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| 小学校時代からトランペットに親しみ、藤島高校時代に全日本吹奏楽コンクール本大会に出場。成城大
学時代には、辻仁成、桑名正博等のバンドに参加。 卒業後故郷に戻り、武生東高校開校時より顧問をつとめる一方、JBおるがの芸名で、地元ファンクバンド 「ザ・ニュービーズ」 「Jimiあわたべバンド」等でヴォーカリスト/トランペッターとしても活躍 中。NHK総合TV「日 本全国名物先生」や、日本テレビ系「笑ってコラえて」紹介され、話題となる。 武生東高では、全国大会出場8回。黒人音楽をベースにしたファンキーな編曲、演出、振り付けで吹奏楽界に独 自のジャンルを築いている。 平成9年度福井県文化協議会新人賞、16年度県民文化祭芸術賞受賞。平成16年度より福井県吹奏楽連盟理事 長、北陸吹奏楽連盟副理事長、日本高等学校吹奏楽連盟常任理事。ファンク・ ミュージックと林檎印のコンピューターを愛する国語教師。 |
Sunny side of me(昼のかおる)
どちらかといえば、比較的真面目な部分の私Dark side of me(夜のおるが)
本当の?私
昭和33年福井県鯖江市生まれ。生家 は江戸時代鯖江藩の家老を務めた家系で、昔から取り決められた年中行事の多い家であった。
正月の朝は「福茶」という梅干しを入れたお茶を飲み、その種を節分まで保存しておいて年の数の豆 と一緒に半紙に包み、その包みで身体のあちこちを病気にならないよう祈願しながら撫で、胸元から入れて裾から落とし、家族分の包みを集めて辻に捨てに行 く・・・・なんていう行事は、当然他の家でもやっていることだと思って育った。その他にも折々の行事は多く、実は今でも続けている。小学校に上がる前、保育園(幼 稚園には行かず、保育園からストレートに小学校でした)のころ親にせがんでオルガン教室に通わせてもらう。このころから音楽に興味があったわけだが、練習 がつらいので1年で辞める。このころから根性もなかった。(あとで大学入試前になってピアノを始めたが、続けておけばよかったと後悔することしきり。)
惜陰小学校5年の時から鼓隊でトランペットを始め、鯖江中学校では弱小吹奏楽部にもく じけず3年間トランペットに明け暮れる。クラシックに興味を持ち、コンサートに積極的に通うようになるが、初めてのピアノのコンサート(イ ングリット・ヘブラー)では、寝まくる。
吹奏楽やりたさに、当時県内No.1だった藤島高校に入学。合格者登校日からラッパを持って通う。 念願かなって、2年生の時に全日本吹奏楽コンクール全国大会に常勝富山商業を破ってまぐれで出場。本 当に本当にまぐれ。北陸大会での審査員の講評は「ユニークなサウンドのバンド」・・どういうことなんでしょ。当時を振り返っての秋山鴻市(富商出身N響 Trb奏者)先生のお言葉「あれは絶対におかしい!」札幌厚生年金会館での本大会ではやっぱり銅賞。学 校に予算がなく、カンパで資金を集めたが足りず、結局楽器は全部手持ちで片道24時間のJR(寝台車でなく普通の車両)、札幌には1泊のみという1泊4日 (!)の強行軍でした。
音楽教師の道を目指すが、理数系がまるでダ メで、2浪。1 浪目は地元の予備校に通うが、勉強に身が入らず、2浪目で心機一転、東京に出てストイックな浪人生活を 送る。
その年より共通1次試験が始まったため国公立をあ きらめ、成城大学文芸学部国文学科に進む。
トランペットを選んだ理由は、当時GSのブルー・ コメッツの井上大輔が、「それはキッスで始まった」の間トロでトランペットソロを吹いていたのに憧れたから。その後ニニ・ロッソにハマる。特に生で聴いて完全にハマる。しかし、トランペットが4本入ったブラス ロックグループ、CHASEの「黒い炎」で完全にブッ飛ぶ!これ以降、クラシックよりブラス・ロックやロック全般に傾倒。
中学2年の文化祭からバンドを始める。一世代上の ベンチャーズ/GSの頃の楽器、機材(グヤトーン、エルク、テスコなど)を借りて、ビートルズやスリードッグナイトなどをコピー。高校ではロックバンドでベース(やっとグレ コを購入)、ヴォーカルを担当。サンタナ、荒井由美、マウンテン、ディープパープル、シカゴ、クリエイション、シュガーベイブなどを無節操にコピー。いい メンバーに恵まれ、高校ではNo.1のバンド(だったと思う)。
