(1999年9月朝日新聞地方版に連載)

1 舞妓さんの芸に魅せられ

 始めの頃は料亭へ行きまして「○○様に呼ばれて参りました“太鼓持ちのあらい”でございます」と申し上げましても、「何なの?」と言われましたので、今は資料をお送りしたりホームページも開設しておりますから「お座敷で座持ちを致します男の芸者・幇間(ほうかん)なんです〜」とご説明しなくてもご理解頂けますが、昔は大変でした。

 文化の中心京都の皆様はご存知なのですが、たいがいは「ア〜時代劇や落語に出て来る、“ヨッ!旦那今晩当たりパ〜と綺麗どころ呼んでお賑やかに参りましょうヨ”なんて言いながらヘラヘラしている男か〜」と言われるのは良い方でして、太鼓叩く人だと思われて「響きませんか?」と聞きかれますし、「お餅屋さん」と勘違いされる人も居ます。

 太鼓持ちは戦国大名のお伽衆・話衆から始まり、全国の面白い話を集め「醒睡笑(せいすいしょう)」を書かれた落語家さんと同じ江戸初期の誓願寺法主(ほっす)安楽庵策伝(あんらくあんさくでん)様が開祖でして、正式には、お遊び全ての「間(ま)」を助けてお賑やかに座持ちをする所から、助けると言う意味の「幇(ほう)」の字を当てて正式名称を「幇間(ほうかん)」と申すそうですヨ。

 私は始めて京のお茶屋さんで、蝋燭の揺らぐ明かりの中で見た芸妓・舞妓さんの舞いに見せられたのが病み付きとなり、何度も通いたかったのですが、如何せん由緒正しい貧乏の家系ですから、仕方なくお遊びの資料を漁っている内に「太鼓持ち」の存在を知り、のめり込んだのが私の堕落の始まりなんですハイ。

 その当時すでに太鼓持ちさんは、発祥地の京都・関西にも居られずに東京に15人程居られましたが、今は東京の四人以外では私一人のみの貴重な保護動物?なのです。


2 襖開け一言で笑いを取る

 「太鼓持ち入れてのお座敷遊び」と言っても判らないし必要も無い時代に、一度体験されて「面白い」と感じ、お仲間を説得しお呼びになられる肝っ玉の太い旦那様も、了承されたお仲間も不安でしょうが、私も楽しみ不安なのです。

 特に初めての料亭やお茶屋さんですと、まず玄関先でお勝手口をお聞きして揚げてもらいます、出会った人には全て御挨拶や説明をして、姐さん達の控えの間に入れてもらえれば上出来、そこで皆さんの視線を一身に浴びて色々と聞かれます、綺麗所に囲まれての面接試験?はドキドキもの、品定めが一応終了しますと、そこで着替える事になりますが、姐さん達に困ったお顔をされますと、仕方なく廊下の端での着替えでは今度は仲居さん達に叱られますし、あちこちウロウロして又叱られるのでは、も〜すでに太鼓持ちとしては“ダメ”レッテルを張られたも同じでしょうナ〜。

 やっと着替えてお座敷の襖を開けて御挨拶、芸妓さん達の綺麗所ですとお客様はワ〜と盛り上がりますが、「誰だ?汚い男」て〜チラッと見られてそのままお話を続けられたり一瞬シ〜ンとまるで氷が張った様に冷たく静まりかえった雰囲気を最初の一言で笑顔に変え、明るい雰囲気に出来なければ、第二次面接試験?も落第てな事になっっちゃいます、これでやっとお座敷の入口に到達しました、サ〜これからがやっと本番です。

 京都ですと皆様お遊び上手ですから逆に田舎者の私の方が恐いのですが、初めてのお客様ですと、ご宴会の歴史・文化・心得・何故艶話するの? などのお話を聞いて頂いてからご宴会を体験して頂く方が盛り上がりますので、提案も致しますし基本を知りたいと望まれるお客様も今は多く好評なのも事実です。


3 打々発止辛い修羅場勤め

 京都には、廓(くるわ)の原形「島原」やお茶屋さんの祇園甲部・祇園東・先斗町・宮川・上七軒の五花街がございます日本文化の中心地なので、社交遊宴を嗜む文化著名人も多く粋人がお集りでお遊び上手でして、とても田舎の太鼓持ちでは太刀打ち出来ませんが、それでも「頑張りはっておられるンやから遊んであげまひょ〜」とおしゃって呼んで頂き、その上ご紹介までして下さるので、有り難いと思っております。

 今は、お茶屋さんで芸妓・舞妓・太鼓持ち入れての豪華なものから、ご婦人だけのお集りには、皆様それぞれにお料理一品づつ持ち寄ってお家で太鼓持ち入れてのご宴会や、お着物を着て散策してから料亭で「お話+ご宴会」を楽しむお得意さまご接待や、勉強と親睦を図る会等で「太鼓持ちの講演+ご宴会」を催し、私を上手に使われておられます。

