※資料(このページは当時の資料を公開しています)


韓国船遭難救護百周年記念石碑建立のための募金のお願い  (趣意書)
謹啓 秋冷の候 皆様に方には御壮健にてお過ごしの事とお慶び申し上げます。

 さて、百年前、明治33年(1900年)1月、朝鮮半島から1隻の大韓帝国籍の船が遭難、泊村に漂着しました。厳冬の海、極寒と飢えの中、半月余りの漂流の末のことです。日清戦争から日露戦争のまさに激動の時期、国同士の厳しい関係の中、泊区民は総出で救護に当たりました。炊き出し、宿泊、看護と誠心誠意の保護の結果、1人の死者をも出すことなく、93名の朝鮮人全員が奇跡的にも本国へ帰還出来ました。

 泊の船小屋の前の浜で別れるとき「朝鮮人は涙を流し、村の衆も袖を絞るほどに泣き、親子兄弟の様な別れをした。」(当時の区長文書より)「海よりも深く、山よりも高い恩を子孫に伝えていきたい。」(韓国人の礼状より)

 当時の記録発見を機に泊区で『韓国船遭難救護の記録』を平成9年に出版しました。この本を一読し深く感動した韓国の鄭在吉教授は、この史実を教科書にのせて韓国の青少年に伝えたい、この美談を日韓交流の礎にしたいと何度も泊を訪門。「百年前の別れは、百年後の再会の約束です。あの日の偶然を、百年後の必然にしたい。」と百周年記念事業を提唱しました。

 遭難救護より百年目の平成十二年は、ちょうど西暦2000年です。「百年目の再会」、これは私達の世代に祖先が託した課題です。小さな村の大きな歴史を伝えて、日韓の善隣友好の心の礎にしたいと考えます。この様な趣意で歴史の現場に記念石碑を建立することにしました。

 救護に当たった泊区の祖先は、今は、海の見える墓地に眠り、魂は村の美しい風景の中に遊んでいます。また、故国に帰還した大韓帝国の民も同じく、故国の土となり海を隔てた隣国への思慕をめぐらせていることでしょう。私たちは、この取り組みを通して、祖先に感謝し、祈り、子孫のために、よりいっそう美しい村づくりに努力を惜しまない精神的風土をつくりたいと願います。

 泊の村は、僅か23戸で人口120名の小村です。この趣旨を御理解御賛同頂きまして、何卒御支援賜りますよう衷心よりお願い申し上げます。                                  敬 具

         平成11年10月吉日

           韓国船遭難救護百周年記念事業実行委員会 泊の歴史を知る会 代表 鶴田武志

                               韓国国立全北大学 教授 鄭 在吉

  各 位

                               記

 

募 金 額   一口3000円(失礼ながら振替用紙を同封させていただきました。募金頂けます場合にはご利用下さい。)

受付期間   平成11年10月1日〜12月25日

宛  先   韓国船遭難救護百周年記念事業実行委員会事務局(〒917-0117福井県小浜市泊7-22大森方)

       振替口座番号 00750-0-46160   掾E 0770-52-6118

〈石碑の概要〉

大きさ   縦百八十センチ 横九十センチ(予定)

 語句等   表「海は人をつなぐ母の如し」

       裏 韓国人よりの礼状 実物の拡大  年紀(建立年月日)

       建立者 韓国船遭難救護百周年記念事業実行委員会  

設置場所   泊海岸付近

除 幕 式   平成12年1月8日午前10時より 

 

尚、百周年記念事業の概要は次の通りです。

  とき   平成12年・1月8日(土)1月9日(日) 〜1月12日( 水)

  会場   海照院/泊集落改善センター/小浜市働く婦人の家

  内容   記念式典 百年前の韓国船遭難救護あらましとその調査報告・記念碑の除幕

       記念講演 百年目の再会 --小さな村の大きな歴史-- 

       記念公演 「風の吹いてきた村」

       展 示 会 韓国の教科書・漂着物・韓国船救護関係文書・その他展示