撰時抄下愚記

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撰時抄下愚記 

 正徳六丙申年二月七日 大貮日寛之を記す

(第二十段 浄土宗を破す)

 一、問うて云く此の三宗等文。(二七三ページ)

 この下は正しく破す、また二あり。初めに通じて三宗を破し、次に別して慈覚を破す。初めにまた三あり。初めに正しく破し、二に彼の「月氏」の下は例を引き、三に「此等の三大事」の下は結前生後なり。第一の正しく破するに自から三あり。初めに浄土宗、また二あり。初めに漢土の三師、次に日本の法然なり。初めにまた三あり云云。

 一、斉の世に曇鸞法師文。(同ページ)

 註六五十一、啓蒙二四十九、往いて見よ。

 問う、この師の謬りは如何。

 答う、大段に二失あり。一には本論違背の失、二には執権謗実の失なり。

 初めに本論違背の失とは鸞公の浄土論註に云く「謹みて竜樹菩薩の十住毘婆沙論を案ずるに云く、阿毘跋致を求むるに二種の道あり。一には難行道、二には易行道なり。難行道とは五濁無仏の時に於て阿毘跋致を求むるを難しと為す。譬えば陸地の歩行は則ち苦しきが如し。易行道とは但信仏の因縁を以て浄土に生ぜんと願い、仏の願力に乗じて便ち彼の清浄の土に往生することを得。譬えば水路の乗船は則ち楽しきが如し」略抄等云云。若しこの所引に准ぜば、十住毘婆沙の難易の二道は、無仏五濁の時に於て、此土入聖を難行道と為し、往生浄土を易行道と為すなり。

 然るにこの意は本論に違えり。今、引いてこれを示さん。十住毘婆沙論の第五易行品の九に云く「阿惟越致は是れ法甚だ難し、久しくして乃ち得べし。汝若し此の方便を聞かんと欲せば、今当に之を説くべし。仏法に無量の門有り。世間の道に難有り、易有るが如し。陸道の歩行は則ち苦しく、水道の乗船は則ち楽しきが如し。菩薩道も亦是くの如し。或は勤行精進する有り、或は信の方便を以て易行して、疾く阿惟越致地に至る者有り」等云云。また云く「菩薩、此の身に阿惟越致地に至ることを得んと欲せば、応当に十方の諸仏を念じて其の名号を称うべし」等云云。

 この本論の意は、通じて仏道に難あり、易あることを明かす。然るに鸞公は別して無仏五濁の時に約す是一。

 また本論の意は、歴劫長遠の教を以て難行と為す。故に「久しくして乃ち勤行精進するを得べし」等という。然るに鸞公は此土入聖を難行と為す是二。

 また本論の意は、此土不退に約して易行を明かす。故に「この身に欲せば」等という。然るに鸞公は、浄土に往生するを易行と為す是れ三。豈本論違背に非ずや。次に執権謗実の失とは、鸞公、但先判の権教に執するのみにして後判の実教を信ぜざるが故なり。妙楽云く「若し昔を称歎せば、豈今を毀るに非ずや」と云云。また云く「頓極を信ぜざるを名づけて謗実と為す」等と云云。

 一、道綽禅師文。(二七四ページ)

 註四二十一、啓蒙二五十、往いて見よ。

 問う、この師の謬誤は如何。

 答う、この師の聖道・浄土の二門は鸞公の難易の二道に異らず。故に選択集に云く「難行・易行、聖道・浄土は其の言は殊なりと雖も、其の意は是れ同じ」等云云。既に「其の意は是れ同じ」という、故にまたその謬りもこれ同じきなり。

 また、別してこれを論ずれば更に二失あり。一には所立不成の失、二には執権謗実の失なり。

 初めに所立不成の失とは、安楽集上に云く「一には謂く聖道、二には謂く往生浄土なり。其の聖道の一種は今時証し難し。一には大聖を去ること遥遠なるに由り、二には理深解微に由る。是の故に大集月蔵経に云く、我が末法時中、億々の衆生行を起し、道を修するに未だ一人の得者有らずと。当に今末法は是れ五濁悪世にして唯浄土の一門のみ有って通入すべき路たるべし」已上。

 凡そ道綽の聖道は即ちこれ鸞公の難行道なり。鸞公の難行道は即ちこれ歴劫長遠の権大乗なり。故に縦い如来の在世と雖も、実にこれ難行・難証なり。何ぞ「大聖を去ること遥遠なるに由る」というや是一。  古徳云く「高山の水は深谷に降る能あり。最頂の教えは下機を救う力あり」云云。譬えば軽病には凡薬、重病には仙薬の如し。故に知んぬ、理深ならば即ち解微に非ず、解微ならば則ち理深に非ざることを。何ぞ理深解微というや是二。

 大集月蔵経の中に都てこの文無し。但し是れ取意なり」云云。猶取意の文にも非ず。何となれば白法隠没の意は浅理隠没の義なり。今所引の意は深理隠没の義なり。故に知んぬ、彼の文の意に非ず、故に取意の文にも非らざることを。正しくこれ妄説なり是三。豈所立不成に非ずや。

 次に執権謗実とは「唯浄土の一門のみ有って」とは即ちこれ執権なり。「未だ一人の得者有らず」とは豈謗実に非ずや。

 一、道綽が弟子に善導という者あり文。(二七四ページ)

 註四十三、啓蒙二五十、往いて見よ。

 問う、この師の謬誤は如何。

 答う、この師は即ちこれ鸞・綽に相承す。故にその謬誤もまた鸞・綽の如し。若し別してこれを論ぜば、この師の正雑の二行は専ら弥陀の三部経に依る。所謂、正行にまた、五種あり。読誦・観察・礼拝・称名・讃歎なり。このは五種を分ちて正助の二行と為す。謂く、称名の一行を正行と為し、読誦等の四行を助行と為す。この弥陀三部の正助の二行を除いて、自余の諸善を悉く雑行と名づく。

 而して雑行の失を判じて「千中無一」と謗じ、正行の得を明かして「十即十生」と執するなり。法然、此等の意を結して云く「此の文を見て、弥須く雑を捨てて専を修すべし。豈百即百生の専修正行を捨てて、堅く千中無一の雑修雑行に執せんや」等云云。既にこれこの経を毀謗すること分明なり。豈「入阿鼻獄」の人に非ずや。

 一、日本国に末法に入って一百余年等文。(同ページ)

 この下は、次に日本の法然云云。末法に入って百三十三年に当り「後鳥羽院」の即位なり。法然は十代の帝王を経歴す。別して後鳥羽の代に専ら法柄を●る。故に後鳥羽を標するなり。具に安国論愚記の如し。

 一、仏法は時機を本と為す。(同ページ)

 法然、若し実に仏法は時機を本と為すと知らば、何ぞ妙法を弘めざるや。教主釈尊、玄に時機を鑑みて云く「後の五百歳中」と云云。天台云く云云。妙楽云く云云。伝教云く「末法太だ近きに有り」等云云。

 一、恵心の先徳文。(二七四ページ)

 釈書四二十、啓蒙十一七十已下、安国論の日辰抄、往いて見よ。

 一、彼の往生要集文。(同ページ)

 彼の序に云く「顕密の教法、其の文一に非ず。事理の業因、其の行惟れ多し。利智精進の人は未だ難しとせず。予が如き頑魯の者、豈敢てせんや」と云云。

 一、三論の永観が十因等文。(同ページ)

 釈書五三。

 彼の十因に云く「念仏の一行を開いて十因と為す。一には広大善根なるが故に、二には衆罪消滅するが故に、三には宿縁深厚なるが故に、四には光明摂取するが故に、五には聖衆護持するが故に、六には極楽に化生するが故に、七には三業相応するが故に、八には三昧発得するが故に、九には法身同体なるが故に、十には本願に随順するが故に」と云云。彼は但三部経のみを見て未だ未顕真実の文を見ず。嗚乎●むべし云云。

 一、往生要集の序の言道理かとみへければ等文。(同ページ)

 若し国家論十三十二の意は、与えてこれを論ずるなり。今当抄の意は、奪ってこれを論ずるなり。浄土の三師もまた爾なり。

 国家論の意に云く「慧心僧都、永観二年に往生要集を造って末代の愚機を調え、而る後、寛弘年中に一乗要決を造って本懐を宣べたり。其の中間二十余年、先権後実宛も仏の如し」等と云云。当抄の下の文に云く「慧心は伝教大師の獅子身中の虫なり」等云云。与奪自在の破文なり。

 一、顕真座主文。(同ページ)

 六十一代の座主なり。啓蒙の中に云云。

 一、国主・山寺の僧等文。(同ページ)

 「国主」は即ち後鳥羽院、「山」は即ち叡山、「寺」は即ち三井寺なり。承久三年の兵乱は、法然悪霊と成り、その身に入るが故なり。既にこれ現証なり何ぞ文証を求めんや。

     十三日

  (第二十一段 禅宗を破す)

 一、律宗は又此の便を得て等文。(二七四ページ)

 この下は第二に禅宗を破す。「律」の字、恐らくは謬れり。応に「禅」の字に作るべし。律宗はもとこれ持斎なり。何ぞ「この便を得て」とわんや。況や但三宗の謬誤を破するをや。次に「禅宗と申す宗」等とはこれ判釈の言に非ず。禅徒が一切の道俗を勧むるの辞なり。

 一、教外別伝と申して等文(同ページ)

 これ大梵天王問仏決疑経の意なり。彼の経に云く「大梵天王、王霊山会上に至り、金色の沙羅華を以て仏に献じ、仏群生の為に法を説きたまわんことを請う。世尊座に登って華を拈じ、蓮華目を瞬がす。人天万億、悉く皆●るもの困し。猶金色の頭陀、破顔微笑す。世尊言く、吾に正法眼蔵涅槃の妙心、実相微妙の法門有り、不立文字・教外別伝、摩訶迦葉に分付す」等云云。

 然るにこの経は偽経なり。開元・貞元の二録はこれを載せず。故に杲宝の開心抄に云く「大梵天王問仏決疑経は諸師引かず。伝録は之を載せず。近代の禅者、自録の中に此の文を引く。謀説疑なし、信用するに足らず」云云。

 一、禅宗をしらずして等文。(二七五ページ)

 上は一代聖教を誹謗するの辞なり。この下は諸宗を誹謗するの相なり。云く禅宗を知らずして諸経を読誦するは犬の雷を●むが如し。教門に拘るは●の月の影をとるに似たり等云云。

