迷 闇






 

 


 一度に、大切な人を失った。
 ひとりは偉大で誇り高かった父、そしてもうひとりは……

 

 

 

 

 


「天化君」
 つい、と名を呼ばれて空を仰げば、紫の髪が視界の端によぎる。
 仙界対戦終結から、また幾時と刻まれてはいない、夜半。
 星の瞬きも月の光さえも窺えぬ、ただ昏い夜空の下で。
 ……城から離れた岩場に、彼、黄天化の寂寥とした姿があった。
「………楊ゼンさん」
 僅かに高いその声に、昼間振る舞っていた快活な色は欠片ほどもなく、
 ……明らかに憔悴を重ねた表情。こけた頬は白く、目尻には影が濃い。
「眠らないのかい?明日も早いよ」
「………眠れねーのさ……ここんとこ、毎晩………」
「……そう。奇遇だね」
 呟いて、隣に腰を落としてくる楊ゼンに、天化は微かに眼を見張った。
「…………あんたも?」
「ああ………全然眠れないんだ。帰って、きてから」
 語尾が、少し掠れている。
 昼間激務をこなしながら、睡眠を取らないというのは相当辛いのではないか。
 それを口にしようとして、やめた。
 身体が限界を訴えようと、夢に逃げ込むことの出来ない理由。
 …………そんなこと、自分が一番よくわかっている。

 

 


 大好きだった師。
 自分は何もできなかった。
 最後に簡単な言葉を交わしたのは………本当に遠い昔で。
 ………聞太師を前に散ったと。
 突然に、今目の前にいる人から告げられた。
 涙の前に襲ってきたのは、足元が崩れ落ちてゆくような、底のない感覚。
 まだ、あなたにはなにひとつ伝えていなかったのに。
 どれほど悔やもうと、もう二度とあの人の笑顔を見ることはできない。
 見守ることも。
 庇うことも。
 泣き叫ぶことも。
 最後、に。
 そう………自分は何も出来なかったのだ。

 

 



「………コーチ………」
 知らず隣の男の口をついて出た呼び名に、楊ゼンは僅かな反応を見せる。
 彼もまた、天化のそんな様子から、師、を思い起こしていた。
 眠ることができない。
 眼を瞑れば、あの紅い霧のなかで垣間見た、凄惨な光景が脳裏に浮かぶ。
 はがれてゆく美しい黒髪。
 滑らかな白い肌には、暗い傷が痛々しいほどに穿たれて。
 ………お願いだから。
 自分を置いていってくれ、と本気でそう願った。
 動こうとしない身体が酷く邪魔で、ほとんど叫ぶようにして師に縋って。
 …………それでも、
 魂魄が解かれる瞬間。
 それでも、あの人は笑った。
 いつものように、とても綺麗に。
 あんな美しい人を、自分は他に知らない。
 意識が戻った後、いっそこの不甲斐ない身を壊してしまいたいと思った。
 師を殺した自分。
 何もしていても、その気が狂いそうなほどの辛い事実が、頭にこびりついて離れない。
 そう。執務にでも没頭して、少しでも崩れかけた胸中を紛らわさなければ………
 ………多分本当に、自分で自分でを殺してしまうだろう。
 今だって、その衝動を必死に押し止めて……それで、彼の後ろ姿を見つけたのだから。
 楊ゼンはふっと自虐的に笑んで、髪をかきあげながら、
「………ねえ、天化君」
「……何さ?」
「君は、死にたいと思ったかい?」
 その唐突な暗い問いかけに、しかし天化は少しも変わらない………虚ろな瞳のままで、
「思わねー………筈がねぇさ………」
 そんな正直な……そして哀しい返答を返した。
「そう………そうだよね」
 思わない、筈がない。
 だってあの人は、もうここにはいない。
 例えようもない喪失感に脆弱な心が押し潰されそうになる。
 枯れるまで涙を流して、それで全てを忘れ去ることが出来たらいいのに。
 ………師に、救ってもらった命。
 封神計画の為に……必要とされている自分。
 それだけが、己を生に繋ぎとめている足枷。
「…………なんで死んじまったんだよ、コーチ………」
 呻くように言って、天化は両の掌で目頭を押さえる。
 ……同じ場所しか巡らない、思い。
 途中で何を拾おうとも……行き着くのは師に対する悔恨と悲痛。
 それを実感する度、また涙が溢れ出す。
 世の為と割り切れるほど淡い想いならいい。
 仕方がなかったのだと諦めれるほど、あの人達の存在は軽くなかった。
 ずっと共に過ごしたときを……どうして忘却の彼方に捨て去ることが出来るだろう。
「………あのときね、本当に自分が嫌になったよ」
「楊ゼンさん………?」
「強くなったと思ってたんだ。……味方を守れる力くらいならあると……そう自惚れてた」
 楊ゼンは詰めた息をくっと吐き出す。
「馬鹿みたいだよね………何が天才だ………一番大切な人を、この手で死に追いやっておいて……!」
「楊ゼンさん!」
 握り締めた彼の両手の甲から、じわりと血が滲み出したのを見て、天化は焦ってそれを遮った。
 その際に、透いた紫髪がぱらりと夜に舞う。
 そして細やかに散ったそれの下から零れ落ちた、透明な雫。
「………楊………!」
 天化はハッと手を止めた。
 ただの一度として見たことのない、常に冷静を保っていた彼の………泣く、姿。
 哀しいほどに……それは綺麗で………
 …………胸の罪の傷が、疼く………
「…………」
 天化は眼を伏せて、スッと己の腕をひいた。
 そのまま、光のない天を仰ぐようにして、芝草の上に転がる。
 碧の瞳に映るのは、どこまでも先のない闇ばかりで、
「…………なぁ楊ゼンさん。ひとつ聞いていいか?」
 今一度、天化は呟く。
「……何だい?」
「あのさ……どういう形であれ、この戦いが終わったら……」
 終幕を、迎えたら………
「あんたはそれから……どうする……?」
「…………どう、か」
 その静かな問いに投げ遣りに笑って、楊ゼンはばさりと髪を払った。
 先程の一瞬は幻だったのか………何の感慨も浮かばない顔が目の前にある。
 楊ゼンも、そのまま彼方の夜を覇気ない瞳で見やって、
「多分、君と同じことを考えているよ………」
 そうとだけ、返した。それで充分だった。
 そんな彼の様子を、天化は薄くした眼で一瞥しながら、
「…………そっか………」

 

 

 

 

 



 果てない大陸を覆い尽くす、夜より深い闇の色。
 月の導きさえ拒んだ地のどこか遠くで、哀しげな胡鳥の啼き声が聞こえる。
 血なまぐさい戦場の追憶など、とうに潰えた風説のよう。
 だが、いつまでも痛みは残る。
 癒えることのない傷痕は、今でも鮮やかな血の色に染まったまま。
 この空洞の塞がる時が……いつか、やってくるのだろうか………


 

 

 

 

 


……は、はは……もはや言い訳なんてできない内容ですね……
うう、こんなひたすら重苦しい駄作を、最後まで読んでくださってありがとうございます。
でもやっぱり二人ってこうして悩んだと思うんです……
……って、い、いかん。あとがきまでが暗く(汗)
ええと、次回はもうちょっと明るいものをアップしたいと思いますっ。
 

 

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