連絡階段


 ここの自然の家は40張りのテントサイトがあり、200人近くのキャンパーを受け入れることができる。以前は、屋内で収容し切れない大規模学校の補助宿泊施設としても機能していた。
 しかし、階段状のテントサイトや距離がある炊事場など、とても使いやすいキャンプ場とはいえない状況にある。そのためか、テントキャンパーの数は年々少なくなってきており、キャンプ場の整備が急務となっている。
 テントサイトまでの道程はまず便所の横から池まで上がり、それから池を迂回してもう一段上がる。そこがテントサイトの一番下の段になる。自分のテントにたどりつくにはもう2〜3段登らなくてはいけない。分かりにくいし、とても使いやすいとは言い難い。これが致命的な欠点であると勝手に判断し、ここから手をつけることにした。
 しかし、すぐ予算がつくわけでもなく、こつこつと手作業でやるしかない。幸いにして、テントサイトの一番隅から炊事場へは直線距離でそれほど遠くなく、雑木林の中を道を取付ければ何とかなりそうである。ここに連絡路を作ることにした。
 この付近の地図によると、かまど付近から取り付けるのが一番よさそうに見えたのと、現場に以前道があったような跡があるのでここから登ってみることにした。山鎌で枝を払いながら上まで登ってみる。結構高度差があるのと、しかも一番下の段からかなり離れている。どうもここは適さないようである。
 今度は20メートルほど下ったところから登ってみることにした。ここも枝を払いながらいくと、今度はそれほど距離がないのと、歩きやすい勾配である。しかもテントサイトにかなり近い所に出た。途中、古い株が2つほどあり、これは何とかしなければいけないが、ここの方が道としては使えそうである。
 さっそく道具を揃え、コンクリートの擬木が数本あったのでそれで階段を作ることにした。T指導員の手を借りて作りやすい真中あたりから手をつけた。数時間で数段作り、材料も無くなってきたのでここいらでひと休み。あとは擬木や杭を買い足してからにすることにしてこの場を去った。



階段の完成



 階段作りも残すところ上半分になった。一番の問題の株も抜け、擬木も業者から取り揃えた。あとは完成まで時間の問題である。
 さて、一番上から取りかかることにした。今回は主任のTさんと一緒だ。もと重量上げの選手で力仕事には心強い助っ人だ。
 スコップで階段を切りはじめたのだがすぐ砂利につきあたる。どうもこの上の道をつけるときに砂利をいれたようである。スコップではらちがあかないのでツルハシを持ってくる。さすがにTさんツルハシの使い方がうまい。それなりに作業が進むのだが、しかしなかなか大変な作業である。交代しては階段を切っていく。
 切り株の穴はちょうど階段を切るときに出る砂利や土をいれると自然と埋まっていった。何事もうまくいくものだ。
 この場所は、杉の小枝が生い茂り薄暗い。薮蚊が数匹執拗に襲ってくる。肘についた蚊を潰しては作業を進める。道から3、4段切って擬木を置くことにした。ここまで来れば完成は目の前である。水平に擬木を置いて、両端に杭を打ち込んでいく。下が砂利だったのでちょっと不安であったが、多分、砂利の層がそれほど深くないのであろうかなんなく入る。
 ほどなく階段が完成した。思ったより傾斜がゆるやかで、これなら小学生でも楽に登ることができるだろう。
 あとは案内の看板を取り付けて出来上がる。来年のキャンプの時期が楽しみであるとともに、我々がサイト場の整備をするときにも役立ちそうな道である。これでまた楽しみが増えた。



地元の草刈り奉仕隊



 今週は市外から大きな団体が入ってくる。2泊3日のうち第1日目はテントを張って宿泊する予定である。200名近くがテントを張るので全部で40数張り、自然の家のテントサイトは全て埋まる予定である。
 ここのテントサイトは、山復を削りとって数段のサイト場を設けている。作りたての頃はよかったのだが最近は草がひどくなり、毎年時期になると2回から3回は草を刈る必要がある。場所が広いので一人や二人ではとてもおっつかない。一週間ほどかかってしまうだろう。仕方がないので、地元の壮年団の人たちに毎年刈ってもらうことにしている。
 今日は日曜日。朝早くから出てきてもらっている。7から8人ほどでみんなエンジン付きの草刈り機を持っている。ビーン、ビーンとあちこちでエンジン音が聞こえてくる。2時間ほどしてほどなく40数箇所のテントサイトがきれいになった。
 今日はこのあと朝倉からの山越え道の草を刈ってもらう予定である。刈る量そのものはそれほど多くないが、まず山の上まで登るのが大変である。
 この自然の家の野外活動、多くはこのような子供の目に触れない人達の手によって支えられている。せっかくの日曜日だ。家族サービスをしたい人もあろう。朝早くから自然の家のために草刈りに来ているこの人たちに、心から感謝したい。



