ある夏の日に……
某月某日。
王都朝歌は異例な炎暑に見舞われていた。
「あっづ〜………」
書簡や書状で山積みになった執務室から、そんな情けない声が聞こえてくる。
声の主は武成王黄飛虎。
類い稀なる武力と知性と容姿を兼ね備えた、殷の重役である。
しかし今はそんな屈強な精神さえも、燦々と照りつける太陽に溶解寸前であった。
暑い。とにかく異常に暑い。
ここまで暑いと、政務に向かおうとしたところで、往々にして弊害が起きてくる。
大事な書簡に汗は落ちるし、筆は滑って持てないし、何より気分がこの上なく憂鬱だ。こんな調子でマトモに頭が働くはずもない。
「………だっつーのに、聞仲ときたらよぉ……」
飛虎はぎぃっと椅子に大きく凭れかかって、両腕を思いきり伸ばす。やってられるか、といった風体だ。気持ちはわかるが。
「この膨大な量の書簡片付けるまで、部屋から出るな、だもんな。あのびらびらした服着てまあ涼しそうな表情で……あいつの神経一体どうなってるんだ?」
大体にして、城中の人間が暑さでくたばっているというのに、自分にだけ働けというのも酷な話だ。
飛虎の古くからの友人であり、殷の柱でもある太師聞仲は、今、隣の部屋で淡々と仕事をこなしている。
物陰に置かれた椅子でへばっていた飛虎を、無理矢理執務室に引っ張り出したのも勿論彼だ。
『武成王たる者、与えられた職務を果たすのは当然だろう』
彼の言い分は何を口挟むことなく正論だ。そのくらい自分にだってわかる。
だが、
「だからってなぁ……理屈と状況が必ずしも一致するわけじゃねぇだろうが……」
はぁぁっと大きく溜息をついて、飛虎は必需の木綿布で額や首を拭く。あまりの熱気に意識まで朦朧としてきた。いい加減限界だ。聞仲に泣きついてでも、休ませてもらおう。
ぼーっとそんなことを考えて、飛虎はよっこらせ、と椅子から立ち上がった。
実際彼の服装も下はともかく、上は薄い肌着一枚だけだ。こんなだらしのない格好を聞仲が見たらまた怒るだろうが、それよりも涼しさを得たいという欲求の方が強かった。
幸いにして、両方の部屋は連結しているので、部下や兵士に姿を見られることはない。
のろのろと足を運びながら、飛虎は扉の方へと向かった。
コンコン。
一方の扉が鳴る。
誰だかは判っていた。その扉から入ってくる人物は一人しかない。
「飛虎、泣き言なら聞かぬぞ」
先手を打ってぴしゃりと釘を刺したせいか、ノックの音が一瞬止まる。やはり弱音を吐きに来たらしい。無駄だというのに。
しばし双方に沈黙が流れ、やがて一呼吸置いておずおずと扉が開かれた。
ガチャッ。
「……何でお前はそう、俺にだけは冷たいんだよ……」
普段の快活な調子はどこへいったのか、ぐったりと脱力しきった声で、飛虎はそんな不満をこぼす。私は内心の変動を押さえ、書簡と向き合ったまま、
「私は誰にでもこうだ」
あっさりと嘘を返した。飛虎に対する接し方が、他と同じである筈がない。それに気づかぬ彼も彼だとは思うが。
「それより泣き言は聞かぬと言ったはずだぞ。少しは書簡を処理できたのだろうな」
「ああホントーに少しはな。だがもう駄目だ、限界。頼むから休ませてくれよ、聞仲〜」
「聞く耳持たんな。……それでも殷都最強の猛者か、お前は」
「それとこれとは話が別だろーが!……第一、一番強ぇのはてめーだ」
「仙道と人間とを一緒に考えてどうする。……脳にまで熱がまわったか?」
論点のずれていく会話に相槌を打ちながら、私はさらさらと筆で文字を連ねて行く。こちらとて、気の遠くなるような量の雑務があるのには変わりない。……とはいえ大事な内容である。だから、任せられる相手が飛虎しかいなかっただけだというのに。
……それを冷たい、などと勘違いされては私の立つ瀬がないではないか。
「んっとに辛辣な奴だな、お前は」
「くだらない事を愚痴っていないで、いい加減部屋に戻……」
呆れた顔つきで振り向き、そう口にしかけて。
眼前に飛虎の顔があることに気づく。
しかも人の上に立つ立場だという自覚があるのか、城内であるまじき格好だ。
……いや、それ以前にこの私の前だという自覚があるのか、この男は。
「飛………」
「本当にお前って全然汗かかないのな………カラダん中、どういう仕組みになってんだ」
