第一回檀徒大会

現況報告
 
   
 第一回檀徒大会
        経過報告   寿福寺 佐々木秀明師

 皆様、第一回檀徒代表登山会、誠におめでとうございます。只今の御法主上人猊下のお言葉

を、どうぞよく、腹におさめて、各末寺に帰りましたら、尚一層の精進をお願い申しあげる次第

でございます。

 これより、皆様方は、檀徒と致しまして、日蓮正宗の教義に正しく則っとって信心されるわけ

でございますが、まず、確認しておきたいことは、檀徒と申しますと、他宗で言っておる様な檀

家、則ち、お寺を増改築するときに援助をする、または、それぞれに寄付をする、そういうこと

を第一義としての檀徒ではございません。あく迄も、かつての同志を、正信に目醒めさせる。そ

の為には、各末寺の住職と、密接なる連携をとって、一人でも多くの人を正信に目醒めさせる。

それが皆様方の使命でありそういう意味で御法主上人猊下より、檀徒という名称をいただいてい

るということを、どうぞよくもう一度確認して頂きたいと思うのであります。

 この闘いがここまできまして、誠に感激に絶えない次第です。けれども、はじめは中々大変で

ございました。 その十人、二十人、正信に目醒めた方が、「学会が違っておるのではないか」

と、いうと、大概の人は、一番はじめの学会の言い方は、「妙信講ができた」とか、「妙信講が

やってきたんだ」と、こうゆうような言い方をしました。ならばこの本家本元の妙信講が、今、

我々のこの運動をどのように評価しておるかと申しますと、それは、今年七月十五日付の、妙信

講で出しておりる顕正新聞に、「正本堂落成以後、本山、末寺を、兵糧責めにしようとしたので

す。それに、全国の僧侶が団結して反発した。それが、争いの底流です。そして、学会が、僧

侶・寺院に対して、冷たくなってくるや、掌を返したように学会を攻撃する。その態度が私には

解らない。法の為ではない。全て我が身の為です。そのような宗門に、学会を責める資格などあ

りません。」と、このように言っております。誠に残念です。これがかっての日蓮正宗の信徒で

あったかと思うと、誠に遺憾ですけれども、どちらにしてもこの人達に、このように言われない

ように、我々も反省す可き点は大いに反省して、尚一層の精進が必要かと、思う訳でございま

す。

 御存知のように創価学会は、日蓮正宗の信徒の団体であります。まあ、色んなことがありまし

たけれども、この度の御法主上人猊下のお許しも出て、兎に角、日蓮正宗の信徒の団体であると

いうことになっております。

 昭和二十六年頃、第二代会長戸田先生の時分に、法的には、「宗教法人創価学会」というもの

を、とっております。

 しかし、依って立てるところの教義と申しますのは、いう迄もなく、この本門の戒壇の御本尊

様を、根本の尊形と仰ぎ、日蓮正宗の教義を信奉し、広宣流布を推進する団体であるということ

は、創価学会の規則の中に、ちゃんと銘打ってあります。それを何を勘違いしたのか、正本堂の

建立以後、(その前にも随分おかしな事はありましたけれども)正本堂建立以後、魔訶不思議な

指導が、度々行われるようになってきた。これに対して我々心ある僧侶も、細々とではありまし

たが、その都度説いておりました。

 御法主上人猊下もそれを心配されて、その度毎に色々と謗法というものについて指摘されてお

られたのですけれども、残念なことに、この巨大組織というものの圧力をもってして、池田会長

の発言ならば、その次の日の『聖教新聞』の第一面に大々的に発表され、それを皆様方に指導、

徹底してきた訳ですけれども、この日蓮正宗の信徒の代表である創価学会は、日蓮正宗の法主の

御指南ですら、、この巨大組織をもってして、運営上都合が悪ければ、それを載せないようにな

ってきたわけです。

 これではどうも創価学会というものが、違う方向に行ってしまうのではなかろうかという憂い

が、非常に僧侶の中にも出てきました。それが特に、昨年あたりから、誠にもって日蓮正宗の教

義から甚しく逸脱するというよりも(宗門を)敵愾視するような指導が、会長自らの口から出さ

れるようになってきた。これは最早、創価学会を、日蓮正宗の信徒団体として認めるような訳に

