酔零夜~スイレイヤ~



 

 




「なあなあイルカ先生、どうしたんだってばよ」

 机を覗き込みながらそう言われて、イルカはハッと眼の焦点をあわせた。

 夜。職員室で、殆ど日常と化した雑務を処理していた彼は、散漫になっていた注意力を引き戻してナルトの方に向き直る。

彼は一人で家にいるのが嫌だからと、イルカが残業している時でもよくここに遊びにきていた。

 まあ、それが残務処理に支障がないといえば嘘になるが、優しい彼は別段強く言うでもなく、好きにさせておいたのだが………

 今日ばかりは、どうも勝手が違った。

 別にナルトがどうと言うわけではなく、自分の体調がどこかおかしいのだ。

 眼は意味もなく潤みを帯びるし、指先も熱っぽい。

 更には書類を前にしても、言葉を羅列を眼で追っているだけで、それが頭の中にまで入ってはこなかった。

「いや、別にどうもしないけど」

「えー……でもなんかさぁ………」

 にこりと笑って軽くナルトの言葉を返すが、あまり釈然としない顔つきで彼は言い淀む。

 余程イルカのことが心配らしい。

 教え子に気を揉ませるようなじゃあ教師失格だな、と嘆息して、彼はぽんぽんと傍らの金色の頭を叩くと、

「だーいじょうぶだって。それよりもうこんな時間だ。明日もあの先生にしごかれるんだろ?早めに寝た方がいい」

「え~、まだここにいたいってばよ」

「駄ー目。その代わり明日はラーメンおごってやるから。な」

 可愛くごねる少年に苦笑をもらして、イルカは何とか機嫌を損ねないようにとそんなことを言う。

 案の定、あっさりナルトはそれにのってきた。

「ホント!?約束だぞ!」

「ああ、勿論」

「やったー!イルカ先生大好きだってばよ!」

「はいはい。ったく、現金な奴だなぁ」

 飛びあがってはしゃぐ彼を何とか静めて、ドアの外にまで誘い出してゆく。

「じゃあなー、先生!おやすみー!」

「ああ、気をつけて帰るんだぞ」

 そして、後ろ髪を引かれながらも帰途につくナルトに手を振り、彼は一人職員室の中へと戻った。

 カラカラと、夜の時分には、扉の音が意外に派手に響く。

「ふぅ………」

 騒音の素が居なくなった所為で、余計に室内の静寂が耳についたが、とりあえずイルカは早々に書類を仕上げようとした。これが終わらなければ、また次のが溜まって悪循環になる。