人の台詞を遮るように、ぼんやりと上の空で呟いて、飛虎の長い指が額にかかる。
サラリと前髪を梳かれて、私は微かに眉をひそめた。
間近で瞳に映る気怠そうな美貌。
透明な雫の伝う首筋や露な胸元に、思わず理性が吹き飛びかける。が、なんとか耐えた。ここで暴走したら、それこそ今日の政務が滞ってしまう。
「飛虎……怒るぞ」
「なーんでだよ。別に仕事しねぇって言ってるわけじゃねぇだろ。日が沈んだら、徹夜してでも終わらせるからさ……日中は勘弁してくれよ。マジでゆだっちまう……」
「!」
応えない私の髪に顔を埋めながら、飛虎は首に手を回してくる。哀願ついでのじゃれ合い、ぐらいにしか彼は考えていないのだろうが、された方はたまったものではなかった。
体温、というものを忘れかけた己の肌が、微かに暑くなるのを感じた。ここまで無邪気に懐かれて、抑えられる方がおかしいだろう。
「…………」
仕方ない。今日の飛虎の仕事は明日に回そう……悪いのはこの男なのだから。
「な〜聞仲ってばよ〜」
「………それほどまでに嫌か?」
「いや、好き嫌いじゃねぇと思うけど……まあ確かに嫌だな」
「そうか。わかった」
途端にパッと飛虎の身体が離れる。……現金なのもここまではっきりしていると呆れるしかない。
「ホントかっ!嘘じゃねぇよな!……あ〜これでやっと休め……」
甘い。
「……誰も休ませると言っていないぞ、飛虎よ」
「え?……って、わぁぁっ!!」
ごんっ。
後ろ手に飛虎を引き寄せ、息もつかせずに机の上に押し倒す。絶妙なバランスで積んであった書簡が、ばらばらと盛大に床に転がり落ちた。壊れるような代物ではないから、そう気にはならない。
……それよりも、今飛虎の頭の後ろでした鈍い音の方が気になった。少々乱暴すぎたか。
「いってぇぇぇ〜〜……聞仲、お前何すんだよっ!一瞬気が遠くなったぞ!」
後頭部をさすりながら、飛虎は片目を瞑ってぎゃーぎゃーと抗議する。さっきとは打って変わった威勢の良さだ。……そして、私としてもこの位が丁度良かった。
「それはこちらの台詞だ。人がおとなしくしているのを良いことに、べたべたと……その気がないのなら、少しは情人に対する接し方を考えた方が良いぞ」
「何言って……って、わぁっ!どこ触ってんだっ!」
いきなり肌着の中に滑り込んできた手に、飛虎は頓狂な悲鳴をあげる。
「色気のない……普段のような声を出せ」
「そ、そんなもん出せるか!お前信じられねぇ奴だな!こんなところで、誰がするか………っ、ァ!」
カリ、と耳朶を噛まれて飛虎の身体はビクンと跳ね上がった。相変わらずいい感度だ。
「そう、その声だ」
「やめろって……今汗だくで気持ち悪ぃんだから………!」
「そうか?滑りがよくなってこちらはやりやすいのだがな」
「……!!!」
あからさまな言葉に、飛虎は首筋まで真っ赤に染まる。私はその不慣れな様を笑みながら見つめると、彼のベルトを引き抜き、易々と下の外衣を剥ぎ取った。汗にひきつるような布地でないことぐらい、先刻承知している。
飛虎はその性急な行為に驚きをあらわにした。
「や、やめろっ!」
「駄目だ。暑さぐらいで、政務をしたくないなどと駄々をこねた罰だと思え」
「平気なのはてめーだけだろうがっ……!こ、こんな場所で俺は絶対にしたくないぞ!し、しかも……」
「……何だ?」
クス、と笑う私を悔しそうに睨めあげると、飛虎は涙の溜まった瞳をぷいと横に逸らす。
そして消え入りそうな声で、
「……こ、こんな明るい内から……」
「………そういえば初めてだったか?私は記憶にないが」
「嘘つけっ!なに嫌味ったらしく笑ってるんだっ!もうわかった、仕事するから!だから離せっ!」
じたばたと足掻いて、飛虎は浮いた足を床につけようとするが、私は難なくそれを遮った。
「…………?」
飛虎は訝しげな表情を作って、私に視線を合わせる。
「聞仲?俺、仕事するって言ってるんだぜ?」
そんな言葉で許してもらえると思っているところが、何とも飛虎らしくて愉快だった。
私は飛虎の身体を引き寄せて、背筋に指を這わせながら、
「……心意気は見とめてやらんでもないが、いかんせん遅すぎだな。いい加減諦めて、大人しくしていろ」
その台詞に彼の身体が強張る前に、汗でぬめった指を下肢に無理矢理捻じ入れた。
