黎明の策略(後編)



「ほう……いい格好だな、道徳」
 お約束というべきか何と言うべきか……尖岩の上から優雅に降り立ったのは、天化より会いたくなかった人物だった。
 言わずと知れた玉鼎真人だ。
「やっぱりか……じゃあないっ!どこからふって湧いたんだ、お前はっ!」
 いや、黄巾力士からなのはわかってるが……なんだって、毎回毎回こう都合よく……
 などと無警戒にも呆れた気分は、玉鼎真人の瞳を見た瞬間に跡形もなく吹っ飛んだ。
「ひっ……」
 冴え冴えとした黒曜の明眸。その美しさはなんら変わりない。
 ………だが道徳にすらわかるほど、その内に秘められた激情は凄まじいものだった。
 その理由なんて、道徳には知る由もないが、それでも自分が何をされるかぐらいは、わからされた彼である。加えて今は満足に身体も動かせない。
 できることなら、夢の世界へと旅立ちたかった。
「……道徳。今私は怒っている」
「あ、ああ……なんとなくわかる……で、でも俺は何も……」
「黙れ」
 ビュッと斬仙剣で虚空を裂く音がしたと思った瞬間、眼前にあった大木が横薙ぎに崩れ落ちた。
 ズズ…ン、と地の響く音を肌で感じ取り、次は自分かと真剣に思ったほどである。
「まったく、癒えきっていない身体を酷使して……少しは考えて行動しないか」
 とりあえず原因が自分であることは都合よく忘れて、玉鼎はがちがちに固まった道徳の身体を抱き起こす。
 口調とは裏腹に、彼の腕は思いの外優しい。
 などと道徳が甘いことを思ったときだ。
「お前の無防備さにはほとほと呆れた。これ以上私の機嫌を損ねないよう、おとなしくしていろ」
「え……ちょっ!」
 押し殺した声色が耳に届くなり、弛緩した四肢を仰向けにされる。そのときに水滴が目に入り、道徳は反射的に睫毛をしばたかせた。
 そして視界に融通がきくようになったところで、いつのまにかいつぞやと同じ体勢になっている。
 そしてそんな体勢ですることと言えばひとつしかない。
「ぎょっ……玉鼎……ま、まさかこんなところで……」
「そのまさかだ。お前にはいい教訓だろう」
「いやだから何のことを……!」
「問答無用」
「わーっ!!」
「コーチ!」
 今しも切れかけた玉鼎にいただかれそうになったとき、ようやっと奥の茂みから天化が顔を出した。
 そのタイミングが良いのか悪いのか、もはや道徳にはわからない。
「て、天化……」
 助けてくれと叫べないのが、かなり微妙なところだ。
「玉鼎真人サマ……なんでここにいるさ? ……ていうか何してるさ?」
「通りかかっただけだ……それより君はなぜ仙人界に?」
 いけしゃあしゃあと道徳を抑えつけながら、玉鼎は静かに語る。道徳はともかく、この妙に間の鋭い弟子に疑念を抱かせてはまずい。
 ……つまり、二人が寝台でもみ合っていた時の事など、当然糾弾できるはずがなかった。
「別に……それよりコーチ。賭けは俺っちの勝ちさね」
 いきなり矛先を変えられて、道徳は玉鼎の腕の中で大げさなぐらい跳ね上がった。
「なっ何がっ!卑怯だぞ、天化っ!」
「卑怯?」
「そうだ!一体この腕輪に何を仕込んだんだっ!」
「ん〜何のことさ、コーチ。それは俺っちの修行用道具だって言ったさ?」
「嘘言うな!現に身体……が……」
 威勢の良かった声の語尾が情けなく伸びる。喉にまで脱力感が襲ってきたようだ。
「あ〜あ。もうコーチへろへろさね〜。こりゃ早いとこ洞府に帰って寝かさなきゃ」
「だ、誰が……早くこれ外せ……」
「あ〜、そりゃ無理さ。俺っちには外せない」
「な、何〜っ!」
「だ〜いじょうぶ。心配しなくてもちゃんと看病してあげるさ。……玉鼎真人サマの分も」
「!!!」
 道徳は赤くなって青くなる。
 ……確かに、今の彼らの体勢を見れば、二人がどういう関係なのかぐらいすぐに見当がつくだろう。
 そう、顔に出さないまでも、天化はかなり怒っていた。
 しかしそれは玉鼎も同じことで、
「まあ、そう心配するな道徳。お前は私が看病してやる」
「え……」
 さらに道徳の表情は強張った。どちらがマシか。どっちも嫌に決まってる!
「いや、あの……」
「ちょっと待つさ。勝手に俺っちのコーチに手を出さないでほしいさ。それに今は……コーチの言い出した賭けの最中さ?」
「賭けなんぞ私の知ったことか。……ともかく、私の道徳に触れることを許すわけにはいかんな」
「……ふぅん、挑発してるさ?」
「だったらどうする?」
「………」
「………」
 無言のときが流れる。
 とてつもない険悪なムードの中で、道徳は一人失神しそうなほどの混乱に極みに立たされていた。
 弟子に玉鼎との関係を知られ、玉鼎にもまた弟子との関係を知られ……それだけでも充分に最悪なのに、今頭上で自分の身柄引き渡しのやり取りが行われている。
 しかしどっちに采配が転ぼうと、結局自分がイタイ目にあわなきゃならないことには変わりはなくて……。
「ぅー……」
 本当に泣きたくなったそのときだ。