 そう思い、席についたのはよかったのだが、

「…………う~……………」

 目線を下にさげた途端、後頭部に鉛でも押し込まれたような感覚が襲ってきた。

 辛いというか、とにかく気だるい。

 額を抑えてみれば、結構な体温が掌に伝わってくる。

「……風邪ひいた、かな………」

 こんなそぐわない時期に、とは思うが、他に心当たりはなかった。

 人の嫌がる雑務を引き受けては貧乏クジを引く性格のイルカのこと、お世辞にも健康に良い生活を送っているとは言えない。

 とはいえ、そう身体の弱い方でもないのだが。

「…………………」

 再度仕事に取り組もうとして結局断念し、イルカは机の上に突っ伏してしまう。

 そうした途端、猛烈な眠気が襲ってきた。

「そういや最近、ほとんど寝てなかったっけ…………」

 もしかしてそれが原因だろうか。

 というか、その寝てない原因というのがそもそもの…………

「イルカ先生。眠いんですか?」

「ええ、ちょっと………………………」

 …………………………………

 まったく自然にかけられた『原因』である声に、イルカも条件反射で返事をして、

 次の瞬間には飛び起きていた。

「カ………カカシ先生っ!?」

「ええ、こんばんは。窓からお邪魔しました」

「窓から……って………」

 まあ今更驚きはしないが、とイルカは熱い頭を抑え、改めて夜中の来訪者に向き直る。

 非常識とゴーイングマイウェイの見本のような上忍、カカシ。

 人目をはばからないわ、人の意見を蟻の涙ほども聞かないわ、加えて道徳心も欠如しているという、なかなかに三重苦な情人……らしい、彼が言うところによれば。

 最初は、何が悲しくて男なんかと……とひたすら自分の薄幸さを嘆いたが、今は既に諦めの境地にいる。

 騒いでも拒んでも無駄なら、他に手の打ちようがない。

「………で、わざわざ鍵かかってる窓からお入りになって、何の御用です?」

「はは、俺の影響か嫌味がお上手になりましたねぇ。で、飲みに行きませんか?」

 いつもながら唐突な話題の転換である。

 第一、まがりなりにも恋人だとか嘯くのなら、自分の不調にぐらい気づいたほしいものだ。が、それを自分から言い出せぬのがイルカという人間である。

 持ち前の愛想良さと自棄も手伝ってか、彼はふらつかないよう机を立って、

「………おごってくださいます?」

「勿論」

「……なら、お供させていただきますよ……」

 何分体調の思わしくない今、下手に拒んで強行手段に出られるよりは、自分から認めたほうがラクである。

 無論、余儀ないといえばその通りなこの選択を、後々悔やむことになるのだが。

 

 

 

 

 



「ほらほら、もっと飲みましょうよ、イルカ先生」

「い、いえ………も、結構です………」

 遠慮も何もなく突きつけられる熱燗を、ひきつった顔でかわしつつ、イルカは何とか浮ついた声を振り絞った。

 近くの大衆食堂に連れ来られて、既に一刻。はっきり言って肴よりも多く酒を口にしている気がする。

 もうおそらく立ちあがれないだろうほどに、ぐるぐると頭の中が渦を巻いていた。

 とにかく気持ち悪い。この上なく気持ち悪い。

 ただでさえ、この人との酒遊は吐き気を伴うほど激しいのに、今は厄介にも熱まであるのだ。

 これで体調を崩すな、という方が土台無理な話である。

 きっと酷い顔になってるんだろうなぁ、と自己嫌悪に陥りながらも、ここが個室だったことに改めて感謝して、

「すい、ません………ちょっと今日はもう………」

 帰らせてください。

 そう呂律の回らない口調で呟いて、イルカは何とか立ちあがろうとした。こんな化け物と付き合って飲んでいたら、洒落にならない症状が襲ってきそうだ。

 が、

「う、わ………っ!」

「おっと」

 膝を立てた途端、視界がぐらりと反転し、前に思いきりつんのめる。

 そのままいけば、派手に卓袱台に激突するところだったが、間一髪でカカシが彼の身体を横にずらして受け止めていた。

「んー、大胆ですねイルカ先生」

「は……?……あ、れ………?」

 暫し意識が飛んでいたイルカは、状況が把握できずに、カカシの腕の中できょときょとと辺りを見まわす。

 何だか堅いモノを下に敷いている。

 しかも、自分が掴んでいるこれは、腕………

 ………………腕?

「うわぁっ!」

 恐れ多くも上忍を下敷きにしていたのだと認識した瞬間、イルカは弾かれたように彼から身を引こうとした。

 しかし、こんな美味しい状態をそう簡単に手放すほど、カカシという男は親切でも紳士でも、もひとつおまけに我慢強くもない。

 自分の腕から離れたイルカの手を掴み寄せ、ちょうど彼の顔が胸に来るような位置合いで、思う様きつく抱き締める。

「ちょ………!」

「まぁまぁ、折角あんたの方から抱きついてきてくれたんですから、もーちょっと」

「な、なにがもうちょっとですかっ!………苦しいんですから、やめてください!」

「騒ぐとお店の人が不審がりますよ」

「っ!」

 何より効果的なその脅しに、じたばたと足掻いていたイルカの手足がぴたりと止まる。

 こんな格好を見られようもんなら、真剣に明日から往来を歩けない。

「……~~卑怯者……っ……!」

「ええ、俺はヤな奴なんですよ」

 実に愉しそうに笑いつつ、カカシはおもむろにパチン、とイルカの髪止めを取り去る。

 さらりと耳に涼しい音をたて、彼の黒髪が頬や額に滑り落ちた。

「な………」

「キレイな髪。俺黒髪って大好きなんですよねー、艶があって、どうも扇情的だ」

「っ………!んな不埒な考えするのはあんたぐらいです!」

「そうですか?………少なくないとは思うんですがねー。イルカ先生、黒髪の女は嫌い?」

「は………?」

 いきなり何を聞いてくるんだ、この人は。

 第一、発熱と乱酒のせいで、喋るのさえも辛いというのに。

(………いい加減、気づいてくれたっていいもんだろうが………っ)