はいかないというところで、全国の各末寺の心ある僧侶は、それぞれに訴えた。しかし乍ら、残

念なことに、皆様方は今では目醒めましたけれども、かつてはこの創価学会の洗脳教育という

か、徹底的な指導の元に、そういう正しい僧侶が正しい教義を訴えても、聞いて貰えなかったの

です。そればかりではなく、そういう僧侶を、この統治国家の日本で、正しく日蓮正宗の僧籍に

ある僧侶が、正しく日蓮正宗の教義を訴えたにもかかわらず、そういう僧侶を、学会本部に連れ

ていって吊るし上げ、リンチまがいのことをした。このことは、もう雑誌等でよく御存知のこと

だと思いますが、本当にその通りです。週間誌上で、ひとつも間違いはない

。  こういうようになってきまして、これはもう何とかしなければいけないという気運が、宗門の

中でも盛り上がってきました。

 そこで今此処においでの大多数の方は、各末寺の御住職から、たぶんあの二月八日の様子を

うかがったと思いますが、急に、二月九日に、学会と宗門が別れるというようなことが出た。こ

ういうふうにお考えの方が多かった。しかし、それには色々の経過があった訳です。まあ、その

前に、経過報告ですから、一応のことは、申し上げなければなりません。 昨年の池田会長の正

月の挨拶。又『仏教史観を語る』『生死一大事血脈抄』の講義。宗旨建立会の挨拶。このような

時に、完全に日蓮正宗を敵対視したような時に、びっくりするような指導を、したのであります。

これに依って各末寺の心ある住職達が、日蓮正宗の教義を訴えた。そして、学会の体質と申しま

すか、色々な仕組み等についても、昨年の八月あたりから取りあげられてきました。学会の方で

も、はじめはそういう状態を、さざ波みたいなものだ、豆粒みたいなもので、そのうち消し飛ん

でしまうと、一寸居直ったようなことを言っておりましたけれども、今度は、宗門という内の中

から問題が起きてきました。今迄は外からの中傷批判というものに対しては、法難とか、三障四

魔ということで逃げておることができました。けれども今度は内の中からそういうものが出てき

ましたから「どうもこのままではいかんだろう」というところで、御存知のように昨年十一月下

旬に創価学会から、このようにすれば僧俗共に、仲良くいけるのではないかという、例の五ヶ条

をもってきたんです。

 しかし、あの五ヶ条も一度見たら、これはもう非常にびっくりします。要するに解り易く言えば、

あの五ヶ条の内容というのは、「我々は、宗教法人の法に則っとって、色々なことをやっておる

んだから、それは黙っておりなさい。しかし、日蓮正宗は、護ってあげましょう。」というよ

うな内容でしょう。読んでみますと、五つありますから、全部読みますと長くなりますから、要

点を読みますと、

 「創価学会は、日蓮正宗の信徒団体として、宗門を外護し、宗門は、創価学会の宗教法人上の

自立性を十分尊重する。」と、このようなことを学会側から言ってきたのです。

 宗教法人方を嵩にとって、「我々は、宗教法人法に則っているんだから、そちらは黙っていな

さい、しかし、あなた方も、まあまあ少しは護ってあげよう。」というような内容です。これを

聞いて我々は、もうこれでは創価学会は駄目だという雰囲気が盛りあがってきた。そこで、御存

知のように、このままではもう駄目であるからということで、二月九日に、僧侶代表が大化城に

集まりまして、創価学会と、どのようにしていったら良かろうかという話し合いがもたれた。そ

の内容はよく御存知だと思います。その時、大多数の人は、「創価学会は、既に同じようなこと

を何回も繰り返している。もうだめであろう。これは切らなければいけない。」という意見が

、 圧倒的に多く出たわけです。それが週間誌等に出て、全国的に反響を起こしたわけです。何も僧

侶が、突然強硬意見を言って、今迄の創価学会の功績を認めないというような、荒療治的な意見

になったのではないのです。「たぶん、今のような状態になるのではなかろうか」という憂いが

あって、それ迄にも色々と、宗門から学会に言っておったです。

