山門(さんもん)
一般に山門は「三門」とも書かれる。総欅(けやき)造りの唐風の楼門で間口9間、奥行き5間の二重層からなる。永平寺伽藍の最古の建物で寛延2年(1749)8月、永平寺42世円月江寂禅師によって再建されたものです。
修行僧が正式に入門する永平寺の玄関に当たり、下層には四天王を祀り、上階には五百羅漢を安置する。昭和55年に福井県の文化財に指定されました。
入門して上を仰げば正面に「吉祥(きちじょう)の額」といわれる扁額(へんがく)があります。高祖大師が宝治2年(1248)11月1日に「傘松峰(さんしょうほう)」を「吉祥山(きちじょうざん)」に改めた折りの法語です。
諸仏如来大功徳(しょぶつにょらいだいくどく)
諸吉祥中最無上(しょきちじょうちゅうさいむじょう)
諸仏倶来入此処(しょぶつともにきたってこのところにいる)
是故此地最吉祥(このゆえにこのちさいきちじょう)
これは御開山(ごかいさん)道元禅師が入越と共に「大仏寺」という寺号を「永平寺」に改称され、さらに山号を吉祥山と命名なされ、めでたい山であると感得されたものといえます。坐禅の大安楽によって悟出証入(ごしゅつしょうにゅう)される場所を「吉祥山の永久平和」と祈念されたことは、吉祥山永平寺が菩提樹下で成道正覚(じょうどうしょうがく)された釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)の坐禅三昧(ざぜんざんまい)を顕現されたものといえます。
この額は、江戸時代の宗学者面山瑞方(めんざんずいほう)和尚によって揮毫され、永平寺47世天海董元(てんかいとうげん)禅師代の安永元年(1772)8月に掲げられたものです。
山門の両側には四天王を祀っていますが、東側には東方の守護神「持国天(じこくてん)」と北方の「多聞天(たもんてん)」、西側には西方の守護神「広目天(こうもくてん」と南方の「増長天(ぞうちょうてん)」が在って、外部から進入する悪魔を遮ってくれています。
さらに正面の両側には、永平寺54世博容卍海(はくようまんかい)禅師が文政3年(1820)に山門を修復した折りに掲げた見事な聯がある。
家庭厳峻不容陸老従真門入
(かていげんしゅん、りくろうのしんもんよりいるをゆるさず)
鎖鑰放閑遮莫善財進一歩来
(さやくほうかん、さもあらばあれ、ぜんざいのいっぽをすすめくるに)
この聯の意味は、永平寺を一個の家庭としたならば、ここは出家修行の道場であるから求道心(ぐどうしん)の在る人のみ自由に出入りが可能である。と入門の第一関を提起しています。
右側の陸老とは中国宋代の役人で南泉普願(なんせんふがん)禅師に参禅した居士(こじ)であり、名誉も財産も何でも意のまま自由にすることが出来たという例えであり、他方左側の善財は東海道五十三次にもみえる善財童子で、南方に仏道を求めて修行しようとした例えで、陸老に善財を対しています。
この聯は卍海禅師のものと伝えられていますが仏道修行の神髄を禅の語録「禅林類聚(ぜんりんるいじゅ)」や「華厳経(けんごんきょう)」入法界品(にゅうほっかいぼん)等を典拠していることより、当時の西堂(せいどう)慧門禅智(えもんぜんち)和尚の作ではないかとみられます。
さて、楼上(ろうじょう)に案内されると中央眉間に後円融天皇(ごえんゆうてんのう)の勅額(ちょくがく)「日本曹洞第一道場」の額があります。これこそ、大本山として日本第一の根本道場たる由縁を具現(ぐげん)するものといえます。
また、楼上には羅漢(らかん)が祀られており、その中央には華厳(けごん)の釈迦如来(しゃかにょらい)、脇侍(わきじ)として加葉尊者(かしょうそんじゃ)と阿難尊者を始め善財童子と月蓋長者(げつがいちょうじゃ)を祀る。最前列には「十六羅漢」を置き、その左右に「五百羅漢」が祀られています。
毎月、1日、15日の祝祷日には一山の清衆が此に登り羅漢拝を修行する。この上には永平寺73世泰禅(たいぜん)禅師による「吉祥瑞現(きちじょうずいげん)」の額があり両側に
樹色渓声一会霊山仏勅
(じゅしょくけいせい、いちえりょうぜんのぶっちょく)
花香月陰千秋祖苑神通
(かこうげつえい、せんしゅうそえんのじんつう)
という聯があります。
文献 「永平寺」平成8年12月20日発行。大本山永平寺の許可を得て転載(一部変更)したものです。
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