「べ、別に………考えたこともありませんよ、そんなこと……」

「はは、あなたらしい。でも女抱いた経験もない、って事はないでしょ?」

 その直球な揶揄に、イルカ心底開いた口が塞がらなかった。この上忍の唇には、羞恥心とかいう慎ましい感情が備わってないのだろうか。

 第一、普段でさえ苦手とする話題だ。

「頼みますから、もう少しまともな会話してくださいよ………」

「え?俺真面目ですけど」

「論点が違いますっ!」

 真面目にンなことを聞かれても、余計恥ずかしいだけである。

 いい加減耐え難い頭痛が鐘を打ち始めたので、イルカはカカシの胸元から何とか身体を逃がそうともがいてみた。

 勿論、文字通り徒労にすぎなかったが。

「………堪忍してくださいよ………帰りたいって言ってるでしょう?」

「それを俺が聞き入れたことありましたっけ?」

「いや、皆無ですけど……でも、今日は本当に………」

「?………イルカ先生?」

 熱っぽく揺らいだ声が不意に途切れ、とん、とイルカはカカシの首元に凭れかかってしまった。

 上体すら、満足に立ち上げていることが出来ない。

(これは、本当にやばいか………)

 ここまで悪化するんだったら、飲みになんて付き合うんじゃなかったとイルカが今更の後悔をしたときだ。

 ひょい、と彼のからに腕が指し込まれ、身体をすんなりと持ち上げられる。

「カ………カカシ先生?」

「足腰立たなくなるまで酔うなんて、付き合いがいいですね~。ま、こんなところであなたを困らせるのも忍びないですから、勘弁してあげますよ」

 やっぱり勘違いしたままな事を言い終えると、イルカを肩で支えたまま襖を開き、女中に勘定を支払うと、早々にカカシは出口へと向かい出した。

 どう言う風の吹きまわしか気紛れか、自分の言うことを素直に聞き入れてくれたようだ。

(………珍しいコトがあるもんだな、ホント)

 ぼんやりとした思考でそんなことを思い、イルカは大人しくカカシの肩を借りて夜道を歩き出す。

 この時点で既に警戒心がなくなってるあたり、やはりお人よしな中忍らしいというか………

 ………とにかく、不憫な人である。

 

 

 

 

 

 





「ホラ、つきましたよ」

 月の美しさとか夜の風流とかを味わう余裕もなく、ただ導かれるままに足を進め、気づいたら目の前に玄関が佇んでいた。

 既に意識は朦朧状態で、膝を立てていることさえも危うい。

 汗は酷いし眼はぼやけるし、頭痛は増すばかりでもうサイアクだった。

「す、すみません…………」

 どうにか謝罪の意を述べ、イルカは何気なくガラガラと玄関の扉を右に引く。

 ……………って、

「こ、ここカカシ先生の家じゃないですか!?」

 自分の家は開く扉だと遅まきながら認識し、動かないはずの身体をざざっと後ろに引いた。

 自慢じゃない、というかできるなら消したいほどの過失だが、この家には全然まったくいい思い出がない。

 寝室はいうまでもなく、湯殿でも居間でも台所でも………って、そんなことはどうでもいい!

「そりゃあそうですよ。俺の家のほうが近いですし」

「あ、ああ、そうですよね。じゃあ俺は失敬して………」

 後は勝手にお好きなことを、と右回れをしたところで、がしりと襟首を掴まれて、

「ダメですって。そんなふらふらしてたら、タチの悪い梟につつかれますよ」

 思いきり無茶苦茶な台詞を耳に吹き込まれた。

 だが、いかんせんイルカの顔色を後退させたのは、その内容より語調である。

 何だか妙な雰囲気が籠められていたような……とにかく甚だしい悪寒がした。

「いえ、あの本当に………」

「ダメっつったらダメです。聞き分けがないなら、余計酷くしますよ?」

「だっ………!」

 やっぱり。

 家に入れっていうのは、そういうコトか?

