ひそやかな願い







 
窓から差す穏やかな木漏れ日が、寝台の上に横になっている道徳の頬を撫でてくる。
 そのあたたかな刺激にぴくりと眉を動かし、彼は小さく身じろぎした。
「んー……」
 夜着の裾から除く素肌が、絹布に触れる。それが思いのほか心地よくて、道徳は広い寝台の上でごろごろと身体を持て余し始めた。
 まだここを出たくない。
 他人の寝台だということは、よく分かっているけれど。
「こら道徳、人の夜具の上で遊ぶんじゃない……布が乱れるだろ、まったく」
 億劫そうなその台詞は、言っている内容ほど咎めを含んだものには聞こえなかった。むしろ会話を切り出すために言った文句のようだ。  
 何となくそれがわかったので、道徳も転がるのを止めて傍らの人物の方を向く。
 彼は窓の桟に寄りかかって、はだけた寝巻もそのままに髪をぼんやりと掻きあげていた。
 まさに今起きたような風情。
 こんな情人……もとい雲中子を見るのは、結構珍しいことだった。
 いつも、固すぎるくらいに隙のない服装と態度をしていたから。
「あぁ、おはよー雲中子。……でもまだ眠いなー……今、朝か?」
「上から陽がさしているのに朝はないだろう……もうすぐ真昼だよ、おまえは寝起きが悪すぎる」
「なんだよ、自分だって似たようなもんじゃないか、……第一、寝不足なのは誰の所為だ」
 少しバツが悪そうにもごもごと呟いて、道徳は皮肉を込めた声を投げ返す。そのとき薄い肌着一枚しか羽織っていないことに改めて気づき、がばりと掛布で身体を覆った。
 あまり見られて嬉しくないものが、全身に散っていたからだ。
「さあ、少なくとも私の所為だけじゃないことは確かだな」
 そんな道徳の胸中を知ってか知らずか、さらりと雲中子は苦言をかわしてくる。結構な言い草だ。誘ったのも朝まで離してくれなかったのも、間違い無くこの男のくせに。
 口で適うわけが無いと自覚している分、余計に拗ねてしまう気持ちが強い。昔からそうだった。この口達者な男にいつのまにか丸め込まれて……それでこんな関係にまでなってしまったのだから、我ながら相当図太い神経をしている。
 意識せず思い返してしまい、赤くなった顔を押さえる道徳に、雲中子はくくっと可笑しそうに笑うと、
「そう膨れるんじゃない、道徳。わかったよ、ゆっくりしていろ」
 ぽんぽんっと枕に顔を埋めていた彼の頭をたたいた。そうして、ゆるゆると卓の上に置かれた煎茶に手を伸ばす。
 香ばしい匂いが、けだるい午後の雰囲気の中に立ち込めた。
「お前も飲むか?」
「…………ああ」
 気のない様子で返事をかえせば、応えの代わりに伸ばした掌に湯のみを落とされる。危うくこぼしそうになって、道徳は寝台から上体だけを起こした。
 しばし、あたたかい湯気と香りとが、沈黙した室内を支配する。
 この男といるときはいつもそうだ。必要以上のことを語らない。
 ………別に、この静寂が嫌いなわけではないけれど。
 そんな取り止めのないことを、まだはっきりしない頭で考えて、
「…………そういえばさ、お前の弟子って今人間界にいるんだっけ」
 唐突な話題を振った。というか、こいつと話す内容などそう豊富にあるわけではない。
 とりあえず道徳が思いついた事柄がそれだっただけだ。
「………ああ、まあな」
 ちょっと面食らったように湯呑みから口を離しながら、雲中子はこちらに向き直る。案外に冷めた性格の彼でも、こと弟子の話になるとやはり気持ちが動くようだ。
 自分も同様なだけに、道徳は少し口端を緩めて、
「雷震子……とか言ったよな。天化から聞いた話じゃ、お前のことをたいそう恨んでるそうじゃないか。勝手に薬の実験台にされたとかで」
「………実験台、か。まあそういうことになるな」
 薄く笑んで、よっこらせと雲中子は桟に再び腰掛ける。
 自分に対する非難など、まったく意に介さぬような無表情。
 相変わらずだなぁと道徳は呆れ気味に溜め息を吐いて、
「そんな性格だから、皆に誤解されるんだぞ」



 弟子に翼と力を与えたのは、その子が一人でも立派に生きていけるよう。
 父を救いたい、兄を助けたい……そんな健気な思いを、どうにかして叶えてやりたかった。
 男としての誇りを、真直ぐに貫く為に。
 あの子はどうせすぐに自分の元を離れていくのだろうから……師としての、せめてもの手向けを。



「………何のことだ、道徳」
「またお前はそう………別にいいけどさ、今更。何でそう素直じゃないかなぁ」
「言ったってあの子は信じやしないさ。………それでいい、私はずっと、そうして弟子に訓えてきたつもりだ」



 過去を嘆いて、憂に足を捕られるぐらいなら、血を流してでも前に出ろ。
 お前を慕う者は、お前のそんな姿を喜びはしない。
 ただその濁りない眼で、先だけを見つめていればいい…………
 光に向かって歩けば、影はけして映らないから。



「………天邪鬼な師匠を持つと、弟子が大変だな。ま、オレはお前のそういうとこが結構好きだけどさ」
「そりゃどうも。………世辞でもありがたく受け取っておこう。それで?どうする、もう帰るか?」
「んー………ああ、そうす……………っと」
 雲中子のそっけない問いにおざなりに応えて、道徳は寝台から起き上がろうと傍らに手をついた。
 しかし、それがいきなり横から伸びてきた手に遮られる。
「雲中子?」
「つれない奴だなぁ、道徳。………こういう時は、もう少し色よい返事が欲しいものだが」
 ぱちくりと眼をしばたかせる道徳に、雲中子は意図を持ってにっこり笑いかける。
 そこで、道徳はようやく彼が何を言わんとしているかを察した。
 つまり、
「………って、何考えてるんだお前っ!昨日……というかさっき終わったばっかりじゃないかっ!」
「無邪気に私を誘ったお前が悪いんだよ。別に平気だろう?私よりずっと若いんだから」
「年寄りはもう少し大人しいもんだぞ……第一誰が誘ったりなんか………」
 もそもそと口篭もりつつ、がっくりと肩をついて息を吐く道徳が、それでも本気で拒絶する気がないのを見とめて、
「まったく、お前も素直じゃないよね………」
 くっくっと喉で笑いながら、彼の顎を持ち上げる。そのまま静かにそれを重ねた。
「ん…………」
 くぐもった呻きが、相手の喉からもれる。雲中子はその甘く擦れた声を聞きながら、ふっと思慮深げに眼を細めた。


 ………見返りを求めて、誰かを支えるわけじゃない。
 ただ、大切な者がいつも笑顔でいてくれれば、自分はそれで満足だった。
 それでも時折、こうして己の心中に感づいてしまう『大切な者』もいるけれど。



「まあ、そこが可愛いんだけど、ね…………ホントに鈍いのか敏いのかわからないよなぁ…………」
「何………の話だよ、雲中子………っ!」
 緩慢なようでいて、巧みな彼の指の動きに、道徳は早くも息を荒くしながら問うた。
 雲中子は、その悔し紛れの台詞に、んー?と顔をあげると、



「別にぃ………ただ、私を支えてくれる人は、優しいなぁと思ってね」

 

 

 

<END>


tututoさま!リクエストをどうもありがとうございました!
しかし、何かキャラの性格が違う……それに内容も……;;
こ、こんな駄作で申し訳ありません。もっと精進致します(何回目だ!)

 

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