第十回日蓮正宗法華講全国大会

 
        指導  正信会議長渡辺広済師

   われわれ僧俗こそ正宗の本流


 本日ここに第十回法華講全国大会が盛大に執り行われましたことをまず以ってお祝い申し上げます。全国代表のみなさま、本日はまことにおめでとうございます。第十回大会ということで、今回は新装なりましたこの日比谷公会堂で開催をいたしました。

 ただ四月二十八日ということもございまして、全国の僧俗のみなさまに何かとご迷惑をおかけいたしましたことを、正信会といたしまして深くお詫び申し上げるところでございます。

 先ほど司会者の趣旨説明がございました通り、みなさまと共に、宗旨建立の御報恩のため、真心をこめてお題目を三唱を申し上げた次第でございます。

    将来を考え盤石な基盤築く

 さて、裁判も次第に進行してまいりまして、妙真寺さんにつづいて仮処分、あるいは本裁判の第一審の判決が近々出されるお寺もございます。何となく気持がそわそわしている方も多いように見受けられます。こんな時こそどうか性根を据えて信心していただきたいと思います。

 考えてみれば、私たちの抱えている裁判は、昭和五十五年八月二十四日、あの武道館における第五回全国大会を宗務院の中止命令を無視して開催したということを理由に、無茶苦茶な処分をしてきたことにその発端があるわけです。言うことを聞かないなら出て行け、追い出してやる、まさに問答無用。問答というのはもともと僧侶がするものです。その坊さんが問答はいらないといい、自分の言うことを聞かない者、いてはつごうの悪い者、自分の気に入らない者は出て行け、というのですから困ったものです。阿部さんという方は…。

 折伏した経験のある方はよくお分かりだと思いますが、一人の人間を折伏するということは大変な苦労です。入信しても、一人前にするまでが大変です。なだめたり、すかしたり、おだてたりしながらやっと勤行をするようになり、会合や御講に参詣し、折伏するようになっていくわけです。

 それを、あろうことか、二百名以上の僧侶を宗門の外へ放り出し、またまじめに信心したいと願い、事実、一所懸命信心している二十万人に近い人々を宗門の外へ追い出してしまった。ま、誰が考えてみても正気の沙汰ではないんです。このことが今回の裁判の始まりでございます。

 いわば私たちは出たくて出たわけではない。阿部宗門が追い出しに来たのであります。御本尊を拝みたい、と言っているのに拝ませないというのだから、おもしろい宗旨ですよ。鉄の扉を閉めて、プロレスの選手みたいなのを門の外に立たせて門番させるお寺は、日本広しといえども大石寺ぐらいなものだと思います。今はそういう訳のわからない人が大石寺を思い通りにしています。しかし、大石寺はわれわれのお山である。謗法を嫌い法を破ることを戒められた御開山日興上人が開かれた、正信のお山が大石寺でございます。現在は、権力と財力と、さらには腕力で私たちの本山は謗法の輩に思うがままにされていますが、本来、われわれ正信会の僧俗こそ日蓮正宗の本流であり、大石寺はわれわれの本山でございます。

 いつの日か、必ず私たちの正信をもって清流を取り戻す日が来ることを固く信ずるところでございます。その日が近いか、それとも遠いか、凡夫である私にはわかりませんけれども、近いことを願うのはもちろんですが、遠い将来を待たねばならないかも知れません。そのためには、所化さんや小僧さんを育てていくのも私たち僧俗の務めであります。また、みなさまも、それぞれの子供さんやお孫さんを自分以上の信者に育てていっていただきたい。法燈相続をしっかりとやっていって欲しいのでございます。

 大石寺を取り戻すためには強い信心以外にありません。正信会として、僧侶は僧侶の立場から将来を考えて盤石の基盤を築いてまいります。みなさま方ご信者は、信者の立場として、少なくとも現在の自分よりも立派な信心をする信者を一人以上育てていっていただきたいと、お願いを申し上げるところでございます。

   試練乗り越え共に成長

   自行化他の信心を一生涯貫こう

   粘り強く折伏するのが大切


 広宣流布―それは大聖人の抱かれた果てしなく大きな大慈大悲のみ心でございます。そのみ心に添い奉ろうとこころざすならば、まず出来ることから着実に実践していくことです。

 「広宣流布は大地をまととするなるべし」と宗祖は仰せであります。決して夢物語ではないし、疑うべきでもありません。まず、私たち一人一人が、まじめに、じっくりと信心をする。そして必ず自分以上の信者を一人以上つくっていく、これ以外に広宣流布への道はないと私は考えております。このことを心にとどめて自行化他の唱題に励んでいただきたい。これこそが「広宣流布の使命に立とう」ということであります。

 何も特別なことを考える必要はありませんし、むずかしい理屈をこねくり回して苦労することもありません。自行化他の信心、法燈相続を忘れぬ信心、これを一生涯貫く人こそ使命感を持続している人、といえるのでございます。

 自行化他―すでにみなさま方は聞きあきるぐらいに聞いている言葉であろうと思います。

 「末法に入て今日蓮が唱る所の題目は前代に異なり自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」と仰せのごとく大聖人の南無妙法蓮華経はわれも唱え、また、他人にも唱えせしめて共にしあわせになり、成仏していこうというお題目です。

 どんなにたくさんお題目を唱えたとしても、それだけでは信心の強盛な人とは申せません。自分も唱えるが他の人にも唱えさせようとする努力が大切である。その心を持って唱題する人こそ真の信心強盛というのではないかと思います。こうした心が折伏につながっていくのであります。折伏は限られた人だけがするものではないし、折伏に上手も下手もありません。相手を思う心があれば誰にでも出来ると思います。

