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| 〒910-2464 福井市中手町30-1 TEL: 0776-93-2040(内選8番) |
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| 伊自良の里資料館パンフレットより | |
![]() 歴史と浪漫が今も息づく。 戦乱の世を越え 伊自良氏の魂が 八百年の歴史とともに この伊自良の地に甦る。 |
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| 伊自良氏の由来 | 伊自良氏の初代は、八田知家の二男、伊自良有知という人です。八田知家は、源義朝の十男で義経の弟といわれ、時の将軍、源頼朝の腹心として多くの活躍をしたといわれています。伊自良有知は、承久の乱(1232年)の勲功で美濃国伊自良の地を賜りました。その後、美濃国より越前国小山庄に入り、小山庄の領家と共に成長してゆき、鎌倉時代に北条氏の地頭代として地頭請に成功しました。 嘉歴3年(1328)には伊自良知綱が遂に小山庄地頭職を確保し、その後味見郷中手に館を構え、江戸時代末までこの地を支配しました。 |
| 太平記に勇士とど める伊自良氏 |
軍記物語「太平記」に『平泉寺の衆徒、三峯城という所に打ち出て、城を構えて敵を待つ所に、伊自良次郎左エ門尉、是にくみして300余騎にて馳せ加わる間、近辺の地頭、御家人等ふせぎ戦うに力失って、皆己が家に火をかけて、府の陣へ落ち集まると』と。これは、建武2年に後醍醐天皇が、官軍の士気を高めようと越前に新田義貞を送った時の詳しい様子です。その後、伊自良勢は平泉寺衆徒と共に杣山城に使いし、義貞の弟、脇屋義助を三峯城の大将に迎え、意気天を突く勢いでありましたが、平泉寺衆徒の寝返り等により伊自良勢、三峯城に孤立し落城、一乗谷、赤谷へと潰走したといわれています。 |
曹洞宗に尽くした 伊自良氏 |
曹洞宗の大本山永平寺の祖、道元禅師を慕って来朝した宋僧、寂円禅師を開祖とする曹洞の大道場宝慶寺は、伊自良氏一族の真空沙弥、知円沙弥により創建されました。また宝慶寺二世の義雲禅師が後に伽藍消失に加え三大相論と大破滅法にゆれる永平寺に五世として昇住し、その中興の祖と仰がれています。 室町時代にも「日本洞上聯燈録」に味見郷中手館に生まれたと記される希明清良禅師が、永平寺派と総持寺派の融合に尽くしたことなど、近世、近代に至るまでの永平寺、宝慶寺、仏母寺等の再建に努力し、曹洞宗700年の外護を連綿として継いだ伊自良氏の功績が、当館の展示書状により知ることが出来ます。 |
| 歴史スポット | 樺八幡神社(福井市中手町) 古拝殿【県重要文化財】 鎌倉時代の建物で茅葺き、単層四柱造りの四間四方の吹き放しになっています。 聖徳寺(福井市味見河内町) 鎌倉時代の聖徳太子立像などの県指定文化財が数多くあり由緒ある寺院です。 称名寺(福井市折立町) 桃山時代の豪華な建築様式を取り入れた寺として有名で、山門は天明5年(1786)に建てられたものです。 |