  (第二十二段 真言の善無畏を破す)

 一、真言宗と申すは文。(二七五ページ)

 この下は第三に、真言宗を破す、三あり。初めに無異等を破し、次に弘法を破し、三には覚鑁を破す云云。真言宗の事は七帖一本五十四已下、往いて見よ。

 一、善無畏三蔵等文。(同ページ)

統紀三十十六已下。

 一、会二破二の一乗文。(二七五ページ)

 二乗所修の法を会し、二乗の人を破する故なり。開目抄三十三。

 一、然して善無畏三蔵文。(同ページ)

 この下は善無畏思惟の相なり。「をこつかれ」とは笑い嘲る義なり。

 一行禅師文。(同ページ)

宋高僧伝五三、統紀三十十九。

 一、かさむ。(同ページ) 

 一、法師品・神力品等文。(同ページ)

 法師品は勿論「当説」の文なり。神力品は「四句の要法」の文か。既に「如来の一切の所有の法乃至皆此の経に於て宣旨顕説す」等云云。

 一、大日経に住心品等文。(二七六ページ)

 大日経義釈に云く「此の経宗は横に一切の仏教を統ぶ。唯●無我等を説くが如き即ち諸部の小乗を摂す。唯●阿頼耶と説くが如きは諸経の八識等を摂す。極無自性と説くが如きは即ち華厳・般若等を摂す。如実知自心等と説くが如きは仏性一乗・如来秘密、皆其の中に入る」等云云。既に「如実知自心」の句に法華・大日経を摂す。即ちこれ究竟真実の法なり。故に前の諸句は皆これ未顕真実なり云云。

 一、釈迦仏は舎利弗・弥勒に向って等文。(同ページ)

 これ迹本二門の対告衆なり。

 一、水と乳とのやうに一味となすべし等文。(同ページ) 

 大日経義釈に「理同」と書するはこれなり。

 一、三密相応等文。(同ページ)

 印は即ち身密、一念三千は意密なり。

 一、真言は甲なる将軍文。(同ページ)

 この譬は蘇悉地経疏一七に出ず、啓蒙十二三十に引く。天台、文八に云く「鉾に当る難事」等云云。これを思い合わすべし。宗祖破して云く、三十五七に云く「裸形の猛者の進んで大陣を破ると甲冑を帯せる猛者の退いて一陣をも破らざる」等云云。 

    一、一行阿闍梨は此のやうにかきけり等文。(同ページ)

 第七七に云く「嘉祥の法華玄に法華経と諸大乗は意は一と書きてこそ候えと、此が謗法の根本にて候か。嘉祥に咎あらば善無畏も脱れ難し」等云云。されば現身に鉄縄七節を付けられ、臨終に悪相を現ず等は常の如し。また「一行阿闍梨」も火羅国に流されたり。これ現罰なるべし。三国伝二三十八、知覚禅師の万善同帰集下三十二、盛衰記五十一、往いて見よ。盛衰記に「一行、玄宗を相して云く、思い死に死にたまわん相ありと。また貴妃を相して云く、野辺にて死にたまわん相ありと」云云。この事、差がわざるなり。太平記三十七巻の如し。また十八史略五十九には少異あり。往いて見よ。 

 一、又末法にせめさせん等文。(二七六ページ)

 真言宗を末法に譲り、伝教はこれを責めたまわざりしなり。

 一、一筆みへて候文。(同ページ)

 依憑集序に云く「新来の真言家は筆受の相承を●じ」云云。

    十五日

 (第二十三段 真言の弘法を破す)

 一、弘法大師文。(二七六ページ)

 釈書一二十七、往いて見よ。種々の怪異の事を明かす。報恩抄下十五云云。玄三四十一に云く「名利を●めてて見愛を増す」等と。籤二十二に云く「猶理に称わず」等と云云。

 一、さはぐらせ給はざりける文。(二七七ページ)

 「さはぐらせ」等とは、只これさばく義なり。常に「事を取りさばく」等という言なり。興師御消息に云く「抑も代も替りて候。聖人よりも後も三年は過ぎ行き候。安国論の事、御沙汰何様なるべく候らん。鎌倉にては定めて御さはぐり候らん」等云云。目師御消息に云く「義科よく読みしたためて二、三月下り候わば、これにて若御房達とも論議あるべし。年がよりて仏法さはぐりがたく候。今年も四月より九月二十日比まで、●日無く御書を談じて候」云云。此等の御文言は皆さばく

義なり。

 一、此の如き乗乗等文。(同ページ)  これ宝●論下終の文なり。十住心論、宝●論は只これ広略の異なり。弘法はこの中に十住心を明かせり。今初学の為にその名相を示さん。

 第一異生●羊心 凡夫

 第二愚童持斎心 施心

 第三嬰童無畏心 外道

 第四唯●無我心 声聞

 第五抜業因種心 縁覚

 第六他縁大乗心 法相

 第七覚心不生心 三論

 第八如実一道心 天台

 第九極無自性心 華厳

 第十秘密荘厳心 真言

 宝●の意は、初めの三心はこれ世間の心なり。第四已後は出世の心なり。出世の中に唯●、抜業は小乗教なり。第六他縁已後は大乗教なり。大乗の中に第六・第七は菩薩乗なり。第八・第九は仏乗なり。此くの如き乗々、自乗に仏名を得れども、後に望むれば戯論と成る等云云。故に知んぬ、第十・第九に望むれば、天台の法華経は戲論の法なることを等云云。

 一、又云く、無明の辺域(二二七ページ)

 宝●下十四の文なり。

 問う、何ぞ天台の仏界を以て無明の辺域と為すや。

 答う、東寺流の義に云く「釈尊成道の上に於て其の相を習うべし。謂く、一切義成就菩薩は六年の苦行の後、菩提樹下に至って金剛座に坐し、先ず一道無為心に住してこれを至極と為す。而るに油麻の如く諸仏虚空に現前して、今汝が住する所は是れ至極に非ず。其の外に猶最極究竟、至極秘密の法有りと驚覚したまう。爾の時、釈尊の心地の一重進む処を極無自性心と云うなり。而して密乗の三密に悟入したまう処を秘密荘厳心と云うなり。

然れば則ち第八の住心は最初に一道無為心に住する処なり。天台の仏界は是を至極と為す。尚第九華厳の仏界に及ばず。況や第十の真言の極仏に及ばんをや。故に無明の辺域と云うなり。此れは是れ守護経の意なり」等云云。

 安然、教時義の一にこの義を破して云く「海和尚は判じて無明の辺域と為す。是れ義釈の文に違う。義釈に云うが如きは、此の経の本地の身は即ち是れ妙法蓮華の最深秘の処なり」。また云く「彼れ諸法実相を説く、即ち是れ此の経の心の実相なり。而るに具惑の仏と為さんや。乃至天台の妙覚を貶しめて具縛の凡夫と為す。和尚は仏にも非ざるに、何ぞ後学を●わすや」等云云。

 宗祖云く「守護経に対すれば無明の辺域と申す経文は一字一句も候はず」等云云。空海、胸臆に任せて、守護経の牛跡に法華の大海を入る。豈至極の僻見に非ずや。

 一、又云く、第四熟蘇味文。(二七七ページ)

 二教論下初に六波羅密を引いて云く「八万四千の妙法を摂して五分と為す。一には素●●、二には毘奈耶、三には阿毘達磨、四には般若波羅蜜多、五には陀羅尼門」等云云。初めの三は小乗の三蔵なり。第四は顕の諸大乗、華厳・方等・般若・法華・涅槃なり。故に今「第四熟蘇味」というなり。第五は「真言上乗、醍醐の如し」等云云。空海また六波羅蜜経の牛跡の中に法華の大海を入る。豈無双の僻見に非ずや。

 一、般若三蔵・此れをわたす文。(同ページ)

 貞元録第七巻、釈書一二十四、空海の下はこれに同じ。

 故に知んぬ、太田抄二十五二十に「六波羅蜜経、不空三蔵之を渡す」とは「不空」の二字は恐らくは謬れり云云。この六波羅蜜経は貞元四年の訳なり。故に大師の滅後、百九十二年に当るなり。

 一、傍例あり等文(同ページ)

 節用集にも傍例云云。字彙に云く「傍は近なり」と。

 一、伝教大師此れをただして云く文。(同ページ)

 守護章上の上二十三、往いて見よ。「解深密経」は大唐の貞観二十一年にこれを訳す。故に大師の滅後五十一年に当るなり。

 一、天親菩薩等文。(二七八ページ)

 法華論の方便品種種譬喩の品の下に「小乗は乳の如く、大乗は醍醐の如し」等と云云。同じく論記六本九に云く「論文に大乗は醍醐の如しとは即ち是れ法華なり。故に経に云く、諸の菩薩の為に大乗経を説くと。又云く、今正に是れ其の時なり。決定して大乗を説く」と云云。論科第四二十。 

 一、竜樹菩薩文。(同ページ)

 大論第一百巻に「般若は秘密に非ず、法華は是れ秘密なり。譬えば大薬師の能く毒を変じて薬と為すが如し」等云云。「妙楽」は即ちこれ「醍醐」なり。

 一、弘法の門人等文。(同ページ)

 「門人」は別して東寺・高野を指す。「乃至日本」等とは総じて日本国中の真言師を指すなり。これ山門に簡ぶ故なり。

 一、自眼の黒白等文。(同ページ)

 句を隔てて見るべし。謂く、自眼は拙くして黒白を弁えずとも云云。

 一、たしかなる経文をいだされよ文。(二七八ページ)

 無量義経に前四味の名を挙げて「未顕真実」と説くが如く、●なる経文を出されよと責めたまうなり。三十五巻初已下、往いて見よ。

 一、周公旦文。(同ページ)

 蒙求中二十九、史記二十三十三。

 十八日 

 (第二十四段 聖覚房を破す)

 一、正覚房文。(二七八ページ)

 釈書一十、啓蒙十二十一、同十四五十九。覚鑁の事なり。

 一、舍利講の式文。(同ページ)

 密厳秘釈第二巻に出ず。

 一、此等の仏僧等文。(同ページ)