一方、高1の時に聞きに行ったWEST ROAD BLUES BANDでブラックミュージックに目覚める。B.B.キングやロウエ ル・フルスン、ジョニー・テイラーなどを聴きソウル/ブルース方面へ興味が広がるが、高校時代のバンドではその指向は受け入れられず。
浪人が決まると、予備校に行くふりをして、 ブルースを歌うため仲間を探す。国立福井工業高等専門学校の「ギター班(軽音楽クラブ)」のメンバーとブルースバンドを結成!・・・と思いきや、高専の先 輩で地元では有名なヴォーカリストが加入したため、私はキーボードとコーラスへ追いやられ、更にブルースのはずがアメリカンロックへと方向転換し、主にレ イナード・スキナードとイーグルスをコピー、結構好きになる。
スキナードの名曲「フリーバード」をバンド名にし、地元では名が売れる。高 専文化祭の朝、スキナード一行が飛行機事故に遭い、ヴォーカルのロニー・ヴァン・ザントらが死亡したニュースを聞き、泣きながら演奏。こんなことで大学に受かるはずがなく、10 校以上受けた大学全部落ちて2浪。 バンドは泣く泣く1年間休止。
成城大学では入学式の時のオケのひどさ(失礼!) に、迷わず軽音楽部へ。バンドに明け暮れる。ほとんどアフロヘアーで帰省し、勘当されそうになりやむなくカット。
2年間の遅れがあったため、授業には結構出る。国文科ではもともと国語学をやりたかったので、そ の世界では超有名な山田俊雄教授ゼミへ。山田先生の授業は、すごく眠いのを我慢していつも一番前で聴いていたが、後ろに座っている学生はほとんどみんな寝 ていた。
そうして4年間、オプションの教員免許もしっかり取得。卒業時、軽音男子の中では「優」の数はダントツ。(もちろん軽音男子部員の成績レベルはおそろしく低い)
夏休みには、母校惜陰小学校吹奏楽部の指導をする。吹奏楽とのつながりはかろうじてこれだけで、 大学時代にはクラシックもほとんど聴かなかった。
その他大学時代にはまじめな話題はもうない(涙)。成城大学軽音楽部はプロも多 数輩出している名門で、2年上の先輩にはSpectrum/KUWATA BANDの今野拓朗氏、パール兄弟の松永俊弥氏らがいた。1年の時はソウル系バンド「ミス ティーデイズ」でコーラス/トランペットとして下積み生活を送る。
そのバンマス橋元 亮氏が学外で参加していたソウ ルバンド、「スーパーレヴュー」 にトランペットで加入。都内外ライヴハウスで活動を続ける。このバンドのドラマーは、のちボ・ガンボスでデビューする岡地曙裕であった。
また、軽音に入っていなかった同級生辻 仁成と、ツインヴォーカルのバンド「カオル&ジンセイ・スーパー・ソウル・ユニット」(め ちゃくちゃダサい名前やね。これ)を結成、学園祭のバンド合戦で優勝。その後辻はプロになるため大学を辞め、のちにTHE ECHOES としてデビュー。ECHOES解散後は小説家としても活躍、芥川賞受賞。02年6月、なんと中山美穂と結婚!2年次よりディスコ/ブラコン/AOR/お 笑い系のミックスされた成城大学史上最強にして最狂最悪のバンド「ホルモン」を結成。学内外で激しく活動。学園祭やパーティーの盛り上がりに欠かせないバンドとなる。在学中にキーボード山石敬之 はアルフィーに、ドラムの北村健太は新田一郎バンド、高中正義バンドに参加と、プロの仕事もこなすようになる。
私の方は、新宿の閑散としたディスコ「ブロ ウハウス」でのハコバンのヴォーカルでくすぶっていたが、スーパーレヴューでの演奏が原宿クロコダイルのオーナーの目に留まり、桑名正博バンドでトランペットとホーンセクションの振り 付けを担当。8ヶ月ほど活動するが、教員採用試験勉強のため活動を断念する。
その他、大学時代に共演したミュージシャン は、アン・ルイス、永井隆(West Road B B。夢が叶いました)、桑名晴子、西 真嗣(元SPECTRUM)、今野拓朗、重実 徹、斉藤 誠、木村万作各氏など。