株起し



 整備中の連絡路の上り口に、大きな木の株が一つ、途中に一つ、二つの株がこの連絡路をさえぎっている。これを取り除かなければ道ができない。
 今年は台風が多く、雨の日が続いた。やっと晴れ間が出たある日、株堀りを決行することにした。要領が分からないので自分で少しやってみることにした。
 手始めに下の方の小さいやつの株の回りをスコップで掘る。雨上がりのやわらかい山土なので、みるみるスコップに土がまとわりついて団子のようになる。履いている長ぐつも重くなってきた。
 周囲を深さ30センチほど掘り下げただろうか、根が見えてきた。切り落とされて10年以上たっているのだろうか、根の先端はほとんど腐っている。
 3ヵ所ほどの根を掘りだしてぐいと足で押すとあっけなく株は横に倒れた。掘りだした跡に土を埋めて今度は上の大きな株に挑戦だ。
 同じように根を掘りだしはじめたのだがこんどは先程とは勝手が違う。根が深くて大きいのでスコップだけではちょっと無理のようである。ここははじめからチェンソーが必要であるとは考えていた。今日はここまでだ。
 さて次の日、チェンソーを用意して再挑戦だ。準備万端で取りかかるが、エンジンの調子がよくなく、バババと始動するまで時間がかかった。エンジンをかけて大きくふかしそのまま木を切り込む。大きい根の部分を無理矢理チェンソーで切ってしまう。のこぎりではちょっと無理だろう。
 2ヵ所切るとさすがにぐらついてきた。ぐいっと起して下へ転がした。残った根も腐っている部分が多くあっけなく抜けた。
 一人での作業ではあったが思ったより楽な作業であった。株の抜けた跡には大きな穴ができたが今度はこの穴をどう埋めようか考えている。



枝打ち作業



 自然の家ができて11年。テントサイトには多くの木が植えられているが、その木が次第に大きくなってきた。見通しも悪くなり、これでは子供も嫌がるだろう。素人ながら鋸と山鎌で枝打ちをすることにした。
 土手のところなどに自然に生えた栗やサイト地の隅の桧。手あたり次第にじゃまになる枝を落としていく。40区画のサイト地とそのほかフリーのサイト地。時間を見つけてはやっていたので数日かかってしまった。
 いくら自然が大切だといっても整備されていないサイト地ではとてもテントなど張る気もしない。
 枝を落としただけだが、ずいぶん見通しがよくなった。これで気持良くテントが張れる。少なくとも、自分自身が使ってみたいと思う気にさせるキャンプ場にしたいと考えている。
 切り落とした枝を1ヶ所に集めて一応終了だ。駐車場近くに大きなぐみの木が10株ほどある。これが第2のテントサイトの見通しを悪くしている。いずれはここを何とかしたいと考えている。



あけび発見



 主催事業である城山登山の下見。指導係全員とT先生計5人で峠から安波賀駅への下山道を降りている。普段は胸ほどまでもススキが生い茂り、非常に降りづらい道であるが、数日前に下草を刈ってあるので今回はとても楽だ。
 100メートルほどトラバースしてから崖のような道を一歩一歩恐る恐る降りることになる。5、6段降りてふと上を見上げると、木の枝から垂れ下がるつるに小さいナスほどの実が下がっている。
 どうもあけびのようである。まだ時期が早いのか実が開いていず、固くしまっている。このあけび、その味はトロリとして甘く、絶妙のおいしさである。
 人からもらったものを2〜3個食べた覚えがあるが、自分では自然に実っているのを見た経験がない。子供のころに山へ採りに行った覚えがあるが、結局手に入らなかった。もちろんマーケットなどにも売っているはずもなく、自分にとってはあけびとは手に入れようにも手に入らない憧れの果物であった。
 そのあけびが目の前にある。これは自分にとって感動であった。自然の家に身を置く今でさえ、見つけようと思っても見つかるものではない。子供のころから捜しもとめた宝ものを見つけたような気がしている。



天使の笑い声



 今日はある障害を持った子供たちとその親が来ている。同じ悩みを持った親たちの研修と子供の療育指導もかねている。
 一人の子供に、親と研修の保母の2人の大人がつく。それほど一人では置いておけない子供たちであるともいえる。
 入所式をしようとするのだが、子供達があちこち動き回り、いつ始めて良いのかきっかけがつかめない。ちょっと静まったのを見計らいはじめるが、所長の話も雑音にじゃまをされて後ろまで届かない。
 フリータイムのときには親子があちこちに散らばって、自由に時間を過ごしている。研修期間ということでもあるので、研修性や親が積極的に子供に話しかけている。あちこちから聞こえる笑い声で、自然の家もいつになく華やかさにあふれている。
 人の目を気にしながらの、長期間の継続した忍耐と努力。障害児を育てるということは大変だ。しかも、希望に満ちた出産や育児のときに突然に知らされるその事実。親は決してのぞんで障害児の親となった訳ではない。障害児の親の心境は、決して笑顔そのものではないことは想像に難くない。
 障害児を持つことが自分にとってプラスになるかマイナスになるかはわからない。そのことに気がつくのはいつの日であろうか。か弱さをまだ感じさせるこの親たちに、早くどん底から這い上がり強い親になってほしい。
 玄関先やロビーから聞こえてくる笑い声を聞くたびに、そして、その母親の気持ちがわかるだけにつらい思いを感じてしまう。
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