「な……!いっ……!」
驚愕と苦痛の入り混じった声をあげて、飛虎の背が綺麗にしなる。無駄の一切ない身体は滑らかでとても心地よかった。
………幾度抱こうが馴れない身体。一本の指でさえ、彼は辛そうに眉根を寄せる。
「痛ぇって、聞仲……!いきなり何すんだ、てめーはっ……!」
ひきつった喉で、それでも飛虎は罵声を吐き出す。眦からは、不本意そうな涙が今にも零れ落ちそうだった。
「所望通り早く終わらせてやる。だからお前も協力することだな」
「自分勝手ことばっか言ってんじゃね……っ!ァ、っくぅっ……!」
狭い内部でいささか乱暴に指を動かす。飛虎はそれに耐えようと、私の襟元を皺が寄るほどに強く握り締めた。「う、ぅっ……」
「辛いか?」
「当たり前だっ……」
「……このくらいで痛がっていては身が持たんぞ」
笑いながら呟いて、私は飛虎の顎から首筋、胸へと舌を這わせていく。彼がそれに気を取られて抵抗を忘れた隙に、更に指を増やした。
「………っ!!」
いつもよりかなり雑な前戯に、飛虎は声にならないような呻きを上げて喉を反らせる。肩を掴む無骨な手は小刻みに震え、文句を言う余裕すらないようだ。
彼の青い表情を眼に留めると、さすがに少しだけ罪悪感が湧いてきたが、だからといってこちらの情欲が鎮まる訳でもない。彼に耐えてもらうより他なかった。
「飛虎、力を抜け……そんな態度だと辛いだけだ」
「やれる……なら、やっ……て………っ、ぅ……」
と、ついに私の衣服に顔を埋めて泣き出した。余程の苦痛を感じるらしい。まあ、ろくに慣らしてもいないのだから仕様がないが。
私はひとつ息を吐くと、空いた手で飛虎の顎を掴みあげた。
頬を伝う涙を舐め取ると、そのまま唇を滑らせて飛虎のそれに重ねる。
怒りのせいか興奮のせいか、飛虎の口腔は酷く熱かった。
「ん………っ」
苦しげな吐息が合間に漏れる。私は構わずに幾度も彼の唇を貪った。
「熱……も、やめろ……」
「そうか?……ならばしばらく我慢していろ」
「え?……ぁ、痛ぁっ……!」
前置きなしに飛虎の膝を抱えあげて、なお深く数本の指を穿つ。ギチギチと内部がひきつった声をあげた。
「痛ぇ……!痛ぇって聞仲……!も、抜けっ……!」
「ほぅ、もういいのか……馴らさなくて」
「ち、違……無理、今日は絶対無理だ!無茶苦茶痛ぇ……入るわけねぇよ……」
拗ねたような抗議に、私は知らず微かな笑みを浮かべた。可愛い飛虎。どうせ彼とて言ったところで無駄だとはわかっているのだろう。
「……では無理かどうか試してみるか?」
「だからそれが嫌だって……やめろよ、もー……熱くて死にそうだ……」
「……本当に雰囲気というものがお前には欠落しているな。大丈夫、すぐに終わらせてやる」
「聞仲………っ!」
それ以上の異議には耳を貸さず、指をズルリと引き抜く。その感覚に飛虎は無駄口を中断して身体を強張らせた。
「……そう怯えるな。別にとって食おうというわけではない」
「何が違うんだよ、馬鹿野郎……!」
飛虎の追い詰められた瞳が、ぎっとこちらを睨みつける。青い、綺麗な眼だ。
私は飛虎の瞼に軽く口づけると、精一杯強がってはいるが、ぶるぶると震えている彼を強く抱き寄せ、脚の付け根に既に充分猛っている己をあてがう。
「………っ!」
途端、弾かれたように逃げを打つ飛虎をなおも抑えつけて、そのまま強引に腰を進めた。
「やめ……ぅ、ぁぁぁ、ああっ!!」
飛虎の裂くような悲鳴が執務室に響き渡る。
予想していたより遥かに苦しい。……この分では、彼の痛みは相当なものだろう。
そう思いはしつつも襲いくる粗暴な衝動には勝てず、飛虎の抵抗を聞き入れることなく最奥まで己を埋めこんでしまう。
当然飛虎の身体はますます竦み上がり、涙も比例して頬を流れた。
「ぅ、っ……ちくしょー、痛ぇ……バカ聞仲、少しは手加減しやがれ……!」
「……そんな口が叩けるのならば安心だな。動くぞ」
「!え、ちょっと待……!あ、あぁぁっ!」
ぐちゅ、と卑猥な音が鳴る。内を抉るようにして突き動かせば、飛虎の口からは絶え間なく嗚咽が漏れ出た。
……あまり辛い思いをさせると、次に響くか……
そう考えると、私は飛虎の前に手を回した。汗に濡れた手で、激しくそれを扱き始める。
「っ………」