昭和58年、卒業と同時に福井県に帰 り、新採用教員として福井県立大野高等学校に赴任。吹奏楽部顧問となる。2年目より音楽の先 生に代わってコンクールを振らせてもらうが、県大会A部門で銀賞1回、銅賞2回。(福井県では必ず金銀銅のどれかがもらえます。)4年間在任。 帰省すると、旧友チャッピー山 本と、ブラック系バンド「バリウム」結成。まもなく「THE NEW BEADS(ニュービーズ)」と改名。数々のメンバーチェンジを経る。 昭和62年、武生東高校の開校と同時に赴任。吹奏楽部顧問を言い渡されるが、楽器は何もなし、年間予算30万円。予 算でアルトサックスを1本買い、あとは個人持ちと近隣の小中高から借りてきた楽器と24人の部員でスタート。 中日コンクールB部門での県大会突破を きっかけに、楽器を購入してもらう。
アンサンブルコンテストでは1年生部員だけの sax4重奏(新設校だから当然)で全国大会出場。ちなみにその4人の中学時代は・・・SSAX嶌田:吹奏楽部でサックス、AS笠谷:剣道 部、TS宮原:吹奏楽部でユーフォニウム、BS品川:吹奏楽部でチューバというほとんど素人集団。よく全国まで行けたもんだ。2年目より音楽教師に有名な奥田健雄先生を 迎え、同氏のもとで吹奏楽を勉強。奥田先生の指揮で吹奏楽部は4年目にして全国大会出場を果 たす。私は中日コンクールを振り、本大会優勝2回(文部大臣賞&優秀指導者賞1回)。
4回目の全国大会より私が棒を振らせてもらえるようになり、連続銀賞3回。平成9、10年度は惜しくも全国出場はならなかったが、平成11年に復活、銀賞受賞!平成12年度、14年、15、17年度は銅賞でした。
チャッピー(BASS)、ス モーキー田中(Guit)、ベンジャミン鈴木(Drums)、シェリル松宮(Key)、アタック由佳&ドメスト由紀(Cho&Dance)のメン バー時にブレイク。福井テレビ「バナナペンギンクラブ」初代グランドチャンピオンとなり、TVに多数出演。「ミュージック国体in武生」に第1回目から全 回出場。
一時「C-FUNK ALL STARS」と改名し、メンバーチェンジするが、その後また元のメンバー中心で ニュービーズとして細々と活動。歴代メンバーの中には、ロック歌手大槻真希(CBS SONY)、演歌歌手本宮れい子(ビ クター)がいる。ニュービーズに関しては、こちらで紹介。一方、チャーリー細田率いるR&Bバンド「ブラウン」のホーンセクションの一員としてトランペット を担当。後解散。
ホルモンは大学卒業後も、メンバーの結婚式の度に再結成 して演奏。ほとんどのメンバーが結婚したため、誰かが離婚&再婚するのを待っている。
チャーリー細田と「THE JOY FANTASTIC」で H12〜14まで活動するが、メンバー不足などの理由で活動停止。また武生東高は、「日本一ファンキー な吹奏楽団」のセールスポイントの下、黒人音楽をベースにしたファンキーな編曲、演出、振り付けで吹奏楽界に独自のジャンルを築いている。全日本選抜吹奏 楽大会(浜松)には12回出場し、毎回パワー全開で暴れる。第7回大会でMALTA賞受賞。 県内外の小、中、高で主にポップス&振り付けを指導。客演としては、鯖江中学、ソノーレウ インドアンサンブル、出雲高校、都立永山高校、都立片倉高などで指揮、歌、演奏。
平成9年度福井県文化協議会新人賞受賞。平成11年度より北陸吹奏楽連盟事務局長。15年 その任を終える。平成16年度より、福井県吹奏楽連盟理事長(こんな私でつとまるんでしょうか)、北陸吹奏楽連盟副理事長。 平成16年度福井県民文化祭芸術賞受賞。
ニュービーズは、ドラムのベンジャミンが99年夏突然帰省してしまったため、ベンジャミンを無理矢理呼んだり、 Marty Braceyなどにトラを頼んでいたが、H14より片山浩志がドラマーに。腰を壊していたCHAPPYもめでたく復帰し、怖いモノ知らずの親父バンドとし てますます活躍中!もうひとつ、ジミあわたべ(Key)氏の Bandで、popsを黒くカヴァー、精力的に活動中。
地元で共演したミュージシャンは、こだま和文、川 上シゲ、谷中敦&冷牟田 竜之(TSPO)、土岐英史、清水興、Marty Bracey、塩次伸二、NAOH各氏など。