 問う、若し現文に准ぜば、応に此等の法仏は真言の法仏に及ばずというべし。何ぞ仏・僧・及び正覚・弘法というや。

 答う、顕密倶に各三宝一体なるが故なり。故に顕教の三宝は密家の三宝に及ばざること遠し云云。豈大謗法に非ずや。故に現罰を蒙れるなり。

 七帖見聞一本六十一に云く「伝法院の覚鑁は法華の学者を謗り逆罪を造るの間、加持の即身成仏の分ありと雖も、十羅刹女の責めを蒙り打ち殺され畢んぬ。若し悩乱する者は頭破作七分、仰ぐべし、仰ぐべし」等云云。

 若しその相を知らんと欲せば、具に太平記十八巻の如し。七帖の中に「加持の即身成仏」とは覚鑁、不動の形と成るが故なり。

 総じて密家に三品の成仏を立つ。謂く、理具の成仏、加持の成仏、顕得の成仏なり。然るに伝宝記の第五二十五に、加持の成仏を釈して「外人の所見に非ず」云云。而るに今大衆皆これを見たり、故に加持の成仏にも非らざるか。実にこれ大衆の言の如く、覚鑁が妖たるに疑いなきなり是一。

 況や若し加持ぼ成仏を得ば●慢を起すべからざるをや。既に●慢を起す、故に天魔外道なるべし是二。

 況や劣れる仏を謗りし調達すら現身に無間に入るをや。何ぞ勝れたる覚鑁が頭を破れる高野の大衆、安穏快楽にして一同に笑って院々谷々に帰らんや是三。

 故に知んぬ、実にこれ三宝誹謗の現罰なることを。謂く、十羅刹女、大衆の意に入って覚鑁を打ち殺せるなり。頭破作七分、宛かも符契の如し。

 閏二月朔日

 一、月氏の第慢等文。(二七八ページ)

 この下は次に例、また二あり。初めに禅・真言に例し、次に浄土宗に例す。大慢婆羅門は西域記大十一十三に出ず。註中に引が如し。

 一、敷漫荼羅文。(同ページ)

 大日経疏の第三重。啓蒙に云く「●頂壇とは地を浄めて壇を築く。壇の上に自性会の聖衆の位次形像を図画す。是れを曼荼羅と名づくるなり。今時、敷曼荼羅を用うることは作法の略なり」云云。高橋抄三十五五十に云く「一切の真言師は●頂と申して釈迦仏等を八葉の蓮華にかきて、此れを足にふみて秘事とするなり」文。

 一、禅宗乃至仏の頂をふむ大法文。(同ページ)



仏祖通載十三三十九に云く「帝問う、如何なるか是れ無諍三昧と。南陽の慧忠禅師答えて云く、檀越、毘盧の頂上を踏んで行ずと」等云云。  一、賢愛の御計い等文。(二七九ページ)

 大王、大慢を●さんと為るに、賢愛これを愁みて●に乗す等なり。

 一、三階禅師文。(同ページ)

 隋の信行禅師の事なり。続高僧伝二十十七に云云。「三階」とは第一階は善を以て悪を覆う衆生、第二階は悪を以て善を覆う衆生なり。諸仏もこれを度せず等云云。

 一、当座には音を失い等文。(同ページ)

 法華伝九十九、自鏡録上十三。当座に音を失いしは弟子の孝慈なり。後に大蛇と成りしは師の信行なり。師弟の道行の所感なり。故に合わせてこれを挙ぐ云云。

 此等の三大事等文。(同ページ)

これ結前生後の文なり。

(第二十五段 慈覚を破す)

 一、これよりも百千万倍等文。(二七九ページ)

 この下は別して慈覚を破す、三あり。初めに真言与同の失、二には本師違背の失、三に問答解釈なり。初めの真言与同のの失は云云。第六三十三云云。

 一、第三御弟子なり文。(同ページ)

 これは座主の次第に約す。第一義真、第に円澄、第三円仁なり。

 一、伝教大師には勝れて等文。(同ページ)

 伝教は在唐すること少かに一年なり。謂く、延暦二十三年の七月入唐し、同二十四年の秋帰朝せる故なり。慈覚は在唐すること十年なり。謂く、承和五年に入唐し、同十四年に帰朝せるが故なり。故に世人、伝教より勝れたりと思えるか。

 一、例せば浄土宗・禅宗等文。(二八〇ページ)

 安然は禅宗の方人、恵心は浄土の方人なり。

 一、安然和尚文。(二八〇ページ) 

 釈書四六、三国伝四三十、童子教因縁云云。

 一、教時諍論文。(同ページ)

   下巻二十六に「第五無相宗、第六法相宗、第七毘尼宗、第八成実宗、第九倶舍宗」文。無相宗は三論なり。毘尼宗は即ち律宗なり。

  二日

  (第二十六段 慈覚の本師違背の失)


 一、伝教大師乃至自見せさせ給う文。(二八〇ページ)

 この下は本師違背の失なり。釈書一十七。



 一、世間の不審をはらさんがために漢土に渡りて等文。(同ページ)  問う、第六二十四に云く「大日経・法華経の勝劣如何と思召し漢土に渡る」等云云。豈相違するに非ずや

 答う、彼らは外用に約し、これは内証に約せるなり。

 一、漢土の人人は品品の義等文。(同ページ)

 或は真言勝れ、或は法華勝れ、或は同等、或は理同事勝等なり。下山抄二十六三十二紙の如し。

 一、我が心には法華経は真言にすぐれたり文。(二八〇ページ)

 問う、何を以て伝教大師の心中を知らんや。

 答う、且く三義を示さん。

 一には法華経を以て宗旨と為す故に。秀句下二十四に云く「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり。浅きを去って深きに就くは丈夫の心なり。天台大師は釈迦に信順し、法華宗を助けて震旦に敷揚し、叡山の一家は天台に相承し、法華宗を助けて日本に弘通す」等云云。正しくこの文の意は、大日経等の浅きを去って法華経の深きに就くを以て宗旨と為す。豈勝劣分明なるに非ずや。

 二には大日経等を傍依と為す故に。守護章上の中二十九に云く「今、山家所伝の円教宗の依経は、正には法華経及び無量義に依り、傍には大涅槃・華厳・般若・方等・遮那、一切の円を説く等の諸経緒論に依る」等云云。既に法華を以て正依の経と為し、大日経等を以て傍依の経と為す。豈勝劣皓然たるに非ずや。

 三には略して真言宗の謬りを破するが故に。依憑集に云く「新米の真言家は則ち筆授の相承を●じ」等云云。況や記の十に載する所の含光物語を引けるをや。豈大師の本意分明なるに非ずや。第六巻二十四已下、往いて見よ。記十九十五。

 一、十二年の年分得度文。(同ページ)

 或は云く、山門に於て止観・真言の両業を伝うる為に、その法器を撰び年毎に二人を度す。この人は十二年の間、山門を出でず。一人は止観の業を修し、一人は遮那の業を修す。これを「十二年の年分得度」というなり云云。

 一、勝鬘経文。(同ページ)

 応に「金光明」に作るべし。諸文の意皆爾なり云云。

 一、八宗の大徳文。(同ページ)

  応に「八箇」に作るべし。並びにこれ密宗の師なり。釈書第三八、円仁伝の下に十一師を出す、中に於て●公はこれ禅宗なり。志遠・宗頴は天台宗なり。この三人を除く自余の八人は、並びに真言師なり。所謂、宗叡・全雅・元政・義真・法全・宝月・侃阿闍梨・惟謹なり。故に第六巻二十七に云く「法全・元政等の八人の真言師」云云。若し下の文に「八大徳並びに南天の宝月」とは総別兼ね挙ぐるなり。例せば八相成道の如し。故に「顕密二道の勝劣」とは下の「広修・維●」等に冠するなり。朝抄・啓蒙、倶に非なり。

 一、広修ゆい維●等文。(同ページ)

 志遠・宗叡を等取するか。「広修」は宋高僧伝第三十二、統紀第八三に出でたり。「維●」は別に伝なし。唐決下三十四紙に台州の刺史の書を載す、往いて見よ。

 一、止観院文。(同ページ)

 これ正しく中堂なり。総持院は山門秘伝九。

 一、世間と勝義文。(同ページ)

 「世俗」は即ち事、「勝義」は即ち理なり。慈覚の釈の意は理同事勝と云云。

 難じて云く、既に真言三部の中に、開権顕実の妙理を説かず、故に二乗作仏の文なし。この故にまた十界互具の理なし。故に真実の妙理に非ず。何ぞ理同といわんや是一。

 また衆生の成仏は但十界互具の妙理に依る。若し印・真言は成仏の上の事用なり。若し十界互具の妙理に依って即身成仏せば、印・真言は自然に具足するなり。豈●仏・中風仏あるべけんや。故にこれを説かずと雖も、理に於て妨げなし。若し説かざるに依って名づけて事劣と為さば、大日経の中に世界建立等を説かず。若し爾らば阿含経に劣れるや是二。

 況やまた真言教には印・真言を説くと雖も、久遠実成を説かざるをや。何ぞ却って事勝といわんや是三。

 況やまた伝教大師は法華を以て勝と為し、天台大師は法華を以て諸仏所証の本法と為せるをや、何ぞ本師に違背して却って事勝といわんや是四。

 若し伝教未だ悉く習伝せず、天台の時には真言渡らずといわば、教主釈尊・多宝仏・十方分身の諸仏は如何、。三説超過、証明実相云云是五。

 都て一代経の中に、真言は勝れ法華は劣るの文なし。故に慈覚大師は現罰を蒙り、或は疫病にて死せりという、下山抄二十六三十二の如し。或は頭は出羽国立石寺にこれありという、太田抄二十三二十六の如し。山門秘決に云く「慈覚大師は前唐院に於て御入滅畢ぬ。爰に御館より飛び出して東方に行く。御草鞋、華芳峰に落つ。其の日、其の時、出羽国に至る」等云云。太平記評判二十四に云く「其の後、三門南都の法論起って、慈覚大師の遠行不思議の分野共多かりし、是も法論の遺恨の故ぞと聞こえし」文。

     三日

   (第二十七段 問答解釈して慈覚を破す)


 一、問うて云く法華経等文。(二八一ページ)   

 この下は三に、問答解釈なり。

 一、仏像の木画開眼文。(二八二ページ)

 二十八巻十一已下、往いて見よ。

 一、夢を本にはすべからず文。(同ページ)

 意に云く、夢を本と為して経の勝劣を定むべからず。但分明なる経文に依って経の勝劣を定むべきなり云云。

 一、或は行歩し或は説法等文。(同ページ)