 特に宗門の機関誌の『富士学報』(第五号)に、蓮生寺御住職、菅野憲道師が、「創価学会は

、 あまりにもおかしな指導をしており、今迄の功績を無にしてしまう。大変なことである。」と

いうことを指摘した。今でこそこうして、六千人もの人が集まるようになったのですが、一、二

年前には、創価学会の圧力というものはすごかった。そんな時に、度胸を出して、正信でそのよ

うな論文を出したということは、敬服に値することです。これは、何としても私達は訴えてい

かなければならないことだと思いますが、その論文の中にこういうことを説いております

。  「創価学会の中では、会長本仏論などということが半ば公然と言われた事もあった。―中略―

これ等の方向転換は公明等との関連に於いて理解されなければならない。―中略―このことは

一般信徒に於いて、公明党の闘いが即広宣流布への戦いであると解され、法戦の言葉のもとに、

選挙中は一切の学会の精力が注ぎ込まれている事を見ても明らかである。―中略―そのために

一般信徒は、選挙活動即宗教活動の如く考え、折伏活動と票の獲得とを同価値に考えているもの

が多いのである。」(『富士学報第五号』八十)

 誠にその通りである。そのようにして皆様はやってきました。我々九州の方でも、小倉の方に

市会議員選挙があれば大分から手弁当でもって、一ヶ月位運動をされておった。

 それに対して、創価学会の答えは「先ず初の項で『創価学会の中では会長本仏論などという事

が半ば公然と言われた事があった。』とあるが、彼は何を根拠にしているのか明確な証拠をあげ

て貰いたい。『半ば公然』という言葉は、かなり明確な事実があってはじめて言えることである。

単なる推測で済まされる問題ではない。この言葉を使用した責任上彼には、我々の要求に応える

義務がある。」と居直っている。

 この五年以前に、あの有名な福島源次郎さんが、「師への帰命」(私の教学観二十五頁)とか

「人間革命は現代の御書である」(同)と言っておるんですよ。八矢さんは「池田先生こそ本門

弘通の大導師」(同十九頁)といっておる。こんな明確な答があるのに居直っている。そしてそ

の後に、選挙の問題についてこういっておる。「一般信徒においては選挙活動即宗教活動の如く

考え、折伏活動と票の獲得とを同価値のように考えている者が多い、などと言うのは、全くの憶

測に過ぎないばかりでなく、又も大聖人御遺命の折伏をも否定する大罪に陥るのである。もし憶

測でないというならば菅野は創価学会の一般信徒の誰と誰が、しかもそれが多いというならば

過半数を超える氏名を挙げて、そのように考る人の証言でも得ているのか、そんな馬鹿者はお

らん」といっているのです

。  皆様方が一生懸命汗水たらしてやって来たあの法戦、こんな者は創価学会にはおりませんよ、

こういっておる。誠に無惨であります。そればかりではなく、その最後に「最後にこれだけは言

っておく、我々青年は、君を一生涯信用しないであろう、真に自らを恥じ、日蓮正宗の僧侶たら

んとするならば、真実に広宣流布に向かって闘っている人々を守りぬいていく、最大の人生を送

る可きである。加えて本年一月廿日・・・・」と、格好のいいことを言っておる。法論といって

も実際はまるっきり違うんですよ。この菅野師を、本部に連れて行って、何人かの前で、それこそ

「クソ坊主!土下座しろ!」というようなことをやっておる、本当は。これが今、法治国家の、

信教の自由、慈悲を売り物にする創価学会のやることですか。これは共産党以下ですよ。

 我々は、創価学会が悪いと言っているのではないんです。その創価学会の功績は認めて、成仏

して貰いたい。しかし、池田会長の指導ならば良いも悪いも一緒くたにして、全部会員に浸透し

てしまって、みんなが変な方に行ってしまうから、「こういう体質を何とかせねばならない」

ということで立ち上がった運動でありまして、決して、恨み、憎しみでやっているのではない

のであります。

 この選挙問題、即ち公明党の問題ですけど、今迄の我々の運動の中ではあまり触れなかったん

  • 続く      

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