平成十四年二月十五日号
寄稿
「一華を見て春を推せよ」
鹿児島市・上行院法華講  柳田典夫
創価学会にも阿部宗門にも大聖人の仏法はない
 覚醒運動に身を挺し、立宗750年を悦びをもって
 
 私は平成十三年二月に上行院法華講に入講しました。
 それまでの私は、過去三十四年間創価学会に在籍し幹部として活動していました。その後創価学会問題(第二次創価学会問題といわれている)が生じた平成三年に創価学会を脱会して宗門側寺院に移り、九年間、西大宣寺法華講の役員として活動してきました。
 
 ちなみに、私の職業は菓子製造業です。いわゆる自営業者です。創価学会にとりましては、自営業者ほど使い勝手の良い職業はありません。それはサラリーマン幹部とは違いまして、自由に活動の時間が取れ、離島・遠隔地の多い鹿児島県や、県外に、いつでも派遣担当を命じることができるからです。
 
 仕事を取るか、学会活動を取るかの判断に迫られますと、勿論学会活動が主体となります。そのような決断は、組織内では、私のみならず、熱心な学会員なら至極当然のこととして理解されています。
 広宣流布の美名のもと、過去、どれほど多くの学会員が破産、夜逃げ、一家離散等の憂き目を見てきたか、創価学会はこのような多くの学会員の悲劇と暗い影の部分に支えられて肥大化してきたというのが現実です。
 
 そのような状況を目の当たりにしながらも、私は漠然と創価学会に所属し、昭和五十三年暮れに行われた「十一・七」といわれる「お詫び登山」にも、鹿児島県の幹部の一人として出席をしておりました。
 しかし、事前に何も知らされていなかった私は、「お詫び登山」の意義も何も知らされないままに、池田先生と登山・御開扉が受けられるという誘いに乗せられて登山したというのが実状でして、当日行われた大客殿で一連ののお詫びは、一つも頭に残っていませんでした。今考えると、赤面の至り、自分の愚かさを深く反省しております。
 
 宗門と創価学会の問題は、その組織に所属している限り、正しい情報が伝わってくることはありません。私自身、「昭和五十二年路線」といわれる問題が生じた時に、どうして判断を誤ったのか、本当に悔やまれてなりません。
 意を決して、長年所属した創価学会を脱会したのは平成三年の時でした。
 阿部宗門側法華講員として新たな信心をしてからは、「大白法」等の阿部宗門発行の新聞等に掲載された阿部日顕師の指導を切り抜きにして、猊下に信伏随従する信心を心がけようと、自分なりに精進してきました。
 
 阿部宗門側法華講では、ご承知のように、立宗七五〇年の慶讃法要を三十万登山の目標を掲げ、その促進のために、四年ほど前から南九州二十六ヵ寺の僧俗協議会という会議が毎月一回開かれています。
 その会議に出席していて感じたことは、各講中を発展させるための会合ではなく、宗門の僧侶は、はなはだ失礼とは思いますが、おざなりで、保身的で、臆病で、大聖人様の仏法も御開山日興上人の御精神も、微塵も感じることができませんでした。
 「開目抄」には、「一Hをなめて大海のしををしり、一華を見て春を推せよ」と仰せですが、本当にその会合一つにしても、全く日蓮正宗の精神の欠如した組織であると理解できるようになりました。
 
 私は、旧制中学四年の時、十六才で軍隊生活も体験し、戦後は鹿児島の焼け跡からやっと幸福をつかんだと思ったら、創価学会に裏切られ、意を決して阿部宗門の懐に飛び込んだら、今度は阿部宗門の僧侶の道念のなさに暗澹たる思いをさせられました。その思いを所属していたお寺の住職に意見具申をしてまいりましたが、糠に釘、無視され疎んじられ、煙たがられ、次第に住職との間に亀裂が生じてきました。
 どうしたらいいか本当に悩みました。真実、日蓮正宗の信心はどのようにしたら全うできるかと自問自答しました。
 
 そのようなことをして日々を送っていた時、昔、一緒に活動した知人が正信会の法華講員として信心していることを思い出しました。そこで、それとなくその友人を訪ねてみました。近況を語り合い、正信会に誘ってくれることを期待したのですが、それがなかなか誘ってくれないのです。
 意を決して私は、上行院住職(井上豊道師)に直接お電話をして面談し、種々疑問を訴えました。その一つ一つに誠実に答えていただき、その後、御講に参加することを許可いただきました。一昨年の御大会式にも参加させていただきました。
 平成十三年の正月には、家族全員で上行院に参詣することができました。
 
 入講については住職はなかなか許可してくださいませんでした。やっと平成十三年二月七日、御開山日興上人の御正当会に参詣させていただき、そのおりに、晴れて上行院法華講員として入講の許可をいただいた次第です。
 ふり返って見る時、創価学会、阿部宗門法華講と遠回りしましたが、今日までの信仰生活は、この正信覚醒運動にて正信会法華講員となって信心することによってムダにはならなかったと、しみじみ思っています。
 
 私は、創価学会時代から人工透析をはじめて、十年以上になります。体力的には半人前ですが、家族揃って正しい信心ができる悦びでいっぱいです。
 私が阿部宗門法華講を離れ、一緒に行動してくれた方も昨年の南部九州正信連合会大会に参加して下さいました。いまだ折伏の意欲は衰えていません。
 
 しかし、公明党の政権参加により、日本もますますお先真っ暗で、重大な時期を迎えいます。また、阿部宗門といえば、繰り返されるお寺の増改築による大伽藍化、なりふり構わぬ金集め、人集め、保身と媚びの売り買いなど、およそ信仰とは別の次元の組織となってしまっています。
 このような状況にあって、日蓮大聖人の仏法はもはやこの正信会の中にしかありません。
 正信覚醒運動が行き詰まるということは、大聖人の仏法流布の行き詰まりに関わることとなり、正信覚醒運動の盛り上がりは、大聖人の仏法の繁栄につながることです。
 私達一人ひとりが、この運動に身を挺して折伏の狼煙を上げ、行動を起こしてこそ、立宗七五〇年の佳節を大いなる悦びをもって迎えることができるものだと思います。
 
 大聖人様は、
 「人身は受けがたし爪の上の土、人身は持ちがたし草の上の露、百二十まで持ちて名をくたして死せんよりは、生きて一日なりとも名を上げんことこそ大切なれ」
 と仰せです。この受けがたい人界に生を受け、値いがたい仏法にせっかく巡り合いながら、その正しい仏法が汚濁されたいるのを目の当たりにして折伏を行じないというのであれば、まさに「見置」の罪はまぬがれません。いかにして霊山にて、大聖人様にお目通りが叶いましょうか。
 
 失礼ついでに思うことを申し上げますと、正信会の法華講の皆様は、上品といいますか少々おとなしく感じます。もっともっと正信の信心を、また自らの思いを前面に押し出しって活動・行動し、もって各々の講中の活性化をはかっていただきたいと心から思います。

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