 二十八十三に云く「優●王の木像、影現王の画像」と云云。

 法蓮抄十五十に云く「優●大王の木像は歩をなし摩騰の画像は一切経を説き」と云云。今「行歩」とは優●王の仏像を指すなり。此に異説あり。増阿含二十八十二の意は、牛頭栴檀を以て五尺の木像を作る云云。観仏三昧経の意は、金を鋳て像と為すと云云。此に異これありと雖も、行歩の事はこれ同じきなり。

 また、御書十四二十に云く「くまらゑん三蔵と申せし人をば木像の釈迦をわせ給いて」と云云。甫註十一二十六に云云。「或は説法」とは即ち摩騰の画像を指すなり。註十六十二。往いて見よ。「或は御物言」とは御書二十八二十二に云く「昔優●大王・釈迦仏を造立し奉りしかば木像説いて云く『我を供養せんよりは優●大王を供養すべし』等云云、影堅王の画像の釈尊を書き奉りしも又又是くの如し」と云云。釈書二十八に「遠州の鵜田寺の薬師像、我を取れ、我を取れ」と云云。註に引く所の如し。

 一、但日輪を射る等文。(同ページ)

 中正論十六四十一、往いて見よ。

 一、阿闍世王は天より月落る文。(同ページ)

 報恩抄下十二に「日落つ」云云。而して「須抜」に例す云云。

 問う、本経に云く「月落ち、日地より出ず」と云云。何ぞ「日落つ」というや。

 答う、迦葉、仏に赴く。涅槃経に云く「一の比丘夢みらく、日月堕落して天下明を失うと。迦葉の云く、仏将に般●●せんとすと」云云。既にこれ倶に涅槃の相なり。故に彼を以て此れに類して「日落つ」というなり。

 一、須●乃至我とあわせ等文。(二八二ページ)

 大論三十八に云く「天、須抜に語って言く、仏当に涅槃に入るべしと」等云云。問う、何ぞ「我とあわせ」というや。答う、今は他人の見に約す。謂く、他人は天を告を知るべからざるが故なり。

 一、夏の桀・殷の紂文。(同ページ)

 太平記三十五紙云云。これ父の悪を以てその子に課して爾云うなり。 

 一、仏の童名をば日種文。(同ページ)

 大論八三に云く「婆羅門、仏に対えて言く、汝は是れ日種、浄飯王の太子なりと」云云。

 問う、瑞夢の相を以て日種と名づくるに非ざること、註の中に弁ずるが如し。

 答う、本これ日種の姓にしてその瑞あり、故に童名もまた日種と号するに何の妨あらんや。例せば迦葉等の如し。啓蒙十五五。

 一、日本国と申す文。

 日神出生の本国なるが故なり。

 一、此のゆめは天照太神等文。(同ページ)

 問う、「釈尊」「天照大神」はその義分明なり。「法華経」「伝教大師」は如何。

 答う、法華経も日天子なり。故に薬王品に云く「又日天子の如し」等云云。所持の法華既に日天子なり。能持の人もまたまた是の如し。故に「伝教」というなり。下三十六の意を見合すべし。

 一、日本かちて候ならば等文。(同ページ)

 太平記三十九に云云。これ真言調伏の験には非らざるなり。

 一、但し承久の合戦文。(同ページ)

 今は真言の悪法に約す。次上の二紙には浄土の悪霊に約す留なり。東鑑第二十五巻。

 一、此れを能く能く知る人は一閻浮提第一の智人等文。(この御文、御書に拝せず)

 開目抄下の三十七に云く「無眼の者・一眼の者・邪見の者は末法の始めの三類を見るべからず一分の仏眼を得るもの此れをしるべし」文。三十三二十七に云く「三千年に一度花開くなる優曇華をば転輪聖王此れを見る。究竟円満の仏にならざらんより外は、法華経の御敵をば見しらざらんなり。一乗の敵を夢の如く勘え出して候」等云云。学者、意を留めてこれを案ずべきなり。

 一、今は鎌倉等文。(二八三ページ)

 この下の意は、今鎌倉に於ても真言崇敬の故に、国定めて亡ぶべし等となり。

     四日

(第二十八段 閻浮第一の法華経の行者)


一、亡国のかなしさ等文。(二八三ページ)

 この下は大段の第二、正を顕すなり。正は即ち最大深秘の大法なり。中において末法流布の正体・本門の本尊・妙法蓮華経の五字は即ちこれ所持の法なり。我が蓮祖大聖人は即ちこれ能持の人なり。能持の人は即ちこれ末法下種の教主なり。今、当抄の意は、能持・所持の中に於て能持の人を以て表と為すなり。例せば「法妙なるが故に人貴し」の意の如し。

 故にこの文より下、「抑此の法華経」等の文の上に至るまで、正しく三義を以て、蓮祖はこれ末法下種の教主なることを顕示するなり。

 一には、日蓮はこれ閻浮第一の法華経の行者なるが故に。これ則ち前代未聞の大法を弘通したまうが故に。二には、日蓮はこれ閻浮第一の智人なるが故に。これ則ち瑞相の根源を知ろし召すが故なり。三には、日蓮はこれ閻浮第一の聖人なるが故に。これ則ち自他の兵乱を兼知したまうが故なり云云。

 故に蓮祖はこれ末法下種の教主なり、故に知んぬ、末法下種の人本尊なることを云云。

 次に正しく文を消せば、この「亡国のかなしさ」の下は第二に、正を顕すなり。また二あり。初めに略して示し、次に「漢土・日本」の下は広釈なり。初めの略して示すにまた三あり。初めに怨嫉来難、次に「而る間」の下は自他の兵乱、三に「吉凶」の下は天地の瑞相なり云云。

 一、ただざんげんのことばのみ用いて等文。(同ページ)

 或は多人に付き、或は上代崇重の法の改め難き故に、或は自身愚痴なるが故に、或は実経の行者を軽んずるが故に、但讒言のみを用いて実経の行者を怨むなり。二十八巻二十九、往いて見よ。

 一、古の謗法をば不思議とは等文。(二八三ページ)

 録外第四十五、往いて見よ。

 一、覚徳比丘の殺害に及びしに等文。(同ページ)

 安国論十九に涅槃経第三五十二を引く。

 一、吉凶につけて瑞多ければ難多かるべき等文。(同ページ)

 録外十六二十一往いて見よ。

 一、月氏・漢土・日本等文。(同ページ)

 この下は二に広釈、三あり。初めに日蓮は閻浮第一の法華経の行者なることを明かし、次に「問うて云く正嘉」の下に日蓮は閻浮第一の智人なることを明かし、三に「いまにしもみよ」の下に日蓮は閻浮第一の聖人なることを明かすなり。第一の閻浮第一の法華経の行者なることを明かすにまた三あり。初めに略して所忍の怨嫉を示し、次に「先づ眼前」の下は広釈、三に「日蓮は日本第一」の下は結なり。

 一、まづ眼前の事をもつて日蓮は閻浮提第一の者としるべし文(同ページ)

 この下は次に広釈、また三あり。初めに前代流布、次に「此の念仏」の下は序、三に「欽明」の下は正釈。

 一、仏には阿弥陀仏等文。(同ページ)

 これは本尊に約す。「諸仏の名号には」等とは修行に約するなり。

 一、心あらん人は此れをすひぬべし文。(二八四ページ)

 前権後実は諸仏説法の儀式なるが故なり云云。

 一、欽明より乃至智人なし等文。(同ページ)

 上巻二十三に云く「南無妙法蓮華経と一切衆生に勧めたる人一人もなし。此の徳は誰か一天に眼を合せ、四海に肩をならぶべきや」(取意)と云云。

 問う、上巻二十二に云く「日本国に仏法渡って七百余年、伝教大師と日蓮とが外は一人も法華経の行者なきぞかし」(取意)と云云。如何。

 答う、若し像法当分に約すれば伝教大師も法華経の行者なり。これ則ち像法適時、如説の行者なるが故なり。若し末法に望むれば仍真の法華経の行者に非ず。これに且く二意あり。

 一には、彼の時は法華正しき流布の時に非ざるが故に。上巻九に云く「法華経の流布の時・二度あるべし所謂と在世の八年・滅後には末法の始の五百年なり、而に天台・妙楽・伝教等は進んでは在世法華経の時にも・もれさせ給いぬ、退いては滅後・末法の時にも生まれさせ給はず中間なる事をなげかせ給いて」と云云。既に正しき流布の時に非ざるが故に、また真の法華経の行者には非ざるなり。二には、伝教大師は仍南無妙法蓮華経と一切衆生に勧め給わざるが故なり。即ち今文の如し。故に真の法華経の行者に非ざるなり。若し此の意を得ば処々分明なり。

 一、一閻浮提の内にも肩をならぶる者は有るべからず文。(二八四ページ)

 問う、何を以てこの事を知らんや。

 答う、顕仏未来記二十七三十一に云く、疑って云く「但し五天竺並びに漢土等にも法華経の行者之有るか如何。答えて云く四天下の中に全く二の日無し四海の内豈両主有らんや」と文。経に云く「世に二仏なく、国に二主なく、一仏の境界に二つの尊号なし」と云云。秘すべし、秘すべし云云。他流の知らざる法門なり。敢て露呈することなかれ。また報恩抄上三十五には、釈尊を法華経の行者と名づくるなり。

   五 日

(第二十九段 閻浮第一の智人)


   一、問うて云く正嘉の大地しん等文。(二八四ページ)

 この下は第二に、日蓮は閻浮第一の智人なることを明かす、また三あり。

 初めに略して所知の瑞相を示し、次に「問て云く心いかん」の下は広釈、三に「あわれなるかなや」等の下は悲喜なり云云。

 所知の瑞相とは「正嘉の大地しん」「文永の大彗星」なり。東鑑四十七十七に云く、註の所引の如し、同二十七に云く「十一月八日己未大地震、去ぬる八月二十三日の如し」云云。これ日本国中一同の大地震なり。文永の大彗星とは、東鑑には文永元年を闕く。合運図に云く「大彗星出ず」と云云。法蓮抄十五二十七、往いて見よ。一天に亘る大長星なり。前代未聞の事なり。

 一、智人は智を知り等文。(同ページ)

 一義に云く、但仏の智人のみ本化の智人出現の謂を知るなり。若し迹化の愚人は本化の智人出現の謂を知らざるなり。例せば蒙求にいうが如し。「謝尚、八歳にして智慧人に勝る。父携えて客を送る。或る人曰く、此の児は一座の顔回なりと。謝尚、声に応じて云く、此の座に孔子無し。誰か顔回と知らんやと云云。

