が不可欠だろう。この国には水と気温と大地がある。灌漑設備を整備して農業大国になることを期待したい。

カンボジアツアーその2へ

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