平成十四年二月一日号
論説
 
年中行事に込められた本宗信仰のあり方
法華の道場に参詣して功徳を積もう
 
 【参詣の功徳を積む】
 
 新春の元朝勤行を同士の方々と厳粛に行い、意義深い立宗七五〇年の幕があけた。早一ヶ月が過ぎ、今月は七日に日興上人会、十六日には大聖人の御誕生会が各寺院布教所において奉修される。
 
日興上人会は、上人が芹を好まれたことから、御宝前に芹が供えられるために「芹御講」とも呼ばれている。
 この法会では読経・唱題の後、上人の御高徳や御事蹟が各住職より語られ、御報恩に供えられることとなる。
 
 それは、限られた時間であるので一様ではないが、御誕生の甲州鰍沢から習学の四十九院。岩本実相寺での大聖人の邂逅から(出会い)から佐渡での常随給仕。駿河・甲斐一円に及ぶ折伏教化。そして、熱原法難から身延山を経て大石寺開山という本宗信仰の要諦となる命題にも及ぶことがある。
 
 さらには第三祖日目上人や南条時光殿をはじめ、弟子檀越の方々との交わり。令法久住・妙法流布を願われての重須談所での御振舞いや、遺された御教訓の数々から、本宗の信仰と基本法門を学ぶこととなる。
 
 十六日の大聖人の御誕生会でも、法話では御誕生にまつわる伝説や、自ら「日蓮は旃陀羅が子なり」とのべられ、御自身の出自を最下の身分と表明されて、「教いよいよ実なれば位いよいよ下し」という富士門流に伝承された御法門が語られ、また、時代背景から宗祖ゆかりの方々や、故郷房州の風光などの説明がなされることであろう。
 僧俗共に御報恩申し上げる法会では、いずれも本宗の法義信仰が語られ、正しい信仰が確認されていく。
 
 暦の上では春を迎えたが、いまだ寒さが厳しく、ややもすれば参詣の足がにぶりがちになる方もあろう。しかしこのようなときにこそ厳寒の佐渡での大聖人様のご生活を拝し、阿仏房夫妻や国府入道夫妻などの先達の尊い求道心を想って参詣の功徳を積みたいものである。
 
 【本宗の信仰を学ぶ法会】
 
 大聖人は行学二道の御聖訓に、「行学の二道を励み候べし、行学たへなば仏法は、あるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候。力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」と仰せである。
 ここでは、行学に勤しむ姿のないところには仏法は存在せず、正しい信仰は必ず行学を求めるものであることが教えられている。各法会の参詣はこの御聖訓を実践していくことであり、必ずや信行が増進されるであろう。
 
 今月に限らず本宗では年中の行事が定められ、その奉修と執行を通じて信仰が明らかとなり信行が深められる。
 三月と九月には春秋の彼岸会が執り行われ、四月には立宗会、七月または八月には盂蘭盆会法要、九月には龍口法難会、十月には御大会式、そして十一月の深秋には、日目上人会が奉修されるのである。
 
 これらの年中行事の一つ一つに参詣し、丁寧にその意義を拝するならば、本宗の信仰のあり方が正しく理解されることとなる。
 また、不自由にして道場への参詣が叶わないとしても、意識して学ぼうとすれば、自宅の御本尊の前でも、また病床に身を安んじていても、同様に本宗の信仰の息吹にふれることができる。
 
 年中行事はまことに深い意義がこめられている。参詣を疎にして正信の歩みが進められることはない。
 人生は無常である。誰人も免れることはできない。足が不自由にならないうちに道場参詣の功徳を積み、耳が聞こえるうちに御法門を聴聞し、目が見えるうちに御書を真剣に拝読したいものである。

コンテンツ
継命目次へ
nb 資料室 富士門流の再興を考えよう nbの独り言の部屋
愚者・迷者談義 正信掲示板 雑談掲示板
メール
ホームへ