 一義に云く、但仏の智人のみ自ら仏の智を知る。蛇の自ら蛇足を知るが如し。仏の智者は近きを以て遠きを推し、現を以て当を知る。譬えば雨の猛きを見て竜の大なるを知り、華の盛んなるを見て池の深きを知るが如し。今もまた然なり。本化出現の大瑞を見て、寿量妙法の末法流布を知るなり。これ即ち仏の智なり。仏の智人のみ自らこの智を知る。迹化の愚人はこれを知らざるなり云云。

 聖人知三世抄二十八九に云く「予は未だ我が智慧を信ぜず然りと雖も、自他の返逆・侵逼之を以て我が智を信ず」等云云。これを思い合すべし。

 況や「蛇は自ら蛇を識る」の喩の意に符合せるをや云云。仏を一切智人と名づくること大論七十三紙に出でたり。

 一、問うて云く其の意いかん文。(二八四ページ)

 この下は二に広釈、二あり。初めに先ず等覚不知を示し、次に「問うて云く智人」の下は正しく蓮祖の能知を明かす。三あり。初めに 正釈、次に「問うて云くなにをもってか此れを信ぜん」の下は引証、三に「此等の大謗法の根源」の下は結。初めの等覚不知を示すにまた二あり。初めに正しく明かし、次に「問うて云く日本」の下は彼を以て此に況す云云。

 一、寿量品の南無妙法蓮華経文。(同ページ)

 顕仏未来記に云く「本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て閻浮提に広宣流布」等云云。

 当に知るべし、但「寿量品」といいて未だ本迹一致、一品二半等とはいわず。然るに連師に違背して「本迹一致の妙法」と云云。●むべし、悲しむべし云云。

 一、此の事を知る人あるべしや等文。(同ページ)

 啓蒙に云く「此の事とは災難の由来を指す」と云云。今謂く、地震、長星は滅後の瑞相なり。本化の涌出は在世の瑞相なり。故に録外十六十九に云く「法華経序品の六瑞は一代超過の大瑞なり、涌出品は又此れに似るべくもなき大瑞なり」と文。答の中の意は、既に等覚の菩薩すら尚瑞相の謂を知らず、況や一毫未断の凡夫をや。何ぞ瑞相の謂をしらんや云云。

 一、問うて云く智人等文。(二八四ページ)

 この下は正しく蓮祖の能知を明かす。「此の災の根元」とは天地の災難、即ちこれ瑞相なり。「蛇は七日が内等」とは開目抄下二十五に。

 一、大竜の所従等文。(同ページ)

 文の意に云く、日蓮は久遠実成の大竜の所従なり。久遠塵点已来、久しく本門寿量の肝心を学せり等云云。  一、日蓮は凡夫なり等文。(同ページ)

 啓蒙に云く「既に凡夫と云う。故に辛有・伯陽を引き、一分の凡夫の兼知を証するなり」等云云。

 今謂く、既に本仏の所従にして久しく本門寿量を学せり。故に知んぬ、日蓮は実にこれ聖人なることを。故に外典の一分の聖人を引き、今日蓮はこれ智人なることを顕すなり。「辛有・伯陽」は既に未萠を知る。豈一分の聖人に非ずや。但「凡夫」とはこれ謙下の御辞なるのみ。

 一、周の平王の時等文。(二八五ページ)

 安国論に云云。 

 一、幽王の時山川くづれ文。

 史記四二十六。「伯陽」は老子に非らざるなり。啓蒙の中に弁ずるが如し。

    六日

     (第三十段 智人たるの証文)

 一、問うて云くなにをもつてか此れを信ぜん等文。(二八五ページ)

 この下は引証なり、。次上に正しく瑞相の謂を答えて云く「今の大地震・大長星は国王・日蓮をにくみて亡国の法たる禅宗と念仏者と真言師をかたふどせらるれば天いからせたまいていださせ給うところの災難なり」云云。故に今、この証拠を問うて、「なにをもってか此を信ぜん」というなり。

 一、最勝王経に云く文。(二八五ページ)

 金光明最勝王経第八巻十八の文なり。

 一、皆時節によらず文。(同ページ)

 本経には「皆時を以て行われず」と云云。余抄の所引、御申状等も爾なり。

 一、又云く、三十三天の衆等文。(同ページ)

 最勝王経第八十七の文なり。この中に「他方の怨賊」等とは、文に同じきが故に来るなり。蓮祖の釈の文、また爾なり。「三十三天」とは帝釈天王の事なり。

 一、仁王経に云く等文。(同ページ)

 仁王経嘱累品の文なり。次上の第一の引証は、国主、智人を悪みて悪人に帰依するの証なり。第二の引証は天の瞋の証文なり。今、この仁王の文は禅・念仏・真言は亡国の悪法たるの証文なり。「又云く」の下は知るべし、即ち天地の災難なることを。

 一、次には内賊と申して等文。(同ページ)

 問う、所引の経文未だこの意を見ず。

 答う、破法・破国の文の意を出だすなり。故に下に「是れ偏に」等なり。

 一、守護経に云く等文。(同ページ)

 守護国界経第十六紙の文なり。次上の仁王経並びにこの守護経の文、及び下の蓮華面経の文は、三文倶に禅・念仏・真言は亡国の悪法たるの証文なり。故に知んぬ、真言亡国、念仏無間等は一往なることを。再往は三宗無間、三宗天魔、三宗亡国なり。

 一、訖哩枳王にかたらせ給い文。(二八六ページ)

 伝教大師、顕戒論の下十四に経を引いて具に釈す。往いて見よ。一には貧にして治せざらんことを畏るる沙門。二には奴にして怖畏ある沙門。三には債負を怖るる沙門。四には仏法の過失を求むる為の沙門。五には勝他の為の沙門。六には名称の為の沙門。七には天に生ぜんが為の沙門。八には利養の為の沙門。九には王に生ぜんが為の沙門。十には真実心の沙門。前の九種の沙門は破仏法の三宗なり。第十のみ真実の沙門なり。

 一、大族王文。(同ページ)

 西域第四初に、「武宗皇帝」は註の中に諸文を引く云云。

 一、伝教大師の獅子の身の中の虫三虫等文。

 問う、蓮祖の獅子身中の虫これありや。

 答う、開山上人の二十六箇の第四に云く「偽書を造って御書と号し本迹一致の修行を致す者は獅子身中の虫と心得べきな事」と云云。御書の中に都て本迹一致の義なきこと、この文に分明なり。若し実に本迹一致の文あらば、何ぞ更に偽書を作って御書と号せんや云云。

 今時、偽書を造らずと雖も、本迹一致の修行を作す、豈蓮祖の獅子身中の虫に非ずや。我が日興上人は実にこれ蓮祖付嘱の写瓶なり。深くこれを思うべし云云。

 一、此等の大謗法の根源をただす等文。(二八六ページ)

 これ蓮祖の能知を明かす中の第三、結文なり。

 一、あわれなるかなや等文。(同ページ)

 これは閻浮提第一の智人なることを明かす中の第三、悲喜の文なり。

 一、今度心田に仏種をうえたる等文。(同ページ)

 十三三十に云く「日蓮は民の家より出でて頭をそり袈裟を服足り。此の度いかにしても仏種をもうえ、生死を離るる身と成らんと思い候」云云。自行既に爾なり。化他もまた然り云云。二十二十八。

  七日

(第三十一段 閻浮提第一の聖人)

 一、いまにしもみよ等文。(二八六ページ)

 この下は第三に、日蓮は閻浮提第一の聖人なることを明かす、三あり。

 初めに略して兼知の兵乱を示し、次に「外典に曰く」の下は広く釈し、三に「されば国土いたくみだれば」の下は結。初めの兼知兵乱を示す中に二あり。先ず正しく示し、次に信伏を明かす中に内外の例を引なり。

 一、月支のいう大族王。(二八七ページ)

 西域四二。註の所引の如し。

 一、宗盛は景時をうやまう等文。(同ページ)

 「景時」の二字は応に「能員」に作るべし。即ちこれ比企四郎能員なり。東鑑第四の元暦二年、盛衰記四十五五の如し。この能員は安国論所覧の比企大学三郎の父なり。

 一、提婆乃至南無と唱え等文。(二八七ページ)

 増一阿含四十六十三に云云。「南無」の事、種々の因縁は林二十二十、愚案記十六巻五十七に云云。

 一、南無日蓮聖人等文。(同ページ)

 聖人知三世抄二十八九に云く「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり」文。経に云く「慧日大聖尊」云云。「尊」とは人なり。人即尊なり。「唯我独尊・唯我一人」これを思え、当に知るべし、「大聖人」とは即ち仏の別号なり。これ則ち末法下種の教主なるが故なり。江戸阿私加大論二十二十六。

(第三十二段 聖人たるを広く釈す)

 一、外典に云はく等文。(二八七ページ)

 この下は広釈、三あり。初めに釈名、次に「予に三度」の下は正釈、三に「問うて云く第二」の下は勘文なり。

 一、未萠をしるを是れ聖人という文。(同ページ) 

弘二末九十三に云く「説苑に云く、萠兆未だ現れざるに存亡の機を見るを名づけて聖臣と為す」云云。文選四十四に云く「明者は危きを無形と見、智者は福を未萠に規る」云云。良曰く「萠は初生なり」と。善曰く「太公金●に曰く、明者は未萠を見る」文。

 三沢抄十九二十二に云く「聖人は未萠を知ると申して三世の中に未来の事を知るを・まことの聖人とは申すなり」等云云。二十八巻八、聖人知三世抄、往いて見よ。

 一、予に三度の高名あり等文。(同ページ)

 この下は正釈、また、二あり。兼知未萠を明かすに自ら三あり、見るべし。

 一、最明寺殿等文。(同ページ)

 釈書十七二十、王代一覧五二十九、鎌倉志三四十六。

 一、宿屋の入道に向かって云く等文。(同ページ)

 後蓮師に帰し、光則寺を立つるなり。啓蒙一三、往いて見よ。

 一、禅宗と念仏宗とを失い給うべし文。(同ページ)

 問う、安国論には但法然のみを破す。今何ぞ「禅宗」というや。

 答う、彼の論の現文は但法然のみを破すと雖も、意は諸宗に通ずるなり。具には安国論愚記の如し。諸宗の中に於ても禅宗は別して鎌倉殿帰依の宗なり。故に宿屋に向って「禅宗と念仏宗」等というなり。報恩抄に云く「国主は禅宗を尊む日蓮は天魔の所為というゆへに我と招ける・わざわひなれば」と云云。