 「講中一丸となって折伏を」というスローガンが打ち出されて今日で丸四カ月を数えます。どんどん折伏が進んでいるお寺もあれば、反対に、後半まとめてやります、とかなりのんびり構えているお寺もあるようです。いずれにしましても、まかぬ種子は生えぬ、という言葉もある通り、まず、種子をまかなければ実は成りません。種子をまく、これは、どんな人にもこの仏法の有難さを話していくことからはじまります。根気もいるでしょう、勇気も必要ですが、コツコツと粘り強く話をしていくことが大切ですし、それ以外に方法はありません。

 正信覚醒運動は、日蓮正宗の本流となるべき運動です。今は小さな流れでも、これから仏力法力を頂戴し、諸天の加護をいただいて、また、私たちの御奉公によって、より大きく、より広くしていかねばなりません。

 正信会としての布教所も、間もなく三十カ所を数えるほどになりました。これからも全国的にそうした布教所を新設し、有能な若手僧侶を投入して布教活動を展開していくべきであると考えております。しかし、布教所を開設するためには、ある程度の地盤がなければ出来ません。どうか講中一丸となって折伏に立ち上っていただきたいと思います。

 「日蓮が慈悲広大ならば南無妙法蓮華経は万年の外未来までも流るべし」との仰せもあるごとく、この運動は大聖人の仏法のある限り未来永劫に亘って存続させなければならない運動でございます。また、多少の浮き沈みはあるかも知れませんが、現在、月々日々に発展していることも事実であります。

    疑問な点は何回も話合いを

 擯斥―これは僧侶としての籍を抹消する、運動を続ければ擯斥するぞ、と当局は脅し、師匠や親からは泣いてこの運動をやめろと説得を受けた僧侶もいます。また、この運動のために心ならずも女房や子供と別れた僧侶もおります。そして、ご信者のみなさまも、親や子供、夫婦や兄弟で意見が違って、つらい思いをし、宗門からはひん斥僧侶につき従うならば信者とは認めぬと脅迫されながらも歯をくいしばって頑張り、今日ここまでたどり着きました。

 落ちる人はすでに僧俗共に堕ちていきました。しかし第十回大会を迎えた今日現在、改めてこの壇上を見ていただきたいと思います。あの武道館の時にくらべて少しの遜色もなく、むしろたくましく成長した顔ぶれが並んでいるではございませんか。もう、何があろうと正信会はビクともしません。

 また、会場にお揃いのみなさま方も、いちばん苦しい時を乗り越えて来たという自信と、大聖人の仏法を守り抜くのはわれわれだという強い自負心に溢れているとここから拝見いたします。ただし、自負心は大いに結構ですが、それが慢心にならぬよう、ご注意をしていただきたいと思います。

 僧侶も人間、みなさま方も人間です。各お寺によって問題やもめごとの一つや二つはあっても当然であります。しかし問題が起きた時には、その納め方を間違いなくやっていただきたい。一つの問題を解決するごとに僧俗が共に成長する形で納めるよう努力していただきたいと思います。

 とくにみなさま方にお願いしたいのは、ご住職とは疑問に思う点は何回も話合っていただきたいということです。話合って話合って解決していっていただきたい。気に入らなければお寺をとび出す、というのでは解決にはなりません。また、ご住職の側も話合う姿勢を忘れずにもっていっていただきたいと思うのでございます。

 現在の私共の正信会は、外からの敵には絶対負けません。あとは内部、ウチをしっかり固める、すなわち各お寺や布教所において、僧俗が信頼感を強く持って、多少の不足や不満はあっても、まず、志を同じくする同志であるとの信念を最優先していただきたいと思います。せっかくここまで育ってきたのですから、どうかこの大会をバネとして、大きく躍進していっていただきたい。

    明年は九州で全国大会開催

 私たち僧俗は、相手側の創価学会を含む宗務当局側を見て、その数と力を自分達と比較してついつい、われわれを過小評価しているむきがあると考えられます。

 しかし、よく考えていただきたい。これだけの僧侶とそして全国二十万人を数える同志がいるのです。基盤はできたといっても過言でないと思います。あとは、この基礎の上に立ち各人がどれだけ成長し、どれだけ折伏するかであります。それこそが今年度のテーマである躍進に当るわけでございます。今後、それぞれのお寺で妙真寺さんと同じような試練を受けなくてはなりません。しかし、その試練こそなお一層の団結、成長のためであると受けとめていただきたい。

 先ほども申しましたが、一つの出来事が起るたびに一人一人が大きくなっていく―かつて先師日達上人が色紙にしたためられた「一人の英雄を望まず、皆宗門の礎となれ」とのお言葉を、七回忌を迎える今年、私はなつかしく思い出しておるところでございます。

 躍進のテーマは、まず一人一人が一歩でも二歩でも前進しようと心がける時にはじめて生きてくるのであります。 あと今年も八カ月を残しております。この大会終了後、これで終るのではなく、どうか各地方において躍進をテーマとした地域別の大会を開いていっていただきたい。さらには各お寺、布教所において各々の成長を確認する意味からも大会やそれに代わる会合の開催を心からお願い申し上げます。

 さて、今年度は第十回というところで一つのケジメがつきました。来年度は第十一回の大会となります。この十一回大会を迎えるに当り、私たちは今日から信心をしっかりと積み上げるのと同時に、第十回までの大会をふりかえり、さらに大きな躍進を遂げていきたいと思います。そして、明年度の第十一回大会は、この正信覚醒運動の歴史が最も古い九州の地で開催したいと考えておりますのでよろしくお願い致します。

 明年の若葉かおるころ、再び九州の地でたくましく成長したお互いを確認し合えるよう、今後の信心増進を心よりお祈り申し上げ、もって本日の私の指導と致します。

                              (要旨―文責・編集部)

   

     

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