自然 
「樺八幡神社 略解」より

鎮座 福井県福井市中手町20-27
御祭神 八幡大神、誉田別尊、仲津姫尊、息長垂姫尊、尊御名富尊 他

 養老三年(719)天平七年(736)、泰澄大師が白山褌定の際、創建と伝承。中世、八幡大菩薩、八幡宮明王院と称する。
例祭 9月15日 神幸祭 恒例奉納相撲(平成10年頃より中断)
境内地 約10,000平方米
明治45年 河内住吉神社・神当部八幡神社・南野津又八幡神社・小当見春日神社・西市布八幡神社を合併
昭和21年 7月、5神社を分祀す
本社
 三間社流造銅板葺(旧茅葺)の本殿。正面5.58m、側面3.64mの規模を持ち、正側面三方に刎高欄付切目縁を廻らし、三間の向排と中央一間に五級の木階を設ける。正面は板蔀戸、側面右手前寄に片引戸を入れる他は板壁とする。内部は広い一室とし、宮殿を置く。大斗と絵様入花肘木で桁を支え一軒繁垂木の軒を受ける。随所にみられる絵様等から1723年(享保8)の棟札に対応する建物と判断される。1984年(昭和59)半解体修理された。全体に簡素な建物である。また、境内の古拝殿は県指定有形文化財。寄棟造茅葺の簡素な建物であるが柱・肘木等は中世の古材を用いている。
                                          <吉岡 泰英>
古拝殿
木造建造物、県指定有形文化財第四号、單層寄棟、茅葺、ステンレス、平葺覆、床面積82平方米、円柱13本、柱幅32糎〜33糎、隅柱上部の和様に天竺様の肘木に素朴な唐草文様を彫る。
複数の建物の再建か13世紀頃の方三間の阿弥陀堂の遺構とも。宝永年間(1704)大雪大破、嶺北最古の建造物、神仏習合時の事蹟。内部に周尺法による丈六の阿弥陀如来座像を中尊に他四体を安置する。大野郡小山庄、地頭代、地頭職を請けた伊自良氏重代、中野手居館、氏神と仰いだ、遺構といわれる。
阿弥陀如来坐像
 (丈六の坐像)
 木造、一躯、、県指定有形文化財第一号(昭和29年3月19日)、平安時代、像高176.7cm。この像は周尺による丈六の坐像で、当社にはこの像の他に、半丈六の阿弥陀如来坐像、大日如来坐像、広目天王立像、多聞天王立像の五躯の像が、古拝殿といわれる堂の中に安置されている。いずれも平安後期の像であり、山間へき地の無名の神社に遺存する像にしては、これらの像は、珍しく高い文化を背景にして造られた像である点が注目される。この像は、偏袒右肩の衲衣をまとい、上品上生の弥陀定印を結び、裳懸坐上に結跏趺坐する像で、寄木造の手法により造られている。その木取りの構造は、左肩を含む頭躰幹部は前後二材を竪矧ぎ、内刳りを施し首を割放す。右膝奥矧付け、膝部は横一材を下腹部に矧ぎ、さらに裳先を矧付ける。躰幹部の前後二材の内、前面の材は巨材が用いられていて、背部の材は背板程度のものである。仏身の肉取りをふっくらととり、衲衣の衣文をはじめ彫出は、概して流麗で抑揚を避け、平明に鋤き上げられているもので、像容は平安後期の特色をよく示している。錆下地のもとに漆箔が施してある。
 この地は山間の奥地であるが、中世初頭のころ、伊自良氏が占拠していた地で、あたかも藤原秀衡ら三代が東北の平泉において高い文化を築いていたごとく、この地に、へき遠の地には珍しい高い文化を築いたもので、これらの像はその伊自良氏の文化を伝えているものである。

                                          <野村 英一>
阿弥陀如来坐像 県指定有形文化財。
平安時代の木造。
像の高さ91cm
大日如来坐像 県指定有形文化財。
平安後期の木造。
像の高さ91、2cm
多聞天王立像 県指定有形文化財。
平安後期の木造。
像の高さ167cm
広目天王立像 県指定有形文化財。
平安後期の木造。
像の高さ170cm
大鷦鷯尊坐像
(仁徳天皇象)
県指定有形文化財。
平安後期の木造。
像の高さ54cm
息長垂姫命坐像
(神功皇后像)
県指定有形文化財。
平安後期の木造。
像の高さ49cm




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