 一、此の一門より事をこりて他国にせめらせ給うべし等文。(二八七ページ)

 次上の二十六紙を往いて見よ。

 問う、兼知符合は如何。

 答う、種種御振舞抄二十三三十九に云く「去ぬる文永五年後の正月十八日、西●大蒙古国より日本国を襲うべきの由牒状を渡す。日蓮が去ぬる文応元年太歳庚申立正安国論に勘えたるが如く、今に少しも差わず符合しぬ。此の書は白楽天が楽府にも越え、仏の未来記にも劣らず、末代の不思議、何事か是れに過ぎん。賢王・聖主の御代ならば日本第一の権状にも行われ、現身に大師号あるべしと思いしに其の義なし」(取意)等云云。

 「白楽天の楽府にも越え」とは安国論愚記の如し。「仏の未来記にも劣らず」とは顕立正意抄十三二十五に云く「立正安国論に云く、乃至朝に賢人有らば之を怪む可し」等云云。苦得外道は涅槃経三十一八の如し。●婆長者は涅槃経二十八七の如し。「却って後三月」の文は普賢観経に出ず。其の外、六十年の末田地、一百年の脇比丘及び阿育大王、六百年の馬鳴、七百年の竜樹、皆仏記の如く秋豪も差わず。蓮祖の兼知またまた是くの如し、故に「仏の未来記にも劣らず」というなり。

    十三日

 一、平左衛門尉に向かって云く文。(同ページ)

 これ即ち名字なり。故に「へイ」とよむべし。愚案記三十六に云云。語式は不可なり。

 一、日蓮は日本国の棟梁なり文。(同ページ)

 職原抄一六の頭書に云く「室、棟梁に非ざれば則ち成せず」云云。又云く「隋の高孝基、人を知るの鑑あり。杜如晦を見て曰く、必ず棟梁の重きに任ぜんと。班固、謝夷吾を薦む、誠に大●の棟梁なりと。棟梁の二字は此より出ず」と云云。佐渡抄十四九に云く「日蓮によりて日本国の有無はあるべし、譬えば宅に柱なければ・たもたず人に魂なければ死人なり、日蓮は日本の人の魂なり平左衛門既に日本柱をたをしぬ」文。即ち今文に同じきなり。

 一、只今に自界叛逆等文。(二八七ページ)

 問う、兼知符合は如何。

 答う、顕立正意抄十三二十七に云く「去る文永八年九月十二日御勘気を蒙りしの時吐く所の強言次の年二月十一日に符合せしむ、情有らん者は之を信ず可し何に況や今年既に彼の国災兵の上二箇国を奪い取る設い木石為りと雖も設い禽獣為りと雖も感ず可く驚く可きに」等云云。「次の年の二月十一日」とは即ち文永九年二月の騒動の事なり。

 文永九年壬申春、鎌倉の時宗の舎兄・六波羅の南方・北条式部丞時輔、密に時宗を誅せんと謀る。北条尾張守公時入道見西、遠江守教時之に応ずる事、関東に聞ゆ。故に二月十一日、鎌倉に於て彼の与党公時入道並びに遠江守教時を誅す。然るに見西罪科なき故に由って討手、大倉次郎左衛門尉、渋谷新左衛門尉、四方田竜口左衛門尉、石河神の次左衛門尉、薩摩左衛門三郎等、首を●ねられ畢ぬ。又中の御門中将実隆郷、●者と成る。その外、多くの人誅敗を受く。同じき十五日、鎌倉の早馬、六波羅の北方・北条義宗の許に来る。義宗俄に南方へ押し寄せ、時輔を討ち亡す。吉野の奧に遁逃し、遂に行方を知らず。これ二月の騒動と謂うなり。

 時輔はこれ時宗の兄なるに、弟の時宗家督を取られ鬱憤止まざる故に、逆心の企ありしなり。六波羅の北方・義宗はこれ長時が子なり。長時は重時が子なり。重時はこれ義時が三男なり。義時は時政が嫡子なり。公時、教時は皆時頼、時宗の一門なり。自界叛逆の兼知、宛も符節の合うが如し。豈大聖人に非ずや。

 日妙抄十九六十二に云く「今年二月十一日合戦、其れより今五月のすゑ・いまだ世間安穏ならず」等云云。

 また文永九年正月十六日、佐州塚原に於て諸宗と法論、勝利を得るの後、本間重連に向って未萠を示す。この事、三十日の内に符合せり。具に佐渡抄十四八紙の如し。

 「何に況や今年二箇国を奪い取る」とは、「今年」は即ち文永十一年なり。王代一覧五四十二に云く「文永十一年十月、蒙古の兵船、対馬島 に寄せ来る。武士等防戦」等云云。「二箇国」とは壱岐・対馬なり。

 一、経文の如く乃至彼等が頭を由井浜にて切らずば等文。(二八七ページ)

 問う、何れの経文を指すや。

 答う、安国論の意に准ずるに、仙予・有徳の経文なるべし。会疏三五十五、同十一十九、安国論十七八。

 問う、涅槃経には「刀杖を持すと雖も、応に命を断ずべからず」云云。安国論に云く「釈迦の以前仏教は其の罪を斬ると雖も能忍の以後経説は則ち其の施を止む」等云云。「諸宗の僧の頸を@ねらるべし」云云。豈相違するに非ずや。

 答う、「則ち其の施を止む」とは、これ為人悉檀に約す。「頸を@ぬべし」とはこれ対治悉檀に約す。本経の文に両辺あり。故に各一意に拠るなり。啓蒙九十四、また会疏三三十一に云云。二十一二十三。

 一、建長寺文。(同ページ)

 これ禅宗なり。巨福山と号す。五山の第一なり。相模守平時頼、建長三年十一月に建立なり。開山は宗の大覚禅師、諱は道隆蘭渓、具に元亨釈書第六九の如し。

 一、寿福寺文。(同ページ)

 また禅宗なり。亀谷山と号す。五山の第三なり。開山は千光国師栄西なり。この地は頼義・義家居住の処なり。後に義朝も此に住せり。二位の禅尼、彼の菩提の為に栄西に付するなり。

 一、極楽寺文。(同ページ)

 これ律宗なり。霊鷲山と号す。開山は忍性菩薩良観上人なり。陸奥守平重時の建立なり。重時、極楽寺殿と号するなり。

 一、大仏殿等文。(同ページ)

 建長寺の持分なり。寛元元年の建立なり。今の大仏は金銅の盧遮那仏なり。

 一、長楽寺文。(同ページ)

 浄土宗の法然が弟子、隆観所住の寺なり。

 一、去年文永十一年四月八日文。(同ページ)

 「去年」とは文永十一年なり。故に当抄は建治元年の述作なり。文永十一年甲戌二月十四日の御赦免状、同じき三月八日島に着き、同じき二十六日に鎌倉に入り給い、同じき四月八日に平左衛門に御対面なり。(註画五初)

 一、殊に真言宗乃至大なるわざはひにては文。(同ページ)

 東寺・叡山、並びにこれ真言なり。

 問う、前の両度は但禅・念仏を破し、今は別して真言を破する所以は如何。

 答う、三沢抄十九二十三に云く「又法門の事はさどの国へながされ候いし已前の法門は・ただ仏の爾前の経とをぼしめせ」等云云。これに二義あり。一には所破、二には所顕なり。

 所破というは佐渡已前には未だ真言を破せざるなり。何となれば即ち彼の下の文に云く「此の国の国主我が代をも・たもつべくば真言師等にも召し合わせ給はんずらむ、爾の時まことの大事をば申すべし、弟子等にもなひなひ申すならばひろうしてかれらしりなんず、さらば・よもあわじと・をもひて各各にも申さざりしなり」云云。

 所顕というは未だ三箇の秘法を顕さざるなり。即ち彼の次下の文に云く「而るに去る文永八年九月十二日の夜たつの口にて頸をはねられんとせし時より・のちふびんなり、我につきたりし者どもにまことの事をいわざりけるとをもうて・さどの国より弟子どもに内内申す法門あり、此れは仏より後(乃至)竜樹・天親・天台・妙楽・伝教・義真等の大論師・大人師は知りてしかも御心の中に秘せさせ給いし、口より外には出し給はず」等云云。三十三十九、三十五五十一。

 佐渡已後は専ら真言を破し、三箇の秘法を顕すなり。例せば法華に至って始めて三を破して一を顕し、迹を破して本を顕すが如し。爾前の中に於てはこの破顕の二義なし。佐渡已前もまた爾なり。故に「但仏の爾前経」等というなり。若し通じてこれを談ぜば、彼も未顕真実なり。此れも未顕真実なり。故に爾云うなり。

 一、よも今年はすごし候はじ等文。(二八八ページ)

 即ちその年の冬、文永十一年十月、蒙古の兵船対馬に寄せ来り、二箇国を奪い取れり。已上三度の兼知、毫末も差わず、豈大聖人に非ずや。佐渡御書十七十九に云く「現世に云をく言の違はざらんをもて後生の疑いをなすべからず」等云云。此に於て暫時、筆を閣いて紅涙紙を点ず云云。

十五日

 問う、宗祖の兼知未萠の現世符合の事、既に命を聞き畢ぬ。また現世の御言、滅後符合の事これありや。

 答う、実に所問の如し。今、且く現世三の事に准じて滅後符合の三事を出さん。 

 一には、下山抄二十六五十二に云く「教主釈尊より大事なる行者を法華経の第五の巻を以て日蓮が頭を打ち十巻共に引き散して散散に@みたりし大禍は現当二世にのがれたくこそ候はんずらめ」云云。この大科終に免れずして、平左衛門尉頼綱も宗祖滅後二十一年に当って一類滅亡せり。鎌倉将軍譜に云く「弘安七年十月、時宗の子息貞時十四歳、家督を継いで執権す。同八年四月、貞時、相模守に任ず。(頼綱、泰盛の子宗景が藤原氏を改めて源氏と為し、密に謀叛して将軍たらんと欲すと告ぐ。十一月、泰盛、宗景誅に伏す。其の党皆平ぐ。是に於て頼綱独り威を振う)。永仁元年四月、鎌倉大地震、死者一万余人。貞時の家令頼綱、剃髪して果円と号す。権威日に盛んなり。其の次男安房守、廷尉に任じ、飯沼殿と号す。密に安房守を立てて将軍と為さんと謀る。果円が長子宗綱、以て貞時に告ぐ。貞時、果円及び安房守等を誅す。宗綱も亦佐渡に流さる。(其の後之を赦す)。一族滅亡す」等云云。