彼の敏感な身体はピクリと反応した。そのまま加減を変えて力を加えてやると、徐々に飛虎の顔から苦悶が消えてゆく。
「ん………っく、ぁ……」
「良くなってきたか?」
「バカ……やろ……も、やめ……熱ぃ……」
快楽と苦痛と熱の狭間で身体と頭が翻弄される。行き過ぎた感覚に、元々薄れていた意識がなお遠退いていくようで、飛虎はもはや悪態をつく元気も残っていなかった。
熱い。もう全てがどうしようもなく熱くて……
「聞仲……頼むから……」
白濁しかけた視界に、それでも鮮やかな美貌を見定め、飛虎は震える腕を伸ばす。
それはすぐに力強く握り返された。
荒く浅く呼吸を繰り返す飛虎に、うっすらと微笑みながら唇を寄せ、
「わかってる。すぐに楽にしてやる……」
飛虎だけに紡ぐ、優しい声色で囁くと、私はゆっくり身体を沈み込ませた。
「………あ〜〜〜サイアク……」
昼間の太陽の猛威が嘘のような、その日の涼夜。
飛虎は額に濡れた布をのせたまま、ぐったりと執務室の寝椅子に突っ伏していた。
怠いし、身体の熱はまだひかないし、節々が痛むしで文字通り踏んだり蹴ったりな体調だ。できることなら、このまま眠りにつきたかった。
しかし、
「飛虎。もう日が落ちて随分と経つぞ。……徹夜してでも、仕事を終えるのではなかったのか」
自分をこんな有様にした張本人が、いけしゃあしゃあとそんなことをのたまってくれる。もちろん先程の机に向かって流暢に筆を走らせながら、
「……お前ホントにどーゆー体力してんだよ……」
あの後、すぐに終わらせるとかほざいておきながら、このバカ太師は延々人で遊んでくれたのだ。激しい熱気の所為で気を失うまで……それこそずっと。
「う……」
つい記憶に新しい情事を思い起こしてしまって、飛虎はまた火照ってきた頬にぴしゃりと布をぶつける。
そんな飛虎の愛態を、聞仲は知らぬ振りで笑いながら、
「何を言う。体力面から言えば、お前の方がずっと上の筈だろう。……気合が足りんだけだ」
「気合云々の問題かっての……お前こそ、どのくらい仕事終えたんだよ」
「残り僅かだ。あと数時間で終わる」
さらっと口にされた言葉に、飛虎はがばっと跳ね起きた。
「嘘だろ、それ全部をか!?」
「お前とは速度も集中力も違うからな」
「ぐ……」
悔しいが反論できない。
……が、このまま言われ放題され放題というのも、武成王たるプライドが許されなかった。……まあ聞太師相手にプライドをつきつけたところでどうなる、という話もないではないが。
ともかく、飛虎は無言で熱冷ましの布を顔面から取り去って、寝椅子からなんとか起き上がる。
「飛虎?」
聞仲は多少の驚きを眼にたたえて、飛虎に向き直った。口では色々と窘めようとも、今日はゆっくり休ませてやろうと思っていたからだ。
しかし飛虎はふらふらと千鳥足で、自分の執務室に向かって歩き出した。
「……飛虎。何を……」
「仕事済ませる。……一度口にしたところだからな。それに俺がやらねぇと、お前が処理しなきゃいけねぇんだろ?」
「飛虎……しかしお前……」
いつも彼は事後に発熱した。そんな身体で徹夜して執務に励め、というほど聞仲とて鬼ではない。
静止の声をかける聞仲に、しかし飛虎は扉をあけながらニッと笑って、
「男に二言はねぇよ。……絶対明日までに終わらせてやるからな」
「飛……」
ぱたん、と部屋をつなぐそれが閉じられた。微かに隣を歩む足音が聞こえてくる。
聞仲はしばらく心配そうな顔つきで佇んでいたが、やがてフッと笑んで再び書簡と向き合い始めた。
飛虎は言ったことは必ずやり遂げる男だ。それ以上の干渉は無用だろう。……そう、無事終えることができたら、極上の美酒でも酌み交わすとしようか。
そんな思いを抱きながら、聞仲は次なる書簡を解いた。
壁一枚を隔てて、殷の未来(さき)を指し示す政が着々と進められてゆく。
激務をこなす二人の重鎮を、柔らかに月の光が照らし出していた。
……そして後日。
約束通りすべての仕事をやり終えた飛虎は、その日から数日間寝込んでしまったとか。
「まああなた……随分と激しいお仕事をなさったんですのね・・・・・・」
「はは……まーな……」
わはは〜ついに書いてしまった聞飛小説。すいません、二人とも性格変わってます。
聞仲と飛虎の日常(?)会話を書いてみたかっただけなんですが……(TT)