 私の一番良くご贔屓頂ける粋な旦那様のお座敷では「芸はするなと」言われお話だけでお座敷を何時間も勤めますが、実はこれが太鼓持ちにとっては一番辛いお仕事なんです。

 芸は自分の持ちネタですから、知っている物をするだけなのでお休みと同じ事なのですが、知識の豊富な旦那様のお話は幅広くて奥が深く間接的に比喩されておりますから、も〜附いて行くのが大変、太鼓持ちの世界ではこれを打々発止の「修羅場」と申しまして、芸なんか出来なくても良い「修羅場」が上手に勤められれば一人前と言われております。

 今では京都にも「おおきに財団」を作くらはって少なくなって来た芸妓・舞妓さんをご支援されておられますが、昔はお座敷に芸妓さんを畳が見えない程詰め込んだ中をかき分けて、驚きながら挨拶に来る私を見て楽しむ旦那様も居られましたナ〜。


4 時には主客転倒だんな役

 お座敷の中では太鼓持ちは正座が基本です、お仕事ですからお座布団は当てません、足の痺れ具合で時間が判ります、普通は2時間程が一単位なのでご延長が無いと「無罪幇間?」で解放されますが、いつもご贔屓になっている料亭さんですと女将さんのお部屋なんぞでチョイと腹ごしらえのご準備がされておりまして、女将さんとお話しながら頂きますのも楽しみの一つでございます。

 そんな所を旦那様に見つかりますとも〜羨ましがられて大変です、「オレも女将と茶の間で差向いで呑みたかった」とか「お前は女将を一人占めして酌までしてもろ〜て銭取って、良いな〜」だの言われた挙げ句に、「今度は“天地変え”(お客様と太鼓持ちが逆になって料亭に入る事)しょう」なんておっしゃいます。

 簡単に「天地変え」と言われましても、どちらも知らない初めての料亭に行く訳ですから、旦那の役でお座敷に入るのもツイ腰が曲がって大変ですが、旦那様は勝手口から入ったのは良いのですが、も〜どうして良いのやらウロウロするばかりで邪魔者扱いされ、着物を着るのにも狭いだの鏡が無いだの帯が結べないだの言ってギブアップ、私のお着物は汚れて散らかったままだし、女将さんも中居さんも旦那と知らずに小言申した手前罰が悪いしで、私に「前もって何故言わないのか?」など散々ご注意を言われてしまいますし、中に挟まれて大変なんですヨ。

 今はそんな旦那様は少なく、二次会に連れられて色々なご質問をされます、マ〜太鼓持ちの意見なんか聞いたって問題解決にはなりませんが、本心を聞かれる場合には「よいしょ」しないで腹立つ事でもムッ!と来る事でも正直に意見を言わせてもらいます、その方が旦那様の考えがまとまるのでしようか、後で感謝され贔屓にされますネ。


5 常に「粋」の心を忘れずに

 お座敷遊びを始めだした頃、ある旦那様から六法全書を頂きまして「これで勉強しろ」なんて言われました。

 「どうしてなの?」と聞く前に憲法第三章国民の権利と義務の頁を開いて、学生の時は親に保護されているから、権利ばかり主張していても娑婆通っただろうが、成人して一人前になったら権利には常に義務が附く、行動には責任が附く・遊びには支払いが附く、結果責任を取るのが大人だヨ、だからと言って銭さえ払えば何しても良いのでは無くて、濫用しても公共の福祉に反してもダメ、社会生活や他の人とのバランス感覚が常に必要だヨ、と厳しく言われてしまいました。

 仕事の場合最初は上司や社長が結果責任を取ってくれますが、遊びの場所では社長も新成人も関係無く一人前の同じ人間として判断され、当然に結果責任を要求されます、若いから・知らなかったから・遊びだから、なんて〜言い訳は通じ無い世界でもあるのです。

 「お座敷遊びは楽しいけれども恐い所エ〜」と言われた意味が始めて実感しましたし、地位も名誉もある責任有るお立場のお客様に安心感・信頼感を提供する事が絶対条件になりますから「一見(いちげん)さんお断り」は半人前さんお断りでもあるのでしょうネ。

 ご宴会とは、「晴(はれ)」の感謝し共食する行事だけでも無く、お仲間と協調し助け合う事でもあり、粋とは、米偏に卒はお米が完成した状態でしょう、米は淡白で副食を引き立てます、相手を引き立てても常に主役である存在が「粋」と思っております。

 情報化・国際化の時代とは逆に日本人とは?日本文化とは?と問われる時代、もう一度心の触れ合いや思いやりの心をお座敷文化の中から見い出してみては如何でしょうか?

 


  


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