 今案じて云く、平左衛門入道果円の首を@ねらるるは、これ則ち蓮祖の御顔を打ちしが故なり。最愛の次男安房守の首を@ねらるるは、これ則ち安房国の蓮祖の御頸を@ねんとせしが故なり。嫡子宗綱の佐渡に流されるは、これ則ち蓮祖聖人を佐渡島 応道に流せしが故なり。その事、既に符号せり、豈大科免れ難きに非ずや。

 問う、頼綱の滅亡は正しく熱原の法華宗の首を切りしが故なり。謂く、駿州富士熱原の郷の住人、神四郎・田中の四郎・広田弥太郎を始めとして多くの信者あり。然るに駿河の国は守殿の御領、殊に富士郡は後家尼御前達の内の人々多し。故に最明寺・極楽寺の御敵と瞋り給う故にや、平左衛門頼綱、弘安三年の秋の比、彼の神四郎・田中の四郎・広田の弥太郎等二十四輩を生け捕りて籠に入れ、その年の冬、三人の者は法華宗の張本として頭を@ねらる。その外の者をば残らず追却せり。

 されば蓮祖聖人、彼等籠者の問の御書二十二三十三に云く「彼のあつわらの愚癡の者ども・いゐはげまして・をどす事なかれ、彼等にはただ一えんにおもい切れ・よからんは不思議わるからんは一定とをもへ」已上。

 また頸切られて後、上野殿への御書三十二十八に云く「あつはらのものども・かくをしませ給へる事は・承平の将門・天喜の貞当のやうに此の国のものどもは・おもひて候ぞ、これはひとへに法華経に命をすつるがゆえなり、まつたく主君にそむく人とは天・御覧あらじ」已上。

 その後、日興上人、彼の菩提を@う中に御本尊書写し給う、その端書きに云く「駿河国富士下方熱原郷の住人、神四郎、法華宗と号して平左衛門尉が為に頸を@ねらるる三人の内なり。平左衛門入道、法華宗の頸を切るの後十四年を経て、謀叛を企つる間、誅せられ、其の子孫、跡形も無く滅亡し畢んぬ。徳治三年戊申卯月八日、日興在判」云云。

 故に頼綱の滅亡は熱原の現罰なり。何ぞ蓮師打擲の大科というや。

 答う、現報に遠近あり。遠くは蓮師打擲の大科に由り、近くは熱原の殺害に由るなり。故に興師は近く現報を論じ、今は遠くこれを論ずるが故なり。

二には、佐渡抄十四十に云く「法華経の行者を梵釈・左右に侍り日月・前後を照し給ふ、かかる日蓮を用いぬるともあしくうやまはば国亡ぶべし、何に況や数百人ににくませ二度まで流しぬ、此の国の亡びん事疑いなかるべけれども且く禁をなをして国をたすけ給へと日蓮がひかうればこそ今までは安穏にありつれども・はうに過ぐれば罰あたるぬるなり」文。

 文の表は近報を語ると雖も、文の意はまた遠報にも通ずるなり。謂く、既に数百人に悪ませ二度まで流しぬるは鎌倉殿の大科なり。この大科、法に過ぐるが故に、近くは文永十一年二月中旬、京・鎌倉に於て同士討して多く一族を誅し畢んぬ。遠くは蓮祖の滅後五十二年に当って子孫跡形なく滅亡し畢んぬ。太平記第十終に云く「嗚乎、此の日は何なる日ぞや。元弘三年五月二十二日と申すに、平家九代の繁昌一時に滅亡して、源氏多年の蟄懐一朝に開くる事を得たり」等云云。

 当に知るべし、法華守護の八幡大菩薩は勢を刹那に催し、天照大神の垂迹は潮を万里に退けて、源氏の頂に乗り移って平家の族を責め亡せしなり。建仁寺の天誉の詩に云く「短世誰か嘗む亀谷の水、嘉齢久しく保つ鶴岡の松、曽て日蓮師の諫めに違うに依って、永々の英将蹤を継がず」等云云。安国論の性師序に云く「先代の英将諫言を容れず、万世保たず憐むべし、焦土となりぬること。惜しいかな、亀谷の水は@を献じ、鶴岡の松は笑いを騰ぐ」等云云。

 三には、乙御前抄十四二十一に云く「日蓮が頭には大覚世尊かはらせ給いぬ」。又云く「事の後にあへばこそ人も信ずれ、かうただ・かきをきなばこそ未来の人は智ありけりとは・しり候はんずれ、又身軽法重・死身弘法とのべて候ば身は軽ければ人は打ちはり悪むとも法は重ければ必ず弘まるべし、法華経弘まるならば死かばね還って重くなるべし、かばね重くなるならば此のかばねは利生あるべし、利生あるならば今の八幡大菩薩と・いははるるやうに・いはうべし」等云云。本門の大法年々に弘まり、蓮祖の威光月々に倍増し、御影の利生日々に新なり。故にこれ眼前なり。豈兼知差わざるに非ずや。故に知んぬ、吾が蓮祖はこれ実に大聖人にして、末法下種の教主なることその意分明なることを云云。

    三月七日

一、此の三つの大事は日蓮が申したるにはあらず文。(二八八ページ)

 この下は二に結成。これにまた二あり。初めに謙知符合の所以、次に「経に云く所謂」の下は釈尊の謙知符合。

一、只偏に釈迦如来の御神・我身に入りかわらせ給いけるにや文。(同ページ)

 日朝云く「唯仏与仏の極智を凡心に之を成ず。是れを以て諸の菩薩衆の信力堅固なる者を除く」と云云。また云く「仏果の極智、三世了達の照見も、一念三千の果徳に達するが故になり。今元祖の未

来記、併ながら三世一念三千の了達、善悪互具の意趣なり。豈一念三千に非ずや」取意。  日講云く「玄二に云く、如来の洞達、十法の底を究め、十法の辺を尽くすと云云。是れ即ち如来所証の一念三千の境界なり。吾が祖、目前の照鑑符合す。亦一念三千の妙用を振舞いたまうなり」云云。

 今謂く、今日の「釈迦如来の御神」とは、即ちこれ久遠元初の自受用身なり。久遠元初の自受用身とは即ちこれ今の日蓮聖人なり。故に「釈迦如来の御神、我が身に入り替る」というなり。その自受用身とは即ちこれ一念三千の仏なり。故に「一念三千と申す大事の法門はこれなり」という。伝教大師云く「一念三千即自受用身」云云。御義口伝上十八に云く「事の一念三千は、日蓮が身に当たりての大事なり」と云云。

 日我の本尊抄見聞に云く「日蓮身に当りての大事とは、日蓮が当体ぞと云う事なり」云云。文意に云く、この三つの大事は日蓮が申したるには非ず、釈迦如来の御神たる久遠元初の自受用身の仰せられたるにてあるなり。豈符合せざるべけんや。(外十三二三)

 一、経に云く所謂諸法実相等文。(二八八ページ)

 この下は釈尊の謙知符合、また二あり。見るべし。

 一、十如是の初めの相如是が第一の大事にて候へば仏は世にいでさせ給う文。(同ページ)

 この文、解し難し、知り難し。故に諸師に多義あり。今、初学の為に意を取ってこれを示さん。

 一義に云く、凡そ如来の出世は衆生本具の仏地見を開示悟入せしめんが為なり。而るに如来、衆生の仏知見を開くべき先相を照見して出世し給う。故に「相如是が第一の大事」というなりと。一義に云く、十如是の中に於て、初めの如是相は別して実相の義を顕し、三千皆実相、相々宛然、深旨灼然たり。故に如是相は最も肝要なり。故に「第一の大事」というなりと。 一義に云く、即事而真、当位即妙は法華の深旨、円宗の洪範なり。故に「相如是が第一の大事」というなりと。

 一義に云く、吾が祖、台家理具の分斉を簡んで一念三千、事々互具を顕す。故に今、「相如是が大事」というなりと。已上四義は日講なり。

 一義に云く、仏出世し、善悪の因果を以て未来作仏の記を授けたまう事も、併しながら諸の法相の隠顕を能く明らかに照見したまう上の事なるが故に「相如是が大事」というなりと。これ日朝の義なり。

 今謂く「相」とはこれ前相、瑞相なり。故に通じて一切に亘ると雖も、別して今いう所の「相如是」とは、正しく本化の地涌を指して「相如是」と名づけ、また出世の大事と名づくるなり。これ即ち本化の涌出は寿量の妙法の末法流布の瑞相なるが故なり。故に「智人は智を知る」等の文を引いて、以てこの義を証するなり。

 外十六十九に云く「されば法華経序品の六瑞は一代超過の大瑞なり、涌出品は又此れには似るべくもなき大瑞なり」云云。大瑞豈相如是に非ずや。涌出品に云く「無量千万億の大衆の諸の菩薩、四方の地震裂して、皆中より涌出す。是の諸の菩薩衆、本未の因縁あるべし。無量徳の世尊、唯願わくば衆の疑を決したまえ。爾の時に仏、弥勒に告げたまわく、乃し能く仏に是くの如き大事を問えり」略抄と。弥勒は本化の涌出を問う。仏答えて「是くの如き大事」という。豈本化の涌出を「大事」と名づくるに非ずや。

 問う、宗祖何ぞ両字を加えて「第一の大事」というや。

 答う、凡そ「第一」とは最極の義なり。出世の大事を汎論するに即ち三意あり。

 一には、迹門の顕実を出世の大事と為す。妙楽云く「但仏の出世は正しく顕実の為」とはこれなり。

 二には、寿量の顕本を出世の大事と為す。天台云く「奇特の大事、慇懇丁重」とはこれなり。

 三には、文底の秘法を出世の一大事と為す。秘法抄終に云く「法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給いて候はこの三大秘法を含みたる経にて渡らせ給えばなり」文。

 此の如き三義、浅きより深きに至って第三、最極なり。然るに本化の地涌は、この第三の最極の秘法の末法流布の瑞相なり。故に「第一の大事」というなり。

 問う、「智人は智を知る」等の引証の意は如何。

 答う、この文に面裏あり。若し文の裏の意は迹化の不知の義なり。その相、前の如し。若し文の面は唯仏能知の義なり。今の引用は即ちこの辺なり。所謂「智人は智を知る」とは、上行菩薩等の大地より出現し給いたりしば、仏は元品の無明を断じたまうが故に智人といわれて、寿量品の南無妙法蓮華経のの末法に流布せんずる故に、この菩薩出現せりと知ろしめし召すという事なり云云。二十八巻九、往いて見よ。