「あ、あのカカシ先生………」

「ハイハイ、とりあえず入ってください。でなくても、アンタもう動けないでしょう?」

「っ………」

 確かに彼の指摘通り、関節はがくがくして背筋は震え、お世辞にも大丈夫とは返せない。

 半ば引きずられるようにして、居間に連れ込まれる。

 ものすごく嫌な傾向だが、既に覚えてしまった。その奥は……寝室だ。

 冗談にはほど遠く、眼が更に霞んでくる。

 無論、カカシがそのイルカの悲痛な顔つきに気づいていないはずはなかったが、合えて知らぬ振りをした。

 そうして、ほとんど半担ぎにしていた彼の身体を、奥の寝台の上に横たわらせて、

「さ。イルカ先生。覚悟はいいですか?」

「いいわけないでしょう!……第一、飯屋で勘弁してやるって言ってたじゃないですか………」

「ん?ああ、あれはただ単にその場を許してあげる、って意味ですよ。こんなイイ状況見逃すなんてとんでもない」

 わざとらしく舌鼓を打ちながら、カカシは性急にイルカの服に手をかけてくる。

 本気で血の気が引いた。発熱しているところへ、しこたま酒を飲まされ、そのまま夜を過ごす………なんてことになったら、間違いなく身体が壊れる。

「ま、待ってくださいってカカシ先生……!お、俺はその風邪………!」

「………ひいてるんでしょ?一目瞭然ですよ、そんなの」

「…………は?」

 あっさりと切り札の言葉の続きを言われ、イルカは今度こそ絶句した。

 ということは、何か。

 自分が辛い思いをしているのを承知していて、この上更に辛いことを強いるっていうのか?

「………あ、あんたは………っ!」

「んー、ヤな奴ですねぇ。だからわかってますって」

「わかってんなら直す努力ぐらいしたらどうですっ!!」

「でも困ったことに、こういう自分が俺は好きなんですよ」

 イルカの正論を無視して、恐ろしく手前勝手なことを囁くカカシに、それ以上口の挟みようがあるワケもない。

 半ば、というか完全に呆れ果てて力尽きたイルカの首に、当然のように唇が這わされる。

 元々熱で過敏になっていた所為か、やけに巧みな舌の感覚を生々しく感じて、

「………俺、あんたのこと大っ嫌いです…………」

「そうですか?俺は大好きですよ、あんたのそういうトコ」

 高熱に喘ぐ喉では息を紡ぐことすら難しく、忙しない呼気を繰り返す彼を、それでもカカシは気にした風なく行為を続けた。

「…………っ…………!」

 手加減など微塵もない激痛が、内に潜り込んでくる。

 幾度体験させられても到底慣れない苦痛に、イルカの顔が強く歪んだ。

「ああ、息吐いて………って、ムリですか?」

「わ……かってんなら、聞く、な……っ!」

 畜生。

 何だって俺ばっかりこんなメに。

 大体、俺なんかで遊ばなくたって、相手ぐらいごまんといるんじゃないのか。

「………っ、痛………く………」

「んー、相変わらずキツイな。……いい加減慣れてくれませんか?」

「………ふ、ざけっ………いっぺん、あんたがやってみろ…っ……」

 苛立ちの所為か、段々口走る雑言が過激になってくる。

 ああ、もうどうだっていい。

 早くこの苦行から解放してほしい。

「いい加減、離してください……っ!俺、熱があるって言ってるでしょう!」

「だからわかってますってば。………そうですね。あともう二、三回ほどしたら、やめてあげてもいいですよ」

「…………!」

 本当にサイアクだ、こいつ。

 絶対楽しんでるに違いない。

 イルカは怒りと絶望と、その他の激情で頭の中がぐちゃぐちゃになっていたが、それでもカカシ以外に縋りつくものがなかった。

「…………、」

 口ではひっきりなしに悪態をつきつつも、自分の首にまわされてきた腕に、カカシは汗に濡れた眼を少し見開き、すぐにそれをふっと崩した。

 おそらく九割方夢現つの状態なんだろう。

 でなければ、彼が進んで自分に頼ってくることなど、まずありえない。

「………まあ、俺はそこが一番気に入ってるんですけどね………」

 何だかんだ言って、結局性格がイイのだ、この人は。

 表裏がないから、腹を割って己を曝け出すことが出来る。

 きっと自分の全てを知ったとしても、彼の態度は少しも変わることなどないんだろう。

「……………ホントに、ねぇ………」

 くすくすと口中で笑いをこぼすカカシを、イルカは急き込みながら訝しそうに見やって、

「何………が、おかしいんですか………?」

 擦れた声音で、そんなことを聞かれた。

 いつでもまっすぐでキレイな黒曜の眼。

 最初にひかれたのも、確かこの光だったと他人事みたく思い起こしつつ、

「……いえ………俺の大好きな人は、優しいなぁと思いましてね」



 だから、ついつい苛めてしまうんですよ。

 俺ってホントにヤな奴だけど………それでも、あんたは俺を嫌わないでしょうから。                                                

 

 

 

 

END


飲み屋で酔いつぶれたイルカ先生を自宅に連れ込むカカシ先生…というリクをいただいたのですが、
こ、こんなもので内容を満たしていますでしょうか?
どうも夜白には甘甘の類いは書けないようです……もちょっと幅広げろよ、私(TT)

 

 

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