「やぁ」
 どことなく間延びした挨拶が、ぎすぎすした修羅場に思いきり水をさした。
 優しげな瞳に光の輪、おおらかな性格と喋り方をする……そんな仙人は一人しかいない。
「普賢真人……?なぜここに……」
 さすがに驚きをいなめなかったのか、玉鼎はわずかに目を見開いてそちらを見やる。
「ちょっと通りかかってね」
「ちょっとって……ここ、幽仙山の辺境さ……」
 そんな天化の的確なツッコミにも構わず、普賢はスタスタと道徳に歩み寄り、
「辛そうだね、道徳……酷い汗」
 ヒューヒューと細い息を吐いて、眦に涙を溜めている道徳の頬に、普賢はその白い手を添えた。
「普……賢……た、助……」
「わかってるよ。もう喉を震わすのも辛いでしょう?……僕が看病してあげるよ」
「ちょっちょっと普賢真人サマっ!!」
 普賢の穏やかな横やりに、慌てて天化は食ってかかるが、
「黙って、天化君」
 その一言で沈黙させられた。
 触らぬ神に祟りなし。そのことわざを地で行く仙人の代表が普賢真人である。
 顔だけでも笑っているうちに、大人しく引き下がった方がよい。
 が、天化はどこかすっきりしないような顔をしていた。
 ……約束が違う。そうとでも語っているかのような。
「……成程。だがまあ、普賢ならば仕方がない。しっかり看病してやってくれ」
「ありがとう、玉鼎。僕の黄巾力士が近場においてあるから、そこまで彼を運んでくれる?」




 そうしてまもなく、普賢真人と道徳を乗せた黄巾力士は青空へと飛立っていった。




 思わぬ台風の襲来を、不本意な眼差しで見送った二人は、
「あ〜あ……ヒドいさ、普賢真人サマ」
「……何がだ」
「とぼけなくていいさ、アンタだって薄々わかったんだろ? ……あの腕輪、っつーか宝貝を俺っちにくれたの、普賢真人サマだって」
「さすがに、あそこまで都合よく現れればな……」
 顎に中指をあてながら、やはりか、と納得する玉鼎を、天化は横目で確認しながら、
「……コーチんとこに帰る前に、偶然……かどうか怪しいけど、普賢真人サマに会って……」


『これ、面白い宝貝でしょう? 僕が造ったんだ……よかったら君に貸すよ? 使い道は色々とあるでしょう……道徳になんか試したらいいんじゃないかな……』


「……それを、普賢が?」
「そっ。まぁ、あの人が何知ってたって驚かないけどさ〜……結局はコレを狙ってたわけさね」
「君を使って動けなくなった道徳を楽に横取りか……あいつの考えそうなことだ。体よくかつがされたな」
「まったく悔しいさ。まあ、それでもあの人に逆らうほど、俺っち馬鹿じゃないさ……それより」
 頭の後ろで手を組みながら、天化はくるっと片足で玉鼎を振り返る。
「ホントになんで、ここにコーチがいるとわかったさ?」
「通りがかりだ、と言ったろう?」
「そんな理由で納得できるわけないさ。それに……コーチに一体どんなことしたさ?あんなに必死で素肌を隠すなんて……見られちゃいけない印でも残ってたり……?」
「……聞きたいのか?まあいい、私も君に尋ねたいことは山ほどある……」
 とりあえず、今日のことは忘れて色々と語り合おうか。どうせ、普賢はしばらく道徳を返そうとはしないだろう。
 ……彼にしてやられたことは癪だが、なに帰ってきたらまた泣かせてやればいいだけのことだ……。




 


「……すま、ん、助か……た、普賢……」
 そんな外道の策略の所為とは露知らず、道徳は素直にたどたどしい礼を述べていた。
 もう、身体にほんの少しの負担がかかることさえ、億劫なようだ。
「いいよ、そんなこと……それより本当に辛そうだね……外してあげるよ」
「え?でもこれ、天化は……」
「そう。天化君には外せないよ。……造主だけが、外せるような仕組みに作ったから」
「ふぅん…………………って………」
 道徳は一瞬同意しかけて、そしてそのまま固まった。
「普……賢……あの、今なんて……」
 カクカクと上擦った問いに、普賢は天使顔負けの微笑を浮かべ、
「よくできてるでしょう。この宝貝はね、身につけた宿主の気を吸って重くなり続けるんだ。身体からどんどん生気が抜けていくように感じたでしょ?筋肉を動かす源がなくなっちゃうんだから、当たり前だけどね」
 嬉しそうに淡々と言葉をつなぐ普賢を、道徳は半ば放心しながら凝視していた。
 天化の持っていた宝貝は、実は普賢の作ったもの。
 それで自分は自由を奪われて……今、普賢からは逃げられない。
 で、わざわざこんな状態の自分を捕まえたということは……つまり……
「………あの……さ、普賢……」
 真っ青になった道徳の唇を、細い人差し指が遮る。
「駄目だよ道徳、喋ったら。……いい子にしていてくれれば、そんなに酷いことはしないから。……ちゃんと、完全に良くなるまで面倒みてあげるよ。……寝台の上で、たっぷりとね」
 そう言って綺麗に笑った真人の顔を最後に、道徳の意識はブラックアウトした。





 太乙真人は突然にぽんっと手を叩く。
「あーそうそう、思い出した。確か普賢が熱心に開発してた宝貝に似てるんだよな……なんの用途があるのかは笑ってばかりで教えちゃくれなかったけど。腕や脚につける黒い輪……一度つけると、一週間以上は起き上がることすらできないとかなんとか……」





なんか意図不明な内容……玉鼎サマがやけに子供っぽいですね。
私的に普賢サマは攻めなんですが……一体、この後、なにをされたことやら……(爆)

 

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