 一、一●あつまりて大海となる等文。(二八八ページ)

 初めには釈尊の兼知の相を明かせり。この下は兼知符合を明かすなり。

 一、日蓮が法華経を信じ始め等文。(同ページ)

 文意に云く、日蓮が法華経を信じて題目を唱え始めしは一●・一微塵の如し。法華経を信じて二人、三人百千万億人、題目を唱え伝うるの程なれば等云云。これ則ち漸々に寿量の妙法、広宣流布すべし云云。

 「仏に成る道」等とは、法華経を信じて題目を唱うるより外には、仏に成る道を求める事なかれとなり。文の中の「信」の字、「唱」の字これを思え。

   十三日

  (第三十三段 日本第一の大人)


 一、問うて云く第二の文永八年等。(二八八ページ)

 この下は三に勘文云云。「大集経」とは大集月蔵経第八十。

 一、いたひとかゆきと申すはこれなり文。(同ページ)

 かけば痛し、かかねば痒し。全くその如く、兼知符合すればその国亡びなんとす。若し符合せざれば法華経の行者なることを顕れず。故に爾云うなり。

 一、提婆が虚誑罪文。(二八九ページ)

 弘一中十七、止弘一本三十八、法蓮抄十五二。

 一、瞿伽利が大妄語文。(同ページ)

 大論十三十七、増一阿含十二巻五紙。註の所引の如し。

 一、声をあげて申せしかば等文。(同ページ)

 蓮祖、日月等を責め、国に験を顕したまう事は、これ大慈大悲の至りなり。具に王舎城抄三十四巻終の如し云云。

 一、されば国土いたくみだれば等文。(同ページ)

 これ閻浮第一の聖人を明かす中の第三、結文なり。

 一、当世には日本第一の大人なり文。(同ページ)

 「大人」とは大聖人という事なり。故に開目抄上十一に云く「仏世尊は実語の人なり故に聖人・大人と号す、乃至此等の人人に勝れて第一なる故に世尊をば大人とは・申すぞかし」文。これを思い合わすべし云云。

  (第三十四段 外難を遮す)

 一、問うて云く慢煩悩等文。(二八九ページ)

 この下は下難を遮するなり。

 一、七慢。(同ページ)

 一には慢。他に劣れるに己れ勝ると謂う。

 二には過慢。他に等しきに己れ勝ると謂う。

 三には慢過慢。他の勝れるに己れ勝ると謂う。

 四には我慢。我と我が所に執す。

 五には増上慢。未だ得ざるに得たりと謂う。

 六には卑慢。他の多分に勝れるに己れ少しく劣れりと謂う。

 七には邪慢。徳なきに徳ありと謂う。

 今略して意を取ってこれを示す。「九慢」は「七慢」の中の慢過慢、卑慢より出ずるなり。「八慢」とは一には色●、二には盛壮●、三には富●、四には自在●、五には姓●、六には行善●、七には寿命●、八には聡明●。

 一、徳光論師は弥勒菩薩を礼せず文。(二八九ページ)

  西域四十二。天軍羅漢の神力に由り兜率天に摂して、慈氏の比丘像に非ざる見、これを礼せざるなり。当に知るべし、比丘の俗を礼するに略して三意ありと。

 一には涅槃経六二十五に、知法の者を礼するは、これ敬法の志を顕すが故なり。

 二には浄名弟子品に、比丘、浄名を礼するは、これ聞法の恩重きが故なり。名疏五六。

 三には不軽菩薩の四衆を礼するは、仏性これ仏果に同じきが故なり。具に記第十三十二の如し。(追名義四五十)

 一、大慢婆羅門は四聖を座とせり。(同ページ)

 西域十一十三。大自在天・婆●薮天・那羅延天・大覚世尊の「四聖」なり。賢愛論師に責められて、現に無間に入れり。前の如し。

 一、大天は凡夫にして阿羅漢となのる文。(同ページ)

 註七四十九に、甫註十四、大婆沙九十九巻を引く。俗に在るの時、三逆罪を作る。出家の後、五悪見を生ず。死ぬる時焼けず。狗糞を酒穢して焼く等云云。

 一、無垢論師が五天第一等文。(同ページ)

 元小乗に於て出家し、五天竺に游び三蔵を学す。後、大乗を謗って心狂乱を発し、五舌重なり出でて熱血流涌す。その死処に当り、地陥ちて抗となる。羅漢見て云く「今此の論師、大乗を毀悪して無間の獄に堕つ」云云(西域四十五、註四十七)。謗法の相貎、顕謗法抄十二三十二に内外相対・大小相対・権実相対してこれを明かす。また迹本相対・種脱相対してこれを明かすべきなり。

 一、鉄腹が再誕か文。(二八九ページ)

 大論十一六にいう。鉄を以て腹に●す。所学甚だ多く、腹を破裂せんことを恐れてなり。また頭上に火を載す。これ世上愚痴の大闇を破るとなり。

 一、現に勝れたるを勝れたりという乃至大功徳なりけるか文。(同ページ)

 これ即ち今経の妙用を顕すが故なり。二十八十に云く「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり(乃至)此れ偏に日蓮が貴尊なるに非ず法華経の御力の殊勝なるに依るなり、身を挙ぐれば慢ずと想い身を下せば経を蔑る松高ければ藤長く源深ければ流れ遠し」等云云。天台云く「法妙なるが故に人貴し」と云云。御書三十十四に云云。

  十五日

 一、伝教大師云く等文。(同ページ)

 秀句下十紙の文なり。

 一、強盛に信じて而も一分の解なからん人人等文。(二九〇ページ)

 経に「有能受持」という、故に無解有信に約するなり。これ即ち「信力の故に受け、念力の故に持つ」の故なり。

 一、彼の人人は或は彼の経経等文。(同ページ)

 第一の句は色心倶に移るの人なり。嘉祥等の如きなり。第二の句は心を移して身を移さず。慈恩等の如し。第三の句は色心倶に移らず。善導・法然等の如し云云。

 一、されば今法華経の行者は心うべし文。(同ページ)

 意に云く「有能受持」等の文は第八の譬の下に在りと雖も、十喩の一一の下にこれありと心得べしとなり。

 一、又衆星の中に(乃至)如く文。(同ページ)

 問う、何ぞ別して大海、月天の二喩を挙げぐるや。

 答う、大海の譬の如き、且く二意を明かさば、一には竪に深く横に広し。これ蓮祖の慈悲の広大を顕す。二には大海は平等なれども死屍を留めず。これ慈悲は平等なれども謗者を度せざるを顕すなり。三十三九云云。次に月の喩の如きは、これ蓮祖の三徳を顕すなり。謂く、月は虚空に住し能く諸の闇を除き、能く万物を育つ虚空に住するはこれは主君の徳なり。闇を除くはこれ師の徳なり。万物を養うはこれ親の徳なり。然りと雖も、別してこれを論ぜば但これ師の徳なり。故に経に「照明」というなり。

 一、日蓮は満月のごとし文。(二九〇ページ)

 「満月」はこれ妙覚究竟の譬なり。会疏十八五、文三九十三。また信心の厚薄に約す。三十三十二に云く「法華経を深く信ぜざるは半月の如し。深く信ずる者は満月の如し」等云云。「伝教大師の云く」とは、秀句下十三の文なり。

  (第三十五段 現証の文を引く)

 一、梵王にもすぐれ帝釈にもこれたり等文。(二九一ページ)

 「梵王にもすぐれ」とはこれ親徳を顕すなり。「帝釈にもこえ」とはこれ主徳を顕すなり。今師徳を挙げざるは、次上の「満月」の譬は即ち師徳なるが故なり。

 一、讃むる者は福を安明に積み文。(同ページ)

 啓蒙に云く「此れ伝教の釈の名言なるが故に、我が祖も執し思召し、御本尊にも処々に遊ばせり」等云云。此等の義を以て彼が胸中を知れ云云、云云。

 今謂く、本尊の讃にこの文を引く意は、自受用身即一念三千なるが故なり云云。秘すべし、秘すべし。

 一、日蓮今生に大果報なくば等文。(同ページ)

 既にこれ閻浮第一の法華経の行者なり。既にこれ閻浮第一の智人なり。既にこれ閻浮第一の聖人なり。既に末法下種の教主と顕れ給えり。豈大果報に非ずや。

 経に云く「是くの如き大果報、種々の性相の義。我及び十方の仏乃し能く是の事を知れり」文。

 一、我が弟子等心みに法華経のごとく身命もおしまず修行して此の度仏法を心みよ文。(同ページ)

  十八日

  (第三十六段 御身の符合を明かす)

 一、抑も此の法華経の文等。(二九一ページ)

 この下は蓮祖の御身、二経の文に符合するを顕すなり云云。

 一、但無上道を惜しむ文。(二九一ページ)

 一には権実相対、方便品の「但無上道を説く」の文これなり。二には本迹相対、寿量品の「得入無上道」の文これなり。三には種脱相対、文底下種の妙法は無上の中の無上なり。御義上三十に云く「今日蓮等の類いの心は無上とは南無妙法蓮華経・無上の中の極無上なり」等云云。

 一、涅槃経に云く等文。(同ページ)

 会疏九二十。

 一、譬えば王使(乃至)如し等文。

 論語三五十一、要言古事九四十五、語園下三十三等。

 一、寧ろ身命を喪う文。(同ページ)

 藺相如、強き秦に使す。註千字上四、三国伝二八、源平盛衰記二十八九に云云。此等は且く化他の為に事を引いてこれを示すか。

 一、答えて云く予が初心の時の存念等文。(同ページ)

 この下は三と為す。初めに簡び、次に「経文に我不」の下は正釈、三に「此の事は今の」の下は結。第二の正釈にまた三あり。初めに法華の怨敵を示し、次に「法華経の第五」の下は法華の行者を示し、三に「而るを又」の下は身命を愛せざることを示す。

 一、霊山浄土等文。(二九二ページ)

 これ結文なり。寿量文底の最大深秘の大法・十界具足の大本尊、冥に顕に守護し給うなり云云。これ元意なり。

    撰時抄畢んぬ。

維れ時、正徳六丙申年三月十八日

    上野学頭 大貮日寛(華押)


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